あと右斜め前に見えますちょっとえんじ色のホテルですけど…。
こっからですね津波の影響でアスファルトが剥がされちゃってます道路の。
被災地を訪れた人に震災の体験と現状を伝える「語り部」と呼ばれる人たちがいます。
東北各地で活動する語り部は400人以上。
東日本大震災から4年目。
あの日の記憶が薄れつつある中でさまざまな活動を始めています。
映像を使って震災の教訓を伝える語り部。
町を訪れた人たちを仲間にして復興の足がかりを作ろうという語り部。
考えるんじゃなくて自分の思った事とにかく発散して。
復興が進む被災地で始まった語り部たちの新たな模索…。
彼らに会いに春の東北を訪ねました。
(里見)この辺りから津波の影響を大きく受けております。
ここは震度6強の地震がありました。
そして津波は6m7m。
この一帯海が目の前ですので破壊的な影響を受けております。
ここは原発事故で全町民が避難している…ここは駅に向かう道路なんですけど車の正面ご覧下さい。
道路の真ん中に津波で流された家がちょうどこちらに着地してるんです。
ガイドをしているのは語り部を始めて2年…津波で押し潰されたパトカーが残されていました。
津波が来るというのをパトカーの方はキャッチしてます。
そして放送をして回りました。
ここ一帯を。
「早く避難して下さい」と。
警官も1名はご遺体になってもう1名の方はまだ見つかってないんですね。
里見さんは福島の原子力災害の実態を現場に立って自分の目で確かめてもらいたいといいます。
数値でしか分からない放射線その影響を言葉で伝える事には限界があるからです。
・
(町内アナウンス)町内への立ち入り時間は全ての区域とも午後3時までとなっております。
ここは午前9時から午後3時までしか立ち入りを許されていません。
富岡町商店街は避難指示解除準備区域と言われるエリアです。
しかしまだ住民がここで生活できるめどは立っていません。
この美容室です。
この時計がちょうど地震の遭った14時46分ちょっと過ぎてますけど…を指してるんですね。
ずっと時が止まったままなんです。
ちょうど右側窓から見て下さい。
第二原発が見えます。
そこからのびてる送電線も右の方に見えるんですよね。
(里見)だんだん見た事ない数値になってきたでしょう…。
放射線量を計る線量計。
ここでの数値は0.68マイクロシーベルト。
東京ではほとんどの場所が0.08マイクロシーベルト以下とされています。
どのくらいになったらヤバいですか?基本的に日本の基準というのは1時間に直しますと0.23マイクロシーベルト。
第一原発に近づくにつれ数値は更に上がっていきます。
住宅街の途中で道が封鎖されています。
ここから先は帰還困難区域許可なく立ち入る事はできません。
(里見)人が行けない所ですよね。
ここまでいくと1を過ぎますので。
(里見)このようにバリケードがず〜っと張られてるんですね。
自分の家にも入れないようなバリケード。
この家の持ち主だったらどういう気持ちでしょうね。
福島県いわき市。
フラガールで知られる湯本温泉があります。
原発からおよそ50km。
ここでの放射線量はおよそ0.1マイクロシーベルト。
地震の被害はありましたが今では多くの旅館が営業を再開しています。
里見さんは350年続く老舗旅館のご主人です。
震災後営業を再開するまでには1年かかりました。
前は140名スタッフいた時は分担制でねみんなやってましたけど。
(取材者)今何名ですか?今は20名です。
アルバイト含めまして。
(取材者)後の方は皆さんおやめになった?そうですね。
はい。
一人10役ぐらいでみんなやってます。
ここ貸し切り風呂です。
貸し切り風呂は今もう全然時間の止まったままというか。
ちょっとお金がまだね。
順番に直してるのでもう少し頑張ってお金をためたらここ直したいなと思ってますけど。
布団はもう全部上がってる?
