とある青二才の斜方前進

経済とエロスのブロガーことTM2501です。いい機会なので、引っ越すことにしました。

なぜ、ルパンは盗まなくなったのか?〜ルパン三世から見える「日本病」の正体〜

…開いた口がふさがらないニュースを見た。

<ルパン三世>27年ぶりにテレビシリーズ復活! 4月から日テレで | ニコニコニュース <ルパン三世>27年ぶりにテレビシリーズ復活! 4月から日テレで | ニコニコニュース

多くの人が知ってるとおり、ルパン三世のテレビスペシャルは年々評判が落ちています。散々です。でも、これってアニメに限ったことじゃないんです。「食」をつかさどる企業は次々と「復刻版・復活」商品をだし、車の会社は一度受けたブランドを何度もリメイク。

すごく細かい論争になるので前書きします。メインは「違和感の指摘」です。私は20代のひよっこでその時代について何も知らんが、それなりに作品の数を見ることで「あれ、ルパンの雰囲気が何度かリニューアルしててるみたい。とりわけここの5年が酷いぞ。どうしてこうなったんだろう」という話がメイン。精密かつ、卓越したルパン論を期待する方はお帰りください。お出口はあなたのブラウザの戻るボタンです。

お品書き

  1. 公式から出すのに「二次創作」
  2. ソフト更新できてもハードは…
  3. 誰も語らない高齢化経済の恐怖
  • 本物のルパンを作れる若いアニメ関係者はほとんどいないのでは?

(私なんかとは比べ物にならないぐらいの)アニメオタクがアニメ作るのだから…すごいルパンが好きなアニメーターもきっといる。他方、その逆の人がルパンを手がけることが多過ぎる。
あの作品は「元をたどれば」こうだったというルールが全然守られないで作られることが多過ぎる。

テレビスペシャルのルパンにありがちなこと(筆者の「独断と偏見」)
・泥棒という設定なのに、盗みをしてない。(盗みの設定すら生かされていない)
・不二子や銭形というノイズをうまく活用できてない。(ひどい場合、一貫して銭形が出てこない)
・お寒い現代アニメのパロディーが入りすぎて何が何やら。(…主に「血の刻印」)
・敵キャラがしょぼすぎて、何もワクワクしない。(またつまらぬものを切らない。)
・ルパンが主人公ですらない。(「血の刻印」や「GreenVSRed」なんかが顕著かな?)
・ごえもんのキャラがブレブレ。(燃え盛る恋をしてるときと、クールな侍の時の差が大きすぎ)
・根本的に何をやってたかがわかんない。(エンディングが「演出」ではなく、ぼやぼや。)

…この違和感を強く感じたのは「血の刻印」です。あと「魔法のランプ」。(他の作品にも違和感はあるものはあるけど、一番致命的だと思ったのはこの2つ。)古参のファンからの「三期にはもう盗みしてなかった」とか「ルパンが車変えた時点で違和感だし」とか「声優が変わったのが…」とか色んな意見がありますが、僕の意見もそのひとつです。情報が非対称だから見えるもの、見えることが違う。たったそれだけです。正解なんて、ありませんし、求める気もございません。

それで、昼間にこのことについてフォロワーのアニオタと会議したところ…原因が「カリオストロの城」との事で収まった。

アニメファンの間では有名な話だが、著名なアニメ監督が作品を手がけると、どうしても「監督の作品」であって「原作」とは乖離しちゃう。(「作家性」が強くなりすぎてしまう)「カリオストロの城」の場合は「盗まないルパン」でかつ、マスコミが「宮崎だけはアニオタの作品じゃない。巨匠×ルパンなんて良いじゃないか」と言い、当時の評判を全く無視して名作とされた。(人造人間やワルサーなどファンの間で人気の作品をよりもでしゃばるぐらいに「これこそルパンだ!」とまでは言わなかったが…。大衆はどう思うだろうね。沢山作品名を聴くものを代表的なもの、それを束ねるものだと思うでしょうね。実際、カリオストロだけは特別扱いで、ありがたみがなくなるほど再放送されてるのを見ても、若い人、スペシャル・映画版を過去に遡って見返さない人はどう思うやら…。)

