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日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:94」を破折する(その一) 連載135回

妄説:94 「当(まさ)に知るべし、此の四菩薩、折伏を現ずる時は賢王(けんのう)と成(な)って愚王(ぐおう)を誡責(かいしゃく)し摂受(しょうじゅ)を行ずる時は僧と成って正法を弘持(ぐじ)す」(観心本尊抄・新編 661頁、全集 二五四頁)

 〔御文証の解釈〕
 上行菩薩などの四菩薩は、化儀の折伏の時には、賢王と成って愚王の謗法を戒めて正法に帰依させ、法体の折伏・摂受の時には、僧となって「法華折伏破権門理(はごんもんり)」の道理にまかせ、正法を護持し弘通する。

 〔創価学会の解釈〕
○自ら「順縁広布の時」を作り、至難の御本尊流布を敢行し、多くの民衆を現実に不幸の底から救ってきたのは、創価学会以外に断じてない。ゆえに、創価学会こそ「賢王」の団体であり、仏勅(ぶっちょく)を受けた「地涌の菩薩」の集いに他ならない。(聖教新聞 H五・九・二〇 取意)

 〔創価学会の解釈に対する破折〕
 かつて創価学会は、歴代会長の指導のもとに折伏弘教に邁進(まいしん)し「順縁広布の時を作り」「賢王とよばれ」「地涌(じゆ)の菩薩の集い」かと思われた時もありました。
 しかし池田大作氏は、正本堂建立前後より始まった「五十二年路線」において、御本尊模刻をはじめ、数多くの大謗法を犯しました。
 今回は、以前にもまして、日蓮正宗の根本命脈(めいみゃく)である本門戒壇の大御本尊を冒涜し、唯授一人の血脈相承を否定して、創価学会を破門にまで至らしめ、今は「ニセ本尊」を作って配布する大謗法を犯しています。
 したがって現在の創価学会は、草創期以来の日蓮正宗の信徒団体ではなく、ただ単なる新興宗教になり下がっていますから、大聖人の仏法を広宣流布する団体でもなく、まして「賢王」や「地涌の菩薩の集い」でもないのです。

破折:
1.「五十二年路線」とは〝第一次宗門事件〟
(1)御本尊を大切にする行為(御謹刻)を謗法と非難

「五十二年路線」とは、宗門が悪意を込めて命名した言葉であり、正しくは「第一次宗門事件」である。昭和五十二年前後の数年に亘り、宗門によって意図的な学会攻撃が繰り返された史実がある。すなわち宗門が喧伝する「御本尊模刻」等、いわれなき誹謗中傷が学会に投げつけられた頃である。
 宗門の学会攻撃の手口として、反学会僧侶(後に正信会を結成)は学会の反逆者である山崎正友(元学会顧問弁護士)や原島嵩(元教学部長)によって持ち出された学会の内部文書を〝学会独立の計画書〟と称した。さらに山崎がマスコミに虚偽の報道を流す等、様々に学会を悪に仕立て上げ、落し入れようとしたのである。
 一例として「御本尊模刻」の事件がある。紙幅の御本尊を板御本尊に御謹刻することは、信徒の間では従来から行われてきたことであり、それまでは何の問題も無かった。それは管長の言葉として、お目通りの席で表明している。

「個人が受けた御本尊だから、その人又は会の宝物だから、どのように格護しようと他がとやかく云えない。紙幅を板御本尊にするということは、前からも行なわれている。御開眼とか、入仏式とかは、信仰上からは、僧侶にお願いするのが本当だが、しかし、これも個人の自由で、僧侶を呼ばなければいけない、という事でもない」
(庶務部長・藤本が書き止めた『藤本メモ』より一部抜粋)

 それでも学会としては念を入れ、池田会長より日達法主に御本尊を謹刻したい旨を口頭で申請し、また宗門との連絡会議において学会より議題提出したのであった。
 ところが後になって、宗門では御本尊を取り扱う部署が新設され、〝正式な申し出書を以て申請しなければならないのに、学会より提出されなかった〟とした。
 さらには学会が御謹刻した御本尊を、宗門は「模刻」と呼び「ニセ」の印象を植え付け、謗法であると非難したのである。
 このような宗門の「後出しルール」に対しては、誰もが不可抗力である。これではルールを言い出した側のやりたい放題となる。
 当時、学会の側では争うことを控えていた。〝法主の体面〟を重んじていたのである。
 また僧俗相争うことは〝法を下す〟(仏法を貶める)ものであり、それを避けるのが信仰者としての振舞いと心得ていた。学会は信者として、赤誠の限りを尽くしたのである。

(2)「僧俗差別」と「御供養」

 何ゆえ宗門は嵩にかかって感情的に学会を責め立てたのか。振り返れば、仏法の論議はまるで無かった。理由を尋ねれば、ただ「許可を得なかった」との一点張りである。これは何を指すか。
 信仰者として、僧俗の間に功徳の差は無いはずである。法華経(御本尊)を信受する人ならば誰をも、世の「主」として仏はごらんになっている、と大聖人はお認めである。

 四条金吾殿女房御返事(一一三四㌻)にいわく、
「法華経の行者は日月・大梵王・仏のごとし(中略)此の世の中の男女(なんにょ)僧尼(そうに)は嫌うべからず、法華経を持(たも)たせ給う人は一切衆生のしう(主)とこそ仏は御らん候らめ」

(法華経の行者は日月や大梵王・仏のごとく勝れ……この世の中で法華経を持(たも)つ者は、男女・僧尼を問わず、一切衆生の主に当たると、仏は御覧になっているであろう)

 だが在家はともかく、僧侶の側では本抄の仰せを信じていない。宗門が学会を破門した理由の一つに、〝僧俗差別を学会が受容しなかった〟ことが含まれる。
 宗門がいきり立った理由を挙げれば、この「僧俗差別」と「御供養」との二点に収斂されるのである。
               ◇
 谷川 先日ある僧侶から聞いたことですが、当時大方の宗門僧侶の間には、学会の御本尊謹刻が教義上の「謗法」だという感覚など、全くなかったというんです。それが騒ぎになったのは、坊主には、寺は板御本尊で会館は紙幅御本尊だから〝寺の方が会館より上〟という愚かな上下意識があり、その〝差別〟が崩されて、信徒が来なくなり御供養が減ることが怖(こわ)かった。これが実は本音だったというのです。
 辻 なるほど。宗内ではその程度だったのだろうね。それこそ御本尊は寺の配布物、販売物としか考えていない宗門の体質がよく出ている話だ(笑い)。この邪教そのものの心根(こころね)の下劣さを、大聖人はどれほどお怒りになられることか。
(発言者:辻参議会議長、谷川青年部長 『聖教新聞』1993年9月15日)

 学会が板御本尊を御謹刻すれば、学会の会館と寺との「差別がなくなる」、「御供養が減る」、それで宗門は感情的になり、大騒ぎを起こしたのであると。
 問題の所在は、仏法の法門に求められるものではなかった、修羅界に潜む〝怨嫉(おんしつ)〟(=嫉妬)と、餓鬼界の生命である〝慳貪(けんどん)〟(=強欲)とに存した。
 まがりなりにも僧俗の間を保っていたのは、ひとえに貪欲を満たす御供養であった。それにかかわる問題が生じるや、修羅の心が燃え立ち〝僧俗差別〟を持ち出す。これが坊主の体質であり、そもそもの原因であった。

(3)法華経の行者・学会を誹謗する宗門の悪逆

 大聖人は一切衆生の救済を目的に御本尊を御図顕された。だが末代の僧侶は、この御本尊を大切にする行為であるはずの御謹刻につき、在家が「許可を取らずに行なった」と決めつけた。
 だが赤澤朝陽社長の証言、すなわち日達法主は池田会長からの御謹刻の申し出を了承していたことを、当の法主から聞いたのであり、宗門と学会との連絡会議においても正式に提議されている。
 すると宗門は「書面」を提示しなかったとして、「御本尊模刻をはじめ、数多くの大謗法を犯しました」と学会を悪と決めつけ、誹謗した。
 仏法の論議も無く「謗法」の言葉を濫用するのは、大聖人の大法を弄ぶものではないか。
 学会が御本尊を純心に信ずる上での行為を捉え、一方的に詰る宗門の行為は、遂に〝破和合僧〟という破滅をもたらし、宗門・学会ともに、他宗からの嘲りを受けることとなった。
 このとき多くの学会員が退転した。すなわち宗門とともに、奈落への道を目指したのである。

 四菩薩造立抄(九八九㌻)にいわく、
「私ならざる法門を僻案(びゃくあん)せん人は偏(ひとえ)に天魔波旬(てんまはじゅん)の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候つたなしつたなし」

(大事な法門を曲げて考える人はひとえに天魔波旬がその身に入り替わって、他人と自身ともに無間地獄に堕としてしまうのである。愚かなことである)

 結局、宗門は「創価学会を破門にまで至らしめ」、学会を〝悪〟に仕立て上げ、現在に及んでいる。

 滝泉寺申状(八五三㌻)にいわく、
「悪行猶(なお)以て飽き足らず為(ため)に法華経行者の跡を削り謀案(ぼうあん)を構えて種種の不実を申し付くるの条・豈(あに)在世の調達(ちょうだつ)に非ずや」

(さらに悪行を重ねて法華経の行者の功績を抹殺し、虚偽を構えて追放処分にした。これらは仏法を破壊しようとした釈尊在世の提婆達多と同様の悪逆である)

「本門戒壇の大御本尊を冒涜」などと、法主自ら大御本尊を「ニセ物」呼ばわりしておきながら、一体どの口で言えたものかと、唖然とさせられるばかりである。

2.「四菩薩」と「賢王」の意義
(1)「四菩薩」の義

 次に、観心本尊抄に仰せの「四菩薩」の意義を確認しておきたい。

 如来滅後五五百歳始観心本尊抄(二五四㌻)にいわく、
「当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」

