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日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:63」を破折する(その一) 連載90回

妄説:63 「開眼(かいげん)」とはどういうことですか。

 開眼(かいげん)とは一般には「魂を入れる」などといわれていますが、書写された御本尊を法によって供養し、魂を入れることです。
 日蓮大聖人は『本尊問答抄』に
「木像画(え)像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし」(新編 1275頁)
と仰せられ、『四条金吾釈迦仏供養事』に
「此の画木(えもく)に魂魄(こんぱく)と申す神(たましい)を入(い)るゝ事は法華経の力なり(中略)画木にて申せば草木成仏と申す」(新編 993頁)と説かれております。
 また、第三十一世日因上人は御消息の中で
「木絵(もくえ)の二像は本と草木にて有り、然(しか)るを生身の妙覚の仏と開眼したもふ事は大事至極(しごく)の秘曲なり、日蓮聖人乃至日因に至る迄、三十一代累(るい)も乱れず相伝是れ也」と仰せられ、第五十六世日応上人は「金口血脈には、宗祖己心の秘妙を垂示(すいじ)し一切衆生成仏を所期する本尊の活眼たる極意の相伝あり」(研教 二七-四七四頁)
と仰せのように、本宗において御本尊の開眼は、本門戒壇の大御本尊の功力と、「大事至極」の「極意の相伝」による御法主上人の允可によらなければなりません。
 ちなみに学会の『仏教哲学大辞典』では、
「末法における開眼供養は、ただ三大秘法の大御本尊のみによる以外にないのである」(同書 一-五九〇頁)
と説明していますが、今日の学会のように「信心をもって拝すれば、本尊も開眼できる」と指導するのは、大きな誤りです。

破折:
1.御本尊を「木絵の二像」と貶める邪宗門
(1)開眼供養は正像時代の〝遺物〟

 大聖人は「木絵の二像」(=木像・画(え)像)の開眼については、多く説かれところである。木彫・絵画による〝仏像〟を本尊とするには、法華経による開眼が必要であることを主旨とする。
 では何ゆえ、木絵の二像には開眼を必要とするか。『木絵二像開眼之事』(四六八㌻~四七〇㌻)において、概略次の通り仰せである。
 仏は三十二相を具する。このうち三十一相までは仏像として造り描くことはできても、「梵音声(ぼんのんじょう)」は造ることも描くこともできないため、生身の仏と同じにならない。
 そこで仏像の前に、仏の声教(しょうぎょう)たる経典を置くことによって三十二相が具することとなる。仏像を仏たらしめる経典こそは法華経であり、草木成仏の法理が明かされるゆえである。
 だが、このことは大聖人の出世の御本懐たる「妙法曼荼羅」建立以前の出来事であることを承知しておかねばならない。『観心本尊抄』が著されて以降は、木絵の二像は〝過去の遺物〟となったことを理解しなければ、大聖人の仏法を破壊せしめることとなる。

(2)御本尊に「魂入れ」は無用

 前述した本尊は、正像時代に建立した「木絵の二像」である。それは不完全な三十一相の像であるゆえに、法華経の一相を加え、三十二相の仏としたのである。
 しかし末法においては、「木絵の二像」はもはや無用である。

 本尊問答抄(三六五㌻)にいわく、
「問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし」

(問うて言う、末代悪世の凡夫は何をもって本尊と定めるべきか。答えて言う、法華経の題目をもって本尊とすべきである)

 大聖人の出世の御本懐は「妙法曼荼羅」の御本尊である。その体は法華経の文字であり、しかして仏の御意である。

 木絵二像開眼之事(四六九㌻)にいわく、
「仏の御意(みこころ)あらはれて法華の文字となれり、文字変じて又仏の御意となる、されば法華経をよませ給はむ人は文字と思食(おぼしめす)事なかれすなわち仏の御意なり」

(仏の御意はあらわれて法華経の文字となったのである。法華経の文字は変じて、また仏の御意となるのである。ゆえに、法華経を読まれる人はたんに文字と思われてはならない。それはとりもなおさず仏の御意なのである)

