どうやら「田舎暮らし」志向は静かなムーブメントになりつつある?!




どうやら最近は、田舎暮らし志向の人が増えてきているらしい。
もっとも、これは今にはじまったものではないだろう。以前からその手の雑誌も出ていて、そういったニーズを事業化している不動産や建築畑の広告も、よく見かけたものだが、どうも昨今は情勢が少しずつ変化して、若い人の注目度も高まってきているようだ。
日刊ゲンダイweb でもこんな記事で取り上げられている。

『行政に危機感、補助金まで…「田舎暮らし」の国策化が進む』2014年6月6日)
まあ、これは行政の側サイドの過疎化の危機感からの対応が変化したことと、都会人の意識の変化ということから新たなニーズが生まれているようだが、もちろん現代の時代性が反映した別の様々な理由があるだろうと思われる。

ひとつには以前は、「田舎暮らし」となると大抵は中高年世代のリタイア後の第2の人生的なイメージが強かったのが、どうもこのところは年代が下がりつつあり、若年層から田舎へ向かう志向が増えているようだ。それにも様々ないきさつがあるのだろうが、私見では、やはり都会生活やその近郊での生活形態にそれほどの夢を見出せなくなっている現状もきっとあるだろうと思える。かえって田舎の方が、自分らしい生き方で暮らしていける希望を持ちやすくなっているところがあるのだろう。
そこには、暮らしを最小限のミニマムなものにしても耐えられる、もともとフリーター的な低生活費の暮らしぶりにさほど違和感を持たずにいられる世代が、どうやら登場しつつあることもあるのではないか。
ましては家庭を持つ以前の独り身で、勝手きままに超ローコスト生活をして、出来ればセルフビルドで家らしきものを建て、敷地の傍らに畑を耕して半自給自足的なスローライフを実践したい、という思いを抱いている。生活費は以前貯めておいたなけなしのもので取りあえず賄い、後は近隣でバイトの口を探しその後につなげる。まあ、そのくらいの能天気さを持てる人が、このライフスタイルを実現出来るのだろうが・・・。

また他には、今まで我々世代では考え及ばなかった志向、なんと、定年まで待たずに早期に退職して、それまで貯蓄していた財源をもとに、その後の長い無職のフリーライフを謳歌するというスタイルもあるようだ。早期リタイアで財テクなどの計画的経済を駆使して、予定年齢まで余裕を持って自由に生きる生き方・・・。そういう理想的な人生設計が若いうちから出来るのは羨ましい限りだが、これもシングルライフだから可能なところもある。もちろん家庭を持ってふたりで実践する人もいるだろうが、なかなか実際は貯めるより出て行くものの方が圧倒的に多いものだ。しかも、勤続年数の少ないうちに、その後の人生分もの蓄財が可能というのは、相当恵まれた高収入であるのは当然だろう。




日刊ゲンダイの記事にある宝島社の『いなか暮らしの本』というのはこの分野の老舗だが、現在随分と売れているらしい。Amazon のカテゴリー別ランキングでも上位に常時ランクされている。他にも、『TURNS』『ソトコト』という日本の“地域"をテーマにした田舎志向系雑誌もあるようだ。
ちなみに、『いなか暮らしの本』の最新刊7月号は「千葉・伊豆・岡山で暮らす」で、伊豆での暮らしも紹介されているようだ。~伊豆では、温泉付き分譲地で海が見える景色を楽しむご夫妻、菜園と宅配温泉を楽しむご夫妻+従妹の3人暮らし。~とあるから、まんざら我が生活圏ともそう離れてはいないところが載っているようだ。
『いなか暮らしの本』 Facebookページ