(従業員)上がってると思います。
震災後観光目的の家族連れや団体客はほとんど来なくなってしまいました。
今はボランティアや視察で訪れる客が中心です。
売り上げは震災前の2割まで落ち込みました。
以前ですと団体で宴会型のお客様がど〜んと来てでば〜んと帰るみたいなそういう感じでしたからね。
今は一人で来る方も多いんですよね。
里見さんが語り部を始めたきっかけは支援のために全国から駆けつけてくれた友達を被災地に案内した事でした。
皆さんやっぱり口々にしたのは「これは里見君言葉も出ない」という事です。
「新聞やテレビまたはインターネットでは情報を得てたので自分としては何となくイメージはついてたんだけどそれをはるかに超えるちょっと現実ではない衝撃を感じた」という事で「里見君これできるだけ多くの人に実際見てもらった方がいいよ」と。
多くの人に見てもらいたい多くの人に伝えたいと「ふよう土2100」というNPOを立ち上げ参加者を募っています。
私「NPOふよう土2100」代表してます里見喜生と申します。
今日一日どうぞよろしくお願いします。
(一同)よろしくお願いします。
今日のお客さんは東京から来たグループ。
最初に伝えるのは放射線の基礎情報です。
細かくいうと放射線と放射性物質と2つの言葉なのかなと思います。
その違いについては皆さんは予習などはされていらっしゃいましたか?大体は。
(里見)いわき市は主に0.08〜0.18の間ですね。
…あっさすがですね。
基本のコースは4時間。
いわき市をスタートし楢葉町を通って富岡町を目指します。
今このJヴィレッジの裏口から入ります。
裏側から入ります。
かつてはサッカーの日本代表が練習した…今は原発作業員が着替える場所になっています。
(里見)この右側のね立派な道の駅ですよね。
今は双葉警察署の臨時庁舎になってます。
あちこちで見かける黒や緑の大きな袋。
中身は除染作業で出た草や土です。
黒い袋に詰めたものを仮の仮の置き場としてここに積み上げて集められていくんですね。
富岡町で除染の終わったエリアはまだ目標の3%以下です。
除染で出た廃棄物の最終処分場も未定です。
(里見)これが原子力災害ですという見せるものは特にないですしそれを案内するものも特にないんですね。
目に見えない事象ではあるんですけど目に見えるものもあるんですね。
いろんな関係の中で壊れてしまったものまたは逆に生まれたものというのが事実としてありますと。
基本的に自分の目で見たもの耳で聞いたものまたはそこに行って確認したものを話するようにしてます。
(里見)この辺りは送電線の銀座ですよ。
送電線がいっぱい立ってます。
そこに第一原発とか第二原発で作られた電気が変電所に行きましてそして東京神奈川千葉埼玉にその電気は行くわけです。
電気を作って送っていた場所がこのようにふるさとを失って人も住んでません。
かたや電気を供給されている場所東京含めて関東は今日常に皆さん過ごされていると思います。
こんなに差があっていいのだろうかとね僕は感じてます。
シンプルな事実を伝えるだけで参加した10人に9人…ほんと10人に10人ハッて皆さん顔色が変わります。
現実とテレビで見たものって全然違うなというのは特に感じましたしまだもうちょっと良くなってると正直なところ思ってました。
ちょっと他の世界のような気がしてたんですけれどもこれからはもう少しニュースとか入ってきててももう少し自分ごととして捉える事ができるように思います。
里見さんが語り部ツアーで案内するのは被災地だけではありません。
福島の悲惨な状況だけでなく未来に向けて歩き始めた市民の姿も伝えようとしています。
原発事故の影響で一度は耕作放棄された畑。
今では有機栽培の綿花オーガニックコットンを作っています。
どんどんどんどんこのように畑を復活させてくれてるんですね。
ありがたい。
オーガニックコットンプロジェクトを立ち上げたのは地元の主婦の吉田さんです。
農家の方たちがこのまま農業続けていいかどうか分かんないって当時すごく悩んでおられてその農家さんたちにじゃあ私たち何かお手伝いできる事ないだろうかと考えた時に食用じゃない繊維になる作物という事でオーガニックコットンの栽培を始めました。
里見さんの語り部ツアーでもこのボランティアに参加できます。
