ようこそ「歴史秘話ヒストリア」へ。
今日は私北海道に来ております。
ご覧下さいこの雄大な景色。
北海道といえば何と言っても美しい自然が魅力ですよね。
どこまでも続く広い大地に色鮮やかなラベンダー畑。
すてきですよね。
(一同)かんぱ〜い。
おいしい食べ物も盛りだくさん!そしてもう一つ忘れてはいけないのがこちら。
「少年よ大志を抱け」で有名なクラーク博士です実はこのクラーク博士こそ魅力あふれる北海道の礎を築いた立役者なんです。
今日は…明治の初め未開の原野が広がっていた北海道。
クラークは酪農を教えるため教師としてやって来ます。
しかし…酒を飲んでは暴れる生徒たち。
誰か酒持ってねえか?農家は聞いた事もない「酪農」というものに協力しようとしません。
八方塞がりのこの状況にクラークは体を張ってぶつかっていきます。
時に過激すぎるほどのクラークの行動。
そこにはかつて愛する生徒たちを戦争で失った悲しい過去がありました。
クラークに日本行きを決断させた人生最大の悲劇とは?実はこの有名な言葉には続きがあります。
そこに込められた教え子への知られざるメッセージとは?数々の困難に立ち向かい北海道開拓に挑んだクラーク。
その大志あふれる物語です。
アメリカ北東部にあるマサチューセッツ州。
1826年クラークはここで裕福な医師の家に生まれます。
進学先は政治家や法律家の子が通う全米屈指のエリート大学。
成績優秀なクラークは…「化学」に「植物学」「動物学」の3教科を掛け持ち。
凄腕の教師として同僚からも生徒からも厚い信頼を寄せられていました。
40歳の時には若者に農業を教える大学を自ら設立し学長となります。
クラークはそこで牛を育て牛乳や乳製品を生産する酪農に力を注ぎました。
実は欧米でも人々が牛乳を飲むようになったのはこのころ。
それは当時最先端の農業分野でした。
そんなある日クラークのもとに太平洋を隔てたはるかかなたの国日本の使者が訪れます。
クラーク先生。
日本で酪農を教えて頂きたいのです。
それは北海道に新たにつくられる学校で2年間をかけ酪農の専門家を育ててほしいという依頼でした。
当時の日本は明治新政府と旧幕府勢力が激しく戦った戊辰戦争の終結から間もない頃。
この戦いで多くの若者が命を落とし人々は深く傷ついていました。
その復興の要として政府は新天地北海道の開拓にあたる若者を育てようと考えていたのです。
ところが…クラーク氏は学長ではないか。
学長が大学を2年も留守にするなど聞いた事がない。
日本は内戦が終わったばかりだそうじゃないか。
危険すぎる。
そもそもなぜそんな遠い国にわざわざ行かなければならないんだ?反対の声が次々と上がる中クラークは一人日本の置かれた状況を自らの過去に重ねていました。
遡る事15年。
当時34歳だったクラークはアメリカ史上最大の内戦である南北戦争に義勇兵として参加します。
奴隷解放の理想に燃えクラークは生徒たちと共に戦場に向かいました。
しかしそこで待っていたのは過酷な現実。
(砲声)
(銃声)多くの青年が命を落とし国土は荒れ果てました。
国のため若者のため自分に何ができるのか。
そしてクラークはある考えにたどりつきます。
「内戦で荒廃した国土の復興には農業が必要だ」。
こうしてクラークは自ら農業大学を設立し農業を担う人材を育てる事に人生をささげてきたのです。
そして今クラークの目の前には同じように内戦で傷つき多くの若者を失いながらも新たな国造りを目指す日本からの使者がいる。
どうか先生のお力をお貸し下さい。
クラークは皆を集めてこう宣言します。
諸君聞いてほしい。
私は日本に行きます!そして2年間は長すぎると反対する人々を説き伏せます。
この時クラークには愛する妻更に幼子もいました。
家族を残し単身極東の島国に赴く事はこの時代まさに命懸けの挑戦。
日本の復興の力になりたい。
熱い思いを胸にクラークは日本へと渡るのです。
こちら札幌市の中心部にある北海道大学です。
学内の中心に置かれているのがこちらのクラーク像です。
大正15年クラークが札幌に来てから50年になるのを記念して…クラーク像といえば番組の冒頭でご紹介した全身像が有名ですが実は初めに造られたのはこちらの胸像の方。
製作には大変な苦労があったそうですよ。
依頼を受けた彫刻家は写真を基にサンプルを造りましたが教え子が次々と訪ねてきて…実に多くの注文をつけました。
