(2014年6月5日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
タイのクーデターは国の評判を著しく損ねた。気の短い陸軍司令官が「国民に幸福を取り戻し、対立を解消する」軍事政権の望みについて屈託なく語る。学者を含む何百人もの人が尋問のために一斉検挙される。
兵士がごく少人数の抗議者の集会を襲撃する。市民は本を読んだり(『1984年』)、3本指を掲げたりする(『ハンガー・ゲーム』)ことで逮捕される危険に直面する。すべてが恐ろしいほど時代がかっている。タイは歪んだ微笑の国になってしまった。
だが、これは多くのバンコク市民、少なくとも大雑把に「エリート」と呼ばれる層とその支持者の目に映る姿ではない。彼らにしてみると、クーデターは、自主亡命しているタクシン・チナワット元首相の仲間たちが彼ら自身の不埒な目的のために民主主義を乗っ取った衆愚政治の時代を終わらせてくれた。
「クーデターが衆愚政治の時代を終わらせた」
中には、軍事独裁政権の下で生きるのを必ずしも好まない人もいるかもしれない。しかし、多くの人は軍事独裁を必要悪、つまり、腐敗と勝者総取りの多数決主義が取り除かれた、機能し得る形の民主主義への序章と見なしている。
タイでまだ大胆に本音を語る数少ない人物の1人でコラムニストのソンクラーン・グラチャンネターラ氏は、こうした見方を厳しく批判する。「人々は民主的な独裁政権に対して非難の声を上げていた」。多数決原理の乱用と見られるものに関する不安の広がりに言及して、同氏はこう話す。だが、本物の兵士の手による本物の独裁政権について同じくらい心配している人はほとんどいないようだと言う。
だが、タイのエリート――大雑把に軍部と官僚と君主制主義者として定義されている、不完全だとしても便利な言葉――の多くがなぜタイ式の民主主義をそれほど不快に思っているのかは、考えてみる価値がある。
すべては大物実業家から政治家に転身したタクシン氏が2001年に首相になった時に始まった。当初はエリート層の一部から支持されていたが、急速に支持を失った。タクシン氏は、自分自身や取り巻きの会社においしい話を振りまき、腐敗していると広く思われていた。
タクシン政権は人権侵害で非難された。恐らく最悪だったのは、多くの人が、タクシン氏の権力掌握と利益供与を国王に対する冒涜と見なしたことだろう。