日顕宗・法華講慈本寺の迷妄を破す(その2)
妄説:
更に、【御本尊が木絵二像であろうはずはない】と言い張るが、『観心本尊抄』に、
「此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有(ましま)さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか」(全集248頁)
とあるので、観心本尊抄に示されている漫荼羅の御本尊も「本仏の真の姿を顕した仏像」だと言える。
よって、大聖人が木絵二像と仰せの場合、板本尊は木像、紙幅の本尊は絵像に当たると拝して問題ないのである。
破折:
1.大聖人は「仏像」を明確に区分された
上記の妄説は、前回の〝繰り言〟である。それならば、前回引用した戸田会長の講義録を、もう一度読んでもらわねばならない。観心本尊抄(二四八㌻)の「末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか」の箇所にかかる講義である。
◇
また「仏像」というから、かならず画像・木像に限るということはない。正像には「造り画(えが)く」とあり、末法には「出現」とあるによってもその意を知るべきである。さらに本尊抄(二五三㌻)に「此の時地涌の菩薩始めて世に出現し但妙法蓮華経の五字を以て幼稚(ようち)に服せしむ」と。また救護(くご)本尊にいわく「上行菩薩世に出現して始めて之を弘宣(ぐせん)す」云々。以上、三か所に「始めて出現」と同じくおおせられている意をよくよく拝すべきである。
(「日蓮大聖人御書十大部講義」第四巻『観心本尊抄』より一部抜粋 戸田城聖著)
上記の通り、大聖人は「仏像」の語を、正像と末法とに使い分けられた。
〇 正像の仏像……「造り画(えが)く」
〇 末法の仏像……「出現」
『観心本尊抄』の仰せでは、末法の「仏像」と正像の「画像・木像」とを、明確に区分される。だが宗門の頭の中には〝正像の仏像〟しか存在しないゆえに、〝末法の仏像〟を拝することができない、言い換えれば分別の基準すら、見失っているのである。
そのため法華講慈本寺は「板本尊は木像、紙幅の本尊は絵像に当たる」などと、御本尊を〝材質〟でしか見ることができない有様であり、いやまして大聖人の仏法を曲解していくのである。
2.「本仏の真の姿を顕した仏像」とは
法華講のいう「本仏の真の姿を顕した仏像」とは、御書等には何と記されるか。戸田会長は末法の「世に出現」するものとして、講義録に以下の通り引用した。
第一には、「末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか」(本尊抄・二四八㌻)との「此の仏像」、すなわち「観心本尊抄に示されている漫荼羅の御本尊」である。
第二・第三は、「此の時地涌の菩薩始めて世に出現し」(本尊抄・二五三㌻)、また「上行菩薩世に出現し」(救護(くご)本尊)とある「地涌の菩薩」また「上行菩薩」であり、法華経の行者を指す。すなわち日蓮大聖人の御事であり、「日蓮がたましひ(魂)」であられる。
「日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ」(経王殿御返事・一一二四㌻)
「日蓮がたましひ(魂)」は「造り画(えが)く」ことができず、日蓮大聖人即妙法五字の御本尊として「出現」されるのである。
「然(しか)れば法華経の文字を拝見せさせ給うは、生身の釈迦如来にあひ進(まい)らせたりとおぼしめすべし」(四条金吾殿御返事・一一二二㌻)
御本尊を拝することは、生身の日蓮大聖人にお会いするのと同じである。ところが、御本尊即大聖人と拝することができない者がいる。日顕である。
◇
東京・八王子の平山広篤(広妙寺)が昭和六十一年六月十三日、御講で、日顕の不信謗法を暴露した。
「(日顕に)私が『信心してきて一番苦しんだことは何ですか?』と質問した。
すると『なかなか御本尊を信ずることができなかったことだ。今でも本当に信ずることができないでいる』と仰せられた」
この平山の話を聞いた婦人は強い衝撃を受けて日記に記していた。
(『フェイク』第1058号 2009年10月4日)
この通り、御本尊を「末法の仏像」と拝せない者が宗門の長ともなれば、宗門内は「正像の仏像」しか見えない者ばかりとなる。「板本尊は木像、紙幅の本尊は絵像に当たる」等、妄言を吐く輩が出来するのはその証左であり、けだし当然の成り行きである。
3.宗門が崇める「正像の仏像」
日顕宗においては、二種類の「正像の仏像」が存する。
① 相伝無き本尊は〝魔の棲家〟となる
宗門における「正像の仏像」の一つは、日顕・日如の〝書く〟本尊である。それは誤字・脱字ばかりではない、〝先師の相伝〟を写していないから「書写」とならず、「書く」に留まるのである。先師までの相伝が具わらなければ〝三十二相具備〟とならず、「末法の仏像」にはほど遠い。
