結果は「世界一のオリンピック」を主張した舛添知事の出現を許し、安倍自公政権の暴走ともっとも危険な原発推進勢力を勢いづかせてしまった。この一戦に敗北すれば、惨憺たる状況を招くという危機感が、統一候補実現に懸けたわたしたちの悲願の背景だった。残念ながら、結果は運動の分裂と細川、宇都宮両候補の敗退となった。
なぜ、脱原発派の統一ができなかったのか、どうすればつぎは選挙で脱原発派が勝利を収めることができるのか。その分析と未来構想をつくりだすことが、選挙に勝てなかったものの責任だ、と思う。以下は、「脱原発都知事を実現する会」がなんどか討論し、時間軸に沿って経過を厳正に調査してまとめた事実である。
この聞き取り調査(新聞記事等の精査を含む)で判明したのは、いくつかの市民運動が統一候補を探している間に、すでに政党が意中の候補の擁立を準備し、発表のタイミングを狙っていたという事実だった。これはほとんどの人たちの知らない政治状況だった。わたしたちがいまこの事実を明らかにするのは、決して暴露 のための暴露ではない。つぎの運動を生み出すための避けて通ることのできない苦しみとしてである。候補統一への動きにたいする執拗な非難は、これらの隠された事実があったからだったと、いま理解出来る。
市民運動はひとりひとりが対等の関係にあり、ひとりひとりが責任を持ち、支配されず支配せず、公明正大、ガラス張りでの話し合いによって、辛うじて成立するもののはずである。
今 回の選挙は事前に想像されたように、脱原発派ふたりの候補と舛添候補との票差がわずか一割という結果に終わった。即時原発ゼロを願うわたしたちは、原発ゼ ロを敢然と掲げ、原発隠し選挙に挑戦した細川候補を推して戦った。が、ついに統一できず、力の分散が票の拡大を阻害していた。
とすれば、次回選挙は、市民運動のオープンな候補者選びと協力関係の構築なしに勝つことはできない。政党による潜航的かつ強力な指導による運動から、信頼を基にした市民の主体的な運動へ。その実現の追求がわたしたちに必要な総括である。
2014年5月