残業代はゼロか@日経新聞
本日の日経新聞の「中外時評」で、論説副委員長の水野祐司さんが「残業代はゼロか 労働時間論議、広い視野で」というコラムを書かれています。
http://www.nikkei.com/article/DGKDZO72428910X00C14A6TY7000/
水野さんには以前かなりじっくりとお話をしたこともあり、今日の記事も大きな方向性としては正しいというか、あまり外していない記述になっています。
実りある議論をするには、事実関係をしっかり押さえることが必要だ。労働時間をめぐる制度の見直しもそうだ。
新しい制度では残業代がゼロになる。毎月の給料が引き下げられるということだ――。見直し論議が世の中の関心を呼ぶにつれて、そんな声が高まっている。が、本当に、「残業代ゼロ」になるのだろうか。・・・
残業代という賃金規制に関わるところについては、残業代ゼロをヒステリックに叫ぶだけの記事よりもよほどまともですし、とりわけ、
・・・残業代の行方に議論が集中することの問題は、労働時間制度をめぐる本質的な議論が進まなくなる点だ。
というのは、この表現自体はまさに我が意を得たり、なんですが、その先の「労働時間制度をめぐる本質的な議論」がなんであるかというところになると、どうもずれを感じざるを得ないところが出てきます。
・・・労働時間規制の対象外になる働き方では、長時間労働に歯止めをかけることが重要になる。年間の労働時間に上限を設けるなどの方法は検討に値するだろう。
年間の上限も「検討に値する」でしょうが、そんな大枠でどこまで歯止めになり得るか職場の現実からするとかなり疑問でしょう。
このコラムは長谷川ペーパーの具体的な提案にはあまり触れていないのですが、一定のフレクシビリティを含んだ勤務間インターバルのような法的な労働時間の上限設定を避けようとするのはなぜなのか、というあたりにももう少しペン先を鋭く刺してほしいところです。
いや実はそれは明らかで、その後に書かれている
・・・もう一つは正社員改革だ。日本の正社員は職務をはっきりさせず雇用契約を結ぶため、受け持つ範囲が曖昧になる。言われるままに仕事が増えがちだ。過重労働対策は、そうした社員像を改めることがカギとなる。・・・
というところを、企業サイドはまるっきり、これっぽっちも、やる気がないからです。冗談じゃねえ、何でも好きに使える無限定正社員というありがたい存在を何でわざわざ捨てなきゃいけないんだ、と思っているんです。それはかなりはっきりしてます。
それをそのままにして賃金の払い方だけ変えたいという欲望に対して、残業代ゼロがケシカランという後ろ向きの反応だけやってても意味がないし、言うがままに無限定正社員のまま賃金の規制緩和を認めても物事がいい方向に進むわけではない。
だからこそ、そこに物理的な労働時間の上限という規制を導入しながら硬直的な賃金規制の緩和を組み合わせていくことが重要になるのです。
そういう意味でこれはかなり高度な戦略が必要になる物事なのであって、この水野さんのコラムもそのための陣地取り合戦の一環なんですね。
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