2014年7月1日、人類は突如として絶滅の危機を迎えた。
地球温暖化を食い止めるために散布された冷却物質は地球に氷河期をもたらし、永久機関を持つ列車「スノーピアサー」に乗り込んだ人々だけが生き残りに成功する。
それから17年後の2031年。
「スノーピアサー」の乗客は前方車両の富裕層と後方車両の貧困層とに分けられ、
「富裕層によって過酷な支配を受ける貧困層はカーティスをリーダーに、平等な社会を、そして人間の尊厳を取り戻すために革命を起こした―。
ハリウッド謹製 ポン・ジュノ作品。
面白いので時間があれば是非。
以下、ネタバレあり。
キム・ジウン監督がシュワルツェネッガー主演で「ラストスタンド」、パク・チャヌクが「イノセントガーデン」を撮ったり、韓国の映画監督がハリウッドで作品を作るのが、最近目立つようになって来た。
それだけ韓国の映画界は勢いがある、ということなんだろう。
原作はフランスのバンド・デシネ(コミック)。
未読で観てみた。
配役は、クセもの揃い。
特にティルダ・スウィントン扮するメイソンが素晴らしくって、まるでジャン=ピエール・ジュネの作品に登場しそうな悪役。
前歯が出てるとか(しかも入れ歯で)矯正してるとか、瓶底メガネとか、大事ですね。
そういうキャラ付け。
エグいシーンもキッチリやるし、特に顔に覆面をして(人間性の拒否)斧を手に持ち襲いかかって来る敵の、あの扉を開けたときの待機してるショットが「全員整列して今来るかと待ち構えてる」んじゃなく、圧倒的に上の力を手にした敵が余裕を見せて待ち、手斧を使い魚の腹を裂くことで斧を血で塗り、これからの惨劇を予感させる。
そして闘いが始まると斧を振りかざし叩き付ける。
韓国映画で、ヤクザ同士の抗争なんかにこの手斧の使用が多い。
普通の斧よりも小型な分腕の動きが速く、叩き付けるような動きが野蛮でとても映画に向いてる。
銃撃戦より、剣と盾の戦いより生々しく肉に叩き付け、切り裂く。
ハリウッドの映画は肉弾戦があっさりしていて血の臭いが薄い。
その血にまみれる肉弾戦にキム・ジウンらしいエグさが少し出ていた(韓国謹製ならもっとゴツゴツグログロしてるんだろうけれど)。
※ナ・ホンジン「哀しき獣」の手斧での戦闘、虐殺は本当に痛々しい
『スノーピアサー』予告編 - YouTube
列車は階層構造を横に寝かせている。
圧政に苦しむ民衆の蜂起と反乱、革命というのはわかりやすい。
ブルース・リー「死亡の塔」やドラゴンボールのマッスルタワーみたいに扉を開ける(階層を進む)度に敵が現れる。
「え?上流階級はどこに寝泊まりしてるの??」
「一車両ワンフロア???」
という解決ビフォアアフターの匠に改造してもらった方がいいような不便な構造は、実際的な「リアリティ」よりも劇的な「扉を開ける度に何かしら新しい敵や展開がある」という構造を見せるためで観客を飽きさせない。
走る列車には、資本主義に基づき決められた階級が制度としてある。
金持ちはチケットを買い一等車に乗り、無賃乗車の乗客らが最後尾に乗ってる、と。
その劣悪な環境で過ごす「無賃乗車」階層の住人が反乱を起こすのだけれど、しかしそのノアの箱舟でのパラダイムはやっぱりノアのものであって、そこで劣悪な環境下だろうが生きざるをえないということと、そんな仕組みに逆らって反乱を起こす、と言うのは果たして思想としてどこまで容認されるべきなんだろうかね。
主人公らが貧困層の視点だから観客はそちらに感情移入する仕組みがあるけど、自分が私財を突っ込んでようやく列車に乗れ二等車なり三等車なりに乗ったとして、その中で「最後尾の無賃乗車の連中が反乱を起こしたぞ!」と聞いたとすれば果たして「正しさ」はどこに感じるのか。
その階層構造・秩序を破壊すべく前(上)へ進む主人公が、その秩序から逸れた横(外)が提示されるのはやっぱりその列車内のパラダイム(一等車→無賃乗車)に逆らう矛盾を意識したからなんじゃないかなと愚考。
無賃乗車の乗客らが「ひととしてそれなりに扱われる権利」を主張するなら理解もできるが、本丸のエンジンにまで乗りこんで頭を乗っ取ろう、となると話が変わる。
それは武装蜂起の肯定になってしまう。フランス革命か。
もし「国」なら国民に対して義務も負うけど、無賃乗車の乗客と列車の持ち主の関係性ならそこに義務が発生するのかどうか、と。
ただ「ひととして」とかいうレベルの話を持ち出せばアレだろうけども……微妙っすね。
最後に生き残る二人。
これが純粋なハリウッド謹製作品なら「韓国人女性と黒人少年」なんて展開は無い。
大概白人の金髪ヒロインが生き残る、みたいな。
スノーピアサーの中に築かれたチケット(金、資本)による階層構造の崩壊。その先に広がる雪原。
それを「絶望の先の絶望」と観るのか、それとも「動物が生きられる世界→つまり人類の歴史のやり直し」と観るのか。
まるっと投げてるブラックな感じは、「殺人の追憶」で結末をぶん投げたポン・ジュノ謹製。