ほう、伊豆で田舎暮らしか・・・。考えてみれば我が暮らしもそうなのだが、どうも「田舎暮らし」のイメージには、広がる田圃や畑を前にして古民家に住む、などというのがあまりに脳裏に浮かぶものだから、案外、「田舎暮らし」とはちょっと異質な感じを持ってしまうものだ。高原の森の裾の小さなガーデンを前にして・・・が我が家のイメージだからだ。
もっとも別荘地の一画に常住している口だから、「田舎」というのが適当かどうかもある。常住者もそこそこいるので、山間地ながら住宅地でもある。そんな半田舎暮らし的な世界で庭の写真を撮っている(blog用に)のだから、生粋の田舎志向派とはちょっと違うのかもしれない。
もともとここへ至ったのには、これら田舎暮らし雑誌を読んでいたわけではないし、今のように関連ブログも知らず、情報はほとんどなかった。ましてや、DIYで小屋がセルフビルド出来るなどという経験もしてなく、自分の家を自分でなどとは考えも及ばなかったものだ。
ガーデニングも庭の土木工事も、ガーデンハウス建築や野菜づくりも、すべてこの地へ越して来てからはじめたもので、もし、今のキャリアが身について遡って土地探しをしていたら、きっと住む家も何もかも違うものなっていたろうと思う。
それも時代の流れと自分の歳の重ね方もあるだろうし、若いうちから今得ている経験と情報が獲得出来ていたら、またそれはそれで、人生は違うものになっていたと思うが、それが人それぞれの境遇や出会いの綾であって、これが自分なのであろう。




ミニマムライフスモールハウスBライフなどという“寝太郎”さん世界が市民権を得たのは、まさに時代の要請なのだろう。それに、早期リタイアセミリタイアシンプルライフスローライフなど、過去の時代にはかなりマイナーな志向が今ではある領域では脚光を浴びるほどになりつつある。
ブログの登録カテゴリーにしてみても、こういった部門が人気を博しているようだ。そういう自分もRSSリンクで紹介しているとおり、“寝太郎”さん“からあげ”君“かつや”君などのブログ更新を楽しみに読んでいる部類だ。

若い人たちには、これだけの情報や機材や商品やノウハウが既存に手に入るのだから、どんどん田舎へ、山へ、未開地へ出て行ってほしいと思う。ありきたりな生活圏で、ありきたりな生き方を、先の見えるような人生を選ぶのに苦を感じる感性があるのなら、自分の手で開いていくマイライフを求めていってほしいものだと思う。


※当ブログ参考関連記事は、カテゴリーの
●「田舎暮らし」
●「D.I.Y」
●「ガーデニング」
などをご覧ください。




インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by martin310 | 2014-06-10 15:45 | 田舎暮らし

DIYでガーデンベンチ:足もとにレンガを敷いた。




梅雨入りしてから随分長く雨続きだった。しかも断続的にかなり激しく降るときもあって、我がガーデンも相当な雨量を土の下に吸収したことだろう。
雨に弱い植物は、倒れて寝そべるように地面に溶けてしまっているようだ。これで伸びきって花も終わりのものと、新興の夏の植物とが入れ替わる時期なのかもしれない。

空が割れて、やっと朝方晴れ間が見えた。久しぶりに爽快に青空が広がり、富士山が清々しい姿を現した。やはり、空が青く、明るく輝くとうれしい。特に白雲とのコントラストで、淡いブルーがまるで特色のパステルカラーのような新鮮な色彩を見せていた。

そんな久方ぶりの晴れ間が覗いたあいだに、マイガーデンのいくつかのカットを撮った。
まずは、完成してミルクペイントで塗装の終わったガーデンベンチ。
既に足もとのレンガ敷き工事まで終わっていたのだが、日没の為、写真はまだ撮っていなかった。なのですかさず、この晴れ間のあいだに、樹の下のブルーのガーデンベンチを写真に収めておいた。普段は塗装保護の為、シートを被せてあるので、やっと雨があがって晴れ晴れしくお披露目である。



【足もとのレンガ敷き工事のこと】
DIYで製作したガーデンベンチは、塗装が終わり予定通りコナラの樹の下に設置したが、なにせ平らな土地でなく、向かって右から左へ地面が傾斜しているところへ置いたので、足もとが水平でないのでどうも落ち着かない。(腰かけると地面までの高さが左右の足で違う)しかも、土で雨が降るとぬかるんでよろしくない。そこで土盛りをして水平にし、足もとにレンガを敷くことにした。
傾斜している地面を水平にするのに、最初、山土を買って来て埋めようと考えたが、山土はちょっと遠いホームセンターまで行って、土嚢袋に自分でスコップで詰めて持ち帰らなければならない。これが思ったより重労働だし、車に積んで車体のお尻を下げて山を登って帰って来ても、実際埋めてみてもさほどの量でなくて足りなかったりする。以前やってみて、ほとほと苦労の割には効果が薄い経験をしている。
それに、レンガを固定するのにモルタルは使わないつもりなので、何か固まる性質のものを入れる必要がある。ただの土では固定力はない。で、思いついたのは、それならそのものズバリ、「固まる土」という商品名のものを使って、土盛りと土固めを一緒にやってしまおうと考えたのである。

