ドラマスペシャル「みをつくし料理帖」 2014.06.08

(又次)あさひ太夫!あさひ太夫!うちが野江ちゃんの看病を…!
(又次)駄目だ!
(清右衛門)失敗したら料理人を辞めさせる…。
澪!
その頃江戸の町は十一代将軍徳川家斉のもと世界に類を見ぬ百万人都市として文化芸術の爛熟期を迎えていた
うんうめえ!
人々は食にも精通し庶民の間では料理番付や料理本も大流行
至るところに店屋が立ち並んでいた

(澪)だんなさんみりん買うてきました。
(種市)おおお澪坊。
さっきからお客さんがお待ちだよ。
その中の一軒元飯田町の料理屋つる家
澪はつる家の女料理人
(芳)ごゆっくり。
澪山椒の間のお客さんに茶碗蒸しを。
はい。
この時代女の料理人などおらずその料理も受け入れられ難かった江戸の町にあって澪の存在そのものが珍しく…
また料理番付初登場で関脇を取った事も評判となり店は大いに繁盛していた
(遊女たちの悲鳴)
(男)菊乃!!
(菊乃)キャーッ!やめろ!やめろ…!
(遊女たちの悲鳴)あさひ太夫!ああ…ああ…。
ハアッ!あさひ太夫…。
あっ!離せ…!ああっ…!
(又次)太夫!太夫!あさひ太夫!あさひ太夫!
(清右衛門)なっておらんなこの店は。
全くもってなっておらん!
(坂村堂)清右衛門先生!お客様お待ちくださいまし。
何かお気に召さぬ事でも?
(清右衛門)お前かこの店の女料理人は。
へえ。
あの茶碗蒸しの百合根はなんだ?誠に…誠に失礼致しました!
(清右衛門)これだから女の料理はしょせん所帯の賄いなどと言われるのだ!ああお客さんどうされました?帰るぞ。
早う履物を。
ああはい。
ああ…。
はい。
違う!客の履物間違える料理屋があるか!
(坂村堂)先生…。
申し訳ございませんでした!申し訳ございません!
(小松原)厄介な男が現れたもんだな。
小松原様。
何をあんなに怒っていたのだ?小松原様はあのお方をご存じなのですか?戯作者の清右衛門という男だ。
戯作者…。
うん。
今はやりの読本を書いている。
怒っていらしたのは茶碗蒸しに入れた百合根の事です。
百合根…。
季節の移ろいに合わせてそろそろ替えなければと思っていたのですが甘みを惜しんで時期を逃したのを見事に言い当てられました。
(小松原)なるほどな。
清右衛門は読本を書くだけではなく食通で辛口の評価をする事でも知られている。
あの男の筆で潰された店は数知れずだ。
気をつける事だな。
人の口ほど怖いものはない。
はい…。

(侍客)おい今のは土圭の間の小野寺様ではないか?小野寺様がこんな市中にいらっしゃるはずがないだろうが。
それはそうだが…。
確かに今のは…。
ふきといいます。
どうかよろしくお願いします。
(おりょう)へえ〜ふきちゃんっていうのかい。
わあなんだかおいしそうな名前だね。
あたしゃね蕗飯が大好きなんだよ。
ハハハハ…!ふきちゃん。
このおばさんに取って食われねえように気をつけねえとな。
(おりょう)何言ってんだよ!おかしな事言う男だよここのご主人は。
本当に食う事があるからな。
(おりょう)何言ってんだ。
自分が蕗みたいじゃないか。
お待たせしました。
ごちそうさん。
ありがとうございました。
ごめんよ。
(ふき)いらっしゃいませ。
いらっしゃいませ。
ふき坊何をしてるんだい?前の奉公先で教わったんです。
こうしておくと間違えないですから。
(二人)ほお…。
(客)おりょうさんお茶!
(おりょう)ああ…はいよ!
(おりょう)だんなさんが馴染みの口入れ屋に押しつけられたらしいけどなかなかいい子じゃないか。
はい。
(おりょう)なんでも両親を早くに亡くして奉公先でいじめられてたらしいよ。
まだ子供やのにあんな節くれ立った手ぇして…。
えらい苦労してきたんやろなぁ。
(又次)澪さんはいるかい?あの…今日はもうおしまいなのですが。
俺は吉原翁屋の料理番又次ってもんだ。
これは…?これで太夫に蜜煮を作ってやっちゃくれまいか?
(又次)幼なじみのあんたの作った料理を食べさせてやりてえんだ。
わかりました。
又次さん。
野江ちゃん…いえあさひ太夫に何かあったのですか?実は…。
刺されちまったんだ。
え?
(又次)なじみの客と刃傷沙汰になった菊乃って遊女をかばって自分が。
そんな…!俺が駆けつけた時には部屋は血の海で…。
それで野江ちゃんは?今はまだ床に伏したままだ。
又次さんうちにその蜜煮を届けさせてください。
一緒に連れてってもらえませんか?野江ちゃんにひと目会って…。
いえうちが野江ちゃんの看病を…!駄目だ!それが無理だって事ぐらいあんただってわかってるだろ。

(野江)澪ちゃん弱味噌やなぁ。
(野江)涙は来ん来ん。
澪の幼なじみ野江は元は大坂の大店の娘であった
しかし十二年前の淀川の洪水で家も家族も失い吉原に身を落としあさひ太夫という花魁となっていた
野江ちゃん…。
生きてはった。

(あさひ太夫)澪ちゃん…。
澪ちゃん…。
(又次)あさひ太夫。
澪さんに作ってもらった蜜煮ですぜ。
吉原の遊女は金銭でもらい受けられた貧しい家の娘が大半であった
それどころか誘拐され売り飛ばされる少女も多かった
遊女には等級がありその最高位に当たるのが花魁である
だが花魁も遊女に変わりはない
郭から出ていく事が出来るのは年季が明けるか身請けされるか
さもなければ命を落とした時だけだった
野江ちゃん堪忍な。
うちは野江ちゃんになんもしてあげられへん。
けどきっと…きっとようなって。
太一ちゃんおはよう。
(はる)あら!澪ちゃんおはよう。
おはようございます。
相変わらず早いねぇ!
(きん)新しい店繁盛してるそうじゃないか。
すごいねぇ!ええおかげさまで。
(おりょう)なんたってこの澪ちゃんは番付に載るほどの腕前なんだからね!そんじょそこらの男の料理人に負けちゃいないさ。
おりょうさん…。
あれ見て。
太一にね初めて友達が出来たんだよ。
ねえあんた。
(伊佐三)ああ。
両親を亡くし口の利けなくなった太一をおりょう夫婦が引き取り実の子のようにかわいがっていた
子供ってのは気がつかないうちにどんどん大きくなるもんなんだねぇ。
ほんまに。
フフフフ…。
あっ。
こんなとこに…。

