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慰安婦問題に関しては、国際的な反日宣伝に一番利用できると見て、韓国官民が「慰安婦像」という、少女の像を北米の公園、その他で、目立つところに建設しようと画策しており、この歪曲史観の押し付けに日本国民は激怒している。さすがに、韓国内の有識者の一部の間でも、史実に目を向けて、「慰安婦は遊女だった」と真実を指摘する人物がいる:ソウル大学名誉教授の安秉直(アン・ヒョンジク)(77歳)氏だ。 この安教授については、小生は二つの記事切り抜きを持っているが、一つはweb記事でも読めるので、皆様に次の記事を参照願いたい:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140127-00000045-scn-cn。 もう一つの安教授記事と、産経紙の名物記者阿比留瑠比(あびる・るい)氏が指摘した、韓国軍が朝鮮戦争時に「特殊慰安隊」という、それこそ本物の「従軍慰安婦部隊」を設置していた事実の二つは、小生を本当に驚かせたので下記にご紹介する。なにしろ、韓国人学者が、実証的研究で、大東亜戦争時の慰安婦の実態を証明している、或は韓国陸軍当局が公式に記録した戦史に、韓国版の従軍慰安婦部隊のことがきちんと記録されているにもかかわらず、これらには目をつぶって、反日攻撃に専念するという、韓国人の呆れた歴史歪曲、反日宣伝への偏向した熱情、嘘つき行動の異常さには、ほとほと呆れるしかない。 1.週刊ポスト誌掲載の安秉直(アン・ヒョンジク)教授の実証研究:題名「韓国人が絶対に認めたくない「慰安所従業員日記」の新事実」(週刊ポスト誌13年9月20日・27日号掲載、以下は小生による要旨のみの記載) 安教授は、20年前に、「韓国挺身隊問題対策協議会」という団体と共同で、慰安婦問題を調査していたが、やがてこの団体が、真実に迫ることに関心が無く、日本を攻撃することだけが目的と気づいたので調査団から離れたという。教授はその後「お前は馬鹿な親日家だ」と罵られながらも、一人で実証的研究に励んできたという。 この記事で書かれた内容では、1905年朝鮮生まれ、79年死亡のある慰安婦施設運営者(朝鮮人男性)の日記のうち、ビルマとシンガポールで慰安所経営に携わっていた43年、44年の分が主たる慰安婦関連の貴重な資料として取り上げられている。日記は、第三者に見られることを想定しておらず、慰安婦や慰安所の日々の様子が淡々とつづられているという。 (1)最初の、日記からの抜粋記事: @鉄道部隊で映画があると言って、慰安婦たちが見物に行ってきた(44年9月6日)。 A保安課営業係に金○愛の廃業同意書を提出し、証明を受け取った(44年9月6日)。 B帰郷する慰安婦お○と○子は、明日の乗船券を買った。共栄倶楽部(シンガポールにあった慰安所の名称)の慰安婦尹○重(○子)も、明日出発だ(同年4月5日)。 C正金銀行(東銀(現三菱東京UFJ銀行)前身の横浜正金銀行)に行き、送金許可された金○守の1万1000円を送金してあげた(同年12月4日)。 小生注:@慰安婦が、日本軍鉄道部隊の主宰する映画を見物していた・・・普通の生活をしていて外出の自由があったということ。 AB慰安婦には、廃業が許されていたし、帰郷することができたということ。「性奴隷」なら、廃業を許可されるだろうか?帰郷の乗船券は、慰安婦が自分で外に出て買ったようだ。帰郷のための船賃を自分で持参し、自ら乗船券を買っている。業者側が、軍の保安課で「廃業許可」を取得してやって、他方帰郷の乗船券購入が、慰安婦自身である・・・・・慰安所運営者と慰安婦の共同作業で、円滑に帰国手続きが行われていて、争いが見られない。相互に信頼関係が存在した証拠だ。また、お○と○子は、日本人らしいし、尹○重(○子)は朝鮮人らしい。朝鮮系慰安婦には、カッコ内で、日本名も存在したらしいことも分る。要するに、慰安婦には、日本人、朝鮮人が共存していたのだ。朝鮮系の運営者が営む売春宿でも、日本人の慰安婦も混じって雇用されていたことが分る。 C一人の慰安婦が、1万1000円もの大金を海外から本国へ「送金」している(しかも、業者が送金を代行している、ここでも業者と慰安婦の間の信頼関係が見られる)・・・当時の出征兵士の月給は20円程度で、このうち約1/3が慰安所での「経費」となっていたらしいから、兵士一人が月に1回慰安婦を買っていたとして、1回の料金は6--7円となると思う。