日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:16」を破折する 連載24回
妄説:16 日蓮正宗において、戒壇の大御本尊を離れた「御本尊根本」という考えは成り立ちますか。
本門戒壇の大御本尊を離れては、日蓮正宗の信仰そのものが成り立ちません。
なぜなら、日蓮正宗における信仰の対境は本門戒壇の大御本尊に限られるからです。
したがって、大聖人の仏法において、大御本尊から離れて「御本尊根本」の信仰をするなどはありえないことであり、このような主張は、各人に下付された御本尊が本門戒壇の大御本尊の御内証(ないしょう)を書写されたものであることを知らない人の言葉にすぎません。
ここにわかりやすい譬えがありますので、紹介しましょう。
「電灯にたとえて考えてみると、ヒューズがとんで電流が流れてこない電灯は、電球が切れていないからといって、いくらつけても明るい光りを発しないようなもので、電球は本物であっても、電流が流れてこなければ光りが出ないのである。(中略)したがって富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である」
これは、ご存じ、創価学会で発行した『折伏教典』(三三九頁)の一文です。
大聖人が『聖人御難事』に
「余は二十七年なり」(新編 1396頁)
と仰せられた、出世の本懐(ほんがい)たる本門戒壇の大御本尊を離れることは、御本仏日蓮大聖人から離れ、下種三宝(さんぼう)のすべてを否定する大謗法なのです。
まして、今日の創価学会では、電球(本尊)までニセ物を作ってしまったのですから、そのニセ物には、光(功徳)の出ることなど絶対にありえません。
破折:
1.「信心」と「お目通り」と
「大御本尊を離れた」という言葉には、次の二通りの意味がある。
① 「大御本尊への信心が無い」こと
② 「大御本尊にお目通りしない」こと
引用された「富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である」(「折伏教典」)とは、①の「大御本尊への信心が無い」者を言うのであり、②の「大御本尊にお目通りしない者」を対象とするものではない。そのことは後文において例証する。
ところで、宗門がわざわざ折伏教典から〝切り文〟を持ち出したのだから、文中で(中略)として削除された箇所を埋めて、全体を記しておこう。
◇
電灯にたとえて考えてみると、(御本尊を電球にたとえることはもったいないことではあるが)ヒューズがとんで電流が流れてこない電灯は、電球が切れていないからといって、いくらつけても明るい光を発しないようなもので、電球は本物であっても、電流が流れてこなければ光りが出ないのである。
御本尊が大聖人のご真筆であっても、大御本尊に直結しなければなんの功徳もないのである。
したがって富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である。
(「折伏教典」P313~314 昭和40年10月12日 七版)
上記では「大御本尊に直結する」とあり、「直結」とは「大御本尊を書写された歴代上人の御本尊を拝する」ことである。なお「大御本尊に御目通りする」ことは「直拝」である。
それでは「大御本尊」と「歴代上人の御本尊」との功徳に差があるか、それは次の項で明らかにされる。
2.御本尊の功徳はすべて同じ
宗門は次のように言う。
「海外の方々は、お目通りしたくても簡単にはできない状況にあるだけで、行かなくてもいいとか、行きたくないと言っているわけではないのです。
本当に心の中で大御本尊様を求めているのなら、なんとしてもお目通りしたいと願うし、その行動に出るはずです。それがお目通りしなくてもいいというのだから、本当は心でも思っていないということです。仏法は身口意の三業で行なうものです。実際に大御本尊様を拝さないということは、あなたの身はまったく功徳が積めない、ということになりますね」
(『慧妙』H17.5.1)
しかし戸田会長は、各家庭の御本尊は大御本尊の「分身散体」であるから、どちらの御本尊を拝しても功徳は同じである、と指導している。
◇
大御本尊を拝まないと罪障消滅しないか
[質問]:十月に入信して功徳を受けていますが、総本山の大御本尊様を拝まないと罪障を消滅できない、といわれたので登山しましたが、総本山の大御本尊様と家の御本尊様との功徳の違いを教えてください。
[指導]:そんな指導をするのがおかしいし、またそれを聞いてくる者もとんちんかんです。各家庭の御本尊は大御本尊の血肉をわけた分身であり、功徳に変わりがありません。
総本山の大御本尊にお会いするのは、親もとへ帰りたいといった気持ちで、なつかしがってくるようでなければなりません。
(『戸田城聖全集』第二巻 質問会編)
宗門が「あなたの身はまったく功徳が積めない、ということになりますね」(前出)と〝脅迫〟すると同じく、戸田会長の当時にも、「総本山の大御本尊様を拝まないと罪障を消滅できない」と言う愚か者がいたわけである。しかし、戸田会長は「功徳に変わりがありません」と、言下に否定している。
衣の権威を笠に着て、かえって根本から逸脱する心根の曲った者は、昔から後を絶たない事例である。
一体「親もと」の大御本尊と、「子」である我ら信者を引き離したのは、誰なのか。「親」である大御本尊を〝ニセ物〟と誹謗したのは、どこの不信心の大馬鹿者か。相承を詐称した〝ニセ法主〟日顕である。
大御本尊にお目通りする前に、謗法だらけの宗門に縁することになれば、与同罪となる。謗法は、大聖人が絶対にお許しにならない。
学会授与の「電球(本尊)」が発する「光(功徳)」にあえて目を背けて、正しい電球(学会授与の御本尊)を誹謗する彼らは、天に唾を吐く輩である。
そもそも学会員の家庭の、たとえその一軒にでも電球に光が発したら(功徳が生じたら)、宗門は今までに学会から受領した、御供養や寺院等を返還するのだろうか。それとも袈裟を脱いで還俗し、学会に詫びるのだろうか。
結果は知れている。全国何万戸、いや何十万戸もの学会員の家庭には、明るい実証の光りが輝きわたっている。宗門はその光が眩しくて直視することができず、夜になってから〝ネズミ〟のようにうろついて、暗がりの中で各戸の郵便受けを探し、怪文書を投げ込んでは回るのである。
学会の〝明〟と、宗門の〝暗〟とのコントラスト(輝度の差)は、あまりにも際立っており、勝敗は明らかである。
3.学会が決別したのは 〝ニセ法主〟日顕
高橋 最近の宗門が言っているのも〝学会は大御本尊と決別した〟とか、こじつけばかりです。
秋谷 本当に、冗談じゃない。そんなこと、我々は一言も言っていない(笑い)。我々が決別したのは、大御本尊ではなく〝ニセ法主〟日顕だ。我々は、ますます大聖人直結、大御本尊根本の信心で進んでいる。
高橋 そうです。大御本尊との間に割り込んでいた余計な〝邪魔者〟と決別ができて、すっきりしました。法主を通さないと功徳が出ないとか、御本尊を下付しないとか、功徳を受けるのも、法主の許可が必要だとか(笑い)。
細谷 これこそ悪徳法主の地位乱用の極みです。日達上人は『ただ南無妙法蓮華経の信心によって御本尊に帰依し奉(たてまつ)って、そこに境智冥合(きょうちみょうごう)の姿を生じてこそ、実の仏となるのである』と、おっしゃっていた。御本尊の功徳は、法主の許可などまったく関係ない。
斉藤 その通りです。大聖人は『此(こ)の御本尊も只(ただ)信心の二字にをさまれり』(御書一二四四ページ)と仰せです。また、日寛上人は『若(も)し一念の信心あらば即(すなわ)ち一念三千の本尊を具(ぐ)す』(文段集四六六ページ)等と述べられている。信心があれば大御本尊に直結しているのです。
辻 僕たちも、信心は物理的な距離ではないと、つくづく思うね。そのことを身をもって牧口先生、戸田先生が示してくださっている。戦時中、臆病な宗門は軍部の弾圧を恐れ、牧口先生、戸田先生を登山停止にした。両先生は獄中に捕らえられ、身の自由すら奪われ、御本尊も押収された。しかし、御本尊なき獄中で、牧口先生は御書を身読(しんどく)され、大聖人の正義を貫き殉難(じゅんなん)の誉れをとどめられた。戸田先生は唱題に唱題を重ねて、地涌の菩薩の使命を厳然と覚知された。この大聖人直結、大御本尊根本の信心が学会に脈々と流れてきたからこそ、今日の世界への広宣流布があった。
秋谷 大御本尊根本とは、謗法の山と化した本山に行くことではない。大謗法の法主に従うことでもない。『(日興上人に)背(そむ)く在家出家どもの輩(やから)は非法の衆たるべきなり』(御書一六〇〇ページ)と、大聖人が厳命されているのだから、日顕のような〝非法の衆〟は、一日も早く一掃することが、大聖人、日興上人の御心にかない、大御本尊の御心にかなう信心である。
辻 まったく、その通りです。そうでなければ謗法与同になる。
(発言者:秋谷会長、辻参議会議長、細谷副会長、斉藤教学部長、高橋婦人部書記長 「聖教新聞」1993年9月22日)
(了)
妄説:16 日蓮正宗において、戒壇の大御本尊を離れた「御本尊根本」という考えは成り立ちますか。
本門戒壇の大御本尊を離れては、日蓮正宗の信仰そのものが成り立ちません。
なぜなら、日蓮正宗における信仰の対境は本門戒壇の大御本尊に限られるからです。
したがって、大聖人の仏法において、大御本尊から離れて「御本尊根本」の信仰をするなどはありえないことであり、このような主張は、各人に下付された御本尊が本門戒壇の大御本尊の御内証(ないしょう)を書写されたものであることを知らない人の言葉にすぎません。
ここにわかりやすい譬えがありますので、紹介しましょう。
「電灯にたとえて考えてみると、ヒューズがとんで電流が流れてこない電灯は、電球が切れていないからといって、いくらつけても明るい光りを発しないようなもので、電球は本物であっても、電流が流れてこなければ光りが出ないのである。(中略)したがって富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である」
これは、ご存じ、創価学会で発行した『折伏教典』(三三九頁)の一文です。
大聖人が『聖人御難事』に
「余は二十七年なり」(新編 1396頁)
と仰せられた、出世の本懐(ほんがい)たる本門戒壇の大御本尊を離れることは、御本仏日蓮大聖人から離れ、下種三宝(さんぼう)のすべてを否定する大謗法なのです。
まして、今日の創価学会では、電球(本尊)までニセ物を作ってしまったのですから、そのニセ物には、光(功徳)の出ることなど絶対にありえません。
破折:
1.「信心」と「お目通り」と
「大御本尊を離れた」という言葉には、次の二通りの意味がある。
① 「大御本尊への信心が無い」こと
② 「大御本尊にお目通りしない」こと
引用された「富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である」(「折伏教典」)とは、①の「大御本尊への信心が無い」者を言うのであり、②の「大御本尊にお目通りしない者」を対象とするものではない。そのことは後文において例証する。
ところで、宗門がわざわざ折伏教典から〝切り文〟を持ち出したのだから、文中で(中略)として削除された箇所を埋めて、全体を記しておこう。
◇
電灯にたとえて考えてみると、(御本尊を電球にたとえることはもったいないことではあるが)ヒューズがとんで電流が流れてこない電灯は、電球が切れていないからといって、いくらつけても明るい光を発しないようなもので、電球は本物であっても、電流が流れてこなければ光りが出ないのである。
御本尊が大聖人のご真筆であっても、大御本尊に直結しなければなんの功徳もないのである。
したがって富士大石寺の大御本尊を拝まないものはすべて謗法である。
(「折伏教典」P313~314 昭和40年10月12日 七版)
上記では「大御本尊に直結する」とあり、「直結」とは「大御本尊を書写された歴代上人の御本尊を拝する」ことである。なお「大御本尊に御目通りする」ことは「直拝」である。
それでは「大御本尊」と「歴代上人の御本尊」との功徳に差があるか、それは次の項で明らかにされる。
2.御本尊の功徳はすべて同じ
宗門は次のように言う。
「海外の方々は、お目通りしたくても簡単にはできない状況にあるだけで、行かなくてもいいとか、行きたくないと言っているわけではないのです。
本当に心の中で大御本尊様を求めているのなら、なんとしてもお目通りしたいと願うし、その行動に出るはずです。それがお目通りしなくてもいいというのだから、本当は心でも思っていないということです。仏法は身口意の三業で行なうものです。実際に大御本尊様を拝さないということは、あなたの身はまったく功徳が積めない、ということになりますね」
(『慧妙』H17.5.1)
しかし戸田会長は、各家庭の御本尊は大御本尊の「分身散体」であるから、どちらの御本尊を拝しても功徳は同じである、と指導している。
◇
大御本尊を拝まないと罪障消滅しないか
[質問]:十月に入信して功徳を受けていますが、総本山の大御本尊様を拝まないと罪障を消滅できない、といわれたので登山しましたが、総本山の大御本尊様と家の御本尊様との功徳の違いを教えてください。
[指導]:そんな指導をするのがおかしいし、またそれを聞いてくる者もとんちんかんです。各家庭の御本尊は大御本尊の血肉をわけた分身であり、功徳に変わりがありません。