この通り、日顕宗から法華講員に下される本尊は、未だに正像の「造り画(えが)く」仏像のままである。不相伝の輩(日顕・日如)が書くからには、〝神札〟や〝鬼子母神の掛け軸〟等に同じ、画像・木像の類であり、これが〝魔の棲家〟となることは御書に仰せの通りである。
「法華を心得たる人木絵二像を開眼供養せざれば……鬼入て人の命をうばふ……魔入て功徳をうばふ」(木絵二像開眼之事・四六九㌻)
そこで「開眼が必要」と、宗門はやかましく言う。日顕・日如の本尊ならば、恐ろしいに違いない。だが、そもそも「正像の仏像」しか書けない彼らに、開眼など、できようはずが無いではないか。
② 本尊雑乱は〝邪教〟の始まり
宗門にはもう一つ、正像の「造り画(えが)く」仏像が古来より存する。大聖人の「御影(みえい)」である。宗門では「人(にん)の本尊」と崇めるが、人法一筒の御本尊ではない。
しかし「御影」と言おうと何と呼ぼうと、〝人形〟である。これまた正像の残滓(ざんし)である。宗門は古来より、このような人形を、御本尊と同列に置く悪い癖があった。大聖人御図顕の御本尊を大聖人と拝し奉ることができず、代わりにそのようなものを置いてきたのである。
日蓮正宗では、他宗である日蓮宗や法華宗と同様に、曼荼羅本尊と御影とを同列に安置し、あるいは御影を曼荼羅本尊の前に置く。次の手記がある。
◇
また、檀家の人たちが謗法の仏像などを自宅に祀るようになったのも、塔中坊の御宝前の形が影響していた。
当時、寂日坊や観行坊では、御本尊の前に大きな御影(みえい)が安置されており、奥にある御本尊は暗くてよく見えなかった。皆、教学を学んでいるわけではないから、御本尊の大切さが分からない。自然と、御影をありがたく拝むことが大事だと思うようになって、仏像についても手を合わせることが当然のようになったものと思う。そして、自宅にも仏像を祀る人も出てくるようになってしまったのである。
(『日蓮正宗〝落日の真因〟』渡辺慈済著 発行所:第三文明社)
しかし、我々は前回の『四条金吾釈迦仏供養事(釈迦仏開眼供養事)』において、学習したことがあった。すなわち第一章講義中の「釈迦仏造立について」における、次の一節である。
◇
文句巻八に云く「此の経は是れ法身の舎利なり須(すべか)らく更に生身の舎利を安(お)くべからず」。法華三昧懺儀(せんぎ)に「道場の中に於いて好き高座を敷き法華経一部を安置し未だ必ずしも形像舎利並びに余の経典を安(お)くべからず」と。
道場(仏壇)には法華経一部(御本尊)以外に安置してはならない、とある。「形像」「舎利」等を安置することは、本尊雑乱となる。御影が「形像」であり「生身の舎利」に準ずることは、論を俟たない。
4.学会授与の御本尊は〝正師〟の御書写
① 法脈が絶え未来を閉じた宗門
前回に述べた通り、大石寺十七世日精は、大檀那の敬台院が言う〝悪心の増す本尊〟を書写した。御本尊を信じられず、それゆえ仏像を造立した謗法の念が、書写に込められた故である。
また日顕の父・六十世阿部日開は、〝相伝に背いた本尊〟を書写し、子の日顕は〝相伝の無い本尊〟を書写した。これを「呪われた血」のためと、人は言うかもしれない。だが、他に原因を求めるまでもない、自らが犯した所業である。いずれにしても、もはや我らには関わりの無いことである。
そもそも法主の主たる役割とは、三大秘法の御本尊を御書写し、信徒に授与することである。だが、御本尊書写の相伝は、日顕の先師・六十六世日達法主が急逝して断絶し、法主の機能は永久に消滅した。今の宗門には、六十七世・六十八世を詐称する「法主もどき」が残るのみである。
ニセ者は永久に本物となることは無い。仏(大聖人)を詐称する者の行く末は、奈落のみである。
「糞を集めて栴檀となせども焼く時は但糞の香なり大妄語を集めて仏と・がうすとも但無間大城なり」(報恩抄・三一一㌻)
(臭い糞を掻き集め、高貴な香りの栴檀と言いくるめたところで、焼いてみればやはり糞の臭いがするように、嘘ばかり積み重ねて自らを仏と称しようとも、その果てはただ無間地獄でしかない)
② 学会授与の御本尊は「尽未来際」に亘る
学会授与の御本尊は、先師の相伝の無い〝ニセ法主〟日顕・日如の書写ではない、正師・日寛上人御書写の御本尊である。
ゆえに学会の御本尊は「三十二相具備」である。日顕宗の「御本尊もどき」と異なり、末法の仏像であるゆえ「本尊の開眼」など一切不要である。
それでは、前項に指摘した十七世日精、六十世日開、番外の日顕・日如以外の歴代諸師の書写による御本尊であれば、宗門・法華講が弘めて良いのか、答えは否である。
大聖人と同意すること無くして、御本尊の力用が発揮できる道理が無い。
「各各我が弟子となのらん人人は一人もを(臆)くしをもはるべからず、を(親)やををもひ・めこ(妻子)ををもひ、所領をかへりみること・なかれ」(種種御振舞御書・九一〇㌻)
「大難なくば法華経の行者にはあらじ」(椎地四郎殿御書・一四四八㌻)
戦時中、軍部政府におもねり、御書削除、神札甘受、神宮遥拝等々、ありとあらゆる謗法を犯し、法難を避けた宗門の例を見れば、宗門・法華講が大聖人の御誡めを蒙る輩であることは、一目瞭然である。