(ふき)これはなんですか?雪の下や。
蓬と一緒に河原に生えてたんや。
春は芽夏は葉秋は実冬は根のもんを賄いでも扱うようにと天満一兆庵の旦那さんによう言われた。
天満一兆庵…。
大坂の料理屋さん。
うちはそこで修業したんや。
澪姉さんは大坂に住んでいたのですか?そうや。
八つの年にお父さんとお母さんが淀川の洪水で流されてしもて。
独りぼっちのうちを料理屋の女将さんやったご寮さんが助けてくれはった。
私もです。
え?私のお父さんとお母さんも死んでしまいました。
けど私には弟がいます。
健坊っていう。
今は別の場所で奉公してるけど…。
そう…。
そうやったんやね。
澪姉さんはどうして江戸に来たのですか?天満一兆庵の大だんなさんが亡くならはって江戸に店を出していた若旦那さんを頼って来たんやけど…。
ふきちゃん。
人生にはいろいろな事が起こる。
けどへこたれたらあかん。
前向いて一生懸命やっていればいつかきっとええ事があるんやから。
はい。
おいしい!お待たせしました。
(客)こりゃいけるなぁ!中はもっちり外はさくさく。
こんなものは食った事ねえよ!でしょう?うちのお澪坊が作ったんでさあ。
雪の下なんぞ俺はあせもの薬かと思ってたよ。
だんなやめてくださいよ!
(おりょう)どうぞお待たせしました。
(客)あれ?ここでも雪の下かい?俺は登龍楼でつい昨日も同じもの食べたばかりだ。
登龍楼?登龍楼で同じものを出してるんですか?ああ。
だんな一体それはどういう…?
(清右衛門)登龍楼が雪の下の揚げ物を出したのは三日前からだ。
しかも「野辺の草摘み」というしゃれた名でなぁ。
登龍楼とは江戸で一番とうたわれる料理屋で料理番付では必ず大関を取る名店であった
だが女料理人である澪を目の敵にしこれまでも次々と横やりを入れてきた
つる家の近くに支店を出し名物の茶碗蒸しをまねたばかりでなく以前の店に付け火をした疑いさえあった
澪精進揚げの事やけど…。
はい。
後先にこだわるよりあんたは自分の料理の中身と味にこだわりなはれ。
たとえまねされたとしても次の料理を考えればよろしい。
はい。
これが蛤のお吸い物。
三つ葉をあしらってみました。
そしてこれが三つ葉のおひたし。
それに白和え三つ葉と白魚のかき揚げ。
それから三つ葉ご飯です。
お澪坊…こいつはいけねえや。
え?うますぎていけねえってんだよ!さすがは澪ちゃんだ。
三つ葉だけでこんないろんな味が楽しめるなんてさ。
よし決めた!俺はこいつをつる家の春の看板料理にするよ。
だんなさん…。
おう。
ハハハ…。
それはどういう事でしょう?ですからこれとそっくり同じものを登龍楼で食べたのです。
この三つ葉のおひたしに白和えかき揚げにこの吸い物の三つ葉の結び目まで一緒。
しかもその名も三つ葉づくし。
えっ!?お前が盗んだのか?誓ってそのような事はしておりません!ならばなぜこうも偶然が重なる?
(清右衛門)どうやらこの店には隠密がいるようだな。
(一同)えっ!?隠密!?
(小松原)料理を流してる?その子供がか?はい。
そんな馬鹿な事…とは思ったんですが今さっきその子を連れてきた口入れ屋に聞きに行ってきたんです。
そしたらうちに来る前の奉公先ってのが…。
登龍楼というわけか。
種市。
お前のその情の深さはつくづく商いには向いておらぬな。
だんな…。
人がよいだけではやっていけぬぞ。
ご寮さんは気づいてはったのですか?前に登龍楼に行った時下足番が同じようにお客さんの履物を結んでいたのを見たんや。
まさかとは思うとったが…。
それにしてもむごい話や。
えっ?親と死に別れ頼る者もなく世間に放り出された幼子はどうやって生きていけばええのか…。
うちはご寮さんに救って頂きました。
このガキ!何すんねや!やめなはれ!子供相手に…。
(嘉兵衛)おまはんの包丁や。
人の情けでここまで生きてこられたのです。
せやから…。
澪。
うちらつる家の使用人や。
この事はうちらが口を出す事ではない。
ふきちゃんちょっと手伝うてもろてええ?こうすると灰汁が抜けておいしくなるんや。
葉っぱはあとで使うから捨てたらあかん。
はい。
蕗には無駄なところが一つもない。
すごく偉い野菜や。
葉も茎もおいしく食べられるしこうして出た筋でお鍋をこすると汚れがきれいに落ちる。
はいお味見。
蕗だけでも十分においしいやろ?蕗は元々力のある野菜やから。
ふきちゃんみたいに強い…。
ふきちゃん!
(殴る音)
(ふきの悲鳴)
(末松)もう出来ねえとはどういう事だ!
(ふき)堪忍してください!もうこんな事嫌です。
他の事ならなんでもします。
お願いですここに戻してください!
(殴る音)
(ふきの悲鳴)
(末松)もう出来ねえとはどういう事だ!
(ふき)堪忍してください!もうこんな事嫌です。
他の事ならなんでもします。
お願いですここに戻してください!
(末松)何を〜!?
(悲鳴)その子を…その子を離してください!
(ふき)澪姉さん…。
あんたが板長さんですか?なんだ?おめえ…!なんの用だ?この店の主采女宗馬を呼びなはれ!どこへ行くんです!卑怯者!外へ出ろ!卑怯者!顔を出しなはれ!卑怯者!!これは一体なんの騒ぎだね?恥を知りなはれ!恥?この子…このふきちゃんの事です!こんな子供に隠密のような事をさせて!一体なんの事やら。
第一お前さん誰だね?元は神田御台所町今は元飯田町つる家の料理人だす!末松これはどういう事だ?その手を離しなさい。
澪姉さん!隠密とはどういう事だ?何をした?申し訳ありません!この子につる家の料理を…。
(殴る音)恥を知れ!二度と登龍楼の敷居をまたぐ事は許さん!立て!だんなさん勘弁してください!だんなさん!だんなさん…!だんなさん…!不知とはいえ奉公人のしでかした事は主の責任。
このとおりお詫びします。
ふきお前もだ。
えっ?この店の暖簾に泥を塗ったお前もここに置いておくわけにはいかぬ!今すぐ出ていきなさい。
だんなさん…。
お願いです!私をここに置いてください!だんなさんに見捨てられたら私の行くところがなくなってしまいます!お願いします!弟の健坊と引き離さないでください!
(采女)それはならん。
主の私にここまで恥をかかせたのだ。
出ていけ!だんなさん!そんな!この子は…。
お前は…この子のしでかした事を訴えに来たのではないのか?だったらふきに罰を与えるのは本望であろう。
(健坊)姉ちゃん!行っちゃ嫌だ!健坊…。
姉ちゃん行かないで。
健坊堪忍な。
もう姉ちゃんここへは置いてもらえないの。
(健坊)姉ちゃん嫌だ嫌だ…!
(ふき)健坊姉ちゃんを困らせないで。
(健坊)嫌だ嫌だよ…!ふきちゃんごめんな。
うちがあんたの事…。
ごめんなさい…。
お姉さんごめんなさい!ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…!ふきちゃん泣かんといて。
あんたがええ子やいう事はようわかってる。
うちこそ…うちこそあんたをこんな目に遭わせてしもうて…。
ごめんなさい…ごめんなさい…!ふきちゃん。
涙は来ん来ん。
涙は来ん来ん。
涙は来ん来ん。
涙は…。
ごめんなさいごめんなさい…!ごめんなさい…!ごめん…。

