創価学会の問題は、間違った日蓮一派を形成したこと
創価学会は、もともと日蓮正宗の外護団体です。
私が入信したのは、そのころです。
日蓮大聖人の教義を中心とする、各派の、正邪が、どうかという議論は、さておき、創価学会は、外護団体だった、
ということが重要です。
しかし、日蓮正宗から、破門されるにいたって、創価学会は、独自路線を走り始めます。
これは、日蓮教義の全体の宗派の中で、ひとつの枝を形成し、一派となったことを意味します。
ここまでは、100歩譲って、正解として、問題はそのあとです。
何故、熱心に日蓮大聖人の教学を学ぼうとせず、池田大作名誉会長の歴史を学び、過去の指導を学び、
全ての会合で「池田先生のために」と叫び、聖教新聞の啓蒙をし、池田先生の本を購入し、DVDを購入し、
選挙の度にエフ活動を行い、家庭の時間を削り、朝から晩まで学会活動をするのか?
それがわからない。
学会活動には功徳があるという。
その理由が分からない。イケダセンセイのために、奔走することが、大聖人の意志にかなっているのか?
この点の説明は、創価学会は、してきませんでした。
徐々に、徐々に、池田本物論になっている。
そう解釈するほうが、納得のいく、活動の現状です。そう考えれば、イケダセンセイと叫ぶことも、
池田大作名誉会長の過去の指導を学ぶことも、聖教新聞を購読することも、何もかもが理解できる。
それなら、そうと、はっきりと言えばいい。
私は、しばらくは、学会員としての籍を残しながら、日蓮大聖人の仏法を研鑽したいと思います。
いつかは、脱会、それもすでに検討しています。
脱会後、どこかの講に所属、それは、考えていません。
なぜなら、うつったところで、また、目標と叫ぶ必要が出てくるからです。
今まで、私は、間違った活動をしてきたのかもしれません、そう考えるとおそろしくなりますが、
反省と、今後をしっかりと見据える時間が必要です。
できうるならば、話しのあう、学会員から、活動停止を呼びかけていきたいくらいです。
私が入信したのは、そのころです。
日蓮大聖人の教義を中心とする、各派の、正邪が、どうかという議論は、さておき、創価学会は、外護団体だった、
ということが重要です。
しかし、日蓮正宗から、破門されるにいたって、創価学会は、独自路線を走り始めます。
これは、日蓮教義の全体の宗派の中で、ひとつの枝を形成し、一派となったことを意味します。
ここまでは、100歩譲って、正解として、問題はそのあとです。
何故、熱心に日蓮大聖人の教学を学ぼうとせず、池田大作名誉会長の歴史を学び、過去の指導を学び、
全ての会合で「池田先生のために」と叫び、聖教新聞の啓蒙をし、池田先生の本を購入し、DVDを購入し、
選挙の度にエフ活動を行い、家庭の時間を削り、朝から晩まで学会活動をするのか?
それがわからない。
学会活動には功徳があるという。
その理由が分からない。イケダセンセイのために、奔走することが、大聖人の意志にかなっているのか?
この点の説明は、創価学会は、してきませんでした。
徐々に、徐々に、池田本物論になっている。
そう解釈するほうが、納得のいく、活動の現状です。そう考えれば、イケダセンセイと叫ぶことも、
池田大作名誉会長の過去の指導を学ぶことも、聖教新聞を購読することも、何もかもが理解できる。
それなら、そうと、はっきりと言えばいい。
私は、しばらくは、学会員としての籍を残しながら、日蓮大聖人の仏法を研鑽したいと思います。
いつかは、脱会、それもすでに検討しています。
脱会後、どこかの講に所属、それは、考えていません。
なぜなら、うつったところで、また、目標と叫ぶ必要が出てくるからです。
今まで、私は、間違った活動をしてきたのかもしれません、そう考えるとおそろしくなりますが、
反省と、今後をしっかりと見据える時間が必要です。
できうるならば、話しのあう、学会員から、活動停止を呼びかけていきたいくらいです。