日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:72」を破折する(その二) 連載103回
妄説:72 創価学会の『ニセ御本尊』は、日寛上人の享保五年六月十三日御書写の御本尊に書かれていた「下野国小薬邑本如山浄圓寺大行阿闍梨本證坊日證授与之」という「授与書き」を抹消していますが、このような変造は許されることなのでしょうか。
絶対に許されることではありません。
この御本尊は、日寛上人が本證坊個人に授与されたものですが、これを後の住職が御法主上人の許可もなく他人に提供したり、第三者が勝手に変造し、授与することなど、絶対にあってはならないことです。
もしそういうことが許されるならば、常住御本尊を下付された信徒は、誰でも勝手に変造し、複製してもよいことになります。
日興上人は『富士一跡門徒存知事』に
「誠に凡筆を以て直に聖筆を黷(けが)す事最も其の恐れ有り」(新編 1872頁)
と示され、大聖人の御本尊の散失を防ぐためとはいえ、日興上人御自身が「授与書き」を書き加えることすら、「聖筆を黷す恐れあり」と自戒されているのです。
それを相承なき輩(やから)が、勝手に「授与書き」を削除し、不特定多数の者へ配布することは、日寛上人の御心を踏みにじる行為になるのは当然です。
「授与書き」について同抄に
「賜はる所の本主の交名(きょうみょう)を書き付くるは後代の高名の為なり」(新編 1872)
とあるように、御歴代上人が書き付けられる「授与書き」には甚深の意義があるのですから、これを法主上人の許可もなく勝手に削り取ることは絶対に許されないのです。
破折:
4.御供養の見返りであった御本尊
日興上人が「賜はる所の本主の交名(きょうみょう)を書き付く」とされたのは、授与された人が御本尊を大切にし、決して不敬しないようにとの、ご配慮であった。
それでは宗門や法華講は、その大切な御本尊を、どのように扱ってきたか。
日興上人より時代が下り、学会が登場するまでの近世・近代に至っては、宗門も檀家も、まったく折伏をしなくなっていた。だから御本尊授与の意味も変わっていった。
故・渡辺慈済師は、檀家の実態を次の通り綴った。
◇
当時の大石寺檀家の信心の実態はというと、朝夕の勤行をする家はほとんどなく、謗法まみれの状態だった。皆、お経は読めないし、他宗の檀家と同じように、拝むのは坊さんで、自分たちは手を合わせるだけ。しかも、御本尊も仏像も神札も祀っているという家が多かった。謗法厳誡など、まったくなかったのである。
しかし、檀家をこうした状態にしてしまったのも、塔中住職の責任であった。というのも、法事や棚経で檀家を訪ねても、「謗法は厳誡ですよ」「謗法払いをしなければなりませんよ」と、信心の指導をきちんとしてこなかったし、文句を言って檀家の機嫌を損ねるより、御供養をもらうために、謗法には目を瞑(つぶ)ってきたというのが実際のところだったからである。
これ自体、宗旨を弁(わきま)え、法義を学んだ住職としては怠慢であり、恥ずべき問題だったが、さらに重大なことは、御本尊をご供養集めに使っていたことである。本来、御本尊は信仰の根本であり、拝むためにあるが、いつの間にか大石寺では、賞与御本尊を謝礼として出すからご供養をするように呼び掛けるようになっていた。(中略)
ところが、大石寺では賞与御本尊を乱発し、この結果、檀家では一軒で十体も二十体も御本尊を持つようになり、御本尊を単なる宝物としてしか扱わなくなっていた。
これでは、檀家が正しく信仰できるはずがなく、根本の御本尊の取り扱いがいい加減なのだから、謗法まみれになるのも当然であった。
(『日蓮正宗〝落日の真因〟』渡辺慈済著 発行所:第三文明社)
これらは日興上人が望まれた、御本尊のあるべき姿であろうか。御本尊が御供養の見返りとされ、それが一軒で何体も「死蔵」されるのは、御本尊への「不敬」とも言えよう。まして仏像や神札と一緒に祀られていては、身延あたりの〝本尊雑乱〟と同じ姿ではないか。
次に「不特定多数の者へ配布する」とは、学会が「不特定多数の顧客に販売」していると言うのか。
身延などの日蓮宗の曼荼羅なら、土産物店で何時でも購入可能であり、あるいはインターネットで表具店に申し込める。恐らく宗門は普段親しい身延を連想して言うのであろう。学会のいない宗門と身延とは〝仲の良い邪宗同志〟、共通の発想をするはずである。
5.笑止な日顕宗の難癖
① 日顕宗のいい加減な御本尊の「脇書き」列挙
追い詰められた日顕宗の、悪あがきのもう一つの手口は、「学会授与の御本尊は、〈示し書き〉を削った変造である」という言い掛かりだ。
日顕宗が「示し書き」といっているのは、御本尊の余白部分の「授与之」などの授与者の名前のこと。これと「現当二世」などを総称して「脇書き」「添え書き」というのである。
大聖人御真筆の御本尊の脇に僧俗の名を書き付けたことについて、日興上人は「所賜の本主の交名を書き付くるは後代の高名の為なり」と仰せだ。また、堀日亨上人も「本尊の脇書の受者の姓名交名は、後世において広布の元勲として衆多に護法の高名を尊称せらるべき用意」と説かれているように、脇書きの授与者の名前は、本来、信心を貫いた門下の証としての意味。
その人の信心を範として後世に称賛しようというものなのである。その脇書き(示し書き)と御本尊の力用とは、関係ないのである。
(『創価新報』1993.11.03)
② 削損された脇書き
日顕宗では、どうしても学会の御本尊授与に難癖がつけたくて、脇書きが〝御本尊の御本体に列する〟重要なものであると必死になって強弁している。
しかし、それほど脇書きが大事だといっているのに、宗門の古刹寺院には、「脇書き」が、故意にか自然にか、削損された御本尊が実に多い。
宗門発行の雑誌「蓮華」に掲載されている常泉寺の寺宝目録によると、日興上人の御真筆御本尊のうち、「嘉元四年三月一日」「徳治三年十月九日」「正和三年十月十三日」付の三体の御本尊の授与書きが、「削損不明」となっている。
また、日有上人の「文明五年十二月廿九日」付の御本尊の脇書きは「切損不明」、切れて分からなくなっているのである。このような例はほかにも多数ある。
〝御本尊の御本体に列する〟ほど重要な脇書きが、このようにぞんざいに扱われてきたことを、日顕宗はどう説明するのか。
(同)
③ 軍国主義宣揚の脇書き
また、歴史上どう考えても、御本尊の本体に〝列する〟とは考えられない実例もある。日顕宗は、これらの脇書きも、御本尊の本体に〝列する〟というのだろうか。
明治時代、東京・品川の妙光寺は、日露戦争に出征する兵士のために、日応上人の御形木御本尊を下付していた。
その御本尊の脇書きは
「皇威宣揚征露戦勝之攸」つまり、ロシアを征服して日露戦争に勝つ、という意味である。この脇書きをも、御本尊の本体に〝列する〟というのか。世界広布の時代に、ましてロシアの人々がこの御本尊を拝めるだろうか。これなど、まさに、「一閻浮提総与」の意義を冒とくする脇書きというほかにない。
また、近代では、明らかに皇国思想の影響を受けている脇書きもある。
日正、日開両法主が認(したた)めた脇書きには、「御即位御大礼紀念」というものもある。
これは天皇の即位を祝うものだが、天皇の仏法への帰依を願うとしても、こんな脇書きの御本尊を信徒に拝ませていいのだろうか。この脇書きも、御本尊の本体に〝列する〟というのか。
