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自転車で毎日15キロ通った香川、本田は自尊心捨て陸上選手の教えを乞うた…

産経新聞 6月8日(日)16時50分配信

 本田圭佑(27)=ACミラン=と香川真司(25)=マンチェスター・ユナイテッド。サッカー・ワールドカップ(W杯)で日本代表の核となる2人は今季、イタリア・セリエAと英プレミアリーグという世界最高峰の舞台で、思うように力を発揮できず屈辱を味わった。

 だが、苦境を糧に変えようとする強靱な精神力は、2人に共通した強みだ。少年時代に味わった「非エリート」の悔しさと、それをはねのけるための並外れた努力。「はい上がるための術(すべ)」を自ら培ってきた。

 中学入学時に仙台の「FCみやぎバルセロナ」にサッカー留学した香川と、高校入学時にガンバ大阪(G大阪)ユースに上がれず石川・星稜高に進んだ本田。2つの原石は“新天地”で頭角を現した。

 平成16年3月、FCみやぎユースの練習試合を観戦したセレッソ大阪(C大阪)強化部課長の小菊昭雄(38)は、守備的な中盤のボランチながら、前線で得点にも絡む小柄な選手に目を奪われた。

 「まさにチームの心臓だ」。当時スカウトだった小菊は、てっきり高校3年生だと勘違いしたが、「彼は4月に高校に上がるんですけど、楽しみな選手なんですよ」と関係者に聞き、さらに驚かされた。

 「あの子が香川真司君か」。小菊は、関係者から聞いてはいたが、まだ全国区ではなかったその名を胸に刻み込んだ。

 「まさにサッカー小僧」「サッカー漬けの毎日」。高校時代の香川を知る恩師や友人らは、異口同音に語る。殻を破り、飛躍するためには何が必要なのか。少年はひたすら前を向いた。

 宮城・黒川高1、2年生のときの副担任、太田祐一(39)は、雪の日でも毎日自転車で登校してくる香川の姿が印象に残っている。「片道で15キロぐらいあるのかな。結構アップダウンがあって、1時間ぐらいかけて通っていた」。通学自体を足腰の鍛錬に費やした。

 FCみやぎの練習では、誰よりも早く練習場に行き、誰よりも遅くまで残った。「寮ではドリブルしながら廊下を歩いていたりしていて、ボールを触らない時間があるのかなと思うくらいだった」。同期生で、現在は同チームのコーチを務める佐々木俊輔(25)は舌を巻いた。

 香川が2年生になる頃には評判が広まり、Jリーグの複数のクラブから練習参加が打診された。「来年になれば間違いなく争奪戦になる」。小菊は香川の才能にほれ込み、「磨けばダイヤモンドになれる選手だ」と上司に獲得を進言。18年、Jクラブの育成組織出身者を除けば初の高校生Jリーガーが誕生した。

 「僕を使ってもらえますか」。14年、星稜高に進んだ本田は、初対面のサッカー部監督、河崎護(54)にいきなり問いかけた。強烈な自負。河崎は「親ならまだしも、まさか本人からとは」と驚いた。

 当時の同校は、石川県内では圧倒的な強さを誇っていたが、全国大会では初戦〜3回戦敗退が続いていた。全国の舞台に近く、なおかつ伸びしろのあるチーム−。本田は、新たに見定めた「プロへのルート」で存在感を発揮しだした。

 「ここへボールを出して」「このタイミングで動いてほしい」。上級生にも物おじせずに要求した。日本代表でもACミランでも、積極的に意見する男の片鱗がすでにあった。

 だが、意外な一面も見えてくる。

 1年生の秋頃、同級生の陸上部員、三輪真之(28)は本田に頼み込まれた。「スタミナが課題やねん。サッカー部の練習だけでは補われへんし、朝練に交ぜてもらってもいいか」。以降、遠征時などを除き、平日の早朝6時から毎日自主トレに参加した。

 長距離ランナーの三輪は早稲田大に進み、箱根駅伝にも出場したほどの選手だ。当初の本田を「走り方も悪く、ゆっくり走っても500メートルもついてこれなかった」と振り返る。

 しかし、本田は走りながら、三輪に「どうしたらいい」「具体的にどこが悪いねん」と謙虚にアドバイスを求め、フォームを改善。入学後の体力テストでは1500メートル走で6分ほどかかっていたのが、2年の最後には4分半に縮めた。

 「何で陸上部と一緒に練習してるんだ」。本田は、周りから揶揄されても、全く意に介さなかった。「ここが弱いからこれに取り組むというビジョンがはっきりしていた」。三輪の眼前に、シンプルに信念を貫く本田の姿があった。(敬称略)

最終更新:6月8日(日)21時0分

産経新聞

 

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