そもそも論を言うとルパン三世の歴史は…原作は1967年。テレビシリーズは71年なんだ。ええ。67年と言ったら佐藤栄作内閣ですぜ?吉田茂が亡くなった年。技術水準で言えば、やっと四日市ぜんそくの訴訟が起こった年だ。私からすれば公害も佐藤栄作も「歴史」なんだ

それで、新しいルパンの脚本を務める予定の岡田麿里は76年生まれ。ルパン二期が始まった時には2歳。再放送でルパンがブームしたという考え方に基づいても、ルパン単体で見ただけで、ルパンという作品を通じて製作者達がどこにエネルギーを投げ込んでたかまではわかりかねる。(※そうでなくたって、古参のファンが強いルパン三世だ。徹底的に調べ抜いて独自のルパン観を展開できる強さがその作家にあるかどうかは甚だ疑わしい。それは個人を疑うのではなく、大多数の人がそうでないという意味で言う)

例えるなら、戦中・戦後生まれが戦争語るようなもの。B29に追い回された経験がある評論家の日下公人さん(終戦時15歳)・市販の半子よりも薄い小学校の卒業証書を貰った祖母が語る戦争は、押井守(戦後生まれ)作品に出てくる戦争とは絶対に違う。
戦争を知らない世代の戦争は「原理」や「システム」だ。だが、戦争を知ってる人の戦争は「日常」。小難しい事無しで、シンプルに自己に現実が還元される(文句言われたから言うけど、ちゃんと取材しないと絶対わからないんだよ。戦争の喪失感と、平和の喪失感は根本的に異なる。…って書くと「お前は押井先生を冒涜する気か」という馬鹿がいるので、僕が押井守ファンで押井さんの名前を出すにはちゃんとした理由がある。彼自身が部分的に知らんことを利用して作品をワザと情報非対称に作ってると読み取れる部分があるから押井さんの名前を出した。みんながわからないから子供騙しのようなものを作ろうというクリエイターではなく、自分自身も情報の非対称性の中で作品を作ってる。その現状を配慮した作品づくりをしてるように見受けられるから押井さんは偉いと申し上げてる。…まぁ、誰が偉くないという話ではないので、あしからず。)

ルパンも一緒。僕は「テレビスペシャル」と一部の映画版のルパン観だから偽物に近いけど、僕よりずっとルパンが好きな人…それもリアル世代であればあるほど彼らのルパン観は座ってる。テンプレート的に「ルパンがワザと不二子に裏切られて、次元とゴエモンが腐れ縁で助けて…」などという捉え方じゃなくて、「これがルパンなんだ」というものがより原作に近く説明できる。(文化には常に伝えたい事・影響を受けたこととして「時代」と言うものが付きまとう。それを知ってる人、知らない人で差が開くのは当然では?)

だが、世代が違う人に分からせようとすると「カリオストロの城」的なルパン観を踏襲する結果になる。(ひどい場合は製作者が「カリオストロの城」的にしかルパンが見られなかったり、ルパンがカリオストロ的なものだと思い込んでる。「GreenVSRed」や「血の刻印」なんぞはワザとオマージュも兼ねてカリオストロの影だったり、違和感だったり、手法だったりを露骨に持ち込んでる。)
そもそも論を言えば、現代人はわかってるはずだ。宮崎駿ほど真似することが難しい人材はいない」という事実に。(宮崎作品を作ろうと思ったら「フェチズム」と「圧倒的な画力」を持ち込まないと無理なんだ。それがほかの監督との全然違うところ。)

