私の生まれた世代には名前が無い。氷河期世代と、ゆとり世代のあいだ。
(1982-87年生まれ。いちおう“プレッシャー世代”と呼ぶらしいことは、数ヶ月前に会社での世間話の流れで調べて知った。)
新卒の就職活動に関しては、たまたま運の良い時期で、私は「学生時代は勉強を頑張りました(学生なので…キリッ)」という具合でもすぐに内定を貰えた。
大学受験に関しても、センター試験の英語にリスニングが導入される前で、国公立大・文系については科目数も少なかった。
むしろ私たちの方がゆとり世代なんじゃ…?と思うけれど、卑怯な大人なので黙っている…。
ちょうど女子高生ブームの頃に女子高生だったけれど、田舎に住んでいたのであまり楽しめなかった。
今よりは女子大生ブームっぽい頃に、東京で女子大生をやれたのは良かったけれど、MARCHの華やかな女子大生に嫉妬したりなんかして(以下略
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私が惹かれるのは、団塊の世代だ。
全共闘、学生運動。若者が、世の中を変えようと動いた時代。
あの時代を描いた小説や映画にもいくつか触れた。『マイ・バック・ページ』『ノルウェイの森』『69 sixty nine』『時をかける少女』……。
1969年には、東京大学が入試を中止するほどの騒動。それだけで、強烈なインパクトがある。
しかし、いまだに、なぜ若者があれほど熱心に政治的活動をし、また“自分たちの力で世の中を変えるかもしれない”と信じ込めたのか、ということについてはいまいち理解できない。
今日たまたま、そのことについて頭の良い友だちに「どうしてだと思う?」と聞いたら「“SNSが無かったから”じゃないですかね」という答えが返ってきた。
LINEもFacebookもmixiも携帯メールもポケペルもない時代。いつの時代も、繋がりたい若者。いい加減な返しだったのかもしれないけど、含蓄のある表現だった。
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私の父は、あの時代に東京にいた。
ただし、そういう運動とは無関係な学生生活を送っていたらしい。
学生時代の話を聞いても、いつも同じエピソードしか話さない。
なんとなく箔が付く、という理由で東京の大学に行かされ、何を学ぶかも、その後の進路も決まっていた人だからかもしれない。
(よく調べたら、父は“しらけ世代”に片足突っ込んでる年齢だった☆)
父はあまり文化的な趣味を持たない。本や音楽や映画などに、あまり興味がない。悪い意味ではなく。
一方、母は非常にそういったものが好きで、クラシック音楽の古いレコードや書籍を楽しそうに手入れしたり、二人でドライブをする時は懐メロが流れていたし、「あら、この本、私も昔読んだわよ」という話が出来る。
父とはそういう話が出来ない。
だから、父との共通点である東京の中で、あの頃の東京みたいなものに触れるのは楽しい。
レコードショップやジャズ喫茶に行くのが好きだった。(ただし実際のところ、レコードの手入れも、ジャズについてもよく分かっていない。)
今でも、昭和レトロな喫茶店は好きだし、渋谷のんべい横丁や新宿ゴールデン街は歩いているだけで楽しいし、たまには銭湯も良い。
最近気付いたのだけれど、東京タワーはいつ撮っても同じように写る。だとしたら、あの頃の父の目にも同じように写っていたのだろうか。
そうだ。
一度だけ、父と車に乗っている時に私がMDでザ・テンプターズの『神様お願い』を流したら、「おお」と嬉しそうな顔をして歌ったことがあった。してやったり、だ。
両親については、まあ色々あったけれども、
決められたレールの上を走り続けた父と、社会で認められることより家庭を選んだ母と比べると、私はだいぶ自由にさせてもらったと思う。
自分たちの子どものことだけでなく、親族のことまで心配し、世話を焼く2人には頭が上がらない。
父のいた東京を探しても、母の親しんだ本を読んでも、まだ大人になれていないことを情けなく思う。