このように、宗門の、脇書きは〝御本尊の御本体に列する〟重要なものであるという言い掛かりは、所詮、根拠のない暴論でしかない。ゆえに日顕宗が、御形木御本尊を「変造」などということは、宗門の伝統化儀の否定であり、大謗法であることは明白である。
(同)
(了)
妄説:72 創価学会の『ニセ御本尊』は、日寛上人の享保五年六月十三日御書写の御本尊に書かれていた「下野国小薬邑本如山浄圓寺大行阿闍梨本證坊日證授与之」という「授与書き」を抹消していますが、このような変造は許されることなのでしょうか。
絶対に許されることではありません。
この御本尊は、日寛上人が本證坊個人に授与されたものですが、これを後の住職が御法主上人の許可もなく他人に提供したり、第三者が勝手に変造し、授与することなど、絶対にあってはならないことです。
もしそういうことが許されるならば、常住御本尊を下付された信徒は、誰でも勝手に変造し、複製してもよいことになります。
日興上人は『富士一跡門徒存知事』に
「誠に凡筆を以て直に聖筆を黷(けが)す事最も其の恐れ有り」(新編 1872頁)
と示され、大聖人の御本尊の散失を防ぐためとはいえ、日興上人御自身が「授与書き」を書き加えることすら、「聖筆を黷す恐れあり」と自戒されているのです。
それを相承なき輩(やから)が、勝手に「授与書き」を削除し、不特定多数の者へ配布することは、日寛上人の御心を踏みにじる行為になるのは当然です。
「授与書き」について同抄に
「賜はる所の本主の交名(きょうみょう)を書き付くるは後代の高名の為なり」(新編 1872)
とあるように、御歴代上人が書き付けられる「授与書き」には甚深の意義があるのですから、これを法主上人の許可もなく勝手に削り取ることは絶対に許されないのです。
破折:
4.御供養の見返りであった御本尊
日興上人が「賜はる所の本主の交名(きょうみょう)を書き付く」とされたのは、授与された人が御本尊を大切にし、決して不敬しないようにとの、ご配慮であった。
それでは宗門や法華講は、その大切な御本尊を、どのように扱ってきたか。
日興上人より時代が下り、学会が登場するまでの近世・近代に至っては、宗門も檀家も、まったく折伏をしなくなっていた。だから御本尊授与の意味も変わっていった。
故・渡辺慈済師は、檀家の実態を次の通り綴った。
◇
当時の大石寺檀家の信心の実態はというと、朝夕の勤行をする家はほとんどなく、謗法まみれの状態だった。皆、お経は読めないし、他宗の檀家と同じように、拝むのは坊さんで、自分たちは手を合わせるだけ。しかも、御本尊も仏像も神札も祀っているという家が多かった。謗法厳誡など、まったくなかったのである。
しかし、檀家をこうした状態にしてしまったのも、塔中住職の責任であった。というのも、法事や棚経で檀家を訪ねても、「謗法は厳誡ですよ」「謗法払いをしなければなりませんよ」と、信心の指導をきちんとしてこなかったし、文句を言って檀家の機嫌を損ねるより、御供養をもらうために、謗法には目を瞑(つぶ)ってきたというのが実際のところだったからである。
これ自体、宗旨を弁(わきま)え、法義を学んだ住職としては怠慢であり、恥ずべき問題だったが、さらに重大なことは、御本尊をご供養集めに使っていたことである。本来、御本尊は信仰の根本であり、拝むためにあるが、いつの間にか大石寺では、賞与御本尊を謝礼として出すからご供養をするように呼び掛けるようになっていた。(中略)
ところが、大石寺では賞与御本尊を乱発し、この結果、檀家では一軒で十体も二十体も御本尊を持つようになり、御本尊を単なる宝物としてしか扱わなくなっていた。
これでは、檀家が正しく信仰できるはずがなく、根本の御本尊の取り扱いがいい加減なのだから、謗法まみれになるのも当然であった。
(『日蓮正宗〝落日の真因〟』渡辺慈済著 発行所:第三文明社)
これらは日興上人が望まれた、御本尊のあるべき姿であろうか。御本尊が御供養の見返りとされ、それが一軒で何体も「死蔵」されるのは、御本尊への「不敬」とも言えよう。まして仏像や神札と一緒に祀られていては、身延あたりの〝本尊雑乱〟と同じ姿ではないか。
次に「不特定多数の者へ配布する」とは、学会が「不特定多数の顧客に販売」していると言うのか。
身延などの日蓮宗の曼荼羅なら、土産物店で何時でも購入可能であり、あるいはインターネットで表具店に申し込める。恐らく宗門は普段親しい身延を連想して言うのであろう。学会のいない宗門と身延とは〝仲の良い邪宗同志〟、共通の発想をするはずである。
5.笑止な日顕宗の難癖
① 日顕宗のいい加減な御本尊の「脇書き」列挙
追い詰められた日顕宗の、悪あがきのもう一つの手口は、「学会授与の御本尊は、〈示し書き〉を削った変造である」という言い掛かりだ。
日顕宗が「示し書き」といっているのは、御本尊の余白部分の「授与之」などの授与者の名前のこと。これと「現当二世」などを総称して「脇書き」「添え書き」というのである。
大聖人御真筆の御本尊の脇に僧俗の名を書き付けたことについて、日興上人は「所賜の本主の交名を書き付くるは後代の高名の為なり」と仰せだ。また、堀日亨上人も「本尊の脇書の受者の姓名交名は、後世において広布の元勲として衆多に護法の高名を尊称せらるべき用意」と説かれているように、脇書きの授与者の名前は、本来、信心を貫いた門下の証としての意味。
その人の信心を範として後世に称賛しようというものなのである。その脇書き(示し書き)と御本尊の力用とは、関係ないのである。
(『創価新報』1993.11.03)
② 削損された脇書き
日顕宗では、どうしても学会の御本尊授与に難癖がつけたくて、脇書きが〝御本尊の御本体に列する〟重要なものであると必死になって強弁している。
しかし、それほど脇書きが大事だといっているのに、宗門の古刹寺院には、「脇書き」が、故意にか自然にか、削損された御本尊が実に多い。
宗門発行の雑誌「蓮華」に掲載されている常泉寺の寺宝目録によると、日興上人の御真筆御本尊のうち、「嘉元四年三月一日」「徳治三年十月九日」「正和三年十月十三日」付の三体の御本尊の授与書きが、「削損不明」となっている。
また、日有上人の「文明五年十二月廿九日」付の御本尊の脇書きは「切損不明」、切れて分からなくなっているのである。このような例はほかにも多数ある。
〝御本尊の御本体に列する〟ほど重要な脇書きが、このようにぞんざいに扱われてきたことを、日顕宗はどう説明するのか。
(同)
③ 軍国主義宣揚の脇書き
また、歴史上どう考えても、御本尊の本体に〝列する〟とは考えられない実例もある。日顕宗は、これらの脇書きも、御本尊の本体に〝列する〟というのだろうか。
明治時代、東京・品川の妙光寺は、日露戦争に出征する兵士のために、日応上人の御形木御本尊を下付していた。
その御本尊の脇書きは
「皇威宣揚征露戦勝之攸」つまり、ロシアを征服して日露戦争に勝つ、という意味である。この脇書きをも、御本尊の本体に〝列する〟というのか。世界広布の時代に、ましてロシアの人々がこの御本尊を拝めるだろうか。これなど、まさに、「一閻浮提総与」の意義を冒とくする脇書きというほかにない。
また、近代では、明らかに皇国思想の影響を受けている脇書きもある。
日正、日開両法主が認(したた)めた脇書きには、「御即位御大礼紀念」というものもある。
これは天皇の即位を祝うものだが、天皇の仏法への帰依を願うとしても、こんな脇書きの御本尊を信徒に拝ませていいのだろうか。この脇書きも、御本尊の本体に〝列する〟というのか。