結局完成まで2年もかかってしまいます。
日本の生徒たちから強く慕われていたクラーク。
しかしそこに至るまでの道のりは波乱に満ちたものでした。
その後酪農を学ぶために全国から集まった生徒たちと初めて対面します。
生徒は16歳から20歳までの24人です。
この若者たちを将来の日本を支える立派な技術者にしてみせる。
強い決意を胸にクラークは生徒たちと共に船で北海道へ向かいました。
ところがその船内で思わぬ事件が起こります。
放せよ。
飲み過ぎだおい。
おいお前俺たちよりいい席に座ってんじゃねえか。
俺たちもここに座っていいだろう?仲良く酒でも飲もうぜ。
嫌です。
女性客が自分たちよりも上等な席に座っていると生徒たちが言いがかりをつけ暴れだしたのです。
こちらの3人が騒ぎの張本人。
そのうち二人は桑名藩や土佐藩の元藩士の子供たちでした。
実は生徒の多くは元武士の次男や三男。
それも戊辰戦争で旧幕府側につき賊軍とされた藩の出身者も多くいました。
故郷に食いぶちのない彼らに残された道は新たな開拓地北海道に渡る事。
身分意識が根強く残るこの時代…この現実に生徒たちは鬱積した感情を抱いていました。
こんな事でこの先クラーク先生大丈夫なんでしょうか?2週間後。
クラークと生徒たちは札幌に到着。
札幌農学校が開校します。
ところが学校は当初からつまづきます。
何見てんだ田舎者。
俺のふるさと馬鹿にすんのか?田舎だろう。
お前も変わんねえだろうがよ。
連日のように宿舎で酒を飲んでは暴れる生徒たち。
いくら注意をしてもどこ吹く風。
授業もままなりません。
誰か酒持ってこい酒!
(暴れている音)誰か酒持ってねえか?荒れる生徒たちをなんとかしようと厳しい校則が作られます。
「大声で話したり口笛を吹いたりしてはいけない」に始まり毎朝の掃除から持ち物検査に至るまで。
まるで子供扱いですよね。
日常生活全てに細かく規則を定めなければ生徒たちをまとめる事はできないと学校側は考えました。
更に問題は学外でも。
開拓を進めるには協力が欠かせない農家との関係が行き詰まります。
酪農を行うためアメリカから牛を持ち込んだクラーク。
牛の餌は草ですが何でもいいわけではありません。
まず餌となる牧草を育てる必要がありました。
そこで…ところが予想もしなかった反応が待っていました。
はあ?異人さん畑に草を植えてどうするんだ?異人さんというのはおかしな事言うんだね。
(笑い声)酪農になじみのない農家にとって人が口にしない草をわざわざ畑で育てるなどおかしな話。
バカにして協力してくれません。
反発する生徒に一向に進まない酪農。
逆境の中クラークは立ち上がりました。
生徒を集めます。
実はクラーク自身大のお酒好きでアメリカからお気に入りのワインを大切に持参していました。
そのワインを突然手に取ります。
そして…。
(瓶が割れる音)なんと生徒たちに禁酒を促すため自ら酒を断つ事を宣言したのです。
Nomorewine.更に細かく定められた農学校の校則を手にしこう告げます。
(裂ける音)規則は「紳士である事」ただ一つ。
生徒を一人の大人として扱いその自主性を重んじる事にしたのです。
こうしたクラークの考えに生徒はどう応えたのでしょうか?札幌にある教会です。
ここに大切に保管されているのは生徒たち直筆の誓約書です。
酒をやめ勉学に励む事を誓ったこの誓約書に15人の生徒全員が署名をしました。
そして生徒たちの意識を根底から覆す出来事が起こります。
植物観察のためクラークと教え子たちが山に登った時の事。
木の幹に珍しい苔を見つけた一行。
ところが生えている場所が高く手が届きません。
その時生徒たちはクラークの意外な行動に驚きます。
なんと四つんばいになり自分の背中に乗って苔を取れと指示しました。
当時の日本で生徒が先生の背に乗るなどとんでもない事。
しかしクラークは有無を言わせません。
OK!Good.この時採取された苔は後に新種である事が判明し「クラーク苔」と名付けられました。
教師と生徒という立場を越えクラークと教え子は強い絆で結ばれていくようになります。
ようやく勉強に身を入れるようになった生徒たち。
クラークは昼間は授業を行い夜になると生徒たちのノートを添削しました。
これは実際に生徒が使っていたノートです。
英語で行われていた授業を丁寧に書き取った跡が見てとれます。