 戸田会長が、この御文における創価学会の立場を講じた。
              ◇
 化儀の広宣流布本門戒壇の建立には、賢王が出現し、権力をもって正法流布に当たることが明らかである。有徳王・覚徳比丘の昔を思い合わせ、創価学会の重大使命に歓喜勇躍すべきご文である。
(『日蓮大聖人御書十大部講義』第四巻 観心本尊抄 戸田城聖著)

 広宣流布の〝重大使命〟を担った創価学会こそ、有徳王・覚徳比丘として出現した賢王の義を有する者である。

 閻浮提中御書(一五八九㌻)にいわく、
「願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ」

 学会員は師子王たる大聖人の直弟子であり、「師子王の子」ゆえに仏子である。
 かたや、信者を苛んできた宗門の輩は、所詮は狐であり獅子には及ばない。稲荷を祀る〝身延の狐〟とともに群れるのがお似合いである。

(2)「賢王」の義

 賢王については、聖教新聞紙上で明確にされている。
               ◇
 一、創価学会こそ、広宣流布を目指す仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の唯一の和合僧団であり、「僧宝」の意義の上から、御本尊授与の資格を有する。 
     
 日蓮大聖人は『観心本尊抄』において、「当(まさ)に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責(かいしゃく)し摂受(しょうじゅ)を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」(御書二五四ページ)と御教示されている。
 日寛上人は『本尊抄文段』で当文の意を釈され、「賢王の折伏」とは「化儀の折伏」で、「順縁広布の時」を指し、「僧の弘持」とは「法体の折伏」であり、この「僧」が日蓮大聖人の御事であると会通(えつう)された。
 日蓮大聖人は御生涯の御化導を通じて出世の本懐たる三大秘法の大御本尊を顕示遊ばされた。すなわち、末法下種の法体をはじめて弘通されたのであり、それはそのまま一切の権門の理を破折したことになる。ゆえに、これを「法体の折伏」と称するが、法体の御本尊を示されることが主眼となり、広く民衆に法体を受持せしむるのはむしろ後世の課題となるため、『本尊抄』では御自身の御化導を「摂受」と仰せられたのである。
 そこで、今はまだ時来らずと思し召され、御化導の究極の目的であられた御本尊流布による民衆救済は、「順縁広布の時」の民衆の指導者に委託されたと拝される。
 なれば、自ら「順縁広布の時」を作り、至難の御本尊流布を敢行し、多くの民衆を現実に不幸の底から救ってきたのは、創価学会以外に断じてない。ゆえに、創価学会こそ「賢王」の団体であり、仏勅を受けた「地涌の菩薩」の集いに他ならないのである。
 有縁の歴代上人は、学会の不可思議な因縁と使命を深く賛嘆された。すなわち、死身弘法の殉教の道を歩まれた牧口初代会長を、日亨上人は「通俗の僧分をも超越」と称えられ、日淳上人は「生来仏の使であられた先生が、法華によつて開顕し、その面目を発揚なされた」(『日淳上人全集』二九六ページ)と、最大の賛辞を惜しまれなかった。
 また、戸田第二代会長についても日淳上人は「妙法蓮華経の五字七字を七十五万として地上へ呼び出したのが会長先生だと思います」(同三五七ページ)と述べられ、さらに先師日達上人は池田名誉会長に関して「池田会長は四菩薩の跡を継ぎ、折伏の大将として広宣流布に進軍しております」と、ともに地涌の菩薩の将たる深意を認められている。
 以上の御書の御文や歴代上人の指南に照らし、また何よりも現実の世界広布の実証に照らし、創価学会は本来、単なる日蓮正宗の一信徒団体ではなく、御本仏に直結した独自の「一大和合僧団」であることは疑う余地がない。日達上人は、「一大和合僧団創価学会に対し 実にもあれ不実にもあれ謬見(びゅうけん)を懐(いだ)き謗言(ぼうげん)を恣(ほしいまま)にする者ありとせば 其籍(せき) 宗の内外に在るを問はず 全て是(こ)れ広布の浄業を阻礙(そがい)する大僻見(びゃっけん)の人 罪を無間(むけん)に開く者と謂(い)ふべし」(昭和三十八年七月十五日付)と宗内一般に「訓諭(くんゆ)」されている。
(『創価学会の御本尊授与に関する法門上の見解』日蓮正宗・青年僧侶改革同盟 『聖教新聞』1993年9月20日)

 創価学会こそ「賢王」の団体であり、仏勅を受けた「地涌の菩薩」の集いに他ならない。

3.「ニセ宗門」の「ニセ本尊」は拝まず
(1)ニセものは本物を厭う

「唯授一人の血脈相承を否定」したとあっても、法主が相承を詐称した「ニセ者」ならば、否定されて仕方がないであろう。日顕自身、相承を受けた事実を裁判所で立証できなかったのである。宗門は、日顕を敗訴と断じた裁判所に向かって、「大謗法を犯しています」と罵るのであろうか。
〝ニセものは本物を厭(いと)う〟とは、箴言(しんげん)(=真理の言)である。「ニセ法主」には、学会が授与する日寛上人御書写の御本尊が、眩(まぶ)しくて正視できるはずがない。それゆえ日顕等は学会授与の御本尊を「ニセ本尊」よばわりする。
 だが、「ニセ法主」が書写する本尊が、正しい本尊となるであろうか、なるはずがない。それをすなわち「ニセ本尊」と言うのである。

(2)日顕が創始の宗教

「ただ単なる新興宗教」とあるのは、無論「日顕宗」のことである。
 日顕は「三宝一体とは、まさに本仏大聖人、戒壇の大御本尊、歴代の御法主上人が、その内証において、一体不二の尊体にましますということであります」(「能化文書」平成三年九月)と言い放った、この不遜の言葉を定義づけるため、後に「日蓮正宗要義」の文言まで改変(改悪)したのである。
〝歴代の御法主上人〟とは、日顕自身も含む。日顕が〝大聖人と大御本尊と一体不二である〟と言っているのである。
 かつての日蓮正宗の法義を変えたのであるから、新興宗教でなくして何であろうか。ゆえに〝日蓮正宗〟の宗名を使用するのは、不当である。日顕を開祖とする「日顕宗」以外の何物でもない。
 それにしても、宗門初の出張御授戒という本山の期待を一身に負いながら、シアトルのいかがわしい場所で売春婦と行為に及び、警察沙汰となった男を、〝大聖人と大御本尊と一体不二である〟などと、誰が納得し、崇められよう。
 売春婦を触った手で書写した本尊など、気味が悪いことおびただしい、いったい誰が拝めようか。
                          (続く)
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:93」を破折する 連載134回

妄説:93 「此の御本尊全く余所(よそ)に求むる事なかれ。只我れ等衆生、法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱ふる胸中の肉団におはしますなり」(日女御前御返事・新編 1388頁、全集 一二四四頁)

 〔御文証の解釈〕
 この御本尊は、全く他に求める必要はありません。ただ私たちが法華経を受持して(御本尊を信じて)、南無妙法蓮華経と唱える胸中におられるのです。

 〔創価学会の解釈〕
○本来、御本尊は妙法を唱える人自身の胸中に存するものであり、大聖人の御心に適う信心の一念があれば、たとえ御本尊を直接拝せなくとも、仏界涌現の功徳は厳然と顕れる。(聖教新聞 H五・九・八 取意)

 〔創価学会の解釈に対する破折〕
「法華経を持ちて」の法華経とは御本尊のことです。
「本来、御本尊は妙法を唱える人の胸中に存するもの」というのは、邪教中山門流の「己心本尊論」と同じものであり、「信心の一念があれば、たとえ御本尊を直接拝せなくても、仏界が涌現(ゆげん)する」とは邪宗日蓮宗が本尊よりも題目を中心とする邪義に通じるものです。
「此の御本尊全く余所(よそ)に求る事なかれ」といっても、この御本尊は拝むべき正境の本尊ではなく、私達の身に具(そな)わる仏の生命のことです。
 日達上人は
「胸中の肉団に御本尊がましますという言葉を取って、大曼荼羅本尊は要らない。自分自身の御本尊を拝めばよいのだというような説を立てている人もあります。(中略)自分自身が御本尊だなどと考える時は、すでに増上慢に陥(おちい)って地獄の苦を受けるということになる」(達全 2-5-526頁)
と仰せです。
 現在の学会では、ことさらに「御本尊は妙法を唱える人自身の胸中に存する」と主張し、会員を本門の本尊抜きの信心へ改変しようとしているのです。

破折:
1.『日女御前御返事』――宗門がうろたえ避ける重書

 本抄は、御本尊の真実義を明かされた重要御書である。ゆえに宗門は、信者がこの御書を拝し「胸中の肉団」(=自身の生命)に内在する御本尊を覚知することを恐れるのである。
 大聖人が御本尊を図顕されたのは、法華経において一切衆生に〝仏智見〟を開かしめん、と説かれた仏意の本体を明かされたことであり、その真意を信者に知らしめることであった。
 宗門が危惧するのは、「拝むべき正境の本尊」が建立された意義は、「胸中の肉団に(御本尊が)おはします」ことを自覚せしめるためであったと、信徒が知るに至ることである。
 そうなれば、僧侶が一方的に御本尊を独占し、僧俗差別が当然であるとしてきた根拠が打ち消され、さらには大聖人、日興上人への違背であることも明らかとなり、宗門僧侶の存在意義すら消え果てる――。
 それを何としても避けるべく、何の関係も無い「中山門流の『己心本尊論』」なる迷論を持ち出し、話を攪乱させようとする。
 あげくは「自分自身の御本尊を拝めばよいのだというような説を立てている人もあります」と、学会を誹謗するための作り話までもご披露に及ぶ。
 だがそもそも、「自分自身が御本尊だ」との不見識極まる妄言を吐く者が、〝日顕〟以外に誰が居るか。
 細井管長の弟子から「自称・御本尊」を宣する痴(し)れ者が出たとは、皮肉なものである。不肖の弟子が「増上慢に陥(おちい)って地獄の苦を受けるということになる」との管長の予言は、そのまま的中しよう。
 さらには「『此の御本尊全く余所(よそ)に求る事なかれ』といっても、この御本尊は拝むべき正境の本尊ではなく、私達の身に具(そな)わる仏の生命のことです」として、宗祖の御文を打消そうとする。
 大聖人の御真意を否定する宗門の輩こそ、「増上慢」かつ「地獄の苦を受ける」者である。
 戸田会長はこのように講じた。

