Tokyo 1月1日(月)
   
  なぜチアにっぽんと袂をわかつに至ったか (その2)

 キリストは、「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはならない。平和ではなく、剣をもたらすために来たのだ。」(マタイ10:34 )と語られています。一方で、キリストは、「平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。」と語られているところからみると、キリストからみて、なんでも“平和”というだけで平和なのではなく、ここで語られているのは、キリストにある平和がもたらされるために、欠かせない“剣”なのだと読むべきでしょう。わたしが、「チアにっぽんとの決別」を書いたのは、混乱を期待したり、自分の勢力を拡大したいとかヘゲモニーではなく、あるべきホームスクーリング(ホーム・エジュケーション)をこの日本でも実現したいという一念によります。

  丸森グループは、いわずと知れたポール・ブローマンさんが開祖。グループのやりかたは、敗戦直後から一貫して変わらず、これまた一貫して、教会からも市民社会からも相手にされませんでした。東京東久留米に所在するクリスチャンアカデミー(米国人で日本で働く企業人や宣教師むけの教育施設)の創立者は、ジョン・MLヤングなどの優れた宣教師が加わり、米国のリフォームド系の伝統的教会が加わりました。戦後マッカーサーの招きに応じて日本宣教を志した数千人の宣教師がおられ、P・ブローマン氏も最初はその宣教師の一員でした。結局、クリスチャン・アカデミー(CAJ)設立にも、神学校設立にも関わらなかったとはいえ、米国からみると当初は、れっきとした宣教師。CAJや、わたしの卒業した基督神学校の教授であったP・フォックスウエル宣教師とは、ポールさんが独立路線を行き、経済的に独立した宣教師となった後も、米国人宣教師のよしみで交流は継続していたのでした。(ゆえに、CAJのバザーで残った大量の古着を、ブローマンさんが養子として育てていた丸森の多くの子どもたちのためにもらい受けにきたという逸話は、決して作り話ではありません。)やがて、札幌に看板伝道をやりにいったときに無教会派のキリスト信徒と交流をはじめたことがポール氏にとって、ひとつの転換期となり彼の独自な教会観を形成するにいたるヒントとなりました。(ただし、無教会派とブローマニズムは、必ずしも同じではありません。無教会派は学級肌が強く諸派に分岐するも、なかには教会形成している群れもあり、リベラル神学に寛容だったりしますが、こちらは、一応米国流福音主義の形をとりつつ、とうぜんのこと神学的でも学際的でもなく、地域教会と対立色を強く示しています。念のため。)最近、日本映画で、年末年始の新宿あたりの風景を描くなかに、丸森のスピーカーが流されている場面があるをみて、丸森グループは日本で長い歴史を刻み、内容はどうあれ、もしかして、これが冬をあらわす“季語”にさえなる感があります。

