2014-06-11
■[映画]『グランド・ブダペスト・ホテル』
『グランド・ブダペスト・ホテル』は運動(モーション)の映画である。前作『ムーンライズ・キングダム』(’12)で、シンメトリーな画面構成、色彩、美術を細部にまで完璧に行き渡らせたウェス・アンダーソンは、新作においてついに、胸躍るような運動の愉悦すら取り込んだ。劇中まず目を引くのは、スリルの源泉として用いられる、ありとあらゆる乗り物である。列車、自動車、バイク、自転車、スキー、橇、ケーブルカー、エレベーター。かねてからウェスのフィルモグラフィにおいては、潜水艦や列車などの乗り物が重要なモチーフであったが、本作における監督の意図はより明確であり、無数の乗り物を通じて、あらゆる移動と運動のショットを物語の推進力に変えようと試みている。
『グランド・ブダペスト・ホテル』では、さまざまなミステリーが乗り物による移動と共に展開されていき、観客は「スクリーン上を何かが動くこと」のシンプルな快楽を存分に味わうことができる。この点は例を挙げるまでもないほどだ。スキーと橇が繰りひろげる追跡劇の心地よさは実にいい。もしくは、スーツケースを満載した車に乗った老女がコンシェルジュに別れを告げ、ホテルを去っていくシーンのもどかしい不安の描写はどうだろう。また、ゆっくりと降りてきたエレベーターのドアが開き、逃げる少女と怪しい男性をその内側に収めて移動しはじめる場面のスリルをいかに表現すべきか。「何かが動く様子を撮影する」ことが映画のスペクタクルの原点であるとすれば、本作は30年代風という画的なルックのみならず、移動と運動のオリジナルな快楽を映画史から掘り起こしているように感じるのだ(現在は、映画における運動のスペクタクルがインフレーションを起こしてしまっている)。
本作における運動は、むろん乗り物だけではない。ほとんど酩酊するような快楽を観客に与えるのは、カメラそのものの運動である。カメラは壁など存在しないかのようにすり抜けつつ横移動し、床の下へ向かって果敢に縦移動する。もはやウェスのトレードマークとなりつつあるこのカメラの移動もまた、本作が運動の映画であることをたしかに示している。わけても、刑務所の場面でカメラが監獄のなかから縦に移動していき、囚人たちのたくらみをあきらかにする瞬間のスリルは名状しがたい。また、ホテル内を早足で歩きながら、部下にきびきびと指示を出すコンシェルジュの姿を移動しながら追っていくカメラの溌剌とした雰囲気もみごとである。さらには、危険な雰囲気を漂わせる悪役が女性の住む家をたずね、扉を開けた女性に名刺を渡すくだりもすばらしい。ここでカメラは、まず男の顔にピントを合わせ、次に彼が差し出した名刺の文字にピントを移動させるのだ(ここにもカメラの運動がある)。
あらゆるシーンが、絵画のようなバランスとシンメトリーの構図でつながれていく編集にも感嘆させられる。過去作同様、色彩や美術にもキュートなデザイン感覚があふれており、作品内に小宇宙のような独自の世界が完成している。そして何より、映画的としか形容できないショットの数々は圧倒的であり、観客はただ魅了されるほかないのである(怪しい男に尾行された弁護士が、危険を感じて美術館へ逃げ込むシーンの美しさ)。これほどに細部まで徹底された作品世界を有する映画を、リアルタイムで経験できることは幸福であると快哉を叫びたい。
【関連作品】『ムーンライズ・キングダム』もまた、非常にクオリティの高い作品です。この作品で、細部への偏執的なこだわりがより際立ったようにおもいます。