「われわれが、ただの凡夫でいるということは秘妙方便であり、真実は仏なのであります。われわれの胸にも御本尊はかかっているのであります。すなわち御仏壇にある御本尊即(そく)私たちと信ずるところに、この信心の奧底があります」(『戸田城聖全集』第五巻)

 御書を信受してはじめて、御本仏の御意に叶う。すなわち大聖人の正統は、まさしく学会に存する。
 これに対し、御本尊を信徒支配の具、御供養収奪の手段と見なす宗門は、〝御本尊は胸中に御座します〟と明かされた御書を〝無視して避けたい〟のである。このことは宗門が大聖人の後嗣たる意義を失い、令法久住の任がすでに学会に移行したことを証している。
 本抄に焦点が当たるとき宗門はうろたえ、「大曼荼羅本尊は要らない。自分自身の御本尊を拝めばよいのだというような説を立てている」などと、駄々っ子が憤(むずか)るごとく感情を剥き出し、勝手に作り上げた妄想を口走って罵る。
 この醜態を晒したのが、宗門の管長であるとは。学会の歴代会長の境界とは、雲泥の差が存すると言わざるを得ない。

2.御本尊に込められた仏意

『日女御前御返事(別名:御本尊相貌抄)』の本旨を学ぶ前に、仏が〝法華経〟を説いた目的を確認し、あらためて〝御本尊〟が建立された意義を知っておきたい。
 妙法蓮華経巻第一方便品第二に、仏が衆生をして、仏智見(=仏の智慧に基づく正しい認識)を〝開示悟入〟せしめると説き、仏が現世に出現した目的と明かされる(「開示悟入の四仏知見」)。

「諸仏世尊は衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したまう。
 衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したまう。
 衆生をして仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したまう。
 衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したまう。
 舎利弗よ。是れを諸仏は唯(た)だ一大事の因縁を以ての故に、世に出現したまうと為(な)す。」
(『妙法蓮華経 並開結』聖教新聞社刊 一二一㌻)

 ここに明かされた通り、末法の御本仏・日蓮大聖人が御本尊を図顕された目的とは、一切衆生に御本尊を与え、もって「胸中の肉団」(=自身の生命)に内在する本尊を覚知させ、仏智見を開かしめんとのことである。
 従って「此の御本尊全く余所に求める事なかれ」と訓戒されるのである。

 御義口伝巻下(七六三㌻)にいわく、
「今日蓮等の類(たぐ)い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は明鏡に万像を浮ぶるが如く知見するなり、此の明鏡とは法華経なり別しては宝塔品なり、又は我が一心の明鏡なり」

(いま、日蓮大聖人およびその門下として、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、明鏡にあらゆる物の像を浮かべるように、一切の事象を明らかに知見していくのである。この明鏡とは法華経であり、別しては宝塔品すなわち御本尊である。または御本尊を信ずる者の一心の明鏡である)

 御本尊を信受して南無妙法蓮華経と唱えるとき、自らの「胸中の肉団におはします」御本尊の明鏡が顕われ、仏知見を開示悟入していくのである。
 ところが「御本尊は大聖人の体である」からと、信者は御本尊をひたすら崇拝・礼讃し、頼りきればよいとするなら、仏が御本尊を顕わした意図は歪曲されてしまうことになる。
 この誤りに陥っているのが、宗門である。妄説には「本門戒壇の大御本尊へのお目通りを拒否しておいて、そのお写しである家庭の御本尊だけを拝んでも功徳など絶対にありません」(「妄説:15」)とあり、信徒に否応なく登山させ、御開扉料を収奪する名目とする。
 これは大御本尊を〝おすがり信仰〟へと貶めること、御本尊を「余所に求むる」ものである。
 大聖人の御本意に違背した宗門の下にあって、大御本尊に御目通りしようとも、明鏡の曇りを拭うことはできない。自身の胸中に御本尊(仏界)が映じることは無いのである。

3.死後も共にある御本尊

 日女御前御返事(一二四四㌻)にいわく、
「後生(ごしょう)には此(こ)の御本尊左右前後に立ちそひて、闇に燈(ともしび)の如く、険難の処(ところ)に強力(ごうりき)を得たるが如く、彼(かし)こへまはり、此(ここ)へより、日女御前をかこみまほり給うべきなり」

(後生には、この御本尊が左右前後に立ちそって、あたかも闇夜に燈火を得たように、また険難な山路で強力(ごうりき)を得たように、彼方へまわり、此処に寄りそって、日女御前の周りを取り囲み護るであろう)

 本抄の前段には、「日女御前の死後も、御本尊が厳然とあなたを守ってくれるであろう」と仰せである。もし、御本尊が自分の外にあるものであったら、死後も一緒にいて守ってくれるとは、到底信じられない。そこで、大聖人は「御本尊はあなたの胸中にある」と明かされたのである。
 この通り御本尊とは、自身の生命に内在する本尊を覚知させるために、大聖人が一切の衆生に平等に与えられたのである。決して特定の人間の所有物とはならず、まして御開扉料を徴収して、拝観させるためではない。
 御本尊を特定の人間が独占すれば、そこでは信者が有難がり、平伏して礼拝を捧げる。さらに占有者の意思において、拝観させる人を選別する。すなわち権威主義の横行である。それでは大聖人の人類救済の大目的は、潰(つい)えてしまう。だが、その非道を実行しているのが宗門である。

4.『日女御前御返事』の真義(1)

『日女御前御返事』の御書講義録(昭和51年発行)には、真に的確かつ重要な講義が掲載されており、その部分を抜粋して紹介したい。
                
① 御本尊は衆生の「生命の奥底」に実在する

 この御本尊は、自分の外にあるものと思ってはならない。「法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる」我々衆生の「胸中の肉団(にくだん)」にある、と仰せである。この文は、御本尊の正体、実体が何であるかを端的明快に示された、非常に重要な一節である。
 既に述べたように、この御本尊は、釈尊が己心の生命を悟って、それを法華経として説き示したところにあらわれており、日蓮大聖人も、御自身の生命をそのまま図顕して、この御本尊を顕わされている。このことからもこの御本尊は、仏たると衆生たるとを問わず生命の奥底に実在する一実体にほかならないことが理解されよう。
 ただ、この自身の奥底の生命を覚知した人を仏といい、それを覚りえず、瞬間瞬間に起こる妄想と妄念に惑わされている人を凡夫、衆生というのである。仏はこれを覚知しているから、その覚ったものをあらわし示してくれる。衆生は、仏によって顕わし示されたもの――すなわち本尊によって、自身の内に秘められた同じ生命を顕現していく。
(『日蓮大聖人御書講義』 第26巻 編著者 御書講義録刊行会 昭和51年3月16日発行)

② 「畏怖すべき存在」を崇めさせる宗教

 仏がこの御本尊を図顕した目的は、衆生に衆生自身の生命に内在する本尊を覚知させることである。したがって「此の御本尊全く余所(よそ)に求める事なかれ」と戒められているのである。もし、御本尊をただ仏によって与えられたものとして、信仰・礼拝さえすればよい、これに頼っていさえすればよいというのであれば、仏としてはこの御本尊を顕わした意図は満たされないどころか、全く違った方向へ歪められてしまったことになる。
 御本尊を余所に求めている人は、あたかも鏡に映った自らの顔を見て、他人の顔と思い込んでいるようなものである。鏡は、それによって我が身を正すためにあるのであって、他人と思って喜んでいるのでは鏡としての用は果たせないのである。(中略)
 ただ、このことから更に大切なことは、ここに日蓮大聖人の仏法が既存のあらゆる宗教と全く異なる基盤に立つものであるということである。
 すなわち、過去のあらゆる宗教の行き方は、人間の外に、人間をはるかに越えた畏怖すべき存在を設定し、人間は、この存在つまり「神」に服従し、礼拝を捧げれば、この「神」によって守られ救われるということであった。このような宗教の行き方が、権威主義的な人間性格を形づくることは必然である。
(同)

 数ある御書講義録中でも、とりわけ〝生命〟という存在を的確に説き明かし、かつ事物の真相を穿ってやまず、今日あらためて読み返しても少しも色褪せていない。肝心な事は上記においてすべて述べられており、新たに付け加えることは無い。
 要点を挙げると次項の通りである。

5. 『日女御前御返事』の真義(2)

①「御本尊は、仏たると衆生たるとを問わず生命の奥底に実在する一実体にほかならない。」

〝己心の本尊〟は宗門が何と言おうと、学会の創作ではない、前述した通り大聖人が明らかにされたことである。
 かつて細井管長(日達法主)が「自分が自身を拝んで、なんで成仏できましょうか」(「妄説:11」その一)との、見当外れの誹謗を学会に浴びせたが、それを体現したのは弟子の日顕であった。
 今回の「自分自身が御本尊だ」云々もまた、〝自称・御本尊〟の日顕が該当する。正法の行者・学会に怨嫉し誹謗すれば、吐いた唾は自らに還る、これは仏法の道理である。

