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日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:33」を破折する(その2) 連載44回

妄説:33 池田氏がいう「大宇宙の生命のリズムと小宇宙である自分が合致するために唱題をする」という考え方は正しいのですか。

 大宇宙の生命のリズムと自分が合致するなどという考えは全くの邪義です。
 日蓮大聖人は、宇宙に遍満する法を御本尊として顕わされたのではなく、御本仏の御内証を一幅の御本尊として顕わされたのです。
 それが、弘安二年十月十二日御図顕の本門戒壇の大御本尊です。
 本門戒壇の大御本尊は、人即法・法即人、人法一箇の御本尊であり、決して大宇宙の生命のリズムなどという法ではありません。
 私たちの信仰の根本は、本門戒壇の大御本尊であり、この大御本尊を対境として唱題することにより、即身成仏の功徳を得ることができるのです。
 御法主日顕上人は、法のみに偏(かたよ)った考えに対し、次のように破折されています。
「宇宙に遍満する法のリズムに我々が合致するなどと言っておるようですが、あれは大変な間違いです。むしろ、大聖人様の仏法に対する冒涜であります。法といっても、それは大聖人様の久遠元初の御当体としての自受用報身の一念に具わる法なのです」(大日蓮 563-54頁) 
したがって、私たちが本門戒壇の大御本尊に向かって純真に唱題するとき、御本仏の一念に境智冥合し、はじめて成仏の大利益が生ずると理解すべきです。

破折:
5.〝外国由来の言葉〟を嫌う宗門

 宗門はカタカナ語、外国由来の言葉を嫌うらしい。そう言えば、聖教新聞の一面に載った活字を見た日顕が、不機嫌になったとの話がある。
               ◇
 その日、日顕が突然、奥番を一人ずつ呼び出した。まず、西村が呼ばれた。しばらくして西村が帰って来た。宮内が「何ですか?」と聞くと西村は「聖教新聞がどうだとか……意味わかんねえ」と首をかしげている。
 次に宮内が呼ばれた。日顕のいる和室に入るとテーブルの上に聖教新聞が置かれていた。そのテーブルの向こうで日顕が仁王立ちしている。日顕は宮内を見るなり、聖教新聞を指差した。
「これを見て貴様はどう思うか」
 日顕は明らかに不機嫌だった。その新聞の一面には「二〇〇一年五月三日 新世紀の広布の山へ 全会員がスタート」というタイトルが大きく出ている。宮内は、
「はい。池田名誉会長は、かつて“二〇〇〇年までに確たる平和勢力を築きたい”とおっしゃっていますし、二十一世紀には……」と自分の意見を話し始めた。すると日顕は宮内の話をさえぎり、
「そんなことはどうでも良い! 貴様! 二〇〇一年とは何だ」
「西暦です」
「西暦とは何だ」
「西暦はキリスト生誕の年を基準として……」
「そうだろう。だから、学会はキリスト生誕二〇〇一年に向けて進むのか」
 宮内は日顕が何を言いたいのか、ようやくわかってきた。
「立宗何年という言い方よりも、一般的に広く西暦が使われているので、こういうタイトルになったと思います」
 仕方なく、宮内はまるで子供にでも諭すように説明した。すると日顕は、憮然として「もういい!」と言って宮内を部屋から追いだした。
 宮内は愕然とした。創価学会は世界へ布教している。今や、西暦は世界の標準である。それを日顕はまるで〝西暦を使うのは謗法(大聖人の仏法に背くこと)だ〟とでもいうように難癖をつけている。そのような狭い料簡では世界広布など実現できるはずがない。法主であるならば、創価学会の並々ならない努力を理解し、称えていくべきではないか。日顕は世界に発展している創価学会に対して、僻んでいるに違いないと宮内は感じた。と同時に(こんなことでは僧俗和合はかなわない)と悲しい気持ちになった。
(「実録小説 大石寺・大坊物語」青年僧侶改革同盟 渡辺雄範著)

6.「リズム」とは生命の「律動」

 外国由来の言葉が宗門に通用しないなら、「リズム」を日本語の「律動」(周期的運動)に置き換えてみればどうか。
〝潮の干満〟や〝月の位相〟は、地球と月との律動による様相であり、〝春夏秋冬〟は太陽と地球との律動の結果である。法界(宇宙)全体もまた〝成住壊空〟の壮大な律動の中にある。これら大自然の運行を巨大なる生命の律動、「大宇宙の生命のリズム」と捉えたとしても、不見識ではない。
 また我ら一人一人の小さな生命の律動は〝生老病死〟であり、乳児・幼児・少年・青年・壮年・老年と移ろうことは〝人生の律動〟である。しかも死は生命の終わりではない、〝生死流転〟と説かれる。これを「小宇宙である自分」と捉えても良いであろう。
「リズム」が横文字だからと言って、馬鹿にしてはいけない。大自然の移ろい、さらには仏法の原理を広く理解せしめるよう、その時代に生きる人々の言葉をもって認識を共有すること、また民衆の身の回りの事物を例に取る等、様々に工夫する努力は当然にある。
 仏法における先例は釈尊にまで遡る。真理の経典・法華経は、法説(正説)と譬説(譬喩)とが交互に説かれた(「法華七譬」)。それは原理と応用との両説であると同時に、衆生の機根の差ゆえに譬説をもってすれば、より広く衆生の理解できるところとなる。
 日蓮大聖人は、法華経の化導方法を末法に移された。すなわち国家諫暁の『立正安国論』、重要法門を説かれる『観心本尊抄』等は漢文体で執筆され、一方で弟子檀那には譬喩や故事を駆使して漢字仮名交じり文で認(したた)められ、法門の理解を容易にされたのである。
 歴代会長は、大聖人の御指導に倣い、難解な法門を庶民の生活に関連付けて展開し、聴衆が心から納得し発心するよう、創意工夫を凝らして講説した。「リズム」との言葉を用いたことも、それが現代人の腹に落ちる言葉のゆえである。
 我ら学会員にとり法界第一の律動・リズムとは、唱題である。かつは大地より陸続と立ち上がる地涌の菩薩群の息吹である。

 諸法実相抄(一三六〇㌻)にいわく、
「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」

 ところが宗門においては題目が聞かれることは無い。「いいか! 唱題なんていうのはな! 信者がやることだ!」、これは唱題に励んだ所化を、日顕が𠮟りつけた言葉である。正行たる題目を下すことは、宗門坊主の伝統である。
 宗門は典籍を棒読みすること何百年このかた、化導における進歩が無い。「法といっても、それは大聖人様の久遠元初の御当体としての自受用報身の一念に具わる法なのです」(日顕)と言ったところで、〝すなわち何々である〟等の説明ができるわけが無く、具体的なことは何一つ話せない。〝ただ法主のみよく知る〟等の、使い古しの文句しか口に出ないのである。
 一方、学会は時代に即応した言葉を展開し、広宣流布を加速させる。「僧侶にとって大事なことは令法久住であって、広宣流布ではない」(「妄説:28」破折の引用文から)と言いながらも、在家が広宣流布に邁進すれば、難癖を付けて止まないのが坊主の嫉妬心である。

「折伏もしないで折伏する信者にケチをつける坊主は糞坊主だ。」
(戸田会長「寸鉄」聖教新聞 1951.5.10)

7.御本尊とは如何なる存在か

 大聖人は、御本尊は我ら信者にとって如何なる存在であるか、在家のために諸御抄にわたり懇切に説かれた。

 日女御前御返事(一二四三㌻~一二四四㌻)にいわく、
「されば首題(しゅだい)の五字は中央にかかり、四大天王は宝塔の四方に坐し、釈迦・多宝・本化(ほんげ)の四菩薩肩を並べ……是(これ)を本尊とは申すなり。……
 此(こ)の御本尊全く余所(よそ)に求る事なかれ。只(ただ)我等衆生の法華経を持(たも)ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団(にくだん)におはしますなり。是(これ)を九識心王真如(くしきしんのうしんにょ)の都(みやこ)とは申すなり。……此の御本尊も只(ただ)信心の二字にをさまれり。以信得入(いしんとくにゅう)とは是(これ)なり」

(したがって、首題の妙法蓮華経の五字は中央にかかり、四大天王は宝塔の四方に座を占めている。釈迦・多宝、更に、本化の四菩薩は肩を並べ(中略)これを本尊というのである。(中略)
 この御本尊は、全く他所(よそ)に求めてはならない。ただ、我等衆生が、法華経を信受し、南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉団にいらっしゃるのである。これを「九識心王真如の都」というのである。(中略)この御本尊も、ただ信心の二字に収まっているのである。「信を以って入ることを得たり」とあるのは、このことである)

 本抄は別名『御本尊相貌抄』と言い、妙法曼荼羅の相貌を詳しく解説されながらも、御本尊が御座す所は別にあることを示された重要な御書である。
 日顕宗では「現在の学会では、ことさらに『御本尊は妙法を唱える人自身の胸中に存する』と主張し、会員を本門の本尊抜きの信心へ改変しようとしているのです」(「妄説:93」)と言って、『日女御前御返事』の御文を嫌う。大聖人の真実の御言葉を以て、日顕宗の迷妄を衝かれるのが恐ろしいのであろう。
 大聖人は本抄において重要な点を数多示唆されている。まず「大聖人御書写の御本尊と己心の本尊との関係」である。
 宗門は「大御本尊に向かって純真に唱題するとき、御本仏の一念に境智冥合し、はじめて成仏の大利益が生ずる」と言うが、大御本尊への「直拝」は古来、篤信者のための「内拝」であり、成仏の条件ではない。民衆一人一人にとっての〝正境〟とは、個人に授与される御本尊である。
 次項では、〝正境〟とされる御本尊と己心の御本尊との関連について述べる。

8.「正、了、縁」の三仏性

 我らは末代の凡夫でありながら、御文には「此の御本尊全く余所に求る事なかれ。只我等衆生の法華経を持(たも)ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」と仰せになり、衆生の己心に御本尊が内在することを明かされる。この原理は、他の信徒への御文にも同様に説かれるのである。

 法華初心成仏抄(五五七㌻)にいわく、
「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり」

 ここで「我が己心の妙法蓮華経」と「我が己心中の仏性」とあり、一見紛らわしいが、「我が己心の妙法蓮華経」とは〝大聖人己心の仏性を顕わされた三大秘法の御本尊〟であり、「……を本尊とあがめ奉りて」と続くのである。
「我が己心中の仏性」は、前に引用した御文中の「此の御本尊」に相当し、「仏性」と「御本尊」とを同等の義として仰せである。
 一口に仏性と言っても、その体と用(ゆう)(=働き)とで三様に分かれる。正因仏性、了因仏性、縁因仏性であり、正因が体、了因、縁因はその用(ゆう)の関係になる。

① 「我が己心中の仏性」とは〝内在的仏性〟であり「正因仏性」と呼ぶ。
② 正因仏性を覚知、顕現することを「了因仏性」と呼ぶ。
③ 正境たる御本尊に縁し、折伏弘教して功徳を積み、了因仏性に資する(助ける)働きを「縁因仏性」と呼ぶ。

 ひるがえって正因仏性があればこそ、唱題弘教に励む縁因仏性を起こすことができる。この通り三因仏性は互いに影響し合い、一体となっている。
 天台大師は、『金光明玄義』に三仏性(三因仏性)を土中の金にたとえて説明している。

「云何(いか)なるか三仏性なる、……土の内に金の蔵せるが如し。天魔外道も壊(やぶ)ること能わざるを、正因仏性と名づく。……人の能く金の蔵せるを知るが如く、此の智破壊すべからざるを了因仏性と名く。……草穢を耘(と)り除いて、金の蔵せるを掘出するが如きを、縁因仏性と名づく。当(まさ)に知るべし、三仏性皆常楽我浄にして、三徳と無二無別なり、すでに金光明の三字を見て三徳に譬うるなり」

「草穢を耘り除いて」とあるのは邪義謗法を払い除けること、「金の蔵せるを掘出する」とは勤行唱題して信心を深めることである。
 また三因仏性は〝空仮中の三諦〟となるのであり、正因仏性が中諦、了因仏性が空諦、縁因仏性が仮諦である。

 妙法尼御前御返事(一四〇三㌻)にいわく
「我等衆生悪業・煩悩・生死果縛(しょうじかばく)の身が、正・了・縁の三仏性の因によりて即法・報・応の三身と顕われん事疑ひなかるべし」

 よって三仏性(三因仏性)も三身如来と同じく、互いを具えるのである。

 観心本尊抄(二三九㌻)にいわく、
「金錍論(こんぺいろん)に云く『乃ち是れ一草・一木・一礫・一塵・各一仏性・各一因果あり縁了を具足す』等云云」

 もったいなくも御本尊は紙墨である。ただし非情の草木も一仏性(正因仏性)を有し「縁了を具足す」とあり、草木成仏の原理をもって仏の当体となるのである。この通り御本尊の義は、仏法の法理による裏付けをもって成立する。日顕宗の言う法主の「法魂」なる〝安物の仕掛け〟で出来るはずが無い。
 日顕宗が学会授与の御本尊を「ニセ」と誹謗する理由は、ただ「御法主上人の許可なく、勝手に複製されたもの」(「妄説:20」)とする、低レベルの感情論であり、仏法上の根拠も依処も無い。あるのはただ日顕の意に添った小僧共が捏造した、妄説・作文の数々である。

9.三身如来と三諦

 我らが正境たる御本尊を拝して読経唱題し、また折伏弘教に励む姿は、それ自体が三仏性の現れであり、三身の姿に相当するとされる。
 先には日顕宗が「リズム」の語について異常反応したことに対し、〝潮の干満〟も地球と月との律動による、大いなる現象であり「リズム」の発現であることを論じたが、次に挙げる御文は、月そのものが三徳を具える三身に譬えられている。