総本山の大御本尊にお会いするのは、親もとへ帰りたいといった気持ちで、なつかしがってくるようでなければなりません。
(『戸田城聖全集』第二巻 質問会編)
宗門が「あなたの身はまったく功徳が積めない、ということになりますね」(前出)と〝脅迫〟すると同じく、戸田会長の当時にも、「総本山の大御本尊様を拝まないと罪障を消滅できない」と言う愚か者がいたわけである。しかし、戸田会長は「功徳に変わりがありません」と、言下に否定している。
衣の権威を笠に着て、かえって根本から逸脱する心根の曲った者は、昔から後を絶たない事例である。
一体「親もと」の大御本尊と、「子」である我ら信者を引き離したのは、誰なのか。「親」である大御本尊を〝ニセ物〟と誹謗したのは、どこの不信心の大馬鹿者か。相承を詐称した〝ニセ法主〟日顕である。
大御本尊にお目通りする前に、謗法だらけの宗門に縁することになれば、与同罪となる。謗法は、大聖人が絶対にお許しにならない。
学会授与の「電球(本尊)」が発する「光(功徳)」にあえて目を背けて、正しい電球(学会授与の御本尊)を誹謗する彼らは、天に唾を吐く輩である。
そもそも学会員の家庭の、たとえその一軒にでも電球に光が発したら(功徳が生じたら)、宗門は今までに学会から受領した、御供養や寺院等を返還するのだろうか。それとも袈裟を脱いで還俗し、学会に詫びるのだろうか。
結果は知れている。全国何万戸、いや何十万戸もの学会員の家庭には、明るい実証の光りが輝きわたっている。宗門はその光が眩しくて直視することができず、夜になってから〝ネズミ〟のようにうろついて、暗がりの中で各戸の郵便受けを探し、怪文書を投げ込んでは回るのである。
学会の〝明〟と、宗門の〝暗〟とのコントラスト(輝度の差)は、あまりにも際立っており、勝敗は明らかである。
3.学会が決別したのは 〝ニセ法主〟日顕
高橋 最近の宗門が言っているのも〝学会は大御本尊と決別した〟とか、こじつけばかりです。
秋谷 本当に、冗談じゃない。そんなこと、我々は一言も言っていない(笑い)。我々が決別したのは、大御本尊ではなく〝ニセ法主〟日顕だ。我々は、ますます大聖人直結、大御本尊根本の信心で進んでいる。
高橋 そうです。大御本尊との間に割り込んでいた余計な〝邪魔者〟と決別ができて、すっきりしました。法主を通さないと功徳が出ないとか、御本尊を下付しないとか、功徳を受けるのも、法主の許可が必要だとか(笑い)。
細谷 これこそ悪徳法主の地位乱用の極みです。日達上人は『ただ南無妙法蓮華経の信心によって御本尊に帰依し奉(たてまつ)って、そこに境智冥合(きょうちみょうごう)の姿を生じてこそ、実の仏となるのである』と、おっしゃっていた。御本尊の功徳は、法主の許可などまったく関係ない。
斉藤 その通りです。大聖人は『此(こ)の御本尊も只(ただ)信心の二字にをさまれり』(御書一二四四ページ)と仰せです。また、日寛上人は『若(も)し一念の信心あらば即(すなわ)ち一念三千の本尊を具(ぐ)す』(文段集四六六ページ)等と述べられている。信心があれば大御本尊に直結しているのです。
辻 僕たちも、信心は物理的な距離ではないと、つくづく思うね。そのことを身をもって牧口先生、戸田先生が示してくださっている。戦時中、臆病な宗門は軍部の弾圧を恐れ、牧口先生、戸田先生を登山停止にした。両先生は獄中に捕らえられ、身の自由すら奪われ、御本尊も押収された。しかし、御本尊なき獄中で、牧口先生は御書を身読(しんどく)され、大聖人の正義を貫き殉難(じゅんなん)の誉れをとどめられた。戸田先生は唱題に唱題を重ねて、地涌の菩薩の使命を厳然と覚知された。この大聖人直結、大御本尊根本の信心が学会に脈々と流れてきたからこそ、今日の世界への広宣流布があった。
秋谷 大御本尊根本とは、謗法の山と化した本山に行くことではない。大謗法の法主に従うことでもない。『(日興上人に)背(そむ)く在家出家どもの輩(やから)は非法の衆たるべきなり』(御書一六〇〇ページ)と、大聖人が厳命されているのだから、日顕のような〝非法の衆〟は、一日も早く一掃することが、大聖人、日興上人の御心にかない、大御本尊の御心にかなう信心である。
辻 まったく、その通りです。そうでなければ謗法与同になる。
(発言者:秋谷会長、辻参議会議長、細谷副会長、斉藤教学部長、高橋婦人部書記長 「聖教新聞」1993年9月22日)
(了)
- このエントリーのカテゴリ : 日顕宗破折 №11~20
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:15」を破折する(その二) 連載23回
妄説:15 現在、創価学会では「総本山へ参詣しなくてもよい」と指導していますが、戒壇の大御本尊へのお目通りを拒否して、家庭の御本尊を拝むだけで功徳はありますか。
本門戒壇の大御本尊へのお目通りを拒否しておいて、そのお写しである家庭の御本尊だけを拝んでも功徳など絶対にありません。
『寿量品』に
「心に恋慕(れんぼ)を懐(いだ)き、仏を渇仰(かつごう)して」(開結 434頁)
とあるように、私たちにとって仏を恋慕渇仰する信心が大切なのです。九十歳の阿仏房が決死の覚悟で登山したのも、日妙尼(にちみょうに)が苦労をしながら大聖人のもとへ参詣したのも、すべて御本仏大聖人を恋慕渇仰する信心によるものです。
現時において、日蓮大聖人は人法一箇の大御本尊として、大石寺奉安堂にいらっしゃるのです。
日寛上人は『寿量品談義』に
「志(こころざし)有らん人は登山して拝したまへ」(富要 10-131頁)と仰せられ、信心があるならば、登山して大御本尊にお目通りせよと教示されています。
かつて学会でも、小樽問答で邪宗日蓮宗に対し
「『かかる不思議なる法華経の行者の住処なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき』と。霊山浄土は大聖人の御本懐(ほんがい)である本門戒壇の大御本尊のおわす富士大石寺こそ本当の霊山浄土でなくて、どこに霊山浄土がありましょうか」(小樽問答誌 七九頁)
と破折したではありませんか。
これらのことを思えば、現在の創価学会が会員に対して、大聖人即大御本尊へのお目通りをしないよう指導していることは実に罪深い悪業というべきです。
破折
5.「ブタ王とトラ王」
大御本尊のもとに行こうとすると、周囲には宗門の謗法が待ち受ける。このことは、「ブタ王とトラ王」の古話に通ずるものがある。その話とは……。
◇
あるところに、悪知恵を持って大勢のブタたちを束ねているブタ王がおり、そこは皆が常にまわりを蹴落とすことばかり考えている社会でした。
ある時、食料を食べつくしたブタたちは、食料を求め移動することにしました。しかしこの計画には「山の向こうに暮らしているトラ王と遭遇するのでは」という心配がともなっていたのです。
しかし、普段からいばってるブタ王は、内心は臆病者でしたが王の威信に傷が付くことを恐れ、何の対策もないまま出発してしまいました。すると案の定、トラ王と出会ってしまったのです。
まともに戦えば食い殺される。恐れて逃げれば、馬鹿にされ王座を追われてしまう……。困り果てたブタ王は、配下のブタ達の排泄物を体中にすり付けトラ王に戦いを挑みました。するとトラ王は、あまりの汚さと臭いに戦意を失い、その場を立ち去ったのです。
勝つためには何でもするというブタ王のズルさにあきれ果て、あえて無駄な戦いを避けたトラ王の王道を進む姿を、お釈迦さまは讃えられたというお話です。
(H.P.「仏さまのこばなし」より「ブタ王とトラ王」)
これは上記のホームページから転載した。この古話は、かつてコミックとして出版されており、その話の終わりに、肝心のシーンが活写されている。いばってるブタ王が、トラ王に出会い、やむなく戦いを挑んだところからである。
◇
ブタ王 「トラ君 それではしばらく待っていてくれたまえ 戦うについては 父祖伝来のヨロイで身を固める必要があるんだ その上でいざ勝負しよう!」
トラ王 「お前の好きにするさ さぁ早く支度してこい!」
そこでブタの王は 昼食後 配下のブタが排せつした溜(たま)り場に向かった。
ブタ王 「よーし 今に見てろよ さあ これでよし あとは仕上げをごろうじろだ」
子ブタ 「あ ウンコだらけだ」
母ブタ 「シッ そんなことを言うと カマされるわよ!」
ブタ王 「支度ができたぞ! さあやるならやろう! 戦うのが嫌なら道を開けろ!」
トラ王 「うっ…… くせぇ~~ 何という汚い臭いヤツだ! 俺さまが 常に小さな獲物を食わないのは 大事な牙をおしむからだ!! お前みたいな 臭い汚いブタを食えるものか! トラの沽券(こけん)にかかわるわ! お前に道を開けてやるよ もう戦うのはゴメンだよ」
ブタはようやく危難を逃れて内心ホッとしたが なおも空いばりを見せてトラをやり過ごすと 歌を歌った。
ブタ王 「お前も四足 おれも四足 来たれ、戦わん! お前はなぜに おそれて逃げる」
トラは生意気なブタ野郎と思ったが歌って返し 賢明にもとりあわず相手にしなかった。
トラ王 「お前の毛はよだちて 畜生中の最下等なり 速やかに去れ 糞のにおいたえがたし」
世俗の汚濁に汚れたブタが勝つためには何でもする、そんなずるさにあきれ、あえてムダな戦いをさけたトラの王道を進む姿を釈尊が愛(め)でたという話である――。
(「師子王の雄叫び」著者:岩井渓 脚本:鏑矢光和 第三文明社発行 1992年9月20日)
ブタ王の言う「父祖伝来のヨロイ」とは、汚物(謗法)であった。彼らに代々伝わる謗法は、誰もが閉口してしまうほどの強烈なものである。それこそが、彼等の権威を守る武具というわけであった。
「清涼池」(大御本尊)の周りを、身に汚物(謗法)をなすりつけたブタ王とその一族が取り巻いていては、臭くて汚く、鼻持ちならない、とても近寄れたものではない。
我らも大御本尊に近づけば、謗法にまみれた日顕、日如がいる。関わり合えば与同罪となり、寄り付けない。
釈尊は、反逆した提婆達多がいる場所に来合わせたときには、回り道をしてでも、あえて会おうとしなかったと言われる。
我らも大聖人に叛逆した日顕、日如に近づくことはない。それは釈尊の信念に倣うものであり、また釈尊が讃えるトラ王の矜持(きょうじ)を持(たも)つからである。ブタ王に出番はない。
経王殿御返事(一一二四㌻)にいわく、
「経王御前にはわざはひ(禍)も転じて幸(さいわい)となるべし。あひかまへて御信心を出(いだ)し此の御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就せざるべき。『其(そ)の願(がん)を充満せしめたもう、清涼(しょうりょう)の池の如し』」
(『』内:原漢文)
日顕が大御本尊を我らから隠匿したことは、大いなる禍(わざわい)である。だが、我らには信心がある。学会授与の御本尊に祈念すれば、その至誠は清涼池たる大御本尊に達するのである。
6.畜生界の宗門
宗門は、もったいなくも大御本尊を〝信徒泥棒のための囮〟〝御開扉料を収奪する宝物〟と為さしめている。この卑劣な行為こそ、トラ王がいみじくも「畜生中の最下等なり」と喝破した通りであり、宗門の輩が畜生の境涯を脱することは、永久に無い。
古話にある「そこは皆が常にまわりを蹴落とすことばかり考えている社会」とは、宗門である。強い者にはへつらい、弱い者には威張る、卑怯な生き方に明け暮れる社会、すなわち畜生道である。
宗門は戦時中、軍部におもねって神札甘受等のあらゆる謗法に手を染め、遂には厳しい因果律の果報により本山に大火災が発生し、法主が焼死。さらに追い打ちをかけるが如く、戦後の農地解放で境内の大部分が失われ、経営基盤がなくなり飢餓状態の有様となった。
この零落した宗門を救ったのが学会である。戸田会長の発案で定例の登山会が開始され、ようやく息をつくことができたのである。
以来多年に亘り、宗門は学会からあまたの寄進や供養を受けてきた。だが「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とは宗門のためにある言葉である。僧俗差別の薫習を拭いきれず、信者が僧侶に供養するのは当たり前、僧侶への敬意が足りない、として学会に誹謗中傷の言葉を投げつけるようになり、最後には破門を通告した。
宗門の受けるべき果報は、次の御文に説かれる。
十法界明因果抄(四三〇㌻)にいわく、
「第三に畜生道とは愚癡無慙にして徒に信施の他物を受けて之を償わざる者此の報を受くるなり、法華経に云く『若し人信ぜずして此の経を毀謗せば○当に畜生に堕すべし』」
(第三に畜生道とは、愚癡で自らを恥じないで、人から布施を受けてもこれを償わない者は、この報いを受けるのである。法華経には「若し人が法華経を信じないで毀謗するならば(中略)まさに畜生に堕ちるのである」とある)
大聖人はすべてを見通される。御書を拝すれば、宗門の当今の所業と来世の果報とが、ありありと説かれている。
彼等が待ち受ける厳しき果報には、戦慄するものがある。
「若(も)し人は信ぜずして、此の経を毀謗(きぼう)せば(中略)其の人は命終(みょうじゅう)して、阿鼻獄に入らん。一劫を具足して、劫尽きなば更に生まれん。是の如く展転して、無数劫に至らん。地獄従(よ)り出でては、当(まさ)に畜生に堕つべし」
(法華経譬喩品第三)