 常忍抄(九八〇㌻)にいわく、
「此の人人・天に向つて唾(つば)を吐き地を爴(つか)んで忿(いかり)を為す者か」

 学会が目障りになれば、御書に明確に説かれる真理まで打ち消して止まないのが、宗門である。信者が真理に目覚めるとき、坊主は己の存在意義が無くなることを、本能的に知るのであろう。

②「御本尊をただ仏によって与えられたものとして、信仰・礼拝さえすればよい、これに頼っていさえすればよいというのであれば、仏としてはこの御本尊を顕わした意図は満たされないどころか、全く違った方向へ歪められてしまったことになる。」

 宗門は「本門戒壇の大御本尊へのお目通りを拒否しておいて、そのお写しである家庭の御本尊だけを拝んでも功徳など絶対にありません」(「妄説:15」)と言って、〝おすがり信仰〟に信徒を招き入れようとする。
 だが古来より大御本尊への御目通りとは、特別な縁故の者や信心の篤い者への「内拝」であり、非公式な参拝であるから、成仏のために必須ではない。
 ましてや〝聖地崇拝〟など、大聖人の仏法にはない。大聖人の御真意を否定する背信行為であると、糾弾されねばならない。

③「過去のあらゆる宗教の行き方は、人間の外に、人間をはるかに越えた畏怖すべき存在を設定し、人間は、この存在つまり『神』に服従し、礼拝を捧げれば、この『神』によって守られ救われるということであった。」

 日顕宗は本講義録で指摘された通りのことを実行したのであり、「権威主義」の権化となった。
 具体的には、大御本尊のみに成仏の力用があるとし、歴代諸師の書写による御本尊が大御本尊の分身である原理(「分身散体(ぶんしんさんたい)の法」)を否定した。
 そして〝大御本尊に御目通りしなければ罪障を消滅できない〟との「脅迫」をもって、不敬にも大御本尊を〝畏怖すべき存在〟と位置付けることにより、信徒を宗門に隷属させようと謀るのである。
 以上の通り本書には、御書の真実義が明かされ、日顕宗の迷妄そのものを如実に映し出していたのである。学会の講義録もまた、「明鏡」と言えよう。

6.〝御本尊はあなたの胸中に〟――池田名誉会長

『日女御前御返事』にかかる池田名誉会長の講義を、共々に学んでいきたい。
               ◇
(1)御本尊は自身の胸中にある

 大聖人から賜った御本尊が、末法で初めて顕された未曽有の御本尊だと知り、日女御前はどれほど感激したことでしょう。
 ところが、大聖人は、さらに驚くべき真実を明かされていきます。
 すなわち、「この御本尊を決して別の所に求めてはならない。ただ、私たち衆生が法華経を持って南無妙法蓮華経と唱える、その胸中の肉団にいらっしゃるのである」と。
 大聖人は、御本尊は外にあるのではなく、題目を唱える自身の胸中にあると言われるのです。外から内へ。「胸中の肉団」へ。なんと劇的な転換でありましょうか!
(『大白蓮華』2011年12月号)

(2)唱題が〝胸中の御本尊〟を呼び顕す

 当時も、いな現在においても、次のような考え方が根強くあります。〝現実の人間は、つまらない卑小な存在だ。これに対し、究極の実在、永遠の価値は自分の外にある。どこか遠くにある〟と。こうした思考と、外なる世界に存在する超越的な力にすがる信仰とは、いわば地続きのものです。
 日蓮仏法は、この固定概念を打ち破ります。今ここで生きている凡夫の身に即して、永遠にして究極の法が顕れるという生命の真実を見るのです。
 そもそも「ブッダ」とは「目覚めた人」という意味でした。何に目覚めたのでしょうか。自身が本当の依りどころとすべきもの、すなわち法と、真実の自己です。
 無明に覆われて気づかなかった、森羅万象のあらゆる存在に普遍の法と、そして、その法とともにある自己自身の偉大さに目覚めたのです。
〝御本尊は胸中の肉団にいらっしゃる〟この仰せの元意を拝するならば、大聖人が認められた御本尊は、実は、自分自身の胸中の御本尊に目覚め、胸中の御本尊を呼び顕すための御本尊であるということです。
 自分の外にある御本尊を拝んでいる時、全く同じ御本尊が自分の胸中にあるのです。自行化他の題目を唱えるわが生命に厳然と顕われてくるのです。
(同)

(3)〝永遠真如の自分にかわる〟

 翌年に送られた日女御前御返事では、宝搭品の所在について「日女御前の御胸の間・八葉の心蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候」(一二四九㌻)とも言われています。日女御前は、御本尊が「胸中の肉団」にあるとの本抄の仰せを思い起こしたことでしょう。「胸中の肉団」とは、「御胸の間・八葉の心蓮華」です。
 この御本尊がある「胸中の肉団」とは、別の言い方をすれば「九識心王真如の都」です。九識は阿摩羅識・根本清浄識などともいわれ、これを「心王」と立てます。「真如」とは虚妄を離れたありのままの真実であり、心の「王」の住所であるゆえに「胸中の肉団」、私たちのこの生身の肉体が「都」と言われています。
 法華経の行者であられる大聖人が成就された仏の生命。真如と一体の大聖人御自身の生命、すなわち「にちれんがたましひ」そのものを顕されたのが御本尊なのです。
 また御本尊は「曼荼羅」の形式です。曼荼羅とは、サンスクリットの「マンダラ」の音写で「輪円具足」とも「功徳聚」とも釈されます。
「功徳聚」すなわち無量の功徳の集まりなのです。それを自由自在に引き出し、味わっていけるのです。
 戸田先生は「日蓮大聖人の御生命が南無妙法蓮華経でありますから、弟子たるわれわれの生命も同じく南無妙法蓮華経でありましょう」と語り、こう断言されていました。
「われわれが信心すれば、日蓮大聖人様の所有の根本の力が、我々の生命に感応して湧いてくるのです。われわれもやはり、ありのままの永遠真如の自分にかわるのです」と。
(同)

7.御本尊には〝三諦〟の姿がある

 前項の文中に、ブッダは「本当の依りどころとすべきもの、すなわち法と、真実の自己」とに目覚めたとある。仏陀最後の言葉に「法灯明・自灯明」があり、「法をよりどころとし、自らをよりどころとせよ」と訳される通りである。

 大聖人の仏法においては、次の通りとなる。
「法」とは、信心の正境であり〝本門の本尊〟である。
「自」とは、真実の自己であり〝胸中の本尊〟である。
「灯明」即ち、よりどころとするとは〝信心〟である。

 三諦に訳せば、次の通りである。
「法」は、〝我らの眼前に御座します本尊〟で「仮諦」である。
「自」は、〝我らの胸中に御座します本尊〟で「中諦」である。
「灯明」は〝我らの信心に御座します本尊〟で「空諦」である。

 この御本尊は別個に存在するのではなく、互いに関連し合って本尊の力用が生ずる。そのときは、衆生の三諦は仏の三身と顕われ、三身即一身、一身即三身となる。

仮諦とは「色形」を捉えた「如是相」であり「応身如来」である。
空諦とは「心性」を捉えた「如是性」であり「報身如来」である。
中諦とは「身体」を捉えた「如是体」であり「法身如来」である。

 よって仏界湧現のカギが、空諦であるところの信心である。空諦であるゆえに常に有り、あるいは常に無いと言うものではない。日寛上人の観心本尊抄文段にいわく。
               ◇
 譬えば水なき池には月の移らざるが如し。若し刹那も信心あらば即ち一念三千の本尊を具す。故に『介爾(けに)も心有れば即ち三千を具す』と云うなり。譬えば水ある池には月便(すなわ)ち移るが如し。
(『日寛上人文段集』四六五㌻、『富士宗学要集』第四巻 二三二㌻)

 信心がなければ、本門の本尊を御安置しようとも、本尊の功徳は生じない。本尊を信受し、「信心の御本尊」(報身)が胸中に湧現して、はじめて「本門の本尊」(応身)と、「胸中の本尊」(法身)との三身が相即し、一身の本尊の体となるのである。
 ここで報身とは本来、智慧身を言うのであるが、「以信代慧(いしんだいえ)」をもって信心を体とする。「信心が無ければ御本尊も紙墨」とは、この原理を言うのである。
 しかしながら、御本尊と信心さえあれば、すなわち功徳が生じるのではない。謗法が混じれば、すべてが失われてしまうのである。
「登山して大御本尊にお目通りしなければ、家庭の御本尊を拝もうと功徳はない」との宗門の妄言は、歴代諸師が信徒に御本尊を書写し、授与してきた宗史をも否定する。 
 何よりも、大御本尊を誹謗した日顕が宰領する大石寺に登山することこそ、日顕の謗法に与同することとなる。

 曾谷殿御返事(一〇五六㌻)にいわく、
「何に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し、毒気深入(どっけじんにゅう)・失本心故(しつほんしんこ)は是なり」

 大御本尊を眼前に拝そうとも、日顕と宗門とを呵責しなければ、功徳はすべて消え去り、奈落に堕ち逝くこととなる。ゆえに我らは、本山には決して近づくことはない。

 主君耳入此法門免与同罪事(一一三三㌻)にいわく、
「法華経の御かたきをば大慈大悲の菩薩も供養すれば必ず無間地獄に堕つ」

(法華経の敵(かたき)を供養すれば、たとえ大慈大悲の菩薩であっても、必ず無間地獄に堕ちる)