前述した通り「カリオストロの城」をルパンではなく「宮崎作品」と定義すれば、ルパンをリアルタイムで知らない人のルパンは「廉価版宮崎駿作品」だ。(スタッフはそれを加味してか、過去にルパンをしたことがある人が付くことが多いようだ。だが、企画を作る人が必ずそうかというと…どうもそうでないように思える。企画というとプロデューサー名を調べろって話になるから言い方を変えると「ルパンで視聴率を取りたい人はルパンを知ってる人か?」って事。下手をすると「ガンダムって名が付けば、何でも見る」と思い上がってるような類の人がルパンの企画を提示してるんじゃないの?脚本家で調べると、面白い作品とつまらない作品を作ってる人物が同一人物である事がよくあるので、疑うべきは脚本家ではなく、企画者・商業サイドの方々かもしれないなぁ…と。)

  • 年配者が「保守的」に見える理由

ルパンだけじゃない。あらゆる産業の中で「リメイク」「バージョンチェンジ」でだましだまし古いものを使って設け続ける手法があるが、そう言った企業の多くは「世代感覚」を議論してない。(してたとしても、私が今から言うものをどれだけわかってるか甚だ疑問である)

小見出しに書いた通り「書き変わらないハード(あるいはOS)」の存在があり、それは「情報」を上乗せして変われるもんじゃない。忘れられない・忘れたら困るが人にはあり、それが先入観として素直な思考を妨げる。

若い人の強さは「その先入観がないから良いものをそのまま良い」と言えること。年配者はその反対。得体もしれないモノに対して「これはない。かくかくしかじかで」の「かくかくしかじか」が言えるところ。
若い人は変だと思っても「かくかくしかじか」が言えない。(言える奴もいるんだけど、それは前述した「システム」と「日常」の違い同様に「論理的な説明」にしかならない。)

ここでも歴史を引用しましょう。今の時代の変化の速さを知ってもらうために日本史を20年ごとに切る。
まず、2012年→1992年。僕が生まれて育ってきた世代だが…僕の物心がないうちに不況になって、不況のかわりにネットができて、産業の効率化が進んで「低収入だけど、それでも楽しいことができる社会」ってのが出来たんだ。(それゆえにみんな結婚も子供もない社会)

2012年→1992→1972年。40年前は「環境汚染」が問題になってた時期とか「情勢不安定」な冷戦の時期だよね。2012年の「エコ何か詐欺だ。90年で日本の環境問題は解決してる」という意見、「もう大規模な戦争は起こらない」と考える人達がいる今とは真逆なんさ。

2012→…→1952年はどうだろう?時代にして吉田茂内閣だね。このぐらい昔になるとまず「貧しいが当たり前」なんだ。今の時代の「インフラが完成してるけど、貧富の差が…」じゃなくて、そもそもみんなが貧しい。国の力をもってもモノが配れない時代で…餓死者が出てたんですよ!!だけど、60年後の私達はその時の映像見て女がケラケラ笑ってるんだ。…その場に鉄パイプでもあったら、そいつの顔を人間の顔で無くしてやろうとと本気で考えましたが、若い人にとっては「貧困も飢え」もそのぐらいのファンタジーみたい。

今、企業の中で意思決定をする連中は40・60というご年配の方々だが、彼らが若い時に見ていた時代とは反対の時代が今なんだ。冷戦も終わり、環境問題も終わり、インフレと追いかけっこして親父が必死に働く時代も、豊かさの象徴として家電を買いあさる時代も終わった。

それが52年前後に社会に出ていった祖母や日下さんみたいな世代には「一周して戦争のあの時代に戻ったのか。必要と不必要を自分で選んで人々がやりくりするあの時代(※坂口安吾「堕落論」を参照)に戻った」と言えるが、「世間体」があった時代で生まれ育ってきた人には「世間がなくなる感覚」が理解できない。一家に一台の車があるのが当たり前の時代に楽な商売をしていた自動車業界は、自分の青春時代の感覚で車を抜け出すところから抜け出せない。世間体で買う楽な時代、トレンディードラマで車が付き物だった時代の人には今の世代は昔に比べて「異常」なのだ。

