子どもがいないために廃絶になった高松宮邸の一部で、マンション建設が始まった。
この話、実は、世継ぎを巡る「皇室典範改正問題」にも絡んでゆく可能性が……。
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聞こえてくるのは大邸宅からの鳥のさえずり、そしてドスンドスンという工事の槌音である。
東京都港区高輪1丁目にある昭和天皇の弟、故高松宮宣仁親王の高松宮邸。その敷地の一角にマンションが建ち始めた。
関係者によると、30年ぐらい前には宮内庁職員の住宅だったが、その後、宮家側で2階建ての4棟の住宅を建てて、外部の人に貸していた。
「壊してマンションにする、と知ったのはつい最近です」(近所に住む女性)
買ったのは住商
高松宮邸全体の敷地は約2万1000平方メートル。マンション部分は南側の1800平方メートルで、登記簿で確認すると、05年9月に住友商事が買っており、マンションの建築主にもなっている。
いきさつは後述するとして、どんなマンションになるのか。住友商事に問い合わせをした。
「どんな記事になるのか判断がつかないから」「社内で合意が得られないから」(広報部)
などの理由で回答をもらえなかったが、開発にあたった関係者らによると、地上4階、地下2階、高さ15メートルで、延べ床面積は6653平方メートルと、小ぶり。完成は来年6月。部屋は約40戸で一戸あたり約80〜110平方メートル。「分譲で、周囲の相場よりやや高いレベルの『億ション』」になるという。
皇族の資産をめぐっては、皇籍を離れた旧宮家が生活のため、土地を手放し、プリンスホテルなどの用地になった話が有名だ。高松宮家は、秩父宮、三笠宮とともに戦後も宮家として残されたが、カネをめぐる苦労もあった。
高松宮邸の場合は、終戦直後に敷地の約半分の1万1400平方メートルが国に物納され、残り9900平方メートルが高松宮さまの私有地になった。1987年に82歳で亡くなられた時はバブルの真っ最中。土地だけで評価額が300億円を超えた。相続税はとても支払えないために私有地の9割にあたる8100平方メートルを国に寄贈した。さらに神奈川県葉山町の別邸も住友信託銀行に売却して、相続税を捻出している。
残った1800平方メートルが冒頭のマンションが建つ土地で、高松宮妃殿下の喜久子さまが相続した。だが、その喜久子さまも04年12月に亡くなった。ご夫妻には子どもがいなかったために、こんどは、最後の将軍徳川慶喜の孫でもある喜久子さまの妹ら親族4人が相続することに。ちなみに課税対象の遺産総額は、この私有地を含む18億6000万円(土地分が8億6000万円)で、相続税は約7億8960万円。
将来の“新宮家”に備え?
関係者によると、土地の売却は喜久子さまの遺言だった。
「残しておけば、相続した親族に税などで負担がかかるほか、後にトラブルになるおそれもある。それで、最も心配のない方法を選ばれたのではないか」
売却先は、業界大手の入札で決めた。転売をしないことや、高さは宮邸の木々を超えない、などが“条件だった”と言われている。
もっともマンション部分以外の高松宮邸や、その敷地は現在も国の所有で、そのまま残っている。
このまま、これからどうなるのか? 邸宅では今も4人の職員が住み込みなどで残務整理等をしているが、今後の扱いについて宮内庁は、「検討中」と言うばかり。
『天皇家の財布』の著者、成城大学文芸学部の専任講師森暢平氏は、こんな見通しを示した。
「一般公開も活用もされないままでは、国民にとって無駄な資産だと言えますが、皇室典範の改正問題など新しい宮家の創設が取りざたされるおり、宮内庁としては明言こそしませんが、現状のまま残したい、と思っているでしょう。実際に、ずっとそうするのでは」
(AERA編集部・臼井昭仁)