この内、慰安所経営者の取り分が1回あたり1円とすれば、これで計算すると、この大金を送金した女性は、11000円÷5円=2200回、すなわち最低でも(生活費分を除外しないと仮定して)2200回以上「寝た」ことになるが、1晩6回をこなした、と仮定すると、約366日でこの金額を稼げる。恐らくは、毎日の食事代、化粧品代などを差し引くと366日=ほぼ1年でこの大金は貯金できないであろうが、1年半もあれば稼げた金額かもしれない。この計算に従えば、当時の慰安婦=遊女は、戦場での死亡確率が高かった兵士らとは違い、それなりに相当高給を受領し、生き残れる確率も高かった、その意味では、兵士たちより恵まれていた、と評価できるのかもしれない。 (2)強制連行説を否定 安教授によれば、この日記から、慰安婦の募集には朝鮮人業者が携わっており、日本軍が拉致したという事実は出てこない、という。当時の朝鮮には公娼制度があり、慰安婦の供給源があったので、わざわざ強制連行などする必要はなった。 日記からの抜粋: D7月初めに、ラングーン(現在は、ミャンマーの首都ヤンゴンと呼ばれる)で慰安所を経営する金田氏は、慰安婦を募集しに朝鮮に行って、今回慰安婦25名を連れてビルマに行く途中にシンガポールによった。(43年12月3日、ちなみに、ここに出てくる業者は日本名だが、当時日本名を名乗る朝鮮人業者が多かった由。) 小生注:基本的に、朝鮮国内での慰安婦の募集は、朝鮮人業者が両親に前借金を支払って娘たちを集めてきたということ。安教授はしかし、日本国内では守られていた年齢制限などの規制は、植民地(朝鮮を指す)では適用されなかったという。 (3)慰安所での生活実態は、「性奴隷」状態?・・・前線では、廃業を認められない場合もあったのだが 日記では、女性たちに対して、慰安稼業婦、就業婦、営稼婦、稼安婦、など様々な呼び名が使われているという。このような名称の意味するところは、安教授によれば、業者側にとっては慰安婦は「性奴隷」などではなく、風俗業従事者と同様の「働き手」という認識だったという。 更に、働く女性自身がどう感じていたかも重要。当時は5000円で東京に一軒家が建ったと言われる。上記の1万1000円という送金額から見て、慰安婦たちの稼ぎは少なくはなかったと言える。すなわち、稼げる商売の一つ、という認識もあったのではなかろうか。 日記からは、月に2回の公休日があったことがうかがえるという。映画鑑賞、廃業、帰国など、ある程度の自由があったこともうかがえる。 他方で、次の日記記述からは、上記の前線から遠いシンガポールと違い、最前線のビルマでは、慰安婦たちが「廃業できず、軍の命令で前線に戻された」事例を安教授は指摘している: E以前に村山氏の慰安所に慰安婦として務め、今回、夫婦生活をしようと出ていった春代と弘子は、兵站の命令で、慰安婦として錦川館に戻ることになった(43年7月29日)。 小生注:残念なことだが、当時の軍の倫理観では、半数以上が死ぬと決まっている最前線の兵士たちに、せめて死ぬ前に、少しの慰めを与えるべき、ということで、慰安婦の人数確保が優先された場合がある、ということであろう。だからこそ、単なる「遊女、売春婦」という風に見るのではなく、慰安婦たちに、「兵隊さんたちを慰めてくださってありがとう」という視点は必要だ。(また、ここに出てくる春代、弘子は、日本名しか記されておらず、やはりこの日記の書き手の癖からして、日本人である可能性が強い、しかも、帰国すれば夫婦生活できる可能性の相手の男性がいたということになる。)しかし、当時の「公娼制度」が存在した社会状況、戦争の最前線で、日々「明日にも死ぬかもしれない兵士」に何ができるか、と兵站部隊が考えれば、慰安婦を確保する、という結論が出たとしても、今の我々が非難はできない。また、最前線の部隊に同行して、部隊ともども敗北に巻き込まれ、死亡した女性たちがいたことも確からしい。部隊と生死を共にした女性たちには、哀悼の意を表したい。ただし、兵士たちとて、死と直面する現場におかれたのだし、現地からは逃れようがなかったが、彼らを「奴隷」とまではいわない。女性たちも、性的サービスの奉仕者だったとしても、「性奴隷」とまで呼ぶのはかえって失礼であろう。