■ おおブレネリ
<スイス>
O Meiteli, liebs Meiteli
O meiteli, liebs Meiteli, wo hesch au du dis Hei ?
"Es liid im liebe Schwyzerland und ist vo Holz unt Stei,
Wenn's waetteret, wenn's broenneret, so schlods bi eus nid i,
Es mueesst au gar e boese Sturm, es Grebelwaetter si !"
Di-ri-ril-lel-lal-lal-la ...
O Meiteli, liebs Meiteli, wo hesch au dis Haerz ?
"Es ist mir huett abhande cho, i gspuere no de Schmaerz.
Si hend pfifelet, hand truemmelet und's Schwyzerfaehndli gshwaenkt,
do ha-n-is der erste Freud im Traengtrommpeter gschaenkt."
Di-ri-ril-lel-lal-lal-la ...
O Meiteli, liebs Meiteli, wo hesch au di Verstand ?
"Dae ha-n-i au zum Haerzli gae, 's gohd bedes mieteinand.
Und chond er nid und will er nid, so isschs am Aend jo gliich.
Und gib i ke Soldatefrau, huerote tue-n-i gliich."
Di-ri-ril-lel-lal-lal-la ...
日本ではスイス民謡といえば真っ先にあげられる歌だが、なんと地元スイスではほとんどといってよいほど歌われておらず、レコードにも歌集にもまずはいっていない。1969年に来日したスイスで指折りのケルンザー少年合唱団でさえ、まさに地元のルツェルン周辺の民謡であるのにそのレパになく、日本側の注文で急きょ取り上げることになったものの、その演奏はつけやきばの域をでるものではなかった。
さて、いろいろ探しまわったあげく、1961年出版のガスマン編の民謡集にようやくその歌の元歌を見つけ出した。それが楽譜に示したもので、われわれが歌っているものとちょっと違ったメロディーである。歌詞の大意は、
娘さん(ブレネリ)あなたの家はどこにある。
“私の家は愛するスイスに木と石で作ってあるの 雷も稲妻もあらしがやってきたって こわれやしないわ”
娘さん あなたの心はどこにある。
“今日私はなくしちゃったの まだ胸が痛むのよ 兵隊さんたちは笛を吹き太鼓をならしてたわ 私は輜重兵のラッパ手にはじめての喜びをあげたのよ”
娘さん あなたの理性はどこにある。
“心といっしょに、私は頭もあげちゃったの 多分それは私のところに帰ってこないわ 私はもう決して兵隊さんとは結婚しないわ”
原曲は以前からあったようだが、詩人で当時国民軍中尉であったツィベリ Zyboeri がこれに歌詞をつけて、1910年にルツェルンで出版した。第1次大戦になって。彼は戦場にいる彼の仲間にこれを贈ったところ、この歌詞が受けて現役兵仲間にかなり愛唱されたらしい。その後ツィベリは曲そのものに満足できず、何回か改作しては発表したが、あまりパッとしなかったようである。このほか、メロディはしばしばマーチ曲として演奏されるが、これも古くからのままのものか、途中で改作されたものかは不明である。
とにかく、ツィベリによって作詞されたこの曲が、第1次大戦前後に兵士たち、さらに学生たちの間に一時的に広まり、ついで、その改作されたメロディーの一つがアメリカに伝えられて、原名の“おお娘さん”がスイスの女性名フレニ Vreni の愛称 Vreneli (正式にはフレネリ)に変わって、ガールスカウト歌集“Ditty Bag”(歌の小箱)に登場した。これがアメリカでレクリエーション・ソングとして流行し、その方面の経路から、日本ではYMCAの歌集である「楽しい歌」に松田稔さんの訳でおめみえした、という次第だ。当初は1番だけがつけられていたが、その後、うたごえ運動の高揚期に東大音感合唱研究会の人たちが2番以下をつけ、いっそうポピュラーなものになった。