あざなえるなわのごとし

ネット事件から妄想まで雑食




ポップソングがきらいな理由

嫌いな音楽 - K Diary

GReeeeNとか遊助とかファンキーモンキーなんたらとか。耳が腐る、と言っても過言ではない。これ系ってなんていうジャンルなんですかね。2010年前後から現れたイメージ。早く滅んでくれないかなと思ってる。無駄にポジティヴで脳が湧いているとしか思えない歌詞も嫌い。あと、アルバムのタイトルもすげえ勘に障る。なんなんだ。『あっ、ども。はじめまして。』とか『あの・・夢もてますケド。』とかボケとんのか。ってか、この文字タイプしただけでゾッとしたわ。っつーかグリーンの「e」って何個あんねや。

わかるわー。
嫌いやわー。
禿同とか言わないけど、これが禿同と言う感情なのね。
ヒルクライムとかな(ぼそっ)。

基本的に甘ったるい曲は嫌いだが、こういう嫌いな曲について考えると面白いのでさっくり考えた。

愛だろ、愛

「甘ったるい」という感覚を覚えるのは主に歌詞世界に対してだがまず、「甘い」のは愛だの恋だの歌うからだろう。
だがここで疑問がわく。
GreeeeeeeeeeeeeeeeeeeeeNの(e何個か知らん)キセキは「君に逢えたのって、これって奇跡だよね!」とスピートワゴン井戸田を猛ダッシュで呼びに行きたくなる甘さがあるわけだけど、愛自体はいろいろなミュージシャンも歌ってて、たとえばベンジーなんかも
「愛してたアナタのこと心から好きだった♪」
なんて歌ってる。
何せあの娘のことが好きなのは赤いタンバリンを上手に打つからですから*1

AJICO - ペピン - YouTube

「他の誰にもいえない~本当のこと~、あなたよ~あなたよ~幸せになれ♪」
なんて結構恥ずかしいけど嫌いじゃない*2
「君のこと守るよ僕が 君を苦しめる全てのことから」
と歌われても不快に感じない。ヒルクライムには「ゲッ」て思うのに。

なんだろ。テレキャスを胸で抱えてるからか(それは違う)。
「世界の終わり来ても僕等ははなればなれじゃない」
と歌われても嫌じゃないし感動すらしてしまう。
GreN(e何個か知らん)なら「ゲゲゲっ」って思うのに。


サンボとかブルハとか銀杏(ゴイステ)辺りの歌うラブソングってことごとく非モテ感と言うかDT臭とか非リア感があってそれが抵抗感を薄めてる気がする。ルックスも含め。
純情感と言うか、妄想感と言うか。
目の前に彼女がいて、でも眼なんて見れない。
彼女がもう久しぶりの彼女とか、産まれて初めての彼女とか。

ナンパじゃなく友だちのつもりが気づくと恋に……みたいな世界。
オーケンが、幾らラブソングを書いても(本人はバンドブーム以来ヤリヤリでも)その根本に非モテの純真がある。
非モテに裏打ちされた愛は歪んでるかもしれないが、純粋さを保証する。

ポップでナンパなGrerereeeeeeeN(e何個か知らん)なら「お前、そういうこと言ってるけど、次の女に同じこと言うんだろ?」っていう軽さと言うか、お持ち帰り合コンで知り合ってる感とか、目の前の彼女といちゃいちゃやってる感を出してたり、愛してるだの言いながら裏で浮気しまくってセフレ抱えてるとか、離れててもずっと繋がってるとか、会いたくて会えなくてとか、愛は永遠だとか運命だとか奇跡だとか。その辺はDQNとかウチらの世界とかに見られる重い「純愛上等!夜露死苦」「愛羅武勇」よりもさらに軽いモノを感じるからかもしれない。
口先だけの永遠とかいらねーんだよ。
一言で言えば「軽薄」だから、か。


