ブログを書いて得るもの「思考の整理と明確化」&続ける意味は感じない

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こんな記事を読んでました。


半年間ブログ書いていますけれど何も得られていませんし、書き続ける意味も見出せません - K Diary

1年間ブログ書いていますけれど、何かを得られたからこそ、書き続ける意味は見出しません - 太陽がまぶしかったから

ブログを書いて得るものとは、救われるということだと確認。 - 団劇スデメキルヤ伝外超


ブログを書いて得るもの、ということですが、自分の場合は頭のなかにぼんやりとしたイメージとして存在する思考を言語化することで、考えが整理されて、スッキリしますね。

それが一番大きいし、楽しい。


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言葉にすることで自分の中で咀嚼できる

「グチや悩みを人に話すとスッキリする」という事がありますよね。これも、自分の中であやふやだった思考が、言葉にすることでより明確になり整理される、というのがひとつの理由だそうです。

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実際、頭のなかの考えをしっかり言葉にしようとすると、けっこうつまづくんですよ。つまり、自分の中には「考え」があるつもりでも、それが漠然としていて、ハッキリした形になっていないことが多々あるわけです。

それでも、書いていくうちに、だんだん「ああ、自分は実はこういうことが言いたかったんだ」「こういう考え方をすればよかったんだ」というひらめきが降りてきて、それがとても楽しいですね。


元・名古屋大学助教授で「すべてがFになる」「スカイ・クロラ」などの代表作があるミステリ作家……もとい「ミステリィ作家」の森博嗣氏がこのことをとてもうまく説明していたので、引用させていただきます。

自分の印象、感情というものは、自分だけが認識している。確かに存在する記憶や思考に基づいている。それに比べると、言葉というのはデジタルな記号であって、他者と情報を共有する、あるいは情報を伝える手段である。気持ちを言葉にするときには、少なからずフィルタがかかる。うまく言葉にできない、という経験は誰にもあるだろう。これは当然のことで、言葉にすることで失われる情報が必ずある。失われる方が多いかもしれない。


しかしそれでも、言葉にしなければ外部へ出て行かないので、多少の犠牲はやむをえない。言葉にするためには、自分なりの整理が必要だし、細かい部分で0か1の決断をしなければならない。もやっと存在するものを、AかBか、どちらに近いかを決めなければ、言葉にならないからだ。この過程で、自分一人で悶々と悩んでいた時に比べると客観的な思考ができるようになる。

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※自分の座右の書のひとつです。

他人の目を意識すること

日記に書いても良いんだろうけど、やっぱりブログは他人が見るぶんだけ「キッチリ書こう」と意識するので、よりわかりやすく言葉で表現しようとします。

オレは日記も書いてますが、かなり文章ムチャクチャですからねー。自分が読んでわかればいいので、説明もないし。日記ってあとで読み返さないですしね(苦笑)


ネットだと、パッと検索して、他人の意見やデータを探すことができるから、より客観的になりやすい、という事もあります。

リアルだと、話の聴き手ってその場にいる人間だけですが、ネットは広いから、より広範な層の読み手を意識して言葉を選ばないといけないですからね。オレがネットだとリアルより性格が丸くなるのは、このせいですね。

書き続ける意味はなにも無い

あと「書き続けること」の意味ですが、これは特に感じないな。オレは、嫌になったり、他にやりたいことができたらすぐやめると思いますよ。

いつでもやめていいし、イヤイヤやるもんじゃないと思う。好きでやること。遊びですよね、ブログって。

プロブロガーってのもいるけど、「書いてたらいつの間にかプロみたいになってた」という人がほとんどなんじゃないかな、と思います。


もちろん、長く続くのは良いことだと思いますが、そのために無理することは無いと思う。「ついつい、やってしまう」「夢中で書いてしまう」というのが理想の状態だと思いますね。


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