50歳って大きいよね。
もうなった?なったなった。
なったでしょ?香織ちゃんもなったでしょ?私はなった。
私もなったの。
今年50歳になった2人が大切な10曲を持ち寄り人生を語り合います。
松子に竹夫お弁当あるからね。
テレビに映画に舞台に30年にわたり活躍してきた…菊さんの文が…。
華やかな経歴の裏には在日コリアンというルーツに悩み居場所を求めてさまよう苦悩の日々がありました。
そんな彼女と共にあった音楽とは。
両親が離婚した幼き日胸に響いた曲。
高校生で自己表現に目覚めた思い出の曲。
女優の道へ踏み出そうとする自分を重ねた曲。
自分探しの1人旅でいつもかけていたBGM。
仕事での大きな挫折を癒やしてくれた曲。
何気ない言葉でつづる恋もようが女性の心をわしづかみ。
ヒット作を連発する…直木賞をはじめ数々の文学賞を受賞してきました。
幼い頃から随筆家の父の書斎を遊び場にしペンを片手に物を書いていた江國さん。
しかし人生のスタートは屈折した少女時代と色恋沙汰のまるでない青春時代。
そんな彼女を人気恋愛小説家へと導いた音楽とは。
幼き日の家族のぬくもりが籠もったシャンソン。
少女の胸をときめかせた男くさいロック。
アメリカで見つけた新しい自分のテーマソング。
迷いながらの小説家デビュー。
背中を押してくれた曲。
そして恋とは結婚とはを考えさせられたラブソング。
今日は第2夜。
30代からの別れと出会いに響いた大切な音楽を語ります。
それでも…出会いと別れを繰り返し今年50歳になった2人。
年を重ねる喜びを語ります。
心に残る音楽を通して2人の人生を見つめていきます。
30代を迎えた南さんに新しい家族が増えました。
それは31歳で授かった長男です。
しかし妊娠高血圧症候群を発症。
南さんは出産後1週間生死の境をさまよいました。
その時にねこのままこの子は…生んだ子はね母親というものを知らない人生を歩まなければいけないかもしれないって。
一応ね遺言テープをとったんだよね。
そこで?そう。
このまま会えなくなるかもしれないけれど…。
いつまでも見守ってるよとかまあそういう事を言ったのかもしれない。
もちろんそういうふうに伝えたいものね。
そうそう。
死のふちから生還した南さんは喜びと同時に不思議な感情を抱くようになったといいます。
退院とともに子どもが腕の中に戻ってくるんだけども何かその時にね命を2つ頂いたっていう感じがすごくしたの。
自分もそうだしもう一つもう真新しいね本当にキラキラする命を頂いたっていう気がしてね。
そういう…新しい幸福というものを頂いたはずなのにねやっぱりこう心というのは何かやっぱり孤独なのね。
生死の境をさまよった人っていうのはとても人に優しくなって一回り大きくなって帰ってくるかってそうでもなくってねなおの事さみしさとか孤独とかそういうものをねより感じやすくなってしまっていたのね。
やっと手に入れたはずの幸せに浸る事ができずさまよう心。
救いを求めたのは流浪の民の物語と音楽でした。
歌詞の意味は分かりませんでしたがジプシー音楽の持つ深い悲しみが南さんの心を打ちました。
私この言語を知らないんだけれども言葉の意味が分からないまま歌うのがすごい好きでね・「エーデレーシエデレーシ」何て言うのかな自分の中の喜怒哀楽の哀の部分だけが突出してしまっていて。
その時は。
だからそこにものすごく触れてくる曲だったのね。
最愛の息子を得ても消えない悲しみと埋められない孤独感。
結婚出産から5年。
36歳で離婚。
私本当離婚の時が一番熟慮したというかね。
10年たった自分が10年前の自分を見た時に「よくやった」と言えるかそれとも「どうしてあの時決断できなかったの?」って自分を見るかどちらかなんだろうなって思った。
