マクロな視点で解説してみます。
0、理由を総括
1、社会の変化
2、学生の変化
3、企業の変化
4、おわりに
※グラフ多め(図が11枚)、5000字超カッチリ系の長文です。
0、企業がコミュニケーション能力を重視する理由を総括
2014年の1月に、日本経団連が発表した「新卒採用についてのアンケート調査」の結果が次の図です。
→図の出典:新卒採用に関するアンケート調査結果の概要
これを見ると、企業が採用選考にあたって重視する点として「コミュニケーション能力」が10年連続で1位であり、近年なおその重要性を高めていることが分かります。
では、なぜ21世紀初頭の日本で企業が学生にコミュニケーション能力を要求するようになったのでしょうか。その背景を大きくまとめれば、次の3点になると思われます。
1、社会の変化
都市化・グローバル化・情報化によって、ヒト・情報の流動性が上昇し、価値観や常識が多様化した。このため、異なる価値観や常識を持った相手とのコミュニケーションの必要性が増した。
2、学生の変化
核家族化・地域空洞化・売買場の変化によって、他世代・他者との接触機会が減少した。これとインターネットの浸透により、コミュニケーション能力の格差が拡大した。
3、企業の変化
機械の進化がもたらした産業構造の変化。第三次産業、その中でも、いわゆる感情労働の占める割合が増えた。
そもそも、同様の文化的背景を持ち共有する価値観が多い者同士では、「以心伝心」「あうんの呼吸」のようにコミュニケーションを介さずとも容易に相互理解が進むため、特段のコミュニケーション能力は要求されません。
しかし、価値観も文化的背景も異なる者同士では、共通の土台が少ないためにコミュニケーションを成立させるのが難しくなり、コミュニケーション能力が要求されます。①②はこのことに関連するものです。それぞれ、順を追って確認していきます。
1、社会を取り巻く3つの変化
①都市化、②グローバル化、③情報化、これらの変化により、「自分とは異なる相手」とのコミュニケーション能力が急速に求められるようになったと考えられます。
①都市化
国内的な変化として、農村部から都市部へと人口が移動・集中する都市化に伴い、見知らぬ多様な人間とコミュニケーションをする機会が増えた。
市部人口 37.3%→86.3% (1950年→2005年)
田舎(郡部)であれば隣近所の知り合いとのコミュニケーションが中心ですが、都会(市部)では「見知らぬ人間」とのコミュニケーションが多くなります。
また、都会は人口密度も高く、田舎に比べて「より多くの人間」とコミュニケーションをとる機会がある。
つまり、都市化によって、求められるコミュニケーションが質・量の両面で変化しているのだと言えます。
②グローバル化
国際的な変化として、生産・流通・消費までを含む経済活動のグローバル化に伴い、商取引において又は多国籍企業内で世界の多様な人間とコミュニケーションをする機会が増えた。
輸出入総額 2倍 (1980年→2010年)
戦後の経済発展により、輸出入総額も右肩上がりに増え続けていましたが、1980年代からは緩やかな伸びとなっていました。しかし、21世紀前後からまた急増しはじめます。これが日本経済のグローバル化の一面を表しています。
ただし、より正確にはGDPとの比率で見るべきなので、そちらのグラフも載せておきます。
こう見てみると、バブル崩壊後はGDPの低成長で内向きになっていた日本経済も、21世紀に入って無理やりにグローバル化せざるを得なくなったという感じなのかなー、とコウモリは思いました。
*1
外国企業との商取引が増えて他国の人間とコミュニケーションをとる機会が増えたり(海外出張など)、多国籍化した企業内でも他国の人間とコミュニケーションをとる機会が増えたり(海外転勤など)、経済のグローバル化は世界の多様な人間とコミュニケーションをとる機会を作り出しています。
③情報化
上記が進展する中で、インターネットにより世界の多様な人々と直接つながりえるようになり、またその影響で各人の持つ常識・価値観のばらつきが深まった。