 四条金吾釈迦仏供養事(一一四四㌻)にいわく、
「三身とは一には法身如来・二には報身如来・三には応身如来なり、此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひぐす譬へば月の体は法身・月の光は報身・月の影は応身にたとう、一の月に三のことわりあり・一仏に三身の徳まします」

 月の体は一閻浮提(地球)とともに法界(宇宙)に具わり、久遠不変の義をあらわす。
 月の光は「日月の光明の能く諸の幽冥を除くが如く斯の人世間に行じて能く衆生の闇を滅す」(寂日房御書 九〇三㌻)との、光明の徳をあらわす。
 月の影は日々刻々と移り行き、新月にあっては姿を隠すも、やがて天空に登るのであり、生死の理をあらわす。
 月を対象にしても、三様の真実を見ることができる。すなわち一つの真実は三つの真実の現われである。これを明らかに見ることを三諦(仮諦・空諦・中諦)と言う。

① 仮諦とは、「現象」を「仮和合」と見る。
② 空諦とは、「性質」を「空」と見る。
③ 中諦とは、「本質」を「中道」(実相)と見る。

 三諦と、三身との関連を次の御文から確認したい。

 十如是事(四一〇㌻)にいわく、
「初めに如是相とは我が身の色形(しきぎょう)に顕れたる相を云うなり是を応身如来とも又は解脱とも又は仮諦とも云うなり、
 次に如是性とは我が心性(しんしょう)を云うなり是を報身如来とも又は般若とも又は空諦とも云うなり、
 三に如是体とは我が此の身体なり是を法身如来とも又は中道とも法性とも寂滅とも云うなり」

① 仮諦とは、「色形」を捉えた「如是相」であり、「応身如来」である。
② 空諦とは、「心性」を捉えた「如是性」であり、「報身如来」である。
③ 中道(中諦)とは、「身体」(全体)を捉えた「如是体」であり、「法身如来」である。
 
 次項においては、三様に説かれた御本尊の意義を「三身如来」に配して論ずる。

10.三様に説かれた御本尊

「胸中の肉団におはします」(『日女御前御返事』)御本尊と、「我が己心中の仏性」(『法華初心成仏抄』)とが、衆生のうちに存在すると仰せであった。すなわち「御本尊」即「仏性」と理解し得る。
 仏性が三仏性(三因仏性)として三身如来に等しいとあれば、仏の当体である御本尊も三身如来に配することは不当では無い。
『日女御前御返事』の御文において、御本尊は三様に述べられる。

① 「首題の五字は中央にかかり……是を本尊とは申すなり」
② 「只我等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはします」。
③ 「此(こ)の御本尊も只(ただ)信心の二字にをさまれり」

 第一は、日女御前が授与された妙法曼荼羅の御本尊である。墨と紙との〝仮和合〟のお姿(仮諦)であるゆえに、応身如来である。

 第二に、「胸中の肉団(にくだん)におはします」御本尊である。胸中の肉団におわすとは「九識心王真如の都」、虚妄をはなれ、不変不改である真実をいうとされる。「九識心王」は永遠不滅に具わる(中諦)ゆえに、法身如来である。

 第三の「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」とある箇所は配慮を要する。文面を追えば、前出の「胸中の肉団におはします」御本尊への重ねての形容と読める。「信心の二字」に収まりながらも、なおかつ「胸中の肉団」に御座す〝二重構造〟となろうか。
 しかし見方を変えて、御本尊に三身の徳が具わるならば、まだ該当していない報身如来の形容かとも推測し得るのである。
 そもそも報身如来とは如何なるか。『四条金吾釈迦仏供養事』においては、法身如来は月の体、応身如来は月の影、そして報身如来は月の光、衆生の闇を照らす光明に譬える。
 上記を仏の徳に置き換えれば、法身が不滅の実相、応身が衆生の化導、報身は永遠の真理であり「智慧身」である。この報身を「正意」と捉え、三身の中心に論ずることを「報中論三」と言う。
 大聖人の偉大なる「智慧」とは妙法五字であり、奥底は三大秘法義である。展開すれば一切法・八万法蔵となる。

 法華経題目抄(九四二㌻)にいわく、
「妙法蓮華経の五字に一切の法を納むる」

 報身の御本尊とは、一切法を〝妙法五字の蔵〟に納める「智慧身」の御本尊である。一切法・八万法蔵が紙墨の御本尊のどこに有るかと問えば、報身は空諦であるゆえに、不信心者には無く、信心ある者には現れる。

 新池御書(一四四三㌻)にいわく、
「有解無信とて法門をば解りて信心なき者は更に成仏すべからず、有信無解とて解はなくとも信心あるものは成仏すべし」

 四信五品抄(三三九㌻)にいわく、
「慧又堪ざれば信を以て慧に代え・信の一字を詮と為す、不信は一闡提謗法の因・信は慧の因・名字即の位なり」

「以信代慧」の法理により、八万法蔵の智慧も妙法五字の信心に納まり、成仏の因となるのである。なお仔細に尋ねれば、御書を繙けば智慧身は文字と顕われ、妙法五字を開いて八万法蔵を正しく説いているのである。
 なお心得るべきは、三種類の御本尊が別々にあると考えてはならないことである。御安置した御本尊も、胸中の肉団におわす御本尊も、信心の二字におさまる御本尊も、自身にとって等しく御本尊であり、認識の方法(三諦)が異なるだけである。
〝墨と紙との仮和合の御本尊が何ゆえ仏身であるか〟との疑念に対しては、信心によって現れる報身の御本尊が具わることにより、胸中の肉団に御座す法身の御本尊とも合して、「三身即一身」かつ「一身即三身」の三身如来となるのである。

「我等一心に本尊を信じ奉れば、本尊の全体即ち我が己心なり。故に仏界即九界なり。 我等一向に南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身の全体即ちこれ本尊なり。故に九界即仏界なり」(観心本尊抄文段上『富士宗学要集』第四巻 P227)

 もしも三身が隔別であったら、名目だけの如来となる。大事な点は、「信心の二字」とは〝蔵の鍵〟の如くであり、それが無くては蔵の中の如意宝珠を得ることは叶わない、仏性を開発できないことを忘れてはならない。

 法華経題目抄(九四三㌻)にいわく、
「世間に財(たから)を積める蔵に鑰(かぎ)なければ開く事かたし開かざれば蔵の内の財を見ず」

(一般的にいうと財を積んである蔵も、鑰がなければ開くことはできない。開かなければ当然蔵の内の財を見ることはできない)

 いかに仏壇を荘厳して御本尊を御安置しようと、不信心の者には〝信心の二字におさまる御本尊〟(報身の御本尊)は現れず、「隔別(きゃくべつ)の三諦」となって御本尊の功徳は生じない。
 さらに肝心なことは、御本尊の三身が整足していようとも、謗法の毒が混じれば功徳が消滅することは御書に厳然と説かれることである。

 曾谷殿御返事(一〇五六㌻)にいわく、
「何(いか)に法華経を信じ給うとも謗法あらば必ず地獄にをつべし、うるし千ばいに蟹の足一つ入れたらんが如し、毒気深入・失本心故は是なり」

 大石寺に登山して大御本尊にお目通りしたとしても、それは大御本尊への不信のゆえに「ニセ物」と誹謗した日顕に与同することとなり、功徳はすべて消えてしまうのである。

11.御本尊を御図顕された目的

 今回は学習上の整理として、「御安置した曼荼羅御本尊」「胸中の肉団におわす御本尊」「信心の二字におさまる御本尊」を三身に配して論じたが、より肝心なことは、「此の御本尊全く余所(よそ)に求る事なかれ」また「此(こ)の御本尊も只(ただ)信心の二字にをさまれり」と強調されたことである。
 大聖人は、御本尊を「護符」の類と見誤ることのないよう、すなわち〝御本尊におすがりさえすれば良い〟等の心に陥ってはならないと、注意を喚起されたのである。
 勤行唱題もまた「神呪」ではない、信心を磨くためにある。大聖人の仏法は、安物の魔術ではないのだ(日顕はすでに「法魂」を操る、安物の魔術師となっている)。
 大聖人がこの御本尊を御図顕された目的は、衆生自らの生命に内在する本尊を覚知せしめるためである。もしも〝御本尊に頼ってさえいれば良い〟とすれば、御本仏として御本尊を顕わされた意図が、全く違った方向へ歪められてしまうことになる。
 日顕宗がさかんに「登山」を言い立て聖地巡礼を推奨し、〝大御本尊へのお目通り無くば罪業を消滅できない〟等とすることは、まさに大聖人の御懸念を踏みにじる師敵対の行為である。
 さらには日顕宗が「本門戒壇の大御本尊へのお目通りを拒否しておいて、そのお写しである家庭の御本尊だけを拝んでも功徳など絶対にありません」(「妄説:15」)とすることは、従来より歴代上人が信者のために大御本尊を御書写し、御形木御本尊として広く信者に御本尊を授与してきた歴史的事実を、全否定したことになる。
 その上で「本門戒壇の大御本尊を離れることは、御本仏日蓮大聖人から離れ、下種三宝(さんぼう)のすべてを否定する大謗法なのです」(「妄説:16」)として信者・檀徒を脅迫し、遮二無二登山させて御開扉料を収奪しようと謀るのである。
 本来は〝功徳の源泉〟たる大御本尊を、登山して目通りしなければ不幸に陥るとする〝畏怖すべき存在〟〝恐怖の象徴〟と変貌せしめたのが宗門である。「大謗法」とは、宗門のかかる謀略をいみじくも表わした言葉である。                     

(参考)
「三身常住」と「三因仏性」につき、戸田会長の正確緻密なる講義があり参考に供したい。

1.「三身常住」について

 戸田会長の「生命論」中に「第二節 法報応の三身常住」の講義を含むゆえに、専用のブログを御紹介する。諸兄諸姉の研鑚の一助とされますよう。

「ブログで読める戸田城聖全集 第二巻 質問会編」

2.「三因仏性」について

 戸田会長の『観心本尊抄』講義より「正・了・縁の三因仏性」の講義箇所を以下に転載した。これも諸兄諸姉の研鑚に寄与すること大である。
               ◇
 正・了・縁の三因仏性
 