 御本尊には「仏の御意」が顕れている。この上「魂を入れる」必要は無い。

(3)御本尊は「三十二相の仏」

 法華経の題目たる〝妙〟の文字は「三十二相の仏」であらせられる。

 妙心尼御前御返事(一四八四㌻)にいわく、
「妙の文字は三十二相・八十種好・円備せさせ給う釈迦如来にておはしますを・我等が眼つたなくして文字とは・みまいらせ候なり」

(妙の文字は三十二相・八十種好を円満に備えられている釈迦如来であられますが、我等の眼がつたないので文字と見ているのです)

〝妙〟の文字は、五字七字の題目にのみ御座すのではない。法華経の一字一字に〝妙〟の文字が具わるのであり、法華経の文字すべてが三十二相の仏である。

 開目抄上(二〇九㌻)にいわく、
「此の経一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四字・一一に皆妙の一字を備えて三十二相・八十種好の仏陀なり」

(この法華経は、一部・八巻・二十八品・六万九千三百八十四字・一一にみな妙の一字をそなえて、三十二相・八十種好の仏陀である)

 ところが日顕宗の輩は不遜にも、御本尊を〝開眼しなければ「一相」足りない「三十一相の木絵の二像」である〟と貶める。法華経を誹謗し、大聖人の仏法を破壊する、天魔の所為である。

2.「御本尊の開眼」を説く御書は皆無

 大聖人は『観心本尊抄』において、出世の御本懐たる末法の本尊義を顕わされた。

 如来滅後五五百歳始観心本尊抄(二百五十四㌻)にいわく、
「此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」

 末法建立の「妙法曼荼羅」の御本尊が、正法・像法の時代に顕わされた「木像・画像」の本尊より勝れること、天地雲泥の差異がある。
 その例証として、「妙法曼荼羅」の御本尊は法華経であるゆえ「能生(のうしょう)」であり、開眼は不要である。それに対し「木像・画像」の本尊は仏であるゆえ「所生」であり、法華経による開眼が必須である。

〇正像の本尊…「木像・画像」… 仏 ………「所生」:開眼必須
〇末法の本尊…「妙法曼荼羅」… 法華経 …「能生」:開眼不要

 当然の帰結として、御書全集には「妙法曼荼羅」の開眼を説かれた御抄は、ただの一例も存在しない。自明の理である。
 だが宗門にとって、それでは困る。「日蓮正宗(=今では日顕宗)の唯一絶対性」が失われるなら、坊主の存在意義も無くなり、「飯の食い上げ」である。
 よって〝捏(でっ)ち上げ〟(捏造)しなければならない。背に腹は代えられず、彼等も必死である。その方法は次の通り。

① 仏法の全てが御書に説かれてはいないとする(〝御書部分論〟)
② 御書を換骨奪胎し、都合良く読み替える(〝文底読み〟)

3.「御書部分論」の邪義

 日顕宗では「御書は大聖人が説かれた法門の〝部分〟にすぎず、すべての法義は法主だけが知っている」(要旨)とする〝御書部分論〟がまかり通っている。御書否定の、大誑惑の邪義である。
 次の法華講員のコメントにも、同様の趣旨が書き込まれている。

「『御書に宗祖の仏法の全てがズバリ書かれている』という文証はありませんし、事実書かれていません」

 大聖人には、末代にはこのような〝欺瞞〟も〝まやかし〟も出るであろうと御見通しであり、多くの御書に指弾されている。

(1) 文証が無いものは邪教である

 真言見聞(一四八㌻)にいわく、
「文証無き者は悉く是れ邪偽・彼の外道に同じ」

(文証の無い者はことごとく邪(よこしま)で偽(いつわ)りであり、かの外道と同じになる)

 聖愚問答抄上(四八二㌻)にいわく、
「経文に明(あきらか)ならんを用いよ文証無からんをば捨てよとなり」

(経文に根拠が明らかであるものを用いよ、文証の無いものは捨てよ、ということである)

 祈祷抄(一三五五㌻)にいわく、
「若し証拠なくんば誰人か信ずべきや、かかる僻事(ひがごと)をのみ構へ申す間・邪教とは申すなり」

(どの経文に説かれているか、もしその証拠が無ければ、誰が信ずることができようか。このような僻事ばかりを構えるから邪教というのである)