ところどころにある赤い文字はクラークの書き込みです。
文法やスペルの間違いが一つ一つ直してあります。
クラークは僅かな時間も惜しんで生徒の頑張りに応えました。
身分へのこだわりから酒を飲んでは喧嘩に明け暮れていた生徒たち。
それがいつしかクラークと力を合わせ酪農技術の習得に打ち込んでいくようになります。
クラークの体当たりの熱血指導。
それこそが北海道開拓の原動力だったのです。
北海道に酪農を根づかせるためクラークは生徒たちと共にさまざまな事に挑戦します。
その一つがあちらの家畜小屋「モデルバーン」の建設です。
建物の2階部分に注目して頂きたいのですが扉が付いていますよね。
なぜあんな高い所に扉があるのか不思議ですねえ。
これはクラークが描かせたモデルバーンの構想図です。
当時は2階の扉まで土を盛った馬車道が作られていました。
この馬車道を使い牧草を2階に直接運び入れていたのです。
モデルバーンの中に入ってきました。
当時の家畜小屋の様子をうかがい知る事ができます。
1階の天井には50cm四方の穴があいていて…これは少ない労力で家畜に餌をやる工夫です。
馬車道を使い運び込まれた牧草は建物の2階部分に貯蔵されます。
牧草は穴から落とすだけで手間をかけずに1階の牛に与える事ができます。
更に牛の排泄物は同様に穴から直接地下に落とし豚に与えます。
ほんとによく出来た仕組みですよね。
モデルバーンはその後北海道各地の農場に広まり酪農普及の大きな助けとなるのです。
札幌を代表する観光スポットといえば何と言っても「時計台」。
これもクラークが建設を命じたものです。
中はホールになっています。
広々と感じるのは部屋の中に柱がないため。
まるで風船のように空洞になっている事から「バルーンフレーム構造」と呼ばれる当時アメリカで流行していた建築様式です。
今でこそ「時計台」と呼ばれていますが実はもともと全く別の目的で建てられたものでした。
それは「演武場」。
なぜクラークは演武場を建設させたのか。
そこにはクラークが教え子に宛てた愛と別れのメッセージが秘められていました。
クラークが日本に来て8か月がたちました。
酪農は少しずつ根づき始め開拓は順調に進んでいました。
ところが帰国の日が近づく中で思いもよらない事態が起こります。
(銃声)西郷隆盛をはじめとする元武士の勢力が明治政府に反旗を翻します。
西南戦争です。
当時の状況を伝えるフランスの新聞です。
戦国時代さながらに甲冑をつけた侍が刀や槍を構えています。
近代化を進めていた日本が再び戊辰戦争のような戦乱に逆戻りするのではないか。
その衝撃は世界に伝わりました。
心の声私がアメリカに帰ったあと今回の内戦が拡大し私の生徒たちも戦いに身を投じる事になるかもしれない。
教え子たちのために今自分ができる事をやらなければ。
クラークは自分の帰国後北海道の開拓をどのように進めるべきかその提言をまとめ政府に提出します。
そこに記されているのが「ミリタリー・ドリルホール」。
生徒たちが軍事訓練を行うための施設を建設する事でした。
こちらはその設計図。
武器を保管する部屋もありました。
クラークはここで生徒たちに武器の取り扱いや格闘術など自らの身を守る術を学ばせようと考えました。
札幌市時計台。
そこには二度と生徒を戦いで失いたくないというクラークの強い願いが込められていたのです。
クラークが札幌を去る日がついにやって来ました。
クラークと生徒たちの別れの時。
これからは自分たちだけの力で開拓を進めなければならない。
生徒たちは不安と決意を胸に見送りに集まりました。
帰国の途につくため馬上の人となったクラーク。
そしてあの名言を口にします。
Boys,beambitious.大変有名なこの言葉。
実は続きがある事をご存じですか?その史料が北海道大学文書館に残されています。
クラークとの別れの場に臨んだ生徒の証言が同窓会誌に記されていました。
ここの部分ですね。
「ディスオールドマン」という事で。
Boys,beambitiouslikethisoldman.挑戦する事の大切さを自分の生き方から学んでほしい。
それが教え子たちに残した最後のメッセージでした。
アメリカ帰国後もクラークと教え子たちは手紙で交流を続けました。
クラークが教え子に宛てた文面からは生徒たちの開拓や私生活についての報告や相談に丁寧に応えている様子がうかがえます。