 三因仏性とは、一に正因仏性、二に了因仏性、三に縁因仏性である。正因仏性とは、宇宙森羅万象が本然的に有する仏界という生命の本質であり、本体である。了因仏性とは、正因仏性を覚知する智慧の働きであり、縁因仏性とは、正境に縁することによって、了因の智慧を助け、正因仏性を開発していく働きである。正因が体であるのに対し、了因、縁因はその用(ゆう)の関係になる。
 四明知礼(しみょうちらい)(北宋時代の天台宗の学僧)の拾遺記(しゅういき)には「正は謂(いわ)く中正、了は謂く照了、縁は謂く助縁、縁因は了因を資(たす)く、了は正因を顕す、正因は勝縁を起す、亦た是れ正因は了因に発(おこ)り、了因は縁因に導かれ、縁因は正因を厳(かざ)り、正因は勝縁を起す」と、正、了、縁の三因仏性の関係を明かしている。これによれば、正、了、縁の三因仏性はたがいに、他を薫発(くんぱつ)し合い、影響し合い、しかも一個の生命に混然一体となって具足していることが明瞭である。 
 ここに一つぶの柿の種があるとする。その種それ自体は正因仏性にたとえられる。その柿の種は、それ以外のたとえば桃の木や、栗の木に育つということは絶対になく、種自身の中に将来柿になる性質をそなえている。この、智慧といおうか、性質といおうか、かかる柿自身に本然的に有する働きは、了因仏性にたとえられる。だがそれだけでは柿の木にはならないし、柿の実もならない。日光、雨、湿度、養分等を縁とし、それらの外界と内部の要素とが相応し、しだいに成長していくのである。このように外界のものを呼吸し、外界に反応し、育ちゆく働きは、縁因仏性にたとえられる。しかも、これらの働きも一粒の種の中に収まるものであり、他から与えられたものではない。同様に三因仏性は、生命に本然的にそなわっているものであり、かつバラバラなものではなく、混然一体のものであり、俱体俱用(くたいくゆう)なのである。
 天台大師は、金光明玄義に三仏性を土中の金にたとえて説明している。
「云何(いか)なるか三仏性なる、仏とは名づけて覚(かく)となす。性とは不改(ふかい)に名づく。不改は是(こ)れ常に非ず、無常に非ず、土の内に金の蔵せるが如し。天魔外道も壊(やぶ)ること能わざるを、正因仏性と名づく。了因仏性とは、覚智は常に非ず、無常に非ず智、理と相応し、人の能く金の蔵せるを知るが如く、此の智破壊すべからざるを了因仏性と名く。縁因仏性とは、一切の常に非ず、無常に非ざる功徳善根覚智を資助(しじょ)し、正性を開顕す、草穢を耘(と)り除いて、金の蔵せるを掘出するが如きを、縁因仏性と名づく。当(まさ)に知るべし、三仏性皆常楽我浄にして、三徳と無二無別なり、すでに金光明の三字を見て三徳に譬うるなり」
 すなわち、土中の金は、あらゆるもののなかに改められざる仏の性として自存している正因仏性をたとえ、土中の金を了することは智と理と相応し、正因仏性を覚知すること、すなわち了因仏性にたとえ、草や土を取り除いて、金蔵を掘り出すことをもって、正境に縁し、功徳善根を積み、了因を助け、正因仏性を開発する働き、すなわち縁因仏性をたとえているのである。
 いま、この正、了、縁があらゆる人にそなわることを、折伏活動との関係について論じてみよう。一切衆生の生命に仏性があるというのは正因仏性についていったものである。ある人が、信心している人から折伏を受けたとする。だが初めは信じられない。聞き入れようともしない。だがひとたび大御本尊の話を聞くや、それは聞法下種となっているのである。そして、外面はいかに反対をつづけても、あたかも水が高きより低きに流れるごとく、自然に、信心しようという心が薫発(くんぱつ)されてくる。これあらゆる人々の生命に了因仏性があるからである。さらに、あるなんらかの縁として、大御本尊を信ずるようになる。いわゆる発心下種である。これ、あらゆる人々の心中に縁因仏性がある証拠である。始聞仏乗義(九八三㌻)にいわく「凡(およ)そ心有る者は是れ正因の種なり随って一句を聞くは是れ了因の種なり低頭挙手(ていづこしゅ)は是れ縁因の種なり」また証真いわく「聞法(もんぽう)を下種と為す了因の種なるが故に、発心を結縁と為す仏果の縁なるが故に」と。
 されば、われわれの折伏活動こそ、最高限に相手の生命の尊厳を認めた行為である。あらゆる人々の生命の奥底に、仏界という偉大な生命があり、折伏しておけば、たとえその時には入信しなくとも、折伏が縁となり、仏種が薫発され、やがて入信し、真に光輝ある人生を進みゆくことができると確信してのふるまいだからである。(中略)
 法華経不軽品には、威音王仏の像法時代に不軽菩薩が我深敬(がじんきょう)等の二十四文字の法華経をもって、当時の一切衆生を救おうとしたことが説かれている。その時、不軽菩薩は、「但行礼拝(たんぎょうらいはい)」といって礼拝の行を専らにした。民衆は、不軽をみて、悪口(あっく)し、石を投げ、杖で打つなど、さまざまに迫害した。だが不軽は礼拝の行をやめなかった。ではこのように迫害し、圧迫する衆生をなぜ礼拝して歩いたか、それは、そのような軽毀(きょうき)の衆生であっても妙法の当体であり、尊厳なる仏界を有しているからである。
 御義口伝(七六八㌻)には、これについて「内証には汝等三因仏性の善因あり、事に顕す時は善果と成って皆当作仏す可しと礼拝し給うなり」とおおせられている。すなわち、不軽の礼拝したのは衆生の心中にある三因仏性であった。礼拝の行は、現在まったく用をなさないが、仏法の一貫した方程式を示しているではないか。
 また、さきに示したように法華経の提婆品には、提婆達多の天王如来の記別があげられている。あれほど釈尊をにくみ、たてつき、釈尊をなきものにしようと必死になった提婆達多が成仏の記をうけたのである。これこそ仏法が、一部の特別の人々を救うためのものではなく、あらゆる人々の生命の尊厳を説き、かつそれを事実の上にあらわさんとしていることが明瞭である。
 また、日蓮大聖人は、松葉谷(まつばがやつ)の焼き打ち、小松原の法難、および佐渡への流罪、竜(たつ)の口の法難等々、あらゆる迫害にあった。だが、大聖人は、平左衛門尉等の迫害した張本人をうらむどころか、むしろ第一の善知識とよばれたのである。さらに、時の執権に対しても「願くは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん」とまでいわれたのであった。これ一切衆生をことごとく包容しきった、末法の御本仏日蓮大聖人の広くかつ深きご境涯である。創価学会の折伏活動は、あくまでも、この仏法の精神、大聖人の御振舞いに立脚しているのである。
 以上、あらゆる人にそなわる三因仏性について考え、われらの折伏活動は、実に、これらの三因仏性を開発せしめる実践行為であることを論じたが、次に、信心に約して三因仏性を論ずることにしよう。
 われわれが信心をする目的は、この正、了、縁の三仏性の開発にある。法華経方便品には、仏の出世の目的は、衆生の仏知見を開示悟入せしめることにあると説かれている。天台は、この方便品の文をうけて「若し衆生に仏の知見無んば何ぞ開を論ずる所あらん当に知るべし仏の知見衆生に蘊在(うんざい)することを」と釈し、また章安も、「衆生に若し仏の知見無くんば何ぞ開悟する所あらん若し貧女に蔵無くんば何ぞ示す所あらんや」と論じている。これも、仏の生命、成仏の境涯は、けっしてよそにあるものではなく、われわれ凡夫の生命のなかに本来備わっていることを示したものである。
 しからば、この絶対にくずれない、最高の幸福境涯である仏界の生命(正因仏性)を、湧現するにはどうすればよいか。これが仏法の究極の問題であり、日蓮大聖人は、そのために、三大秘法の大御本尊をあらわされたのである。
 われわれが、この大御本尊を信じて、題目を唱え、折伏に励むことは、縁因仏性の働きであり、それによって自分の生命の智慧の働きを豊かにし、自分自身が仏であるということを悟って、成仏の境涯を得る。これ、了因仏性の働きである。
 大涅槃経邪正品にいわく「一切衆生仏性ありと雖(いえど)も、かならず持戒に因(よ)りて、然して後乃(すなわ)ち見る、仏性を見るに因りて阿耨多羅三藐三菩提(あのくたらさんみゃくさんぼだい)を成ずることを得」と、この文中「一切衆生仏性あり」とは、正因仏性である。次に「持戒に因りて、然して後乃ち見る」の「持戒」とは、すなわち縁因仏性である。持戒とは末法の今日においては、受持即持戒であり、御本尊を受持することである。これによって仏性を開発することができるのである。次に「仏性を見るに因りて阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得」の「仏性を見る」とは、了因仏性である。すなわち大御本尊を受持することによって、わが身妙法の当体なりと悟り、即身成仏するのである。
 法華玄義第五に、三仏性を三軌に約して「三因仏性に類通せば、真性軌(しんしょうき)は即ち是れ正因の性、観照軌(かんしょうき)は即ち是れ了因の性、資成軌(しじょうき)は即ち是れ縁因の性なり、故に下の文(法華経信解品)に云く、汝は実に我が子なり、我は実に汝が父なりとは、即ち正因の性」であると述べている。
 これまた同様であり、大宇宙、またわれらの生命に真理として厳然として存在している仏界の生命を真性軌といい、正因仏性をあらわしている。それを透徹した智慧をもって観ずるのを観照軌といい、了因仏性をあらわす。ここに観照とは、天台宗では観念観法によって、わが生命を照らし、仏界を観ずることを意味するのであるが、大聖人の仏法においては、大御本尊を信じ、仏智によりわが身妙法の当体なりとさとることをいう。資成軌とは、資は「たすく」の意で、了因仏性を助け、仏界を顕現し、即身成仏することである。具体的には題目をあげ、折伏をし、福運を積み、内外相応し、真実の幸福境涯を自在に遊戯(ゆうげ)することをいうのである。
 また、三因仏性は、日寛上人のおおせのごとく、空仮中の三諦となるのである。すなわち、正因仏性が中諦、了因仏性が空諦、縁因仏性が仮諦である。しかして、この三因仏性は、大御本尊を信じ、題目を唱え、折伏を行ずるならば、大御本尊の偉大な功力により、即法、報、応の三身とあらわれるのである。
 妙法尼御前御返事(一四〇三㌻)にいわく「我等衆生悪業・煩悩・生死果縛(しょうじかばく)の身が、正・了・縁の三仏性の因によりて即法・報・応の三身と顕われん事疑ひなかるべし、妙法経力即身成仏と伝教大師も釈せられて候」と。
 ゆえに、われらの正因仏性は、金剛不壊の仏身とあらわれ、いかなる三類の嵐もものともせず、峨峨(がが)たる大山のごとく確固不動の幸福境に生ききることができるのである。また了因仏性は、仏智とあらわれ、宇宙、人生、社会を透徹した智慧で見ていけることができるのである。これこそ正しき人生を歩み、かつまた、社会、民衆に正しき方向を与えていく源泉なのである。
 また、縁因仏性は、応身とあらわれ、事実の生活の上に、功徳があらわれ、福徳にみちみち、生き生きとした日々の行動をしきっていくことができるのである。(後略)
(『日蓮大聖人御書十大部講義 第四巻 観心本尊抄』著者:戸田城聖 昭和40年9月12日発行)
                           (了)
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:33」を破折する(その1) 連載43回

妄説:33 池田氏がいう「大宇宙の生命のリズムと小宇宙である自分が合致するために唱題をする」という考え方は正しいのですか。

 大宇宙の生命のリズムと自分が合致するなどという考えは全くの邪義です。
 日蓮大聖人は、宇宙に遍満する法を御本尊として顕わされたのではなく、御本仏の御内証を一幅の御本尊として顕わされたのです。
 それが、弘安二年十月十二日御図顕の本門戒壇の大御本尊です。
 本門戒壇の大御本尊は、人即法・法即人、人法一箇の御本尊であり、決して大宇宙の生命のリズムなどという法ではありません。
 私たちの信仰の根本は、本門戒壇の大御本尊であり、この大御本尊を対境として唱題することにより、即身成仏の功徳を得ることができるのです。
 御法主日顕上人は、法のみに偏(かたよ)った考えに対し、次のように破折されています。
「宇宙に遍満する法のリズムに我々が合致するなどと言っておるようですが、あれは大変な間違いです。むしろ、大聖人様の仏法に対する冒涜であります。法といっても、それは大聖人様の久遠元初の御当体としての自受用報身の一念に具わる法なのです」(大日蓮 563-54頁) 
したがって、私たちが本門戒壇の大御本尊に向かって純真に唱題するとき、御本仏の一念に境智冥合し、はじめて成仏の大利益が生ずると理解すべきです。

破折:
1.「成仏の境地」を説く困難と工夫

 一般民衆に御書や経典の類、ことには御本尊の真義、成仏の境涯等を理解せしめることは至難の業であり、従来はただ原典を読むばかりで、人々の生活に直接関連するものとして説明したものは皆無であった。
 ここに歴代会長は、地涌の義による菩薩を民衆の大地より数多立たしめんとして、より広く人々の理解に繋がるよう、時代に即応しかつ人々の心に共感をもたらす言葉をもって解説する、これが三代にわたる指導方法であった。
               ◇
 戸田城聖は戦時下の獄中で、「仏」とは「生命」であると悟達(ごだつ)し、仏法を生活に即した生命の哲学として、わかりやすく展開していった。それによって、仏法哲理を現代に開くことができたのである。
 仏法を根底にした私たちの主張や思想も、社会に即した表現がなされてこそ、説得性をもち、人びとの理解と共感を得ることが可能になるのだ。
(池田名誉会長「新人間革命」第20巻 懸け橋の章)

「成仏の境涯」につき御書には次のように仰せである。

 三世諸仏総勘文教相廃立(五七四㌻)にいわく、
「滞(とどこお)り無く上上品(じょうじょうぼん)の寂光の往生を遂げ須臾(しゅゆ)の間に九界生死の夢の中に還(かえ)り来(きた)つて身を十方法界の国土に遍じ心を一切有情(うじょう)の身中に入れて内よりは勧発(かんぱつ)し外よりは引導(いんどう)し内外相応(ないげそうおう)し因縁和合(いんねんわごう)して自在神通(じざいじんづう)の慈悲の力を施し広く衆生を利益すること滞(とどこお)り有る可からず」

(滞りなく上上品の寂光世界に往生を遂げ、たちまちの間に九界生死の夢のなかに帰ってきて、身を十方法界の国土にいきわたらせ、心を一切有情の身中に入れて、内からは勧発し、外からは引導して、内外相応じ、因縁和合して自在神通の慈悲の力を施して、広く衆生を利益すること滞(とどこお)りがないであろう)

 成仏した生命は、たちまちのうちに九界の世界に戻ってきて、衆生を自在に救っていくと述べられた御文である。
 もとより成仏の境涯とは、別して日蓮大聖人のみが証得されたところであるが、この御文を現代語に訳したところで、容易に凡夫の理解の及ぶところでは無い。
 どうすれば「寂光の往生」を遂げることができるのか、仏界を証得するとは、いかにして可能となるのであろうか。
 釈尊の極説、究竟の大法である『妙法蓮華経如来寿量品第十六』、その凝縮たる自我偈の末尾に、次の仏語が宣べられる。

「毎自作是念。以何令衆生。得入無上道。速成就仏身」

(毎(つね)に自ら是(こ)の念を作(な)す、何を以てか衆生をして無上道に入(い)り、速かに仏身を成就することを得(え)しめんと)

 衆生が成仏への最善の道を選んで、速やかに仏身となるよう常に念願しているのである、と。だが「何を以てか…得しめんと」とあり、正法像法においては、その具体的な修行方法を明かされることは無かった。
 大聖人が末法の御本仏たるゆえんは、成仏の法理を御本尊として顕わされ、万人の修行できる方途として確立されたことにある。
 ただし宗門では「大御本尊に向かって純真に唱題するとき、御本仏の一念に境智冥合し、はじめて成仏の大利益が生ずる」と言う。一口で言うと〝大御本尊と我らとの境地冥合〟であるとする。
 上記の文においては「大御本尊」は「御本尊」と訂正しなくてはいけない。「大御本尊」は一仏世界(三千大千世界)唯一であるゆえに、一人一人の成仏のため歴代上人が大御本尊を御書写し、信徒毎に御本尊を授与してこられたはずである。新興宗教・日顕宗になったからと言って、仏法の根幹をすり替えて良いはずはない。
 大御本尊は我ら学会員の眼前には御座されなくとも、家庭にまた会館に御安置された〝分身の御本尊〟を信受するとき、大御本尊は我らとともにおわすのである。
 日寛上人は、次の通り述べられている。

「『本尊』の二字は一念三千即自受用身の仏界なり。
我等一心に本尊を信じ奉れば、本尊の全体即ち我が己心なり。故に仏界即九界なり。
我等一向に南無妙法蓮華経と唱え奉れば、我が身の全体即ちこれ本尊なり。故に九界即仏界なり」
(観心本尊抄文段上『富士宗学要集』第四巻 P227)