自分は「よくやった」と自分に言ってあげたいと思ってね決断できたのね。
母として女優として悔いのない人生を歩みたい。
吹っ切れた南さんは全力で走り出します。
息子が話ができるようになるとほんのひと言で人って勇気づけられたりほんの少しの笑顔ですごく幸せになったりというのも教えてもらった。
けれども何かやっぱり孤独感というか自分の人生これからどうやって生きていこうかっていう事は常に…。
子どもがいても一人の人間としての人生っていうのをすごく考えてた時期で。
母親女優。
でもそれだけではない何かが欲しい。
乾いた心に響いたのは乾いたメロディーでした。
この曲はね舞台の稽古の行き帰りでよく聴いていた。
本当にこう…電車や車の中で一人になる時にとてもこの曲が心地よくって。
ちょっと風が吹くようなね。
気持ちの中にフッと風が吹き込んでくるような感じがとっても好きだったの。
恋愛小説の名手として人気を集めていた江國さんは33歳の時父親を亡くします。
執筆の合間を縫って看病しましたが食道がんに倒れて半年帰らぬ人となりました。
父の死はすごく急だった。
もちろん悲しかったんだけれど悲しいよりびっくりする方が。
そして「ああもう戻れないんだ」っていうのをこのころ感じて。
戻る場所がなくなったっていう事?お父さんがいなくなったって事は自分は何があったとしてもその人がいるから大丈夫と思っていたその場所が…。
そんな感じ。
何だかもう…。
ちょっと破れかぶれな感じになったかな。
前に進むしかないというか。
物書きの先輩として前を歩いていた父の背中はもうありません。
一人荒野を行く気持ちになった時背中を押してくれたのはこの曲でした。
「イージー・ライダー」みたいな破れかぶれな爽快さみたいなのもあって。
そのあと。
ちょうど仕事もたくさんもらえていてもうバンバンいくぞっていう感じでもあった。
あ〜そういう時期ね。
うん「バンバンいく」って。
父親の死から3か月後遺作が出版されました。
随筆家江國滋さんは病床でもペンを離さず食道がんとの闘いを日記と俳句に残していたのです。
亡くなる前日に詠まれた辞世の句です。
父滋さんがいまわの際で見せたものそれは物書きのプライドでした。
喪失感の中江國さんは2年掛かりで長編を書き上げます。
それこそが自身最大のヒット作となったあの小説でした。
江國香織さんと仁成さん2人の作家が恋する男女それぞれの視点から交互に連載。
その斬新な手法が話題を集め大ベストセラーとなりました。
小説は映画化され舞台となったフィレンツェは日本人観光客でにぎわうありさま。
一躍世間の注目の的となった江國さんでしたが世のけんそうを冷めた目で眺めていました。
いっぱい露出するじゃない?雑誌のインタビューとか時々はテレビとか。
顔と名前はね世の中に…。
そう。
露出して本もたくさんよその人のところに出ていく訳で。
そしてそれと自分とが乖離している感じがしたし。
やっぱり世界は自分の外側にあるような感じ。
私はポツンとちょっと離れた場所にいるような感じ。
その時脳裏にフラッシュバックしたのは少女時代の自分でした。
不眠症とおう吐癖夜尿症に悩まされ集団行動もできない9歳の自分。
9歳の時ってすごく独りぼっちな気がしてたの自分の事を。
例えば学校に行ってお友達がいても先生がいてもおうちにいて家族と一緒にいても何かぽつねんとそこにいる感じだったのね。
見てる事しかできなくて。
自分はまだ世界に参加してないっていう感じ。
世界は私の外にあると思っていた。
そういう感じがしてた。
社会的には売れっ子作家。
でも内面は9歳の少女。
その落差をこの曲が埋めてくれました。
20代で初めて聴いた時にもう自分の歌だっていう感じがしたの。
