2014-06-10
■[日記]平坂さまLV1
集団リンチとまで言われたので、大本の発言に直接リンクすることは避けるが、先日こんな話題が一部で注目された。
テーブルのどこにどの人物が座っているかをイラストだけを使って表すことはラノベのレベル低下に繋がる - ミグストラノート
『僕は友達が少ない』のレベルが低くなっているという話をラノベ全体と語ってしまったためぼこぼこに叩かれてしまった人の話 - 主ラノ^0^/ ライトノベル専門情報サイト
簡単にまとめると、平坂読の人気ライトノベル『僕は友達が少ない』の最新刊*1で登場人物達が対話型ゲーム「人狼」をプレイする場面において、その席順・位置関係を文章ではなく図で示しているページがあった。これを指してツイッターで「ラノベのレベルが日に日に下がっていくの、耐えられないんだけど」と評した人物がいた。ということになる。それだけの話だ。
- 作者: 平坂読,ブリキ
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/メディアファクトリー
- 発売日: 2014/06/05
- メディア: 文庫
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この発言に対する実際の反響は、上で紹介した記事とそのブックマークや「ラノベ レベル」あたりでツイッター検索かけるなりして各自で確認してもらいたい。ここでは、この小さな騒動を眺めていてわたしが気になった点についてのみ述べる。
元発言者やその同調者の意見には、あるひとつの感覚が共有されているように見えた。それは「作家が楽をしているのは無条件に悪」というものだ。
文章で全てを表現するのが仕事なはずの小説家が、簡単にできる状況の描写を図や絵に丸投げするのは怠慢であり読者に対する裏切りだ。こうした考えが、『はがない』やラノベ全般に対する批判の前提となっているように感じる。これは、果たして正しいか?
わたしは、三重に間違っているのではないかと考えている。一つずつ疑問をぶつけていくことにしよう。
まず第一に。「あの配置を文章で説明するのは本当に簡単なのか?」
元発言者はこのように述べている。
普通に「全員は長テーブルを囲んで、時計回りに〇〇、〇〇、〇〇の順番で席についた」って書けばいいんじゃないの?
快刀乱麻を断つとはこのことか。しかし、そううまくはいかない。本人も書いているように、ここで登場人物達が座っているのは丸テーブルではなく長テーブルである。つまり、上のような記述だけでは、その人物が長方形のどの辺に座っているのかの情報が抜け落ちてしまうことになる。
そんなのツイッターの文字数制限対策に省略しただけだろうし、ちょちょいっと付け足せばいいだけじゃん?という指摘があるかも知れない。正論ではある。確かに、プロ作家である平坂読にとってなら、さほど難しくもない作業だろう。
ただ、自分のこととして考えてみた場合、テーブルの長辺・短辺の情報を加えた上で11人もの人物の配置を簡潔に不自然にならない形で説明するというのは、作家でもないわたしごときの文章力には少し荷が重そうだ。ちょちょいっと、とはいかないだろう。少なくともそのぐらいの難易度はある課題だと言える。腕(文章力)に覚えがある方の模範解答、待ってます。
第二に。「文章で描写できるはずの状況を図で表現することは、本当に『楽』なのか?」
ちょっと想像してみてもらいたい。小説家が、多少やっかいな部分であるにはせよ通常の執筆の一環として長くても2ページは越えないだろう量の文章だけで席順を表現するのと、必要な指定をして図を描いてもらったり自分で図を描いたり(実際の図の作成者が誰なのかは知らない)例外的な表現を挿入することについて編集者と追加の打ち合わせをしたりするのでは、果たしてどちらが仕事として「めんどくさい」だろうか。
こう考えた上で「平坂読は自分が楽をするためだけにこの手法を選択した」と信じ込むのは、わたしには無理だ。
あくまで想像になるが、ここで文章ではなく図による説明が採用されている理由にはやはり、読者への配慮が含まれていると見るべきだろう。これは別に読者の読解力*2を低く見積もっているわけではなく、ここで無駄な負荷をかける意味がないだけだ。簡単に文章で描写できるかどうかと、その描写を読んだ人間が簡単にイメージできるかどうかと、10人以上の人物の席順を記憶し続けられるかどうかと、多少読者に負担を強いてでも文字情報だけで表現することに意味があるのかどうかは、全て別問題である。
真に読解力を要求している部分が別にあると考えていれば、表面的な描写では分かりやすさを優先することもあるだろう。クソ文系の言うことなので喩えとして不適切かも知れないが、数学の研究をしてる時に計算を全て暗算で行う必要がどこにある?試験じゃあるまいし。
第三に。これがわたしにとっては本題なのだが、「もし仮に本当に作家にとって『楽』な手法があったとして、それが即ち受け手の『損』につながるのか?」
本題と言っておきながら申し訳ないが、この話については問答無用で結論を出させてもらう。
そんなわけはない。以上。
我々読者は別に、作家が血ヘド吐いて苦労する姿が見たくて金を出している変態ではないし、執筆の苦悩によって放出される負の精神エネルギーを食べて生きる謎の暗黒生命体でもない。作者の「楽」そのものを批判しなければならない理由は何一つない。問題となるのは常に、できあがった作品が作品としてどうであるのかだけだ。たとえ片手間の思い付きでも効果を発揮するなら賞賛されるべきだし、どれだけ時間をかけて心血を注ごうが、残念ながらつまらないものはつまらない。
これは、アニメ制作会社シャフトの作品に対する「手抜き」という批判についての話にも似ている。シャフト作品では文字や止め絵を使った演出が多用されていることへの声だが、作画枚数などのコストをなるべくかけずに印象的な演出が実現できるのなら、それを選択することに何の問題があるだろうか*3。
こうした過剰で無意味な勤勉至上主義がラノベやアニメに限らずあらゆる創作分野、いや、現代社会全体を覆っていると考えるのは、さすがに話を広げすぎだろうか?広げすぎですね。社会(笑)
話を戻す。
わたしには元発言者及びその同調者が「安易だ」「丸投げだ」「逃げている」「卑怯」「ズルい」と作者が楽をしていることそのものを批判しているように見えた。もしもそうではない、この認識がそもそも間違っていると反論したいのであれば、あそこで図を挿入することによって作品からいったい何が失われているのかをこそ詳しく具体的に語らなければならないだろう。図を入れることのメリットの方が既にさんざん言葉を尽くして語られている以上、分の悪い勝負ではあるが。
まあ目に見えるデメリットとしては、たかだか(彼らの考えるところでは)不必要な図を挿入した程度で拒絶反応を示す潔癖な層がここまで大量に現れてしまったこと自体がそうだとも言える*4。このリスクに対する作者の読みはやや甘かったのかも知れない。
平坂“読”なのに!
死にたい。
以下余談。
この話題に関連して「分かりやすければいい、面白ければいいという姿勢が行き過ぎると、ラノベがいずれ小説とは完全に別物になってしまうがラノベファンはそれでもいいのか?」といった意見を幾つか見かけた。この問いに対するわたしの答えはこうだ。
……ならねーよバーカ!良くも悪くも現状まだただの小説でしかないラノベをベースにした「小説とは完全に別物」のしかも商売として成立する「何か」だぞ!?できるもんならやってみやがれ!小説舐めんな!
いや、本当に実現するなら見てみたいけどね。ラノベから生まれる小説2.0。素敵じゃないの。ラノベ作家の皆様、これからもガンガン「行き過ぎ」ちゃって下さい。
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