 御本尊は仏界、我ら衆生は菩薩界から地獄界までを具えた九界である。〝境地冥合〟とは〝仏界即九界、九界即仏界〟を言うのであり、御本尊を信じ唱題することで、我ら九界が即仏界となり、御本尊と一体となる――と。
 我らの理解はここで一段、前進した。しかし〝信心し唱題すれば、何ゆえ九界の衆生である我らが、御本尊の仏界となるのであろうか〟、このように問われた時、「信ずればその通りとなる」「実践しなければ分からない」等と回答したくなるであろう。だが、それは「言葉で理解するには限度がある」として、説明を放棄することとなる。その結果、仏法対話は終わり、仏法を実践するかしないかは、相手次第と言うことになる。

2.大聖人に学ぶ「創意工夫」

 大聖人は、前項に引用した如くの難解な御文ばかりを著述されたわけではない。信徒への御消息文には、老若男女の様々な機根に合わせての譬喩を多用し、仏法を自在に説かれている。

 法華初心成仏抄(五五七㌻)にいわく、
「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり、譬えば篭(かご)の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ」

(我が己心の妙法蓮華経を本尊と崇めたてまつって、我が己心の中の仏性を南無妙法蓮華経と呼び呼ばれてあらわれるところを仏というのである。たとえば、籠(かご)の中の鳥が鳴けば、空を飛ぶ鳥が呼ばれて集まるようなものである。空を飛ぶ鳥が集まれば、籠の中の鳥も出ようとする。
 口に妙法をよびたてまつれば、我が身の仏性も呼ばれて必ずあらわれる。梵王や帝釈の仏性は呼ばれて我等を守る。仏や菩薩の仏性は呼ばれて喜ばれる)

 ここで「我が己心の妙法蓮華経」と仰せあるのは、大聖人己心の仏性を顕わされた三大秘法の御本尊である。この御本尊を崇めたてまつるとき、「我が己心中の仏性」が顕れて成仏できるのである。

 当体義抄(五一六㌻)にいわく、
「凡そ法華経の意は譬喩即法体・法体即譬喩なり、故に伝教大師釈して云く『今経は譬喩多しと雖も大喩は是れ七喩なり此の七喩は即ち法体・法体は即ち譬喩なり、故に譬喩の外に法体無く法体の外に譬喩無し、但し法体とは法性の理体なり譬喩とは即ち妙法の事相の体なり事相即理体なり理体即事相なり故に法譬一体とは云うなり』」

〝法華七譬〟と言う通り、仏の法説(正説)には必ず譬説(譬喩)が添えられ、法譬(ほっぴ)一体である。
 法華経方便品に「諸法寂滅の相は、言(ことば)を以って宣(の)ぶべからず」とある通り、仏の悟った甚深の法はもとより言葉に依っては表現しがたい。しかし、仏の悟りの法が仏の胸中にのみ留まっていれば、衆生の成仏への道を閉ざすことになる。仏が譬喩を駆使して語るのは、まさに衆生の心に仏道を開示せんがためである。
 よって、我らが大聖人より学ぶべきは、様々に創意工夫し、広く衆生が納得して発心するよう促していくことにある。対話を止めていては、広宣流布の進展はない。
 そのためには令法久住の責任ある立場の上で、一般民衆の理解の及ぶ範囲の言葉でありながら、なおかつ現代の知識・情報をも駆使し、誰にも納得でき得る指導を心掛ける必要がある。それを実行してきたのが、歴代会長である。
 宗門はそれをしてこなかった。その理由は僧侶自身が「素質」に欠けるだけではない、「気概」というものが無かったことにある。気概とは積極性であり、困難にくじけない強い精神力である。
 大聖人御在世時より時代の下った宗門では、日興上人・日目上人が折伏弘教の陣頭指揮に立たれたころの気概は、過去のものとなっていた。令法久住と広宣流布との役割を分離し、広宣流布は信者の勤めであり僧侶の任では無いとして、弘教の精神を放棄してしまったのである。そのような宗門に、折伏の工夫など欠片(かけら)すらも遺っているわけがない。
 今、創価学会が令法久住と広宣流布との全ての責任ある立場を担う時である。宗門にはその能力も資格もすでに無いゆえに、学会が一切を取り仕切っていくしかない。

3.歴代会長の的確なる指導

 ここで歴代会長が聴衆に、また読者に、分かりやすい言葉で仏法の法理を解説した例を紹介したい。
 牧口会長は、我らが御本尊を信受すれば、なにゆえに御本尊と一体となれるか、境地冥合とはどのようなことであるかを、最も簡潔・明瞭に述べている。
                ◇
 大宇宙・人間・大自然という一切の生命を貫いて、すべてを創造、展開させている源泉の法、すなわち、それが南無妙法蓮華経であり、仏の生命である。経文には「諸仏の智慧は甚深無量なり」と説いている。
 この広大な力強い宇宙生命の根源のリズムに、自分自身の生命活動の呼吸を合わせ合致させるとき、たとえ一個の小さな人間生命であっても、そこにかぎりない生命力の律動、すなわち深く大きい知恵を湧現することができる。これを境智冥合というのである。
 しかし、ただ漠然と宇宙の法を考えただけでは何にもならない。そこで、日蓮大聖人は万人ができる実践方法を確立された。すなわち根源の生命である万法の体を、南無妙法蓮華経の御本尊に縮図して顕わされたのである。
 したがって、私達は、御本尊を対境として信心すれば、そのまま大宇宙の生命と呼吸を合わせることになる。
(「牧口常三郎箴言集」第三文明社)

 簡明ながらも深い思索に溢れ、なおかつ心に訴えかけてくるものがある。「仏の生命」「境智冥合」等、理解しがたい言葉・用語でありながらも、庶民が分かりやすく解了できるよう諭すように説いている。
 歴代会長は、御書・経典類を読み込み、思惟抜いて後に、現代人が理解でき得る範囲の言葉に置き換え、指導してきた。それでこそ、今に生きる人々の共感に繋がるのである。〝自らは折伏しない僧侶〟にとって、窺い知れぬ境界である。
 牧口会長は「大宇宙・人間・大自然という一切の生命を貫いて、すべてを創造、展開させている源泉の法」と、いったんは法を明かし、「すなわち、それが南無妙法蓮華経であり、仏の生命である」と、同時に仏(人)であると述べ、「人即法・法即人」「人法一箇の御本尊」を説く。法と人との偏りは無い。
「法の説明箇所」の部分のみ切り取って、「法のみに偏(かたよ)った考え」と言い出す宗門である。見下げ果てた姑息な手法であり、卑劣なこと極まりない。

4.現代に生きる言葉

 本項の「妄説」では、宗門が名誉会長の講義を誹謗した上で「大御本尊に向かって純真に唱題するとき、御本仏の一念に境智冥合し、はじめて成仏の大利益が生ずる」とするが、当方は「成仏の境地」を広く民衆に説く工夫を学会は実践してきたが、宗門はその任に非ずとして論を展開した。
 整理すれば、大聖人は『三世諸仏総勘文教相廃立』(五七四㌻)の御文で成仏の様相を説かれたが、本抄は門下への御消息文ではなく、信者が体得し得るところではない。
 それゆえ大聖人は、日常的で身近な例を挙げられ、法理が無理なく受け止められるよう慮(おもんぱか)られたのであり、『法華初心成仏抄』(五五七㌻)においては「篭(かご)の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し」云々と、譬説をもって凡夫に分かるよう説き示された。それこそは、釈尊が法説と譬説(=法華七譬)とを並行して説き、真実を表わした方軌を末法に移し、実践されたことであった。
 また日寛上人は、御本尊に向かい信心唱題に励めば「仏界即九界」「九界即仏界」となるとして〝境地冥合〟を説明された。
 ただし寛師の時代からはるかに隔たった今日、仏教に縁するのは葬儀の時くらいがほとんどの国民に対し、いかなる説明を以てして〝境地冥合〟という境界を理解させていくのか、葬式仏教に堕した宗門にとっては答えを出しかねる問題であろう。
 前項に示した通り、牧口会長はすでに範を示したことであるが、歴代会長がその時代に即応した言葉を用いることは当然のことである。
「大宇宙の生命のリズムと小宇宙である自分が合致する」、これがどこの講義から抜き出した切り文であるか、前後の脈絡も分からない。これもまた宗門の常套手段であり、学会を貶める手口である。
 その上であえて言うなら、「大宇宙の生命」が仏界、「小宇宙である自分」を九界に配すれば、すなわち〝境地冥合〟を説明する一節であると推測し得る。
 仏教を学んだことの無い一般の人々に「仏界」を説くこと自体、よほど利発な人でなければ容易に呑み込めるものではない。ましてや「仏界即九界」「九界即仏界」の言葉をそのまま仏法対話に用いたところで、果たして人の腹に落ちるであろうか。
 日寛上人は江戸時代の師匠であり、言葉・用語も当時のままである。それを何百年もの後代に生きる人々の話し言葉へと通解し翻訳する工夫は、現代に生きる吾人の役目である。その任に耐え得ず、仏法を正しく説くべき素質を欠いた宗門の輩が、何を言ったところで〝負け犬の遠吠え〟に等しい。
                          (続く)
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:32」を破折する(その二) 連載42回

妄説:32 学会でいう「人間主義」は、どこが間違っているのですか。

 一般的に「人間主義」はヒュ-マニズムともいわれ、〝人間の意義と価値を重視し、人間の権利や自由を尊重する思想〟と解釈されています。
 しかし創価学会は、仏法本来の僧俗・師弟の立て分けを「権威主義」として排除し、自らの優位を誇示するために「人間主義」などの聞こえのよい言葉を振り回しているに過ぎません。
 人間の価値をすべてに優先させるという意味では、人間主義と民主主義は共通であり、その基本原則は自由・平等・尊厳といわれています。
 私たちは、人間として何ものにも束縛されず、平等に認められ、人間としての尊厳を守ることが理想です。
 しかし、これを仏法の立場からみれば、人間一人一人がそれぞれ過去の業因と宿縁によってさまざまな報いを受けているのです。
 日蓮大聖人は『当体義抄』に
「正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩(ぼんのう)・業(ごう)・苦の三道・法身・般若(はんにゃ)・解脱(げだつ)の三徳と転じて云云」(新編 694頁)
と仰せられて、御本仏が悟られた妙法を信受することによって、衆生ははじめて人間として理想的な境界に到達できることを説かれています。
 現在の創価学会が、仏法上の僧俗の節目(すじめ)を破壊し、在俗の池田大作氏を宣揚せんがために、さかんに「人間主義」を強調しているのは、実に愚かな行為というべきです。

破折
5.僧俗平等が大聖人の仏法(1)

「僧俗の節目(すじめ)」などとは、〝僧俗差別を受け入れろ〟との愚かしい要求である。故・渡辺慈済住職(日蓮正宗改革同盟)がかかる妄説を破折した。
                 ◇
 日本でもそうだったが、海外でも質問されたことは、僧俗の関係についてどう考えるべきか、ということだった。実は、この問題は、今回、日顕が起こした事件の本質を考えるうえで重要な問題でもあり、ここでも少々触れておきたい。 
 日顕が今回の問題で、ことさら強調したのは、「僧侶が上で信徒は下」ということだった。
 宗務院の公式文書でも、
「僧俗には大聖人の仏法に即した本来的な差別が存するのは当然であります。(中略)本質的に僧俗平等、僧俗対等などと主張することは、信徒としての仏法の位階をわきまえない大増上慢者と断ぜざるをえません」(平成三年一月十二日付)と僧俗の「差別」を述べていた。
 しかし、これは仏法の教えに根本から反するまったくの誤りである。
 そもそも、仏法は慈悲から出発したものであり、「平等」を根本とした教えである。釈尊が仏法を説いたのも、当時のインドの階級社会にあって、人にはそれぞれ差別相があるものの、すべての人は仏性を具えた存在であり、だれもが平等であることを悟ったからである。人々を「差別」から解き放ち、平等の尊き存在として、平等に救っていくために仏法が説かれたのであった。
 一代聖教の肝心である法華経において、それまで成仏できないとされてきた二乗や悪人、女人等が、すべて成仏できると説かれていくのも、一切の衆生に差別はなく、仏の生命を具えた平等の存在であるからである。
 天台が説いた一念三千の法理も、万人が平等であることを教えたものである。
 そして、日蓮大聖人も、一切の衆生は妙法の当体であることを示され、一人一人が妙法の当体としてその力を発揮し人間性を輝かせていけるように、帰命依止(きみょうえし)の根源として大御本尊を顕されたのである。
 生死一大事血脈抄に、「然(しか)れば久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我等衆生との三つ全く差別無しと解(さと)りて妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり」と仰せの通りである。
 民族や文化、言語、性別等、それぞれ違いはあっても、どんな人も人間として平等である。すべての人の平等を明かし、人間性をどう薫発させていくかを教えたのが仏法である。平等を根本にしてこそ、人間の尊厳は守られ、互いに理解し尊重しあうこともでき、ヒューマニズムの世界、平和な世界を築いていけるのである。
(「日蓮正宗〝落日の真因〟」渡辺慈済著 発行所:第三文明社)

6.僧俗平等が大聖人の仏法(2)

