価値のない話

思考の隔離部屋。「主食はサブカル・オカズは文学・オカルトはデザート」

「あめふり」が偉そうだなと思ったから敬語の話でもしようか

 先週から雨続きで嫌になってしまう。でも少しでも楽しくなりたいから歌でも歌おうか。


あめふり - YouTube

あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめで おむかえ うれしいな
ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン

かけましょ かばんを かあさんの あとから ゆこゆこ かねがなる
ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン

あらあら あのこは ずぶぬれだ やなぎの ねかたで ないている
ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン

かあさん ぼくのを かしましょか きみきみ このかさ さしたまえ
ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン

ぼくなら いいんだ かあさんの おおきな じゃのめに はいってく
ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン

  この北原白秋の歌詞を聞いて小さい時からずーっと思っていたことが「キミキミこのカサさしたまえってエラそうじゃね?」ということだった。「~したまえ」なんて母さんにお迎えに来てもらっているような子供の言うような台詞なのかな、カサのない子を見下しているのかな、など思っていたので謎の歌でした。

 

 というわけで「たまえ」の謎にちょっと迫ります。その前に敬語の大前提をちょっと。誤解している人が多いのですが、「敬語は相手を敬うための言葉ではない」ということです。よく「あの先輩は尊敬してないからタメ語で喋ってるんだ」「敬語を使うと上下関係発生するじゃないんですか。僕としゃべるときはタメ禁止!」みたいな感じで使ってるのを見ると「oh……」となって個人的に「こいつとはタメ口聞きたくねええええ」と思うのです。理由は後述します。

 

 敬語の話に入る前に、「敬語は日本語の特性」というところを押さえましょう。「英語は敬語がなくていいな!」という意見もありますが、英語は三単現のsや日本語よりも複雑な時制で主語や動詞が変化します。日本語なら過去は「た」の助動詞でとりあえずOKです。ラテン語系では男性詞と女性詞に分かれていて「車は男、ミルクは女」みたいな感じで日本人からすると概念から覚えるのは面倒くさいと思う。敬語もそんな感じだと思ったほうがいい。

 

 そんなわけで敬語の最大の役割は「主語がなくても動詞だけで主格を特定できる」です。主語を省略しちゃっても意味が通じてしまうのが敬語の強みです。

例1)①ただ今戻ってきました。

   ②ただ今戻ってこられました。

 ②は①の「来る」に敬意の補助動詞「らる」を付けただけです。でも、これだけで主語が変わったのがわかりますかね。①の主語は「私(一人称)」であるのに対して、②の主語は「話し手と聞き手ではない誰か(三人称)」であることは自明です。

 

 例えばヒラ社員と係長が話しているとします。

例2)①「企画書を持って参りました。ご覧ください」

    「ところで先方の打ち合わせはどうだった?」

 

   ②「企画書を持ってきた。見ておきなさい」

    「ところで先方の打ち合わせはどうでしたか?」

 敬意を意味する品詞を少しいじるだけで、ヒラ社員と係長の関係が逆転します。これが敬語の本来の効果です。だから日本語は主語がなくても成立する言語なんですね、素敵です。

 

 さて「あめふり」まで戻ってくると、もともと「たまえ」は動詞「給う」が補助動詞になったものです。ここでは補助動詞の意味だけ引用しておきます。

5 (補助動詞)動詞・助動詞の連用形に付く。
㋐その動作主が恩恵を与えてくださる意を表す。…てくださる。「神が恩恵を垂れ―・う」


㋑その動作主を尊敬する意を表す。お…になる。お…なさる。
「すぐれて時めき―・ふありけり」〈源・桐壺〉


㋒尊敬の助動詞「す」「さす」に付いて「せ(させ)たまふ」の形で、程度の強い尊敬の意を表す。「たふとく問はせ―・ふ」〈竹取〉


㋓同輩以下の者に対し、親しみをこめたりやわらかに命令したりするのに用いる。「そんなにくよくよし―・うな」「早く行き―・え」

 

たまう【賜う/給う】の意味 - 国語辞書 - goo辞書より

 ㋐㋑㋒はもう口語では使われていない文語ですが、今でも堅苦しい文章などで登場してもおかしくはありません。でも「あめふり」の子供が使うかと言うと、やっぱり微妙なので㋓で取るのが妥当ですね。「母さんが迎えに来ている子」と「雨に濡れている子」だったら客観的に見てやっぱり傘を貸す方が格上になりますので㋓の意味でも許してあげようかなという気分になれました。大体にしてこの歌が発表された当時に「上から目線がむかつく」と庶民が思う発想自体ないと思うのです。

