優れたエンジニアが評価されにくい理由
■とある勉強会の打ち上げでの一言
「なんか、凄いエンジニアがいっぱいいるけど、話を聞くと、みんな会社での評価は低いんだよねー。」
とある勉強会の打ち上げの会話での一言だった。その時の周りにいた人が、一人が本出してるような人、一人がすんげー有名なコミュニティーでいろいろとやってる人、もう一人が関西IT界のアイドル”M”氏だった。
凄いなぁと思うメンツが満場一致でこの一言に納得していた。エンジニアの待遇の悪さを実感として感じた。そんなことで、優れたエンジニアが会社で評価されにくい理由を考えてみようと思った。
■成長は望まれているのだろうか
どこの会社でもそうだが、成長、拡大、発展、そういうことをスローガンのように打ち立てている。だが、個人単位で見ると、本当にそれを望んでいるのだろうか?前からそういう疑問を持っている。
例えば、新しいシステムを入れようとすると「新しい操作覚えるのがイヤーー」という声が上がることが多い。難しい事を説明すると、「もっと簡単にーー」と話を深く聞く姿勢すら見せない。新しい仕組みの話をすると、現行に固執してリスクをつらつら並べるだけだ。
年収や待遇のアップは望むが、本質的な改善を望んでいる人は極小数だと思う。悲しいが、これが現実だ。スキルを高めて成長を追及するエンジニアなら、話が合わなくなっても不思議は無い。本業のスキルよりも、話を合わせるスキルがなければ状況を乗り切るのは難しい。
■改善策とは破壊だ
あたりまえだが、新しい仕組みができれば古い仕組みは消える。創造と破壊は表裏一体だ。何かを得るためには必ず対価が必要だ。だが、現代人は一方的においしいところだけを取ろうとする。そして、デメリットになる部分をものすごく嫌う。よく考えてみると、かなり子供っぽくヌルい思考と言える。
新しい仕組みを提案して導入するというのは、角度を変えて見れば、古い仕組みの破壊だ。新しい仕組みを理解できなければ、単なる破壊行為にしか見えない。拒絶されても当然だと思う。
新しい仕組みを理解するにもセンスや労力が必要だ。自分の仕事をこなすのに労力を使い切ったような人たちが、更に新しい仕組みについて積極的に労力を割くとは思えない。ましてやセンスを磨くほど熟考する余裕も無い。
■理解は求めても得られない
優れたエンジニアが会社に認められるにはどうすればいいのだろうか。私としての答えは、会社に評価を求めてはいけないということだ。理解を求めようとすればするほどドツボにハマる。今はじっとこらえて、自分の本質的な技術力を磨くべきだと思う。技術とは、評価への保証ではないのだ。評価だけが欲しいなら、技術力とは違うアプローチを模索すべきだ。
現代社会がこれだけヌルいやり方で通じるのは、先人たちの築いた実績があるからだ。この実績が尽きた時、必ずいろいろな仕組みが崩壊する。その時に本当の実力が試される。単なる知識や過去の実績ではない。今、何ができるか。解決のための手段はあるか。それがシビアに問われる。そういう機会が来た時のために、最大限の準備をしておく。それでいいと思う。
あと、もうひとつ別の解決策がある。理解できる人達で集まって、協力すればいいのだ。優れたエンジニアだと思うのなら、ぜひ勉強会やコミュニティーの活動に参加て欲しい。そして、理解しあえる人同士で協力して、会社ではなく社会に訴えるくらいのものを作ったらどうだろうか。
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