秋に収穫する綿からはTシャツや人形などの商品を作ります。
せ〜の。
(一同)いわき〜。
オッケーです。
この左にあるのがそうです。
こちらは自分たちで電気を作ろうというプロジェクト。
ボランティアと一緒に太陽光の小さな発電所を作っています。
ここの中にもちょっとサインが名前が入ってると思うんですがそういったボランティアに来られた方がこうやってサインしてるんです。
代表の島村さんはこれまでオール電化の工事を請け負う仕事をしていました。
しかし今では「原発に頼らない社会を作りたい」という福島の人々の思いを伝えようと活動しています。
やっぱり地域の人らとそれを支援頂く首都圏の皆さん法人さんの皆さんとかというところで一緒にやっていくというところに意味と意義とやりがいを感じてうん。
来て頂いてます。
ありがたい事ですね。
今では2,300平米の土地で50kW10世帯分の電力が作れるようになりました。
みんないい人ばっかりですよ。
原発事故以来その影響に苦しめられてきた福島の人々。
里見さんはこの3年間真剣にこれからの社会の在り方を考えてきました。
自然エネルギーで電気を自給自足し食べ物から洋服まで自分たちで作る持続可能な社会。
里見さんはその夢に向かっています。
そしてその思いを日々伝えています。
今里見さんが語り部ツアーに加えたいと考えているのは福島の食農業です。
そのガイド先として受け入れてくれそうな農家があると聞き訪ねました。
こんにちは里見といいます。
はじめまして。
6年前故郷に戻って農業を始めた…原発事故が起きて一時は休んでいましたが今年から本格的に再開しました。
少量で多品目で作るので。
(里見)少量多品目だよね。
ほんとそれがいいよね。
作っている野菜は40種類以上。
全て無農薬有機肥料で育てています。
これが夏野菜でも早めに出てきそうなオカヒジキ。
(里見)オカヒジキ?いや〜大好きですよ。
マヨネーズとニンニクと混ぜて食べるのね。
(佐藤)ニンニクも混ぜるんですね。
平飼いの鶏はおよそ120羽。
こだわりの餌で育てています。
これねいい川。
あ〜すごい。
ここも水力発電作れますね。
すばらしい山の景色ここからの。
そうですね。
いわきの自然と農業を知ってもらうには最高の環境です。
常磐の湯本から来ました。
あら近いじゃん。
そうそう。
はい僕は近いんです。
うちは8割減なのよ売り上げが。
これうそだろうと。
次の年ですよ。
次の年の1年目は8割減。
うそだろうという世界でも今は何とか5割とか6割まで上げてきてるので。
厳しい現実の中でも佐藤さん親子には温めてきた夢がありました。
この住まいとこの上にある息子の家と。
農家民宿。
遠野町としての取り組みがあったんですね。
町ぐるみで農家民宿をやってる地域にしようという動きが始まって3年目が震災だったんですね。
一度はストップした民宿の計画。
佐藤さんは少しずつ準備を始めていました。
お手伝いしたい人が泊まっていけるような場所を少し手入れしたりとか来た人がちょっと居心地いいと感じられるような場所にしていけたらなと思いますね。
僕も連れてきますよ。
そうですか。
一緒にこういったものができるとかメニュー作りとかそういった事は一緒に作っていきましょう。
これからも一緒に…。
(2人)よろしくお願いします。
里見さんが案内する語り部ツアーが訪れる日も遠くはなさそうです。
10mを超える津波が町の中心部を襲い400人以上の命が犠牲になりました。
この町には映像を使って津波の体験を伝えている語り部がいます。
震災当時菓子メーカーの専務だった齊藤さんはその後退職。
工場の会議室を借りて2年前一人でこの「津波伝承館」をオープンさせました。
津波伝承館には県外からも多くの人が訪れます。
まずは映像で津波の脅威を見てもらいます。
「あ〜!」。
(齊藤)まさかあんなでかい津波が来るなんて思ってもいませんでした。
堤防をちょっとかすめる程度かなと。
あそこを越える事はないだろうというふうに思っていたんですが。
この映像は齊藤さん自身が撮影しました。
正面に見える白い建物が勤めていた会社です。
(泣き声)「おい止めてくれ!止めてくれ!」。
津波というのは怖いものだととにかく津波に対しては言葉に対して大変敏感に育て上げられました。