惰弱な宗門の中にあっては、不自借身命の勇猛心が生ずるはずがない。所詮、学会は宗門とも法華講とも縁を切らなければ、大聖人の仏法の純粋性を守ることはできなかったのである。
ゆえに、尽未来際に至るまで、令法久住の任は、我ら学会員のみが負うものである。
妄説:
更に、【御本尊が木絵二像であろうはずはない】と言い張るが、『観心本尊抄』に、
「此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有(ましま)さず。末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか」(全集248頁)
とあるので、観心本尊抄に示されている漫荼羅の御本尊も「本仏の真の姿を顕した仏像」だと言える。
よって、大聖人が木絵二像と仰せの場合、板本尊は木像、紙幅の本尊は絵像に当たると拝して問題ないのである。
破折:
1.大聖人は「仏像」を明確に区分された
上記の妄説は、前回の〝繰り言〟である。それならば、前回引用した戸田会長の講義録を、もう一度読んでもらわねばならない。観心本尊抄(二四八㌻)の「末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか」の箇所にかかる講義である。
◇
また「仏像」というから、かならず画像・木像に限るということはない。正像には「造り画(えが)く」とあり、末法には「出現」とあるによってもその意を知るべきである。さらに本尊抄(二五三㌻)に「此の時地涌の菩薩始めて世に出現し但妙法蓮華経の五字を以て幼稚(ようち)に服せしむ」と。また救護(くご)本尊にいわく「上行菩薩世に出現して始めて之を弘宣(ぐせん)す」云々。以上、三か所に「始めて出現」と同じくおおせられている意をよくよく拝すべきである。
(「日蓮大聖人御書十大部講義」第四巻『観心本尊抄』より一部抜粋 戸田城聖著)
上記の通り、大聖人は「仏像」の語を、正像と末法とに使い分けられた。
〇 正像の仏像……「造り画(えが)く」
〇 末法の仏像……「出現」
『観心本尊抄』の仰せでは、末法の「仏像」と正像の「画像・木像」とを、明確に区分される。だが宗門の頭の中には〝正像の仏像〟しか存在しないゆえに、〝末法の仏像〟を拝することができない、言い換えれば分別の基準すら、見失っているのである。
そのため法華講慈本寺は「板本尊は木像、紙幅の本尊は絵像に当たる」などと、御本尊を〝材質〟でしか見ることができない有様であり、いやまして大聖人の仏法を曲解していくのである。
2.「本仏の真の姿を顕した仏像」とは
法華講のいう「本仏の真の姿を顕した仏像」とは、御書等には何と記されるか。戸田会長は末法の「世に出現」するものとして、講義録に以下の通り引用した。
第一には、「末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか」(本尊抄・二四八㌻)との「此の仏像」、すなわち「観心本尊抄に示されている漫荼羅の御本尊」である。
第二・第三は、「此の時地涌の菩薩始めて世に出現し」(本尊抄・二五三㌻)、また「上行菩薩世に出現し」(救護(くご)本尊)とある「地涌の菩薩」また「上行菩薩」であり、法華経の行者を指す。すなわち日蓮大聖人の御事であり、「日蓮がたましひ(魂)」であられる。
「日蓮がたましひ(魂)をすみ(墨)にそめながしてかきて候ぞ」(経王殿御返事・一一二四㌻)
「日蓮がたましひ(魂)」は「造り画(えが)く」ことができず、日蓮大聖人即妙法五字の御本尊として「出現」されるのである。
「然(しか)れば法華経の文字を拝見せさせ給うは、生身の釈迦如来にあひ進(まい)らせたりとおぼしめすべし」(四条金吾殿御返事・一一二二㌻)
御本尊を拝することは、生身の日蓮大聖人にお会いするのと同じである。ところが、御本尊即大聖人と拝することができない者がいる。日顕である。
◇
東京・八王子の平山広篤(広妙寺)が昭和六十一年六月十三日、御講で、日顕の不信謗法を暴露した。
「(日顕に)私が『信心してきて一番苦しんだことは何ですか?』と質問した。
すると『なかなか御本尊を信ずることができなかったことだ。今でも本当に信ずることができないでいる』と仰せられた」
この平山の話を聞いた婦人は強い衝撃を受けて日記に記していた。
(『フェイク』第1058号 2009年10月4日)
この通り、御本尊を「末法の仏像」と拝せない者が宗門の長ともなれば、宗門内は「正像の仏像」しか見えない者ばかりとなる。「板本尊は木像、紙幅の本尊は絵像に当たる」等、妄言を吐く輩が出来するのはその証左であり、けだし当然の成り行きである。
3.宗門が崇める「正像の仏像」
日顕宗においては、二種類の「正像の仏像」が存する。
① 相伝無き本尊は〝魔の棲家〟となる
宗門における「正像の仏像」の一つは、日顕・日如の〝書く〟本尊である。それは誤字・脱字ばかりではない、〝先師の相伝〟を写していないから「書写」とならず、「書く」に留まるのである。先師までの相伝が具わらなければ〝三十二相具備〟とならず、「末法の仏像」にはほど遠い。
