私はちょっと遠回りして社会人になろうとしているけれど、これはすごく恵まれたことだと思っています。私の場合は進学でしたが、何かの節目で資格を取ろうと思ったりアーティストを目指したり、人の生き方には色々あります。
偶然にも私は親や周りの許しを得て大学を卒業してからさらに進学して資格を得るまでに至ったけれども、きっとこれは誰でもできることではないと思う。私は親族のおかげで大学は奨学金を取得せずに通うことができたし、専門学校に通う間の生活はほぼ親に支えてもらっていたようなもので、もっと生活に困窮していたらそんな道は選べなかったし、他人の許しと支えによって今の自分があるのだと思います。
だから私が発する言葉を「甘ちゃんが生意気なんだよ!」と思う人がいて当然だなぁと思います。この進路を選べたから経済できたことや知ることができたことを大切にしていくことが、私を支えてくれた人達への恩返しのように思うのです。
それで。
自分がやりたい道へ進むときに決めていたことがありました。
「勉強つまらない、勉強したくない」
そう思っても、絶対口に出さないようにしてました。そもそも大学を卒業してそのまま就職する道だってあったわけですから(むしろそちらのほうがメジャー)、自分が好きで選んだ進路を否定することだけはしないように気をつけてました。これは資格を取得するまでのお話ですが。働き始めたらどうなるかわかりませんからね。
誰かに勉強を強いられていたわけでもなかったですし、自分が選びたくて選んだのだから投げ出すことはしないように気をつけてました。「勉強つらい〜」とは良くいいましたけど笑
ここで言いたい「遠回り」とは、一般的な生活スタイルから離れて自分の進みたい道へ進んだときのことを指しています。結果的にその人にとっては夢への最短ルートでもあるのかもしれないけど、きっとそれって多分あとで気づくことなので、今日のテーマとは別物と考えています。
遠回りを選ぶと誰でも応援してくれるわけではありません。時折批判的な声も聞こえてきます。余裕があっていいわねとか、私の場合だったら働きたくないだけじゃないのとか言われました。でもそう言われてしまうのも仕方ないなぁと思いましたね。一般道じゃなくて脇道に入っていくような生き方をしていたら、「脇道行ったって意味ないわよ」と声があがるのも当然だなぁと思いました。
そんなことを言われたときは畜生めー!と思いながら、絶対結果を出してやるとバネにするようにしました。遠回りをするということはそういった声も受け入れていくことなのだと思います。
私は自分が周りに許してもらえた分、同じ様に将来子供がそういう道を選べるような経済的ゆとりを持てるように...とか考えてるとまず相手探さないといけないということに気づいて闇堕ちします。なので今できることは、同じ様に遠回りを選んだ人達を応援することだと思ってます。
遠回りが自分にどんな結果をもたらすかはわからないけど、自分がそうしたいと思って選んだのなら頑張れ!私も頑張る!という気持ちです。
1年後は難しいかもしれないけど、10年、20年後に遠回りして良かったと思えるようにしたいですよね。はい。頑張ります。私頑張るので、あなたも無理のない範囲で頑張ってください。
私は遠回りをする人達を応援します。