一頃、私の周りでは、YouTubeにアップされている風見慎吾の〈涙のtake a chance〉のダンスが異様にウマイというので、ちょっとした話題になっていた。
私が小学3年の頃にヒットして、なんとなくは覚えていたが、改めてチェックしてみると、確かに並の動きではなく、その後のタレント活動しか知らない人は、本当に同じ人なのかと目を疑うに違いない。
スタイルに時代が感じられるのは否めないが、ムーヴのキレというか、勘所のつかみ方には、キャリアの浅さからするならば、才能としか言いようのない「雰囲気」が感じられる。特に、チャート・アクションも末期の、段々と悪ノリ的に振付が歌と乖離してきた、〈ザ・ベストテン〉出演時(10位)のヴァージョンは必見である。
この映像を見ていると、色々なことに気がつくのだが、すぐに分かるのは、ほとんどシュールなほどにあからさまな「口パク」で、歌とダンスとは、どう考えても無理のある一人二役であり、その後しばらくして、潔くダンスはダンス、歌は歌と役割が分担された、trfやEXILEのようなグループがJ-POPシーンに登場してくるのも、なるほどと改めて納得される。
他方で、さすがにこれほど開き直ったバラバラ感は鳴りを潜めてゆくものの、「口パク」OKで、歌手自らが踊りながら歌うというダンス・チューンは、現在に至るまで、それはそれで発展を遂げ続けている。
この数年、すっかりお騒がせセレブと化してしまったブリトニー・スピアーズが、これまた同一人物とは思えないほど輝いていた時代のDVD《ライヴ・フロム・ラスベガス》を観て、私は今更ながら、この「口パク」に興味を引かれた。
かつては、先日の北京オリンピックの開会式ではないが、コンサートに行ったら「口パク」だったというような話は、なにか、許し難いことのように言われていたが、率直なところ、今、アリーナ・クラス以上の会場で、激しいダンス・チューンを躍りながら歌っている歌手を観て、本人が生で歌っているのかどうかを気にする人は、どれくらいいるのだろうか? 冷静に考えれば、人間の限界として、あれだけハードな運動をしながら、息も切らさず、クールに歌なんか歌えるはずはないが、それでもやっぱり、生で歌っているような感じがするというのは、端的に言えば、視覚情報と聴覚情報との統合時の錯覚である。