この通り、日顕宗から法華講員に下される本尊は、未だに正像の「造り画(えが)く」仏像のままである。不相伝の輩(日顕・日如)が書くからには、〝神札〟や〝鬼子母神の掛け軸〟等に同じ、画像・木像の類であり、これが〝魔の棲家〟となることは御書に仰せの通りである。
「法華を心得たる人木絵二像を開眼供養せざれば……鬼入て人の命をうばふ……魔入て功徳をうばふ」(木絵二像開眼之事・四六九㌻)
そこで「開眼が必要」と、宗門はやかましく言う。日顕・日如の本尊ならば、恐ろしいに違いない。だが、そもそも「正像の仏像」しか書けない彼らに、開眼など、できようはずが無いではないか。
② 本尊雑乱は〝邪教〟の始まり
宗門にはもう一つ、正像の「造り画(えが)く」仏像が古来より存する。大聖人の「御影(みえい)」である。宗門では「人(にん)の本尊」と崇めるが、人法一筒の御本尊ではない。
しかし「御影」と言おうと何と呼ぼうと、〝人形〟である。これまた正像の残滓(ざんし)である。宗門は古来より、このような人形を、御本尊と同列に置く悪い癖があった。大聖人御図顕の御本尊を大聖人と拝し奉ることができず、代わりにそのようなものを置いてきたのである。
日蓮正宗では、他宗である日蓮宗や法華宗と同様に、曼荼羅本尊と御影とを同列に安置し、あるいは御影を曼荼羅本尊の前に置く。次の手記がある。
◇
また、檀家の人たちが謗法の仏像などを自宅に祀るようになったのも、塔中坊の御宝前の形が影響していた。
当時、寂日坊や観行坊では、御本尊の前に大きな御影(みえい)が安置されており、奥にある御本尊は暗くてよく見えなかった。皆、教学を学んでいるわけではないから、御本尊の大切さが分からない。自然と、御影をありがたく拝むことが大事だと思うようになって、仏像についても手を合わせることが当然のようになったものと思う。そして、自宅にも仏像を祀る人も出てくるようになってしまったのである。
(『日蓮正宗〝落日の真因〟』渡辺慈済著 発行所:第三文明社)
しかし、我々は前回の『四条金吾釈迦仏供養事(釈迦仏開眼供養事)』において、学習したことがあった。すなわち第一章講義中の「釈迦仏造立について」における、次の一節である。
◇
文句巻八に云く「此の経は是れ法身の舎利なり須(すべか)らく更に生身の舎利を安(お)くべからず」。法華三昧懺儀(せんぎ)に「道場の中に於いて好き高座を敷き法華経一部を安置し未だ必ずしも形像舎利並びに余の経典を安(お)くべからず」と。
道場(仏壇)には法華経一部(御本尊)以外に安置してはならない、とある。「形像」「舎利」等を安置することは、本尊雑乱となる。御影が「形像」であり「生身の舎利」に準ずることは、論を俟たない。
4.学会授与の御本尊は〝正師〟の御書写
① 法脈が絶え未来を閉じた宗門
前回に述べた通り、大石寺十七世日精は、大檀那の敬台院が言う〝悪心の増す本尊〟を書写した。御本尊を信じられず、それゆえ仏像を造立した謗法の念が、書写に込められた故である。
また日顕の父・六十世阿部日開は、〝相伝に背いた本尊〟を書写し、子の日顕は〝相伝の無い本尊〟を書写した。これを「呪われた血」のためと、人は言うかもしれない。だが、他に原因を求めるまでもない、自らが犯した所業である。いずれにしても、もはや我らには関わりの無いことである。
そもそも法主の主たる役割とは、三大秘法の御本尊を御書写し、信徒に授与することである。だが、御本尊書写の相伝は、日顕の先師・六十六世日達法主が急逝して断絶し、法主の機能は永久に消滅した。今の宗門には、六十七世・六十八世を詐称する「法主もどき」が残るのみである。
ニセ者は永久に本物となることは無い。仏(大聖人)を詐称する者の行く末は、奈落のみである。
「糞を集めて栴檀となせども焼く時は但糞の香なり大妄語を集めて仏と・がうすとも但無間大城なり」(報恩抄・三一一㌻)
(臭い糞を掻き集め、高貴な香りの栴檀と言いくるめたところで、焼いてみればやはり糞の臭いがするように、嘘ばかり積み重ねて自らを仏と称しようとも、その果てはただ無間地獄でしかない)
② 学会授与の御本尊は「尽未来際」に亘る
学会授与の御本尊は、先師の相伝の無い〝ニセ法主〟日顕・日如の書写ではない、正師・日寛上人御書写の御本尊である。
ゆえに学会の御本尊は「三十二相具備」である。日顕宗の「御本尊もどき」と異なり、末法の仏像であるゆえ「本尊の開眼」など一切不要である。
それでは、前項に指摘した十七世日精、六十世日開、番外の日顕・日如以外の歴代諸師の書写による御本尊であれば、宗門・法華講が弘めて良いのか、答えは否である。
大聖人と同意すること無くして、御本尊の力用が発揮できる道理が無い。
「各各我が弟子となのらん人人は一人もを(臆)くしをもはるべからず、を(親)やををもひ・めこ(妻子)ををもひ、所領をかへりみること・なかれ」(種種御振舞御書・九一〇㌻)
「大難なくば法華経の行者にはあらじ」(椎地四郎殿御書・一四四八㌻)
