こんなことなら、もういらない。きのうの党首討論は、有権者にそう見切られても仕方がない惨憺(さんたん)たるものだった。

 その空疎さは、幕を閉じようとしているいまの国会の姿を象徴している。

 憲法にかかわる集団的自衛権の行使容認が大きな政治テーマとなるさなか、今国会初めての党首対決である。

 野党第1党の党首として、安倍首相に何とか切り込みたい。民主党の海江田代表のそんな意気込みは、空回りに終わったとしかいいようがない。

 海江田氏は、行使を認めたいのなら、憲法改正に訴えるべきだと首相に迫った。

 首相はまともに答えない。「私には国民の命、平和な暮らしを守る責任がある」と、先の記者会見以来の決まり文句を独演会のように繰り返した。

 集団的自衛権をどう考えるか、海江田氏は民主党内をまとめられていない。そればかりか、これを機に「海江田おろし」が噴き出しかねない情勢だ。そこを、首相から明らかに見透かされていた。

 一方の首相は、党内外の批判を押さえ込み、なにがなんでも行使容認に持ち込もうとしている。はなから、その勢いには違いがあった。

 海江田氏に続いた日本維新の会の石原共同代表は、14分の持ち時間をほとんど自身の歴史観の披瀝(ひれき)についやした。みんなの党の浅尾代表は、経済政策での連携を首相に提案して5分の討論を終えた。

 党首討論は「国家基本政策委員会合同審査会」という。00年にいまの形で始まった趣旨は、首相と野党党首が個別の法案の賛否を越え、国の基本的な政策について論じ合うというものだった。

 きのうの討論はどうみても、その名に値しない。

 集団的自衛権をめぐる議論の主舞台はすっかり、自民、公明の与党協議に奪われた。

 その場で公明党は、与党にブレーキをかける野党の役回りを演じている。その役割に意味はあるが、つまるところは仲間内での駆け引きだ。限界があるのは明らかだ。

 圧倒的な勢力を持つ与党が、議場の外で仮想の与野党論争を繰り広げ、その結論が国の方針として決められていく。これでは国会は、論争が失われた、ただの抜け殻の府だ。

 与党のなすがまま、野党は手をこまねいて終わるのか。会期末まで残り10日間。このままでは政党政治の意味にさえ、疑問符がついてしまう。