(二人の泣き声)
(清右衛門)幻の花魁…。
例の吉原一と噂されるあさひ太夫の事か。
はい。
その美しさ歌声において右に出る者はなく扱いは花魁の中でも別格。
ですが実際その姿を見た者はいないという…。
実はその花魁男に刺されたという噂がございまして。
菊乃お前はその幻の花魁とやらに会った事はあるのか?あると言えばありんすがないと言えばない。
お前は?
(初音)けんどあちきたちの口からそれを申すわけにはいかないのでありんす。
(坂村堂)どうです?先生。
その花魁吉原が作り上げた幻か否か先生のその筆で暴いてごらんになっては。
まだよくならないのか?太夫は…。
いつまでも寝込まれていては困るぞ。
へえ。
ここまで仕立て上げるのにどれだけの金をつぎ込んだか。
(伝右衛門)なぜよりによってあさひ太夫が…。
(伝右衛門)なぜ太夫は菊乃をかばったりしたのだ!えっ?太一ちゃんが?うん。
なんだかここのところ具合が悪くてさ。
大した事はないと思うんだけどさただねうちの人が今日仕事で泊まり込みなんだよ。
あらまあ…。
悪いんだけどさ今日一日太一のそばについててやりたいと思うんだけどいいかい?
(おりょう)悪いね。
澪姉さん…。
お気の毒に。
まだ小さい子供や。

(小松原)もう店じまいか?せっかく来たんだ。
何か食わせてくれ。
はい。
お澪坊。
はい。
あとは頼むよ。
はい。
小松原様私はこれで。
うん。
あのお方は…。
うん小松原様というお武家様だ。
恐らくご浪人さ。
いつか二人が一緒になってこの店をと思ってるんだが…。
ハハハ…。
さあ休もう。
はい。
どうぞ。
(小松原)ん?夏に蛸か。
はい。
蛸といえば冬ですが冬の蛸は身が硬くどう工夫してもなかなかやわらかくなりません。
その点夏の蛸はいいですよ。
どれ…。
うん。
いかがでしょうか?なかなか面白いな。
だがきゅうりの酢の物など出していては武家の客がそのうち来なくなってしまうぞ。
えっ?切り口が徳川の御紋に似ているのだ。
徳川の御紋?見た事がないか?こういう形だ。
恐れ多いと直参旗本はきゅうりを口にしない。
直参旗本の食べないきゅうりをその下の者が食べるわけにはいかない。
従って武士は総じてきゅうりを口にしないのだ。
(小松原)これ以上この店に構うな。
土圭の間の小野寺がそう言っていたと采女に伝えろ。
今のは土圭の間の小野寺様ではないか?
(小松原)いい事を教えてやろう。
えっ?すりこぎときゅうりを出してくれ。
はい。
そんな事して…。
湯を沸かしておけ。
はい。
どうだ?これでもう徳川の御紋には見えないだろう。
これをさっと湯がく。
湯に通す事によりかえって歯触りがよくなるのだ。
酢と醤油。
砂糖とだし。
それに鷹の爪を入れてつけ汁を作っておく。
ごま油を少々。
はい。
うん。
よし。
食べてみろ。
うまいだろう。
ハハハハ…お前さんのその顔はいつ見ても飽きねえな。
あの…このお料理はなんというのですか?忍び瓜だ。
忍び瓜…。

(清右衛門)土圭の間?なぜそんな事を聞く?あっ…いえ。
清右衛門先生ならどんな事でもご存じですよ。
この方の博識ときたら江戸中探しても右に出る者はいない!土圭の間ぐらいお前でも知ってるだろう。
無駄なおべっかを使うな。
(せき払い)土圭の間とは江戸城の中にあり公方様すなわち徳川家斉公に仕える侍たちが詰めている部屋の事でございます。
えっ…公方様に…?このような字を当てます。