(2) 法主の言葉は人師・論師の釈であり、口伝は祖師の言葉ではない

 持妙法華問答抄(四六二㌻)にいわく、
「唯人師の釈計りを憑(たの)みて仏説によらずば何ぞ仏法と云う名を付くべきや言語道断の次第なり」

(ただ人師の釈ばかりを憑みにして、仏説によらなければ、どうして仏法という名を付けるべきであろうか。言語道断の次第である)

 如説修行抄(五〇二㌻)にいわく、
「所詮・仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり」

(結局のところ、仏法を修行しようとするならば、他人の言葉を用いてはならない。ただ仰いで仏の金言を守らねばならない)

 聖愚問答抄上(四八二㌻)にいわく、
「仏説に依憑(えひょう)して口伝を信ずること莫(なか)れ」

(仏説に依って、口伝を信じてはならない)

(3) 御書以外に正法があるとするのは禅・天魔の説である

 行敏訴状御会通(一八一㌻)にいわく、
「禅宗は天魔波旬の説と云云、此又日蓮が私の言に非ず彼の宗の人人の云く教外別伝と云云、仏の遺言に云く我が経の外に正法有りといわば天魔の説なり云云」

(訴状には「(日蓮は)禅宗は天魔波旬の所説である(と言っている)」とある。これについていえば、これもまた、日蓮の私の言ではない。禅宗の人々は「我が法は教外別伝である」と述べているが、仏の遺言(涅槃経)に「我が経の外に正法があると言えば、それは天魔の所説である」とある)

 本尊問答抄(三七一㌻)にいわく、
「禅宗と申すは一代聖教の外に真実の法有りと云云譬えばをやを殺して子を用い主を殺せる所従のしかも其の位につけるがごとし」

(禅宗というのは、釈尊一代聖教の外に真実の法があるといっている。これを譬えれば、親を殺して子を用い、主人を殺した所従が、その主人の位につくようなものである)

 以上、大聖人はこのような日顕宗の輩を、次の通り断じられる。

 種種御振舞御書(九二四㌻)にいわく、
「頭(こうべ)阿梨樹(ありじゅ)の枝のごとくに・われたれども悪業ふかくして・しらざるなり」

(頭が阿梨樹の枝のように破(わ)れてしまっているが、悪業が深いために自覚していないのである)
                          (続く)
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:62」を破折する 連載89回

妄説:62 「允可(いんか)」とはどういう意味ですか。

「允可(いんか)」とは、一般に、師匠が弟子の悟りに対して、許可を与えることであり、印可とも書きます。
 日蓮正宗においては、信心修行の根本となる「本尊」は、本仏の悟りであり、仏の当体ですから、こと「御本尊」に関しては允可は絶対に必要なのです。
 日蓮正宗では、大聖人の仏法を相伝された唯授一人の御法主上人の允可による本尊を立ててこそ成仏が可能なのですから、御法主上人の允可のない本尊は『ニセ本尊』であり、これを拝むことは堕(だ)地獄の因となります。
 創価学会の『折伏教典』にも
「三大秘法抄、観心本尊抄等の御文に照して拝察するならば、勝手な御本尊を拝むことが大きな誤りであることが、はっきりわかるのである」(同書 三四〇頁)
と書かれています。