調べてみると、「固まる土」は値段も割高なので、レンガまわりを固めるのに使うにはいいが、窪んだ場所を埋めるのに使うにはもったいなくもあり、何か代用のものはとさらに調べると、どうやら「固まる土」は実質、「真砂土(まさど)」で出来ているらしいことがわかった。
「真砂土」なら近くのホームセンターで「山砂」という商品名で売っている。以前にも生垣のコニファーの根元の雑草対策用に使っている。
さっそく、15kg 詰めを10袋、つまり150kg 分撒いて平らにした。もちろん、下がっている端側は土留め板で固定して流出を防いだ。その上にレンガを平らに敷いて、あいだとまわりを「真砂土」で埋めて水を撒いて固めた。
時間を置くとけっこう固くなる。人が座るのに乗るくらいなら大丈夫そうだ。
さらにその上に赤レンガを砕石にした赤レンガチップを敷いた。これなら色的な見栄えもいいし、砂の流出も防げる。

この長雨で表面の一番細かい砂は少し流れてしまったが、固まった部分はそのままだ。化粧砂利で覆ったところはまったく問題なく保持されている。これで充分いけそうだ。ということで、これでガーデンベンチの工事は終了。完成である。

ちなみに、普段はやはりベンチが新品で塗装面も極めてきれいなので、このまま露天に晒しておくのには気が引けるので、シートを被せておくことにしている。ちょうど自転車シートがサイズ的にも、形的にもぴったりのようのでこれを流用している。やはり、自分で作ったものは大事にしたくなる。シートをかぶったベンチ・・・、これはあまり実用的ではないが、そうもいってられない。使うときだけお披露目する、大事に大事に扱われるまさに箱入り(娘)ベンチだ。


さすがに長雨に耐えられたのは、軒がかかったところの花壇に植わっている花たちや、梅雨や夏向きの植物たちだった。
バラ族はちょうど花の終わりに入梅になり、花吹雪を雨に流して花期の終わりを告げていた。短いあいだだったが、今年も美しい色や形、そして香りの贈物をくれた。これからまだ、返り咲きで見ることもあるが、すべてが揃い咲きするのはまた来年の5月を待つことになる。ご苦労様とお礼の施肥をしよう。












≪当ブログのガーデンベンチ製作記事≫
(その1)
◆DIY でガーデンベンチ製作/つい座りたくなるベンチ・・・、が出来た!(2014/05/23)
(その2)
◆ガーデンベンチの完成と設置完了・・・これでゆっくり庭を眺める環境は出来あがった。(2014/05/28)


インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by martin310 | 2014-06-08 21:23 | D.I.Y

『萌木の村』のガーデンに見る職人技・・・美しさはその類稀な洗練された感性と技術による。




さて、前回に引き続き『萌木の村』フォトギャラリー(?)をもう少し続けよう。

『萌木の村』は、国道141号線に沿って、ほぼ平行に細長く敷地が広がっている。そのため中央部に同じように細長く平坦な“萌木の村広場”が占め、その国道側に数棟のショップが一直線に並んでいる。一棟ずつオリジナルなデザインで、それぞれに趣が異なる建物だ。
ガーデンはほぼこのショップ前の敷地に集中していて、それぞれの建物前の空間に彩りを添え、多少の起伏を見せながら長い帯のように広がっている。
5月の末だというのに、未だチューリップが花を保っていた。さすが標高1200メートルもある地だ。通常は春先から初夏のあたりに順に開花していく花々が、気温が上がったこの頃、一斉に緑に色を添える。木々の新緑も旺盛に、視界のぐるりを豊かな別空間にして見せる。ドイツ建築の建物が多いのか、まるで異国にいるようなトリップ感があるのだ。