*3

曲か歌か

曲、という意味ではともかくポップな歌はサビが命。

松尾潔)いまのリリックビデオの盛り上がりとかにすごく象徴的だと思うんですけど。日本でなぜ、DJが年収十億とか二十億とかにいかないのか?っていう話をよく、アメリカ人とかから聞かれるんですけど。日本人はそもそも、商業音楽っていうものに対して、言葉の部分で期待しているところが大きいんじゃないか?っていうのが僕のひとつの答えで。

宇多丸)ほうほうほう。言葉がわかんないと、まったく受け付けないってことですか?言葉がなかったり。インストとか。

松尾潔)まったく受け付けないというか、うん。そうですね。そっから入ってくる人が多いっていうか。だって、世の中にあふれている、普通の素人の方のブログで、ただ歌詞をコピペして貼っているのがいかに多いか。

松尾潔・宇多丸が語る 日本にブラックミュージックを定着させる方法

ポップソングのリスナーは「歌詞」を聴くのであって「曲」を聴くのではない。
「歌」を聴くのであって「音」を聴かない。
だから解りやすいAメロ→Bメロ→Aメロ→サビ→間奏→Aメロ……みたいなコテコテの曲構成でも「共感した―」「すごい感動できるー!」と喜ぶ。
共感できる=名曲、じゃない。
でも「歌」の「歌詞」を聴くだけなら共感は重要なファクターだろう。


ちょっと話は逸れるがストーンローゼスに「I Am The Resurrection」と言う曲がある。

聴いたことが無い方は是非一聴していただきたいが、この曲イアン(vo)の歌が途中(三、四分くらい)で終わり、そこからは延々と演奏だけになる。
日本ではお目にかからない曲構成だと思うのだけれど、この曲で重視されるのは歌世界ではなくてこの後半のメロディ部分。
このジョン・スクワイアのうねるギターとリズム隊(お猿さんはパーカッションを叩く)で観客は踊る。
歌を聴く、歌詞世界に共感するという意味では物足りなさを感じるこの曲だが、踊るという意味でならこの曲は威力を発揮する。
「歌」「歌詞」が重視される日本でこれをやっても売れない。
「いい曲」ではなく「共感できる歌詞」がなければ売れない。



「悪いのは全部 君だと思ってた、来るっているのはアンタなんだって」と言う歌詞に深い意味はありそうでない。
歌詞なんて意味がなくてもとりあえず詩的で格好良ければいいんだ、と教えてくれたのはTMGEだった気がする。


透明少女の向井のコトバはよく聞き取れない。
「ハイカラ狂いの少女たちは~」とかなんとか。
これがJ-POPと言われる曲なら、歌のボリュームバランスを上げてリズム隊とギターの音を下げてボーカルが前に出るようにする。
J-POP:ボーカル>ギター>ドラム・ベース
透明少女:ボーカル・ギター・ドラム・ベース(順不同)

ボーカルの声も楽器のひとつでしかない。
だからナンバガは歌じゃなく「曲という塊」として全部を聴ける。

最後に

他にもビジュアルだの売り方だのあるんだろうが、薄っぺらい行動主義とお仕着せのクリーンさ、キレイでそれっぽいうわべを飾ったモノに対しての生理的な違和感(感覚的)が、売れてようが何だろうが嫌いと感じるんだろう。
無根拠なポジティブシンキングを嫌悪するからこそサブカルなんてやってるわけで。
音楽は、ストイックであれ!なんて言わないけれど(ももクロ聴くし)ともあれリア充リア充の世界観で愛の素晴らしさとか永遠の絆なんて歌われた日にゃあ、こめかみに血管浮かべて憤死しそうな勢いでスキャナーズよろしく「リア充爆発しろ!」と念じざるを得ないわけです、と締めつつ涙をそっと拭うのでした。

オレなんかもっと頑張ればきっと女なんかジャンジャンモテまくり♪……(涙)*4

SAPPUKEI 15th Anniversary Edition

*1:赤いタンバリンブランキー・ジェット・シティ

*2:ラブレター/ブルーハーツ

*3:でも飲みに行ったとき、LifeTimeRespectを延々かけてる結婚式の打ち上げやっててあれはウザかったなー

*4:どぉなっちゃってんだよ/岡村靖幸

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