「此の経」とは、帰命依止の大御本尊である。大御本尊をニセ物と毀謗した日顕の堕ち行く先は、経典には明確に説かれている。日顕に随従する者、すべてが与同罪である。
謗法充満の本山には、恐ろしさが待ち受ける。それゆえ我らは決して近付くことはない。
(了)
妄説:15 現在、創価学会では「総本山へ参詣しなくてもよい」と指導していますが、戒壇の大御本尊へのお目通りを拒否して、家庭の御本尊を拝むだけで功徳はありますか。
本門戒壇の大御本尊へのお目通りを拒否しておいて、そのお写しである家庭の御本尊だけを拝んでも功徳など絶対にありません。
『寿量品』に
「心に恋慕(れんぼ)を懐(いだ)き、仏を渇仰(かつごう)して」(開結 434頁)
とあるように、私たちにとって仏を恋慕渇仰する信心が大切なのです。九十歳の阿仏房が決死の覚悟で登山したのも、日妙尼(にちみょうに)が苦労をしながら大聖人のもとへ参詣したのも、すべて御本仏大聖人を恋慕渇仰する信心によるものです。
現時において、日蓮大聖人は人法一箇の大御本尊として、大石寺奉安堂にいらっしゃるのです。
日寛上人は『寿量品談義』に
「志(こころざし)有らん人は登山して拝したまへ」(富要 10-131頁)と仰せられ、信心があるならば、登山して大御本尊にお目通りせよと教示されています。
かつて学会でも、小樽問答で邪宗日蓮宗に対し
「『かかる不思議なる法華経の行者の住処なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき』と。霊山浄土は大聖人の御本懐(ほんがい)である本門戒壇の大御本尊のおわす富士大石寺こそ本当の霊山浄土でなくて、どこに霊山浄土がありましょうか」(小樽問答誌 七九頁)
と破折したではありませんか。
これらのことを思えば、現在の創価学会が会員に対して、大聖人即大御本尊へのお目通りをしないよう指導していることは実に罪深い悪業というべきです。
破折
5.「ブタ王とトラ王」
大御本尊のもとに行こうとすると、周囲には宗門の謗法が待ち受ける。このことは、「ブタ王とトラ王」の古話に通ずるものがある。その話とは……。
◇
あるところに、悪知恵を持って大勢のブタたちを束ねているブタ王がおり、そこは皆が常にまわりを蹴落とすことばかり考えている社会でした。
ある時、食料を食べつくしたブタたちは、食料を求め移動することにしました。しかしこの計画には「山の向こうに暮らしているトラ王と遭遇するのでは」という心配がともなっていたのです。
しかし、普段からいばってるブタ王は、内心は臆病者でしたが王の威信に傷が付くことを恐れ、何の対策もないまま出発してしまいました。すると案の定、トラ王と出会ってしまったのです。
まともに戦えば食い殺される。恐れて逃げれば、馬鹿にされ王座を追われてしまう……。困り果てたブタ王は、配下のブタ達の排泄物を体中にすり付けトラ王に戦いを挑みました。するとトラ王は、あまりの汚さと臭いに戦意を失い、その場を立ち去ったのです。
勝つためには何でもするというブタ王のズルさにあきれ果て、あえて無駄な戦いを避けたトラ王の王道を進む姿を、お釈迦さまは讃えられたというお話です。
(H.P.「仏さまのこばなし」より「ブタ王とトラ王」)
これは上記のホームページから転載した。この古話は、かつてコミックとして出版されており、その話の終わりに、肝心のシーンが活写されている。いばってるブタ王が、トラ王に出会い、やむなく戦いを挑んだところからである。
◇
ブタ王 「トラ君 それではしばらく待っていてくれたまえ 戦うについては 父祖伝来のヨロイで身を固める必要があるんだ その上でいざ勝負しよう!」
トラ王 「お前の好きにするさ さぁ早く支度してこい!」
そこでブタの王は 昼食後 配下のブタが排せつした溜(たま)り場に向かった。
ブタ王 「よーし 今に見てろよ さあ これでよし あとは仕上げをごろうじろだ」
子ブタ 「あ ウンコだらけだ」
母ブタ 「シッ そんなことを言うと カマされるわよ!」
ブタ王 「支度ができたぞ! さあやるならやろう! 戦うのが嫌なら道を開けろ!」
トラ王 「うっ…… くせぇ~~ 何という汚い臭いヤツだ! 俺さまが 常に小さな獲物を食わないのは 大事な牙をおしむからだ!! お前みたいな 臭い汚いブタを食えるものか! トラの沽券(こけん)にかかわるわ! お前に道を開けてやるよ もう戦うのはゴメンだよ」
ブタはようやく危難を逃れて内心ホッとしたが なおも空いばりを見せてトラをやり過ごすと 歌を歌った。
ブタ王 「お前も四足 おれも四足 来たれ、戦わん! お前はなぜに おそれて逃げる」
トラは生意気なブタ野郎と思ったが歌って返し 賢明にもとりあわず相手にしなかった。
トラ王 「お前の毛はよだちて 畜生中の最下等なり 速やかに去れ 糞のにおいたえがたし」
世俗の汚濁に汚れたブタが勝つためには何でもする、そんなずるさにあきれ、あえてムダな戦いをさけたトラの王道を進む姿を釈尊が愛(め)でたという話である――。
(「師子王の雄叫び」著者:岩井渓 脚本:鏑矢光和 第三文明社発行 1992年9月20日)
ブタ王の言う「父祖伝来のヨロイ」とは、汚物(謗法)であった。彼らに代々伝わる謗法は、誰もが閉口してしまうほどの強烈なものである。それこそが、彼等の権威を守る武具というわけであった。
「清涼池」(大御本尊)の周りを、身に汚物(謗法)をなすりつけたブタ王とその一族が取り巻いていては、臭くて汚く、鼻持ちならない、とても近寄れたものではない。
我らも大御本尊に近づけば、謗法にまみれた日顕、日如がいる。関わり合えば与同罪となり、寄り付けない。
釈尊は、反逆した提婆達多がいる場所に来合わせたときには、回り道をしてでも、あえて会おうとしなかったと言われる。
我らも大聖人に叛逆した日顕、日如に近づくことはない。それは釈尊の信念に倣うものであり、また釈尊が讃えるトラ王の矜持(きょうじ)を持(たも)つからである。ブタ王に出番はない。
経王殿御返事(一一二四㌻)にいわく、
「経王御前にはわざはひ(禍)も転じて幸(さいわい)となるべし。あひかまへて御信心を出(いだ)し此の御本尊に祈念せしめ給へ。何事か成就せざるべき。『其(そ)の願(がん)を充満せしめたもう、清涼(しょうりょう)の池の如し』」
(『』内:原漢文)
日顕が大御本尊を我らから隠匿したことは、大いなる禍(わざわい)である。だが、我らには信心がある。学会授与の御本尊に祈念すれば、その至誠は清涼池たる大御本尊に達するのである。
6.畜生界の宗門
宗門は、もったいなくも大御本尊を〝信徒泥棒のための囮〟〝御開扉料を収奪する宝物〟と為さしめている。この卑劣な行為こそ、トラ王がいみじくも「畜生中の最下等なり」と喝破した通りであり、宗門の輩が畜生の境涯を脱することは、永久に無い。
古話にある「そこは皆が常にまわりを蹴落とすことばかり考えている社会」とは、宗門である。強い者にはへつらい、弱い者には威張る、卑怯な生き方に明け暮れる社会、すなわち畜生道である。
宗門は戦時中、軍部におもねって神札甘受等のあらゆる謗法に手を染め、遂には厳しい因果律の果報により本山に大火災が発生し、法主が焼死。さらに追い打ちをかけるが如く、戦後の農地解放で境内の大部分が失われ、経営基盤がなくなり飢餓状態の有様となった。
この零落した宗門を救ったのが学会である。戸田会長の発案で定例の登山会が開始され、ようやく息をつくことができたのである。
以来多年に亘り、宗門は学会からあまたの寄進や供養を受けてきた。だが「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とは宗門のためにある言葉である。僧俗差別の薫習を拭いきれず、信者が僧侶に供養するのは当たり前、僧侶への敬意が足りない、として学会に誹謗中傷の言葉を投げつけるようになり、最後には破門を通告した。
宗門の受けるべき果報は、次の御文に説かれる。
十法界明因果抄(四三〇㌻)にいわく、
「第三に畜生道とは愚癡無慙にして徒に信施の他物を受けて之を償わざる者此の報を受くるなり、法華経に云く『若し人信ぜずして此の経を毀謗せば○当に畜生に堕すべし』」
(第三に畜生道とは、愚癡で自らを恥じないで、人から布施を受けてもこれを償わない者は、この報いを受けるのである。法華経には「若し人が法華経を信じないで毀謗するならば(中略)まさに畜生に堕ちるのである」とある)
大聖人はすべてを見通される。御書を拝すれば、宗門の当今の所業と来世の果報とが、ありありと説かれている。
彼等が待ち受ける厳しき果報には、戦慄するものがある。
「若(も)し人は信ぜずして、此の経を毀謗(きぼう)せば(中略)其の人は命終(みょうじゅう)して、阿鼻獄に入らん。一劫を具足して、劫尽きなば更に生まれん。是の如く展転して、無数劫に至らん。地獄従(よ)り出でては、当(まさ)に畜生に堕つべし」
(法華経譬喩品第三)
「此の経」とは、帰命依止の大御本尊である。大御本尊をニセ物と毀謗した日顕の堕ち行く先は、経典には明確に説かれている。日顕に随従する者、すべてが与同罪である。
謗法充満の本山には、恐ろしさが待ち受ける。それゆえ我らは決して近付くことはない。
(了)
- このエントリーのカテゴリ : 日顕宗破折 №11~20
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:15」を破折する(その一) 連載22回
妄説:15 現在、創価学会では「総本山へ参詣しなくてもよい」と指導していますが、戒壇の大御本尊へのお目通りを拒否して、家庭の御本尊を拝むだけで功徳はありますか。
本門戒壇の大御本尊へのお目通りを拒否しておいて、そのお写しである家庭の御本尊だけを拝んでも功徳など絶対にありません。
『寿量品』に
「心に恋慕(れんぼ)を懐(いだ)き、仏を渇仰(かつごう)して」(開結 434頁)
とあるように、私たちにとって仏を恋慕渇仰する信心が大切なのです。九十歳の阿仏房が決死の覚悟で登山したのも、日妙尼(にちみょうに)が苦労をしながら大聖人のもとへ参詣したのも、すべて御本仏大聖人を恋慕渇仰する信心によるものです。
現時において、日蓮大聖人は人法一箇の大御本尊として、大石寺奉安堂にいらっしゃるのです。
日寛上人は『寿量品談義』に
「志(こころざし)有らん人は登山して拝したまへ」(富要 10-131頁)と仰せられ、信心があるならば、登山して大御本尊にお目通りせよと教示されています。
かつて学会でも、小樽問答で邪宗日蓮宗に対し
「『かかる不思議なる法華経の行者の住処なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき』と。霊山浄土は大聖人の御本懐(ほんがい)である本門戒壇の大御本尊のおわす富士大石寺こそ本当の霊山浄土でなくて、どこに霊山浄土がありましょうか」(小樽問答誌 七九頁)
と破折したではありませんか。
これらのことを思えば、現在の創価学会が会員に対して、大聖人即大御本尊へのお目通りをしないよう指導していることは実に罪深い悪業というべきです。
破折
1.大御本尊の「清涼池」
学会が拒否したのは、「戒壇の大御本尊へのお目通り」と言うより、「〝ニセ法主〟日顕、日如と縁を結ぶこと」である。我らは今後とも大聖人直結であり、間違っても大謗法の法主に従うことは無い。
南条殿御返事(一五七八㌻)にいわく、
「かかる不思議なる法華経の行者の住処なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき、法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊しと申すは是なり、神力品に云く『若しは林の中に於ても若しは樹の下に於ても若しは僧坊に於ても乃至而般涅槃したもう』と云云、此の砌に望まん輩は無始の罪障忽に消滅し三業の悪転じて三徳を成ぜん、彼の中天竺の無熱池に臨みし悩者が心中の熱気を除愈して其の願を充満する事清涼池の如しとうそぶきしも・彼れ此れ異なりといへども、其の意は争でか替るべき」
(このように不思議な法華経の行者の住処であるから、どうして霊山浄土に劣ることがあるだろうか。法華文句に「法が妙であるがゆえに、その法を持った人は貴い。人が貴いがゆえに、その人がいる所も尊い」といっているのはこのことである。法華経如来神力品第二十一には「もしくは林の中においても、もしくは樹の下においても、もしくは僧坊においても(中略)般涅槃されるであろう」とある。この所に来る人は無始以来の罪障がたちまちのうちに消滅し、身・口・意の三業の悪は転じて法身・般若・解脱の三徳と成るであろう。かの中インドの無熱池に行った悩者が心の中の熱気を除き癒して「願いは全て満足し、あたかも清涼池のようだ」と言ったが、それとこれと場所は異なっても、その意はなんで変わることがあるだろうか)
「不思議なる法華経の行者」とは、日蓮大聖人の御事である。その住処であるがゆえに、「霊山浄土」にも劣らず、「法妙なるが故に人貴く、人貴きが故に処尊し」(法華文句)となるのである。無条件にその場所(身延や大石寺)が尊いわけではない。
宗門は「日蓮大聖人は人法一箇の大御本尊として、大石寺奉安堂にいらっしゃる」と書いているが、彼らは決してそう思っていない。もったいなくも大御本尊を、信者を学会から強奪するための〝囮〟と為し、法華講員から御開扉料を納めさせる〝宝物〟と見ているのである。
現在の大石寺は全く大聖人の教えに背いた師敵対、謗法の「魔の山」と化している。我らは決して参詣してはならない。