このように、宗門の、脇書きは〝御本尊の御本体に列する〟重要なものであるという言い掛かりは、所詮、根拠のない暴論でしかない。ゆえに日顕宗が、御形木御本尊を「変造」などということは、宗門の伝統化儀の否定であり、大謗法であることは明白である。
(同)
(了)
- このエントリーのカテゴリ : 日顕宗破折 №71~80
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:72」を破折する(その一) 連載102回
妄説:72 創価学会の『ニセ御本尊』は、日寛上人の享保五年六月十三日御書写の御本尊に書かれていた「下野国小薬邑本如山浄圓寺大行阿闍梨本證坊日證授与之」という「授与書き」を抹消していますが、このような変造は許されることなのでしょうか。
絶対に許されることではありません。
この御本尊は、日寛上人が本證坊個人に授与されたものですが、これを後の住職が御法主上人の許可もなく他人に提供したり、第三者が勝手に変造し、授与することなど、絶対にあってはならないことです。
もしそういうことが許されるならば、常住御本尊を下付された信徒は、誰でも勝手に変造し、複製してもよいことになります。
日興上人は『富士一跡門徒存知事』に
「誠に凡筆を以て直に聖筆を黷(けが)す事最も其の恐れ有り」(新編 1872頁)
と示され、大聖人の御本尊の散失を防ぐためとはいえ、日興上人御自身が「授与書き」を書き加えることすら、「聖筆を黷す恐れあり」と自戒されているのです。
それを相承なき輩(やから)が、勝手に「授与書き」を削除し、不特定多数の者へ配布することは、日寛上人の御心を踏みにじる行為になるのは当然です。
「授与書き」について同抄に
「賜はる所の本主の交名(きょうみょう)を書き付くるは後代の高名の為なり」(新編 1872)
とあるように、御歴代上人が書き付けられる「授与書き」には甚深の意義があるのですから、これを法主上人の許可もなく勝手に削り取ることは絶対に許されないのです。
破折:
1.法主の開眼は全く不要
平成四年十一月十二日、栃木県の古刹・浄圓寺は住職と総代の意志により、日蓮正宗より正式に宗派離脱した。「日寛上人の享保五年六月十三日御書写の御本尊」はこの浄圓寺の寺宝であり、学会が御形木御本尊の授与を行うよう、住職が申し出られたのである。
「後の住職が御法主上人の許可もなく」とあるが、単立の宗教法人(浄圓寺)が所持する寺宝の件で、他の宗教法人(日顕宗)の許可を得る必要などあろうか。無礼千万である。
「相承なき輩(やから)」と言うと、まるで〝日顕に相承があった〟かのようである。「相承なき法主」に如何なる権利・資格があろうか、笑止。
学会に対し「勝手に」云々とあるが、宗門の側で〝破門〟と言って一方的に縁を切ったのだから、今さら命令などできないはずである。お門違いであろう。
宗門はまた「『授与書き』を削除し」と言うが、〝授与書きが入った御形木御本尊〟が、かつて発行されたためしがあろうか。愚かなことを言う輩である。
学会が現在、授与している「享保五年の日寛上人の御形木御本尊」と、昭和四十年頃まで学会員が授与を受けてきた「享保三年の日寛上人の御形木御本尊」とは、同じ相貌であり、授与書きは御形木にしておらず、法主による開眼など受けていなかったことも同じである。
学会は草創期に、その御形木御本尊を拝して何十万、何百万の人が、厳然たる功徳の実証を示した。これこそ御本尊に「法主の開眼など全く不要である」ことの証左である。
「日寛上人の御心を踏みにじる」とは、日寛上人の正しい御本尊が、「ニセ法主」から「ニセもの」と誹謗されたことを言うのである。
◇
ニセものは本物を厭(いと)うというが、要は、日顕自身が「偽法主」だったからこそ、本物の正しい御本尊までニセものと誹謗せざるをえなかっただけなのである。
(『日蓮正宗〝落日の真因〟』渡辺慈済著 発行所:第三文明社)
2.浄圓寺と学会との仏縁
浄圓寺と学会との縁は、若き池田名誉会長の最初の地方折伏の過程にあった。ここに〝世界広宣流布の原点〟が生まれたことを思えば、深い仏縁と感じざるを得ない。
◇
わが師が、会長に就任された三週間後、私も満を持して、地方折伏に飛び出した(昭和二十六年五月)。
緑光る山河を思い、胸の躍る感慨ゆえか、出発の前夜には、日記にこう書いている。
「……吾人の、地方闘争への初陣である。嬉しき哉」
それが栃木方面であった。
恩師も、私も、民衆の大地・栃木から、新しき広宣の火蓋を切ったのである。
この時、私は、今の小山市にある古刹・浄圓寺を訪ね、当時の住職に面談した。
そのころ、戸田先生の英断により、宗教法人「創価学会」の設立の準備が進められていた。
ところが、「出家が上・在家は下」という、抜き難い差別意識のゆえか、広布の時の来るを知らざるゆえか、宗門の僧侶のなかには、学会が独自の宗教法人を設立することに反対する輩が、あまりにも多くいた。
私は、浄圓寺の住職が、ある反対派の高僧とつながりが深いことを聞いていた。
その住職と、私は、創価学会の使命、戸田先生の決意、大聖人の大目的等を、静かに、また力強く、語りあっていった。
縁深き、その僧は、明快に理解していったようだ。
やがて、日顕宗が残酷な狂気と化したなかで、この浄圓寺(現在は成田宣道住職)の存在は、不思議な使命を帯びて、広布のために輝き残っていった。
今、日寛上人が書写された、浄圓寺所蔵の御本尊が、御形木御本尊として、全世界の学会員に授与されている。
(池田名誉会長『随筆/新・人間革命/法悟空/69』〝原点の誇り・栃木〟)
3.宗門も本尊の脇書をこっそり削除
17年間、宗門が「ニセ本尊」と騒いでも何の影響もなし
宗門も末寺の本尊の脇書をこっそり削除
① 腐敗堕落した宗門の脅しなど通用しない
平成五年十月十二日から、創価学会は日寛上人御書写の本尊を会員に授与している。それから、すでに十七年の歳月が過ぎた。
この十七年間、日顕らは、よほど悔しかったのか、〝創価学会の御本尊はニセモノだ〟と言い続けている。
日顕らは〝御本尊下附を停止すれば、創価学会は困り、必ず頭を下げてくる〟と安易に考えていた。
しかし、事態は日顕らが全く予期していなかった展開となった。
日顕らは何とかして自分たちの権威を守るために、創価学会の御本尊授与に対して、「許可がない」「開眼していない」などと騒ぎたてた。
しかし、腐敗堕落した宗門の脅しなど、まったく通用しなかった。
(『新改革通信』110号 平成23年10月15日 発行:日蓮正宗改革同盟)
② 宗門が騒げば騒ぐほど、衣の権威の無力さが露呈する
日顕らは僧侶が「ニセ本尊」と脅せば、信徒はひれ伏すと思っていたようだ。しかし、創価学会は微塵もダメージを受けていない。
それどころか、布教が爆発的に拡大し、組織は世界に大発展している。
そもそも日顕が、自分の許可がなければ、創価学会員が成仏できないと考えていること、すなわち、自分が衆生の成仏・不成仏を決定できると思っていることが、増上慢の極みである。
日蓮大聖人の仏法は久遠元初より未来永劫にわたる不変不滅の法である。その仏法を日顕ごときが恣意的に操れると考えているところに、すべてを支配しようとする第六天の魔の特徴が現れている。
正しい信心があれば、そのような魔の本質を見抜いて、紛動されることはない。
だから、広宣流布の団体である創価学会は、衣の権威などに屈することなく、堂々と世界広布の道を邁進している。そして、世界中の会員が功徳の花を満開に咲かせている。
日顕が十七年間、騒いでも何の影響力もない。かえって衣の権威が無力であることが証明されただけだ。
(同)
③ 宗門も脇書を削除