 

  そもそも敬語って「遠まわしに表現するのがいい」という日本語の歴史から生まれたもので、「直接、しかも軽々しく名前を呼ぶなんてはしたないわ」という精神があるわけで、敬意の一切ない表現と言うのは日本語として考えると「はしたない」部類に入る訳です。そうでなくても、「直に触れる」こと自体がよろしくないことなんですよね。「そんなの国際化の時代においてはどうのこうの!」という気持ちもわかりますが、日本語ってそういう特性があるということで。

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  敬語ついでに気になった記事をひとつ。

年上に「タメ口」はアリ?ナシ?不愉快な話し方をする相手への対処法とは?|アドラー流 お悩み相談室|ダイヤモンド・オンライン

>あなたにタメ口で話しかけるアルバイトは、あなたと対等な関係で接したいと思っているのかもしれません。

>まず、あなたが年下を自分の下に見ることをやめてみれば、アルバイトのタメ口はそんなに気にならなくなるでしょう。

 タメ口で話しかけられるとイライラする理由も、日本語の特性の中に入っていると思います。先ほども書いたように、敬語は敬う気持ちを表す言葉ではありません。しいて言うならば、人間関係の距離を保つ言葉です。基本的に尊敬謙譲丁寧の格がついていない、いわゆる原形の動詞は例1のように自分の行動を表すことが多いです。いくら上下関係があったとしても、全部原形動詞で話をする人ってそんなにいないと思うんですよ。偉い人でも丁寧語くらいは使います。それは敬意の表現ではなく「私とあなたは一緒にご飯食べたり映画観に行ったりするような関係ではないです、今のところ」という意思表示です。主語を省略する代わりに動詞を変えることで「わたしはわたし、あなたはあなた」ということをまずはっきりさせているのが敬語なんですね。

 

 つまり「初対面でもタメ口で話すぜ!」ということは、急に隣に引っ越してきた人が挨拶に来て「お前は忘れているけど前世からの縁で俺と再び巡り合ったんだぜ! お前のことなら何でも知ってるぜ! なんたって心友とかいてソウルハートと読む間柄だからな! いいから遠慮するな! 困ったときはお互い様だろ!」みたいなことを宣言している状態に近いと思います。ここから先は個人的な経験則ですが、本人が意識してるかどうかはともかく、「上下関係うざったい」という人は単に平等主義というより「シタテに出たら人生負け。アイコなら負けない」みたいな感じなんだと思います。つまり何かとマウントしてくる傾向にある気がします。「俺とお前平等」というくせに自分が何かにつけて優位でないと気が済まない傾向。ざっくり言うと「自分と他人の区別がついていない距離なし人間」ということです。最低限の礼儀としてせめて初対面やそれほど仲良くない人にはですます調くらいで話しましょう。

 

 何度かネタにさせてもらっているけど、学生の時バイトで先に入っていた高校生バイトが急にこんなことを言い始めたのを覚えています。

「ぜろすけさんは私より年上だけど、まだ仕事覚えていないし、ここの仕事場では私の方が先輩だから今からタメ語使うね。それ取って。早くして」

 流石にタメ語設定は違和感があったようで数日で終わりましたが、正直露骨に見下されるより屈辱でしたね。統率の必要な職場では各人の立ち位置をしっかり把握することが大切になります。命令をする人や実行する人、いろんな立場の人がいるところで自分と他人の区別がついてない人がいたら大変です。記事の相談者さんは仕事場では最低限ですます調を使わせた方がいいと思います。相手が納得いかないようでしたら、休憩時間だけタメ語でよい、とか妥協案を提示してはどうでしょう。上とか下が問題じゃあないのです。外から見ても中から見ても、上も下もへったくれも認識していないことが問題なんですよ。ちゃんとした服装をしなさい、というのと一緒ですよ。

 

 あと蛇足ですが「困ったときはお互い様」というのは助けた側の人が助けたときに言う台詞です。普段から使ってくる人は要注意です。

 

 今週のお題「雨あめ降れふれ」、どっか行っちゃったなぁ。とりあえずツイートだけでも雨ってることを載せておこう。