(坂村堂)土圭の間はいくつにも区切られた部屋でそこにはさまざまな役職の方がおられます。
例えば時計のお世話をするお城坊主公方様の警護それに御膳奉行というのもおられます。
御膳奉行?ええ。
公方様の献立を考えたり料理番に調理の指示を出したり公方様のお口に直接入るものを全てつかさどる重要な役割の侍です。
まあ我々庶民には手の届かない世界の方々ですが。
今宵の上様の献立だ。
直ちに調理にかかれ。
(一同)ははっ!忍び瓜だ。
(坂村堂)まあ我々庶民には手の届かない世界の方々ですが。
あっ。
ああ芳さん。
お客さんが…。
富三!ご寮さん…。
ご無沙汰して本当に申し訳ありません!
富三は澪が修業した大坂天満一兆庵が江戸に支店を出すにあたり芳の息子左兵衛とともに江戸に渡った板前だった
わしがのうなったら江戸の左兵衛を頼れ。
だが大坂で主の嘉兵衛を亡くし芳が澪を伴い江戸に出てきた時にはあるはずの江戸の店はなく左兵衛も富三も姿を消していたのだ
左兵衛の行方がわからないとはどういう事や?江戸に出てきてみれば左兵衛もあんたもおらずうちらこのご主人に助けて頂きようやく暮らしを立てる事が出来るようになったんや。
六年前天満一兆庵江戸店として暖簾をあげた時には店はたいそう繁盛しておりました。
ですが開業から三年目を迎えた頃から若だんなさんは変わり始めてしまったんです。
どういう事だす?話しておくんなはれ富三!ええから全部話しなはれ!きっかけは客に連れて行かれた吉原でした。
(笑い声)
(富三)それまで女遊びには無縁な若だんなさんでしたから…。
(富三)逆に夢中になると見境がつかなくなって…。
仕事を放り出し遊女に入れ込みしまいには店の金を使ってなじみになった松葉という花魁を身請けしようとしたんです。
身請け?吉原の花魁に実などありはしない。
(富三)その松葉という花魁若だんなさんを散々振り回した揚げ句袖にしようとしたんです。
それで若だんなさんその花魁を…。
絞め殺し…。
嘘です!若旦那さんに限ってそんな事するはずありません!なんかの間違いです!俺だって何かの間違いだと思いたかったよ!でもな澪ちゃんこれ全部本当の事なんだよ。
(富三)郭には郭の始末のつけ方があります。
若だんなさんは身請け金を郭に渡し松葉は若だんなさんにひかされた事にして亡きがらはひそかに投げ込み寺へと運び込まれた。
それっきり若だんなさんは…。
行方知れずになってしまった…。
うちが奉公を始めたばかりの頃泣いてばかりいたうちを若旦那さんはいつもなぐさめてくれはった。
その若旦那さんが人を殺めるやなんて…。
うちかて信じたくはない。
せやけどな澪恋は人を狂わせてしまう事もある。
もしもその松葉という花魁が…。
(男)土左衛門だ!土左衛門があがったぞ!こりゃあどこぞの女郎の心中だな…。
佐兵衛…。
佐兵衛!佐兵衛!佐兵衛!佐兵衛!佐兵衛!佐兵衛!佐兵衛!!ご寮さん違います!違います!若旦那さんやありません!
(男)なんだい人騒がせな。
(男)てめえのせがれと見間違えるとは情けねえ母親だ。
(ため息)
(戸を叩く音)
(おりょう)ご寮さん澪ちゃん!すまないけど起きておくれでないかい?太一の熱が普通じゃないんだよ。
えっ?体が火みたいに燃えるようで目なんか真っ赤になって血だまりみたいな…。
あたしゃどうしたらいいんだろうね?うちの人仕事に行っていないんだよ。
あたしゃどうしたらいいんだよお澪ちゃん…。
おりょうさん。
うち源斉先生呼んできます。
口開けてみて。
あ…あ…。
これは…麻疹ですね。
麻疹!?口の中に白い水泡があります。
そして高熱。
恐らくこれから全身に発疹が広がると思います。
先生…太一はお薬で治るんですよね?熱を下げる薬は処方出来ますが今も昔も麻疹そのものに効く薬はないのです。
そんな…。
本人の力でなんとかやり過ごすしか方法はありません。
(おりょう)太一…。
(おりょうの声)太一にね初めて友達が出来たんだよ。
あっ…。
どうした?いえ…。
ご寮さんと澪さんは麻疹にかかった事はありますか?はい。
澪も九つの年に済ませています。
おりょうさんは?私も…やったよ。
それなら結構です。
麻疹は疱瘡と並び江戸で恐れられた伝染病の一つ
疱瘡は器量定め麻疹は命定めと言われるほど命を落とす者も多い病であった
あんた…あんた…。
太一が…太一が死んじまったらどうしよう…。
あんた…。
縁起の悪い事言うんじゃねえよ!おめえがしっかりしねえでどうするんだ!だって…だってさ…。
あんな小さい体でどうやって頑張れっていうんだよ…。
あの子は神様からの授かりものなんだ…。
子供の出来ないあんたと私のためによこしてくれた宝物なんだよ!それを…それをこんな事で死なしちまったら…。
伊佐三さん。
看病は私が代わりますよってあんさんは仕事行ってきなはれ。
いやでもご寮さん…。
店のほうはうちとふきちゃんでなんとでもします。
すいませんお待たせしました。
親父!俺の頼んだ膳はまだかよ!おいこっちもまだきてないぞ。
ちょっとお待ちを。
あっふき坊。
はい。
頼む。
はい。
澪姉さんこれ運んでもいいですか?ええよ。
あっこっちもお願い。
はい。
おーい!俺の下駄は?
(ふき)すいません今すぐ!仕方ねえなぁ。
こっちへよこしな!すんません!下足番に待たされ料理の注文に待たされ一体この店はどうなっちまってるんだよ!本当にすいません。
(ふき)すいません。
ありがとうございました。
(ふき)ありがとうございました。
申し訳ありませんでした。
富三さん!今し方ご寮さんを訪ねたら店のほうに行ってやってくれと。
富三さんはご寮さんになんか用事だったのですか?若だんなをもう一度捜してみようと思ってな。
ご寮さんへのせめてもの罪滅ぼしだよ。
富三さん…。
おっ懐かしいなぁ花山椒の佃煮か。
うん!天満一兆庵で仕込まれた味だ。
はい。
(富三の笑い声)お澪坊悪いがちょっとこっち手伝ってくんねえか?はい。
すまんね富三さん。
ああいえ…。
富三さんちょっとお願い出来ますか?うん。
すんません。
富三さんこれ…。
ああだんなそれは受け取れません。
まあそう言わずに。
散々世話になったご寮さんからの頼みだ。
これぐらいはやらせてください。
ああ…。
じゃああっしはこれで。
澪ちゃんご寮さんによろしくね。
はい。
本当にありがとうございました。
(ふき)ありがとうございました。
だんなさん。
うん?これ富三さんの…。
ああ。
明日も来るから預かってくれと言われてな。
花山椒の佃煮です。
毒消しになると聞いたものですから。
ありがとよ。
おかげさんで太一の熱もだいぶ下がってきて。
ご寮さんもさっきまで…。
(せき)おりょうさん…。
なんでもないよ。
ほっとしたらね私もなんだか…。
ただのさ風邪さ。
(せき)
(おりょう)太一ほら。
(源斉)では口を開けてみてください。
ああ…ああ…。
先生…私ただの風邪だよね?麻疹のようですね。
(おりょうのせき)麻疹は子供の頃にかかったと言うてはったのに…。
本当にそう思っていたのか太一ちゃんを看病したい一心で嘘をついたのか…。
大人の麻疹は子供がかかるよりたちが悪いのです。
たちが悪い?ええ。
命に関わる事も。
仕事を休むて…あんた何を言うてますのんや。
料理人の都合は料理にもましてやお客さんにも関係のない事や。
けどご寮さん…。
あんたの料理を楽しみにお銭を出して食べに来てくだはる方に言い訳をするつもりか!あんたはつる家の板場を預かる料理人や!どんな事があってもあんたは仕事を休んではならん!それが大切な人の命に関わる事でも…ですか?澪…。
おりょうさんはうちとご寮さんの恩人やないですか。
初めて来た土地で初めて親切にしてくれはった人や。
ご寮さん人は死んだらおしまいやないですか。
うちはこれ以上…これ以上大切な人を亡くしとうはないのです。
つる家の事は富三さんに頼みます。
富三さんは同じ天満一兆庵で修業した料理人です。
富三さんならきっとうちの代わりを…。
わかった。
そこまで言うなら勝手にしなはれ。