ガーデンの植え込みの妙もそうだが、外柵に組まれたウッドプランターからのぞく細かいディテールの花々のアレンジメントも実に粋なつくりだ。
植栽のレイアウトにしても、庭園的なきっちりした配置ではなしに、ナチュラルガーデンを意図した、一見ランダムに見えるような自然観を大事にしているように思える。だが、葉や花の色彩や高低差のボリューム感や、自然な混合の仕方など、かなり事前によく計算された配置をされているのがわかる。
しかも、山野草種とのミックスでヨーロッパ系の珍しい品種の草花が植えられているのだが、どこを見ても虫や病気で傷んでいるとこが見当たらない。株の勢いも旺盛で、この生き生き感を保っていることが不思議でならない。なかなかこうはならないのが、我が素人庭師のお粗末なところだ。見れば、やはり土の違いが明らかで、どうもウッドチップの細かなものを多様した専用の培養土を土壌にしているようだ。見るからに栄養豊富な感じで、きっと有効バクテリアがたくさん生きているに違いない。






「ROCK」の建物の傍らの奥まったところにある、廃車を使ったアレンジメントだ。なんとボンネットを取り外したエンジンルームがプランターの代わりになっている。室内は薪置き場だ。
しかも、よく見るとここに植えられた花々のどれを見ても、未だ見たことのない驚くような品種の数々なのだ。
ヨーロッパにはまだまだ、こんなお目にかかったことない、実に創造性に富んだ不思議なデザインの花々があるのだ。
ところでこの廃車のオブジェ&フラワーディスプレイは、今は建物の奥まったところに下げられているが、ハロウィンの頃の写真には見事、入場口のセンターステージに大きなカボチャと共に飾られていた。どうしてボディーカラーがハロウィンカラーなのかがこれで納得だ。




これは「ROCK」から少し下がったところにある「萌木窯」という陶器の店前のガーデンだ。クレマチスが美しい淡いピンクの光彩を放っていた。
陶器の店とはちょっと入り難いのだが、店内のガラスの照明の色の美しさに誘われてひやかしで入ってみた。
後で調べてみると、この建物は現在残っている最も初期の頃の建物で、「オルゴール博物館ホール・オブ・ホールズやホテル「ハット・ウォールデン」のバー&ラウンジ「パーチ」を手がけた名工、棟梁・末吉徹郎氏による伝統工法の木組みの技によるものだ。

入ってみてまず驚くのは、この建物には床がないこと。なんと中は土間なのだ。地面にレンガや石板を敷いて通路にしてある。陳列棚とのあいだは土が見えていて、そこにシェードガーデン向きの植物が植えられている。つまり、室内の足元から直に植物が生えているのだ。これは驚きではないだろうか。だが、それも気づかなければわからないほど、自然なレイアウトになっている。
やきものを中心にして、様々な器や和のもの、ガーデンオブジェ的なものまで、実に豊富な品々が見事なディスプレイ術で並べてある。どういう構造にしてあるのか、しばし眺めて関心していたのだが、撮影禁止なのでメモリーは頭の中だけだ。写真に撮って研究したいほど、どの視点から見ても飽きさせない構成になっている。奥行きや高さも自在に使い、内部を見ているだけでも充分刺激的だった。ここは一見の価値がある。




この「萌木窯」の向かい側にある「山野草ガーデン」は、現在石組みや花壇の造成中で、舩木社長自ら重機を操って工事をしている。隣で大きな石を割っていたのは、後で調べると、舩木氏の幼馴染の名職人の輿水章一氏だった。1年前からはじまった工事の様子は、YouTube に動画がいくつかあるので、この場が名人級の職人が集まる技の結集の地でもあることが伺われる。
「山野草ガーデン」の上に建つ、木製の巨大パーゴラは、斧一本で家を組み上げる大工として有名な雨宮国広氏の手によるものだ。これも動画でその様子が紹介されているが、見るとちょうど、自然木を斧一本で角材にして組み上げるところなぞは、あの『アラスカ・森の生活』リチャード・プローンネクのキャビンの建築シーンを彷彿とさせる。