なお大聖人は霊山浄土の意として「清涼池の如し」と仰せであり、大御本尊は清涼池に譬えられるのである。このことは法華経薬王菩薩本事品に次の通り説かれている。
「如清涼池、能満一切諸渇乏者」(清涼(しょうりょう)の池の能(よ)く一切の諸(もろもろ)の渇乏(かつぼう)の者を満たすが如く)
ところが今、我らが大御本尊の「清涼池」に行こうとすると、謗法充満の「泥沼」が周囲を巡っている。この底なし沼に遭遇すれば、奈落の底にまで沈み行くことは必定である。それゆえに間違っても謗法の宗門とは、一切の縁を結んではならない。
幸いにも清涼池たる大御本尊と、家庭の御本尊とは、信心の地下水脈で繋がっている。それゆえ我らは、日々家庭の御本尊に祈念して、大御本尊の力用を感得できるのである。
2.「霊山浄土」の再来
「大御本尊のおわす富士大石寺こそ本当の霊山浄土」とは、第三祖・日目上人御在世までのことである。
四世日道以来、弟子同士で寺領を奪い合って教団は長らく分裂状態となり、教勢はすこぶる振るわず、ために有力者の若い子弟を法主に就任させる「稚児法主」のならわしが代々続き、宗門はいよいよ疲弊の極みとなった。それゆえ異流儀の要法寺から代々の法主を迎えることとなり、それは江戸時代にまで及んだ。法主本仏論の邪義が取り込まれたのは、当然の成り行きであった。
宗門は江戸幕府の寺請制度における御用機関となり、その権威をもって僧侶による葬儀・戒名・塔婆等、あらゆる化儀をこしらえて檀家の御供養を収奪した。
明治の代となってからは、例に漏れず肉食妻帯を取り入れ、袈裟と坊主頭以外は在家と異なるところはなくなった。また結婚して家庭をもつことで、「代々坊主」と呼ばれる寺族が幅を利かせるようになった。
戦時中の宗門は軍部政府にへつらい、命じられるがままに神札甘受等、あらゆる謗法を厭うことなく犯していった。それゆえ大聖人の御誡めは厳しく、本山は大火災となり、法主は焼死、さらに戦後の農地解放で寺領の大部分を失い、戦後の宗門は疲弊の極みにあった。
ここまで述べてきた中で、「折伏弘教」の話はあったろうか、無い。宗門は「寺院経営」の歴史であった。大聖人の後を継ぐ者は、ここにはいない。宗門という小さな殻に閉じこもり、御供養をもらえる化儀にひたすら従事し、空いた時間は勤行に費やすだけの存在でしかなかったのである。
如説修行抄(五〇三㌻)にいわく、
「鷄の暁に鳴くは用なり宵に鳴くは物怪(もっけ)なり、権実雑乱の時法華経の御敵を責めずして山林に閉じ篭り摂受を修行せんは豈法華経修行の時を失う物怪にあらずや」
(鷄(にわとり)が暁に鳴くのは当然のことであるが、宵に鳴くのは物怪(もっけ)である。権教と実教との立て分けが乱れているときに、法華経の敵を折伏しないで、世間を離れ山林の中にとじこもって摂受を修行するのは、まさしく法華経修行の時を失った物怪ではないか」
学会が登場するまでは、宗門は大御本尊を格護するのみの、物怪(妖怪変化)の集団でしかなかった。御書の仰せはすべてを見通されている。
七百年の時を経て、地涌の義を感じ涌出した法華経の行者たる学会の出現により、本山は僧俗和合の道場となった。学会の寄進により大御本尊は遂に「事の本門戒壇」たる正本堂に御安置され、正しい登山が行なわれ、諸天が来下する「本当の霊山浄土」が現出したのであった。
3.宗門の浄土変相図
かつて小樽問答において学会が「大御本尊のおわす富士大石寺こそ本当の霊山浄土」と言ったことは、そこが僧俗和合の道場であったゆえである。しかしその浄土は変容してしまったのであった。
三大秘法禀承事(一〇二三㌻)にいわく、
「叡山に座主(ざす)始まつて第三・第四の慈覚・智証・存の外に本師伝教・義真に背きて理同事勝の狂言(おうげん)を本(もと)として我が山の戒法をあなづり戯論(けろん)とわらいし故に、存の外に延暦寺の戒・清浄無染の中道の妙戒なりしが徒(いたずら)に土泥となりぬる事云うても余りあり歎きても何かはせん」
(比叡山延暦寺に座主が置かれ始めてから第三代の座主・慈覚と第四代の座主・智証が思いの外に本師の伝教大師と第一代座主・義真に背いて「法華と真言は、理は同じであるが事において真言が勝(まさ)っている」という狂った言説を根本として、自分の比叡山延暦寺の戒法を侮(あなど)って戯れの論と笑った故に、思いの外に延暦寺の戒は清浄で汚れのない中道の妙戒であったのに、いたずらに土泥となってしまったことは、言っても言い尽くせず、歎いてもどうにもできないことである)
日顕が学会を破門したことで、「法華経の行者」たる学会員は山を去り、本山の「僧俗和合の道場」の意義は失われた。
さらに日顕は先師・細井管長の建立に成る正本堂を無残にも破壊した。大御本尊が御安置されるべき「事の本門戒壇」は永久にその姿を消し、「諸天善神の来下」も絶えたのである。
このように「霊山浄土」は変じて「泥沼」と化し、二度と戻ることはない。謗法の沼の底は奈落(地獄)にまで続くのであるから、我らは決して近寄らないのである。
4.どうすれば御供養を多く取れるか
以下は故・渡辺慈済住職の手記である。
◇
清涼池は法華経薬王品に説かれた、煩悩の苦熱を取り去る清く涼しい池のことで、法華経は、清涼池のように、人々の生命を潤し、煩悩の苦しみの熱を取り去ることができる。
現在でいえば、この清涼池は大御本尊のことになるが、大石寺には謗法の日顕がいて、大御本尊の周囲は泥沼のようなものである。「清涼池に行きたい」、つまり、「お山に行って大御本尊様を拝みたい」と言っても、この泥沼を通らなければならず、かえって自分の生命を汚してしまうだけである。そんなことは愚かであろう。
そもそも、歴代上人が御本尊を書写し、檀信徒に下付してきたのは、分身散体の意義から、戒壇の大御本尊を直接拝さなくても信心できるようにするためである。各家庭の御本尊に祈り唱題すれば、戒壇の大御本尊に通じるのだから、各家庭でしっかり信心に励めばよいのである。しかも、もともと登山会は、戸田会長が、大石寺の窮乏を救うために始めたものであり、学会の人たちが登山して御供養をしたからこそ、大石寺は今日のように発展した。その恩を忘れて学会を切り捨てたのが日顕であり、そんな不知恩・謗法の日顕のところへ行くべきではない。
末寺の住職でも、昭和二十年代の頃は、貧しくて登山できなかった者が多くいた。大石寺に行かなければ謗法であり堕地獄というなら、そのような住職も皆、堕地獄ということになるが、そんなことはないのである。
さらに、日顕の本当の狙い、魂胆を知れば、登山すべきでないことは一層明白になる。
信徒の方で「大御本尊を拝みたい」と思っていても、日顕の方は「登山者に幸せになってもらいたい」とは、まったく思っていない。ネコがネズミを狙うように、どうすれば御供養を多く取れるかということしか、考えていないのである。
私の寺でも離脱前に、添書(てんしょ)登山を行なったが、御開扉とは別に、日顕にお目通りをするために、「奉(たてまつる)御供養」として一人三千円以上が必要だった。当然、住職の私は、それ以上の額を包まなければならなかった。しかし、この御供養は「受書(うけしょ)」を出さないから、日顕の懐(ふところ)に入って、個人的に使えるお金になってしまうのである。
日顕がどれほど、この御供養を欲しがっていたか。ある日の登山の際には、下山時間が遅くなったため、お目通りをしないで帰った寺が六か寺もあった。すると、日顕はカンカンになって怒った。それは、自分に挨拶をしなかったからではなく、御供養が逃げていったからだというのである。
そうして集めたお金は、結局、奥湯河原や伊豆の温泉豪遊等に湯水のごとく使われる。政子が京都に出かけて、エステや買い物に贅沢三昧するのも、全部、信徒が汗水流して働いて出した御供養である。まったく人を馬鹿にした話であり、黙っている方がおかしい。
(「日蓮正宗〝落日の真因〟」渡辺慈済著 発行所:第三文明社)
(続く)
妄説:15 現在、創価学会では「総本山へ参詣しなくてもよい」と指導していますが、戒壇の大御本尊へのお目通りを拒否して、家庭の御本尊を拝むだけで功徳はありますか。
本門戒壇の大御本尊へのお目通りを拒否しておいて、そのお写しである家庭の御本尊だけを拝んでも功徳など絶対にありません。
『寿量品』に
「心に恋慕(れんぼ)を懐(いだ)き、仏を渇仰(かつごう)して」(開結 434頁)
とあるように、私たちにとって仏を恋慕渇仰する信心が大切なのです。九十歳の阿仏房が決死の覚悟で登山したのも、日妙尼(にちみょうに)が苦労をしながら大聖人のもとへ参詣したのも、すべて御本仏大聖人を恋慕渇仰する信心によるものです。
現時において、日蓮大聖人は人法一箇の大御本尊として、大石寺奉安堂にいらっしゃるのです。
日寛上人は『寿量品談義』に
「志(こころざし)有らん人は登山して拝したまへ」(富要 10-131頁)と仰せられ、信心があるならば、登山して大御本尊にお目通りせよと教示されています。
かつて学会でも、小樽問答で邪宗日蓮宗に対し
「『かかる不思議なる法華経の行者の住処なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき』と。霊山浄土は大聖人の御本懐(ほんがい)である本門戒壇の大御本尊のおわす富士大石寺こそ本当の霊山浄土でなくて、どこに霊山浄土がありましょうか」(小樽問答誌 七九頁)
と破折したではありませんか。
これらのことを思えば、現在の創価学会が会員に対して、大聖人即大御本尊へのお目通りをしないよう指導していることは実に罪深い悪業というべきです。
破折
1.大御本尊の「清涼池」
学会が拒否したのは、「戒壇の大御本尊へのお目通り」と言うより、「〝ニセ法主〟日顕、日如と縁を結ぶこと」である。我らは今後とも大聖人直結であり、間違っても大謗法の法主に従うことは無い。
南条殿御返事(一五七八㌻)にいわく、
「かかる不思議なる法華経の行者の住処なれば・いかでか霊山浄土に劣るべき、法妙なるが故に人貴し・人貴きが故に所尊しと申すは是なり、神力品に云く『若しは林の中に於ても若しは樹の下に於ても若しは僧坊に於ても乃至而般涅槃したもう』と云云、此の砌に望まん輩は無始の罪障忽に消滅し三業の悪転じて三徳を成ぜん、彼の中天竺の無熱池に臨みし悩者が心中の熱気を除愈して其の願を充満する事清涼池の如しとうそぶきしも・彼れ此れ異なりといへども、其の意は争でか替るべき」
(このように不思議な法華経の行者の住処であるから、どうして霊山浄土に劣ることがあるだろうか。法華文句に「法が妙であるがゆえに、その法を持った人は貴い。人が貴いがゆえに、その人がいる所も尊い」といっているのはこのことである。法華経如来神力品第二十一には「もしくは林の中においても、もしくは樹の下においても、もしくは僧坊においても(中略)般涅槃されるであろう」とある。この所に来る人は無始以来の罪障がたちまちのうちに消滅し、身・口・意の三業の悪は転じて法身・般若・解脱の三徳と成るであろう。かの中インドの無熱池に行った悩者が心の中の熱気を除き癒して「願いは全て満足し、あたかも清涼池のようだ」と言ったが、それとこれと場所は異なっても、その意はなんで変わることがあるだろうか)
「不思議なる法華経の行者」とは、日蓮大聖人の御事である。その住処であるがゆえに、「霊山浄土」にも劣らず、「法妙なるが故に人貴く、人貴きが故に処尊し」(法華文句)となるのである。無条件にその場所(身延や大石寺)が尊いわけではない。
宗門は「日蓮大聖人は人法一箇の大御本尊として、大石寺奉安堂にいらっしゃる」と書いているが、彼らは決してそう思っていない。もったいなくも大御本尊を、信者を学会から強奪するための〝囮〟と為し、法華講員から御開扉料を納めさせる〝宝物〟と見ているのである。
現在の大石寺は全く大聖人の教えに背いた師敵対、謗法の「魔の山」と化している。我らは決して参詣してはならない。
なお大聖人は霊山浄土の意として「清涼池の如し」と仰せであり、大御本尊は清涼池に譬えられるのである。このことは法華経薬王菩薩本事品に次の通り説かれている。
「如清涼池、能満一切諸渇乏者」(清涼(しょうりょう)の池の能(よ)く一切の諸(もろもろ)の渇乏(かつぼう)の者を満たすが如く)
ところが今、我らが大御本尊の「清涼池」に行こうとすると、謗法充満の「泥沼」が周囲を巡っている。この底なし沼に遭遇すれば、奈落の底にまで沈み行くことは必定である。それゆえに間違っても謗法の宗門とは、一切の縁を結んではならない。
幸いにも清涼池たる大御本尊と、家庭の御本尊とは、信心の地下水脈で繋がっている。それゆえ我らは、日々家庭の御本尊に祈念して、大御本尊の力用を感得できるのである。
2.「霊山浄土」の再来
「大御本尊のおわす富士大石寺こそ本当の霊山浄土」とは、第三祖・日目上人御在世までのことである。
四世日道以来、弟子同士で寺領を奪い合って教団は長らく分裂状態となり、教勢はすこぶる振るわず、ために有力者の若い子弟を法主に就任させる「稚児法主」のならわしが代々続き、宗門はいよいよ疲弊の極みとなった。それゆえ異流儀の要法寺から代々の法主を迎えることとなり、それは江戸時代にまで及んだ。法主本仏論の邪義が取り込まれたのは、当然の成り行きであった。
宗門は江戸幕府の寺請制度における御用機関となり、その権威をもって僧侶による葬儀・戒名・塔婆等、あらゆる化儀をこしらえて檀家の御供養を収奪した。