 衆生身心御書(一五九五㌻)にいわく、
「まこと(誠)ならぬ事を供養すれば大悪とは・なれども善とならず」

(真実でない人を供養すれば大悪とはなっても善とはならない)
                           (了)
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:92」を破折する 連載133回

妄説:92 「信心の血脈なくんば法華経を持(たも)つとも無益なり」(生死一大事血脈抄・新編 515頁、全集 一三三八頁)

 〔御文証の解釈〕
 本宗の血脈については前項で述べたとおりです。
 末法の御本仏日蓮大聖人の御一念は「日蓮が魂」と仰せられた一大秘法の本門の本尊であり、この法体の相承に連なる信心の血脈がなければ、御本尊を受持しても利益はない。

 〔創価学会の解釈〕
○「観心の本尊」という本尊義からいえば、御本尊は「信心」があるところにしか存在せず、「信心」がなければ紙幅の御本尊はあっても「観心の本尊」はない。(聖教新聞 H五・九・一八 取意)

 〔創価学会の解釈に対する破折〕
 学会の解釈は御本尊そのものを否定する邪義です。
 日蓮正宗の教えは法体たる本門戒壇の大御本尊が根本です。日寛上人は「御本尊」について
「今安置(あんち)し奉る処の御本尊の全体・本有無作(ほんぬむさ)の一念三千の生身の仏なり。謹んで文字及び木画(もくえ)と謂(おも)うことなかれ」(富要 4-236頁)
と仰せです。
 学会の解釈は、御本尊中心の教義を信心中心に故意にねじ曲げようとする黒い作為(さくい)が見えます。
「観心」には二通りの意味があって、
 一は、四重興廃(しじゅうこうはい)でいう「観心の大教」のことです。四重興廃とは「爾前(にぜん)の大教興(おこ)れば外道廃(すた)れ、迹門の大教興れば爾前廃れ、本門の大教興れば迹門廃れ、観心の大教興れば本門廃れる」という仏法流布の順序のことです。日寛上人は『観心本尊抄文段』に
「十法界抄に四重の興廃を明かす。謂く、爾前・迹門・本門・観心なり。第四の観心とは永く通途(つうず)に異なり、正しく文底下種の法門を以て観心と名づくるなり」(富要 4-217頁)
と説かれております。すなわち文上本門に対して、文底下種の法門を、四重興廃の意義の上から、一応「観心」と称するのです。
 二には、「己心を観じて十法界を観(み)る」という修行の意味の「観心」です。日寛上人は
「但(ただ)本門の本尊を受持し、信心無二に南無妙法蓮華経と唱え奉る、是れを文底事行の一念三千の観心と名づくるなり」(富要 4-222頁)
と仰せられ、「本門の本尊を受持」することが末法の観心であると示されています。
「観心の本尊」というときの「観心」とは、まさしく二でいうところの修行に約した、御本尊受持の「観心」をいうのです。
 学会ではこの二つの「観心」の意味を故意に混同させて、文底の法門法体(仏)を個人(行者)の中に引き込もうとしているのです。
 これが、能化・所化、法体・修行を混乱し、戒壇の大御本尊を軽視する邪義であることは明白です。

破折:
1.〝御本尊も、御信心によりて発生する〟――堀日亨師

 宗門が「御本尊中心の教義」の依文として引用したのは、日寛上人の観心本尊抄文段の一節である。しかし本書に説かれる最肝要の御文は、次の箇所である。
              ◇
 次に観心は文に「此の三千・一念の心に在り」等というは、この一念三千の本尊は全く余処の外に在ること無し。但我等衆生の信心の中に在(いま)すが故に「此の三千・一念の心に在り」というなり。
 若し信心無くんば一念三千の本尊を具せず。故に「若し心無くんば而已(やみなん)」と云うなり。妙楽云く「取着の一念には三千を具せず」はこれなり。若し文上の熟脱に取着して文底下種の信心なくんば、何ぞこの本尊を具足すべけんや。
 譬えば水なき池には月の移らざるが如し。若し刹那も信心あらば即ち一念三千の本尊を具す。故に「介爾(けに)も心有れば即ち三千を具す」と云うなり。譬えば水ある池には月便(すなわ)ち移るが如し。
 宗祖の所謂(いわゆる)「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」とはこれなり。学者応に知るべし、若し理に拠って論ずれば法界に非ざるなし。今、事に就いて論ずれば信不信に依り、具不具則ち異なるなり。当体義抄の大旨、これを思い合すべし。
(『日寛上人文段集』四六五㌻、『富士宗学要集』第四巻 二三二㌻)

(次に観心の文で「此の三千、一念の心に在り」とは、この一念三千の御本尊がまったく余所にあることなく、ただわれら衆生の信心の中にあることを言うのである。
 もし信心がなければ一念三千の本尊を具することがない。ゆえに「もし心がなければ停止する」と言うのである。妙楽が「取着一念・不具三千」と説いているのはこれである。もし文上の熟脱の釈迦本尊に執着して文底下種の信心がないならば、どうして一念三千の本尊を具することができようか。
 たとえば水のない池には月の影がうつることがない。もしわずかでも信心があるならばたちまち一念三千の本尊を具するのである。ゆえに「微細の信心でもあれば、一念三千の本尊を我が一身に具することができる」と言うのである。池に少しばかりの水でもあればすなわち月の影をうつすのと同じことである。
 大聖人が「この御本尊もただ信心の二字におさまるのである」と言われるのはこのことである。学ぶ者は、まさに知るべきである。もし理によって論ずるならば法界にあらざるはなく、悉く三千の当体である。いま事について論ずるならば、信・不信によって具・不具が定まるのである。当体義抄の要旨を思い合せるべきである)

「信心」が無ければ「本尊を具せず」、御本尊も紙墨(しぼく)であることを誡(いまし)めておられ、信心こそ最肝要であると諭(さと)されるのである。
 同じく堀日亨師も次の通り指南した。

「人法体一の御本尊も、御信心によりて発生するのである」

 学会の御本尊への信心は、この日寛上人の法義、堀日亨師の指南に立脚している。宗門はそれを「信心中心に故意にねじ曲げ」たものと罵倒するか。日寛上人の真実義は〝信心根本〟にある。そのことを隠す宗門の曲論こそ、「黒い作為」ではないのか。
 信心を卑下する宗門が大御本尊を格護していようと、何らの功徳をも生じる道理はない。

2.法主自身が不信心者

 東京・八王子の平山広篤(広妙寺)が昭和六十一年六月十三日、御講で、日顕の不信謗法を暴露した。
「(日顕に)私が『信心してきて一番苦しんだことは何ですか?』と質問した。
 すると『なかなか御本尊を信ずることができなかったことだ。今でも本当に信ずることができないでいる』と仰せられた」 
 この平山の話を聞いた婦人は強い衝撃を受けて日記に記していた。
(『フェイク』第1058号)

 信心が無ければ、大御本尊と境地冥合できるわけがない。信徒の前ではどれだけ取り繕うと、腹では「御本尊を信じられない」日顕には、御本尊が真実の姿を顕わされることはない。法主が不信心者なのであれば、宗門に御本尊の功徳が生じないのは、当然である。
 
 生死一大事血脈抄(一三三八㌻)にいわく、
「信心の血脈なくんば法華経を持つとも無益なり」

 法華経とは御本尊である。まさしくこの御文は、宗門の体質を指摘されている。

3.観心とは「本尊を信ずる義」

 次の御文も、観心本尊抄文段にある。

「但本門の本尊を受持し、信心無二に南無妙法蓮華経と唱え奉る、是れを文底事行の一念三千の観心と名づくるなり」
(「富士宗学要集」第四巻 二二二頁)

(ただ本門の本尊を受持し、信心を唯一無二に南無妙法蓮華経と唱えたてまつる、これを文底事行の一念三千の観心と名づけるのである)

 宗門は「本門の本尊の受持」をもって、「御本尊中心の教義」の依処とする。だがこれも前項同様、日寛上人の御真意を伝える重要な箇所を伏せている。

「『観心』と言うは、我等衆生、本尊を信じ奉って南無妙法蓮華経と唱うる義なり。豈信力・行力に非ずや」
(『富士宗学要集』第四巻 二二八㌻)

(観心と言うのは、我ら衆生が本尊を信じたてまつり、南無妙法蓮華経と唱えることである。どうして信力・行力でないことがあろうか)

「受持」が〝形式における受持〟であれば、空虚(そらごと)である。受持とは「信受」でなければならない。
 すなわち「観心の本尊」の観心とは、〝信心における受持〟のことである。そうであってこそ「己心と仏心と一なり」との境地となる。
「修行に約した、御本尊受持の『観心』」などと、日顕宗はともかく、日寛上人は言われていない。天台の観心における修行は、像法時代の遺物である。末法における日蓮大聖人の観心の仏法は、信心にある。
 宗門の「修行」とは形式重視であり、〝内面の信心〟は片隅に置かれたままである。宗門はどこまで御抄を切り文にし、正師の御精神を踏みにじるのか。