(せき込み)おりょうさん。
いってらっしゃい。
おりょうさん…。
(せき)
(おりょう)ああ…ああ…。
料理人が新しくなったのかい?あっお口に合いませんでしたか?いやそういう事じゃないんだが。
ごちそうさん。
ありがとうございました。
(ふき)ありがとうございました。
(ふき)いらっしゃいませ。
お待たせしました。
あの女はどうした?へえここ数日休みを…。
この料理はあの板前が作ったのか?そうですが。
どこかお気に召さない事でも?いつもとわずかに違う。
どうにも気持ちが悪い。
気にしねえでくれ富三さん。
あの先生へそ曲がりで有名なんだ。
何かといっちゃ難癖をつけてくる。
いや別に気になんかしちゃいませんよ。
ただ俺も天満一兆庵で修業した身。
俺の料理にけちをつけられると天満一兆庵にけちをつけられたような気になるんでね。
ああ富三さん…。
新しい料理人が入ったのか?小松原様…ああどうぞ。
(小松原)うん。
花魁を殺した…。
あの男がそう言ったのか?ええ。
実の息子がそんな事をしたと聞いて芳さんさぞ心労だと思うんですがね。
その上おりょうさんまで麻疹にかかっちまって。
さあさあ…。
先生…。
おりょうさんの脈は弱く意識も混濁してます。
今日明日が峠だと思ってください。
先生なぜそんな事を言うのですか?どうして「助ける」と言ってくれないのですか?先生!先生お願いです!おりょうさんをおりょうさんを…!お願いです!
(源斉)私だって助けられるものならどの患者も助けたい!だけどそれが出来ないから…つらいのです。
先生…?神様お願いします!おりょうさんをどうか…おりょうさんを助けてください!うちに出来る事はなんでもします!せやから…。
(足音)小松原様!種市から事情は聞いた。
おりょうの具合はどうだ?江戸城の公方様は万能薬として生姜を食しておられるそうだ。
えっ?生姜には解熱作用があるらしくせきを鎮め呼吸をしやすくし様々な薬効があると聞く。
食こそ命を繋ぐもの。
試してみるがいい。
ありがとうございます小松原様…。
澪何をしておるんや。
小松原様から頂いた生姜で生姜汁を。
何か少しでもおりょうさんの口にと。
黒豆を足したらどうや?黒豆は麻疹よけになると言う人もおるし。
澪さん。
澪ちゃん…。
これをおりょうさんに。
ああ。
おりょうさん。
おりょうさん…。
ひと口でもええ。
飲んでおくんなはれ。
おいお前。
おりょう。
おりょうさん!あっおりょうさん!おりょう!おりょうさん!おりょう!おりょうさん!先生…。
(伊佐三)そんな…。
おいおりょう!おりょうさん!おりょうさん!おい!
(伊佐三)あんまりだよおりょう。
太一ちゃん…。
太一…。
おりょうさん太一ちゃんですよ!せや太一ちゃんや!た…い…ち…。
太一ならここにいるぞ!おりょう…。
し…な…な…い…よ…。
母ちゃん…母ちゃんは死なない…。
先生!ああ。
太一…。
おりょうさん!おりょうさん!
その後数日しておりょうの熱は嘘のように下がった
それから十日ほど床に伏していたが次第に体力を取り戻していった
食べるものも食べないんじゃよくはなりませんぜ。
太夫。
治ったところでしょせん花魁は籠の鳥。
え…。
また元の暮らしに戻るだけ。
いつになりんしたらここから出られるのやら。
いっそこのまま死ねたら…。
(又次)太夫。
そんな勇気があちきにありんしたらね。
かんざしを渡した?ああ。
富三が佐兵衛を捜すんに物入りのようやったんでな。
けどあのかんざしは大だんなさんがくださった高価なものやと。
あんなに大事にしてはったのに…。
澪が気にする事やない。
さあ仕事や。
えっ?来ていないのですか?富三さん。
ああ。
富三さんなら半日ばかし休ませてくれと言って出てったよ。
え…。
実はな富三さんの作るものが今ひとつ評判がよくなくてな。
料理ってのは不思議なもんだな。
俺も食ってみたんだが同じように作ったとしてもやっぱりその料理人の器量ってやつが出ちまうのかもしれねえな。
なあお澪坊。
はい。
いつもここに入れておく支払いの金知らねえか?いえ…うちは。
今朝から探してるんだがいくら探してもねえんだよ。
あれがねえと晦日の支払いに困っちまうんだ。
おかしいなあ。
確かに入れといたはずなんだが。
(風鈴の音)大事な包丁を…。
こんな扱いして。
ああお疲れさん。
富三さんどこへ行ってはったんですか?お前さんが戻りゃあ俺は用なしだ。
包丁を取りに来たぜ。
ご寮さんに若だんなの行方を捜すように頼まれて吉原をあっちこっち聞いて回ってたんだよ。
それで若旦那さんの事はなんか?いや…。
でも俺は諦めないぜ。
何度でも足を運んで必ず若だんなの行方を突き止めてみせる。
そうしないと天満一兆庵の大だんなさんへの義理が立たねえからな。
富三さん。
忘れてはります。
何を?今取りに戻った包丁だす。
包丁は料理人にとって一番大事な道具。
手入れを怠らず肌身離さず持つようにと大だんなさんに言われていた事を忘れてしもうたのですか?手伝ってやって説教か。
富三さん。
かんざしを返してください。
かんざし?ご寮さんのかんざしです。
大だんなさんがご寮さんに贈られた大事な珊瑚のかんざし。
ご寮さんに返してあげてください。
もうねえよ。
とっくに金に換えた。
なんて事を…。
ええ加減にせえ!人捜しには金がいるんや。
それが吉原やったらなおの事やないか。
富三さんあんたほんまに若旦那さんを捜してはるんですか?あんさんが捜すというからご寮さんかて…。
何が若旦那さんや。
ハハッ女郎に現を抜かし店もほったらかし。
こっちは散々尻ぬぐいしてやったんや。
金ぐらい出してもろうたかて罰は当たらへんや…。
ほんまに若旦那さんを捜してはるんですか?あんさんが捜すというからご寮さんかて…。
何が若旦那さんや。
ハハッ女郎に現を抜かし店もほったらかし。
こっちは散々尻ぬぐいしてやったんや。
金ぐらい出してもろうたかて罰は当たらへんや…。
ご寮さん…。
富三…。
富三さん謝ってください!やかましい!今言うた事…。
富三さん!待ってください!何すんねん離せ!だんなさんが支払いのお金が今朝からいくら探してもないと言うてはるんです。
何を…。
離せ!どうしたんだ!?あんたこの俺を盗人扱いするんか?え?富三さんうちは…。
やかましい!あっ!あっお澪坊!あー!うっ!?小松原様…。
お前か?富三という者は。
あんた誰や?お前は巽屋の松葉という花魁を知っておるか?ハッ…知ってるも何もその松葉に若だんなが手をかけたんや!嘘をつくな。
松葉は店を移り名を変え今もぴんぴんしておるぞ。
巽屋は女郎殺しをでっち上げては客をはめて身請け金を巻き上げているという噂もある。
富三!天満一兆庵の若だんなはどこにいる?天満一兆庵江戸店の若だんなに店を手放させたのはどこのどいつだ?フッ…遊ぶ金欲しさに巽屋とぐるになり若だんなをはめたのはお前ではないのか?くそーっ!ヤアーッ!
(小松原)刃物を捨てろ。
さもなくば…。
小松原様堪忍してください!息子の事を…息子の行方を知っているのは富三だけなんです!
(富三)うわあーっ!富三はん!お澪坊!澪!もうええ!もうええ…。
(泣き声)ご寮さん…。
だんなさん申し訳ございません!うちの不始末でこないな事に…。
申し訳ございません。
済んだ事だ。
さあさあ顔を上げて。
支払いは少し待ってもらえるように頼んでくるよ。
申し訳ありません!さあ気を取り直して働こうや。
何はなくとも人間健康で元気が一番ってな。
ハハハッ。
しかしなあ…。
それにしても今日はどういうわけだい。
(男)ここのつる家だよ。
(男)ああこの店か寿三郎を泄痢にしたのは。
ああここだここだ。
とんでもねえ店だな。
(男)ああここか。
(男)ひでえ店だな。
ふき坊どういう事だい?わかりません。
けど道行く人が皆おかしな事を。
やっぱりそうか。
閑古鳥が鳴いておるぞ。
だんな…一体何が?
(坂村堂)ご主人は神田御台所町のつる家という女料理人の店が出来たのを知ってますか?御台所町のつる家?女料理人って…。
つる家さんの元の店の焼け跡に同じつる家という名の店を建てた者がいるんです。
つる家になりすまし客を取り込もうという魂胆だったようだがそのざまだ。
あっ…ちょっと見せておくんなせえ。
(坂村堂)歌舞伎役者の坂田寿三郎がそのつる家の茶碗蒸しを食べ泄痢になったという事。
泄痢…。
食あたりという事ですか?寿三郎といやあ人気の女形じゃねえか。
あんたんとこのせいで寿三郎様が!何平気な顔して店を開けてるのよ!うちは食あたりを出すようなお料理は出しておりません。
澪!お澪坊どこへ行くんだい?もし!誰かいませんか!もし!騒々しいね。
なんでしょうか?あんたがこの店の料理人だすか?なんだ…。
またなんかいちゃもんか?あんた…。
神田登龍楼の…。
なんだおめえ!なんの用だ!なんの用かはあんたが一番ようわかってはるのではないんですか?つる家は…つる家というのはだんなさんが亡くなった娘さんの名を取ってつけた大事な店の名前です。
それを勝手に…。
言いがかりをつけるんじゃねえ!つる家って屋号はおめえんとこだけのもんか?え?あんたの店が食あたりを出したおかげで…。
あんたは同じ料理人として恥ずかしくはないのですか!何が同じ料理人だ。
女のくせに料理人気取りか!生意気な女が!料理番付に載ったぐらいでいい気になりやがって!とっとと失せろ!あっ!?
(雷鳴)卑怯者!卑怯者!卑怯者…。
卑怯者…。
噂とは恐ろしいもんだな。
誰かのたったひと言があっという間に広がり人は店に足を運ばなくなる。
気をつける事だな。
人の口ほど怖いものはない。
だんなさん申し訳ありません。
なんでお澪坊が謝るんだ?元はといえばうちの責任です。
ご寮さんにあれだけ言われたのにうちは富三さんに板場を任せその上こんな事に…。
料理をまねされたんもつる家という名前をつけられたんもうちがあの登龍楼の板長に反感を買うような事をしてしもうたから。
お澪坊は女だからな。
え…。
この江戸じゃ女の料理人ってだけで嫌でも目立っちまう。
目立つという事はいい事もあるがその何倍も大変な事も起こる。
妬み嫉み反感も買う。
そこんところを俺もお澪坊もわかっていなかったのかもしれねえな。
だんなさん…。
さあ今日はもう店じまいにしよう。
開けといても誰も来ちゃくれねえよ。
ハハッ。
(ため息)
(清右衛門)これだから女の料理はしょせん所帯の賄いなどと言われるのだ!卑怯者!顔を出しなはれ!だんなさんに見捨てられたら私には行くところがなくなってしまいます。
手伝ってやって説教か。
くそーっ!ヤアーッ!もうええ…。
(男)この店か寿三郎を泄痢にしたのは。
(男)とんでもねえ店だな。
(男)ひでえ店だな。
なんでこんな事に…。
涙は…来ん来ん。
涙は…来ん来ん。
ふきちゃん…。
ありがとう。