さらに、この組みあがった石垣の花壇や石と石のあいだに野草の苗を植えている集団がいた。黙々と数人のスタッフが何種類もの野草を、根本を土団子にくるんでひとつひとつコツコツと手植えしていた。これも使っている培養土が、ガーデンの土壌になっているものと同じだった。
既に去年のうちに植えられたものは、もう見事に葉を広げ、緑豊かに茂っている。自然の野山のそれに近いように、野性的でもあり、しかも見栄えに適うように調整された植栽であることが、優れて山野草ガーデンとしての成功を物語っている。
これも後から調べると、このスタッフは英国人ガーデンデザイナーのポール・スミザー(PAUL SMITHER)氏のガーデンスタッフなのだそうだ。そういえば、チーフのような外人さんがいたとツレが言う。ネットで顔写真を見せると、そう、この人だった!とのこと・・・。
迂闊にも、こんなガーデニング業界での著名人を見逃していたのだ。わかっていれば、苗の植え付け方やその他の行動をつぶさに見学していたのにと思うが、もともと名前くらいしか知らなかった存在でもあり、致し方ないものでもあった。
ポール・スミザー氏についても調べると、ガーデン関係の著作もこんなにあり、読んでみたいものだし、動画もかなり出ていて、以前何気なく見ていた記憶もある。
氏の提唱するナチュラルガーデニングというのは、実際、マイガーデンで庭いじりをするものにとっては共感するところが多い。本を購入して検討したい気もしている。

どうも舩木社長は、このポール・スミザー氏に『萌木の村』の庭造りを全面的に依頼しているらしい。どうりでそれらしき、自然さ溢れる植栽になっていることかが理解できた。選別されている植物の種類も、プロ中のプロの本格的センスなのは感じていた。まあ、これも優れた職人衆が集まる場に出来る舩木氏の力量のなせる技なのだろうが、これならいいものができるはずだ。




インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by martin310 | 2014-06-04 14:42 | とっておき八ヶ岳

清里の『萌木の村』は、ソローの『森の生活』をテーマにして誕生したのだとはじめて知った。


▲ “ハット・ウォールデン” の前景。2Fフロントなので、この長いウッディな階段が魅力だ。1Fのレストラン“Nest”は全面改装したそうで、内部もきれいな仕上がりのようだ。左手前にピザ釜がある。


八ヶ岳高原から野辺山を通って、はじめて清里の『萌木の村』へ行ってみた。
国道141号は、今まで何度も何度も数多く往復していたが、ここ清里の『萌木の村』に立ち寄ったことは一度もなかった。名称も看板も、道路から見える景観も、何度となく目にはしていたが、かつて一度も入ってみようとした経緯がなかったのは不思議なくらいだ。どうも、よくあるちょっとしたレジャーの為のテーマパークくらいにしか思っていなかったこともあり、かつての清里ブームの頃のイミテーション的な施設だと、勝手に思い込んでいてのことだったように思う。

だが今回、雑誌『八ヶ岳デイズ』vol.6「生まれ変わる“伝統の村”」という記事で見開きで紹介されていて、急激に興味を持った。それは、文中のこの一節だ。
「・・・『萌木の村』は、1971年に誕生した喫茶店 “ロック” から発展し、19世紀アメリカの作家ヘンリー・D・ソローの著書『森の生活』をテーマに誕生したナチュラルリゾートである。」
えっ、そうだったのか。そういえば “ハット・ウォールデン” というホテル&レストランというのを何度も目にしていたが、あの “ウォールデン”とは、ソローの暮らしたあの「Wolden」だったのだと、漸く合点がいった。(「hut」とは英語でヒュッテや小屋、山荘という意味。フランス語では「hutte」。つまり、ウォールデンの山荘という命名。まさにソローのキャビン(山小屋)を意識したネーミングだ)
調べてみると、かつては 「ヘンリー・D・ソロー」というオルゴールの専門店も村内にはあったというから、この村のオーナーの思い入れのほどが伺える気がした。

オーナーといえば、この村の創設者で村長、代表取締役社長の舩木上次氏の姿は、どこかで見たように思ったから、きっとあのスーパーマンTシャツのイメージが脳裡に残っていたのだろう。実際、この日も社長自ら重機を操り、山野草ガーデンの石組みの工事をしていた。なにせスーパーマンTシャツのその人が、目の前でパワーシャベルを動かしていたからすぐわかった。
さらに、この『八ヶ岳デイズ』の記事で知ったのは、舩木氏はなんとあの清泉寮キープ協会の創設者、清里開拓の父と呼ばれるポール・ラッシュ博士に子供の頃、直に接していた経験を持った方で、博士直伝の開拓者魂を継承しているのだと思える。