明治の代となってからは、例に漏れず肉食妻帯を取り入れ、袈裟と坊主頭以外は在家と異なるところはなくなった。また結婚して家庭をもつことで、「代々坊主」と呼ばれる寺族が幅を利かせるようになった。
戦時中の宗門は軍部政府にへつらい、命じられるがままに神札甘受等、あらゆる謗法を厭うことなく犯していった。それゆえ大聖人の御誡めは厳しく、本山は大火災となり、法主は焼死、さらに戦後の農地解放で寺領の大部分を失い、戦後の宗門は疲弊の極みにあった。
ここまで述べてきた中で、「折伏弘教」の話はあったろうか、無い。宗門は「寺院経営」の歴史であった。大聖人の後を継ぐ者は、ここにはいない。宗門という小さな殻に閉じこもり、御供養をもらえる化儀にひたすら従事し、空いた時間は勤行に費やすだけの存在でしかなかったのである。
如説修行抄(五〇三㌻)にいわく、
「鷄の暁に鳴くは用なり宵に鳴くは物怪(もっけ)なり、権実雑乱の時法華経の御敵を責めずして山林に閉じ篭り摂受を修行せんは豈法華経修行の時を失う物怪にあらずや」
(鷄(にわとり)が暁に鳴くのは当然のことであるが、宵に鳴くのは物怪(もっけ)である。権教と実教との立て分けが乱れているときに、法華経の敵を折伏しないで、世間を離れ山林の中にとじこもって摂受を修行するのは、まさしく法華経修行の時を失った物怪ではないか」
学会が登場するまでは、宗門は大御本尊を格護するのみの、物怪(妖怪変化)の集団でしかなかった。御書の仰せはすべてを見通されている。
七百年の時を経て、地涌の義を感じ涌出した法華経の行者たる学会の出現により、本山は僧俗和合の道場となった。学会の寄進により大御本尊は遂に「事の本門戒壇」たる正本堂に御安置され、正しい登山が行なわれ、諸天が来下する「本当の霊山浄土」が現出したのであった。
3.宗門の浄土変相図
かつて小樽問答において学会が「大御本尊のおわす富士大石寺こそ本当の霊山浄土」と言ったことは、そこが僧俗和合の道場であったゆえである。しかしその浄土は変容してしまったのであった。
三大秘法禀承事(一〇二三㌻)にいわく、
「叡山に座主(ざす)始まつて第三・第四の慈覚・智証・存の外に本師伝教・義真に背きて理同事勝の狂言(おうげん)を本(もと)として我が山の戒法をあなづり戯論(けろん)とわらいし故に、存の外に延暦寺の戒・清浄無染の中道の妙戒なりしが徒(いたずら)に土泥となりぬる事云うても余りあり歎きても何かはせん」
(比叡山延暦寺に座主が置かれ始めてから第三代の座主・慈覚と第四代の座主・智証が思いの外に本師の伝教大師と第一代座主・義真に背いて「法華と真言は、理は同じであるが事において真言が勝(まさ)っている」という狂った言説を根本として、自分の比叡山延暦寺の戒法を侮(あなど)って戯れの論と笑った故に、思いの外に延暦寺の戒は清浄で汚れのない中道の妙戒であったのに、いたずらに土泥となってしまったことは、言っても言い尽くせず、歎いてもどうにもできないことである)
日顕が学会を破門したことで、「法華経の行者」たる学会員は山を去り、本山の「僧俗和合の道場」の意義は失われた。
さらに日顕は先師・細井管長の建立に成る正本堂を無残にも破壊した。大御本尊が御安置されるべき「事の本門戒壇」は永久にその姿を消し、「諸天善神の来下」も絶えたのである。
このように「霊山浄土」は変じて「泥沼」と化し、二度と戻ることはない。謗法の沼の底は奈落(地獄)にまで続くのであるから、我らは決して近寄らないのである。
4.どうすれば御供養を多く取れるか
以下は故・渡辺慈済住職の手記である。
◇
清涼池は法華経薬王品に説かれた、煩悩の苦熱を取り去る清く涼しい池のことで、法華経は、清涼池のように、人々の生命を潤し、煩悩の苦しみの熱を取り去ることができる。
現在でいえば、この清涼池は大御本尊のことになるが、大石寺には謗法の日顕がいて、大御本尊の周囲は泥沼のようなものである。「清涼池に行きたい」、つまり、「お山に行って大御本尊様を拝みたい」と言っても、この泥沼を通らなければならず、かえって自分の生命を汚してしまうだけである。そんなことは愚かであろう。
そもそも、歴代上人が御本尊を書写し、檀信徒に下付してきたのは、分身散体の意義から、戒壇の大御本尊を直接拝さなくても信心できるようにするためである。各家庭の御本尊に祈り唱題すれば、戒壇の大御本尊に通じるのだから、各家庭でしっかり信心に励めばよいのである。しかも、もともと登山会は、戸田会長が、大石寺の窮乏を救うために始めたものであり、学会の人たちが登山して御供養をしたからこそ、大石寺は今日のように発展した。その恩を忘れて学会を切り捨てたのが日顕であり、そんな不知恩・謗法の日顕のところへ行くべきではない。
末寺の住職でも、昭和二十年代の頃は、貧しくて登山できなかった者が多くいた。大石寺に行かなければ謗法であり堕地獄というなら、そのような住職も皆、堕地獄ということになるが、そんなことはないのである。
さらに、日顕の本当の狙い、魂胆を知れば、登山すべきでないことは一層明白になる。
信徒の方で「大御本尊を拝みたい」と思っていても、日顕の方は「登山者に幸せになってもらいたい」とは、まったく思っていない。ネコがネズミを狙うように、どうすれば御供養を多く取れるかということしか、考えていないのである。
私の寺でも離脱前に、添書(てんしょ)登山を行なったが、御開扉とは別に、日顕にお目通りをするために、「奉(たてまつる)御供養」として一人三千円以上が必要だった。当然、住職の私は、それ以上の額を包まなければならなかった。しかし、この御供養は「受書(うけしょ)」を出さないから、日顕の懐(ふところ)に入って、個人的に使えるお金になってしまうのである。
日顕がどれほど、この御供養を欲しがっていたか。ある日の登山の際には、下山時間が遅くなったため、お目通りをしないで帰った寺が六か寺もあった。すると、日顕はカンカンになって怒った。それは、自分に挨拶をしなかったからではなく、御供養が逃げていったからだというのである。
そうして集めたお金は、結局、奥湯河原や伊豆の温泉豪遊等に湯水のごとく使われる。政子が京都に出かけて、エステや買い物に贅沢三昧するのも、全部、信徒が汗水流して働いて出した御供養である。まったく人を馬鹿にした話であり、黙っている方がおかしい。
(「日蓮正宗〝落日の真因〟」渡辺慈済著 発行所:第三文明社)
(続く)
- このエントリーのカテゴリ : 日顕宗破折 №11~20
日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:14」を破折する(その二) 連載21回
妄説:14 学会では〝宗教的権威は不要、信心は御本尊対自分である〟ということを強調しますが、このような考えは正しいのですか。
かつて池田大作氏は、
「もと正宗の僧侶であった『正信会』も、御法主上人の認(したた)められた御本尊を拝しているし、読む経文も唱える題目も、われわれと同じである。外見からみればわれわれと同じようにみえるが、それらには唯授一人・法水写瓶(しゃびょう)の血脈がない。法水写瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つも無益であり、功徳はないのである」(広布と人生を語る 8-228頁)
と指導しています。
しかし近年、創価学会が日蓮正宗と離れても会員が不審を抱かないように「御本尊を拝んでいれば、他の宗教的権威は不要」と指導してきました。
さらにそのうえ、純真な会員に対して「御本尊対自分」という指導を徹底し、日蓮正宗本来の法義・伝統に対する信仰心を低下させ、我見と慢心を増長させてきたのです。
日蓮大聖人は『曽谷殿御返事』に
「返す返すも本従(ほんじゅう)たがへずして成仏せしめ給ふべし」(新編 1040頁)
と仰せられ、仏道を成就するためには師弟の道を全うしなければならないと説かれています。私たちにとって本従の師に至るには総貫首たる御法主上人の御指南に随順しなければなりません。
創価学会はこの仏法本来の師弟の道を「宗教的権威」と蔑称(べっしょう)して否定してきたのです。この悪意に満ちた指導の延長線上で「御本尊対自分」という、もっともらしい指導がなされていることを知らなければなりません。
破折:
5.「C作戦」全て失敗
原田 「20万人が山(宗門)につけばいい」と目論んでいた日顕は、登山の停止、御本尊下付の停止、海外での檀徒づくりなど、あの手この手で学会を脅し、何とかして揺さぶろうと企て、次々と実行した。だが、学会は微動だにしなかった。
谷川 逆に日顕は、東京・目黒区に豪邸建設を計画していたことや、謗法厳誡などと吹聴していながら、何と福島の禅寺に墓を建立し、自ら法要に行っていたことなど、悪事が次々と発覚。そして、追い詰められて学会への嫉妬に狂った日顕が、学会に送りつけてきたのが91年11月28日の「破門通告書」だった。
川原 権威のかたまりである日顕は、「破門」という言葉で脅せば、学会員も坊主にひれ伏すと考えていたのでしょう。しかし、そもそも私たちは日蓮大聖人の仏法を信仰しているのです。謗法や悪事を重ねる坊主の信者ではありません。学会員は、日顕なんて相手にもしませんでしたね。
原田 それどころか、破門されたことで、逆に学会は宗門の〝衣の権威〟の鉄鎖から解放されたのです。
川原 私は日顕宗の寺が三つもある墨田区なので、御講の時など、供養の受付名簿まで書かされた上、結集が悪いと文句を言われるなど、本当に嫌な思いをしました。だから、もうあの陰湿な坊主とつきあわなくていいのかと思うと、心の底から晴れ晴れとしました(笑い)。そういう声は、あちらこちらで聞きましたね。
谷川 この「魂の独立」によって、学会はいよいよ世界宗教として、大きく羽ばたくことができました。宗祖日蓮大聖人の御遺命である世界広布の時代が、太陽の仏法が地球を照らす時代が来たのです。
(発言者:原田会長、谷川副会長、川原婦人部書記長 「聖教新聞」2011年 11月24日)
6.世界の識者が絶賛
(1)学会の発展は「宗門との決別」にあり
ここで、アメリカを代表する文化人類学者、ハーバード大学のヌール・ヤーマン博士へのインタビュー記事を読んでおきたい。
◇
――日本の仏教の在家の団体として出発した創価学会が今、世界へと発展を遂げた要因は、どこにあるとお考えでしょうか。
ヤーマン博士 最大の、また、特筆すべき要因は、宗門との決別にあった、と私は考えます。
他の世界の宗教の歴史にも見られるように、それは、旧習に染められた過去との重大な決別を意味するものでありました。
それによって創価学会は、もはや、仏教の歴史の下流に甘んじて生きることを止(や)めたのです。
事実、この決別がなければ、創価学会は仏教の歴史の支流に位置したまま、命脈が尽きてしまっていたかもしれません。
さらに、この決別は、池田SGI会長が普遍的なヒューマニズムに根差した、新たな思想と実践を世界に開きゆく、重大な契機となりました。そして、その実践は、単に旧習を乗り越えるだけでなく、既成の宗教の制約をも越え、他の思想や文明に生きる人々との心を結ぶ運動へと高められていったのです。
仏教の英知に基づく、SGI会長の合理的な人間探究の精神が、他の宗教の持つ現実性と合理性を深く啓発し、引き出す力となったのです。
そこに、宗教を超えた人間と人間の、幅広い共感の土壌が育(はぐく)まれていったのです。これは、とりもなおさず、会長が宗教の教義を超えたところに、人間の真実を発見したからにほかなりません。
もちろん、その発見は、宗教の否定を意味するものではないのです。宗教において教義が重要であることは、論を俟(ま)ちません。
しかし、私たちは、教義の奥に、さらには教義を超えて存在する人類の普遍の知恵を探ってゆかねばならないのです。
ともあれ、SGI会長の挑戦は、人類の新たな歴史を拓きゆく挑戦である、といえるのです。
(聖教新聞 2012年11月14日付 一部抜粋)
(2)「宗教は人間のためにある」
引き続きヌール・ヤーマン博士へのインタビューより。
――SGI会長は、人々が宗教に対する開かれた視野を育むことができるよう、さまざまな形で啓発を与えてきました。「人間が宗教のために存在するのではなく、宗教が人間のために存在する」との重要な視点を示したのも、その一つです。また、そうした普遍的なヒューマニズムの視点に立った宗教の思想と実践は、特定の宗教を信奉しない人々にも共感を広げていくものです。
博士 多くの宗教には、官僚主義的な傾向を強めることによって、本来の目的を見失っていった歴史があります。宗教の思想の形骸化が、組織の硬直化をもたらし、結果として、人々の心が宗教から離れていったケースも、まれではありません。
それに対して、SGI会長は「宗教は人間のためにある」と訴えることによって、組織の硬直化の道を塞ぎ、宗教の教義が、より普遍化され、現実生活に生きた思想として、活性化し続ける道を開いたのです。
とりわけ、SGI会長が、賢明なる知性と先見性をもって、普遍的なヒューマニズムの思想を世界に紹介し、発展させた意義の重要性を、全ての創価学会員は、誇りをもって確信すべきであります。
さらに、依然、閉鎖的で権威的な体質の残る日本の文化と風土のなかで、常に異なる思想や文化に対して、開かれた心で接し続けてきたSGI会長は、極めて特異な存在であることも、人々は知るべきでありましょう。
(同)
(人物)ヌール・ヤーマン: 米ハーバード大学名誉教授。1931年、トルコ生まれ。英ケンブリッジ大学で文化人類学の博士号を取得。米シカゴ大学教授を経て、1972年からハーバード大学教授。同大学の中東研究センター所長等を務めた。