日顕らは学会授与の御本尊に対し、「御本尊の脇書を取ったのは大謗法」と難癖をつけていたが、平成六年十一月、「天晴」という会社の社員三名が本山の総一坊、総二坊を訪れ、安置された板御本尊計四体の脇書部分の「願主 法華講総講頭 池田大作」という文字を跡形もなく消してしまった。
また、日顕の息子・信彰が大修寺の住職を務めていた際に、全国の末寺に先駆けて、本堂の板御本尊から名誉会長の文字を削除していた。
この一連の脇書削除によって、脇書が御本尊の本体でないことが立証された。
つまり、脇書きを消しても御本尊の功徳には変わりがないことを宗門自らが証明したのだ。
(同)
④ 創価学会が御本尊の偉大さを証明したことを認めていた日顕
日顕は法主になった当初、本山の僧侶に次のように語っていた。
「学会の信心はきちと結果がでるんだ。宗門では七百年間そういうことがなかったんだ」
日蓮正宗七百年間の歴史において、創価学会が初めて、御本尊の偉大さを証明したことを日顕自身が認めていたのである。
唱題も折伏もしてこなかった僧侶たちが、御本尊の功徳を論ずることなどできるはずがない。
(同)
(続く)
妄説:72 創価学会の『ニセ御本尊』は、日寛上人の享保五年六月十三日御書写の御本尊に書かれていた「下野国小薬邑本如山浄圓寺大行阿闍梨本證坊日證授与之」という「授与書き」を抹消していますが、このような変造は許されることなのでしょうか。
絶対に許されることではありません。
この御本尊は、日寛上人が本證坊個人に授与されたものですが、これを後の住職が御法主上人の許可もなく他人に提供したり、第三者が勝手に変造し、授与することなど、絶対にあってはならないことです。
もしそういうことが許されるならば、常住御本尊を下付された信徒は、誰でも勝手に変造し、複製してもよいことになります。
日興上人は『富士一跡門徒存知事』に
「誠に凡筆を以て直に聖筆を黷(けが)す事最も其の恐れ有り」(新編 1872頁)
と示され、大聖人の御本尊の散失を防ぐためとはいえ、日興上人御自身が「授与書き」を書き加えることすら、「聖筆を黷す恐れあり」と自戒されているのです。
それを相承なき輩(やから)が、勝手に「授与書き」を削除し、不特定多数の者へ配布することは、日寛上人の御心を踏みにじる行為になるのは当然です。
「授与書き」について同抄に
「賜はる所の本主の交名(きょうみょう)を書き付くるは後代の高名の為なり」(新編 1872)
とあるように、御歴代上人が書き付けられる「授与書き」には甚深の意義があるのですから、これを法主上人の許可もなく勝手に削り取ることは絶対に許されないのです。
破折:
1.法主の開眼は全く不要
平成四年十一月十二日、栃木県の古刹・浄圓寺は住職と総代の意志により、日蓮正宗より正式に宗派離脱した。「日寛上人の享保五年六月十三日御書写の御本尊」はこの浄圓寺の寺宝であり、学会が御形木御本尊の授与を行うよう、住職が申し出られたのである。
「後の住職が御法主上人の許可もなく」とあるが、単立の宗教法人(浄圓寺)が所持する寺宝の件で、他の宗教法人(日顕宗)の許可を得る必要などあろうか。無礼千万である。
「相承なき輩(やから)」と言うと、まるで〝日顕に相承があった〟かのようである。「相承なき法主」に如何なる権利・資格があろうか、笑止。
学会に対し「勝手に」云々とあるが、宗門の側で〝破門〟と言って一方的に縁を切ったのだから、今さら命令などできないはずである。お門違いであろう。
宗門はまた「『授与書き』を削除し」と言うが、〝授与書きが入った御形木御本尊〟が、かつて発行されたためしがあろうか。愚かなことを言う輩である。
学会が現在、授与している「享保五年の日寛上人の御形木御本尊」と、昭和四十年頃まで学会員が授与を受けてきた「享保三年の日寛上人の御形木御本尊」とは、同じ相貌であり、授与書きは御形木にしておらず、法主による開眼など受けていなかったことも同じである。
学会は草創期に、その御形木御本尊を拝して何十万、何百万の人が、厳然たる功徳の実証を示した。これこそ御本尊に「法主の開眼など全く不要である」ことの証左である。
「日寛上人の御心を踏みにじる」とは、日寛上人の正しい御本尊が、「ニセ法主」から「ニセもの」と誹謗されたことを言うのである。
◇
ニセものは本物を厭(いと)うというが、要は、日顕自身が「偽法主」だったからこそ、本物の正しい御本尊までニセものと誹謗せざるをえなかっただけなのである。
(『日蓮正宗〝落日の真因〟』渡辺慈済著 発行所:第三文明社)
2.浄圓寺と学会との仏縁
浄圓寺と学会との縁は、若き池田名誉会長の最初の地方折伏の過程にあった。ここに〝世界広宣流布の原点〟が生まれたことを思えば、深い仏縁と感じざるを得ない。
◇
わが師が、会長に就任された三週間後、私も満を持して、地方折伏に飛び出した(昭和二十六年五月)。
緑光る山河を思い、胸の躍る感慨ゆえか、出発の前夜には、日記にこう書いている。
「……吾人の、地方闘争への初陣である。嬉しき哉」
それが栃木方面であった。
恩師も、私も、民衆の大地・栃木から、新しき広宣の火蓋を切ったのである。
この時、私は、今の小山市にある古刹・浄圓寺を訪ね、当時の住職に面談した。
そのころ、戸田先生の英断により、宗教法人「創価学会」の設立の準備が進められていた。
ところが、「出家が上・在家は下」という、抜き難い差別意識のゆえか、広布の時の来るを知らざるゆえか、宗門の僧侶のなかには、学会が独自の宗教法人を設立することに反対する輩が、あまりにも多くいた。
私は、浄圓寺の住職が、ある反対派の高僧とつながりが深いことを聞いていた。
その住職と、私は、創価学会の使命、戸田先生の決意、大聖人の大目的等を、静かに、また力強く、語りあっていった。
縁深き、その僧は、明快に理解していったようだ。
やがて、日顕宗が残酷な狂気と化したなかで、この浄圓寺(現在は成田宣道住職)の存在は、不思議な使命を帯びて、広布のために輝き残っていった。
今、日寛上人が書写された、浄圓寺所蔵の御本尊が、御形木御本尊として、全世界の学会員に授与されている。
(池田名誉会長『随筆/新・人間革命/法悟空/69』〝原点の誇り・栃木〟)
3.宗門も本尊の脇書をこっそり削除
17年間、宗門が「ニセ本尊」と騒いでも何の影響もなし
宗門も末寺の本尊の脇書をこっそり削除
① 腐敗堕落した宗門の脅しなど通用しない
平成五年十月十二日から、創価学会は日寛上人御書写の本尊を会員に授与している。それから、すでに十七年の歳月が過ぎた。
この十七年間、日顕らは、よほど悔しかったのか、〝創価学会の御本尊はニセモノだ〟と言い続けている。
日顕らは〝御本尊下附を停止すれば、創価学会は困り、必ず頭を下げてくる〟と安易に考えていた。
しかし、事態は日顕らが全く予期していなかった展開となった。
日顕らは何とかして自分たちの権威を守るために、創価学会の御本尊授与に対して、「許可がない」「開眼していない」などと騒ぎたてた。
しかし、腐敗堕落した宗門の脅しなど、まったく通用しなかった。
(『新改革通信』110号 平成23年10月15日 発行:日蓮正宗改革同盟)
② 宗門が騒げば騒ぐほど、衣の権威の無力さが露呈する
日顕らは僧侶が「ニセ本尊」と脅せば、信徒はひれ伏すと思っていたようだ。しかし、創価学会は微塵もダメージを受けていない。
それどころか、布教が爆発的に拡大し、組織は世界に大発展している。
そもそも日顕が、自分の許可がなければ、創価学会員が成仏できないと考えていること、すなわち、自分が衆生の成仏・不成仏を決定できると思っていることが、増上慢の極みである。
