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大学祭の時期はたいへんに忙しく、生来がぐうたらの私に取って、ある意味
憂鬱な期間でした。それでも若かったからこなせたようなモノで イベントの類
やパフォーマンスを要求される活動は苦手。先輩曰く「それも信心だ!」とか。
学会員というよりイスラム教徒に近いと云われていたのも否定できないところ
でした。組織はウザいと今でも思っています。でもそれが無かったら、私の様
な狂信者は、何を為出かすかワカリません。”レール”があるから”反逆”があ
るのかもしれない。大学生という奴は常にそんな行動様式にこだわってました。
当時はまだ静大に行くと学生運動のOBらしき怪しげな人もいました。流石に
時代錯誤な事は私にもわかりました。古株の教授の言葉を借りるなら「大学
はレジャーランドではない!」と。確かに 当時の大学は ”ブランド ” であって
学舎ではありませんでした。だから、何かしらの活動に勤しんでいたのかもし
れません。因みにウチ(常葉大学)は 学生運動など全く無縁のノンポリ学生。
いわゆる絵画や工作は好きだったのだが、この学校には美術専修学科と
いうレベルの高いプロ集団が居たため引いてしまった。私は外語科でした。
それにしても、80年代安物カジュアル・ファッションがピンボケで良かった…。
学園祭の風景。静岡も文化祭などイベント華やかなりし頃。手馴れた感じ
ですが、毎晩のように徹夜ができたのは、認めたくはない若さゆえの過ち。
デジカメは疎か、携帯電話すら(一般には)存在しなかった時代。写真は
フィルムなので今より高価でした。現像は早くて一晩掛かりました。それ故
こうした作業風景の撮影にはあまり使われず、残っているものは貴重です。
ビデオカメラの機材は 二人掛で使います。VHSよりベータのほうが画質
が落ちないと言われてました。カメラを構えているのが先輩。私は荷物係。
自主製作映画の撮影中。まだ8ミリが主流でした。 演じているのは女子部
学生局の皆さん。名称は未だ学生局ですが、その勢力は女子部が圧倒的。
大学に程近いアパートの先輩の部屋が いわゆる学生部の”拠点”でした。
御厨子(仏壇)が写っています。創価学会の学生部(静岡第四部)の先輩。
深夜までアフレコ作業中。カセットテープの音声を乗せていく労作業が延々
続きます。MDはまだありません。私達が在学中に 近所のレコード屋がCD
ショップに変りました。ブラウン管のテレビに ビデオデッキが載っています。
役作りをする先輩。「暫し談話を到さん」 膝詰めの対話。叱咤激励。でも、
関西と広島県人の会話は凄い。「わかっとンのか?折伏や!折伏やぞ!」
「学生の本分は勉学」とか云ってましたが、実際は「寝るのが戦い」という
ほど連日の徹夜。無論唱題も連日一時間以上。イベントに限らず、信心が
あるから体験があり、その体験を語ることが折伏になる。そういうものです。
年次が違いますが、他校から応援に来てくれた学生部静岡第四部の部員
さん達。常葉大学(四大・本学)もまだ新設校で浜松大学や富士常葉等は
まだ無く、拠点は東海大海洋学部(三保)に程近い ”勇気塾”と 村松の旧
清水文化会館、旧静岡文化(静岡平和会館)など 使わせてもらってました。
四者分県体制と違って学生部の第四部は第一部を分割する形になってい
ました。静岡大学主体の第一部に対し、東海大学海洋学部や法経短大の
他専門学校など雑多な面々。むしろ常葉大が弱小勢力だったりしましたが
例年県制覇は当り前、この年は東海道方面も制覇。 男子部もライバルで
はありません。”創價學會”学生部 静岡第四部の皆さん、お元気ですか?
憂鬱な期間でした。それでも若かったからこなせたようなモノで イベントの類
やパフォーマンスを要求される活動は苦手。先輩曰く「それも信心だ!」とか。
学会員というよりイスラム教徒に近いと云われていたのも否定できないところ
でした。組織はウザいと今でも思っています。でもそれが無かったら、私の様
な狂信者は、何を為出かすかワカリません。”レール”があるから”反逆”があ
るのかもしれない。大学生という奴は常にそんな行動様式にこだわってました。
当時はまだ静大に行くと学生運動のOBらしき怪しげな人もいました。流石に
時代錯誤な事は私にもわかりました。古株の教授の言葉を借りるなら「大学
はレジャーランドではない!」と。確かに 当時の大学は ”ブランド ” であって
学舎ではありませんでした。だから、何かしらの活動に勤しんでいたのかもし
れません。因みにウチ(常葉大学)は 学生運動など全く無縁のノンポリ学生。
いわゆる絵画や工作は好きだったのだが、この学校には美術専修学科と
いうレベルの高いプロ集団が居たため引いてしまった。私は外語科でした。
それにしても、80年代安物カジュアル・ファッションがピンボケで良かった…。
学園祭の風景。静岡も文化祭などイベント華やかなりし頃。手馴れた感じ
ですが、毎晩のように徹夜ができたのは、認めたくはない若さゆえの過ち。
デジカメは疎か、携帯電話すら(一般には)存在しなかった時代。写真は
フィルムなので今より高価でした。現像は早くて一晩掛かりました。それ故
こうした作業風景の撮影にはあまり使われず、残っているものは貴重です。
ビデオカメラの機材は 二人掛で使います。VHSよりベータのほうが画質
が落ちないと言われてました。カメラを構えているのが先輩。私は荷物係。
自主製作映画の撮影中。まだ8ミリが主流でした。 演じているのは女子部
学生局の皆さん。名称は未だ学生局ですが、その勢力は女子部が圧倒的。
大学に程近いアパートの先輩の部屋が いわゆる学生部の”拠点”でした。
御厨子(仏壇)が写っています。創価学会の学生部(静岡第四部)の先輩。
深夜までアフレコ作業中。カセットテープの音声を乗せていく労作業が延々
続きます。MDはまだありません。私達が在学中に 近所のレコード屋がCD
ショップに変りました。ブラウン管のテレビに ビデオデッキが載っています。
役作りをする先輩。「暫し談話を到さん」 膝詰めの対話。叱咤激励。でも、
関西と広島県人の会話は凄い。「わかっとンのか?折伏や!折伏やぞ!」
「学生の本分は勉学」とか云ってましたが、実際は「寝るのが戦い」という
ほど連日の徹夜。無論唱題も連日一時間以上。イベントに限らず、信心が
あるから体験があり、その体験を語ることが折伏になる。そういうものです。
年次が違いますが、他校から応援に来てくれた学生部静岡第四部の部員
さん達。常葉大学(四大・本学)もまだ新設校で浜松大学や富士常葉等は
まだ無く、拠点は東海大海洋学部(三保)に程近い ”勇気塾”と 村松の旧
清水文化会館、旧静岡文化(静岡平和会館)など 使わせてもらってました。
四者分県体制と違って学生部の第四部は第一部を分割する形になってい
ました。静岡大学主体の第一部に対し、東海大学海洋学部や法経短大の
他専門学校など雑多な面々。むしろ常葉大が弱小勢力だったりしましたが
例年県制覇は当り前、この年は東海道方面も制覇。 男子部もライバルで
はありません。”創價學會”学生部 静岡第四部の皆さん、お元気ですか?