それはね9歳の子どもだった時の私の気持ちにぴったりくる歌。
9歳の時の私はねすごく批判的だったの全てに。
あとは臆病だったから信用すまいと思ってた。
周りの人を?うん周りの人を。
出来事を?出来事も。
何も。
へえ〜。
自分で見ないと信じない感じだったの。
へえ〜。
今も残っている批判的な部分とか疑い深さっていうのは9歳の自分のものだなと思うの。
江國さんは35歳の時自分の中の9歳の少女についてこんな詩を書きました。
少女のむくな視点で描く江國さんの恋愛小説は2002年一つの到達点に達します。
短編集「泳ぐのに、安全でも適切でもありません」が直木賞候補になったのです。
作品に登場するのは愛にだけは迷わない女たち。
現実社会では大人ぶっていても恋愛では少女のように純粋でありたい。
そう願う多くの女性の支持を得ます。
女性たちの恋のカリスマとなった江國さんは2004年ついに直木賞に輝くのです。
シングルマザーとして3年奮闘の日々を送っていた南さん。
38歳の時ある男性と出会います。
今やハリウッド俳優として知られる渡辺謙さんです。
行くぞ〜!息子と3人で心のよりどころを築きたい。
そう思った南さんは41歳で再婚。
結婚生活の地に選んだのはロサンゼルスでした。
開放感あふれるロスで人生の応援歌となったのがこの曲。
40過ぎて外国で暮らすなんてイメージできなかったけど。
誰も手助けする人がいないお友達もいないサバイバル生活をするんだけども。
うちに戻ってきたら本当にそこが安らげる場所でないと身が持たないのね。
ごはんとおみそ汁を食べながらね今日一日あった事を話してトランプをしたり花札をしたり3人でよく遊んでた。
そういう時間の過ごし方を積み重ねていったのね。
その時間っていうのはやっぱり新しい家族の基礎工事をそこでやったような感じ。
すごくある。
女優の仕事をセーブし妻として母として新しい家族とじっくり向き合った南さん。
ようやく心のよりどころを見つけた気がしていました。
そしてロサンゼルスという人種のるつぼで暮らした事が南さんにもう一つの変化をもたらします。
在日コリアンという自分のルーツへのわだかまりが解けたのです。
10代の頃っていうのは自分は何者であるか自分はどうしてここに生まれ落ちたのか普通の日本人として日本に生まれていたらどんなに幸せだったかしらとかそういう事は考えていたかもしれないね。
でもね両親が韓国から日本に来た事もそれは運命だしアメリカで暮らしたりその事が自分を全て作ってくれていたとすればなんて面白い人生なんだろうっていう。
在日コリアンとして生まれ幼くして両親が離婚。
物語の中の他人の人生に答えを探す日々。
勢いで結婚するも5年で破綻。
シングルマザーの孤独を嫌というほど味わいます。
そして迎えた40代。
新しい家族とのアメリカ暮らしの中ようやく心のよりどころを見つけた南さん。
本当にもう毎朝ね真っ青な空の下海に向かって坂道を行きながら広い道を行きながらねQUEENをかけるのね。
もう本当に爽快っていうのはああいう事をいうのかなっていうぐらい…。
子どもと一緒に歌いながら学校に行く道が本当にロスの生活を象徴する一コマだった。
2年半のロサンゼルス暮らしで自分自身とそのルーツに向き合った南さん。
帰国後女優として積極的に在日コリアンを演じます。
あねしゃんは北へ行きたかっち思ったりせんですか?考えたこつもなか。
もう8万人以上北に帰ったとよ。
私にはなんやぴんとこん。
地上の楽園っち言われても何か信じられんとよ。
この作品での役どころは母親と同じ在日2世。
自分のルーツに向き合った日々が彼女を更なる演技派へと導きました。
パーマ屋ば始められるかもしれんばい。
一方江國さんは40歳を目前に直木賞を受賞します。