日蓮大聖人の仏法は久遠元初より未来永劫にわたる不変不滅の法である。その仏法を日顕ごときが恣意的に操れると考えているところに、すべてを支配しようとする第六天の魔の特徴が現れている。
正しい信心があれば、そのような魔の本質を見抜いて、紛動されることはない。
だから、広宣流布の団体である創価学会は、衣の権威などに屈することなく、堂々と世界広布の道を邁進している。そして、世界中の会員が功徳の花を満開に咲かせている。
日顕が十七年間、騒いでも何の影響力もない。かえって衣の権威が無力であることが証明されただけだ。
(同)
③ 宗門も脇書を削除
日顕らは学会授与の御本尊に対し、「御本尊の脇書を取ったのは大謗法」と難癖をつけていたが、平成六年十一月、「天晴」という会社の社員三名が本山の総一坊、総二坊を訪れ、安置された板御本尊計四体の脇書部分の「願主 法華講総講頭 池田大作」という文字を跡形もなく消してしまった。
また、日顕の息子・信彰が大修寺の住職を務めていた際に、全国の末寺に先駆けて、本堂の板御本尊から名誉会長の文字を削除していた。
この一連の脇書削除によって、脇書が御本尊の本体でないことが立証された。
つまり、脇書きを消しても御本尊の功徳には変わりがないことを宗門自らが証明したのだ。
(同)
④ 創価学会が御本尊の偉大さを証明したことを認めていた日顕
日顕は法主になった当初、本山の僧侶に次のように語っていた。
「学会の信心はきちと結果がでるんだ。宗門では七百年間そういうことがなかったんだ」
日蓮正宗七百年間の歴史において、創価学会が初めて、御本尊の偉大さを証明したことを日顕自身が認めていたのである。
唱題も折伏もしてこなかった僧侶たちが、御本尊の功徳を論ずることなどできるはずがない。
(同)
(続く)
- このエントリーのカテゴリ : 日顕宗破折 №71~80
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:71」を破折する 連載101回
妄説:71 学会では、「一機一縁」とは大聖人の直筆御本尊に限られるもので、今回下付するのは日寛上人が「一閻浮提総与」の御本尊を書写されたものだから問題ないといっていますが、本当ですか。
ここでも学会は二重の過(あやま)ちを犯しています。
第一は「一機一縁」の過ちです。御本尊には、万人を対象とした御本尊と、末寺や個人を対象にした御本尊とがあります。
万人を対象とした御本尊を「一閻浮提総与の御本尊」といい、現在奉安堂に御安置されている「戒壇の大御本尊」ただ一体を指します。
それ以外の授与の御本尊はすべて「一機一縁の御本尊」と称します。
そして、大聖人入滅後の御本尊書写は、日興上人以来血脈相承の御歴代上人が受け継がれ、その時々の僧侶や信徒、寺院に対して「一機一縁」の御本尊を書写し授与されるのです。
学会でも一機一縁について
「常住御本尊をいただいた本人が死亡したとき。原則として、一機一縁であるから御返納する」(前進 S四七・六号)
と説明し、御歴代上人の御本尊が一機一縁であることを認めています。
第二は「一閻浮提総与の御本尊を書写されたものだから問題ない」といって、今回の日寛上人御書写の御本尊のコピ-(ニセ本尊)を正当化し、授与書きを抹消(まっしょう)したことを弁解していますが、本宗では昔から「一閻浮提総与の御本尊を書写した御本尊だから誰が複製してもよい」とか「一閻浮提総与の御本尊を書写した御本尊だから授与書きを抹消してもよい」などという教えはありません。
このような学会の行為は大謗法なのです。
破折:
1.宗義を百八十度変更した宗門
かつて宗門では大石寺の優位性を表すために、他山が所持する大聖人御自筆の本尊を「一機一縁」の本尊と呼び、宗門の本尊と区別した。
すなわち宗門の格護する大御本尊と、六十六代までの歴代諸師が書写した御本尊は、御本尊が正しい相貌であるゆえに「一切衆生総与」の本尊なのである。
〇「一機一縁」の本尊 ― 大聖人が特定の門下に与えられた本尊
〇「一切衆生総与」の本尊
┌─(戒壇本尊)―――― 大御本尊
└─(戒壇本尊の書写)― 歴代法主の本尊
ところが学会が御本尊授与を行なってからは、宗門は「戒壇の大御本尊」のみを「一閻浮提総与の御本尊」とし、その他の御本尊をすべて「一機一縁の御本尊」と称した。学会攻撃のためには宗義まで変えてしまう、安直な宗門である。
宗門では学会が授与する御形木御本尊は、日寛上人が浄圓寺住職に与えた本尊であるから「特定の人に与えられた御本尊」であり、授与者でない学会員が拝んでも功徳が無い、と強弁する。だが、それでは理屈が通らない事態が出来する。
① 大聖人御自筆の本尊と、大石寺歴代諸師の書写になる本尊とが同じく「一機一縁」であれば、大石寺の本尊が他山の本尊より勝れるとする「一切衆生総与」の意義を失う。
② 守り本尊や常住本尊は個人が特定される(常住本尊には示書=個人名が記される)が、御形木本尊では〝授与書き〟は形木とされず、個人が特定されないから「一機一縁」の語彙に相当しない。
③ 昭和四十年頃まで学会員が授与を受けてきた「享保三年の日寛上人の御形木御本尊」は、宗門の言い方によれば「授与者でない学会員」が拝してきたのであるが、「利生の有無を以て隠没・流布を知るべきなり」(文段)とある如く、功徳は満天下に証明されている。
かつて大石寺の歴代諸師が書写した御本尊は、大御本尊の御写しであり、「分身散体の法理」により常住本尊も御形木本尊も、大御本尊の功徳を等しく具えたのである。
ところが宗門は、歴代諸師が書写した御本尊と、他山が所持する大聖人御書写の本尊とを、十把一絡(じっぱひとから)げにして「一機一縁」と呼んだ。このことは、大御本尊の分身であられる御本尊を貶めるものであり、それを「大謗法」と言うのである。
2.歴代法主書写の本尊に「一機一縁」はない
宗門は平成三年十一月二十八日に創価学会を破門にし、その二日後の三十日に、学会員に対する「御本尊下付停止」を発表した。
宗内の多くの僧侶は
「いくら創価学会でも、御本尊がなければ、音をあげて謝罪して来るだろう」
と考えていた。
(『新改革通信』109号 平成23年10月13日 発行:日蓮正宗改革同盟)
① 誰も想像していなかった中興の祖・日寛上人御書写の本尊の授与
創価学会が栃木・浄圓寺にある日寛上人の御本尊を授与することを発表した時に、宗内の僧侶のほとんどが、声をあげて驚いた。
彼らが驚いた理由は、創価学会の授与の形式が、誰も想定していなかった、宗門の古来からの〝通常の方法〟だったからだ。
「たしかに、昔は、東京の末寺が同じように、歴代法主の本尊を授与していた」
「寛尊の本尊では、何も言えないな」
これが大方の感想だった。
しかし、日顕らは〝在家のくせに本尊を授与するとは、許せない〟と、僧俗差別の感情から、躍起になって、攻撃材料を探し始めた。
(同)
② 歴代法主書写の本尊に「一機一縁」はない。すべて大御本尊を書写したもの
宗門は、創価学会が授与している日寛上人御書写の本尊は、時の浄圓寺住職に与えられた「一機一縁」の御本尊であるから、それを形木御本尊にし、授与者でない人々が拝んでも、功徳はないと言っている。
しかし、この「一機一縁」理論は、まったくのねつ造である。
本来、大聖人が顕わされた一閻浮提総与の大御本尊以外の御本尊は、特定の門下に与えられたものなので、「一機一縁」の本尊と称する。すなわち、戒壇本尊とそれ以外の本尊の違いを説明するために作られた言葉が「一機一縁」である。