  丸森グループは、西暦2000年にホームスクーリング運動への参入を志し、それを足がかりに、社会的認知を実現したかったとみられます。「日本におけるホームスクーリング実践のはじまりは、ポール・ブローマン氏とその家族からである」というテロップやパンフレット作成されることさえおこなわれたものの、ご本人でさえ「失敗」と認めるほど、功を奏したとはいえず、もともと、家族や教会を受け入れる“教義”をもたなかった故、さらには内在していたホームスクーリングへの敵対心までみえてくるに至っては、対処のしようもなかったのでしょう。 ここにさし絵のサンプルを貼り付けるスペースはありませんが、誰の目にも、おどろおどろしいとみえる地獄絵や、大音声で一方的に流される“無機質な福音”が、平穏に暮らす市民からも、地域に馴染んでいるキリスト教会からも受け入れなかったであろうことは、実際にそれを見聞きした人であればある程度、容易に察しがつくでしょう。さらには、地域教会とこれは、全く無関係だというのに、外部からは同類の“キリスト教”とみなされ、大音声や“キリスト看板”に対する苦情が地域住民から関係のない地域教会に持ち込まれることになり、伝統的な福音的な地域教会は、電話応対などに苦慮したのでした。丸森チームと地域教会の溝は深まるばかりであり、丸森グループからすると、「どの教会もまともに相手にしてくれなかった」ということになりました。そして、教会との深まる溝について、困惑するキリスト教会にたいして「和解しない頑迷な輩」と非難するに至っては、それもまたカルト化したグループのひとつの頑迷な特徴だったといえるかもしれません。
 去年暮れ亡くなられた故ポール・ブローマン氏は、グループの事実上の独裁者であり、キリストの代理人として、直接「地獄行き」を宣言できる地位にいるという声もありましたが、わたしも俄(にわか)には信じられませんでした。ところが、いつぞや札幌でおこなわれたミニ・コンベンションで、ポール氏が講演のなか、「夢で、直接キリストから委任を受けた」と証言しておられるのを聞き及ぶにいたり、やはり彼の自己意識が何に立脚しているかを確信するようになりました。たとえば、ローマカトリック教会が、ペテロの首位性を継承するとみて、教皇の無謬性を教義として受け入れたように、彼の言葉は、ミニ教皇のようであり、グループ全体のなかで神的権威と絶対性をち、それは単なる一企業の社長としてではなかったのです。
 ポールさんが亡くなったことを契機に、元HSLDAシニア弁護士のスコット・ソマビルさんのように、丸森グループ全体の変化を期待する声がなくもありません。ただ、すでに、企業として一定の業績をあげて動きだしており、さらに、彼らがすでにカルトの思想的洗礼を受けているのであれば、統一協会のように、教祖が死亡したカルト教団がその後どうなったかを一瞥するだけでも、仮に、一度解体されるような事態がおこる以外に、そこに変化を期待したり想定するのは早計だと思います。事実、たくさんの赤子の養子たちを引き受け、彼らの人権や自由を与えず、グレープ王国の奴隷戦士として育て上げるという路線にはなんら変更はみられないからです。
 たとえ好意だけだとしても、なんらかのかたちでグループに繋がることさえ確保していれば、キリストに繋がることになると解釈されています。その立場によると、グループを離脱するばかりか、たとえばわたしなどを含めて、問題意識をもつとか、さらには反感をもったりするものは、端(はな)から悪魔に支配されているのであり、それゆえ“地獄行き”が宣言されることになります。
 たとえ、内部事情の問題がかいま見えて、問題点がみえ、批判的になったとしても、少なくとも表向きはチアとの協調路線をとるというのがいわば定石でしょう。いえ、わたしは日本人の精神構造は、周囲から浮き上がるのを嫌い、「長いものに巻かれろ」というところで最も安定するのをふまえているのですが、シカトや、ましてや、迫害など覚悟して、面とむかってチアと決別するような人はきわめて希だと思います。ま、黙ってくれていたほうがいい・・・というのは何も民意を無視してできた自民党政権ばかりでなく、このような場合にもあてはまるので、懐柔策に失敗した場合、シカトや迫害を恐れて何もいわず隠遁生活してくれていたほうがいいのでした。いろいろなエベントへ参加者たちは、なんらかのかたちで地域の教会の一員であったとしても、チア=丸森グループにとっては、それはあまり重要な意味をもちません。もっとも、本音では教会を批判し受け入れていないことは巧みな演出効果により、洗脳のプロセスさえなかなか見えてこないと思います。要は、グループに賛同するか、直接その行動に賛同し、看板伝道に参加するかしている共同体(教会というかたちをとる場合もある)に所属するか否か、直接、丸森になんとなく好意的な賛同程度でもよし、できれば丸森グループを100%受け入れ、それに貢献できる人材として訓練されているかどうか、それこそがチアの存在理由であり、主なる関心事であるからです。
 クリスチャンスクールとホーム・エジュケーションを混同したように、チャーチ&ホームスクーリングとされていることで、親の教育力を引き出す焦点がぼかされているのは、やはり意図的であり、マーケット拡大のための企業戦略からきたものでした。もともと、グループ内では一貫して“共同体”のなかで子どもを育ててきたのであり、個々の親が中心となるホームスクーリングには反対してきたからです。ただし、丸森グループも、一つの企業体としての生き残るためのセンスの健全性を重んじてきたのであり、人材確保と金銭的利益、社会的名声の確立は必須でした。そのために、ホームスクーリングをみたとき、ホームスクーリングだけではマーケットとしての枠が足りず、チャーチスクールを取り込みたかったので、欧米には全くみられない“チャーチ&ホームスクーリング”という造語を標榜したのでしょう。映画と同じく、まずはホームスクーリングやチャーチスクールをターゲットにし、やがてミッションスクールへの教科書販売を志すも、採用する学校は日本国内にただのひとつもなく、きわめつけは、BJU出版(ボブ・ジョーンズ大学出版部)が、丸森の立場を問題視するに至り、企画はついに総崩れとなりました。ここにきて教科書販売だけで利益が見込めるとの見通しも途絶え、最近は高認のサポート学校のようなものをつくり、“抱き合わせ商法”のような教材販売にシフトしているようですが、なにせ数が数だけに、企業としての利益にはほど遠い。そこで、残るは人事の青田開拓ということで、つまり、チアは人材のリクルートに活路をみいだし、すでに実績として、100名を超える人たちが「チアにっぽん」のチャンネルを通じて、それまで住んでいた地域を離れ、仙台に転地までしてグループに組み込まれているため、この上、さらなる人材をホームスクーラーのなかから抽出できるとみて、子どもたちにねらいを定めていて、ホームスクーリングサポートを標榜する意味はそこにあるとみたのでした。 
 人材としての動員という要素も忘れてはなりません。たとえば、出版物のマーケットを構成する要員としての動員です。売れてなんぼ、利益があがてなんぼ、商売とはそいうものです。「ホームスクーリングビジョン」は、セキュラーな英語教材の分野に活路を見いだしていますが、チアの活動は、人材リクルートのための先行投資という意味が濃厚です。グレープシティ系列会社(稲葉氏が副社長)がプロデュースするハリウッド映画の鑑賞者としての動員も欠かせません。広く好感をもつ人々を形成しそのうえで、どんなかたちでも、グループと直接繋がるような人材を獲得することに成功したら、企業としての可能性はいくらでも広がると読んでいるからです。
 目標が定まった以上、そのためには何でもする。手段を選ばないのも、またカルトの特徴です。問題に気づいた人を徹底的に懐柔しようと試みるものの、もし、それに失敗した場合には、徹底的に迫害するのであり、すでに述べたように彼らは“破門の教義”さえもっているため、裏切りものへのレッテル張りや、そのことを内部に周知徹底させるに迅速です。 
 ホームスクーリングについて、教会からなかなか理解を得られていないホームスクーラーたちは、丸森からみるとグループに取り込みやすいとみえたのでしょう。最初は、教会との確執を埋めることをねらっていた時期もあったようですが、その実現が不可能と判断するや、当初の目的を、今後の人材確保にシフトさせた模様です。すでに、クリスチャンホームスクーリングの一つの目的としての「教会に仕える器の養育」は、巧みに「嬉々として看板伝道をおこなう人材」に塗り替えられ、それを突破口に子どもたちを丸森グループの有望な補充要員として訓練しつつあります。それゆえ、彼らからすると、地域教会において、ホームスクーラーとして育てられた子どもが、どのような奉仕者として訓練されるかなど原則としてはどうでもよく、丸森グループ以外のどのような社会的分野で活躍するかには原則として興味がありません。