4.本山炎上の現証

 宗門が「御本尊中心の教義」を言い立てるならば、その現証について論じたい。
 前回、昭和十八年七月六日に牧口会長と戸田理事長が逮捕され、これにあわてた宗門が、学会幹部を信徒除名とした経過を綴った。
 もとより、御書発刊停止、御書の字句削除、神札甘受、神宮遥拝等々、当局より先手を打ち、あるいは要請されるがまま、あらゆる謗法を重ねたおかげをもって、弾圧を避けてきた宗門である。ここで学会を厄介払いしたことで、当局の弾圧のタネは、ひとまず無くなった。
 さらには「法体たる本門戒壇の大御本尊」を格護しているゆえに、本山は大御本尊に守られ、安泰であったはずである。
 ところが昭和二十年六月十七日夜、大石寺大奥対面所の裏より出火した火災は、大奥対面所・管長室・大書院・六壺・客殿など五百余坪を焼失し、翌朝まで続く大火となった。
 この大石寺の火災により、鈴木日恭法主が焼死した。死亡したのは日恭一人だけで、しかも前日に静養先から大石寺に戻って大奥に泊まったばかりであった。偶然と断じられようか。
 宗門には「御本尊中心の教義」があり、しかも「法体たる本門戒壇の大御本尊」を格護する本山には、御加護があるはずである。そのはずが、堂宇伽藍は焼け落ち、法主は無残な焼死を遂げた。この姿のどこに「御本尊中心の教義」があると言うのか。

 教行証御書(一二七九㌻)にいわく、
「一切は現証には如かず善無畏・一行が横難横死・弘法・慈覚が死去の有様・実に正法の行者是くの如くに有るべく候や」

(一切は現証にすぎるものではない。善無畏の横死、一行の横難、弘法・慈覚が死去のありさまなどは、まことに正法の行者の姿とは思えない)

 宗門法主の横死は厳しい因果律の果報であり、大聖人への背信を物語って余りある。
                           (了)
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:91」を破折する(その二) 連載132回

妄説:91 「相構(あいかま)へ相構へて強盛の大信力を致して、南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ。生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ」(生死一大事血脈抄・新編 515頁、全集 一三三八頁)

 〔御文証の解釈〕
 返す返すも強盛の大信力を起こして南無妙法蓮華経と唱え、正念(しょうねん)の中に臨終を迎えられるように(臨終正念が後生善処(ごしょうぜんしょ)の因であるから)祈念せられるがよい。生死一大事の血脈は、大信力を起こして南無妙法蓮華経と唱える外(ほか)には全く得られないのである。

 〔創価学会の解釈〕
○大聖人の仏法における「血脈」は「信心の血脈」以外には全くありえない。これ以外の「血脈」を立てるならば、大聖人の仏法から逸脱(いつだつ)した邪教である。法主の「唯授一人血脈相承」も例外ではない。(聖教新聞 H五・九・一八 取意)

 〔創価学会の解釈に対する破折〕
 日蓮大聖人の仏法における血脈には、総じての「信心の血脈」と、別しての「法体の血脈」があります。
 学会がこの御文を引いて、血脈は信心の血脈以外にはないというのは、全くの邪義です。
「信心の血脈」について、『生死一大事血脈抄』の講義に、
「別しての法体の血脈を大前提として、総じての信心の血脈について述べられたものである」(学講 三〇上-五九頁)
とあり、さらには、同書に
「この総じての信心の血脈、すなわち、御本仏日蓮大聖人の御一身に流れる生死一大事の血脈は(中略)正法を信ぜず、謗(そし)った場合には(中略)この自身の内なる仏性の種子を断絶することになるから、生死一大事の血脈もまた断ち切ることになる」(同書三三頁)
と述べています。
 この「法体の血脈」が、日興上人以来、連綿(れんめん)として続いていることは、第二十六世日寛上人の『寿量品談義』に、
「目師(もくし)より代々今に於て、二十四代金口(こんく)の相承と申して一器の水を一器に写すが如く云云」(富要 10-131頁)
と仰せられております。
 第三十一世日因上人の書状にも
「日蓮聖人乃至日因に至るまで、三十一代累(るい)も乱れず相伝是れ也」
と仰せになっています。
 また戸田第二代会長は
「ただ日興上人お一人に、いっさいのものをお譲り渡しになっています。それが、堀米日淳六十五世猊下まで、血脈相承といって、われわれの御法主上人に、法水の容器は違うが、その内容は一滴ももらさずに伝えられてきているのです」(戸田城聖全集 二-三七頁)
と指導しています。
 このように、信心の血脈は、その前提として、必ず法体の血脈に基づく信心でなければ成り立つものでなく、法体の血脈を否定するならば、信心の血脈は断絶するのです。

破折:
6.学会の法難史

 戦後、堀日亨師に給仕した当時の所化(故・渡辺慈済師)の回顧である。
               ◇
(堀上人の)生前最後の刊行となったのは『(富士)宗学要集』第九巻だった。亡くなられる一か月前の三十二年十月十日の発刊である。
 この第九巻には法難史が載せられたが、堀上人は、戦時中、軍部政府から弾圧を受けた創価学会の事件を「昭和度の法難」として入れられた。ところが宗内には、学会の事件を法難史のなかに入れることには、反対があった。端的に言うなら、法難ではなくて、国の政策に反対したからそうなっただけだ、あるいは、経済事犯ではないかとか、金融の問題で捕まったのではないか、といったものである。もとよりそうした意見は全く真実ではなく、どうしても学会を認めたくないという頑(かたくな)な僧侶から出たものであった。
(「日蓮正宗〝落日の真因〟」渡辺慈済著 発行所:第三文明社)

 堀上人は横槍が入ったことに触れながら、「法難史に学会のことを入れるのは、あまり歓迎されなかった。反対もあった。しかし、私はそうではない。将来のために学会の法難は法難史に入れておかなければならない。今まであった法難のなかでも一番大きな法難ではないか! 縦にも横にも、内外にも、格段の相違がある。牧口君が殉教したということは、本当に大きな意味があるんだ。僧侶も及ばないことなんだよ」と、後世の鑑(かがみ)として学会の法難をとどめ置く意義を話された。
(同)

 第九巻には、学会の法難が二十ページにわたって書かれ、牧口会長以下二十一名が不当に逮捕され、獄中で不退の信仰を貫いた様子や、この事件がいかに不当な弾圧だったかを物語る元特高刑事の手記も載せられている。そして、戦後、この法難による壊滅的な打撃を乗り越え、戸田会長のもとで広宣流布に大前進する学会の姿を称え、堀上人は、「学会の復興も忽(たちま)ちに成り……仏法隆盛を極め法(ほう)益(やく)倍増、法滅の末法忽ちに変じて正法広布の淨界と成り広宣流布の大願成就近きに在り、悦ぶべし喜ぶべし」と記された。
(同)

7.牧口会長を讃えた諸師

 学会に期待し、擁護し抜いた二人の歴代法主が、牧口会長に賛辞を送った。真金の人を見抜くのは、やはり真金の人である。

(1) 堀日享法主の賛辞

 昭和二十一年十一月十七日、牧口会長の三回忌法要の席上、五十九世堀日享法主(退座後)は、次の言葉をもって牧口会長を称賛し、追悼した。
               ◇
 宗祖日蓮大聖人の御一生は、大慈悲をもって、この大良薬、大諫言を敢然として言い出されたのであります。
 今、牧口会長は、信者の身でありながら、通俗の僧分にも超越して、国家社会の為、大慈悲心を奮い起こして、釈迦仏の遺訓、章安大師の論釈、宗祖日蓮大聖人の御意を体して、上下に憚りなく、折伏大慈の手を緩めず、為に有司に誤解せられ、遂には、尊い大法に殉死なされたのであります。何時の時代であっても、偽りの心を捨て、真の愛情を以て世人に接すると、却って、憎まれ怨れるのであります……。
 何卒、諸氏は、牧口会長の心中を、よくよく推察して、国家の為、社会の為、広宣流布を目標に大いに敢闘せられ、相共に、名声を、仏宝の聖海に、流されんことを切望いたします。

(2)堀米日淳法主の賛辞

 昭和二十二年の創価学会第二回総会に出席した六十五世堀米日淳法主(登座前)は、牧口会長を次の通り讃嘆した。
               ◇
 牧口先生は、非常に慈悲の深い方でありましたが、此のことは先生が、日蓮聖人の御書に、涅槃経の文をお引きなされた「慈無くして詐はり親しむは、是れ彼れが、怨なり」といふ点を常に、口にせられたが此れは先生が、自らの境地を短的に表現するものにして余ほど感じて居られたやうでありました。
 それで先生は、初めて会はれた人に対しても、そこに少しの隔りもおかず慈悲平等の上に接せられるといふ風でありました。そうしてまた、先生の周囲の人達が日々持ち込む種々の問題も深い思ひやりから吾が事の様に、考へて何かと面倒を見ると云ふ風であったと思ひます。しかしかういった、反面にまた非常に、物事に厳格な気質を持って居られて、何事によらず、厳格に、判断し厳格に処理をするといふ行き方をせられたと思ひます。
 常に、真実を追究してやまないそうして真なることを、基調として一切を感ずるといふ 先生は、非常な慈悲心と厳格さとを以て他に対せられたが、此のことが、一方に敵をつくり他方に味力が、あるといふことになったと思ひます。
 此れは、結局先生の基調とする真実なるものを、理解するかしないかによって、起って来たものと考へることができると思ひます。
 かように、先生のことを考へて来ますと、先生が生来全く法華的の方であったと思ふのであります。もとより、一口に法華的といってもそこには二様あります。
 真実の上に立ち、慈悲心を以て、一切を、包みながらしかも、身口意の三業に於て厳格に行動をするか或はある程度妥協的でゆくかでありますが、先生は前者であったと思ひます、乃ち本門的であったと思ひます。
(昭和二十二年十月十九日 東京教育会館 創価学会第二回総会 『日淳上人全集』所収)