流通情報量 2倍 (2001年→2009年)
資料:総務省 情報流通インデックスの計量
インターネットの普及等による情報化で、情報の流通量は2倍に。しかし消費量は1.1倍に留まるため、単純計算した「他者と同じ情報を消費している確率」は、2009年では2001年の55%となります。分かりやすく極言すれば、以心伝心で会話が通じる確率は8年のあいだに約半分になったのかもしれません。*2
2、学生の変化
上記で見たように、社会が「自分とは異なる相手」とのコミュニケーション能力が必要となってきた一方で、子どもの成長環境では、「自分とは異なる相手」とのコミュニケーションの機会は減ってきているように思えます。
ここでは空間ごとに分けて、①家庭、②地域、③売買、④ネット、の順番で見ていきます。
①家庭の変化
核家族化が進行しました。20世紀中盤には『サザエさん』で描かれるような大家族の中で祖父母世代との関係やおじ・おばとの斜めの関係などが一世帯の中にあったのが、時代を経るにつれ、『ちびまる子ちゃん』のようにおじ・おばが消え、次いで『クレヨンしんちゃん』のように祖父母も世帯の中から消失していきます。
更に、少子化とともに1990年代から増加しつづけている一人っ子家庭では兄弟も消失します。加えて、住環境が整い「子ども部屋」が与えられることが一般的になり、食事も家族とではなく個別にとる「個食」の割合が増える中、親とコミュニケーションをとる機会・時間も減少しています。
もちろんこれらは典型例をもとに話してきただけですが、日本全体としては、異なる世代との異なる関係の中でコミュニケーションを学ぶ場でもあった家庭から、コミュニケーションの機会が減ってきているといえるのではないでしょうか。
参考データ
平均世帯人員は4.9人→2.56人 (厚生労働白書、1950年→2005年)
大家族などの「その他世帯」35.1%→12.7%(厚生労働白書、1950年→2005年)
児童のいる世帯で「児童が1人」35%→43%(国民生活基礎調査1986年→2005年)
小学校低学年で「子どもだけの朝食」26.8%→40.9%(国民健康・栄養調査結果の概要1988年→2005年)
②地域の空洞化
また、都市化に伴い進行した地域共同体の空洞化により、『ドラえもん』で描かれる空き地のような場所が消失し、ガキ大将がちびっ子を引き連れるような上下世代も含めた地域の子ども同士で遊びコミュニケーションをとる機会は減少しているように思えます。更に、地域の大人が顔を出す場所でもあった空き地などの減少は、ドラえもんにおける「カミナリさん」のような地域の大人に叱られる機会も奪っています。
こうして異なる世代との異なる関係の中でコミュニケーションを学ぶ場でもあった「地域」からも、コミュニケーションの機会は減ってきています。
③売買環境の変化
更に、地域商店である魚屋さん・肉屋さん・八百屋さんや駄菓子屋さんへのお遣い・買い物は、「磯野さん家のタラちゃん、よく来たね」などと値切ったりおまけしてもらったり騙されたりといった柔軟な売買コミュニケーションを学ぶ場でもあったと思うのです。けれど、いまやセブンイレブンなどのコンビニやジャスコなどのショッピングモールへと姿を変えた売買の場所では、全国規模の統一されたマニュアルのもと、子どもでも1人の「お客さま」として安全で画一的な対応をされるようになってきています。
これは、「磯野さんの家のタラちゃん」という固有名と参照履歴ある関係をもつがゆえに柔軟性を持っていたコミュニケーションが、「お客様」という匿名的で入れ替え可能な関係であるがゆえに画一的で硬直した売買コミュニケーションに変化したのだと言えます。
④ネットと上記123がもたらす変化の意味
これら家庭・地域・売買での生育環境の変化にも関わらず、公的な教育機関でのコミュニケーション教育は20世紀半ばから半世紀以上ほとんど変化していません。