しかし、歴代法主の御本尊は、それが誰に授与されたにせよ、あくまでも戒壇本尊を書写したものであり、すべて「一切衆生総与」の御本尊となる。
たとえ、日寛上人が浄圓寺住職に与えた本尊であっても、大御本尊を写したものである限り、誰が拝しても功徳は同じである。もし、それを否定するのなら、大御本尊否定である。
(同)
③ 本尊を脅しの道具に使い、大御本尊を貶める宗門
「一切衆生総与」の大御本尊を書写した本尊を、信徒脅しに利用するために、勝手に「一機一縁の本尊」と、貶める。これこそ、大謗法ではないか。
日顕らは、信仰の根本である本尊を、信徒脅しに利用するから、本末転倒して、大聖人の教えに背いたことを言い出すのだ。
(同)
④ 御本尊を信徒の脅しに使ったのは、日顕がはじめて
宗門の歴史を見ると、多大な供養をした者に、本尊を授与していた。いわゆる「賞与本尊」である。
そういう事例は多々あるが、今回の宗門のように、信徒を脅すために、御本尊を利用したことは、今までに例はない。日顕が初めてである。
日顕は「創価学会の本尊は血脈がない」と言うが、大聖人は、「日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに」と仰せのごとく、民衆の一人一人が直接、御本尊から血脈を受けることができるように、御本尊を顕わされた。それ以外の血脈など不要である。
(同)
3.宗門が〝一機一縁〟を曲解
(1)どの御本尊も功徳に変わりなし
秋谷 大聖人が「妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし」(同一四五八ページ)と仰せの通り、一切衆生に平等に功徳を与えるための御本尊です。「一閻浮提総与」の大御本尊を書写した御本尊は、だれに与えられた御本尊も、どの法主が書写した御本尊も、その御形木も、信心で功徳に変わりがないことは、戸田先生も常々指導されていた。
細谷 ところが、日顕宗の言い分を、そのまま受け取ると、歴代法主は御本尊を、授与された本人にだけ功徳が出るよう、書写してきたことになる。これは、何相承(そうじょう)というのか(爆笑)。
秋谷 日顕宗が、不遜(ふそん)にも大御本尊の無量の功力を否定して、日寛上人御書写の御本尊は〝一機一縁〟で功徳が出ないということ自体、日寛上人への大冒涜(だいぼうとく)です。
谷川 日顕の御用新聞「慧妙(えみょう)」では、この邪説に飛び付いて、〝一機一縁を勝手に拝んでも功徳なし〟などと書いている。しかし、何のことはない。「折伏教典」を丸写しして、学会が小樽問答の時に〝一機一縁の御本尊は大御本尊に直結しなければ功徳がない〟と主張したことを、鬼の首でもとったように持ち出し〝一機一縁だから謗法(ほうぼう)の身延(みのぶ)である〟とスリ替えているだけです。
斉藤 これを書いた人間は、よっぽど教学を知らないか、はじめからスリ替えを目的にしたか、どちらかです。大御本尊を書写された日寛上人の御本尊と、身延派がもっている一機一縁の大聖人の御真筆本尊を一緒にしているが、こんなこと、だれも間違えませんよ。
辻 そう。さきほどの日淳上人の仰せにも明らかなごとく、小樽問答で身延の本尊を「一機一縁」と言ったのは、根本の大御本尊を誹謗(ひぼう)し、大聖人を御本仏と拝(はい)せない身延が、いくら御真筆御本尊を持っていても功徳はないと、破折で用いたことだ。これだって宗門が、いつも身延にやられてばかりで、腰抜けばかりだから、学会が破折してやったんじゃないか(笑い)。
細谷 戦前、あれだけ身延と二人三脚で謗法を犯してきた宗門が、何の寝言ですか。だいたい、いまごろ御本尊に功徳があるとかないとか、偉(えら)ぶって言っているが、宗門は七百年間、もったいなくも大御本尊がいらっしゃっても、身延にやられっぱなしの歴史しか残さなかったじゃないですか。
辻 そう。創価学会が出現して、初めて大御本尊の無量の功力(くりき)を証明して、ここまで正法が広まったんだ。これは厳然(げんぜん)たる事実だよ。
秋谷 天魔は、どんなに言葉巧(たく)みに人々をごまかそうとも、仏法の根本義だけは説けません。天台大師も「魔の説くこと能(あた)わざるを一実諦(じったい)と名(なづ)く」と説いている通りです。たとえ御本尊を書写しようとも、御本尊の功徳がわからない。根本義を説けない。これが今の日顕の姿だ。まさに天魔の正体見たり、だ。
(発言者:秋谷会長、辻参議会議長、細谷副会長、斉藤教学部長、谷川青年部長
『聖教新聞』1993.09.22)
(2)授与書きは〝後世の範〟
谷川 おまけに、日顕宗は、法主書写のいわゆる常住御本尊には、授与された人の名前などが、「脇書(わきが)き」「添(そ)え書き」の形で、したためられているから〝一機一縁〟だなどと言っているが、これも、まったくのデタラメですね。
辻 そもそも脇書きや添え書きは、御本尊の力用(りきゆう)には、なんの関係もない。御書にも、相伝書にも、脇書きが御本尊の相貌(そうみょう)に関係しているなどと、どこにも説かれていない。あるというなら、文証(もんしょう)を出してもらいたい。
斉藤 そうです。脇書きについて日興上人は、大聖人御真筆の御本尊の脇に僧俗の名を書き付けたことについて、「凡筆を以(もっ)て直(ただち)に聖筆(しょうひつ)を黷(けが)す事最も其(そ)の恐れ有りと雖(いえど)も」(同一六〇六ページ)と、ことわられたうえで、「所賜(しょし)の本主の交名(きょうみょう)を書き付くるは後代の高名(こうみょう)の為(ため)なり」と仰せです。また日亨上人は、「本尊の脇書の受者の姓名交名は、後世において広布の元勲(げんくん)として衆多(しゅうた)に護法の高名を尊称(そんしょう)せらるべき用意」と説かれています。
秋谷 つまり、脇書きに授与者の名前をしたためたのは、本来は、立派に法を弘(ひろ)め、信心を貫き通した、門下の「信心の証(あかし)」としての意味があったということでしょう。その人の信心を後世に顕彰(けんしょう)されようとした、御心の顕(あらわ)れということです。
細谷 あくまでも、門下の「信心」を称賛(しょうさん)し、後世の範(はん)とするためのものですね。
斉藤 ですから、「富士宗学要集」に日亨上人が歴史的な事例を挙げられているように、日興上人以後、歴代法主書写の御本尊でも、授与された人の名前が、後代に、次々、書き加えられている例も多くある。たとえば、日興上人の元徳二年五月一日の御本尊も、五回にわたって脇書きの僧俗の名前が書き換えられています。
谷川 日顕宗の言うように脇書きで、功徳も〝一機一縁〟になってしまうんだったら、名前が変わるたびに、功徳の出る人が変わることになる(笑い)。
秋谷 結局、日顕の言う〝一機一縁〟論など、まったくのデッチあげ教義でしかない。これが法主なんだから、程度が悪すぎる。
辻 今でも忘れないが、広宣流布を阻(はば)む「三類の強敵(ごうてき)」のなかでも最も強敵の僣聖増上慢(せんしょうぞうじょうまん)について、戸田先生は、よく、「会いたい、会いたい」と言っておられた。
秋谷 そう。戸田先生は、「僣聖増上慢というものは、広宣流布の時が近づいた時になって初めて出てくるものだ」とも言われていた。また「日蓮正宗のなかから出てくる」と言われていましたね。
辻 私たちも、どんな形で僣聖増上慢が現れるのか、御書を拝してもピンとこなかったが、今回の問題で、はっきりわかった。まさか、法主として現れるとは思いもしなかったが(笑い)、まさに経文通りの姿で現れた。