破折:
1.「允可」が通用するのは法華講にだけ

「允可」とは、御書全集にはただの一語も登場しない。ずいぶんと〝禅坊主〟らしい語を持ち出してきたものである。これ一つをとってみても、大石寺の伝統にない、日顕独自の教義、日顕宗となっていることが分明である。
              ◇
 谷川 ロサンゼルスの男子部が、日顕宗のことを映画の「ジュラシック・パーク」をもじって「ジェラス・パーク(嫉妬の園)」と言ってましたが、実にぴったりの表現です(笑い)。
 細谷 ところで、その〝嫉妬の園〟の動きだけど、日顕は、学会の御本尊授与のことを今度は「院達」で、法主の「御允可(ごいんか)」がないから駄目だといっている。
 高橋 〝御允可〟ですか! 今時、古臭いですね。つまり〝許可〟でしょ(笑い)。少しでも有り難がるように、ということでしょうが、そんなのが通用するのは、日顕に盲従(もうじゅう)している法華講あたりだけですよ(笑い)。
 斉藤 日顕の国語力は正本堂説法の〝たるべき〟の珍解釈で底が割れていますからね(笑い)。昔から日顕は見えだけで実際は中身がない。やさしいことを、いかにも難解そうに言って偉そうに見せかけるんです。しかも、肝心の言っている内容が間違いだらけだから、どうしようもないですよ。
 辻 結局、日顕宗は、学会の御本尊授与について、法主の許可がないということしか言えない。ところがその法主は、禅寺に墓を建てるわ、陰で悪事を繰り返すわ、遺誡置文(ゆいかいおきもん)もことごとく破ってしまった。これでは邪宗の法主だ。こんな法主が「許可、許可」と居丈高(いたけだか)に言っても、それこそ笑い話にしか過ぎないよ(大笑い)。
 細谷 そうです。〝ニセ本尊〟だとか、功徳がないとか悪口を言っていますが、日寛上人の御本尊というのは、大御本尊をお写ししたものだ。その御本尊に功徳がないというのであれば、それは大御本尊否定になりますよ。
 秋谷 その通りです。それこそ大謗法です。そのように大御本尊を否定し、日寛上人を否定していること自体、〝ニセ法主〟の証拠だ。謗法の法主のエセ開眼なんて、まっぴらだ(笑い)。
 辻 そう。大事なのは信心なんだ。この日寛上人の御本尊を拝んで、功徳をいっぱいいただいて進んでいきましょう。
(発言者:秋谷会長、辻参議会議長、細谷副会長、斉藤教学部長、高橋婦人部書記長、谷川青年部長 『聖教新聞』1993年9月30日)

2.「允可」とは法主の「印籠」

「允可」とは、識者が言う「権威をもって他者を威圧するものの象徴」であり、「印籠」に譬えられるものである。すなわち時代劇に登場する、葵の御文の印籠を思い起こせば良い。
 社会学者・西山茂氏は日蓮正宗の教学を指して「板本尊と血脈とを楯にとった印籠教学である」(1998年)と指摘した。
 すなわち「成住壊空に耐えられないモノ本尊観と歴史的実証を否む法主血脈神話に固執する宗門の外相的な『印籠教学』」であるとし、その「印籠教学」の注釈として「正統性の根拠を物質(板本尊)の独占や位座の権威(法主血脈)に置いて他者を威圧する教学のこと」と述べている。
 古代エジプトやギリシャの時代であれば、神の意を代弁する〝神官〟の存在は宗教の威厳として不可欠であった。それを踏襲するかのように、大石寺の法主は大聖人の〝代官〟として「同意」を与え得る存在(神官)であり、同時に教団の一切を統(す)べる管長の座(王)をも兼ねる、絶対の君臨者である。
 この様な非科学的・非民主的なあり方に立脚した宗門に世界宗教たる資格は毛頭無いが、彼らが現代に生きる人々を惑乱する悪業を目の当たりにし、深刻な危険性が懸念されてならない。

3.「法主の允可」を否定した末寺

 邪教・日顕宗のニセ法主二人をはじめ坊主や法華講員が日寛上人御書写の御本尊を「ニセ本尊」と盛んに誹謗している。日顕宗の輩の言い分は「法主の許可がない」ということだが、かつて権僧正だった千葉県・保田妙本寺の鎌倉日櫻住職が生前に力説していたのは「法主の允可などは不要である」ということだった。
 鎌倉住職は後年、宗門を離脱したが、離脱する以前に「万年救護御本尊」を縮小して製版印刷し、希望者に三万円前後で販売していたことがある。
 この件について鎌倉住職は「自分の寺の御本尊をどうしようと大石寺に断る必要なんかない」「誰に遠慮も要らない」「自分で書くんじゃなくて、お形木だから……」(要旨)等と語っていたのである。
 つまり、鎌倉住職は「法主の允可」などを真っ向から否定していた。
 この鎌倉住職に対して、宗門が「允可」がどうの「開眼」がこうの、と難癖をつけたという話を聞かない。
(『フェイク』第1115号 発行10.05.26)