7.〝教義を超えて存在する人類の普遍の知恵〟
前項のヌール・ヤーマン博士の言は、正しく卓見である。
思えば、全人類の希望の経典・法華経二十八品を読み解くために、天台・妙楽・伝教等の大学匠等は、その叡智の限りを尽くして幾多もの著述を遺し、遂に末法に入って日蓮大聖人が三大秘法の南無妙法蓮華経を顕わされ、なかんずく御本尊を一切衆生に遺し置かれた。
しかして七百有余年後の一閻浮提(全世界)は、当時のインド・中国・日本には存在しなかったユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの唯一神教で覆われているのが実態である。これらについては、過去の仏教諸師に何等の言及があるわけがなく、仏教の典籍に手掛かりは求められない。
七百有余年の時代の差に加え、民俗も言語も異なる海外の広大さとが、我らの前に厳然と横たわる。世界広宣流布は、決して安穏な道のりではない。
しかし、地涌の義で立った学会である。先駆けたのは池田名誉会長であった。世界の各地で誠実な対話が行われ、そこから世界広布が始まった。
対話における重要な要素は、いかにして日蓮大聖人の仏法を、民俗・習慣の異なる人々にも理解されうる共通の認識に訴えていくかにある。それには宗門による、従来の硬直した教義そのものではなく、「教義の奥に、さらには教義を超えて存在する人類の普遍の知恵を探ってゆかねばならない」(ヌール・ヤーマン博士の言より)ことに核心があった。名誉会長はこれに果敢に挑戦し、実証を挙げてきたのである。
ところが、権威を楯とする宗門は、名誉会長の言葉の端々に、度々難癖をつけてきた。 宗門の偏狭さの一例を挙げれば、彼等は現代の諸宗教を一律に「外道」と呼ぶ。だが、その名称はインド釈尊当時の権威であったバラモン教、またこれに満足しない諸思想家(六師外道)のことであり、これに中国の儒教・道教を加えた概念である。
これに対し、現今の世界で主たる宗教とは、前に挙げた通り唯一神教の諸宗教である。すなわち〝外道〟の語が意味するものは、すでに過去のものであって歴史の中の言葉である。
世界の大多数の人々を「外道」と捉える宗門の見地にあっては、決して人々の中に入って対話することなど及びもつかず、その迷妄を破することなくして世界宗教とはなりえない。学会員がベートーベンを歌えば、宗門はこれを「外道礼讃」と非難する有様である。
8.的外れな〝難くせ〟
棚野 「紅の歌」や「青年よ広布の山を登れ」は、第1次宗門事件の反転攻勢の旗印として、「創価歓喜の凱歌」は、第2次宗門事件で学会が「魂の独立」を勝ち取った創価完勝の象徴として歌い継がれています。
谷川 そうです。1990年(平成2年)11月16日、学会創立60周年を大勝利で迎えた本部幹部会で、池田先生は、現実社会の荒波の中で奮闘する全国の同志に、“悩みを突き抜けて歓喜に至れ!”と激励された。
そして、ベートーベンの「歓喜の歌」を歌っていこうと提案され、翌年11月、〝学会版〟の歌詞を付けた「創価歓喜(よろこび)の凱歌(うた)」が誕生したのです。
正木 そういえば、90年末、宗規改変にかこつけ、「C作戦」を仕掛けてきた時、宗門が「お尋ね」なる文書で〝難くせ〟をつけてきた一つが「歓喜の歌」だった。
谷川 シラー作の「歓喜の歌」のドイツ語の原詩には、「神々」とあるから、これを歌うことは「外道礼賛だ」などと、全く的外れな批判だった。
吉井 「歓喜の歌」に歌われる「神々」が一神教としての「キリスト」などではなく、自己の内なる神々しい力、自由な精神を指すことは常識です。
原田 だから、このくだらない言い掛かりで、逆に日顕宗は、文化や芸術の理解できない常識外れな教団であることを天下にさらして大恥をかいた。
棚野 アメリカSGI(創価学会インタナショナル)のメンバーも、「日顕宗は『IN GOD WE TRUST(我々は神を信じる)』と印刷された米ドル紙幣の供養を貪り取っているのに何を言っているのか」と笑っていたな(笑い)。
谷川 当時、「人間精神の普遍的な昇華がもたらす芸術を、無理やり宗教のカテゴリーに当てはめ、邪教徒をつくり断罪する、あの魔女狩りにも似た宗教的独断の表れである」(芝浦工業大学・河端春雄教授)などと多くの識者も指弾しました。
吉井 また、「『第九』の本質が分かる人は、人間主義に立つ人……逆に、『人間』を軽視する人は、『第九』が分からない」(作曲家・諸井誠氏)という声もありましたね。
(発言者:原田会長、正木理事長、谷川副会長、棚野青年部長、吉井女子部長 「聖教新聞」2011年 11月24日)
9.現代に生きる不軽菩薩の礼拝行
御義口伝巻下(七六九㌻)にいわく、
「不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の仏性又不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向つて礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」
池田名誉会長は、この御文を通して述べている。
「開かれた心で打って出て、多彩な人々と生き生きと対話し交流する。他者の生命を尊敬し、共に学び合ってこそ、互いの個性がより光り輝いて、創造の花を咲かせていくことができるのではないでしょうか」
(「ジャズと人生と仏法を語る」第8回 桜梅桃李の個性 2011.1.14/15 聖教新聞)
宗門は、礼拝すべきは御本尊のみで、礼拝行とは、過去世の不軽菩薩の故事くらいにしか思っていない。しかし相手の仏性を尊敬することが、不軽菩薩の正意ではなかったか。それは時代を問わぬ原理である。
僧俗差別のもと、人を見下すのが当然とする宗門に、世界広宣流布が叶うはずがない。事実、彼等は学会の揚げ足取りに終始するのみで、広布の障礙となってきた。現代社会に通用する言葉を知らない宗門は、もはや〝死んだ宗教〟である。
この硬直した宗門の中に安住していたら、「創価学会は仏教の歴史の支流に位置したまま、命脈が尽きてしまっていた」と博士が明察した通りとなったことであろう。法脈の途絶した日顕宗の道連れとなり、朽ち果てるところであった。
しかし学会は見事に蘇生し立ち上がった。いよいよこれからである、大聖人の仏法を正しく弘めて行くことは。
(了)
妄説:14 学会では〝宗教的権威は不要、信心は御本尊対自分である〟ということを強調しますが、このような考えは正しいのですか。
かつて池田大作氏は、
「もと正宗の僧侶であった『正信会』も、御法主上人の認(したた)められた御本尊を拝しているし、読む経文も唱える題目も、われわれと同じである。外見からみればわれわれと同じようにみえるが、それらには唯授一人・法水写瓶(しゃびょう)の血脈がない。法水写瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つも無益であり、功徳はないのである」(広布と人生を語る 8-228頁)
と指導しています。
しかし近年、創価学会が日蓮正宗と離れても会員が不審を抱かないように「御本尊を拝んでいれば、他の宗教的権威は不要」と指導してきました。
さらにそのうえ、純真な会員に対して「御本尊対自分」という指導を徹底し、日蓮正宗本来の法義・伝統に対する信仰心を低下させ、我見と慢心を増長させてきたのです。
日蓮大聖人は『曽谷殿御返事』に
「返す返すも本従(ほんじゅう)たがへずして成仏せしめ給ふべし」(新編 1040頁)
と仰せられ、仏道を成就するためには師弟の道を全うしなければならないと説かれています。私たちにとって本従の師に至るには総貫首たる御法主上人の御指南に随順しなければなりません。
創価学会はこの仏法本来の師弟の道を「宗教的権威」と蔑称(べっしょう)して否定してきたのです。この悪意に満ちた指導の延長線上で「御本尊対自分」という、もっともらしい指導がなされていることを知らなければなりません。
破折:
5.「C作戦」全て失敗
原田 「20万人が山(宗門)につけばいい」と目論んでいた日顕は、登山の停止、御本尊下付の停止、海外での檀徒づくりなど、あの手この手で学会を脅し、何とかして揺さぶろうと企て、次々と実行した。だが、学会は微動だにしなかった。
谷川 逆に日顕は、東京・目黒区に豪邸建設を計画していたことや、謗法厳誡などと吹聴していながら、何と福島の禅寺に墓を建立し、自ら法要に行っていたことなど、悪事が次々と発覚。そして、追い詰められて学会への嫉妬に狂った日顕が、学会に送りつけてきたのが91年11月28日の「破門通告書」だった。
川原 権威のかたまりである日顕は、「破門」という言葉で脅せば、学会員も坊主にひれ伏すと考えていたのでしょう。しかし、そもそも私たちは日蓮大聖人の仏法を信仰しているのです。謗法や悪事を重ねる坊主の信者ではありません。学会員は、日顕なんて相手にもしませんでしたね。
原田 それどころか、破門されたことで、逆に学会は宗門の〝衣の権威〟の鉄鎖から解放されたのです。
川原 私は日顕宗の寺が三つもある墨田区なので、御講の時など、供養の受付名簿まで書かされた上、結集が悪いと文句を言われるなど、本当に嫌な思いをしました。だから、もうあの陰湿な坊主とつきあわなくていいのかと思うと、心の底から晴れ晴れとしました(笑い)。そういう声は、あちらこちらで聞きましたね。
谷川 この「魂の独立」によって、学会はいよいよ世界宗教として、大きく羽ばたくことができました。宗祖日蓮大聖人の御遺命である世界広布の時代が、太陽の仏法が地球を照らす時代が来たのです。
(発言者:原田会長、谷川副会長、川原婦人部書記長 「聖教新聞」2011年 11月24日)
6.世界の識者が絶賛
(1)学会の発展は「宗門との決別」にあり
ここで、アメリカを代表する文化人類学者、ハーバード大学のヌール・ヤーマン博士へのインタビュー記事を読んでおきたい。
◇
――日本の仏教の在家の団体として出発した創価学会が今、世界へと発展を遂げた要因は、どこにあるとお考えでしょうか。
ヤーマン博士 最大の、また、特筆すべき要因は、宗門との決別にあった、と私は考えます。
他の世界の宗教の歴史にも見られるように、それは、旧習に染められた過去との重大な決別を意味するものでありました。
それによって創価学会は、もはや、仏教の歴史の下流に甘んじて生きることを止(や)めたのです。
事実、この決別がなければ、創価学会は仏教の歴史の支流に位置したまま、命脈が尽きてしまっていたかもしれません。
さらに、この決別は、池田SGI会長が普遍的なヒューマニズムに根差した、新たな思想と実践を世界に開きゆく、重大な契機となりました。そして、その実践は、単に旧習を乗り越えるだけでなく、既成の宗教の制約をも越え、他の思想や文明に生きる人々との心を結ぶ運動へと高められていったのです。
仏教の英知に基づく、SGI会長の合理的な人間探究の精神が、他の宗教の持つ現実性と合理性を深く啓発し、引き出す力となったのです。
そこに、宗教を超えた人間と人間の、幅広い共感の土壌が育(はぐく)まれていったのです。これは、とりもなおさず、会長が宗教の教義を超えたところに、人間の真実を発見したからにほかなりません。
もちろん、その発見は、宗教の否定を意味するものではないのです。宗教において教義が重要であることは、論を俟(ま)ちません。
しかし、私たちは、教義の奥に、さらには教義を超えて存在する人類の普遍の知恵を探ってゆかねばならないのです。
ともあれ、SGI会長の挑戦は、人類の新たな歴史を拓きゆく挑戦である、といえるのです。
(聖教新聞 2012年11月14日付 一部抜粋)
(2)「宗教は人間のためにある」
引き続きヌール・ヤーマン博士へのインタビューより。
――SGI会長は、人々が宗教に対する開かれた視野を育むことができるよう、さまざまな形で啓発を与えてきました。「人間が宗教のために存在するのではなく、宗教が人間のために存在する」との重要な視点を示したのも、その一つです。また、そうした普遍的なヒューマニズムの視点に立った宗教の思想と実践は、特定の宗教を信奉しない人々にも共感を広げていくものです。
博士 多くの宗教には、官僚主義的な傾向を強めることによって、本来の目的を見失っていった歴史があります。宗教の思想の形骸化が、組織の硬直化をもたらし、結果として、人々の心が宗教から離れていったケースも、まれではありません。
それに対して、SGI会長は「宗教は人間のためにある」と訴えることによって、組織の硬直化の道を塞ぎ、宗教の教義が、より普遍化され、現実生活に生きた思想として、活性化し続ける道を開いたのです。
とりわけ、SGI会長が、賢明なる知性と先見性をもって、普遍的なヒューマニズムの思想を世界に紹介し、発展させた意義の重要性を、全ての創価学会員は、誇りをもって確信すべきであります。
さらに、依然、閉鎖的で権威的な体質の残る日本の文化と風土のなかで、常に異なる思想や文化に対して、開かれた心で接し続けてきたSGI会長は、極めて特異な存在であることも、人々は知るべきでありましょう。
(同)
(人物)ヌール・ヤーマン: 米ハーバード大学名誉教授。1931年、トルコ生まれ。英ケンブリッジ大学で文化人類学の博士号を取得。米シカゴ大学教授を経て、1972年からハーバード大学教授。同大学の中東研究センター所長等を務めた。