秋谷 この日顕という僣聖増上慢を打ち破った時、広宣流布が更に大きく開けることは、間違いない。全人類のためにも、魔(ま)の山と化した謗法・日顕宗を、一日も早く追放しなければならない。私たちは、地涌の菩薩の和合僧(わごうそう)に託された誉れの戦いを、いよいよ「御本尊根本」「大聖人直結」の信心で、更に力強く堂々と展開していきたい。
(同)
(了)
妄説:71 学会では、「一機一縁」とは大聖人の直筆御本尊に限られるもので、今回下付するのは日寛上人が「一閻浮提総与」の御本尊を書写されたものだから問題ないといっていますが、本当ですか。
ここでも学会は二重の過(あやま)ちを犯しています。
第一は「一機一縁」の過ちです。御本尊には、万人を対象とした御本尊と、末寺や個人を対象にした御本尊とがあります。
万人を対象とした御本尊を「一閻浮提総与の御本尊」といい、現在奉安堂に御安置されている「戒壇の大御本尊」ただ一体を指します。
それ以外の授与の御本尊はすべて「一機一縁の御本尊」と称します。
そして、大聖人入滅後の御本尊書写は、日興上人以来血脈相承の御歴代上人が受け継がれ、その時々の僧侶や信徒、寺院に対して「一機一縁」の御本尊を書写し授与されるのです。
学会でも一機一縁について
「常住御本尊をいただいた本人が死亡したとき。原則として、一機一縁であるから御返納する」(前進 S四七・六号)
と説明し、御歴代上人の御本尊が一機一縁であることを認めています。
第二は「一閻浮提総与の御本尊を書写されたものだから問題ない」といって、今回の日寛上人御書写の御本尊のコピ-(ニセ本尊)を正当化し、授与書きを抹消(まっしょう)したことを弁解していますが、本宗では昔から「一閻浮提総与の御本尊を書写した御本尊だから誰が複製してもよい」とか「一閻浮提総与の御本尊を書写した御本尊だから授与書きを抹消してもよい」などという教えはありません。
このような学会の行為は大謗法なのです。
破折:
1.宗義を百八十度変更した宗門
かつて宗門では大石寺の優位性を表すために、他山が所持する大聖人御自筆の本尊を「一機一縁」の本尊と呼び、宗門の本尊と区別した。
すなわち宗門の格護する大御本尊と、六十六代までの歴代諸師が書写した御本尊は、御本尊が正しい相貌であるゆえに「一切衆生総与」の本尊なのである。
〇「一機一縁」の本尊 ― 大聖人が特定の門下に与えられた本尊
〇「一切衆生総与」の本尊
┌─(戒壇本尊)―――― 大御本尊
└─(戒壇本尊の書写)― 歴代法主の本尊
ところが学会が御本尊授与を行なってからは、宗門は「戒壇の大御本尊」のみを「一閻浮提総与の御本尊」とし、その他の御本尊をすべて「一機一縁の御本尊」と称した。学会攻撃のためには宗義まで変えてしまう、安直な宗門である。
宗門では学会が授与する御形木御本尊は、日寛上人が浄圓寺住職に与えた本尊であるから「特定の人に与えられた御本尊」であり、授与者でない学会員が拝んでも功徳が無い、と強弁する。だが、それでは理屈が通らない事態が出来する。
① 大聖人御自筆の本尊と、大石寺歴代諸師の書写になる本尊とが同じく「一機一縁」であれば、大石寺の本尊が他山の本尊より勝れるとする「一切衆生総与」の意義を失う。
② 守り本尊や常住本尊は個人が特定される(常住本尊には示書=個人名が記される)が、御形木本尊では〝授与書き〟は形木とされず、個人が特定されないから「一機一縁」の語彙に相当しない。
③ 昭和四十年頃まで学会員が授与を受けてきた「享保三年の日寛上人の御形木御本尊」は、宗門の言い方によれば「授与者でない学会員」が拝してきたのであるが、「利生の有無を以て隠没・流布を知るべきなり」(文段)とある如く、功徳は満天下に証明されている。
かつて大石寺の歴代諸師が書写した御本尊は、大御本尊の御写しであり、「分身散体の法理」により常住本尊も御形木本尊も、大御本尊の功徳を等しく具えたのである。
ところが宗門は、歴代諸師が書写した御本尊と、他山が所持する大聖人御書写の本尊とを、十把一絡(じっぱひとから)げにして「一機一縁」と呼んだ。このことは、大御本尊の分身であられる御本尊を貶めるものであり、それを「大謗法」と言うのである。
2.歴代法主書写の本尊に「一機一縁」はない
宗門は平成三年十一月二十八日に創価学会を破門にし、その二日後の三十日に、学会員に対する「御本尊下付停止」を発表した。
宗内の多くの僧侶は
「いくら創価学会でも、御本尊がなければ、音をあげて謝罪して来るだろう」
と考えていた。
(『新改革通信』109号 平成23年10月13日 発行:日蓮正宗改革同盟)
① 誰も想像していなかった中興の祖・日寛上人御書写の本尊の授与
創価学会が栃木・浄圓寺にある日寛上人の御本尊を授与することを発表した時に、宗内の僧侶のほとんどが、声をあげて驚いた。
彼らが驚いた理由は、創価学会の授与の形式が、誰も想定していなかった、宗門の古来からの〝通常の方法〟だったからだ。
「たしかに、昔は、東京の末寺が同じように、歴代法主の本尊を授与していた」
「寛尊の本尊では、何も言えないな」
これが大方の感想だった。
しかし、日顕らは〝在家のくせに本尊を授与するとは、許せない〟と、僧俗差別の感情から、躍起になって、攻撃材料を探し始めた。
(同)
② 歴代法主書写の本尊に「一機一縁」はない。すべて大御本尊を書写したもの
宗門は、創価学会が授与している日寛上人御書写の本尊は、時の浄圓寺住職に与えられた「一機一縁」の御本尊であるから、それを形木御本尊にし、授与者でない人々が拝んでも、功徳はないと言っている。
しかし、この「一機一縁」理論は、まったくのねつ造である。
本来、大聖人が顕わされた一閻浮提総与の大御本尊以外の御本尊は、特定の門下に与えられたものなので、「一機一縁」の本尊と称する。すなわち、戒壇本尊とそれ以外の本尊の違いを説明するために作られた言葉が「一機一縁」である。
しかし、歴代法主の御本尊は、それが誰に授与されたにせよ、あくまでも戒壇本尊を書写したものであり、すべて「一切衆生総与」の御本尊となる。
たとえ、日寛上人が浄圓寺住職に与えた本尊であっても、大御本尊を写したものである限り、誰が拝しても功徳は同じである。もし、それを否定するのなら、大御本尊否定である。
(同)
③ 本尊を脅しの道具に使い、大御本尊を貶める宗門
「一切衆生総与」の大御本尊を書写した本尊を、信徒脅しに利用するために、勝手に「一機一縁の本尊」と、貶める。これこそ、大謗法ではないか。
日顕らは、信仰の根本である本尊を、信徒脅しに利用するから、本末転倒して、大聖人の教えに背いたことを言い出すのだ。
(同)
④ 御本尊を信徒の脅しに使ったのは、日顕がはじめて
宗門の歴史を見ると、多大な供養をした者に、本尊を授与していた。いわゆる「賞与本尊」である。
そういう事例は多々あるが、今回の宗門のように、信徒を脅すために、御本尊を利用したことは、今までに例はない。日顕が初めてである。
日顕は「創価学会の本尊は血脈がない」と言うが、大聖人は、「日本国の一切衆生に法華経を信ぜしめて仏に成る血脈を継がしめんとするに」と仰せのごとく、民衆の一人一人が直接、御本尊から血脈を受けることができるように、御本尊を顕わされた。それ以外の血脈など不要である。
(同)
3.宗門が〝一機一縁〟を曲解
(1)どの御本尊も功徳に変わりなし