 ところが、「僧侶が上で信徒は下」と、人間に「差別」をつくろうとしたのが、日顕だった。
 自分は衣の権威で君臨し、人々を睥睨(へいげい)し、隷属させる。人々の人間性を認めず、否定する――。仏法を学しながら、仏法者にあるまじき差別観を持っていたのが日顕であり、釈尊、天台、大聖人と続く仏法正統の流れに逆行し、法華経の心、御本仏の心に背く〝異端〟が日顕だったのである。
 私は、戦後宗門の歴代上人を知っているが、日顕のような考えを持った方はだれ一人としていなかった。
 私が仕えた堀上人も、自分を御隠尊猊下(ごいんそんげいか)と呼ばせず、お爺ちゃんと呼びなさいと言われ、実に気さくな方だった。権威的なものは一切なく、その人徳と行躰(ぎょうたい)によって慕われ、尊敬されていた。私にも、人間として平等ということを身をもって教えられたわけである。
 私は、僧侶はかくあるべきだと思う。僧侶だから上だ、袈裟・衣をつけているから偉いというのではなく、その振る舞いや言動の端々に人を思う慈悲がにじみでる人間になることが大事だと思う。無作の姿で、尊敬される人になればいいのである。
 また、大聖人が、僧俗を差別されなかったことは、僧侶用の御本尊、信徒用の御本尊と区別して顕されなかったことを見れば、明白だろう。僧侶にしても、信徒に対しても、御本尊は同じであり、平等であった。
 松野殿御返事にも、「聖人の唱えさせ給う題目の功徳と我れ等が唱へ申す題目の功徳と何程(いかほど)の多少候べきやと云云、更に勝劣あるべからず候、其の故は愚者の持ちたる金(こがね)も智者の持ちたる金も・愚者の然(とも)せる火も智者の然せる火も其の差別なきなり」と述べられている。
 仏法においては、すべての人は平等であり、僧侶は役割の違いであり、差別はまったくないのである。
 私は研修会や学会の会合に出席した時には、導師は幹部が行ない、その脇に私が座った。口で言うだけでなく、実際に身をもって実行すれば、その姿のうえから、僧俗が平等であることを、より深く理解してもらえると思ったからである。学会出身ではなく、僧侶出身である私が、そう語り、そう行動したために、皆も、心から納得してくれたのである。
(同)

 渡辺慈済師は、まさしく学会とともに「大聖人と同意する」御僧侶であり、謗法を許さぬ人であった。

7.『母子を救った〝励まし〟のドラマ』

「人間主義」とは、小説〝新・人間革命〟(法旗三十七)に簡明に述べられている。
                 ◇
 人間主義とは、何か特別な生き方をすることではない。奮闘している人や苦労している人がいたら、声をかけ、励ます。喜んでいる人がいたら、共に手を取って喜び合う――その、人間の心の共有のなかにこそあるのだ。
(2013年1月17日付聖教新聞より)

 ここで、ある実話を聞いておきたい。
             ◇
 遠藤 こういう体験を聞きましたので、少し長いのですが、読者のために紹介させていただきます。
 昭和三十二年(一九五七年)冬、生活苦に疲れ果て、自殺を決意した婦人がいました。
 林民子さんといいます。死ぬ前に一目、お母さんに会おうと、最後の百円札一枚を握りしめて列車に乗りました。もちろん入会前のことです。
 名古屋から小郡(おごおり)駅に向かう列車でした。ズボンにエプロン姿の林さんは、みすぼらしい格好が恥ずかしくて縮こまっていたといいます。二歳の娘さんを連れていました。列車が駅に止まるたびに、駅弁を売りに来ました。母も子も空腹そのものでしたが、買うお金はありません。
 米原(まいばら)か、京都か覚えていませんが、途中で一人の青年が乗ってきました。決して立派な格好ではなかった。その青年は、林さん母子の真向かいに座りました。
 青年は、黒革の分厚い本(後に御書であることがわかる)を開いて、何やらせっせと書き物をしていました。
 幼い娘さんは、駅弁売りを見るたびに「おなか、すいた」を繰り返します。駅に着くたびに駄々をこねました。
 母は、なさけない思いをかみしめて、「ダメ!」と叱るしかありません。やがて前の青年が、「弁当を二つください」と言って、買った。
「ああ、いいな、この人。二つも買うなんて、うらやましい」。林さんは思いました。すると、その青年は、一つを差し出して言ったのです。「子どもさんに食べさせてあげてください」。林さんは一瞬、言葉が出ません。「え? え?」と思うばかり。周囲には、立派な服をきた人達が大勢いましたが、みんな知らんふりをしていました。
「でも、この青年は、自分も良い身なりではないのに、見ず知らずの、それも乞食同然の私たちに弁当をくれた。世の中にこんな人がいるなんて」
 その驚きと感謝の気持ちを、林さんは今も鮮明に覚えているそうです。「ありがとうございます」というのが精一杯でした。格好の恥ずかしさが先に立って、後は何も言えませんでした。
 弁当の中身も忘れていません。三分の二がご飯、残りがおかずで、焼き魚が入っていました。それ以上に、鮮烈にまぶたに焼きついたのは、その時の青年の目でした。「何というやさしさをたたえた、きれいな目をしているんだろう」。
 青年は、大阪で降りました。降りる時、「頑張ってね」と一言。何とも言えない温かい気持ちが、胸に広がりました。その声も、忘れられません。林さんは、再び、その青年の目を見ました。「何て温かい目だろう……」。この瞬間、死ぬ決心は、どこかへ行ってしまっていたのです。宇部で、お母さんに会い、一カ月ほど一緒に暮らして、名古屋に戻りました。
 その直後、ある学会員から仏法の話を聞いた林さんは、決心して信心を始めました。当時、御本尊を受けるには五百円の供養が原則でしたが、林さんには、そのお金もありません。働いて祈って、働いて……昭和三十三年(一九五八年)一月、ついに御本尊を受持できたのです。翌年、昭和三十四年三月二十二日。豊橋市の松葉小学校で、御書講義が開かれました。池田先生(当時・総務)が、担当でした。
 林さんは、二人目の子を身籠もっていて、大きなおなかを抱えて豊橋へ行きました。壇上は遠くて、幹部の顔はよく見えません。が、池田総務が話を始めた瞬間、林さんは驚喜しました。
「あっ、あの時の青年だ!間違いない!」
 死ぬ覚悟で乗った列車で聞いた、あの声を、死を思いとどまるきっかけをつくってくれた、あの青年の声を、どうして忘れることができましょうか。一生の覚悟、一生の誓いが、この時に決まりました。「たとえ、この世で、学会員が私一人になったとしても、私は、絶対に池田先生についていくんだ」と。
 弁当をもらった娘さん(岡田美佐子さん)は、ブロック担当員として頑張っておられます。豊橋で二度目に会った時に、おなかにいた息子さん(早川正己さん)は、地区幹事として活躍しておられます。(中略)
 名誉会長 お母さん、娘さんたちが幸せになられて、本当によかった。私は、目の前にいる人を、励まさずにいられなかっただけです。それが学会の心です。
(「法華経の智慧」第四巻 2002年5月3日発行)

8.日顕宗の「非人間主義」の世界

 人間主義とは、「宗門が行なっているようなことは、絶対にやらないこと」と定義できる。「非人間主義」とは、すなわち宗門のすることだからである。
 ここで宗門の「非人間主義」の世界を垣間見てみよう。始めは得度試験に参加した受験者が見た異様な光景からである。

(1)得度してからは暴力を受ける毎日

 得度試験は一泊二日で行われ、受験者は翌日、早朝五時四十五分に起床し、六壺の朝の勤行に参加する。六壺の勤行には本山にいる中学一年生から高校三年生までがそろう。受験者は荘厳な本山の勤行に参加するということで、緊張した面持ちで六壺に向かった。しかし、その勤行の様子は受験者の想像を絶するものであった。これは決して大げさな表現ではない。彼らは、まさか、本山の勤行で暴力が行われるなどということは微塵も想像していなかったのだから。
 六壺では御本尊に向かって、中学一年生を先頭に小僧たちが一列に約二十名ずつ座っていた。はじめは普通の勤行のようであったが、勤行が始まって少したつと、大人の僧侶がその学生たちの周りを巡回し始めた。その様子は禅宗の座禅のようである。そのうち、小僧の周りを回っている大人の僧侶たちが数人の子どもたちに注意を与え始めた。居眠りを始めた中学生を叱責しているようであったが、それは単に注意するというレベルを超えていた。
 拳骨で子どもの頭を殴る。殴られた子どもが床にバタッと大きな音をたてて倒れた。中には、数珠で子どもの頭を叩く者もいた。叩かれた子どもはあまりの痛さに頭を抱えてうずくまっている。殴るだけではない。小僧の白衣の襟首をつかんで畳の上を引きずる者もいた。年端もいかない小さな子どもたちが、右に左に飛ばされる。参加した得度受験者たちは、呆気にとられて勤行どころではなくなっていた。
 御本尊の前で大人の僧侶が小さな子どもに暴力をふるう光景は異様であった。仏教は非暴力を説くものである。暴力を止める立場にある僧侶が暴力をふるう。矛盾に満ちた信じ難い光景が受験者の目の前で繰り広げられた。
 藤川は、こんなに簡単に人が殴られるのを見たのは初めてであった。映画やテレビの世界でしか見ないような非現実的な光景である。それが太鼓の音をバックにまさに映画のフィルムが流れるように続いている。
 六壺に低く響き渡る太鼓の音が止まり、勤行が終わった。受験者は皆、青い顔をしたまま、無言であった。得度すると、自分たちも同じような暴力を毎日受けるのか。そういう恐怖で顔がひきつっていた。
 勤行が終わったとたん、一人の壮年がその場から姿を消していた。しばらくして戻って来たその壮年が、六壺を出て大化城に向かおうとしていた藤川とその横にいる数人に向かって言った。
「妻に電話をして、得度を断念したことを告げました。あんな暴力に私は耐えられませんから……」
 藤川たちは言うべき言葉が見つからず、ただうなずいて、去っていく壮年の背を見送るだけだった。
(「実録小説 大石寺・大坊物語」青年僧侶改革同盟 渡辺雄範著 2005年12月19日発行)

(2)「猊下の言葉は絶対だ」

 中二から大坊の規則の説明が終わった後に、数名の中三が中一の前に仁王立ちになった。そのうちの一人が中一が背にしている白い壁を指さした。
「いいか! お前たち! この壁を見ろ!」
 中一たちは〝一体、これから何が起こるのか〟と固唾を呑んで、背にした壁を振り返りながら見つめた。
「これは何色だ?」
「し、白です」
 中一の何人かが恐る恐る答えた。
「そうだ、白だ。だが……」
 そう言いながら、その中三が右手を大きく振りかぶった。そして次の瞬間、その振りかぶった手を勢いよく振り下ろし、人差し指で壁を突くようにしてさした。
「もし、猊下がこれを〝黒だ〟と言えば、黒だ!」
 中三の声が一段と大きくなった。有無を言わさない鋭い声だ。中一たちは一瞬、意味がわからず、ポカンと口を開けている者もいた。
「もう一度言うぞ。たとえ〝白〟でも、猊下が〝黒〟と言えば、黒だ。わかったか!」
「は、はい」
 中一たちにはどういう意味なのか、よくわからなかった。なぜ、白が黒になるのか。何の説明もない。明らかに矛盾している論理だ。その中三は、自分も得度三日目で先輩から同じことを言われて強烈な印象を受けたことを思い出しながら、言葉を続けた。
「つまり、猊下の言葉は絶対だということだ。わかったか!」
「はい」
 中一たちには考える余裕はなかった。ただ、先輩の言うことを〝そういうものだ〟と受け入れるしかない。
「声が小さい! わかったか!」
「はい!」
(同)

(3)目上に殴られれば目下を殴る

 大学を卒業した者は本山に一年間、〝お礼奉公〟のため在勤をする。出仕太鼓とマイク導師をするのがこの一年在勤の所化である。彼らは一年在勤を終えると晴れて「教師」となり、日蓮正宗の中で市民権を得ることができる。たとえば、在勤解除の前日まで「おい、○○」と呼び捨てにされていたのが、「○○師」と敬称付きに変わる。言い方を変えれば、「教師」になるまで、所化小僧は人間扱いされないのだ。
 一年在勤の所化は気が短く、粗暴な者が多い。
「お前たちよ、ちゃんとしろよな。御前さんを怒らせて。下手をしたら、こっちまでとばっちりを受けるんだからな!」
 マイク導師をしていた所化がわめいた。
「お前よ、太鼓ぐらい、ちゃんと叩けよ。たるんでんじゃねえぞ!」
 そう言って、その所化が高校生の横腹に足蹴りを入れた。
「すいません」と言いながら、その高校生は横腹を押さえながらあやまっている。一夜番の住職もいつものことと知らぬ顔をしている。
 最後に「おやすみなさいませ」と全員で一夜番の住職と一年在勤の所化に挨拶をして、ようやく小僧たちは開放された。ところが、寮に帰る廊下の途中で所化から足蹴りをされた高校生が「お前、俺が蹴られるのを見て笑ったな」と横山に難癖をつけ始めた。新発意の中一にぶざまな姿を見られた腹いせだった。ここで締めておかないと後でなめられると、考えたのだ。
「笑ってません」と横山は反論したが、それがかえって悪かった。「何! 口答えするな!」と高校生が凄んで、横山のみぞおちにパンチを入れた。「ううっ」とうなって、横山はその場でしゃがみ込んだ。
「おい、中二、ちゃんと教育しろよ」
 そう、捨て台詞を残して、その高校生は立ち去った。横山は、みぞおちを押さえながら、痛みで涙が流れた。
「馬鹿だなあ。ああいう時は、何も言わずに謝るんだよ」
 中二、中三の先輩たちはそう言いながら、去って行った。
「大丈夫?」と同室の吉田が心配をしている。横山は痛みを我慢して立ち上がり、うなずいて歩き始めた。
 部屋に戻ってもまだ、みぞおちが痛んだ。丑寅勤行は朝の勤行を兼ねているので、丑寅番は食事の時まで寝ていてもいいことになっている。しかし、横山は布団に入っても、なかなか寝付けなかった。みぞおちの痛みはようやくおさまったが、「僕は何も悪いことをしていないのに、どうしてこんな目にあうんだ」と、行き場のない悔しさが消えなかった。毎日、こんなことが続くのかと思うと憂鬱になり、また、涙が滲んで来た。
(同)