また、ここに出てくる慰安婦たちは、やはり朝鮮人だけではなく、日本人も含まれており、我々が哀悼をささげ、感謝すべきは、日朝双方の慰安婦たちであったという事実も、決して忘れてはならない。 2.阿比留記者の「極言御免」欄シリーズ記事:題名「慰安婦発言ご都合主義批判」(産経紙、1月30日付、小生が要約) NHK新会長の籾井勝人(もみい・かつと)氏に対する野党、メディアの攻撃は、日ごろ表現の自由を声高に主張する政党やメディアに限って、むしろ「気に食わない言論は真っ先に封殺しようとする」いつものパターンだ。そして、彼らのご注進を受けて、韓国が脊髄反射的に「妄言だ」と反発する…まるでマンネリ時代劇だ! そのなかで、「日本維新の会」共同代表の橋下徹氏は「韓国だって、朝鮮戦争のときには、慰安婦制度をしっかり設けていた。韓国の軍事史の中ではっきり位置づけられている」と「正論」を指摘している。 この指摘を少し補強したい。 ★「韓国軍が朝鮮戦争期と重なる1951年夏ごろから54年3月まで、慰安所を運営していたことは、韓国陸軍本部が56年に刊行した『後方戦史(人事編)』に明確に記述されている。 金貴玉・漢城大教授の論文「朝鮮戦争時の『慰安婦』制度について」によると、韓国陸軍は軍慰安所を「特殊慰安隊」と呼び、小隊形式で編成した。 軍慰安所は、書類上は「第5種補給品」と位置付けられ、52年には「ソウル地区第1小隊に19人、ソウル第2小隊に27人、ソウル第3小隊に13人、江陵第1小隊に30人」などと支給され、1日平均で6回以上の性的サービスを「強要」された、とされる。 ベトナム戦争でも、参加諸国が慰安所やそれに類する施設を運営していたのは否定しようがない事実だ。」★ 小生注:上記の★で括った部分の阿比留記者の記述を見て、小生は本当にぶったまげた!! 韓国人が、自ら「従軍慰安婦部隊」を「小隊形式で編成し」ていたという。第二次大戦後の1950年代に起きた、未だに朝鮮人、韓国人の記憶にも残っているはずの、そんな最近の事例を、自国に関しては、或はベトナム戦争時に関しても、一切無視して、どうして日本だけを責めつづけるなどということを韓国人らは考えられるのだろう。まさに「歴史の真実」を一切認めようとしない、見ようとしないのは、韓国人自身の病弊ではないか!!あほらしくて、「慰安婦関連反日運動」などは、断固として潰さねばならないと思う。自国の歴史を直視せよ・・・・これこそが韓国人らに突き付けられるべき反論だ。 もっとも、上記の通り、2名の韓国人学者安秉直(アン・ヒョンジク)教授、金貴玉教授は、正しい歴史、実証的な歴史を「直視」しておられるようで、敬意を表したい。しかし、国全体が、少しでも日本に有利な事実を指摘すると「親日人士」として、国賊扱いするのだから、呆れた国だ! |
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| タイトル (本文) | ブログ名/日時 |
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| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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こんばんは。 |
mugi 2014/02/15 20:07 |
こんにちは、 |
室長 2014/02/16 08:36 |
(続) |
室長 2014/02/16 08:55 |
安教授は 2004年ごろに登場した『ニューライト』( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88 )に属します。 |
motton 2014/02/21 01:36 |
こんにちは、 |
室長 2014/02/22 12:16 |
(続)まあ、いずれも可能性は極めて低いとおもう。一番あり得るのは、中国が石油供給、食糧供給のポンプを占めつつ、軍部の一部などを扇動して、金正恩を政権から追放し、金正男を後釜に付けるという「宮廷革命」を成功させうるか?ということ。 |
室長 2014/02/22 12:17 |
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