受賞作は短編集「号泣する準備はできていた」。
表題作は破局を乗り越える女性を描いた恋愛小説です。
後書きに江國さんはこう記していました。
所有喪失そして号泣。
江國さん自身が身をもってその事を体験するのは直木賞受賞から4年後の事でした。
44歳の時最愛の母を亡くしたのです。
80のお誕生日にね母と妹と3人でごはん食べて。
銀座で。
母が銀座がいいって言うから銀座に行って。
シャンパン飲んだりワイン飲んだりして。
ごはん食べてる時に「パパがまだ迎えに来ない迎えに来ない」って言って文句を言っていて。
それでおうちに帰ってお風呂に入ってそのまま死んじゃったの。
すごいね。
そうすごいねと思う。
だから迎えに来たんだろうなと思って。
母親を亡くした喪失感。
江國さんはその後数か月悲しみのあまり活字を目にする事ができませんでした。
何を読んでも母を思い出しちゃうの。
雑誌も。
ファッション雑誌とかでも。
日本語を読むとどうしても母の事を思い出して母の声が聞こえちゃうの。
あの…母の物言いとか。
ちょっと前に母が電話でしゃべったような事誰々がどうしたとか久しぶりに誰さんと会ったとか。
その時に私は「もう分かった。
それもういい分かった」って言って電話を切った事とか。
もっと聞いてあげればよかったって思ったりして悲しくなるでしょ。
30代で父を40代で母を亡くした江國さん。
悲しいのは思い出の中の両親も少しずつ消えていくという事でした。
最近ね口調とか父の笑い方とかが以前ほどはっきりしないのね。
薄らいでいくの?やっぱり。
以前ほどははっきりしていなくてそうするとちょっと寂しいかな。
母はまだかなりはっきりした声を持ってるけど。
そして物理的な声とか顔とかもきっと何にもない所で思い浮かべようとすると…。
きっと少しずつ薄くなるかな。
少しずつ記憶が薄れゆくとしても楽しかった時間に感謝したい。
そう思える歌声と出会いました。
ジャズシンガーステイシー・ケント。
ノスタルジックな声に江國さんは両親と過ごした日々を思い出しました。
「Thanksforthememory」って記憶に「ありがとう」ってお礼を言ってシャンパンも楽しかった何とかも楽しかったってあれもありがとうこれもありがとうっていう歌なんだけれど全然ウエットじゃないでしょ?そしてまあ別れる人もいるし会えなくなっちゃう人もいるし亡くなる人もいるし。
でもそれらを変にウエットに受け止めるんじゃなくて。
…っていうふうに思えた歌なのね。
同い年の2人は今年50歳になりました。
50歳って大きいよね。
もうなった?なったなった。
なったでしょ?なる前ちょっとだけ怖くなかった?あのね30になる時も40になる時も何の感傷もなかったね。
うん全く同じ。
30になる時も40になる時もむしろうれしかったっていうか。
新しいステージだからうれしかったんだけれど50ってもう少し落ち着いてないと駄目じゃないって思ったり。
今までは落ち着きのない30歳落ち着きのない40歳でもなんとかなったけど50でこれじゃ誰にだか分かんないけど謝りたくなるような。
アハハハ!「すいませんこんなんで」って。
「いいでしょうか?」って?そう言いたくなるような感じがあった。
なる前。
でもなってしまったらまあしょうがないけどね。
南さんが50歳の自画像として選んだ曲が竹内まりやさんの「人生の扉」。
まりやさん自身が年を重ねる感慨をその詞に込めた曲です。
「年を重ね目に映る景色も少しずつ変わる」。
南さんは去年まさにこの歌詞どおりの体験をしました。
去年紅葉を見た時にねちょっとね今までの紅葉と違ったの。
えっ?初めて心の底から美しいと思ったの。
一番好きな季節がね5月新緑の頃なんだけど本当にはつらつとした緑が好きだったんだけど。