戦時中、軍部政府におもねり、御書削除、神札甘受、神宮遥拝等々、ありとあらゆる謗法を犯し、法難を避けた宗門の例を見れば、宗門・法華講が大聖人の御誡めを蒙る輩であることは、一目瞭然である。
惰弱な宗門の中にあっては、不自借身命の勇猛心が生ずるはずがない。所詮、学会は宗門とも法華講とも縁を切らなければ、大聖人の仏法の純粋性を守ることはできなかったのである。
ゆえに、尽未来際に至るまで、令法久住の任は、我ら学会員のみが負うものである。
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日顕宗・法華講慈本寺の迷妄を破す(その1)
妄説:
先般、創価学会員が我が慈本寺の講員宅を訪れ、ニセ本尊の言い訳が書かれた一枚の用紙を置いていった。
このくだらない言い訳は、学会がかつて出版し、指導していた『大白蓮華』第62号の記事によって、ことごとく粉砕出来る。
「末法の現在においては、絶対に戒壇の大御本尊様こそ、われわれが即身成仏できる生身の御本仏様であらせられるのです。また、われわれがいただいている御本尊様も、文底事の一念三千、真の草木成仏の理によって開眼された、これまた生身の御本仏様であります。
この御本尊様こそ、真の木絵二像開眼の御姿でなくてなんでありましょうか。
これは日蓮正宗以外の邪宗では絶対になしえないところであり、ただ日蓮正宗のみのもつ深秘の法門であります。
邪宗がいくら日蓮正宗の御本尊をマネて作ってみたところが、それこそ馬の骨なのであります。否、恐ろしい毒薬の働きをもつのであります。」昭和31年7月 戸田会長
この指導を基にすれば、現在、学会で製造・販売している本尊は、いかに取り繕おうと【馬の骨・毒薬本尊】でしかない。
今回、一読して率直に感じたことは、学会は大聖人の正義・会員の成仏は二の次であり唯々、あの手この手で会員を騙すことに腐心しているということである。要するに会員は、職員に馬鹿にされているのだ。
破折:
1.「真の木絵二像開眼の御姿」とは
法華講慈本寺のH.P.作者は〝大きな見落し〟があるとの指摘を受けねばならない。
第一に、引用した戸田会長の指導における「真の草木成仏の理によって開眼された」及び「真の木絵二像開眼の御姿」との文言には、「真」の語が冠してあることに心付くべきである。
「真」の語義は〝本当、本物、真実、真正〟とあり、「偽」の対極である。また「本」と同義であるということは、「迹」を掃(はら)うことである。戸田会長はこの文言に、正像の遺物である「木絵二像の開眼」を打ち掃う意義を込めたのである。
「法華経は釈尊の父母・諸仏の眼目なり釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり故に今能生を以て本尊とするなり」(本尊問答抄・三六六㌻)
〇正法・像法の仏像………梵音声(ぼんのんじょう)を欠く〝不完全な人本尊〟
「偽」で「迹」のゆえ、法華経の梵音声で開眼すべき「所生」
〇大聖人御図顕の本尊……三十二相具備の〝完全なる人法一筒の本尊〟
「真」で「本」のゆえ、眼目そのもので梵音声を具える「能生」
大聖人御図顕の御本尊は法華経であるゆえ「能生」であり、「諸仏の眼目」として〝開眼する側〟にある。これが「真の木絵二像開眼の御姿」である。
これに対し、開眼を受けるべき正像の仏像は「所生」であるが、末法においては不要のものである。
ゆえに、法主が〝御本尊を開眼する〟などと言い出したのは、それは〝正像の仏像〟の開眼を言っているのであり、彼らが〝末法の仏像〟たる御本尊を書写できないことの証左である。
もっとも、日顕・日如ともに、先師の相伝を受けていないのだから仕方がない。御本尊の書写の相伝は、永久に断絶したのである。
もはや、宗門は正像の残り滓(かす)であり、末法今時においては無用の長物であるが、彼等はニセ者、まがいものであることは、はっきりさせておかねばならない。正像の本尊を書いておいて「開眼」を行うなど、これはまさに「ニセ本尊」以外の何物でもない。
さて、このH.P.作者がせっかく戸田会長の言葉を持ち出してきたのであるから、次項にて戸田会長の講義録を読んでおきたい。
2.御本尊は木絵二像ではない
如来滅後五五百歳始観心本尊抄(二四七~二四八㌻)にいわく、
「是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し……末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか」
[講義]
また「仏像」というから、かならず画像・木像に限るということはない。正像には「造り画(えが)く」とあり、末法には「出現」とあるによってもその意を知るべきである。さらに本尊抄(二五三㌻)に「此の時地涌の菩薩始めて世に出現し但妙法蓮華経の五字を以て幼稚(ようち)に服せしむ」と。また救護(くご)本尊にいわく「上行菩薩世に出現して始めて之を弘宣(ぐせん)す」云々。以上、三か所に「始めて出現」と同じくおおせられている意をよくよく拝すべきである。
(「日蓮大聖人御書十大部講義」第四巻『観心本尊抄』戸田城聖著)