7.〝教義を超えて存在する人類の普遍の知恵〟
前項のヌール・ヤーマン博士の言は、正しく卓見である。
思えば、全人類の希望の経典・法華経二十八品を読み解くために、天台・妙楽・伝教等の大学匠等は、その叡智の限りを尽くして幾多もの著述を遺し、遂に末法に入って日蓮大聖人が三大秘法の南無妙法蓮華経を顕わされ、なかんずく御本尊を一切衆生に遺し置かれた。
しかして七百有余年後の一閻浮提(全世界)は、当時のインド・中国・日本には存在しなかったユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの唯一神教で覆われているのが実態である。これらについては、過去の仏教諸師に何等の言及があるわけがなく、仏教の典籍に手掛かりは求められない。
七百有余年の時代の差に加え、民俗も言語も異なる海外の広大さとが、我らの前に厳然と横たわる。世界広宣流布は、決して安穏な道のりではない。
しかし、地涌の義で立った学会である。先駆けたのは池田名誉会長であった。世界の各地で誠実な対話が行われ、そこから世界広布が始まった。
対話における重要な要素は、いかにして日蓮大聖人の仏法を、民俗・習慣の異なる人々にも理解されうる共通の認識に訴えていくかにある。それには宗門による、従来の硬直した教義そのものではなく、「教義の奥に、さらには教義を超えて存在する人類の普遍の知恵を探ってゆかねばならない」(ヌール・ヤーマン博士の言より)ことに核心があった。名誉会長はこれに果敢に挑戦し、実証を挙げてきたのである。
ところが、権威を楯とする宗門は、名誉会長の言葉の端々に、度々難癖をつけてきた。 宗門の偏狭さの一例を挙げれば、彼等は現代の諸宗教を一律に「外道」と呼ぶ。だが、その名称はインド釈尊当時の権威であったバラモン教、またこれに満足しない諸思想家(六師外道)のことであり、これに中国の儒教・道教を加えた概念である。
これに対し、現今の世界で主たる宗教とは、前に挙げた通り唯一神教の諸宗教である。すなわち〝外道〟の語が意味するものは、すでに過去のものであって歴史の中の言葉である。
世界の大多数の人々を「外道」と捉える宗門の見地にあっては、決して人々の中に入って対話することなど及びもつかず、その迷妄を破することなくして世界宗教とはなりえない。学会員がベートーベンを歌えば、宗門はこれを「外道礼讃」と非難する有様である。
8.的外れな〝難くせ〟
棚野 「紅の歌」や「青年よ広布の山を登れ」は、第1次宗門事件の反転攻勢の旗印として、「創価歓喜の凱歌」は、第2次宗門事件で学会が「魂の独立」を勝ち取った創価完勝の象徴として歌い継がれています。
谷川 そうです。1990年(平成2年)11月16日、学会創立60周年を大勝利で迎えた本部幹部会で、池田先生は、現実社会の荒波の中で奮闘する全国の同志に、“悩みを突き抜けて歓喜に至れ!”と激励された。
そして、ベートーベンの「歓喜の歌」を歌っていこうと提案され、翌年11月、〝学会版〟の歌詞を付けた「創価歓喜(よろこび)の凱歌(うた)」が誕生したのです。
正木 そういえば、90年末、宗規改変にかこつけ、「C作戦」を仕掛けてきた時、宗門が「お尋ね」なる文書で〝難くせ〟をつけてきた一つが「歓喜の歌」だった。
谷川 シラー作の「歓喜の歌」のドイツ語の原詩には、「神々」とあるから、これを歌うことは「外道礼賛だ」などと、全く的外れな批判だった。
吉井 「歓喜の歌」に歌われる「神々」が一神教としての「キリスト」などではなく、自己の内なる神々しい力、自由な精神を指すことは常識です。
原田 だから、このくだらない言い掛かりで、逆に日顕宗は、文化や芸術の理解できない常識外れな教団であることを天下にさらして大恥をかいた。
棚野 アメリカSGI(創価学会インタナショナル)のメンバーも、「日顕宗は『IN GOD WE TRUST(我々は神を信じる)』と印刷された米ドル紙幣の供養を貪り取っているのに何を言っているのか」と笑っていたな(笑い)。
谷川 当時、「人間精神の普遍的な昇華がもたらす芸術を、無理やり宗教のカテゴリーに当てはめ、邪教徒をつくり断罪する、あの魔女狩りにも似た宗教的独断の表れである」(芝浦工業大学・河端春雄教授)などと多くの識者も指弾しました。
吉井 また、「『第九』の本質が分かる人は、人間主義に立つ人……逆に、『人間』を軽視する人は、『第九』が分からない」(作曲家・諸井誠氏)という声もありましたね。
(発言者:原田会長、正木理事長、谷川副会長、棚野青年部長、吉井女子部長 「聖教新聞」2011年 11月24日)
9.現代に生きる不軽菩薩の礼拝行
御義口伝巻下(七六九㌻)にいわく、
「不軽菩薩の四衆を礼拝すれば上慢の四衆所具の仏性又不軽菩薩を礼拝するなり、鏡に向つて礼拝を成す時浮べる影又我を礼拝するなり」
池田名誉会長は、この御文を通して述べている。
「開かれた心で打って出て、多彩な人々と生き生きと対話し交流する。他者の生命を尊敬し、共に学び合ってこそ、互いの個性がより光り輝いて、創造の花を咲かせていくことができるのではないでしょうか」
(「ジャズと人生と仏法を語る」第8回 桜梅桃李の個性 2011.1.14/15 聖教新聞)
宗門は、礼拝すべきは御本尊のみで、礼拝行とは、過去世の不軽菩薩の故事くらいにしか思っていない。しかし相手の仏性を尊敬することが、不軽菩薩の正意ではなかったか。それは時代を問わぬ原理である。
僧俗差別のもと、人を見下すのが当然とする宗門に、世界広宣流布が叶うはずがない。事実、彼等は学会の揚げ足取りに終始するのみで、広布の障礙となってきた。現代社会に通用する言葉を知らない宗門は、もはや〝死んだ宗教〟である。
この硬直した宗門の中に安住していたら、「創価学会は仏教の歴史の支流に位置したまま、命脈が尽きてしまっていた」と博士が明察した通りとなったことであろう。法脈の途絶した日顕宗の道連れとなり、朽ち果てるところであった。
しかし学会は見事に蘇生し立ち上がった。いよいよこれからである、大聖人の仏法を正しく弘めて行くことは。
(了)
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日顕宗『ニセ宗門』の「妄説:14」を破折する(その一) 連載20回
妄説:14 学会では〝宗教的権威は不要、信心は御本尊対自分である〟ということを強調しますが、このような考えは正しいのですか。
かつて池田大作氏は、
「もと正宗の僧侶であった『正信会』も、御法主上人の認(したた)められた御本尊を拝しているし、読む経文も唱える題目も、われわれと同じである。外見からみればわれわれと同じようにみえるが、それらには唯授一人・法水写瓶(しゃびょう)の血脈がない。法水写瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つも無益であり、功徳はないのである」(広布と人生を語る 8-228頁)
と指導しています。
しかし近年、創価学会が日蓮正宗と離れても会員が不審を抱かないように「御本尊を拝んでいれば、他の宗教的権威は不要」と指導してきました。
さらにそのうえ、純真な会員に対して「御本尊対自分」という指導を徹底し、日蓮正宗本来の法義・伝統に対する信仰心を低下させ、我見と慢心を増長させてきたのです。
日蓮大聖人は『曽谷殿御返事』に
「返す返すも本従(ほんじゅう)たがへずして成仏せしめ給ふべし」(新編 1040頁)
と仰せられ、仏道を成就するためには師弟の道を全うしなければならないと説かれています。私たちにとって本従の師に至るには総貫首たる御法主上人の御指南に随順しなければなりません。
創価学会はこの仏法本来の師弟の道を「宗教的権威」と蔑称(べっしょう)して否定してきたのです。この悪意に満ちた指導の延長線上で「御本尊対自分」という、もっともらしい指導がなされていることを知らなければなりません。
破折:
1.正法迫害の構図・悪の方程式
宗門は「総貫首たる御法主上人の御指南に随順しなければなりません」と、すなわち「衣の権威」をもって〝法主への無条件の信従〟を信者に誓わせようとする。
しかし古来より、権威に盲従せず、正しい仏法のみを信受する者は、権威によって「悪」に仕立て上げられてきた。この原理は、御書に説かれる通りである。
開目抄下(二二四㌻)にいわく、
「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲(てんごく)に未だ得ざるを為(こ)れ得たりと謂(おも)い我慢の心充満せん、或は阿練若(あれんにゃ)に納衣(のうえ)にして空閑(くうげん)に在って自ら真の道を行ずと謂って人間を軽賎(きょうせん)する者有らん利養に貪著(とんじゃく)するが故に白衣(びゃくえ)の与(ため)に法を説いて世に恭敬(くぎょう)せらるることを為(う)ること六通の羅漢の如くならん。
是の人悪心を懐(いだ)き常に世俗の事を念(おも)い名を阿練若に仮(かっ)て好んで我等が過(とが)を出さん、常に大衆の中に在って我等を毀(そし)らんと欲するが故に国王・大臣・婆羅門・居士及び余の比丘衆に向つて誹謗(ひぼう)して我が悪を説いて是れ邪見の人・外道の論議を説くと謂(い)わん、濁劫悪世の中には多く諸の恐怖(くふ)有らん悪鬼其身に入って我を罵詈毀辱(めりきにく)せん、濁世(じょくせ)の悪比丘は仏の方便随宜(ずいぎ)の所説の法を知らず悪口(あっく)し顰蹙(ひんじゅく)し数数擯出(しばしばひんずい)せられん」
(悪世の比丘は邪智で、心は諂曲であり、いまだ得ていない悟りを得ていると思い、我慢の心が充満している。あるいは人里離れた閑静な場所に衣をまとい、静かな所で真の仏道を行じているといい、世事にあくせくする人間を軽賤する者があるであろう。私利私欲を得る目的で在家のために法を説いて、その結果、形の上では六通の羅漢のように尊敬されるであろう。
この人は悪心を抱き、つねに世俗の事を思い、閑静な場所にいるという理由だけで、自己保身のため、正法の行者の悪口を並べ立てるであろう。常に大衆の中にあって正法の行者を毀(そし)るため、国王や大臣や婆羅門居士およびその他の比丘衆に向かって誹謗して、我等の悪を説いて「これは邪見の人であり、外道の論議を説いている」というであろう。濁劫悪世の中には多く諸々の恐怖する事件があり、悪鬼がその身に入ってわれら正法の行者をののしり、批判し、はずかしめるであろう。濁世の悪比丘は、仏が方便随宜の説法をしていることに迷い、経の浅深勝劣を知らず、正法の行者に悪口し、顔をしかめ、しばしばその居所を追い出すであろう)
これを現在に置き換えて読めば、「悪世の比丘」日顕は、「未だ得ざるを為(こ)れ得たりと謂(おも)い」実際には受けていない相承を受けたと詐称し、「六通の羅漢の如く」御法主上人などと崇められている。
「好んで我等が過(とが)を出さん」学会の悪口を並べ立て、「国王・大臣・婆羅門・居士及び余の比丘衆に向って」国会議員や批評家を動員し、マスコミを操作し、「我が悪を説いて是れ邪見の人・外道の論議を説くと謂わん」仏法から外れた邪見であり、外道の論議であると言い、「悪口(あっく)し顰蹙(ひんじゅく)し数数擯出(しばしばひんずい)せられん」悪口誹謗の限りを尽くした上に、破門したのである。
かつては日蓮大聖人を悪人に仕立て上げようと極楽寺良観が企み、大聖人を死罪・流罪に落とし入れたのであるが、今でも悪の権威が企む方程式は同じである。
2.悪口は、言った人のもとに戻る
斉藤 迫害につきものなのが策謀です。釈尊の時代も、でっち上げのスキャンダルや、冤罪が絶えなかった。
悪人たちは自分たちが殺人を犯した上、その罪を釈尊の門下にかぶせることによって仏教教団を社会的に抹殺しようとさえしました。
須田 大聖人の場合も、念仏者などの一派が鎌倉で殺人や放火を犯し、それを大聖人門下がやったと言いふらして、大聖人を佐渡へ流罪させました。この時も大聖人の教団があたかも危険な集団であるかのようなイメージを作りだすことによって弾圧したのです。いつの時代でも正法迫害の構図には似たものがあります。
遠藤 だからこそ「忍辱(にんにく)の衣」が放せないのですね。
名誉会長 こんな話が残っている。
一人のバラモンがいた。彼は、妻が仏教に帰依したことを快く思っていなかった。
妻が、あんまり釈尊のことをたたえるので、一度、論破してやろうと行ってみたが、かえって釈尊の説法に感心し、自分も帰依する。
これを苦々しく思ったのは、仲間のバラモンたち。さっそく祇園精舎へ押しかけ、悪口雑言で釈尊を非難した。
これを受けて釈尊は、どうしたか―。
遠藤 興味深いところですね。
名誉会長 釈尊はバラモンの一人に尋ねた。「バラモンよ、親類や友人が、あなたの家へやってきた時に、あなたは彼等を客人としてもてなすか」
「そうだ。時には、もてなすことがある」
「彼らが、出された食事を受けなければ、それはだれのものになるか」
「もちろん、それは主人である自分のものになる」
「バラモンよ、そのように、あなたが私に投げつけている讒謗(ざんぼう)を、私は受け取らない。とすれば、その悪口は、あなたに戻り、あなたのものとなるであろう」
須田 まさに「柔和忍辱」にして、相手の痛いところを突いています(笑い)。
遠藤 「柔和忍辱の衣」を着ることによって、悪口も「心に入らなくなる」わけですね。
斉藤 入らなくなった分、悪口は、言った人のもとに戻って、当人が苦しむ(笑い)。
(「法華経の智慧」第二巻)