でもそうやって枯れる寸前のもみじを見て美しいと思う自分がすごく不思議だったのね。
「あっこれってもうすぐ50歳になるっていう…。
自分が変わっているから目に映るものが変わって見えるんだ。
新鮮なんだ。
すごいなこの新鮮さ」と思って驚いたのね。
もちろん目は見えづらくなってくるしさ白髪は出てくるしさいろんな不具合はあるんだけども…。
ある。
体のあちこちに出てくるんだけどでもそれ以上にねそういう新鮮なものも自分の前に現れてくるんだとしたらねこれは年齢重ねるのって悪くないなと思って。
一方江國さんが50の自画像として選んだのはわびさびとは真逆の曲「ワイルド・サイドを歩け」。
これはもう「walkonthewildside」っていう歌詞。
歌詞がね。
ワイルド・サイドを歩く…。
正解のない場所にいるっていう事かな。
みんなの中で暗黙の了解でこっちが正解のように物事が動いていく時にそういうふりをしそうになるんだけれどでもね正解に関してはないって言い張りたくて。
正解はない。
最新作にも正解のないさまざまな形の恋愛がつづられています。
デビューから25年。
一見いびつな形の恋愛にむくで繊細な恋心を見いだしてきました。
仕事はし続けたまま今のように暮らし続けながらでももう進むのをやめてしまうっていうのは…嫌なの。
立ち止まらずにいたいなと今は思っているかな。
最後に2人に聞きました。
人生の終わりに聴きたい曲は何ですか?花一輪の力というかどんな事があっても太陽の光を浴びて春になったらばらの花が咲くんだっていうところがすごく好きで。
自分を快く思ってない人がいたとしても何となく縁あって出会ったんであれば離れていった時にねあの人といた時間はなかなか心地よいものだったと。
何となくその中に胸の中に花が一輪咲くようにそんな存在で生きていられれば本望だなあという意味を込めてこの曲にしたんだけど。
引き止められたいよねこんなふうに。
昔父と母が晩酌で聴いてる時のスタンダードのナンバーだから懐かしくもありそして男女で歌ってるところもまた人生の最期に聴くとしたらちょっとうれしくない?何か。
そうだね。
誰かがいる。
そう誰かがいる感じ。
あるいはいた事もあった事を思い出せそうな感じ。
家族もお友達でも恋人でもいろんな人たちといろんなふうにでも愛し合ったと思いたい。
そんな感じがこの歌にはあるかな。
フフフ…。
幸せになれるでしょ?本当だね。
人生を彩った音楽は記憶を鮮やかに呼び覚まします。
人生の大切な10曲。
あなたはどんな音楽を選びますか?2014/06/12(木) 00:00〜00:45
NHKEテレ1大阪
ミュージック・ポートレイト「江國香織×南果歩 第2夜」[字][再]
直木賞作家・江國香織&南果歩の人生の10曲▽ともに50歳の女子トーク!▽命がけの出産で南が感じた喜び&孤独を救った歌▽竹内まりや/クイーン、ラブサイケデリコほか
詳細情報
番組内容
直木賞作家・江國香織&南果歩が「人生の10曲」を持ち寄って対談▽ともに50歳の女子トーク!▽命がけの出産で南が感じた喜び&孤独を救った歌はラブサイケデリコ▽小説「冷静と情熱のあいだ」大ヒットに戸惑う江國に響いたフェアーグラウンド・アトラクション▽渡辺謙との再婚でやっと居場所を見つけた南、息子と歌ったクイーン▽父母を亡くした江國を癒やしたステイシー・ケント▽50歳の実感はこの歌竹内まりや「人生の扉」
出演者
【出演】江國香織,南果歩,【語り】ヒロ寺平
ジャンル :
音楽 – その他
趣味/教育 – 音楽・美術・工芸
バラエティ – トークバラエティ
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