Xanaduプロジェクトが、実際に触って試せるハイパーテキスト環境 OpenXanadu をリリースしました。Xanadu とは、米国の哲学者テッド・ネルソンが1960年に提唱したハイパーテキストプラットフォームの名称。

現在のウェブが発明されるよりはるか以前に、あるゆる文書間の相互参照や引用、今でいうバージョン管理やユーザ認証、課金処理なども含んだ壮大な構想として発表されましたが、実際の開発プロジェクトは遅々として進まず、プロジェクト発足から50年を経てもまだ使えないという、伝説のキングオブベイパーウェア扱いでした。
最初のXanadu構想は、巻物や本、ペンやインクというハードウェアの制約から生まれた伝統的な「文書」が、複製や相互参照や書き換えが可能なコンピュータネットワーク上のテキストに進化することで何が可能なのか、どうあるべきかという考察から生まれたプロジェクト。

具体的には、文書どうしを結んで相互参照するハイパーテキストの仕組みを中心としています。現在のウェブで使われる「http://」は「HyperText Transfer Protocol」の略ですが、この「ハイパーテキスト」という言葉を考案したのもテッド・ネルソンです。


しかし、構想としては壮大でも当時のコンピュータやネットワーク技術からは先進的すぎて需要もなく、プロジェクトは開発者の離散やスポンサー探しの問題でなかなか進まず、完成どころか説得力のあるコードをリリースすることもないまま、ある時期を過ぎてからは残留した開発者だけが細々と続ける趣味のようなものになり、世間的にはコンピュータの歴史トリビアで「最年長ベイパーウェア」として扱われるだけの存在となっていました。


ザナドゥが普及しなかったどころか忘れられたかわり、現代ではいわゆるウェブ、wwwがハイパーテキストとして普及しているのはご存知のとおり。www は Xanadu構想よりずっとあとの1990年代に、CERNのティム・バーナーズ=リーが研究者どうしのデータや文書共有の仕組みとして考案したwww が元になっています。

wwwが普及した背景としては、実用本位のシンプルな仕組みとして生まれたこと、フリーでオープンな仕様としてボトムアップに進化できたことが挙げられます。一方で Xanadu構想にも、ウェブにない仕組みがあり、常に双方向で途切れないリンクの仕組みや、アクセス制御やロイヤリティ管理、ユーザー認証など、現在で言えばプロトコルだけでなくアプリケーションやサービスとしてさまざまなレイヤで個別に実装されるものまで、ある意味で現在のウェブの抱える問題も視野に入れてはいました。


というわけで今回やっと出てきたXanadu はどんなものかといえば、ある意味でライバルであるウェブの上に、ブラウザから操作する「OpenXanadu」としてリリースされました。具体的には、ひとつの文章(中央の " Origins, by Moe Juste" )と引用元の文書がマルチコラムで並び、引用関係がグラフィカルに示され相互に辿れる文書ブラウザのようなもの。

名前に Open が付いているもののオープンソースでは(今のところ)なく、ユーザーがXanadu文書(Xanadoc)をどんどん書いて増やせるプラットフォームにもなっておらず、現在は奇妙な文書ブラウザの固定デモといった趣です。なお、マウス操作には非対応。ブラウザで開いたあとは方向キーとスペース、シフトで移動します。

これを見せられたところで今さらどうしろと?的なデモではありますが、教科書のなかのあの一節だったXanaduが曲がりなりにも実際に試せるようになったことで、情報科学の歴史を振り返るきっかけにはなるかもしれません。

(蛇足ながら、壮大さと非現実性から Xanadu という言葉は桃源郷的なイメージを持つようになり、18世紀のロマン派詩人サミュエル・テイラー・コールリッジはネルソンのXanaduから想を得て、幻想詩『クーブラ・カーン』に壮麗なる歓楽宮Xanaduを登場させています。オリビア・ニュートン・ジョンの曲やコンピュータゲームのXanaduシリーズもこの幻想郷のイメージから。下は無関係なXanadu 動画2本。)