上記には「『仏像』というから、かならず画像・木像に限るということはない」とある。よって「末法に『出現』される仏像」則ち御本尊は、画像・木像(木絵二像)ではないと、明確に表明しているのである。
真意を曲解し、〝読み替え〟を常とする日顕宗がどれだけ奸智をこらそうと、戸田会長の真意は、当時より講義録等をもって学会員に知らしめてある。今さら日顕の捏造法門などに惑わされることはない。
法華講慈本寺のHP作者よ、戸田会長の言葉を漫然と読み流していては、肝心の文意を得ることはできないと知れ。
3.宗門の【馬の骨・毒薬本尊】の歴史
法華講のH.P.作者が見誤った第二の点は、戸田会長は当時の「日蓮正宗」の御本尊と、それ以外のものとを譬喩的に述べたのであり、それ以外のものに、「日蓮正宗もどき」「日蓮正宗紛い」の本尊が含まれることである。
法華講慈本寺よ、【馬の骨・毒薬本尊】などと言い出して良いのか。〝還著於本人〟の法理が、おのれの身に降りかかってくるぞ。
先の第1項において、大聖人御図顕の本尊は〝完全なる人法一筒の本尊〟と定義した。ただし、御本尊を書写するには、厳しい条件が求められる。
「本尊書写は、筆の巧拙にのみよるものでなく、一心浄念に身心一如になさるべき」
(五十九世堀日亨師『富士日興上人詳伝(下)』聖教文庫 P227)
御本尊書写において〝一心浄念〟を傾注することなくして、御本尊の力用は顕現され得ない。逆に〝謗法の邪気〟に充ちていたならば、恐ろしいことである。御本尊らしき様相をしていようと、書写した者の心根が不純なら、その邪気が込められることとなる。
① 「悪心」の増す本尊
話は江戸時代に遡る。宗門の大檀那・敬台院は、十七世日精の書写した本尊を難じ、次の通り述べたという。
「此(この)まんだら(曼荼羅)は見申す度毎にあくしん(悪心)もま(増)し候まゝ衆中の内に帰し申し候」(『富士宗学要集』)
(日精の書写した本尊を見るたびごとに悪心が増すので、宗内にお返し申した)
この文で糾弾された日精とは、一時は十箇寺を越える末寺に仏像を造立した、大謗法法主である。どれほど信徒に「悪心」を及ぼしたことか。
日精こそは、日興上人の法流に〝造仏〟の毒薬を投げ入れた〝馬の骨〟に他ならない。以上が宗門における【馬の骨・毒薬本尊】の初見である。
② 「相伝」に背いた本尊
また近代においては、六十世阿部日開の本尊誤写事件がある。日開が書写した御本尊は相伝の通りでないとして、一山の僧俗から大顰蹙(ひんしゅく)を受けた。そこで以下の通り詫び状を書いて、謝罪したという。
「タダ漫然之ヲ認(した)タメ何トモ恐懼(きょうく)に堪へヌ」
だが実際は、日開は漫然と(ぼんやりと)していたために間違えたのではない。敢えて相伝に背き、我見を以て御本尊を書写したのである。ところが予想外の非難を蒙り、「相伝の何たるかも知らない法主」等の謗(そし)りを恐れ、取り繕い、言い訳したのが実際のところであった。
日開は、本尊書写に〝我執〟を込めた、これもまた〝馬の骨〟である。その日開の息子が、六十七世を僭称する日顕である。
4.現代の【馬の骨・毒薬本尊】――日顕・日如が書く本尊
日顕が書いた本尊は、本尊の体をしていない。誤字・脱字だらけの上、讃文を途中までしか書かなかったり、願主の名前を間違える等々、〝三十二相具備〟どころか、〝何相〟も足りない〝粗悪品〟である。
まず何よりも、御本尊書写に「一心浄念」が込められていない。法主として情けない限りであるが、他宗の「御本尊の書き方」(国書刊行会 有賀要延・編著者)でも参照すべきであった。書写の心得として「斎戒沐浴して」とあるのは当然で、そこから始めるべきだったのである。
だが日顕は、どうしても「一心浄念」を心掛けることはできなかった。本尊を書写する間、古今亭志ん生の落語のテープをかけているところを、当時の奥番に目撃されている。よくよく日顕は、歴代法主の面汚しである。
いや、日顕はそもそも先師から相承を受けていない〝番外〟である。十七世日精や父親の六十世日開等が【馬の骨】であっても、日顕は〝馬〟にも該当しない。このような者を、御書には何と仰せであるか。
「彼が心は犬野干の心には劣れりと説き給いて候なり(中略)何に況やそれに劣れる今時の者共をや」(新池御書・一四四二㌻)
(彼らの心は犬や狐の心にも劣る、と説かれた。……ましてやそれに劣る今の者たちは、なおさらのことである)
されば、日顕は【馬の骨】ならぬ【犬・野干(やかん)の骨】の類(たぐい)か。日如以降の法主は、気の毒だが【犬・野干の骨】を代々受け継ぐこととなる。そのすべては日顕がもとである。
また恐ろしいことに、日顕の「毒薬本尊」には〝大御本尊誹謗〟の邪念が籠められる。見るたびごとに日顕の〝悪心〟が薫習され、与同罪となり大聖人の〝御誡め〟を蒙ることとなり、やがては奈落に堕ちざるを得ない。
なお「学会で製造・販売している」とは、宗門が昔からお付き合いを欠かさない、〝身延〟を念頭に置いた妄想でしかない。久遠寺の門前町ならば、本尊が土産物店に陳列され、観光客相手に売られており、今は通信販売もある。