だがそれから一週間経ち半月が過ぎてもつる家に客は戻らなかった
(戸の開く音)又次さん。
野江ちゃんに何か?いやそうじゃねえ…。
どうしたんですか?その手。
触った事のない魚に指を噛まれちまった。
これは…。
鱧の仕業だ。
鱧は気ぃが荒うて噛み付いたら相手を食いちぎるまで離れないと言いますから。
けど鱧は上方の魚です。
なんで鱧を?実はその事であんたに頼みがあるんだ。
(又次)明後日翁屋で鱧料理を作り上客をもてなしたいんだが鱧を調理出来る料理人がいない。
けど女のうちが吉原に…。
明後日は八朔だ。
女も特別に遊郭に出入り出来る。
鱧を持ち込んだのはあさひ太夫の客なんだ。
あさひ太夫の…。
(又次)あれから太夫はものもほとんど食べず生きる気力すらもなくしちまってる。
見かねた上客が好物の鱧を食べさせようと生け捕りにした鱧を上方から船で江戸まで太夫に食べさせるためだけに運んだんだ。
太夫のために生きた鱧を上方から…。
あんたがさばいた鱧を太夫に食べさせてやっちゃくれまいか。
太夫もあんたの料理ならきっと…。
(大門の開く音)
(清右衛門)そうか。
ハハッその女料理人がここへ来るのだな。
鱧をさばきに。
はい。
あさひ太夫に食べさせるために。
あさひ太夫はやはりおるのだな。
いえいえ。
あさひ太夫を口実に粋なお客が鱧を楽しむだけでありんす。
菊乃…お前なかなか頭のいい女だな。
(坂村堂)先生。
(坂村堂)澪さんが着いたようです。
さあ面白い事が始まるぞ。
女か…。
(伝右衛門)又次お前は上方の料理人を連れてくると言った。
だが女とは聞いていない。
女ではありますがこの澪さんは上方で修業を積んだ料理人です。
鱧についても…。
女が作る料理などこの翁屋で出せる道理がない。
引き取ってもらえ。
お待ちください!なぜ女の作る料理はいけないのでしょう?女には月の障りがある。
(伝右衛門)そんな手で作られたものなど銭を払ってまで食いたいとは思えない。
料理の味わいそれを口にした時の気持ち。
それは料理人が女と知れただけで消えてしまうものでしょうか?消えてしまうでしょうな。
この人を帰しちまったら宴に出す料理は出来ませんぜ。
この役立たずが!お前が不甲斐ないばかりにこの騒動だ。
(伝右衛門)今すぐに腕の立つ料理人を探してこい。
(采女)それには及びません。
(伝右衛門)ああこれは采女様。