水の速さなんですけども一般的には20kmから40kmぐらいと言われておりますけれども人が津波に打ち勝って走って逃げるというのはかなり難しいのではないかな。
齊藤さんはさまざまなデータを使って地震があればすぐに避難する事が大切だと伝えます。
(齊藤)上の方のグラフですが逃げなかった人が40%。
確実な避難行動をとる事によって助かった人なんですと言えると思うんですね。
(拍手)
(齊藤)盛大な拍手ありがとうございます。
静岡の沼津って所から来たのですごく教訓に。
沼津は行ってお話ししたんですよ。
齊藤さんの体験を聞きひと事ではないとみんな真剣です。
できるだけ生きる方法を考えて下さい。
死んでいい人なんていないから。
やっぱりそれを体験した事のある人の言葉ってすごく重いし命を守るというのが一番大事だなってすごく感じました。
齊藤さんが語り部を始めたのはインターネットに投稿した映像が反響を呼び講演に呼ばれるようになったからでした。
これがその映像です。
地震発生直後齊藤さんが勤め先で撮影しました。
(齊藤)「逃げろ!津波来る津波来る」。
「津波来ますね」。
(齊藤)「逃げなさい。
電気止めて。
逃げて!避難!」。
齊藤さんがすぐに避難を呼びかけ社員は全員無事でした。
逃げる場所というのはもう決まっていたんですね。
ここのすぐ建具屋の向こう側の丘に逃げ上がったと。
逃げる経路は大体左右に道路が小さいのがありますのでね。
なぜここまで素早い行動ができたのかそれには理由がありました。
齊藤さんが初めて津波を体験したのは昭和35年のチリ地震津波です。
この時大船渡では53人が亡くなりました。
家族を救ったのは父の俊雄さんです。
昭和8年の三陸津波を経験。
素早く齊藤さんを避難させたのです。
父の教えは齊藤さんの心に深く刻み込まれました。
「大きな地震が来たら早く逃げるんだぞ」と。
やはりそれは自分の体験からそういう話をしていたわけなんですけども代が変わっちゃうとあったんだね程度にしか感じないんじゃないかなと思うんですよね。
だからやっぱり現在においては映像等がありますので強くそれを見せて訴えていくと。
一人でも多くの人に伝えたい。
齊藤さんは依頼があればどこへでも出向きます。
この日は岩手の企業団体からの依頼です。
(齊藤)大きな音を出さないとやっぱり臨場感がないんですよ。
「何だ堤防越えてしまったぞ。
堤防を越えてしまった。
おいおい。
何だ堤防どうなってるんだよ」。
避難をしているような様子がいくつかございます。
齊藤さんがスクリーンに映したのは津波にのみ込まれる直前の町の写真です。
津波が迫っているのを本人たちは気付いていません。
しかし津波はすぐそこまで来ていたのです。
ここに2人女性がおります。
津波は周りを完全に囲んでしまったうえにこの人たちが逃げるんですがもう逃げ場所を失ってしまったんですね。
早い避難をするべきだったんですね。
こういう映像も見てもらったり昔はなかったから映像がそんなに。
そういうのを見せて津波って怖いものだなというのをお知らせしてやはり危機感を持ってやらなきゃ駄目だなという気はしましたよね。
今齊藤さんが懸念しているのは津波の傷痕を伝える震災遺構が消えていく事です。
齊藤さんの会社の建物も解体作業が終わりに近づいていました。
ほぼ無くなっちゃいましたね。
あと表の入り口の部分を残して…。
いろんな所でもう撤去されちゃってるから何があったかすら忘れてしまう。
遠くから来る人なんか「大船渡って原っぱなんですね」なんて言われたりしてね。
そうなるとかなり寂しいなって感じはしますけどもね。
口で「こうだったよ」と言ってもなかなか理解してもらえないですね。
このままでは人々の記憶が薄れていく。
そして10年100年とたち忘れた頃にまた津波は襲ってくる。
世代を超えて語り継ぎたいと齊藤さんは津波の映像と自分の話を交えたビデオの編集に取りかかりました。
(齊藤)このビデオを作っているのは私がどうしてもお話ができないという時とかあるいは残すのにはやはりこういう映像化する事によって更に将来につなげる事は可能になるであろうとこんな格好で残せればなと今編集をやってるところなんですね。