4.教団内の自己満足

 当時、宗門僧侶であった花野充道は大学の博士号を取得したことにより、日顕の怒りを買った。日顕の「分を超える」ことは許されないからである。僧籍を離脱した花野充道は、印籠に事寄せて次の通り述べている。
               ◇
 水戸黄門の印籠の威力が通じるのは、江戸時代の日本の国だけである。アメリカに行って、それを見せても「ファット・イズ・ジス?」と言われるのが落ちである。
 また現代の日本でそれを見せても、骨董品としての価値があるだけで、誰も平伏する人はいない。法主の印籠が通用するのは、日蓮正宗という教団の中だけであって、一歩外に出れば、法主の「人格」か、「行動」か、「学識」か、何かが具わっていなければ、世間の人が尊敬することはないであろう。
 日亨上人は法主になられた方であるから、法主であったということだけで、自門の僧俗から無条件で尊敬されることは言うまでもないが、日亨上人にはさらに教団外の人も一目置く「学識」が具わっていたから、たとえば歴史学者として高名な宮崎英修氏や高木豊氏からも尊敬されていた。
(『フェイク』第1148号 発行10.10.15)

 花野は日亨師を引き合いに出して、日顕、日如には「人格」も「行動」も「学識」も、何一つ具わっておらず、教団外の人からは全く尊敬されないことを、ほのめかしているのである。
 結局、日顕、日如には「允可」しか持ち合わせがない。宗内での〝威圧〟、また学会への〝脅迫〟のためにも、必要不可欠なのである。だが「法主の印籠が通用する」のは教団内部だけであり、しょせんは日顕・日如の自己満足でしかない。

5.「無節操男」花野充道

 この花野充道とは、いかなる者か。
               ◇
 花野という者が、いまだに日蓮正宗の僧侶をやっているとは信じられない。そもそもが正信会の急先鋒だった者である。すんでのところでUターンして、宗門側に残った。昭和五十五年九月には、正信会の檀徒大会に出席した罪を問われ、「停権二年」の処分を受けている。
 昭和五十六年七月には、八丈島の無上寺住職として赴任し、昭和五十八年十二月に、現在の兵庫県・浄福寺住職となった。昭和五十五年九月に檀徒大会に出席し、「停権二年」の処分を受けていながら、昭和五十八年六月には「宗会議員」になっている。上昇志向の男である。
 花野は、日頃話していることと、自分の行動原理とが違う。とどのつまり、大事な判断を迫られる瀬戸際に立つと、我が身かわいさで変身してしまうのだ。
 花野の場合は、変節漢という名にも値しない。変節したという場合は、ある程度の節を維持する期間が必要である。
 花野はただ、生き残り偉くなろうと、周りの色の変化につれて変色しているだけのこと。カメレオンである。
 花野は、10・17猿芝居(注記)において、次のように話している。
「そういう、今のこういう非常にわかりにくい膠着した状態の中で、徹底的に御法主上人猊下をはじめ、宗門の悪口を次から次から探して言っております。
 そのうちに学会の人は、ほとんどいやになって、『学会もいやだけれども、宗門もなんか信じられない』というような人が、これからだんだんだんだん増えてくると私は憂慮するわけでございます。
 したがいまして、考えられることは御本尊様下附停止、あるいは登山停止、あるいは講中、創価学会解散勧告、あるいは名誉会長、秋谷会長、森田理事長の破門等を含めて、でき得ることを何らかの形ではっきりと示していただきたい」
 花野は、現状のままでは檀徒づくりができないので、「御本尊様下附停止」「登山停止」「講中、創価学会解散勧告」「破門」をしろと言っているのだ。
(『地涌』第296号 1991年10月23日)