(采女)それには及びません。
(伝右衛門)ああこれはこれは采女様。
(采女)この者から鱧料理の事を聞きうちの板長を連れて参りました。
よろしければ調理させますが。
そういう事だ。
あんたには引き取ってもらおう。
おい。
(使用人)はい。
(使用人)立て。
ですが鱧には扱いに危険が伴うのです。
もしその方が初めて鱧に触るのであれば…。
うちの料理人を素人扱いするとは恐れ入った。
そうではありません。
ただ…。
(清右衛門)強情な女だ。
(清右衛門)どうだ?その強情な女に登龍楼板長の腕を見せつけてやっては。
うん?
(新板長)どんな難しい魚かと思って来てみりゃなんの事はねえ。
鰻や穴子と同じ見てくれだ。
(伝右衛門)うちの料理番が手を噛まれたのだ。
扱いには充分に気を…。
上方から船で三日。
吉原には酔狂な客が多いがそんなに時をかけて運んじゃあ噛むの噛まないのっていう話にはなりゃあせんぜ。
(新板長)おいよこせ。
(若い衆)へい。
あっ…ああーっ…!
(新板長)どうした?どうしたんじゃ?引っ張ったらいけません!指が食いちぎられてしまいます!うわあ…ああ…ああ…。
(伝右衛門)手当てをしてあげなさい。
(使用人)へい。
(使用人)さあこちらへ。
くう…。
あっ…。
(舌打ち)なんだこの骨は…。
見世物じゃねえ!うっ…ああー!拭いたらあきません!鱧の血には毒があるのです!えっ!?板長大丈夫ですか?早くこっちに。
これ以上この板長に鱧を任せるのは無理です。
この人は鱧を扱った経験があるんだ。
(清右衛門)つまらぬ意地を張らずその女にやらせてみればよい。
駄目なら責任を取らせればよいだけの話。
責任…。
失敗したら料理人を辞めさせる…というのはどうだ?泄痢騒ぎで遅かれ早かれつる家は潰れるだろう。
(清右衛門)さあどうする?やります。
それがあさひ太夫のためであるならば。
又次さん頭と中骨は捨てずに焦げない程度に炙ってもらえませんか?だしを引きたいのです。
ああ。
それから葛を。
出来れば吉野葛がいいのですが。
すり鉢で出来るだけ細かくしておいてください。
わかった。
何をしようというのでしょう?まあ黙って見ておれ。
ああ…。
これでいいか?はい。
刷毛を使い葛を鱧の筋目に丁寧に叩いてください。
沸かした湯に鱧を放ちます。
鱧の葛叩きでございます。
お味見を。
(一同)うわあ…。
きれい…。