ただし、たとえば21世紀現在の日本にあっても大家族は存在しますし、たとえば地域のサッカークラブに所属すればコーチや応援してくれる親たちや競い合う同世代とのコミュニケーションは存在しますし、学習塾に行けばそこの講師や同級生などとのコミュニケーションは存在します。また、コンビニの店員と仲良くなって「賞味期限が過ぎて廃棄する物あるから、あげるよ」などのお付き合いをすることも可能です。
どんな時代のどんな環境であっても、柔軟なコミュニケーションは存在するでしょう。更に言えば、携帯電話やインターネットの普及により、子どもが自分とは異なる世界の異なる世代とコミュニケーションをとる機会は増えているとも言えます。
たとえばyahoo知恵袋や2ちゃんねるのような掲示板で質問して褒められ応援され、はたまた釣られ煽られ諌められ、あるいはTwitterなどのSNSを利用して興味ある大人に話しかけて仲良くなったり、はたまた心無い大人に罵られたり脅されたり。あるいは楽天などのオークションサイトなどで、騙し騙され評価し評価され。それらすべてを通した、「自分とは大きく異なる他者」とのリスクあるコミュニケーションの機会は爆発的に増えている、とも言えるのです。
しかし、これらがかつてと大きく異なるのは、それら多様なコミュニケーションが家庭や地域の中で逃れようもなく「強制」された時代から、自主的に「選択・回避」できる時代になったという点にあります。この「自主的に選択できる」という傾向が顕著にあらわれるのが、ネット空間でしょう。
ネット空間では、自分と趣味の合う同世代の仲良しとだけ安全なコミュニケーションを楽しむことも可能です。SNSであれば前略プロフィールやmixiやtwitterや、あるいはLINEやSnapChatなど、10代・20代の利用者が多いサービスは、安全に仲間内でのコミュニケーションを楽しみたい人をターゲットにしています。
そのため、「自分とは大きく異なる他者」とのリスクあるコミュニケーションに積極的か消極的かによって、その経験に大きな格差が開き、その経験の差が「コミュニケーション能力の格差」となって、顕著にあらわれだした。それが21世紀初頭の日本の状況ではないでしょうか。
企業が「コミュニケーション能力」を重視して採用選考をしているということは、裏を返せば、その項目において「応募者間で大きな差が見られる」ということでもあるからです。
もしも全員が一様にコミュニケーションに関する能力が低いのであれば、その項目では学生間で差が見いだせず、採用選考で重視されるはずがないのです。
3、企業の変化
「社会」の環境や「子供」の環境以外に、「企業」自身が変化したことも、コミュニケーション能力が重視されるようになった理由です。これは、「働くこと」の変化を見れば分かります
以下は、日本人がどの産業で働いているかの人数割合を表すグラフです。
20世紀中頃の一次産業(農林漁業)で働く人が最大多数であった時代から、20世紀後半から21世紀にかけて三次産業(サービス業)に従事する人が最大多数となって拡大し続けています。
つまり、ヒトを相手に働くサービス業従事者の増大に伴い、対人コミュニケーション能力への需要が高まってきたといえます。近年では、対人業務における一側面を強調した「感情労働」というコトバも生まれています。
これは、機械が代替することのむずかしい、人間が優位性を持つ仕事として、いまのところ対人コミュニケーションが残されているのだ、ともいえます。
おわりに
社会の変化、あるいは学生や企業の変化によって、企業は学生の採用選考に際して「コミュニケーション能力」を重視するようになってきました。
その一方で、企業だけではなく、多くの学生や若者自身も、「コミュニケーション能力」を重視し、あるいは重視される状況を忌み嫌っているように思えます。
次回は視点を逆にして、「なぜ若者はコミュニケーション能力を重視するのか」を解説します。
→ なぜ若者はコミュニケーション能力を重視するのか、まとめ (編集中)
追記:この記事は、去年の記事からいくつかのデータをアップデートしてまとめたものです。