私は少なくとも映像で話してる内容を撮って末代まで言い伝えてもらえばいいなと思ってるところですけどもね。
10m以上の津波に襲われ1,200人以上が亡くなりました。
町の中心にあった商業地の98%が被災し今も住民の3割は仮設住宅で暮らしています。
一般社団法人おらが大夢広場。
大のよりよい町づくりのため震災の8か月後に設立されました。
スタッフは8人。
代表の…設立直後から語り部の活動を続けてきました。
初めはその語り部ガイドというよりもたくさん来た人に対してのアテンド。
いろんな企業だったりいろんな団体が大町に来てそれを受け入れる団体というのが無かったのでそういったところで私たちが受けさせてもらってました。
やっていくうちにやっぱり来たからには当時の現状であったり震災前の状況というのが知りたいという声もありましたのでそういった事から被災地ガイド語り部ガイドというものをやり始めたのがきっかけですね。
臼沢さんたちのねらいは語り部ガイドを通じて人とつながる事。
人との交流によって生まれる力を復興に生かそうとしています。
中でも企業を呼び込み継続的な関係を作る事に力を入れています。
この日迎えたのは東京の通信機器メーカーの社員たちです。
皆さんに謝らなければならない点が一点ありました。
きれいな女性のガイドさんじゃなくて大変申し訳ないなと。
皆さんにねちょっとお願いがあります。
今回参加したのは20人。
まずは被災した旧大町役場に向かいます。
ここでは役場職員の3分の1が津波に巻き込まれ命を落としました。
まずね皆さん何かの思いがあって来て下さってますから必ずね本音で話します。
私ね仕事じゃなかったらまずこんな事したくないです。
理由は簡単な話です。
ここで大町役場で婚約者亡くしてます。
役場職員だったという事ね。
臼沢さんの婚約者はいまだ行方不明です。
なぜやってるのかそれは簡単な話でねその子が「岩手県に人を呼び込みたい。
大町に呼び込みたい」という事で役場職員になったから。
私は何もしてあげられなかったのでその子の夢を追っかけてるという事ね。
別に何もかっこいい事ではないです。
なぜ多くの人が逃げ遅れてしまったのか臼沢さんが語り始めます。
立っている場所から避難所に指定されている山までは決して遠くはありません。
地震発生から津波が到達するまで35分。
すぐに逃げれば間に合う距離です。
私の私的な考えですけどもね6.4mという堤防があったから。
皆さんテレビでよく見た事ないですか?「津波が来ます。
5mです」とそんなのしか見た事ないですよね。
だから津波が来てもこの堤防で防げるだろうと思った人だったり。
私たちねちっちゃい時から津波の町なので津波の勉強をさせられるんですよ。
だから過去の津波はどこまで来たかというのも把握してるんです。
逃げなかった人たちが決まって言うんですね。
「うちに津波が来るわけがない。
来たら大終わりだから」って。
「だから逃げないよ」という人たちも多いです。
3月11日の時実はね私そのフィアンセに会ってたんですよ。
すごい真面目な子なのに午前中休みをもらって私隣町の現場だったんですけどもわざわざ現場に「お昼一緒に食べたい」って来て何が面白いかず〜っと笑ってて。
私は仕事で責任者だったのでその時の仕事のせいでイライラして「ありがとう」も何も言えずにそのままバイバイしてしまいました。
人の命っていうのは亡くなってしまえばどんだけ泣こうが騒ごうがかえってきません。
あれからもう3年ぐらい会ってません。
私がどんなにその子の夢を追っかけてたとしてもその子が喜んでるかどうかすらも分からない。
だから皆さんに伝えたい事は家に帰ったら大事な人がいたら「愛してるよ」でも「大事だよ」でも言ってあげて下さい。
皆さんから右側に見えるのが…見えます?蓬莱島。
ひょっこりひょうたん島見えますかね?語り部の東梅さんが案内するのは「ひょっこりひょうたん島」のモデルと言われる蓬莱島。
(東梅)お昼になるとここで「ひょっこりひょうたん島」の音楽が鳴ります。
大町の観光名所として是非見てほしい場所です。
もう一つの大自慢は新鮮な海の幸です。
おはようございます。
今日はホタテ養殖の現場を体験してもらいます。
漁師さんとの交流が最大の目的です。
(越田)おはようございます。
(一同)おはようございます。