それは、一歩、村内に足を踏み入れて実感したことだ。まず、最初に目にした “ハット・ウォールデン”の建物の佇まいを見て、この建築プランとデザイン、樹木の植栽、アプローチの意匠などなど、ただものではない本物志向の雰囲気が濃厚だった。
かつてのこの地のペンションブームにあやかった、何々風の建物などという安直な類のものとは完全に一線を画するレベルだ。テーマパークとはいえ、雰囲気だけを模したような軽薄な張りぼての建築物では毛頭ないのに見方を一新した。


▲ “ハット・ウォールデン” の右手の客室風景。薪棚を実にうまく景観に取り入れているのがわかる。樹木の位置や枝ぶりなど、かなり計算されて手入れされている。自然に生える草もグランドカバーのひとつだ。


▲前庭のポーチは全面レンガ敷きにしてあるが、ひとつひとつ埋め込んだその数が壮観だ。決してブロックになったレンガ風平板などではない一個ずつの本物なので、微妙な個別差がいい味に仕上がっている。





次の建物はブルーパブレストラン「ロック」だ。壁面に記されているように、これは1997年建造のリニューアル版の「ROCK」
初代の「ROCK」は1971年の三角屋根の山小屋風建物で、ここで現社長・舩木氏が店長として喫茶店経営をはじめたのがそもそもの創業にあたる。ここがやがて若者の聖地と化するほどの発展を見、その後のホテル “ハット・ウォールデン”の開業に続く。
現在の「ROCK」はかなり大型化して内部は大空間が広がる。
外のバルコニー部分を見て、外柵の凝ったつくりからも全体が想像できるように、店内のテーブルやイスのウッディなつくりにも職人気質が伺える。





「ロック」の建物の角には、この地清里の開拓のイメージシンボルともいえる“JOHN DEERE”のトラクターが、見事にガーデンオブジェとして何気なく設置されている。現在でも、野辺山あたりの広大な高原野菜のエリアを走ると、決まってこの“JOHN DEERE”の大型トラクターを目にするほど、この界隈では大規模農業に馴染みが深い。やはり、この外車のトラクターのデザインは古い時代のものからしてモダンだ。開拓のシンボルでもあるが、広々としたガーデンにはオブジェとして置くにも、なかなかのデザイン的な存在感があり、植栽との愛称もよく、空間にいい味が出るものだ。
シェビーな味を出すガーデンデザインのアイテムとして、よく古びた三輪車や自転車、スクーターなどを用いる例があるが、この『萌木の村』では、トラクターや自動車など大型のオブジェが各所適材に設置されている。カントリーストアの“シュガープラム”の前には、シトロエン・ディアーヌのフルゴネット(商用バン)が鎮座している。風景と建物とのマッチングが絶妙で絵になる場だ。




『萌木の村』は入場料も取らず、まして駐車料金さえ無料のテーマパークだ。各店舗の販売以外にメインの収益はないはずだが、どうしてここまでの運営・拡張が可能だったのか。周りの森やガーデンの花々の植栽を見ているだけでも十分立ち寄るだけの価値があるが、ここまでの施設や環境を保持していくだけでも相当な維持費がかかっているはずだと、建物のリニューアル工事やガーデンの石組み工事などを知る上に、オーナーの舩木氏に注目の焦点は当たる。
調べるうちに、ネット上ではこの記事「君はスーパーオヤジを見たか?」が興味を惹いた。舩木氏の今までのサクセスストーリーが身近な人の手で書き記されている。読んでみるとわかるのは、そこにはやはり、氏が尊敬しその遺志を継ぐところのポール・ラッシュ博士の遺訓や、哲人ヘンリー・D・ソローの思想に裏打ちされた強靭なフロンティア・スピリットが宿っているのを感ずる。
そこからさらに興味の矛先は、ポール・ラッシュ博士へと向かう。早速、山梨日日新聞社刊の『清里の父ポール・ラッシュ伝』を取り寄せることにした。
ラッシュ博士が清里に視察で訪れた際、八ヶ岳南麓の壮大な景色を目の当たりにして胸を震わせ、この地に「キリスト教精神に基づく農村コミュニティ」を創設するのだと決心した・・・というのだが、氏をして何がそこまでこの地に動かされるものがあったのかを知りたいと思ったのだ。しかも、自分にも30年前の清里ブームの頃、清泉寮に泊まったことがあったのだが、その頃以来のラッシュ博士への何かわからない憧憬のようなものが、俄かに蠢きだした感があるからだ。