 牧口先生の折伏のことでありますが、折伏といへば先生、先生と言へば折伏のことと、ことほどさように、先生と、折伏とは、重要なものでありますが、これはいふ迄もなく深く大きな慈悲心を持たれた先生が、思ひやりの止むに止まれぬ心からの救済の現れでしかも真実に、而も忠実でありなほかつあの厳格が、折伏の形をとられたのであります。「彼が為に悪を除くは此れ彼が親なり」この文は先生が、信条とせられたところであります。価値に於て行動の世界を直視せられつつあつた先生は、一にも二にも実行で、理念的なものは、聞いても居られないといふ風にいらだたしさを感ぜられたようでありましたが、この本質のうちからあの折伏の行が、発露せられたのだと私は考へて居ます。
 もとより、妙法の信に住せられた先生が、日蓮聖人の折伏の行範を追はれたのはいふまでもありませんが、しかしそれは、追はれたといふより先生の生来の行き方が、妙法により開顕され点眼されたといふのが当つてをると思ひます。
(同)

 私は先生が、法華によつて初めて一変された先生でなく、生来仏の使であられた先生が、法華によつて開顕し、その面目を発揚なされたのだと、深く考へさせられるのであります。そうして先生の姿にいひしれぬ尊厳さを感ずるものであります。先生には味方もありましたが、敵も多かつたのであります。あの荊の道を厳然と戦いぬかれた気魄、真正なるものへの忠実、私は自ら合掌せざるを得なくなります。
(同)

「信者の身でありながら、通俗の僧分にも超越し」(堀日亨法主)、「生来仏の使であられた」(堀米日淳法主)と牧口会長の事績を賛嘆し、「尊い大法に殉死なされた」(堀日亨法主)と追悼したのである。
 大聖人の仏法を最後まで守った人こそ、信者の鑑と言えよう。だが渡辺慈済師の回顧にある堀日亨師の言葉にある通り、大多数の僧侶は教団維持こそ第一で、牧口会長以下の学会幹部が神札受容を拒否したことは、軍部政権下にあった宗門の立場を危うくするものと受け止めていた。
 当時もまた今日でも、宗門は謗法に染まりきっている。我らは大聖人の仏法を破壊する輩への、呵責の手を緩めない。
                           (了)
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:91」を破折する(その一) 連載131回

妄説:91 「相構(あいかま)へ相構へて強盛の大信力を致して、南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給へ。生死一大事の血脈此れより外に全く求むることなかれ」(生死一大事血脈抄・新編 515頁、全集 一三三八頁)

 〔御文証の解釈〕
 返す返すも強盛の大信力を起こして南無妙法蓮華経と唱え、正念(しょうねん)の中に臨終を迎えられるように(臨終正念が後生善処(ごしょうぜんしょ)の因であるから)祈念せられるがよい。生死一大事の血脈は、大信力を起こして南無妙法蓮華経と唱える外(ほか)には全く得られないのである。

 〔創価学会の解釈〕
○大聖人の仏法における「血脈」は「信心の血脈」以外には全くありえない。これ以外の「血脈」を立てるならば、大聖人の仏法から逸脱(いつだつ)した邪教である。法主の「唯授一人血脈相承」も例外ではない。(聖教新聞 H五・九・一八 取意)

 〔創価学会の解釈に対する破折〕
 日蓮大聖人の仏法における血脈には、総じての「信心の血脈」と、別しての「法体の血脈」があります。
 学会がこの御文を引いて、血脈は信心の血脈以外にはないというのは、全くの邪義です。
「信心の血脈」について、『生死一大事血脈抄』の講義に、
「別しての法体の血脈を大前提として、総じての信心の血脈について述べられたものである」(学講 三〇上-五九頁)
とあり、さらには、同書に
「この総じての信心の血脈、すなわち、御本仏日蓮大聖人の御一身に流れる生死一大事の血脈は(中略)正法を信ぜず、謗(そし)った場合には(中略)この自身の内なる仏性の種子を断絶することになるから、生死一大事の血脈もまた断ち切ることになる」(同書三三頁)
と述べています。
 この「法体の血脈」が、日興上人以来、連綿(れんめん)として続いていることは、第二十六世日寛上人の『寿量品談義』に、
「目師(もくし)より代々今に於て、二十四代金口(こんく)の相承と申して一器の水を一器に写すが如く云云」(富要 10-131頁)
と仰せられております。
 第三十一世日因上人の書状にも
「日蓮聖人乃至日因に至るまで、三十一代累(るい)も乱れず相伝是れ也」
と仰せになっています。
 また戸田第二代会長は
「ただ日興上人お一人に、いっさいのものをお譲り渡しになっています。それが、堀米日淳六十五世猊下まで、血脈相承といって、われわれの御法主上人に、法水の容器は違うが、その内容は一滴ももらさずに伝えられてきているのです」(戸田城聖全集 二-三七頁)
と指導しています。
 このように、信心の血脈は、その前提として、必ず法体の血脈に基づく信心でなければ成り立つものでなく、法体の血脈を否定するならば、信心の血脈は断絶するのです。

破折:
1. 日顕宗の〝能書き〟は「そらごと」(虚言)

「日蓮大聖人の仏法における血脈には、総じての『信心の血脈』と、別しての『法体の血脈』があります」とは、〝法主信仰〟の「そらごと」(虚言)である。
「信心の血脈」とは大聖人が重書『生死一大事血脈抄』において説かれるのに対し、宗門の言う「法体の血脈」とは五十六世日応の自作の語である。宗門は日応が述べる本来の意味から逸脱し、法主信仰の根拠に擬して恣意的に用いているのである。
 本項で宗門が列挙した「金口(こんく)の相承」(二十六世日寛上人)、「相伝」(三十一世日因)、「血脈相承」(戸田会長)の各語は、〝法門の伝持〟を言う語である。
 だが真に「伝持」すべきことは、〝大聖人の御意(おこころ)〟の伝持を言うのであり、「相承書」の類を受け継ぐことではない。相承書の内容はすべて堀日亨師が公開し、学会の出版事業によって学会員が広く学習するところとなっている。
 大聖人の御意、それこそは仏法を厳護する不退の信心であり、勇猛心である。

 兵衛志殿御返事(一〇九一㌻)にいわく、
「必ず三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退くこれなり」

(必ず三障四魔という障害が出て来るので、賢者は喜び、愚者はひるんで退くのです)

 宗門が信心を失い、大聖人の後継の資格を失って久しい。〝大聖人の御意〟は学会の三代にわたる各会長の死身弘法の振舞いを通して、今日に引き継がれている。
「法体の血脈を否定するならば、信心の血脈は断絶するのです」とあるに至っては、〝文証〟を一つでも良いから挙げて見よ、と笑いをこらえて言うしかない。
 ここまで愚かな宗門には、次の御文を送る。

 三三蔵祈雨事(一四七〇㌻)にいわく、
「第一の大妄語には弘法大師の自筆に云く、『弘仁九年の春疫れいをいのりてありしかば夜中に日いでたり』と云云、かかるそらごとをいう人なり」

(第一の大妄語として弘法大師の自筆の書に「弘仁九年の春、疫病を払う祈禱をしたところが、夜中に太陽が出た」とある。このような虚言をいう人である)

 日顕宗の〝能書き〟は弘法と同じく「そらごと」(虚言)である。

2.〝法体の血脈〟は法主の専有物ではない

 日顕宗の主張は、聖教新聞紙上で完全に破折されている。
              ◇
 宗門の一部では、法主が御本尊の権能を独占する根拠として、「法体の血脈」なるものが法主のみに「唯授一人(ゆいじゅいちにん)」の形で伝わると説いているが、一切衆生の成仏の血脈を説かれた大聖人の法義から見れば明らかな邪義であり、速(すみ)やかに訂正すべきである。
 すなわち「法体の血脈」という時、日応上人が「別付(べっぷ)の法体とは則ち吾山(ござん)に秘蔵する本門戒壇の大御本尊是なり」(『弁惑<べんわく>観心抄』二一二ページ)と述べるがごとく、「法体」とは大御本尊のことである。であるならば、日寛上人が『当体義抄文段』に「法の本尊を証得(しょうとく)して、我が身全く本門戒壇の本尊と顕(あらわ)るるなり(中略)題目の力用に由るなり」(『日寛上人文段集』六八三ページ)と示される通り、大聖人の仏法においては「題目の力用」によって、誰人も等しく「法体」の大御本尊を証得し、その時には「我が身全く本門戒壇の本尊と顕るる」のである。全ての門下僧俗は法主も含め、ただ信心唱題によってのみ「法体の血脈」を受けるのであって、決して法主一人に「法体」が伝わるわけではない。「法体」すなわち「本尊」は法主の専有物ではなく、「信心」のあるところ、全民衆に開かれているのである。
 結論として、大聖人の仏法の法義の上から、法主だけが御本尊の権能を独占する根拠はどこにもなく、大聖人からの「信心の血脈」を受け継ぐ創価学会の御本尊授与は、全く仏法の道理に適(かな)った正当な行為である。      
(「創価学会の御本尊授与に関する法門上の見解」日蓮正宗・青年僧侶改革同盟 『聖教新聞』1993年9月20日)
     
3.宗門での法体の血脈は〝謗法の系譜〟

「信心の血脈」を受け継ぐ者こそ、「大聖人の御意(おこころ)」を受け継ぐ者であり、創価学会である。本項では、牧口会長の殉難の事績をもって、上記の事実を証明する。
 日本が後戻りできない絶望的な戦争へと進んでいた頃、国家神道を強制していた軍部政府の監視は、宗門・学会を含むすべての宗教界に及んでいた。
 だがこの国には、王法によってその信念を曲げることのできなかった仏法の先覚者がいた。日蓮大聖人である。

 如説修行抄(五〇四㌻)にいわく、
「哀なるかな今・日本国の万民・日蓮並びに弟子檀那等が三類の強敵に責められ大苦に値うを見て悦んで笑ふとも昨日は人の上・今日は身の上なれば日蓮並びに弟子・檀那共に霜露の命の日影を待つ計りぞかし、只今仏果に叶いて寂光の本土に居住して自受法楽せん時、汝等が阿鼻大城の底に沈みて大苦に値わん時我等何計無慚と思はんずらん、汝等何計うらやましく思はんずらん、一期を過ぐる事程も無ければいかに強敵重なるとも・ゆめゆめ退する心なかれ恐るる心なかれ」