(注記)10・17猿芝居:総本山大石寺で行なわれた日蓮正宗全国教師代表者会議

 この〝変わり身の早い〟男の長所は、状況を見るに聡(さと)い観察眼を有することである。平僧が大学の博士号を取得することに嫉妬し、瞋恚の炎を燃やす法主・日顕の狭量さには、宗門の将来がありありと見えたのであろう。
 花野は現在、「法華仏教研究会」を主宰しており、その『法華仏教研究』創刊号「発刊の辞」には次の文言がある。
              ◇
 過去の日蓮主義の例を挙げるまでもなく、現在においても、最も果敢に折伏を実践し、好戦的であると目されている、日蓮正宗、創価学会、顕正会の対立は、目的(正義)のためには手段を選ばないという方向へエスカレートする危うさを孕んでいました。それが日蓮教団の宿命なのかも知れませんが、私は敢えて、「慈悲を説く宗教が、人を憎んではいけない」「人間を救うべき宗教が、宗教戦争によって人間を不幸にしてはいけない」と訴えたいと思います。
(「法華仏教研究会」H.P.)

 何をぬけぬけと。学会と宗門の対立を見下ろし、一人高みの見物と洒落込んで「宗教戦争」などとうそぶくが、「創価学会解散勧告」「破門」を煽り、「御本尊下附停止」にまで言及し、広宣流布を阻害した者は誰なのか。
 前出の『地涌』が花野を「カメレオン」と喝破しておよそ二十年。相も変らぬ「無節操」ぶりである。
                           (了)
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:61」を破折する 連載88回

妄説:61 御本尊を授与する場合は、総本山の許可が絶対に必要なのですか。

 御本尊授与には、本門戒壇の大御本尊の法体がまします総本山の許可が必要です。総本山の許可ということは、御法主上人の許可ということです。
 総本山第九世日有上人は『化儀抄』に
「実名(じつみょう)・有職・袈裟・守(まもり)・曼荼羅・本尊等の望みを、本寺(総本山)に登山しても田舎の小師(しょうし)へ披露し、小師の吹挙(すいきょ)を取りて本寺にて免許有る時は、仏法の功徳の次第然(しか)るべく候、直に申す時は功徳爾(しか)るべからず」(聖典 九七四頁)
と仰せられ、御本尊の授与は末寺の住職を通して、総本山の御法主上人へ願い出なければならないと定めています。
 また、第五十九世日亨上人は『有師(うし)化儀抄註解(ちゅうげ)』に、
「授与する人は金口相承の法主に限る」(富要 1-112頁)
と仰せです。
 このように御本尊の授与は、すべて御法主上人の権限であって、総本山の許可が絶対に必要なのです。

破折:
1.末寺住職の判断による御本尊下付

「一、実名、有職、袈裟、守、漫荼羅、本尊等の望みを、本寺に登山しても田舎の小師へ披露し、小師の吹挙を取りて本寺にて免許有る時は、仏法の功徳の次第然るべく候、直に申す時は功徳爾るべからず云云。」(「化儀抄」第八条『富要』1-62)

 この規定は〝末寺の住職の認可がなければ、本寺の住持(法主)から直接常住本尊を授与されても宗教的功徳はない〟としたものである。
 常住本尊にはこのような縛りがある。しかし末寺住職は判形さえ書かなければ、守り本尊や常住本尊を書写することは認められたのである。

「一、末寺に於て弟子檀那を持つ人は守りをば書くべし、但し判形は有るべからず本寺住持の所作に限るべし云云。  一、漫荼羅は末寺に於て弟子檀那を持つ人は之を書くべし判形をば為すべからず云云、但し本寺の住持は即身成仏の信心一定の道俗には判形を成さるゝ事も之有り、希なる義なり云云。」(「化儀抄」第七十七条、第七十八条『富要』1-71,72)

 ゆえに「総本山の許可が絶対に必要なのです」とは、少なくとも『化儀抄』においては断言できない。判形を入れない仮本尊ならば、末寺住職の判断で済むからである。
 次に「授与する人は金口相承の法主に限る」(富要 1-112頁)とある意味につき「妄説:53」(その一)において適確なる論考を紹介したが、あらためて本条項の真意を明かし、宗門の詐術・偽計を暴く。