だが、私がその世代を調べていくとそれを骨組みとして理解していくこともあって「感情移入しにくい」歴史。まず、「富(インフレ)が、成長が続く」という前提が違う。だが、私達は「過去を知らない」で、現代を基準に見ちゃうから自分らが「異常…らしいよ。父ちゃん・母ちゃん・テレビが言うにはね」ぐらいにしか思えない。

20年で常識が代わり、40年で真逆になり、60年すると前提すらも反対になってしまうご時世で年配者の感性ばかりが生きてしまう官公労の体制は非常に危うい。最後に少しだけその話をしよう。

  • ルパンファンだけど、ルパンにはもう眠って欲しい

ルパンは40年前の文化で、二期・再放送などで盛り上がった70年代後半〜バブルまでがピークだ。つまり、今の人の価値観とは正反対の文化。これは今ある定番商品色々調べてみればわかるけど、歴史が古すぎるモノは多い

古いが故に矛盾が生じてくる。「ルパンという作品のテーマ性や伝えたいものがあった時代」は40〜20年前だが、今ルパンを見る人は今の人だということ。今にあったメッセージやテーマ性や作品像にすれば「ルパンらしい面白さ」はなくなり、ルパンらしさを貫けば「昔話」になってしまう。昔話が悪いとは言わないが、保守的だったり、倫理上問題のある作品になる危険性が生じる。(ルパンが盗まない理由について、この記事のタイトルを見て「PTAから『泥棒がいけないことだ』という抗議を受けたのでは?」と言う人がいたが、これはあながち間違ってないかもしれない。)

僕は年配者叩きしようという気はないけど、「感性の老朽化」は確実に起こってると思う。自分らの世代が最上…と言わなくても「育ってきた上で今の人達の合理性とは違う判断」が尊重されすぎてると思う。そこが怖い。軍隊方式の縦型の社会では「感性の老朽化」を止めることができない。どこまでも意思決定権を年配者が握ってる限り「若い人が社内で活躍」と言っても、それは結局年配者の感覚や裁量を優先して仕事をしてる。若い人が「自分がいいと思うもの」ではなく「通りやすいもの」を仕事の優先に置けば、やっぱり味や感性はナウいものではなくなってしまう。

「若い人が台頭してくる文化を作っていこうよ」「若者のハングリー精神が足りないんじゃないの?」という声も上がってるが、マスコミや政治が歳食ってる。無茶な話だ。堀江貴文さんの逮捕時に着たTシャツが象徴的で「なんで、こんな金額で俺が逮捕されにゃいかんのや!」となる。ひろゆきでもいい。「2chで中傷してたのは書き込みであって、俺じゃねーよ!薬物だって俺関係ないよ!」と言っても、消費者同士で問題を解決する概念がない旧世代の人間には分かりっこない。

そう、まず「概念」が違うのだ。それが得手不得手に繋がってくる。だから、組織に多様性や幅を持たせるべきだが、権益を離さない結果として、自重で潰れる。適材適所に配置する・犠牲を分け合うところから組織を再構築しないとといけないが、自分が生きてきた時代の組織構造を守り続ける。有利な立ち位置にいる人には合理的な判断だが、それが「時代に合った新しいもの」を作れない原因になる。

そもそも、今の若い人・今のビジネスには大きな資金も生産ラインも要らない。今の20代・30代が欲しいモノは「大量生産」ではないし、40以降の研究してきた土俵で勝てるとも思えない。だが、自分達が古いものにすがるあまり、莫大な予算をかける空気・前例主義的に「リスクが高いから投資しない」という空気はいい加減やめようや。リスクを採らないと生きていけない時代になってるんだから、新しいものにもちゃんと投資しようや!