秋谷 大聖人が「妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生にさづくべし」(同一四五八ページ)と仰せの通り、一切衆生に平等に功徳を与えるための御本尊です。「一閻浮提総与」の大御本尊を書写した御本尊は、だれに与えられた御本尊も、どの法主が書写した御本尊も、その御形木も、信心で功徳に変わりがないことは、戸田先生も常々指導されていた。
細谷 ところが、日顕宗の言い分を、そのまま受け取ると、歴代法主は御本尊を、授与された本人にだけ功徳が出るよう、書写してきたことになる。これは、何相承(そうじょう)というのか(爆笑)。
秋谷 日顕宗が、不遜(ふそん)にも大御本尊の無量の功力を否定して、日寛上人御書写の御本尊は〝一機一縁〟で功徳が出ないということ自体、日寛上人への大冒涜(だいぼうとく)です。
谷川 日顕の御用新聞「慧妙(えみょう)」では、この邪説に飛び付いて、〝一機一縁を勝手に拝んでも功徳なし〟などと書いている。しかし、何のことはない。「折伏教典」を丸写しして、学会が小樽問答の時に〝一機一縁の御本尊は大御本尊に直結しなければ功徳がない〟と主張したことを、鬼の首でもとったように持ち出し〝一機一縁だから謗法(ほうぼう)の身延(みのぶ)である〟とスリ替えているだけです。
斉藤 これを書いた人間は、よっぽど教学を知らないか、はじめからスリ替えを目的にしたか、どちらかです。大御本尊を書写された日寛上人の御本尊と、身延派がもっている一機一縁の大聖人の御真筆本尊を一緒にしているが、こんなこと、だれも間違えませんよ。
辻 そう。さきほどの日淳上人の仰せにも明らかなごとく、小樽問答で身延の本尊を「一機一縁」と言ったのは、根本の大御本尊を誹謗(ひぼう)し、大聖人を御本仏と拝(はい)せない身延が、いくら御真筆御本尊を持っていても功徳はないと、破折で用いたことだ。これだって宗門が、いつも身延にやられてばかりで、腰抜けばかりだから、学会が破折してやったんじゃないか(笑い)。
細谷 戦前、あれだけ身延と二人三脚で謗法を犯してきた宗門が、何の寝言ですか。だいたい、いまごろ御本尊に功徳があるとかないとか、偉(えら)ぶって言っているが、宗門は七百年間、もったいなくも大御本尊がいらっしゃっても、身延にやられっぱなしの歴史しか残さなかったじゃないですか。
辻 そう。創価学会が出現して、初めて大御本尊の無量の功力(くりき)を証明して、ここまで正法が広まったんだ。これは厳然(げんぜん)たる事実だよ。
秋谷 天魔は、どんなに言葉巧(たく)みに人々をごまかそうとも、仏法の根本義だけは説けません。天台大師も「魔の説くこと能(あた)わざるを一実諦(じったい)と名(なづ)く」と説いている通りです。たとえ御本尊を書写しようとも、御本尊の功徳がわからない。根本義を説けない。これが今の日顕の姿だ。まさに天魔の正体見たり、だ。
(発言者:秋谷会長、辻参議会議長、細谷副会長、斉藤教学部長、谷川青年部長
『聖教新聞』1993.09.22)
(2)授与書きは〝後世の範〟
谷川 おまけに、日顕宗は、法主書写のいわゆる常住御本尊には、授与された人の名前などが、「脇書(わきが)き」「添(そ)え書き」の形で、したためられているから〝一機一縁〟だなどと言っているが、これも、まったくのデタラメですね。
辻 そもそも脇書きや添え書きは、御本尊の力用(りきゆう)には、なんの関係もない。御書にも、相伝書にも、脇書きが御本尊の相貌(そうみょう)に関係しているなどと、どこにも説かれていない。あるというなら、文証(もんしょう)を出してもらいたい。
斉藤 そうです。脇書きについて日興上人は、大聖人御真筆の御本尊の脇に僧俗の名を書き付けたことについて、「凡筆を以(もっ)て直(ただち)に聖筆(しょうひつ)を黷(けが)す事最も其(そ)の恐れ有りと雖(いえど)も」(同一六〇六ページ)と、ことわられたうえで、「所賜(しょし)の本主の交名(きょうみょう)を書き付くるは後代の高名(こうみょう)の為(ため)なり」と仰せです。また日亨上人は、「本尊の脇書の受者の姓名交名は、後世において広布の元勲(げんくん)として衆多(しゅうた)に護法の高名を尊称(そんしょう)せらるべき用意」と説かれています。
秋谷 つまり、脇書きに授与者の名前をしたためたのは、本来は、立派に法を弘(ひろ)め、信心を貫き通した、門下の「信心の証(あかし)」としての意味があったということでしょう。その人の信心を後世に顕彰(けんしょう)されようとした、御心の顕(あらわ)れということです。
細谷 あくまでも、門下の「信心」を称賛(しょうさん)し、後世の範(はん)とするためのものですね。
斉藤 ですから、「富士宗学要集」に日亨上人が歴史的な事例を挙げられているように、日興上人以後、歴代法主書写の御本尊でも、授与された人の名前が、後代に、次々、書き加えられている例も多くある。たとえば、日興上人の元徳二年五月一日の御本尊も、五回にわたって脇書きの僧俗の名前が書き換えられています。
谷川 日顕宗の言うように脇書きで、功徳も〝一機一縁〟になってしまうんだったら、名前が変わるたびに、功徳の出る人が変わることになる(笑い)。
秋谷 結局、日顕の言う〝一機一縁〟論など、まったくのデッチあげ教義でしかない。これが法主なんだから、程度が悪すぎる。
辻 今でも忘れないが、広宣流布を阻(はば)む「三類の強敵(ごうてき)」のなかでも最も強敵の僣聖増上慢(せんしょうぞうじょうまん)について、戸田先生は、よく、「会いたい、会いたい」と言っておられた。
秋谷 そう。戸田先生は、「僣聖増上慢というものは、広宣流布の時が近づいた時になって初めて出てくるものだ」とも言われていた。また「日蓮正宗のなかから出てくる」と言われていましたね。
辻 私たちも、どんな形で僣聖増上慢が現れるのか、御書を拝してもピンとこなかったが、今回の問題で、はっきりわかった。まさか、法主として現れるとは思いもしなかったが(笑い)、まさに経文通りの姿で現れた。
秋谷 この日顕という僣聖増上慢を打ち破った時、広宣流布が更に大きく開けることは、間違いない。全人類のためにも、魔(ま)の山と化した謗法・日顕宗を、一日も早く追放しなければならない。私たちは、地涌の菩薩の和合僧(わごうそう)に託された誉れの戦いを、いよいよ「御本尊根本」「大聖人直結」の信心で、更に力強く堂々と展開していきたい。
(同)
(了)
- このエントリーのカテゴリ : 日顕宗破折 №71~80
プロフィール
Author:墨田ツリー
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
- 2014/06 (9)
- 2014/05 (31)
- 2014/04 (28)
- 2014/03 (29)
- 2014/02 (28)
- 2014/01 (29)
- 2013/12 (27)
- 2013/11 (27)
- 2013/10 (6)
- 2013/09 (32)
- 2013/08 (23)
- 2013/07 (21)
- 2013/06 (22)
- 2013/05 (26)
- 2013/04 (20)
- 2012/09 (13)
- 2012/08 (10)
- 2012/07 (15)
- 2012/06 (15)
- 2012/05 (14)
- 2012/04 (11)
- 2012/03 (16)
- 2012/02 (4)
- 2011/12 (14)
- 2011/11 (2)
- 2011/10 (16)
- 2011/09 (17)
- 2011/08 (7)
- 2011/07 (13)