(4)僧侶は題目をあげてはいけない

 吉岡は昭和三十七年、その三期生として得度した。彼の両親は学会員であった。毎日のように折伏に走る母。母親は何かあると御本尊の前に座り、唱題にいそしむ。そんな家庭で育った彼にとって、信心とは折伏と唱題に他ならない。ところが小学校六年生で得度した吉岡らに、大坊の先輩が贈った歓迎の言葉は思いもよらないものだった。
「いいか。僧侶になった、出家したということ自体が信心のある結果だ。だから、これからは信心を深めることは一切、考えなくてよい。折伏もしなくてよい。題目もあげてはいけない」
 汚れない子どもの生命はどんな色にも染まってしまう。真っ白なタオルが泥水を吸って黒く変色していくように、大坊の唱題蔑視の風潮は小僧の心に浸透し、唱題する者はいなくなっていった。そして同時に小僧たちは、唱題や折伏に励む信徒を自分たちより劣っている存在として蔑むようになるのだった。
 吉岡も一度は先輩の言葉を鵜呑みにし、唱題をやめてしまった。しかし、彼が中学一年生のとき、たまたま茶の間にあった『聖教新聞』が彼を変えることになる。当時の本山は形ばかりは僧俗和合を唱えていたので、『聖教新聞』を茶の間においていたが、〝在家の新聞など読む必要はない〟という暗黙の了解で、本山の僧侶は誰一人新聞を手にとることはなかった。
 ある日、吉岡はその手つかずの『聖教新聞』を何気なく手にし、紙面をめくった。報道されている創価学会の会合の様子は熱気を帯び、「広宣流布」という四文字が踊っている。十三歳の吉岡には全く別な世界の話を読んでいるような気がした。しかし、ある体験談を読むうちに、本山で過ごした一年間に忘れてしまっていた「感動」という感情が彼の胸に沸き起こり、その場に立ちすくんでしまった。
『聖教新聞』を読んでいるところを先輩に見つかったら、何と罵られるかわからない。彼は新聞を白衣の袂に隠して、部屋に持ち帰り、何度もその体験談を読み返した。宿業の壁を題目で乗り越えた名も無い学会員の姿に、母親の姿が重なった。様々な困難を唱題で乗り越えて自分たち兄弟を育ててくれた母親。そして自分が得度したことを涙を流して喜んでくれた母親。「我が子を広宣流布のために捧げることができてこれほどの幸せはない」と語った母親の言葉がよみがえり、吉岡は涙を止めることができなかった。
 その体験談に出てくる御書の一節が吉岡の胸に突き刺さった。
「信心強盛にして唯余念無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば凡身即仏身なり」
 大聖人は「唱題こそ成仏の道である」と言われているではないか。先輩たちの言うことはやはり間違っている――消えかかっていた信心に再び炎が灯った瞬間だった。
(同)

 彼等、所化達の受難はまだ続くのであるが、紙面に収まりきれない。本書の全文がインターネットに掲載されているので、この続きを読まれたい。

実録小説 大石寺・大坊物語」(青年僧侶改革同盟 渡辺雄範著 エバラオフィス 2005年12月19日初版第1刷発行)
                           (了)

日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:32」を破折する(その一) 連載41回

妄説:32 学会でいう「人間主義」は、どこが間違っているのですか。

 一般的に「人間主義」はヒュ-マニズムともいわれ、〝人間の意義と価値を重視し、人間の権利や自由を尊重する思想〟と解釈されています。
 しかし創価学会は、仏法本来の僧俗・師弟の立て分けを「権威主義」として排除し、自らの優位を誇示するために「人間主義」などの聞こえのよい言葉を振り回しているに過ぎません。
 人間の価値をすべてに優先させるという意味では、人間主義と民主主義は共通であり、その基本原則は自由・平等・尊厳といわれています。
 私たちは、人間として何ものにも束縛されず、平等に認められ、人間としての尊厳を守ることが理想です。
 しかし、これを仏法の立場からみれば、人間一人一人がそれぞれ過去の業因と宿縁によってさまざまな報いを受けているのです。
 日蓮大聖人は『当体義抄』に
「正直に方便を捨て但法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱ふる人は、煩悩(ぼんのう)・業(ごう)・苦の三道・法身・般若(はんにゃ)・解脱(げだつ)の三徳と転じて云云」(新編 694頁)
と仰せられて、御本仏が悟られた妙法を信受することによって、衆生ははじめて人間として理想的な境界に到達できることを説かれています。
 現在の創価学会が、仏法上の僧俗の節目(すじめ)を破壊し、在俗の池田大作氏を宣揚せんがために、さかんに「人間主義」を強調しているのは、実に愚かな行為というべきです。

破折
1.「如来使」と「食法餓鬼」の落差
(1)〝末法の如来使〟

「仏法本来の僧俗・師弟の立て分け」「仏法上の僧俗の節目」と言うのは、「分を弁えろ」と言いたいらしい。〝「在俗の」池田名誉会長がどれほど世間から尊敬されようと、僧侶より下位である、学会は身の程を知れ〟と。
 身の程を知るべきは、宗門のほうではないのか。

 椎地四郎殿御書(一四四八㌻)にいわく、
「僧も俗も尼も女も一句をも人にかたらん人は如来の使と見えたり」

 御書に仰せの通り、信受・弘教する人こそ「如来の使い」であり、真の仏道がある。「僧も俗も」、隔(へだ)たりは無い。
 宗門の「妄説:30」には「創価学会でいう『御書根本』は、相伝によらず、自分の都合のよいように解釈するものですから、正しい考え方ではありません」とある。宗門だけが大聖人の御書を読み解く「相伝」を知っている、と言う。
 これについては「極理(ごくり)の師伝」たる日寛上人の『六巻抄』と、人師論師による文書や後加筆文のたぐいである「相伝」とを、同じ扱いとした欺瞞を糾弾しておいたが、ともかく自分達だけ、少なくも法主だけが知っている秘伝があるとする。
 しかし、仏の言葉に私見を加えるのは「すこしこざかしき」(小利口)と言うのである。本当の利口では無いとの意味である。これはなにも、学会が言うのではない、大聖人の仰せである。

 衆生身心御書(一五九一㌻)にいわく、
「しかれども人のつかひに三人あり、一人はきわめてこざかしき、一人ははかなくもなし・又こざかしからず、一人はきわめて・はかなくたしかなる、此の三人に第一はあやまち(過)なし、第二は第一ほどこそ・なけれども・すこしこざかしきゆへに主の御ことばに私の言をそ(添)うるゆへに・第一のわる(悪)きつか(使)いとなる、第三はきわめて・はかなくあるゆへに・私の言をまじ(交)へず・きわめて正直なるゆへに主の言(こと)ばを・たが(違)へず、第二よりもよき事にて候・あやまつて第一にも・すぐれて候なり、第一をば月支の四依にたとう、第二をば漢土の人師にたとう、第三をば末代の凡夫の中に愚癡(ぐち)にして正直なる物にたとう」

(しかし、たとえば人の使いにも三種の人がいる。一人は非常に賢(さか)しく、一人は愚かでもないがまた賢しくもなく、一人は極めて愚かであるが確かである。この三種の使いのうち、第一の使いは過ちがない。第二の使いは第一の使いほどではないが少し賢しいので、主人の言葉に自分の言葉を添えるから最も悪い使いとなる。第三の使いは極めて愚かであるゆえに、自分の言葉を交えず、極めて正直であるから主人の言葉を違(たが)えず、第二の使いよりもよい使いとなり、どうかすると第一の使いよりも勝れた使いとなるのである。
 第一の使いをインドの四依にたとえ、第二の使いを中国の人師にたとえ、第三の使いを末代の凡夫のなかでも、愚癡であるが正直の者にたとえるのである)

 第一の使いは「きわめてこざかしき」で、極めて利口であるから、仏の真意を推し量ることができる。
 第二の使いは「はかなくもなし・又こざかしからず」つまり愚かではないが、だからといって特に利口というのでもない人である。この人々は少し利口であるところから、仏の言葉に私見を加えて勝手に解釈して、仏法を弘めてしまう悪使となるのである。
 第三の使いは「きわめて・はかなくたしかなる」人で、きわめて愚かであるが、そのため仏の教えどおりに弘めていく人である。極めて愚かであるから仏の言葉をそのまま実践するのであり、これは末法に出現する凡夫僧の仏、日蓮大聖人御自身を謙遜して言われるのである。
 大聖人のお褒めにあずかる「愚癡(ぐち)にして正直なる物」とは「真実の如来使」、唯一の和合僧団たる学会である。〝愚直の信心〟こそ、学会魂である。

(2)末法の「食法(じきほう)餓鬼」

「第一のわる(悪)きつか(使)いとなる」のは、宗門である。末法の御本仏であられる大聖人の言葉に邪見を以て解釈し、あまつさえ〝御書にはすべての仏法が説かれているわけでは無い〟とする大誑惑を弄する「悪使」である。
 さらには折伏もせず、御供養をもらっておきながら学会を揶揄(やゆ)する宗門は「食法餓鬼」でもある。

 四条金吾殿御書(一一一一㌻)にいわく、
「食法(じきほう)がきと申すは出家となりて仏法を弘むる人、我は法を説けば人尊敬(そんぎょう)するなんど思ひて、名聞名利(みょうもんみょうり)の心を以て人にすぐれんと思うて今生(こんじょう)をわたり、衆生をたすけず、父母をすくふべき心もなき人を、食法(じきほう)がきとて法をくらふがきと申すなり、当世の僧を見るに、人にかくして我(われ)一人(いちにん)ばかり供養をうくる人もあり。是(これ)は狗犬(くけん)の僧と涅槃経に見えたり。是は未来には牛頭(ごず)と云う鬼となるべし。又人にしらせて供養をうくるとも、欲心に住して人に施す事なき人もあり。是は未来には馬頭(めず)と云う鬼となり候」

(食法餓鬼という餓鬼は、出家となって仏法を弘める人のうちで、自分が法を説けば人は尊敬するなどと思い、名聞名利の心をもって人よりも勝れようと思って今生をわたり、衆生を助けず、父母を救おうという心もない人を食法餓鬼〈法を食らう餓鬼〉というのである。
 当世の僧侶をみると、人には隠して、自分一人ばかり供養を受ける人もある。この人は狗犬の僧であると涅槃経に説かれている。この者は未来世には牛頭という鬼となるのである。
 また人に知らせて供養を受けたとしても、欲心に住して、人に施すことのない人もある。この者は未来世に馬頭という鬼となる)

 宗門の坊主は、生きながら畜生界に堕ちた〝狗犬の僧〟であった。そして後生は浅ましくも、牛頭・馬頭の悪鬼となる。

 十法界明因果抄(四三〇㌻)にいわく、
「畜生道とは愚癡無慙(ぐちむざん)にして徒(いたずら)に信施の他物を受けて之を償わざる者此の報を受くるなり」

 癡(おろか)で自らを省みる心が無く、信者から布施を受けてもこれに報いない者は、この(畜生界に堕ちる)報いを受けると仰せである。

 開目抄上(二〇〇㌻)にいわく、
「世間の罪に依つて悪道に堕る者は爪(そう)上の土(ど)・仏法によつて悪道に堕る者は十方の土・俗よりも僧・女より尼多く悪道に堕つべし」

〝坊主が悪道に堕ちる〟ほうが在家より圧倒的に多いと仰せであり、日顕宗の正体は大聖人が御見通しである。

2.真実の僧とは

「仏法上の僧俗の節目(すじめ)」を云々する前に、宗門は自分達の姿を御文に照らして見よと言いたい。

 日興遺誡置文(一六一九㌻)にいわく、
「先師の如く予(よ)が化儀も聖僧為(た)る可し」

 大聖人、日興上人のごとき聖僧であられてこそ、尊敬を込めて「御僧侶」と申し上げるのである。

 四恩抄(九三六㌻)にいわく、
「日蓮はさせる妻子をも帯せず魚鳥をも服せず」

 宗門の輩のごとき、肉食妻帯の遊蕩坊主が、どうして「御僧侶」のうちに列することができようか。

 曾谷殿御返事(一〇五六㌻)にいわく、
「但正直にして少欲知足たらん僧こそ真実の僧なるべけれ」

 僧侶として敬われる〝徳分〟が無い者こそ、僧という〝身分〟にこだわるものである。戸田会長は次のように断じている。

「一、尊敬される資格もないくせして大聖人の御袖の下に隠れて尊敬されたがって居る坊主は狐坊主だ」(「寸鉄」1951-05-10) 

「一、日興上人の御遺戒置文を守って居られる方は御坊様、守らん僧侶は坊主というんだ、よくおぼえておけ」(同 1951-07-10)

