きまやのきまま屋

日常で思ったこと、読んだ本、観た映画、猫のことなど。主婦兼ライターのきまやがきままに語ります。

思い出の品たちと一緒に改めて実家から離れる気分を味わう。

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今日はちょっと感傷的な文章かもしれません。

 

姉に子供(私にとっての甥っ子)が生まれてから母親がおばあちゃんになって、やっぱり嬉しいみたいで色々といそいそしている。そういう時は産んでない方の娘としては身の処し方に迷いつつも一緒にいそいそしているわけなんだけど(甥っ子ほんと可愛いし出来がいい)、いかんせん我が一族で姉夫婦だけが東北に住んでいるという遠さっぷりなので日頃はけっこう忘れている。福岡で二人だけでいそいそするには限度があって、私なんかはしばらく会っていないと色々と忘れる。子供の体温とか指先だけ握っててくる手の平の湿度とか、姉と似ている私に戸惑ってでも親近感があってそれが高じてなぜかソファからダイブしてくるその重さとか。

 

でも母親はテレビ電話(っていうかプレステ。姉が出産後設置して帰った)したりで何かと身近に感じているし、そもそも忘れたくないから理由を見つけては対象が近くにいないのにもめげずに「孫を可愛がるおばあちゃんモード」を発動する。それはそれで付き合って「可愛いね~私にも写真送ってね~」って言っていればいいんだけど、実質的に一番影響を受けているのが実家に置いてある私の荷物だったりして、これちょっと困ってる。

 

どういうことかというと、母親が勝手に私の荷物を片付けだす。次に甥っ子が来た時のためにスペースを開けたいゆえに。

そしてそこに「そういえばお姉ちゃんはこれを結婚して持って行ったのに、どうしてきまやちゃんは置きっぱなしなの」っていう姉妹混同モードが併発されて、ある日実家に来いと呼ばれたから何事かと思って行ってみると「あんたこれ持って帰りなさい!」って小学校&中学校&高校の卒業アルバムをどかっと渡されたりする。

 

「いや、私はいらないからお母さんにあげるしお母さんもいらないなら捨てて」って正直に言ったら驚かれる。でも私にとっては「実家に置いてある」くらいがちょうどいいものたちで賃貸マンションに住んでいるのに引き取ろうとは思わないし、どうせゆくゆくはバッサリ捨ててしまう程度の思い入れ。けれど姉は自分の家を建てた時に全部持ち去ったらしいので、「娘はこれを持っていくものだ」と学んだらしい母親の扱いが難しい。今更母親をむやみに驚かせたり、「やっぱりあんたは変わってる」とか言われたくないのに、どうにもこうにも。

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そしてこないだは急に私の高校時代の思い出の品たちが入っているらしい箱を「私が整理しておいたからいるものといらないものに分けなさい!」って二箱ほど渡されて、なぜかその場で仕分けをすることに。

 

私にとっての思い出の品たちっていうのは例えば、高校2年の時に親友が誕生日にくれた意味不明な人形とか、父親の仕事に付いて行ったイギリスで買った小さなピンバッヂとか、父親や姉がくれたそのへんのヨーロッパの小銭とか、祖父と庭で一緒に拾った丸い石とか、そういうの。これまた「実家に置いておけないなら捨てていい」ようなものばかりなんだけど(このへん私は物に執着がないしいっそ薄情)、いらないから捨てるって言ったらまた驚かれるから持って帰ってきた。

 

そうやって私が色々なものを持たされてしょんぼりして家に帰ると、夫から「なんであんな広い実家があるのに持ち物全部追い出されてるの」と驚かれるんだけど、私はそれに答えられない。どうしてなんだろう、ああそうか甥っ子のためだ。でも今の私の家に無駄なものを置いておけるスペースはないし頑張ってテーブルの上に並べてみたりしても邪魔だし、さっきたくさん捨ててしまった。身軽になったようでいて、数年後に後悔しそうな気もする割り切れない気分。

 

まあ持って帰ってきたものをどうするかは私の一存で決めていいわけなので、実家に置いてある不要な荷物が減ったから甥っ子がたくさん遊べるぞー、と思えばこれでいいんだろうと思う。しかしほんとに実家に何も置けないんだったらまだまだ持って帰って処分しないといけないものがありそうで、だいぶ憂鬱だ…。 

そして高校時代の細かいがらくた、がらくたに詰まった友達の記憶、古いCDやポスターやバンドTシャツにまつわるライブの記憶、そういったものが実家にもう置いてないと考えたら、私は実家にすら愛着を失くしつつある。なんだろう、私はやっぱり物に執着があるのか。そしてこれもまた親離れなのか。

 

母親にそういう自覚があるにしてもないにしても、「私には帰る場所がある」とか、もう甘えた根性として封印されるべきものなのかもしれない。そうしてあの家には幼い生き物が無邪気に出入りして、停滞していた歴史を塗り替えてくれるんだろう。