そして、それはルパンじゃなくてもそう。少年ジャンプ見てもわかるし、ゲームの売れ筋ランキング見てもわかる。人気作品の長期連載ばっかりじゃないですか!過去のゲームのリメイクばっかりですか!…ジャンプにいい作品が来ないことはないでしょう?マイナーな雑誌でも良い漫画は載ってる。ゲームだってそう。広告費や制作費をそこだけにかけてるから売れ筋がそうなってるが、作る力自体が20年前より落ちてるとは到底思えない。任天堂でもスクエニでも何でもいいけど、昔よりもゲーム産業自体が大きくなり「選び放題選り取りみどり」になったハズではないのかい?それで新しいゲームが作れないとしたら、技術論ではなく、企業内の空気や、企画を通す人…要するに結論して方向性を指し示す人に問題があるんじゃないのかな? 

ルパン三世の枠と予算があれば、今の日本のアニメーター達なら何作でもいろんなもん作れる。そのぐらいルパンってのは「動き」としての完成度が高く、宣伝もされて広告もつく。だけど、収益は低減していく。低減していくものではなく、金かければ動きがなめらかになる深夜アニメはいっぱいある。それを「手抜きの美学」*1を使って強引に動かしてるのが現代のアニメだよ。

それだけ予算・広告・名スタッフを使ってルパンが面白けりゃいい。だが、ルパンという作品の「世代的な矛盾」しかり。マスコミが視聴率の世界であることしかりだ。40年前の感性でそのまま放送できる規制環境と視聴者層を整えないと無理だ。ルパンをルパンらしく放送できない。プロデューサーが「視聴者向けに現代風アレンジを」と言ってしまったらそれはルパンじゃなくなる。だったら、「本来の姿で作れるもの」を作ったらいいが、それに投資できない人が世の中牛耳ってる。投資できないだけならまだしも理解する気もない。

だから、この国自体が時代遅れになっていく。今、初音ミクがマスコミで取り上げられるようになったよね?でも、ミクは3年前にはもうブームしてて、一部では「オワコン」呼ばわりされてる。マスコミはいつから流行の後追いをするようになったの?テレビをつけても時代が映らず、3年前も遅れる姿が映るというなら僕はそんなものは見たくないね。…博物館でいいじゃないか。老人の戯言でいいじゃないか。メディアがそうなる必要なんかこれっぽっちもないと僕は思う。

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…叩かれないためなら人造人間貼るのが筋なんだろうけど、懐古主義とはちょっと違う。懐古主義的な話ではなく「おおよそ一般的にルパンだとされる設定を踏襲してるか」「その上で面白くなってるか」を【私の年齢】で判断するとお宝返却大作戦に落ちるんです。リアルタイムとあらゆる作品を見終わったあとの2回見たけど面白い。…この記事に於ける「最近」はどこか定義しろと言われたら、僕は「盗まれたルパン」以降だと思います。が、これも新参者のファンの言うことなので、境界線は異なると思います。あくまで、私の「目安」でしかモノが言えないいい加減なお話です。


訂正とお詫び
編集する前に嘘を書いていたので、それだけ訂正。お宝返却大作戦までは確かに「柏原寛司」さんの作品が多いのですが、ほかの脚本家も手がけてます。指摘された範囲で言えば、米村正二さん(この人のファーストコンタクトという作品が面白いです)と、藤田伸三さん(炎の記憶がオススメ)の名前をだし忘れてました。

長年、ルパンの研究やってる人から見たら手荒いお粗末な記事です。それでも最後まで見ていただけたこと、感じている違和感を共有していただけていることには感謝申し上げます。また、せっかく好きな作品があるのに、その脚本家の名前を忘れたまま記事を書いてしまった私の不手際には謝罪と訂正をさせていただきます。

*1:何かのアニメ雑誌で「金田伊功」の金田バースと呼ばれる技法の影響を受けた今石洋之さんの発言。手抜きの美学というのは「アニメの枚数を減らすために生み出されたアニメ特有の表現」という意味し、それ自体は否定するどころか、むしろ私の好物。だが、選択肢なのか必須技術なのかは全く異なる

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