3.正本堂の意義を改変した宗門

 立正安国論(二十一㌻)にいわく、
「悪侶を誡めずんば豈善事を成さんや」

 大聖人が国家諫暁に立ち上がられ、立正安国の大業を為すにはまず悪侶(悪僧)を誡めよ、との広宣流布の方軌に従い、草創期の学会は破邪顕正の大折伏を敢行し、その成果を喜び合った。
 先輩達の汗と涙の賜物である、ただし御本尊流布の数字は華々しくも、今に至るまで他宗の経営基盤そのものを揺るがすほどではない。何よりも、江戸時代の長きにわたる寺請制度により、民衆の生殺与奪の権が所属寺院に握られた時代から続く檀家制度が、今に至るまで継続されていることにある。
 現実として、〝〇〇家 先祖代々の墓〟は、帰属寺院の境内・敷地にあり、墓参の日には住職に読経を依頼し、相当の御供養を納めることとなる。結局は墓地の問題が足かせとなり、惰性に流されているのが通例であり、お経の内容が何なのか、有難いのかなどとは毛頭考えてはいない。しかし、かかる惰性を打破しなければ進展は無い。
 広宣流布は先輩の偉業に頼ることなく、今の我らが身をもって担うべき戦いであり、いよいよこれからである。
 他宗の破折もさることながら、身内であるはずの宗門そのものが広宣流布を阻むものとなったことに気が付いたのは、遅きに失した感があった。
 今思えば、学会の広宣流布の上げ潮は、昭和四十年代の半ばまでであったろうか、後半よりは微妙なものとなっていた。理由は何よりも、五年の歳月をかけ昭和四十七年十月に完成した正本堂の意義が、完成直前になって宗門によって改変されたことが、学会員に大きな落胆の念をもたらしたことが挙げられる。
 正本堂の建立は戸田会長の遺言であり、学会員が希求していた本門戒壇の実現であった。御供養勧募の時には「実質的な戒壇建立」とする記載があり、誰もがそれを信じていた。
              ◇
 戒壇の大御本尊様が、いよいよ、奉安殿よりお出ましになって、正本堂に御安置されることを、正式に仰せくだされたのであります。かねてより、正本堂建立は、実質的な戒壇建立であり、広宣流布の達成であるとうけたまわっていたことが、ここに明らかになったのであります。
(昭和四十年三月二十六日 正本堂御供養趣意書)

 ところが宗門は完成の直前になって、「現時における事の戒壇」と改変を発表したのである。
              ◇
「正本堂は、一期弘法付嘱書並びに三大秘法抄の意義を含む現時における事の戒壇なり。
 即ち正本堂は広宣流布の暁に本門寺の戒壇たるべき大殿堂なり」
(昭和四十七年四月二十八日「訓諭」)

 正本堂完成前には、「正本堂が完成したら、広宣流布も何もかもうまくいく」等の期待が会員の間にあった。そのためにも学会員は赤誠の御供養を拠出し、完成を見守っていたのである。それが、「広宣流布の暁」(広宣流布が仕上がった時)に本当の戒壇になると変更されたのである。
 宗門の狙いが奈辺にあったかは今も推測の域を出ない。詳細は、「『妄説:4』を破折する」(連載7回~8回)を参照されたい。ともかくも正本堂の意義があたかも「〝仮の〟事の戒壇」であるかの如きものとされてしまったことに、当時の学会員はやるせない喪失感をおぼえたことであった。
 大御本尊を御遷座しての戒壇建立と言う宗門の最重要事でありながら、一片の「訓諭」をもってその意義が改変されてしまったのである。改変理由の記載も無い、まことに一方的な通知であった。
 これらのことは僧侶への信頼、ひいては宗門の存在の意義までも問われるものであった。

4.正法を阻む魔の蠢動(しゅんどう)

「正本堂が完成したら、広宣流布も何もかもうまくいく」はずであったが、現実はそうはならなかった。「本門事の戒壇」の建立に合わせ、正法を阻む魔の蠢動が激しくなってきたのである。
 昭和四十九年三月二十七日、大石寺でおこなわれた在勤式において、細井管長(日達法主)は次のように語った。

「今、我々はたいへんに馬鹿にされておる、坊主、坊主と言って、馬鹿にされておる。馬鹿にしている人が正しいのか、馬鹿にされておる我々が正しいのか、それは一概には言えないでしょう。馬鹿にする人は、いくら馬鹿にしてもよろしい、それを忍ぶということが、僧道である、忍辱の道である」
(『蓮華』昭和四十九年四月号)

 具体的には何のことかは示さない。しかし「坊主」との言葉からは「在家」が浮かび上がり、学会を指すことは明白である。聞いた者には何が起こっているか分からないままに、反学会感情を呼び起こすには十分であった。

「最近ある所では、新しい本仏が出来たようなことを宣伝しておるということを薄々聞きました。大変に間違ったことであります。もしそうならば正宗の信仰ではありません。正宗の信徒とは言えません。そういう間違った教義をする人があるならば、法華講の人は身を以てくい止めて頂きたい。これが法華講の使命と心得て頂きたい。法華講は実に日蓮正宗を護る所の人々である。日蓮正宗を心から信ずる所の人々であります。
 大聖人様以外に本仏があるなどと言ったらば、これは大変なことである」
(『蓮華』昭和四十九年五月号)

 ありもしない「池田会長本仏論」を意識しての発言である。聞いた者は、法主が言うのだから本当のことだと信ずるであろう。しかし何事が起きているのか、ほとんどの僧俗にはまだ分かっていなかった。
 宗門の中では、寺族が幅を利かせる。大聖人の教団にはありえないことであったが、明治以降の太政官布告により僧侶は〝肉食妻帯勝手〟となってより、宗門ではまず法主(五十六代大石日応)が範を示して妻帯したのであり、宗内一同、例に倣ったことは言うまでも無い。
 宗門最大の閨閥は早瀬家である。細井管長は早瀬家と親戚関係を結んでいたが、細井管長の身内とある僧侶との不祥事が持ち上がっていた。それは個人的な問題だけに済まない、派閥をゆるがすものであり、すなわち妙観会(細井管長系)と法器会(早瀬総監系)との結束に関わることであった。
 細井管長は身内の不祥事に心を痛めつつ、宗内基盤の安定を欠くことによる不安にさいなまれることとなった。
 当時の早瀬総監は、創価学会側との窓口となっていた。疑心暗鬼にすぎないことであるが、細井管長は〝早瀬総監が創価学会と親密になりすぎている〟と考え始めたのである。
 これに、宗門と学会の離間策を進めていた山崎正友(当時、副理事長かつ顧問弁護士)が細井管長に接近し、ありもしない讒言を吹き込んでいく。こうして細井管長の学会への不信は高まり、第一次宗門事件の底流となっていくのである。
 現代の僧侶は、大聖人御在世時の〝聖僧〟とは様変わりである。結婚して子を儲ける。妻子のために金銭を稼ぐ。財産も残したい。宗門の中で出世したい。それには大きな派閥に身を寄せる必要がある、等々。結局、袈裟と禿頭以外は在家と全く変わらず、会社におけるサラリーマンと同じ姿である。
 学会は信心を先としていた。昔から様々な僧侶の実態を見てはきたが、僧侶の世界は一種の聖域とし、令法久住と広宣流布とを区別し、割り切って考えてきた。ところが、信者の広宣流布に支障が及ぶほど、宗門の物言いが激しくなっていったのである。
 また、急激に膨張する学会員に合わせて、末寺寺院の書き入れの嵩が高まっていった。かつては零細な貧乏寺が、一っ跳びに御供養が入ることとなり、金銭感覚も失っていくことは想像に難くない。信者の側からは、真心の御供養が坊主の夜の巷の遊興費となることは考えられることではなかった。

 佐渡御書(九五八㌻)にいわく、
「出家して袈裟をかけ懶惰懈怠なるは是仏在世の六師外道が弟子なり」

「六師外道」が宗門に出没するようになっても、まだその〝領袖〟は、細井管長の陰に隠れて出番は無かった。それが一躍登場したのは、細井管長急逝の直後である。後に「C作戦」を謀議・実行し、破和合僧の大罪を犯すに至った日顕である。

 南条兵衛七郎殿御書(一四九七㌻)にいわく、
「大悪魔は貴き僧となり」

 日顕の魔道を極める様は、あらためて別の機会に詳しく述べたい。
                          (続く)
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:31」を破折する 連載40回

妄説:31 学会でいう「大聖人直結」は、正しいことなのですか。

 正しくありません。
 学会でいう「大聖人直結」の真意は、御歴代上人の血脈相承と宗門七百年の伝統を否定して、池田教としての独立を正当化することにあります。
 常に私たちは、時の御法主上人の指南に従って信仰することが大切です。なぜならば、日蓮大聖人は『身延山付嘱書』に
「釈尊五十年の説法、白蓮阿闍梨日興に相承す。身延山久遠寺の別当たるべきなり。背く在家出家どもの輩は非法の衆たるべきなり」(新編 1675頁)
と仰せのように、大聖人の御内証は日興上人ただお一人に伝えられ、その後は日目上人以来御歴代の御法主上人に相承され、今日に至っているからです。
 その唯授一人の血脈相承に背き、「大聖人直結」と主張する僧俗は「非法の衆」であり、大謗法なのです。
 日興上人も佐渡の信徒たちに対して
「案のごとく聖人の御のちも、末の弟子どもが、誰は聖人の直の御弟子と申す輩多く候、これらの人、謗法にて候なり」(歴全 1-184頁)
と戒められています。

破折:
1.法華講では「大聖人直結」を謳(うた)っていた

「大聖人直結」が正しくないのなら、「法主直結」が正しいと言うことか。それでは教団名も、「日蓮正宗」から「法主正宗」に変更しなければならない。しかし、語呂が悪いから「日顕宗」が一番適格である。
              ◇
 日蓮正宗の全国法華講連合会は昭和三十七年に結成されたが、その結成にあたり「日蓮正宗法華講要旨」が定められた。それは、法華講の綱領とも規範ともいえるものである。
 日蓮正宗法華講連合会の機関紙である『大白法』は、
「各講員一人一人は、『日蓮正宗法華講要旨』をよく肝に命じ、自覚を新たにして、広布への駒を進めていこうではないか」(昭和三十七年十一月二十日付『大白法』より引用)
と呼びかけている。
 その「要旨」には六項目の定めがあるが、その最後の六番目の定めは、「一、法華講衆として大聖人に直結した信仰を致しましょう」(同『大白法』に掲載されている「日蓮正宗法華講要旨」より抜粋)となっている。
「大聖人直結」が「邪説」であり、「大謗法」であれば、法華講も「邪説」を振りかざし大謗法を犯していることになる。
 もともと、日蓮正宗において「大聖人直結」は正しい教義であった。それにもかかわらず、創価学会を破壊し創価学会員を支配しようとの悪心から、突然「大聖人直結」が「邪説」「大謗法」であると日顕宗の悪比丘らが言いはじめたのだ。
 日蓮正宗の教義から離れ、日蓮大聖人の仏法に違背しているのは、日顕宗の坊主らである。
(「地涌」第555号 1992年11月20日)

「大聖人直結」とは、元々法華講が規範としていた言葉である。「大聖人直結」と主張する僧俗は『非法の衆』であり、大謗法なのです」と言うからには、元より法華講は「非法の衆」、大謗法の者であったのか。
 今の法華講が「非法の衆」と言うのは納得するが、僧俗和合の時代にあっては「大聖人直結」が信徒の正しい目標とされていたわけである。学会が宗門から離脱すれば、正しい目標も変わるのか。
 当時の宗門にはまだ〝常識〟と言うものが有り、〝誰を信仰するのか〟は分かっていたことである。無論のこと、「大聖人直結」が正しいのである。

2.「大聖人と同意」の信心

「大聖人直結」の語の意義は、「大聖人と同意」することである。すなわち、我らが大聖人と「異体同心」となって御遺命の広宣流布を実現することである。

 諸法実相抄(一三六〇㌻)にいわく、
「日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか」

 もしも「宗門直結」となったら、絶対に「大聖人直結」とならない。「時の御法主上人の指南に従って信仰することが大切」との言葉は、戦時中の軍部政府による宗教弾圧の際、「時の御法主上人」(六十二世日恭)が信徒に神札を甘受するよう指南したことを彷彿とさせる。
 信心の試金石となるべき時、法灯を吹き消して嵐の過ぎ去るのを待つのが宗門である。烈風の只中に身をもって法灯を庇い抜き、よしや倒されても潔しとするのが学会である。

 生死一大事血脈抄(一三三七㌻)にいわく、
「総じて日蓮が弟子檀那等・自他彼此の心なく水魚の思(おもい)を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、若し然らば広宣流布の大願も叶うべき者か、剰(あまつさ)え日蓮が弟子の中に異体異心の者之有れば例せば城者として城を破るが如し」

 大聖人の正義を宣揚するのは、本来は法主の役割であったはず。ところが弾圧が降りかかり、いざ法華経の行者として名を馳せるべき時に、組織の保身を優先し、大聖人の正義を平然と捨ててしまったのが、他ならぬ法主であり宗門であった。
 宗門こそは「異体異心の者」である。〝敵方に通じて城を破る者〟とは、「時の御法主上人」自身だったのである。
 学会を「唯授一人の血脈相承に背き」と誹謗するが、学会に神札を甘受するよう指南した御法主上人は、二年後の本山の火災で焼死したではないか。賞罰は峻厳なものと心得るべきである。
「大聖人直結」すなわち「大聖人と同意」の信心は、学会にしか存在しないことは、もはや論を俟たない。

3.「日顕宗」と呼ばれる所以(ゆえん)