(哀れなことかな、今日本国のあらゆる人々が、日蓮と弟子檀那等が三類の強敵に責められ、大苦にあっている有様を見て、悦こんで嘲笑していようとも、昨日は人の上、今日はわが身の上とは世の常の習いである。いま日蓮ならびに弟子檀那が受けているこの苦しみも、ちょうど霜や露が、朝の太陽にあって消えてしまうように、わずかの間の辛抱ではないか。そしてついに仏果に叶って、寂光の本土に住んで自受法楽する時に、今度は反対に、今まで笑ってきた謗法の者が、阿鼻地獄の底に沈んで大苦にあうのである。そのとき、われわれはその姿をどんなにかわいそうに思うことだろう。また彼らはわれわれをどんなにかうらやましく思うことだろう)

 この御文はまさしく、過酷な弾圧下にあった学会信者が置かれた状況に重ね合う。
 大聖人は節を曲げることなく流罪・死罪に及ばれた。だが大聖人は一歩も引かれず、確信をもって弟子檀那に不退の信念を説かれる。遂に仏果の叶うところ、発迹顕本をされ、御本仏の境涯を開かれた。
 大聖人は、我ら弟子に「難を乗り越える信心」を身を以て教えられたのである。だが、宗門の心は「難を避ける信心」であった。どこまでも軍部にへつらい、大聖人の正義を破壊していったのである。
 宗門側の言い訳は、次の通り。

「頑強に神札受諾を拒否すれば、日亨上人、日恭上人の投獄・獄死の危険があり、血脈断絶の危機に及ぶ。また大石寺が身延の支配下に入れば、戒壇の大御本尊が身延の支配下に置かれることになる。戒壇の大御本尊を他宗の支配下に置き、血脈断絶に至る以上の大謗法が、ほかにあろうか(趣意)」
(「時局協議会文書」)

 大聖人が死身弘法の御振舞に及ばれた事績を、末代の法主は何と受け止めるべきであったか。僧俗に範を垂れ、自ら国家諫暁に立つ秋(とき)であった。それを「法体の血脈を護持する」との美名のもとに、難から逃れ大聖人の仏法を腐(くた)すとは。
「法体の血脈」の維持、つまりは「法主の安泰」のためならば、〝神札受諾〟の謗法など物の数ではない、と言わんばかりである。
 確かにそれは、〝御書発刊停止〟〝御書の字句削除〟〝神宮遥拝〟等々、宗門が犯した数々の謗法の一部である。「毒食わば皿までも」と、謗法の限りを尽くしてきたのが、宗門の〝自己保身〟の姿であった。
 宗門の言う「法体の血脈」とは、六十世阿部日開、六十一世水谷日隆、六十二世鈴木日恭等が犯してきた「謗法の系譜」であった、と納得するのである。

4.国家諫暁

 日蓮大聖人が国家諫暁に及ばれたのは、いかなる時であったか。

 立正安国論(一七㌻)にいわく、
「世(よ)皆(みな)正(しょう)に背き、人悉(ことごと)く悪に帰す。故に善神は国を捨てて相去り、聖人(しょうにん)は所を辞して還りたまわず。是(こ)れを以て魔来(きた)り鬼(き)来り、災(さい)起り難起る。言わずんばある可(べ)からず。恐れずんばある可からず」

(世の中は上下万民あげて正法に背き、人びとは皆悪法に帰している。それゆえ、守護すべき善神はことごとく国を捨てて去ってしまい、聖人は所を辞して他の所へ行ったまま帰って来ない。ために善神、聖人にかわって、魔神、鬼神が来、災いが起こり、難が起こるのである。実にこの事は、声を大にして言わなければならないことであり、恐れなくてはならないことである)

 その「声を大にして言わなければならない」時が到来したからこそ、大聖人は国家諫暁に及ばれたのであり、牧口会長は大聖人に続いたのである。

 立正安国論(三一㌻)にいわく、
「帝王は国家を基として天下を治め人臣は田園を領して世上を保つ、而(しか)るに他方の賊来って其の国を侵逼(しんぴつ)し、自界叛逆(じかいほんぎゃく)して其の地を掠領(りゃくりょう)せば、豈(あに)驚かざらんや、豈騒がざらんや。国を失い家を滅せば、何(いず)れの所にか世を遁(のが)れん。汝須(すべから)く一身の安堵(あんど)を思わば、先ず四表(しひょう)の静謐(せいひつ)を祷(いの)らん者か」

(帝王・国家の指導者は、国家を基盤として天下を治め、人々は田園を領し、生産に励み、生活を支え社会を支えていけるのである。しかるに他方の賊が来て国を侵略し、自国内で叛乱が起きて、その土地を略奪されるならば、どうして驚かないでいられようか。騒がないでいられようか。必ず大混乱を引き起こすであろう。国土を失い国が亡びてしまったならは、一体どこへのがれて行けるであろう。あなたが是非とも一身の安堵を願うならば、まず一国の静穏・平和を祈るべきである)

 日蓮大聖人が立正安国論に記された「国」の字は、「囗」(くにがまえ)に「民」(たみ)。この活字は辞書(『漢字源』学研)に存在しない、大聖人御使用の文字である。普通は「くにがまえ」の中に「玉」(ぎょく)すなわち天子がいる。しかし大聖人は、民衆を基にしてこそ国があるとのお考えであった。その民が兵火に焼かれ、塗炭の苦しみに喘ぐことがあってはならない、それを説かれた御文である。
「先ず四表の静謐(せいひつ)を祷(いの)らん」ために、国家に「言わずんばある可(べ)からず」と、宗教の正邪を説かれたのである。
 ところが、「一身の安堵」を願った者は、大聖人の法孫であるはずの宗門であった。昭和十八年六月、宗門は軍部政府の弾圧を恐れ、牧口会長ら幹部を大石寺へ呼び、会員に神札を受けさせるよう指南した。
 牧口会長は宗門からの神札甘受を粛然と拒否した。そして同年七月六日、牧口常三郎会長、戸田城外理事長は、治安維持法違反、不敬罪で逮捕され、東京拘置所内の人となった。これにあわてた宗門は、急きょ学会幹部を信徒除名とした。大聖人の正義を貫いた人を切り捨てたのである。

「この時は御宗門の素早い対処により、未然に宗門本体への危難を避けることができた」

 この冷徹な言葉通り、宗門は保身を第一としていたのであり、大聖人と同意することなど更々考えるはずもなかった。この宗門の姿勢を、堀日亨師は次のように非難している。

「薄信(はくしん)臆病(おくびょう)にして、成るべく法難を招かぬ様に……非日蓮的に行動する人あらば、それは頗(すこぶ)る大聖人の御本意に遠ざかる魔事怯業(まじきょうごう)である」

 大聖人を信じられず法主を信じ、臆病に徹した宗門は、「仏事」ではなく「魔事」を行なっていたのである。宗門のこの「卑怯」の心根は、今も変わらない。

5.護法に殉じた牧口会長

 牧口会長は獄中にあって、大聖人の正義のために戦っていた。検事の取り調べに対し、毅然として大聖人の仏法の正しさを主張し、国家を諫暁した。それはまさしく、護法に殉ずる姿であった。
 神札等の謗法払についての予審判事の尋問に対し、牧口会長はこう述べている。
               ◇
 天照皇太神宮の大麻は、最近殆ど何れの家庭でも奉斎して居りますから、一番取払ひの対象になって居ります。取払い撤去の趣旨はそれ等のものを各自が家庭内に奉斎して信仰の対象と為す事は御本尊の信仰を雑乱する事になり、謗法になります。
(「予審尋問調書」特別高等警察の資料『特高月報』昭和十八年八月分)

 また、「法華経の真理から見れば日本国家も濁悪末法の社会なりや」との検事の尋問には、次の通り答えている。
               ◇
 国には内乱・革命・饑饉・疫病等の災禍が起きて滅亡するに至るであろうと仰せられてあります。
 斯様な事実は過去の歴史に依つても、夫れに近い国難が到来して居ります。現在の日支事変や大東亜戦争等にしても其の原因は矢張り謗法国である処から起きて居ると思ひます。  
(同)

 戦争が「聖戦」の美名の下に行われた当時、それを「災禍」と称することは、命を捨てる覚悟がなくてはできない。
 昭和十九年十一月十八日の前夜、牧口会長は下着を着替え、足袋をはきかえて威儀をただし、独居房より自ら歩いて病監に移った。途中、足がもつれて房舎の廊下に倒れた牧口会長に、獄吏が手を差し伸べたが、自力で立ち病監まで歩いたという。牧口会長は、病床につくとすぐに昏睡状態となり、翌朝に亡くなったと伝えられる。
 牧口会長が死身弘法の生涯を閉じた時、満七十三歳であった。大聖人の御意は、宗門においては謗法によってかき消され、ただ一人、牧口会長の護法の姿を通して、今日に〝伝持〟されているのである。
 牧口会長の遺訓を受け継ぎ、今日の創価学会の基を築いたのが戸田理事長であり、その薫陶を受けた池田参謀室長(現・名誉会長)であった。
 学会員が〝大聖人の直弟子〟である誉れは、ひとえに牧口会長が〝大聖人と同意〟した精神を原点とするところにある。
 我らは二代・三代の会長が初代会長の真実を証明し、顕彰するたびごとに、我らの地涌の意義を自覚するのである。
                          (続く)
 

プロフィール

Author:墨田ツリー

 
 
 

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