今日はよろしくお願いします。
まずは船で沖合の養殖場へ向かいます。
(漁師)うちの方はね…せ〜の…。
(一同)おお〜!陸揚げされたホタテ。
貝殻の付着物をきれいに削り取っていきます。
日頃デスクワークが多い会社員にとっては新鮮な体験です。
養殖で使うロープなどのさまざまな道具を整える事も大事な作業です。
あぶってもらって固める。
これをしてもらいます。
漁師の越田さんは42歳。
震災で一緒に働いていた父親を亡くしました。
いいねプロだね。
ほんとほんと。
40人以上いたホタテ漁師は震災後10人に減ってしまいました。
人手不足で作業は思うようにはかどりません。
昼食は採れたてのホタテです。
語り部ツアーが来るようになって半年。
今まで100人以上が訪れました。
いろんな事もあるでしょうけどもまだこれから頑張っていくんだというような意気込みを皆さんから感じたので。
その辺は我々も何とかして協力したいなと感じました。
一緒に御飯作ったりとかして後ろ向きじゃなくてほんとに前向きにパワーがある感じが感じ取れて私が何かを教えられたような気持ちになりました。
逆に俺らも来た人からこうやってパワーをもらったりして。
ここでね人がつないでいければまだ…そして大の事もね戻った時に「こういう状態だよいまだに」とか「こういう人もいるよ」とか「被災地でもこうやって生きてるんだよ」という事を伝えてもらえりゃあ…。
それでつながりができればいいんじゃないですかね。
是非また大の方にも足を運んでもらえりゃうちらもまだまだ頑張りようがありますんで是非また来て下さい。
本日はどうもお疲れさまでした。
大に来てくれる人たちとの交流が始まって漁師さんたちの心にある変化が生まれました。
「もっとお客さんと直接つながりたい」。
その思いを知った東京の会社員から提案されたのが産地直送。
お互いに意見を出し合い一緒にこのチラシを作りました。
キャッチコピーも相談を重ね名前は「大ひょうたん島活ほたて」に決めました。
人との交流によって生まれた小さな成果ですが大きな一歩です。
それでは元気よく。
お疲れさまでした。
乾杯!お酒を飲みながらの交流にも臼沢さんは必ず顔を出します。
大にまた来てもらいたい。
リピーターになってほしいと訴えます。
企業さんがただ飲みに来てただ話し相手になって一緒に何か考えてくれるというだけで全然違ってくるんですよ。
見せたいですよ大美人ってほんときれいですから。
すごくざっくばらんな方なんですごく気が合いそうです。
初めて会った気がしないです。
何か共通点が生まれましたか。
(臼沢)私の持論なんですけども人は人からしか学びません。
全然違う環境にいる人間たちが一つの机を囲んで話をするだけで全然自分の価値観というのが知らず知らず変わっていってるんですね。
お互いが学び合えるようなほんとにWin−Winな関係性が持てるような関係というのを作っていきたいなって日頃から思ってます。
是非是非。
ゆっくりゆっくり。
またよろしくお願いします。
帰りますよ。
ありがとうございます!震災を伝え続ける語り部たちは未来に向けてさまざまな活動を始めています。
そして願っています。
一人でも多くの人が自分たちの町に来てくれる事を。
私は今福島県いわき市のいわき明星大学のキャンパスに来ています。
「公開復興サポート明日へinいわき」。
被災した地域の皆さんに元気や笑顔をお届けしようという試みなんですが今日はこのキャンパスでさまざまなイベントそして13の番組の公開収録が行われているんです。
今回紹介するのはこちら白ゴーヤーです。
白ゴーヤー。
「趣味の園芸やさいの時間」では家庭菜園やプランターでの野菜作りを基本から丁寧に紹介。
プランターを使ってのグリーンカーテンは夏場の暑さしのぎに持って来いですよね。
(インストラクター)では一度皆さん下に座って下さい。
BS1のランニング情報番組「ランスマ」では日頃の運動不足も解消できるという体幹を鍛えるトレーニング方法を紹介。
会場のお客さんもチャレンジしました。
ここいわき明星大学の校内では原発事故の影響で避難している3つの高校の生徒たちも勉強しているんですね。
そうした若い人たちに向けての番組収録も行われました。
始まりました「Rの法則」インいわき!