しかし、そのような有様を思い描くこと自体、すでに宗門の心根は身延へと飛び去り、五老僧と同じ境涯にまで堕ちているのである。富士の清流などは昔語りとなり、今は謗法に澱む濁流と化し、見る影もない。
妄説:
先般、創価学会員が我が慈本寺の講員宅を訪れ、ニセ本尊の言い訳が書かれた一枚の用紙を置いていった。
このくだらない言い訳は、学会がかつて出版し、指導していた『大白蓮華』第62号の記事によって、ことごとく粉砕出来る。
「末法の現在においては、絶対に戒壇の大御本尊様こそ、われわれが即身成仏できる生身の御本仏様であらせられるのです。また、われわれがいただいている御本尊様も、文底事の一念三千、真の草木成仏の理によって開眼された、これまた生身の御本仏様であります。
この御本尊様こそ、真の木絵二像開眼の御姿でなくてなんでありましょうか。
これは日蓮正宗以外の邪宗では絶対になしえないところであり、ただ日蓮正宗のみのもつ深秘の法門であります。
邪宗がいくら日蓮正宗の御本尊をマネて作ってみたところが、それこそ馬の骨なのであります。否、恐ろしい毒薬の働きをもつのであります。」昭和31年7月 戸田会長
この指導を基にすれば、現在、学会で製造・販売している本尊は、いかに取り繕おうと【馬の骨・毒薬本尊】でしかない。
今回、一読して率直に感じたことは、学会は大聖人の正義・会員の成仏は二の次であり唯々、あの手この手で会員を騙すことに腐心しているということである。要するに会員は、職員に馬鹿にされているのだ。
破折:
1.「真の木絵二像開眼の御姿」とは
法華講慈本寺のH.P.作者は〝大きな見落し〟があるとの指摘を受けねばならない。
第一に、引用した戸田会長の指導における「真の草木成仏の理によって開眼された」及び「真の木絵二像開眼の御姿」との文言には、「真」の語が冠してあることに心付くべきである。
「真」の語義は〝本当、本物、真実、真正〟とあり、「偽」の対極である。また「本」と同義であるということは、「迹」を掃(はら)うことである。戸田会長はこの文言に、正像の遺物である「木絵二像の開眼」を打ち掃う意義を込めたのである。
「法華経は釈尊の父母・諸仏の眼目なり釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり故に今能生を以て本尊とするなり」(本尊問答抄・三六六㌻)
〇正法・像法の仏像………梵音声(ぼんのんじょう)を欠く〝不完全な人本尊〟
「偽」で「迹」のゆえ、法華経の梵音声で開眼すべき「所生」
〇大聖人御図顕の本尊……三十二相具備の〝完全なる人法一筒の本尊〟
「真」で「本」のゆえ、眼目そのもので梵音声を具える「能生」
大聖人御図顕の御本尊は法華経であるゆえ「能生」であり、「諸仏の眼目」として〝開眼する側〟にある。これが「真の木絵二像開眼の御姿」である。
これに対し、開眼を受けるべき正像の仏像は「所生」であるが、末法においては不要のものである。
ゆえに、法主が〝御本尊を開眼する〟などと言い出したのは、それは〝正像の仏像〟の開眼を言っているのであり、彼らが〝末法の仏像〟たる御本尊を書写できないことの証左である。
もっとも、日顕・日如ともに、先師の相伝を受けていないのだから仕方がない。御本尊の書写の相伝は、永久に断絶したのである。
もはや、宗門は正像の残り滓(かす)であり、末法今時においては無用の長物であるが、彼等はニセ者、まがいものであることは、はっきりさせておかねばならない。正像の本尊を書いておいて「開眼」を行うなど、これはまさに「ニセ本尊」以外の何物でもない。
さて、このH.P.作者がせっかく戸田会長の言葉を持ち出してきたのであるから、次項にて戸田会長の講義録を読んでおきたい。
2.御本尊は木絵二像ではない
如来滅後五五百歳始観心本尊抄(二四七~二四八㌻)にいわく、
「是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し……末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか」
[講義]
また「仏像」というから、かならず画像・木像に限るということはない。正像には「造り画(えが)く」とあり、末法には「出現」とあるによってもその意を知るべきである。さらに本尊抄(二五三㌻)に「此の時地涌の菩薩始めて世に出現し但妙法蓮華経の五字を以て幼稚(ようち)に服せしむ」と。また救護(くご)本尊にいわく「上行菩薩世に出現して始めて之を弘宣(ぐせん)す」云々。以上、三か所に「始めて出現」と同じくおおせられている意をよくよく拝すべきである。
(「日蓮大聖人御書十大部講義」第四巻『観心本尊抄』戸田城聖著)
上記には「『仏像』というから、かならず画像・木像に限るということはない」とある。よって「末法に『出現』される仏像」則ち御本尊は、画像・木像(木絵二像)ではないと、明確に表明しているのである。
真意を曲解し、〝読み替え〟を常とする日顕宗がどれだけ奸智をこらそうと、戸田会長の真意は、当時より講義録等をもって学会員に知らしめてある。今さら日顕の捏造法門などに惑わされることはない。