正法(法華経)の行者を謗り、あるいは害せんとする者は、かえって自らの身にそれを受けることになる、これが「還著於本人」の法理である。
3.還著於本人の法理
「総貫首たる御法主上人」がどれほどの「権威」とされていようとも、その信奉するところが邪法邪義であれば、その権威は失墜する道理を、大聖人は仰せである。
諫暁八幡抄(五八三㌻、五八七㌻)にいわく、
「叡山・東寺等の真言の邪法をもつて権(ごん)の大夫殿を調伏せし程に権の大夫殿はかたせ給い隠岐の法皇はまけさせ給いぬ還著於本人(げんじゃくおほんにん)此れなり……隠岐の法皇は名は国王・身は妄語の人なり横人なり」
(承久の乱において朝廷方は比叡山や東寺等の真言の邪法をもって、権の大夫すなわち北条義時殿の調伏を祈願されたので、かえって権の大夫殿が勝ち、隠岐の法皇〈後鳥羽上皇〉は負けてしまわれたのである。経文に説かれている「還著於本人」とはこのことである……隠岐の法皇は、名は国王であったが、身は妄語の人で、道に外れた人であった)
隠岐の法皇(後鳥羽上皇)は当時の最高権力者であったが、真言の邪法をもって源氏を調伏したために、あっけなく戦に惨敗し、身は隠岐島に流された故事を仰せである。
「還って本人に著(つ)きなん」とは、邪法の者が人を呪詛し、害そうとすれば、かえって自分自身がそれを受けることになるとの意である。
今、宗門が広宣流布に邁進する創価学会に対し、日顕の邪法邪義を拠り所に、誹謗中傷の限りを尽くしている。だが日顕こそは「妄語の人」であり「横人」である。邪義をもって正法の人・学会を謗るその果報は、ことごとく宗門・日顕に還り来ることは、仏法の道理なのである。
隠岐の法皇ならぬ〝汚器の法主・日顕〟の末路は、御書に記された姿となろう。
4.見せかけの権威
原田 1991年(平成3年)11月28日、日顕宗が送ってきた「破門通告書」には御書の御文が一文もなかった事実は象徴的だ。
橋元 仏意仏勅の学会を破門する教義的な裏づけなど何もないことは明白。自分たちは折伏もしない、大聖人が御書に仰せの実践もしない。それどころか全く逆の実態だったことが露呈して大恥をかいた。
正木 「破門」などとおどろおどろしい言葉を使っているが、結局は、嫉妬と金もうけの欲におぼれ、〝衣の権威〟で学会を押さえつけようと圧迫してきたのだ。
森中 そもそも、宗門の寺を全国に建てたのも、大聖人の仏法を弘めたのも、世界広布を進めたのも、全て学会がやったことです。立宗以来700年、学会が出現して仏法が広まりました。59世・堀日亨法主が〝今の宗門から創価学会を取ったら、何が残るか。何も残らないではないか〟と言われた通りです。
橋元 折伏も教学も、学会に及ばない。だから坊主は見せかけの権威でいばるしかない。
正木 現法主の日如も東京・新宿の住職時代に教学の質問をされ、「そういうことなら学会の教学部に聞きなさい。よく勉強しているから」と逃げた(笑い)。それが今や宗門のトップだから呆れたものだ。
(発言者:原田会長、正木理事長、森中教学部長、橋元男子部長 「聖教新聞」2011年 11月28日)
(続く)
妄説:14 学会では〝宗教的権威は不要、信心は御本尊対自分である〟ということを強調しますが、このような考えは正しいのですか。
かつて池田大作氏は、
「もと正宗の僧侶であった『正信会』も、御法主上人の認(したた)められた御本尊を拝しているし、読む経文も唱える題目も、われわれと同じである。外見からみればわれわれと同じようにみえるが、それらには唯授一人・法水写瓶(しゃびょう)の血脈がない。法水写瓶の血脈相承にのっとった信心でなければ、いかなる御本尊を持つも無益であり、功徳はないのである」(広布と人生を語る 8-228頁)
と指導しています。
しかし近年、創価学会が日蓮正宗と離れても会員が不審を抱かないように「御本尊を拝んでいれば、他の宗教的権威は不要」と指導してきました。
さらにそのうえ、純真な会員に対して「御本尊対自分」という指導を徹底し、日蓮正宗本来の法義・伝統に対する信仰心を低下させ、我見と慢心を増長させてきたのです。
日蓮大聖人は『曽谷殿御返事』に
「返す返すも本従(ほんじゅう)たがへずして成仏せしめ給ふべし」(新編 1040頁)
と仰せられ、仏道を成就するためには師弟の道を全うしなければならないと説かれています。私たちにとって本従の師に至るには総貫首たる御法主上人の御指南に随順しなければなりません。
創価学会はこの仏法本来の師弟の道を「宗教的権威」と蔑称(べっしょう)して否定してきたのです。この悪意に満ちた指導の延長線上で「御本尊対自分」という、もっともらしい指導がなされていることを知らなければなりません。
破折:
1.正法迫害の構図・悪の方程式
宗門は「総貫首たる御法主上人の御指南に随順しなければなりません」と、すなわち「衣の権威」をもって〝法主への無条件の信従〟を信者に誓わせようとする。
しかし古来より、権威に盲従せず、正しい仏法のみを信受する者は、権威によって「悪」に仕立て上げられてきた。この原理は、御書に説かれる通りである。
開目抄下(二二四㌻)にいわく、
「悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲(てんごく)に未だ得ざるを為(こ)れ得たりと謂(おも)い我慢の心充満せん、或は阿練若(あれんにゃ)に納衣(のうえ)にして空閑(くうげん)に在って自ら真の道を行ずと謂って人間を軽賎(きょうせん)する者有らん利養に貪著(とんじゃく)するが故に白衣(びゃくえ)の与(ため)に法を説いて世に恭敬(くぎょう)せらるることを為(う)ること六通の羅漢の如くならん。
是の人悪心を懐(いだ)き常に世俗の事を念(おも)い名を阿練若に仮(かっ)て好んで我等が過(とが)を出さん、常に大衆の中に在って我等を毀(そし)らんと欲するが故に国王・大臣・婆羅門・居士及び余の比丘衆に向つて誹謗(ひぼう)して我が悪を説いて是れ邪見の人・外道の論議を説くと謂(い)わん、濁劫悪世の中には多く諸の恐怖(くふ)有らん悪鬼其身に入って我を罵詈毀辱(めりきにく)せん、濁世(じょくせ)の悪比丘は仏の方便随宜(ずいぎ)の所説の法を知らず悪口(あっく)し顰蹙(ひんじゅく)し数数擯出(しばしばひんずい)せられん」
(悪世の比丘は邪智で、心は諂曲であり、いまだ得ていない悟りを得ていると思い、我慢の心が充満している。あるいは人里離れた閑静な場所に衣をまとい、静かな所で真の仏道を行じているといい、世事にあくせくする人間を軽賤する者があるであろう。私利私欲を得る目的で在家のために法を説いて、その結果、形の上では六通の羅漢のように尊敬されるであろう。
この人は悪心を抱き、つねに世俗の事を思い、閑静な場所にいるという理由だけで、自己保身のため、正法の行者の悪口を並べ立てるであろう。常に大衆の中にあって正法の行者を毀(そし)るため、国王や大臣や婆羅門居士およびその他の比丘衆に向かって誹謗して、我等の悪を説いて「これは邪見の人であり、外道の論議を説いている」というであろう。濁劫悪世の中には多く諸々の恐怖する事件があり、悪鬼がその身に入ってわれら正法の行者をののしり、批判し、はずかしめるであろう。濁世の悪比丘は、仏が方便随宜の説法をしていることに迷い、経の浅深勝劣を知らず、正法の行者に悪口し、顔をしかめ、しばしばその居所を追い出すであろう)
これを現在に置き換えて読めば、「悪世の比丘」日顕は、「未だ得ざるを為(こ)れ得たりと謂(おも)い」実際には受けていない相承を受けたと詐称し、「六通の羅漢の如く」御法主上人などと崇められている。
「好んで我等が過(とが)を出さん」学会の悪口を並べ立て、「国王・大臣・婆羅門・居士及び余の比丘衆に向って」国会議員や批評家を動員し、マスコミを操作し、「我が悪を説いて是れ邪見の人・外道の論議を説くと謂わん」仏法から外れた邪見であり、外道の論議であると言い、「悪口(あっく)し顰蹙(ひんじゅく)し数数擯出(しばしばひんずい)せられん」悪口誹謗の限りを尽くした上に、破門したのである。
かつては日蓮大聖人を悪人に仕立て上げようと極楽寺良観が企み、大聖人を死罪・流罪に落とし入れたのであるが、今でも悪の権威が企む方程式は同じである。
2.悪口は、言った人のもとに戻る
斉藤 迫害につきものなのが策謀です。釈尊の時代も、でっち上げのスキャンダルや、冤罪が絶えなかった。
悪人たちは自分たちが殺人を犯した上、その罪を釈尊の門下にかぶせることによって仏教教団を社会的に抹殺しようとさえしました。
須田 大聖人の場合も、念仏者などの一派が鎌倉で殺人や放火を犯し、それを大聖人門下がやったと言いふらして、大聖人を佐渡へ流罪させました。この時も大聖人の教団があたかも危険な集団であるかのようなイメージを作りだすことによって弾圧したのです。いつの時代でも正法迫害の構図には似たものがあります。
遠藤 だからこそ「忍辱(にんにく)の衣」が放せないのですね。
名誉会長 こんな話が残っている。
一人のバラモンがいた。彼は、妻が仏教に帰依したことを快く思っていなかった。
妻が、あんまり釈尊のことをたたえるので、一度、論破してやろうと行ってみたが、かえって釈尊の説法に感心し、自分も帰依する。
これを苦々しく思ったのは、仲間のバラモンたち。さっそく祇園精舎へ押しかけ、悪口雑言で釈尊を非難した。
これを受けて釈尊は、どうしたか―。
遠藤 興味深いところですね。
名誉会長 釈尊はバラモンの一人に尋ねた。「バラモンよ、親類や友人が、あなたの家へやってきた時に、あなたは彼等を客人としてもてなすか」
「そうだ。時には、もてなすことがある」
「彼らが、出された食事を受けなければ、それはだれのものになるか」
「もちろん、それは主人である自分のものになる」
「バラモンよ、そのように、あなたが私に投げつけている讒謗(ざんぼう)を、私は受け取らない。とすれば、その悪口は、あなたに戻り、あなたのものとなるであろう」
須田 まさに「柔和忍辱」にして、相手の痛いところを突いています(笑い)。
遠藤 「柔和忍辱の衣」を着ることによって、悪口も「心に入らなくなる」わけですね。
斉藤 入らなくなった分、悪口は、言った人のもとに戻って、当人が苦しむ(笑い)。
(「法華経の智慧」第二巻)
正法(法華経)の行者を謗り、あるいは害せんとする者は、かえって自らの身にそれを受けることになる、これが「還著於本人」の法理である。
3.還著於本人の法理
「総貫首たる御法主上人」がどれほどの「権威」とされていようとも、その信奉するところが邪法邪義であれば、その権威は失墜する道理を、大聖人は仰せである。
諫暁八幡抄(五八三㌻、五八七㌻)にいわく、
「叡山・東寺等の真言の邪法をもつて権(ごん)の大夫殿を調伏せし程に権の大夫殿はかたせ給い隠岐の法皇はまけさせ給いぬ還著於本人(げんじゃくおほんにん)此れなり……隠岐の法皇は名は国王・身は妄語の人なり横人なり」
(承久の乱において朝廷方は比叡山や東寺等の真言の邪法をもって、権の大夫すなわち北条義時殿の調伏を祈願されたので、かえって権の大夫殿が勝ち、隠岐の法皇〈後鳥羽上皇〉は負けてしまわれたのである。経文に説かれている「還著於本人」とはこのことである……隠岐の法皇は、名は国王であったが、身は妄語の人で、道に外れた人であった)
隠岐の法皇(後鳥羽上皇)は当時の最高権力者であったが、真言の邪法をもって源氏を調伏したために、あっけなく戦に惨敗し、身は隠岐島に流された故事を仰せである。
「還って本人に著(つ)きなん」とは、邪法の者が人を呪詛し、害そうとすれば、かえって自分自身がそれを受けることになるとの意である。
今、宗門が広宣流布に邁進する創価学会に対し、日顕の邪法邪義を拠り所に、誹謗中傷の限りを尽くしている。だが日顕こそは「妄語の人」であり「横人」である。邪義をもって正法の人・学会を謗るその果報は、ことごとく宗門・日顕に還り来ることは、仏法の道理なのである。
隠岐の法皇ならぬ〝汚器の法主・日顕〟の末路は、御書に記された姿となろう。
4.見せかけの権威
原田 1991年(平成3年)11月28日、日顕宗が送ってきた「破門通告書」には御書の御文が一文もなかった事実は象徴的だ。
橋元 仏意仏勅の学会を破門する教義的な裏づけなど何もないことは明白。自分たちは折伏もしない、大聖人が御書に仰せの実践もしない。それどころか全く逆の実態だったことが露呈して大恥をかいた。
正木 「破門」などとおどろおどろしい言葉を使っているが、結局は、嫉妬と金もうけの欲におぼれ、〝衣の権威〟で学会を押さえつけようと圧迫してきたのだ。
森中 そもそも、宗門の寺を全国に建てたのも、大聖人の仏法を弘めたのも、世界広布を進めたのも、全て学会がやったことです。立宗以来700年、学会が出現して仏法が広まりました。59世・堀日亨法主が〝今の宗門から創価学会を取ったら、何が残るか。何も残らないではないか〟と言われた通りです。
橋元 折伏も教学も、学会に及ばない。だから坊主は見せかけの権威でいばるしかない。
正木 現法主の日如も東京・新宿の住職時代に教学の質問をされ、「そういうことなら学会の教学部に聞きなさい。よく勉強しているから」と逃げた(笑い)。それが今や宗門のトップだから呆れたものだ。
(発言者:原田会長、正木理事長、森中教学部長、橋元男子部長 「聖教新聞」2011年 11月28日)
(続く)
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