「然るに本尊の事は斯の如く一定して・授与する人は金口相承の法主に限り授与せらるる人は信行不退の決定者に限るとせば・仮令(たとい)不退の行者たりとも・本山を距(さ)ること遠きにある人は・交通不便戦乱絶えず山河梗塞(こうそく)の戦国時代には・何を以つて大曼陀羅を拝するの栄を得んや、故に形木の曼荼羅あり仮に之を安す、本山も亦影師の時之を用ひられしと聞く、此に於いて有師仮に守護及び常住の本尊をも・末寺の住持に之を書写して檀那弟子に授与する事を可なりとし給ふ・即本文の如し、但し有師已前已に此の事ありしやも知るべからず、然りといへども此は仮本尊にして形木同然の意なるべし」(「有師化儀抄註解」富要1-113)

(それなのに本尊の事をこのように例外なく定め、授与する人は金口相承の法主に限定し、授与される人は信行不退転と決定した者に限るとしたら、たとえ不退転の行者であろうと、本山より遠く離れた地にある人は、交通不便で戦乱が絶えず、自然の要害により閉塞した戦国時代にあっては、どうやって大御本尊を拝する栄に浴することができようか。ゆえに御形木御本尊がある。仮にこれを御安置するのである。本山もまた八世日影師の時にこれを用いられたと聞く。ここにおいて、九世日有師が仮のお守り本尊・常住本尊をも、末寺住職がこれを書写して弟子檀那に授与しても良いとされたのであり、すなわち『化儀抄』本文の通りである。ただし日有師以前、すでにこのことがあったかも知れない。そうであってもこれは仮本尊であり、御形木御本尊と同然の意味なのである)

「総本山の許可が絶対に必要なのです」と言うが、宗門が引用する依文の『有師化儀抄註解』においては、「授与する人は金口相承の法主に限るなどと硬直的なことを言っていては、広宣流布に供しない」と論じているのである。
 また宗門は「御本尊の授与は、すべて御法主上人の権限であって、総本山の許可が絶対に必要なのです」と言うのであるが、この『有師化儀抄註解』はむしろ、末寺住職の判断により仮本尊を授与しても良いと定めた規定(『化儀抄』)の意義を、あらためて強調するものであり、さらには御形木御本尊の発行もその意義にあるとした。
 この通り日有師・日亨師は御形木御本尊の下付を末寺住職の判断で行なうことを「允可」しているのである。
 ゆえに学会が日蓮正宗改革同盟の御僧侶の申し出に基づき、日寛上人の御形木御本尊を下付することは、宗門古来の化儀(『化儀抄』)に則り、また近代不世出の大学匠たる法主(堀日亨師)の指南の上からも、唯一の和合僧団にふさわしい聖業であると言えよう。

2.天魔を砕いた勝利宣言

 日顕が御本尊下付を停止したことは、大聖人・日興上人への違背である。

「此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」
(観心本尊抄 二五四㌻)

「志(こころざし)有る者には本尊を授与し給ふに時を選ばず」」(日興上人 『富士宗学要集』第五巻 一七五頁)