法華講慈本寺のHP作者よ、戸田会長の言葉を漫然と読み流していては、肝心の文意を得ることはできないと知れ。
3.宗門の【馬の骨・毒薬本尊】の歴史
法華講のH.P.作者が見誤った第二の点は、戸田会長は当時の「日蓮正宗」の御本尊と、それ以外のものとを譬喩的に述べたのであり、それ以外のものに、「日蓮正宗もどき」「日蓮正宗紛い」の本尊が含まれることである。
法華講慈本寺よ、【馬の骨・毒薬本尊】などと言い出して良いのか。〝還著於本人〟の法理が、おのれの身に降りかかってくるぞ。
先の第1項において、大聖人御図顕の本尊は〝完全なる人法一筒の本尊〟と定義した。ただし、御本尊を書写するには、厳しい条件が求められる。
「本尊書写は、筆の巧拙にのみよるものでなく、一心浄念に身心一如になさるべき」
(五十九世堀日亨師『富士日興上人詳伝(下)』聖教文庫 P227)
御本尊書写において〝一心浄念〟を傾注することなくして、御本尊の力用は顕現され得ない。逆に〝謗法の邪気〟に充ちていたならば、恐ろしいことである。御本尊らしき様相をしていようと、書写した者の心根が不純なら、その邪気が込められることとなる。
① 「悪心」の増す本尊
話は江戸時代に遡る。宗門の大檀那・敬台院は、十七世日精の書写した本尊を難じ、次の通り述べたという。
「此(この)まんだら(曼荼羅)は見申す度毎にあくしん(悪心)もま(増)し候まゝ衆中の内に帰し申し候」(『富士宗学要集』)
(日精の書写した本尊を見るたびごとに悪心が増すので、宗内にお返し申した)
この文で糾弾された日精とは、一時は十箇寺を越える末寺に仏像を造立した、大謗法法主である。どれほど信徒に「悪心」を及ぼしたことか。
日精こそは、日興上人の法流に〝造仏〟の毒薬を投げ入れた〝馬の骨〟に他ならない。以上が宗門における【馬の骨・毒薬本尊】の初見である。
② 「相伝」に背いた本尊
また近代においては、六十世阿部日開の本尊誤写事件がある。日開が書写した御本尊は相伝の通りでないとして、一山の僧俗から大顰蹙(ひんしゅく)を受けた。そこで以下の通り詫び状を書いて、謝罪したという。
「タダ漫然之ヲ認(した)タメ何トモ恐懼(きょうく)に堪へヌ」
だが実際は、日開は漫然と(ぼんやりと)していたために間違えたのではない。敢えて相伝に背き、我見を以て御本尊を書写したのである。ところが予想外の非難を蒙り、「相伝の何たるかも知らない法主」等の謗(そし)りを恐れ、取り繕い、言い訳したのが実際のところであった。
日開は、本尊書写に〝我執〟を込めた、これもまた〝馬の骨〟である。その日開の息子が、六十七世を僭称する日顕である。
4.現代の【馬の骨・毒薬本尊】――日顕・日如が書く本尊
日顕が書いた本尊は、本尊の体をしていない。誤字・脱字だらけの上、讃文を途中までしか書かなかったり、願主の名前を間違える等々、〝三十二相具備〟どころか、〝何相〟も足りない〝粗悪品〟である。
まず何よりも、御本尊書写に「一心浄念」が込められていない。法主として情けない限りであるが、他宗の「御本尊の書き方」(国書刊行会 有賀要延・編著者)でも参照すべきであった。書写の心得として「斎戒沐浴して」とあるのは当然で、そこから始めるべきだったのである。
だが日顕は、どうしても「一心浄念」を心掛けることはできなかった。本尊を書写する間、古今亭志ん生の落語のテープをかけているところを、当時の奥番に目撃されている。よくよく日顕は、歴代法主の面汚しである。
いや、日顕はそもそも先師から相承を受けていない〝番外〟である。十七世日精や父親の六十世日開等が【馬の骨】であっても、日顕は〝馬〟にも該当しない。このような者を、御書には何と仰せであるか。
「彼が心は犬野干の心には劣れりと説き給いて候なり(中略)何に況やそれに劣れる今時の者共をや」(新池御書・一四四二㌻)
(彼らの心は犬や狐の心にも劣る、と説かれた。……ましてやそれに劣る今の者たちは、なおさらのことである)
されば、日顕は【馬の骨】ならぬ【犬・野干(やかん)の骨】の類(たぐい)か。日如以降の法主は、気の毒だが【犬・野干の骨】を代々受け継ぐこととなる。そのすべては日顕がもとである。
また恐ろしいことに、日顕の「毒薬本尊」には〝大御本尊誹謗〟の邪念が籠められる。見るたびごとに日顕の〝悪心〟が薫習され、与同罪となり大聖人の〝御誡め〟を蒙ることとなり、やがては奈落に堕ちざるを得ない。
なお「学会で製造・販売している」とは、宗門が昔からお付き合いを欠かさない、〝身延〟を念頭に置いた妄想でしかない。久遠寺の門前町ならば、本尊が土産物店に陳列され、観光客相手に売られており、今は通信販売もある。
しかし、そのような有様を思い描くこと自体、すでに宗門の心根は身延へと飛び去り、五老僧と同じ境涯にまで堕ちているのである。富士の清流などは昔語りとなり、今は謗法に澱む濁流と化し、見る影もない。
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