※『萌木の村』関連記事は、次はガーデンを中心にの予定。

 ―つづく―


      【ソローについての当ブログの関連記事はこちら】

  ●忘れてはならない、デイヴィッド・ソローこそ、スモールハウスライフの
   創始者だった。

    http://martin310.exblog.jp/19539069/ (2014年03月06日)
  ●神と天国に一番近い場所。そこは、ウォールデンという湖のほとりだ。
   Henry David Thoreau

    http://martin310.exblog.jp/19552037/ (2014年03月10日)
  ●型にはまって生きていては、真の自分の可能性には気づかない。
   自分の手でつくる家と暮らし:ソローの生き方

    http://martin310.exblog.jp/19564353/ (2014年03月13日)


インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by martin310 | 2014-06-02 15:32 | とっておき八ヶ岳

八ヶ岳高原ロッジ・・・日々鈍化した感性に新鮮な高原の風を吹き入れる。




しぶりに八ヶ岳高原へ行って来た。
今年一番の真夏日のような暑い日に、標高1600メートルの海ノ口の八ヶ岳高原では肌寒く、ウインドブレーカーを羽織らないと車外に出るには冷えるくらいだった。行きには当然、窓を少し開けて走っていたが、甲府に入るとエアコンを入れて走らずにはいられないくらいになった。さらに長坂ICを下りて清里に入る頃には、道路の温度表示が16℃を下回るようになり、標高と同時に気温差がいっそう激しくなった。

八ヶ岳高原ロッジの庭ではミツバツツジが満開の頃なので、ちょうど2ヶ月遅れの春を迎えているところだろうか。標高の上下は、そのまま季節の行き来をしているようで、夏と春をわずか短時間で同時に味わっている感じだった。

ロッジからさらに登って、標高1633メートルの地にある“美鈴池”は、残雪が残る八ヶ岳連邦をバックに、芽吹きはじめた白樺の木々の緑が鮮やかだった。
いつもここまで来て、山を下ることになる。天空の池は、今日も穏やかに澄んだ池面に青い山影を映していた。





い返せば前回来たときは、極寒の季節、1月の半ばでこの池は完全凍結して、尚且つ、厚い雪に覆われていた。池のありかはほとんどわからず、木々に囲まれた平坦な雪の広場があるだけだった。来る度毎の季節の変化は、ここを訪れる愉しみのひとつだ。
この日も、美鈴池からの戻り道、別荘地内に鹿の剥製があるのかと思いきや、本物の鹿のつがいが低木の若芽をむしゃむしゃと食べていた。鹿は一瞬動かないときがあるので、一見した瞬間、ガーデンに設置されたレプリカかと思ってしまう向きがある。そう認識した次の瞬間、急に動きはじめるので驚いてつい、「鹿だ!」と必要もなく叫んでしまうのだ。鹿くらい当然いるのに、別荘の庭になんでもなく大きな影が動くのは、やはりちょっとびくっとするものだ。




原ロッジの目当ては、レストランのシェフのおすすめランチ。「八ヶ岳ランチ」というお手ごろなホテルランチがいつも愉しみで、時期毎にメニューも変わるのだがいつも期待を裏切らない。
そして、アートサロンの展示イベントを見て、ロビーで庭の野鳥を眺める。ロビーに飾られた巨大な生花のアレンジメントは毎回驚異的な美しさだ
高原ロッジはアーティスティックな雰囲気に満ちていて、八ヶ岳や森の美しさの際立つ環境のなかでいっそう美意識が純化されるような気になる。こういう感性に新たな高原の風を吹き入れることができるような環境を持つというのは、実に有意義なことであり、そこへ季節毎に新たな感覚で訪れることができるのは幸福なことだと思うのだ。
この地のエネルギーに触れて来るだけで、心身ともに峻烈な大気の洗礼を受けたように、瑞々しさが続くことになる。生気とは、最も自分の意識が歓びで満たされる場において充電されるもので、これが身体や意識の核になる魂の玉座に光のチャージを与えるのではなかろうか。こういう場が、本来のパワースポットであり、それは各々皆違うのだと思う。自分独自のパワースポットを探し出すのも、ひとつの心の旅でもあるのだろう。





インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by martin310 | 2014-05-30 21:04 | とっておき八ヶ岳

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