 宗門が「日蓮正宗」ではなく「日顕宗」と呼ばれるのは、不遜にも日蓮大聖人を下し、現今の法主、日顕・日如を「本師」と仰がせることにある。
              ◇
 日顕宗といえば、法主への服従、末寺への隷属が〝宗是(しゅうぜ)〟だが、これを正当化するため、機関紙「慧妙」(2012年12月16日付)が、またしても教義の改ざんを行い、信徒を愚弄している。
 要は学会が、日顕、日如を無視して「大聖人直結」で前進することが気に入らないのだろう。
「慧妙」は、日興上人の「この法門は師弟子を正して仏に成り候」の文言を歪曲し、「御法主上人は、生きておられる現実の本師であります」と強弁。(中略)
 さらに呆れるのは、「御入滅あそばされた大聖人への直結を言い出したら、これはまさに大謗法であり、地獄に堕ちる」「現実問題として、直接の師を仰がなければ、身を低くして弟子の道を歩む――ということはできません」などと、「大聖人直結」を否定していることだ。
 大聖人は、「根源の師を忘れて余へ心をうつさば必ず輪廻生死のわざはいなるべし」(御書 一〇五五㌻)と御断言である。
「根源の師」とはいうまでもなく、末法の御本仏である日蓮大聖人である。その根本を差しおいて、現法主を「本師」に祭り上げるのだから、これぞ「日顕宗」たる所以(ゆえん)である。(中略)
「大聖人直結」とは、大聖人の仰せのままに広宣流布を実践すること、すなわち「御書根本」ということである。
 大聖人は、御書で厳しく誡められている。
「我が経の外に正法有りといわば天魔の説なり」(一八一㌻)
「唯(ただ)人師の釈(しゃく)計(ばか)りを憑(たの)みて仏説によらずば何ぞ仏法と云う名を付くべきや言語道断の次第なり」(四六二㌻)
 仏説に背く邪義を構えたならば決して信用してはならない。言語道断である。
「慧妙」が主張する、御書にない邪義は「天魔の説」であり、徹して破折していくべきである。
(「創価新報」2013年3月6日)

 上記記事における宗門の言い草によれば、大聖人は七百年以上も昔の「古仏」と捉え、一方「御法主上人は、生きておられる現実の本師であります」として日顕・日如を「新仏」と立てる。まさに釈尊に違背した提婆達多である。
 すなわち、日顕は提婆達多の末裔である。提婆が釈迦のもとを離れて新教団を組織した故事の通り、日顕は正統の「日蓮正宗」を脱し、「日顕宗」を立ち上げたのである。

 開目抄上(二〇五㌻)
「例せば世尊・提婆達多を汝愚人・人の唾(つばき)を食うと罵詈(めり)せさせ給しかば毒箭(どくせん)の胸に入るがごとく・をもひて・うらみて云く『瞿曇(くどん)は仏陀にはあらず……今日よりは生生・世世に大怨敵となるべし』と誓いしぞかし」

(たとえば、世尊は提婆達多を「汝は愚人で、人の唾(つばき)を食う」と罵詈(めり)されたので、提婆は毒の箭(や)が胸に食いいるごとき思いで怨んでいわく「釈迦は仏ではない。(中略)今日よりは生生・世世に、必ず釈迦の大怨敵となるべし」と誓ったのである)

 仏に対し、大誹謗を浴びせたのが提婆であった。日顕が「戒旦の御本尊のは偽物である」(「河辺メモ」一部抜粋)と言って大御本尊を誹謗したことは、まさに提婆の所業である。

4.謗法与同・信徒蔑視の宗門

 大聖人の正義を守ってきたのは、ひとり創価学会であった。宗門と学会とでは、〝大聖人門下としての境界(精神的境涯)〟が根本から異なるのであり、いずれは宗門が学会を怨嫉する事態が到来すると、戸田会長は見通していた。時代が移り変わろうとも、宗門の体質は変わらないことを知悉していたのである。
 先師・牧口会長は、昭和十七年十一月に行われた創価教育学会の第五回総会で、「日蓮大聖人御在世当時の天台宗は、現今の日蓮宗の中でも『日蓮正宗』に相当すると思われる」と指摘している。国家権力に迎合して謗法を重ねる宗門は、真言の邪法を取り入れた天台宗と同じである、と喝破したのである。
 昭和十八年六月、学会幹部は宗門から登山を命じられ、「神札」を一応は受けるよう、会員に命ずるようにしてはどうかと申し渡されたが、牧口会長は〝神札は絶対に受けません〟と言って下山した。その翌月の七月六日、牧口会長、戸田理事長ともに逮捕されたことを受け、宗門はただちに学会幹部を信徒除名処分とした。大聖人の正義を貫いた人を切り捨て、累が及ぶことを逃れようとしたことである。
 戦後は昭和二十七年四月二十七・八の両日、宗旨建立七百年慶讃法要が行われ、学会員四千人が参加した。宗門にとって空前のことであった。このとき、戦前・戦中に軍部と結託して「神本仏迹論」の邪説を立てた悪僧・小笠原慈聞も登山していることを知り、糾弾した学会に対し、宗会は一方的に戸田会長を大講頭罷免とし、さらに登山停止としたのである。
 学会が謗法厳誡の正義を貫いたことであったが、宗会では「在家が僧侶を突き上げた」との僧俗差別によってのみ判断し、学会を非難し、一方的に懲罰したのである。戦後の宗門も、信徒蔑視の権威主義に変わりは無かった。

5.戸田会長の最後の指導

 前項までの状況を踏まえ、戸田会長の最後の指導をあらためて心に刻みたい。
 昭和三十三年三月、大講堂落慶を記念する総登山の期間中、学会は警備に万全を期すために飲酒することのないよう、宗門とも話し合いが行われていた。そのさなか、的場という所化頭が毎日酒を飲み、小・中学生の所化達を虐待する光景が目撃されたのである。
 学会はこの惨状を看過せず、池田参謀室長(当時)がこの所化頭に厳重抗議した。このとき戸田会長の衰弱は激しくなっていたが、池田室長はこの件を戸田会長の枕元で報告せざるを得なかった。
                ◇
 戸田は軽く眼を閉じて伸一の報告を聞いていたが、聞き終わると、さも残念そうな表情で語り始めた。

「情けないことだな……。これは、小さな事のようだが、……宗門の腐敗、堕落というじつに大きな問題をはらんでいるのだ。なぜ、堕落が始まり、腐敗していくのか……。それは、広宣流布という至上の目的に生きることを忘れているからなのだ。この一点が狂えば、すべてが狂ってしまう。残念なことだが……。令法久住を口にしながらも、多くの僧侶が考えていることは、保身であり、私利私欲をいかに満たすかだ。……つまり、欲望の虜となり、畜生の心に堕してしまっているのだ。だから……自分より弱い立場の所化小僧などは、鬱憤(うっぷん)ばらしのオモチャとしか考えない……。また、学会員のことも、供養を運んでくる奴隷ぐらいにしか思わず、威張り散らす者もいるのだ……」

 戸田は、話すことが苦しいと見え、途中で、はァはァと何度も喘(あえ)いだ。

「……戦時中も、宗門は、保身のために法を曲げ、大聖人の御遺命を破り、軍政府に迎合した。……そして、牧口先生と私が逮捕されるや、かかわりを恐れて、学会の登山を停止したのだ。……私は、憤怒に血の涙を飲む思いだった」

 彼は肩で大きく息をしながら、話をつづけた。

「……戦時中、大聖人の仏法は、外敵によってではなく、臆病で、姑息な、僧侶の保身によって滅ぼされようとしたのだ。……日亨上人も、日昇上人も、また、日淳猊下も、そのことで、ほんとうに苦慮されてきた。……そのなかで、厳然と、大聖人の仏法の命脈を保ったのが、牧口先生であり、創価学会なのだ。……だから、大聖人の御精神は、ほんとうの信仰は、学会にしかない。……宗門は、死身弘法を貫いた学会と、戦後、僧俗和合してきたからこそ、大聖人の仏法を継承できたのだ……。もし、学会から離れるならば……大聖人の正義(しょうぎ)を踏みにじった、謗法の宗でしかなくなってしまう。
 しかも……学会は、宗門が財政的基盤を失い、壊滅の危機に瀕していたのを、信心の赤誠をもって、お助けしてきた。心ある僧侶は、それを感謝している。しかし……なかには、学会の大発展に嫉妬し、私に対して、反感をいだいている者もいる。……私が、信心の在り方を厳しくいうものだから、眼のうえのタンコブのように思っているのだ。
 でも、……私が生きているうちは、正面きって、とやかくいう者はおるまい。命がけで仏法を守ってきたのは、私しかいないのだから……。だが、私がいなくなり、日淳猊下もお亡くなりになれば……あとは、何をするか、わかったものではないぞ」

 その言葉は、しばしば途絶えたが、ただならぬ気迫にあふれていた。

「……衣の権威で、学会を奴隷のように意のままに操り、支配しようとする法主も、出てくるかもしれぬ。……ことに、宗門の経済的な基盤が整い、金を持つようになれば、学会を切り捨てようとするにちがいない……。戦時中と同じように、宗門は、正法を滅亡させる元凶となり、天魔の住処(すみか)にならないとも、限らないのだ……。しかし……、日蓮大聖人の正法を滅ぼすようなことがあっては、断じてならない」

 そして、戸田は、最後の力を振り絞るように叫んだ。

「そのために、宗門に巣くう邪悪とは、断固、戦え。……いいか、伸一。一歩も退いてはならんぞ。……追撃の手をゆるめるな!」

 それは、炎のような言葉であった。瞬間、戸田の眼が燃え輝いた。これが、彼の最後の指導であり、愛弟子への遺言となったのである。伸一は、その言々句々を命に焼きつけた。
「先生のお言葉、決して、忘れはいたしません」
 伸一の言葉を聞くと、戸田は力尽きたかのように、静かに眼を閉じた。すばらくすると、戸田の安らかな寝息が聞こえてきた。
(「人間革命」第12巻・寂光の章)
                ◇
 戸田会長は、今まさに消えなんとする命の燈火を赫々と燃やし、渾身の力を振絞って、池田会長に〝宗門に巣くう邪悪〟と戦うことを託したのである。

6.民衆仏法の原点に戻る

 正木 日本への仏教伝来から約700年の鎌倉時代、大聖人は立宗を宣言され、民衆救済に立ち上がられました。権力と結託した僭聖増上慢の僧侶や人々を幸福に導くことのできない既成仏教を破折し、仏法の本義に立ち返るものでした。
 原田 それから約700年、創価学会が出現し、宗門ではなしえなかった妙法の弘通を日本中、世界中へ果たしました。さらに20年前の「魂の独立」で、葬式仏教化して大聖人の御精神に完全に違背した日顕宗と決別し、民衆仏法の原点に戻ることができた。三代会長のもと世界広布という大聖人の未来記を実現した、学会の81年の歩み自体が、まさに歴史に残る仏法復興のルネサンス運動なのです。
 吉井 東北大学大学院の佐藤弘夫教授も指摘しています。
「学会が、新しい形で現代に合致した運動を模索するのは必然の成り行きであり、日蓮正宗と袂を分かつことで今日の発展があった」「学会が宗門と決別した流れは、日蓮が鎌倉仏教に対して起こした行動に通じるものがあります」(「第三文明」12月号)と。
 杉本 環太平洋大学の梶田叡一学長は、こう語っています。
「自立した在家のみで進む創価学会は、宗教者として本来あるべき姿」「宗門と別れたおかげで、創価学会が世界宗教へと脱皮するスピードは大きく加速されました」(「第三文明」12月号)と。
 原田 こうした声は相次いでいます。ありがたい「多宝の証明」です。日本も世界も、われら創価の民衆運動に大注目しています。さあ2013年、2030年へ向けて、今一度、清新な決意をもって、師弟共戦の歴史、人間革命の歴史、幸福勝利の歴史を堂々と開いていこう!
(発言者:出席者:原田会長、正木理事長、杉本婦人部長、吉井女子部長 『聖教新聞』2011年 11月21日)

7.在家が主役の仏法運動

 橋元 世界広布を隆々と発展させゆく学会、哀れにも衰亡の坂を転げ落ちていく邪宗門。この両者の違いは、大聖人の御精神を真に拝し、実践しているかどうか、という点です。
 原田 大事なポイントです。学会は師匠・池田先生の指導のもと、「御書根本」「大聖人直結」で前進したから、ここまで発展したのです。
 正木 たとえば御聖訓に「難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし」(御書202ページ)――日蓮が難に耐え、慈悲が優れていることについては、誰もが恐れさえ抱くであろう――とあります。妙法を弘めることで経文通りに難を受け、それでも慈悲を出して民衆を救済するのが法華経の行者です。現代において、困難にぶつかってもなお慈悲の心を湧き出し、友のため、皆の幸福のために広布を進めてきた団体が、どこにあるでしょうか。それこそ学会であり、創価三代の会長が築かれた世界です。
 橋元 一方で、〝僧侶が上で信徒が下〟という時代錯誤の権威主義、僧俗差別に凝り固まっている日顕宗は、大聖人の仏法とは無縁の邪教に堕している。
 棚野 坊主が保身とエゴをむき出しにし、供養を搾り取ることに血道を上げる邪宗門に、大聖人の御精神など流れ通っているはずがない。愛想を尽かす脱講者が後を絶たず、全盛期の2%にまで信徒が減ったのは、当然の厳しき現証だ。
 吉井 国際宗教社会学会元会長でオックスフォード大学教授だった故ブライアン・ウィルソン博士の言葉は明快です。
「(SGIのような)在家の会員自身が、他の人々に生き生きとした宗教的知識と指導を伝える活動的な主体者となっている。その一方で、多くの僧侶は使命への熱意を失ってしまい、聖なる対象物と聖なる場所を受動的に護ることで満足してしまっている。運動の宗教的目的を有効に促進する責務は、事実上、時代遅れで旧式な気質をもつ僧侶の手から、情熱的な在家信徒の手に移る。そして、信徒が活気に満ちた指導性をもつときには、ますます容易に移ってゆく」と。
 原田 世界の識者も、在家が主役の仏法運動に注目しています。邪宗門を悠然と見下ろし、大聖人直結の誉れも高く、仏縁を広げる対話に打って出ていこう。
(発言者:原田会長、正木理事長、杉本婦人部長、棚野青年部長、橋元男子部長、吉井女子部長 『聖教新聞』2013年2月14日)
                           (了)
 

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