 宗開両祖の御遺命に違背した宗門の暴挙に対し、立ち上がったのが淨圓寺(栃木県小山市)の当時の住職、故・成田宣道師であった。
 淨圓寺は1992年(平成四年)11月12日、住職と総代の合意をもって、日蓮正宗より宗派を離脱したのであり、法的に独立した寺院である。以下は成田宣道師により、学会が御形木御本尊を発行・授与するに至る申し出書である。
               ◇
             申し出書
 私は、日顕が一方的に学会を破門するなどの一連の経過、とりわけ御本尊下付を停止した暴挙に強い憤りを覚え、熟慮の末、昨平成四年十一月、淨圓寺として離脱を致しました。
 御本仏大聖人のご生涯は、「広宣流布」に貫かれたお振舞であられ、その御心は「民衆救済」の一語に尽きるといえます。
 大慈大悲の大聖人様が、民衆の求道の心を踏みにじり、広宣流布の流れを阻害するようなことをお知りになれば、これを絶対に許されるはずがなく、いかばかりか嘆かれ、お怒りであろうかと、胸が張り裂ける思いでありました。
「日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」と仰せられた宗祖の御聖意に背くことを何よりも恐れるのです。
 もとより、こうした御本尊下付停止という非道の処置にも、学会員の皆様の信心は、いささかも揺るがず、池田名誉会長を中心に尚一層、日本や世界の各地で力強く「広宣流布」を進められている姿を目のあたりにして、私は深い感動を覚えました。
 このように広宣流布への信心を貫いている創価学会の皆様こそ、真に一閻浮提総与の大御本尊を拝する資格を持った正信と求道の方々であると確信するのであります。
 私は、「広宣流布」を願う信心の上から、この健気な学会員の皆様に何とかお応えしたいと願う日々でありました。
 そこで、私は、開基六百九十年の古刹・当淨圓寺に御宝物として所蔵しております、二十六世日寛上人御書写(享保五年)の由緒ある「御本尊」を学会員の皆様に御形木御本尊として授与していただくことが、最良最善の道であり、大聖人様が最もお喜びになられると確信するに至った次第であります。
 この旨、日蓮正宗改革同盟の同志にも諮り、全員の賛同を得ることができましたので、ここに貴会に対して願い出るものであります。
 広宣流布のために、求道心に溢れる学会員の皆様に思う存分に拝していただきたい――この私の信心の上からの申し出をお受けいただければ、これに勝るよろこびはございません。
                             以上
 平成五年六月六日
  淨圓寺住職 成田宣道
 創価学会会長 秋谷栄之助殿
(『地涌』第697号 1993年9月8日)

 ここに日蓮大聖人の仏法は蘇り、天魔・日顕は完全に敗北したのである。

3.大聖人の仏法は坊主の専有物ではない

 坊主の〝所願〟とは、令法久住でもなければ、広宣流布でもない。ひとえに御供養を貪ることである。
               ◇
 日寛上人は本尊抄文段で、大御本尊様を「一閻浮提の一切衆生の本尊」と記されている。御本尊は日顕や日如のためとか宗門のためにあるのではない。広宣流布に励む全ての人のために顕された御本尊なのである。
 また、日蓮大聖人は「法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり」と仰せになっている。この広宣流布の旗印である御本尊を日顕らは信徒を脅し、供養を巻き上げるための道具として悪用してきた。
 日顕らが盛んに「法主の権能」とか「法主の允可」等と血迷ったことを強調しているのも、結局は、本尊下付の際の供養が寺に入らないからである。
 だから、御本尊を坊主の専有物であるかのように偽って難癖をつけ、愚かで軽率な法華講員を煽動し、学会の悪口を言わせて大騒ぎしているのである。
 また、御書に「末代の衆生に慥(たし)かに授与す可し」と記され、御講聞書には「妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に取次ぎ給うべき仏勅使の上行菩薩なり……広くは末法万年までの取次なり」と仰せになっている。
 この尊い精神を蹂躙した日顕宗は、日寛上人の御形木御本尊を「ニセ本尊」呼ばわりするまでに錯乱してしまっているのである。
 日顕が悩乱したことで宗門は完全な邪教と化してしまった。日蓮大聖人の御精神を継承し、世界に広め、後世に伝えることのできるのは、今では学会しかない。
 信心を失い、広宣流布の使命を忘れた極悪坊主の日顕、日如には御本尊に関する権能もなければ、学会の御本尊授与について、つべこべ文句を言う資格もありはしない。
(『フェイク』第1163号 発行=10.12.27)

 戸田会長は、坊主根性を喝破して言った。
              ◇
一、僧侶は商売でお寺をやっているんではない、
  喰うために寺があるなんて考える奴は風上にも置けんやつだ。
一、布施にまよってはならぬ、山程積んである御本尊の功徳を一日も早く悩める民衆に施せ、
  和尚さん面(づら)して奥に引っこんで威張っているのが能ではない。
(『寸鉄』1952年(昭和27年)9月10日)
                           (了)
 

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Author:墨田ツリー

 
 
 

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