(拍手)「Rの法則」ではいわき市内の高校生3,000人のアンケートをもとにした学校あるあるコントを披露。
地元の高校生の生の声を全国に届けます。
いわき学校あるあるテスト前は「ラト勉」か「アリ勉」?クラスだと友達がいるから話しちゃって勉強できないっていう人が大体放課後とかにラトブ行ったりアリオス行ったりして勉強してます。
そうか分からない事も聞けるしね。
皆さん自由に踊っちゃって!・「ワイワイ行こうじゃない楽しんでるかーいっっ?」・「笑う門には福来るらしいよ!?」・「今日ぐらい暗いつらいこと忘れたいなら」・「両手を広げて手をあげろーっ!」・「せーのっっ!!」・「Wowo、、、グッキー!Wowo、、、クッキー!」「福島をずっと見ているTVスペシャル」では福島から全国に向けて被災地の今を歌で届けようと活動するミュージシャンが登場。
更に福島に何度も足を運んでいるシンガーソングライターの高橋優さんが熱唱しました。
・「あなたとまたいつか」・「笑い合えたらいいな」・「どんな昨日さえも」・「あってよかったと」・「讃え合おう呆れるほど」みんなこうやって応援してくれてるって事なので頑張っていかないとなと思ってつくづく思いました。
本当にみんなにありがとうございますって感じで。
こっちに避難で来てるので今家には帰れない状態なんですけどまあこうやって楽しく生活できてるので今日もすごい楽しかったので良かったです。
収録された番組は全国へ向けて放送されます。
詳しくはホームページをご覧下さい。
それでは被災した地域で暮らす人たちの今の思いです。
震災前この戸倉でレストランを開いていました。
津波でレストランも全壊。
何も無くなったこの戸倉に地域の人々それからボランティアの人たちが休める場所として店を再開しました。
南三陸町では震災当時の記録と町の良さを知ってもらう施設をこの4月にオープンしました。
被災地に来る事を躊躇する方も多くおりますけれども…津波で漁具と船が流されてしまい一時はこの海を離れました。
ボランティアの方がここのワカメを食べておいしいと言ってくれた時初めてこの海を誇りに思う事ができました。
そしてこの海に戻ってくる事ができました。
2014/06/08(日) 10:05〜10:53
NHK総合1・神戸
明日へ−支えあおう−「私たちの町に来てください〜震災の語り部たち〜」[字]
震災の体験と教訓を伝える語り部たち。復興が進み、人々の記憶が薄れていく中、語り部たちの活動に変化が出て来た。共感し、共に考えてください。語り部たちのメッセージ。
詳細情報
番組内容
震災の体験と教訓を伝える語り部たち。復興が進み、人々の記憶が薄れていく中、語り部たちの活動に変化が出てきた。映像で震災の体験を伝える斎藤賢治さん。町の抱える課題をも、ともに考えて欲しいとツアーを企画する大槌町の若者たち。福島の抱える現実を体感するため、放射能に汚染された地域を案内する里見善生さん。今回の体験を未来に生かすために、現場に来て共感し、共に考えてください。震災の語り部たちのメッセージです
出演者
【キャスター】畠山智之
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 社会・時事
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
情報/ワイドショー – その他
映像 : 1080i(1125i)、アスペクト比16:9 パンベクトルなし
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