ここ3年渡邉英徳さんに呼ばれて首都大で「デザインマネジメント」の授業で特別講義をしている。今年も先日やってきた。まあ内容はいつもの団地トークとかなんですが。1年生向けに団地談義はショックが大きかったかな。
「ヒロシマアーカイブ」や「ナガサキアーカイブ」、「東日本大震災アーカイブ」などのすばらしい作品で知られる渡邉さん。先日「データを紡いで社会につなぐ」を出版もし、すっかり有名人ですが「マッピングナイト」というイベントで一緒に登壇してたり、2003年に当時サラリーマンだったぼくが初めて「大団地展」という写真展を開催したときに会場に訪ねてきてくれて以来のつきあいという間柄なのだ。
で、ひさしぶりに会って準備中の最新作「東京オリンピック1964アーカイブ」を見せてもらったんだけど、これが写真論的にすごく興味深かったのでその話をしよう。
「ヒロシマアーカイブ」や「ナガサキアーカイブ」、「東日本大震災アーカイブ」などのすばらしい作品で知られる渡邉さん。先日「データを紡いで社会につなぐ」を出版もし、すっかり有名人ですが「マッピングナイト」というイベントで一緒に登壇してたり、2003年に当時サラリーマンだったぼくが初めて「大団地展」という写真展を開催したときに会場に訪ねてきてくれて以来のつきあいという間柄なのだ。
で、ひさしぶりに会って準備中の最新作「東京オリンピック1964アーカイブ」を見せてもらったんだけど、これが写真論的にすごく興味深かったのでその話をしよう。
この「東京オリンピック1964アーカイブ」がなんなのかはこちらを見てもらいたいんだけど、簡単に言うと、今までのアーカイブと同様下のムービーでわかるように、Google earthに当時の報道写真をマッピングしているものだ。
まだまだこれから写真を追加していくということで、目下は「朝日新聞フォトアーカイブ」のものがマッピングされている。で、渡邉さんの一連のアーカイブ作品と比べると、受ける印象が全然違う。なぜかというと、素材がプロの手による写真だからだ。

たとえば上の写真は国立代々木競技場前に並ぶ東京五輪コンパニオンさんたちなんだけど、当然のことながらしっかりした写真だ。(前出渡邉さんのサイトから。写真は「朝日新聞フォトアーカイブ」のもの。以下同様)
一枚一枚は「へー!」って思うんだけど、全部を見ていくと、まるで「写真集」みたいになっちゃってる。プロの報道カメラマンが撮った、とっておきの一枚なので、マッピングしても全体としてみたときに別の意味が浮かび上がる、っていうようなことは起こってない。「ヒロシマアーカイブ」や「ナガサキアーカイブ」、「東日本大震災アーカイブ」などとはそこが全然違う。今後まだ写真増えるそうなので、そうなったときにはまた違うかもしれないけど。
つまり、プロが撮る報道写真は、そのたった一枚で物語を語り、完結している。そのことをあらためて実感した。だからマッピングしてもあんまり意味がない(あくまで現在のところね)。
とはいえただ一点、マッピングして見えてきたことがあって、それは「珠玉の一枚は普通は入れない高い場所から撮ってる」ということだ。

たとえばこの日本橋の上に作ってる最中の首都高の写真や

名神高速道路開通と新幹線とか
いずれも「上から」撮ってる。さっきのコンパニオンさんの写真もそうだ。趣味でも写真を撮る人なら痛感してると思うんだけど、畢竟良い写真とは良い場所に立つことなのだよね。
渡邉さんの一連お仕事で、おそらくご本人が手を動かす喜びを感じていらっしゃるのは、写真が撮られた場所を探し、焦点距離とフレーミングをGoogle earth上で再現する、という部分だと思う。これ、見てると「ぴったり一致してる。うん、すごい」ぐらいにしか思わないけど、すごーくたいへんな作業だよ。この職人的こだわりがアーカイブに一種の魔術的な雰囲気を与えていると思うのだ。
そして、この作業によって、プロの写真がなんだかみんな高い位置から撮られてる、ということをあからさまになった。それが一番面白かった。たぶん他のアーカイブと比べると、この「東京オリンピック1964アーカイブ」の写真が置かれている位置はみんな浮いているはずだ。
ふつう、写真とは被写体こそが情報だと思われているけれど、じつは「撮影者がどこに立っていたか」もそこには写っている。昨今はジオタグが付与されるのがあたりまえになっているけれど、渡邉さんのこの作業は、より鮮明にそのことを明らかにした。これって写真論的にけっこう重要なことなんじゃないかと思うのだ。
まだまだこれから写真を追加していくということで、目下は「朝日新聞フォトアーカイブ」のものがマッピングされている。で、渡邉さんの一連のアーカイブ作品と比べると、受ける印象が全然違う。なぜかというと、素材がプロの手による写真だからだ。
たとえば上の写真は国立代々木競技場前に並ぶ東京五輪コンパニオンさんたちなんだけど、当然のことながらしっかりした写真だ。(前出渡邉さんのサイトから。写真は「朝日新聞フォトアーカイブ」のもの。以下同様)
一枚一枚は「へー!」って思うんだけど、全部を見ていくと、まるで「写真集」みたいになっちゃってる。プロの報道カメラマンが撮った、とっておきの一枚なので、マッピングしても全体としてみたときに別の意味が浮かび上がる、っていうようなことは起こってない。「ヒロシマアーカイブ」や「ナガサキアーカイブ」、「東日本大震災アーカイブ」などとはそこが全然違う。今後まだ写真増えるそうなので、そうなったときにはまた違うかもしれないけど。
つまり、プロが撮る報道写真は、そのたった一枚で物語を語り、完結している。そのことをあらためて実感した。だからマッピングしてもあんまり意味がない(あくまで現在のところね)。
とはいえただ一点、マッピングして見えてきたことがあって、それは「珠玉の一枚は普通は入れない高い場所から撮ってる」ということだ。
たとえばこの日本橋の上に作ってる最中の首都高の写真や
名神高速道路開通と新幹線とか
いずれも「上から」撮ってる。さっきのコンパニオンさんの写真もそうだ。趣味でも写真を撮る人なら痛感してると思うんだけど、畢竟良い写真とは良い場所に立つことなのだよね。
渡邉さんの一連お仕事で、おそらくご本人が手を動かす喜びを感じていらっしゃるのは、写真が撮られた場所を探し、焦点距離とフレーミングをGoogle earth上で再現する、という部分だと思う。これ、見てると「ぴったり一致してる。うん、すごい」ぐらいにしか思わないけど、すごーくたいへんな作業だよ。この職人的こだわりがアーカイブに一種の魔術的な雰囲気を与えていると思うのだ。
そして、この作業によって、プロの写真がなんだかみんな高い位置から撮られてる、ということをあからさまになった。それが一番面白かった。たぶん他のアーカイブと比べると、この「東京オリンピック1964アーカイブ」の写真が置かれている位置はみんな浮いているはずだ。
ふつう、写真とは被写体こそが情報だと思われているけれど、じつは「撮影者がどこに立っていたか」もそこには写っている。昨今はジオタグが付与されるのがあたりまえになっているけれど、渡邉さんのこの作業は、より鮮明にそのことを明らかにした。これって写真論的にけっこう重要なことなんじゃないかと思うのだ。