(伝右衛門)よもや…。
よもや亡八のこの私がたかが料理でここまで心揺すぶられるとは…。
この鱧料理のおかげで翁屋は上客からの覚えもますます高くなろうというもの。
参った…。
女に料理人は務まらぬなどと言ってすまなかった。
(拍手)素晴らしい素晴らしい。
(拍手)太夫。
元飯田町つる家の女料理人が太夫のために鱧料理をこしらえてくれましたぜ。
太夫にひと口食べさせたいと作った料理です。

(伝右衛門)お納めのほど。
その代わりお願いがあります。
願い?会いたいお方がいるのです。
あの鱧を食べたあさひ太夫に会わせて頂く事は出来ませんか?あさひ太夫は幻の花魁。
そんな花魁はうちにはおりませぬが。
けどあの鱧を…。
たとえいたとしても会わせるわけには参りません。
(使用人)大変だー!大変です。
俄の舞台がひっくり返って若え衆が三人下敷きに!しばらくここでお待ちを。
あちきは菊乃と申しんす。
よく覚えておくんなし。
菊乃…さん。
なじみの客と刃傷沙汰になった菊乃って遊女をかばって自分が。
(菊乃)今日の俄では翁屋の女狐が白狐に化けるのでありんす。
この先の西河岸のお稲荷さんをみんなで冷やかしにいくのでありんすよ。
西河岸の…お稲荷さん?《西河岸のお稲荷さん…西河岸の…》すいませんすいません。
(見物客)白狐だー!白狐の行列だー!
(拍手)野江ちゃん…?すいません。

(幇間)お狐さーん。
(一同)こおんこん。
(歓声と拍手)澪ちゃん。
野江ちゃん…。
会いたかった…。
やっと…やっと会えた。
澪ちゃんありがとう。
え?おいしかった。
おいしくて涙が出た。
野江ちゃん…。
ありがとう。
野江ちゃん…。
野江ちゃん…。
野江ちゃん…。
野江ちゃん…。
野江ちゃん…。
野江ちゃん…。
野江ちゃん…。
野江ちゃん…。
さあさあ新作だよ。
買った買った。
清右衛門先生の新作だよ。
(客)うめえなおい。
なあ。

(坂村堂)いやあさすがは清右衛門先生の読本の力。
この物語の主人公は誰がどう見てもつる家の女料理人澪さんの事ですからね。
そんな…。
勝手に私の事を書かれても困ります。
けどおかげでこうやってお客さんが戻って来はったんや。
ありがたいと思わな。
偽料理人をやり込めるところもすかっとした。
あたしゃねもうすっかり清右衛門先生の事が好きになっちまったさ。
あれ?どうしたんだい?いやなんでもない。
あ?だんなさんの事が出てこないんです。
ああ…そういえばそうだね。
ハハハハハちっちゃい男だね。
あたしゃ前からそう思ってたけどさ。
ハハハハハ…ちっちゃいね。
(清右衛門)何をくだらない話をしておる。
さっさと飯を食わせんか。
すいませんただいま。
(戸の開く音)いらっしゃいませ。
(小松原)鱧をさばきに吉原に入ったそうだな。
はい。
八朔の日あの場所で幼なじみの野江ちゃんと会いました。
幼なじみ…。
八つの年に生き別れた友だちです。
今思うとあれは夢やったのではないかと思うほど一瞬の出来事で…。
でもうちは会えたからというて野江ちゃんをあの場所から救い出す事も出来へん。
(鳥のさえずり)近くにあるのに遠い場所です。
吉原では金を積めば女であっても遊女を身請け出来ると知っているか?え?お前もいつかその料理の腕で金をため身請けしたらどうだ?その幼なじみの遊女を。
まさかうちにそんな事が…。
出来るかどうかは試してみるがいい。
道はひとつきりだ。
お天道様の温かさもいいが月ってのもまたいいねえ。
…ですねえ。

(笑い声)
(おりょう)太一こらこら。
うちはいい気になっていたのかもしれません。
え?料理番付を取り知らず知らずのうちにつる家という店の看板を背負っているような気になり…。
澪…。
せやけどそれは違う。
うちはみんなに支えられてようやく立っているようなもんなんです。
ご寮さん。
うちはこれまで以上に料理に励みます。
このつる家を大きいして一人前の料理人になる事がやがて天満一兆庵の再建に繋がる。
そうしたら若旦那さんも噂を聞き戻ってきてくれるかもしれません。
いえきっと戻ってきてくれはります。
2014/06/08(日) 21:00〜23:10
ABCテレビ1
ドラマスペシャル「みをつくし料理帖」[字]

江戸に現れた天才女料理人・澪。
「女料理人への偏見」、流行する「死の病」に料理で立ち向かっていく!
2012年ギャラクシー賞月間賞に輝いた感動作、第2弾が登場!

詳細情報
◇番組内容
江戸では死の病が流行。澪(北川景子)の身近にも死の影が忍び寄る。そして澪が考えた料理が次々と盗まれるという災難が続く。更には幼い頃に生き別れ、今では吉原で伝説の花魁と呼ばれる親友・野江が客に斬られ瀕死の重傷を負う。親友を救いたい…そう願う澪に吉原に入る奇跡のようなチャンスが訪れる!
◇出演者
北川景子、原田美枝子、貫地谷しほり、平岡祐太、高橋一生、光石研、田口浩正、宅間孝行、本田博太郎、黒川智花・室井滋・片岡鶴太郎、大杉漣、松岡昌宏
◇原作