お嫁さんの写真が添えられた結婚報告に…。
…とからかったり。
野宿しながら石狩川を探検したという便りに対しては…。
…とアドバイスをしたり。
太平洋を隔ててもクラークは教え子たちの教師であり続けました。
帰国から8年。
体調を崩し家に籠もりがちになったクラークを意外な人物が見舞いに訪れます。
同志社大学をつくった新島襄です。
実は襄もまたクラークに学んだ一人でした。
病床にあってクラークは札幌での思い出を夢中になって襄に語ったといいます。
10か月後。
クラークは59年の生涯を終えます。
クラークは最後にこんな言葉を残しています。
訃報を知った札幌農学校ではその日の授業は中止となりました。
そしてクラークが残したあの時計台に生徒たちが次々と集まり始めます。
彼らは一人一人壇上に上がりクラークへの感謝の気持ちを述べました。
「先生は私たちに教師と生徒の分け隔てなく友情をもって接してくれました」。
「毎晩先生の部屋を訪ね私たちは人生のさまざまな事を語り明かしました」。
「先生と過ごしたのはたったの8か月にすぎません。
しかしその日々は今でも私の人生の何よりの糧となっています」。
クラークが去ったあとも教え子たちはその志を受け継ぎ酪農に励みます。
そしてクラークの帰国から12年後彼らの努力は大きく花開きます。
クラークの教え子たちは…乳量はそれまでの3割増。
北海道の酪農は大きく発展していく事になります。
こちらは…初めやって来たのは3頭のメス牛でした。
学生たちはこの牛を大切に育てて繁殖させていきます。
今年生まれたばかりのこの子牛もその直系のうちの一頭。
なんと1,259代目にあたります。
今や…クラークの残した遺産は北の大地に脈々と受け継がれているのです。
それでは最後にもう一つ。
クラークが生徒たちに残した「少年よ大志を抱け」。
その教えは今も生き続けている。
そんな秘話をどうぞ。
その建設以来明日を夢みる若者たちに勇気を与えるシンボルとなっていたクラーク像。
ところが太平洋戦争が勃発。
金属不足を補うためクラーク像は差し出される事が決定します。
生徒たちはこれに猛反発。
強硬手段に打って出ました。
「胸像がむざむざつぶされてしまうのをしのび難かった生徒たち。
保管してあった場所を探り当て…」。
しかし結局クラーク像は接収されてしまいます。
終戦後間もなく人々の強い要望でクラーク像は再建されます。
70年代。
北海道観光ブームが起こると「少年よ大志を抱け」の言葉と共にクラーク像も観光名所となり北大に多くの人々が訪れました。
そして1976年。
より多くの人に見てもらおうと札幌市によって新たに造られたのが現在羊ヶ丘展望台にあるクラーク像です。
台座の部分には「大志の誓い」と記されたポストが設置されています。
訪れた人々は将来どんな夢をかなえたいのかその「大志」をそこに入れていくのです。
私も「みんなを笑顔にできる作業療法士になる」です。
「世界をまたにかける冒険家になって…」。
「プロ野球選手」。
「サッカー選手」。
「レジの仕事」。
北の大地に建つクラーク像。
今も人々に志を抱く事の大切さを伝え続けています。
2014/06/11(水) 22:00〜22:45
NHK総合1・神戸
歴史秘話ヒストリア「少年よ大志を抱け!〜クラークと教え子たちの北海道物語」[解][字]
酪農王国・北海道の礎を築いたクラーク。暴れる生徒たちを劇的に変えた熱血指導とは?名言「少年よ、大志を抱け」には続きがあった!北海道の感動秘話を名作選でお届け。
詳細情報
番組内容
酪農王国・北海道の礎を築いたクラーク博士。明治の初め、北大の前身・札幌農学校に招かれたクラークを待っていたのは、酒を飲んでは暴れるやんちゃな生徒たち。クラークは型破りの熱血指導で、そんな生徒たちを劇的に変えていく。そして別れの場面で口にした名言「少年よ、大志を抱け」。実はこの言葉には知られざる続きがあった!そこに秘められたクラークのメッセージとは?クラークと生徒たちの絆の物語を伝える感動の名作選。
出演者
【キャスター】渡邊あゆみ
ジャンル :
ドキュメンタリー/教養 – 歴史・紀行
ドキュメンタリー/教養 – ドキュメンタリー全般
ドキュメンタリー/教養 – カルチャー・伝統文化
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