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~日韓古代の海の道をたどる~
カラムシ会


                                 カラムシ会食事会  24.12.28掲載

  12月26日(水)カラムシ会の皆さんに案内して今年最後の報告会を兼ねた食事会をしました。 17人の皆さんが参加。旧本郷屋(安い店)が会場です。
 浜田から豊島先生がきて韓国関係者(伴走船等々・・)報告されました。うれしいことに1隻は確実確保となり、また韓国側の受け入れもうまくいくようです。 2月にもう一度韓国へ森・錦織同伴で話をまとめてきます。期日は7月下旬です。
 山本さんの大型丸木舟の報告もありました。「航海にこの丸木舟は使えない」という錦織さんの発言もありました。 危険であっても実験考古学という観点から言えば趣旨に反するという主張です。
 となればとにかく波のない風のない日に一気に渡るしかありません。 天候によっては中止、すべてアウト!ということも考えられます。
 仕事に追われる現代人、また規則だらけの現代ですので運を天に任せるしかないようです。 資金集めも本気でしなければ・・・ということです。
 





                 忘年会について  24.12.11掲載

 からむし会の皆様 錦織です
 
   今年も残りわずかとなりました。そこで忘年会をしたいと思います。
   先日、豊島先生が韓国に行っていろいろ交渉してこられましたので、
   その話も聞きます。
    今年の活動を振り返り、来年に向けての夢を語り合いましょう。

          とき:12月26日(水)午後6時より
          ところ:城西公民館
          参加費:3000円です。

       参加できるかどうかを森会長か錦織まで連絡願います。



  カラムシ会の皆様へ

       きびしい寒さ、年末の忙しさと思いますがカラムシ会の皆様はいかがお過ごしでしょうか今日は2つ報告です。

 ①浜田の豊島先生に朝鮮半島からの航海の可能性について (・・・要するに伴走船と韓国側の受け入れ体制、
   日韓の交渉をする方いなければ 何もできません) プサン、対馬の関係者と再度交渉してもらいました。
    以下、話し合いの様子です。 ・・・豊島先生には今回も身銭で渡韓、関係者に頼んでもらっています。
 ②大社~美保関航海についての県への報告がもう少しで終了します。
   紙芝居の作成、公開活動、領収書類、事業報告等々、かなり厳しい報告が 求められるものです。
   わずか?10数万円(カラムシ会にとっては大金ですが・・)の補助と言えども頂くまでには、報告書の提出ならびに
   説明が求められます。
    口に入るもの等(お菓子もダメ)は一切認められませんので大変です。 必要経費として認められないものが
   かなりあり、事業をすればするほど赤字が増えるという結果になります。 
 

今回お会いした方々(2012.12.36

 金文吉教授 金満根氏 柳賢雄氏 金鐘根氏 チョン牧師

 

今後の予定及び検討事項

  日本側と韓国側での協議をいつ行うか           

  2月中旬と4月頃 2回位予定            

*チャーターヨット1艇は確定。柳賢雄氏に依頼    

    2艇目は柳賢雄氏に依頼中ほぼ確実)   

*宿泊関係 チョン牧師と豊島確認済(135000W位)

   西面かチャガルチ 

  韓国側漕ぎ手の募集及び報酬の件 未定(1万円位か?)

慶釜大学ヨット部及び釜山海洋大学に漕ぎ手の

募集の依頼のための公文が必要(金文吉教授に依頼)

   公文は本部で作成し豊島がハングルに翻訳、金教授郵送する。   

*釜山港-出航地点(松島海水浴場)

   トラック輸送費・リフト費 金満根氏確認中  

*悪天中止の場合の丸木舟の保管管理。

   日本に搬送するか釜山に留め置くか検討中

   (釜山での保管場所を金文吉 柳賢雄 金鐘根氏らに依頼)  

*悪天中止の場合チャーターヨットへの補償の件 検討中     

*対馬側(椿氏や各関係官庁含む)への依頼事項              

   出入国手続き・慰労会・丸木舟の保管管理・その他等

   2月中旬頃に森。錦織。豊島の3人で訪韓・訪対の予定  

  ヨットの燃料及び水・食料費実費が必要                    

     参考:燃料時間あたり4000W位  

*参加クルーへの障害保険 検討中                

*韓国の報道関係(釜山KBSMBCKNN)に横断プロジェクト実施 
要項を今月
24日ころまでに郵送する。金鐘根氏に依頼済  

*日本での募金活動、プロジェクト参加者の人選が必要  

*その他

以上





             伝説航海の紙芝居完成記事 24.12.07掲載

 12月4日の中央新報に「オオク二ヌシの国譲り伝説」航海の紙芝居完成の記事がのっていました。ちょうど錦織さんが「ニワトリの卵は食べない」伝説紙芝居の件で来ていたので記事のことがわかりました。
 最近、忙しいのか新聞を読まないことがあるので知りませんでした。 絵もとても親しみやすくいい紙芝居の時間となるかと思います。
 





       
訃 報 24.11.30掲載

からむし会の皆様 錦織です
とても残念なお知らせです。

からむし会会員の熊谷眞様がお亡くなりになりました。
「からむし丸」のエンジン整備などで献身的に活躍されました。
ウォーキングが趣味で、とてもお元気でしたのに・・・
心よりご冥福をお祈りいたします。
御葬儀は12月1日 15:30より 平安祭典宍道湖会館にて執り行われます。
なお、「からむし会」として花輪をお供えいたしますのでご了解願います。
合掌
     






                 豊島さんとあう  24.11.26掲載  

11月25日(日) 佐陀川で山本さんたちの丸木舟の応援の依頼がありましたが、葬儀があったので参加せず。
 午後、大社でガイドをしている豊島さんに会うことができ、その後の伴走船の可能性などについて聞きました。
 急なことでしたので連絡ができない方もありましたが榊原、内藤、錦織さんの都合がついたのででかけました。
 夕方でしたので時間はあまりありませんでしたが、12月のはじめ韓国へ出かけて確認をされるそうです。
 伴走船がなければ何もできません。資金のめども立ちませんがとにかく前に進まなければ企画自体が枯れてしまいます。 伴走船の見通しが立った時点で皆さんにお集まりいただく予定ですのでご協力よろしくお願いいたします。 
 





                          揖屋、美保関、城西3館交流伝説ウオーキング 24.11.20掲載

  11月17日(土)朝からかなりの強い雨でしたが9;30から3館交流伝説ウオーキングを実施、雨の中、17名が美保関の中を要所、要所で案内の方の説明を受けながらウオーキングしました。
 旧美保関小学校の生活用具等の資料館は、たっぷり1時間説明を受けました。福間旅館さんの2Fで錦織かんべの里館長さんの紙芝居「国譲り神話」を見せて頂きました。絵も素晴らしいものでしたが、説明も上手で皆さん感心!
 昼食はアイガモの炊き込みご飯、アイガモの茶碗蒸し、おさしみ、等々、凝った料理で皆さん大満足、飲物を注文される方もおられました。是非、来年、気候のいい時に美保関で3館がまた会えるよう、皆さん、満足の半日でした。びっしょりズックの中まで濡れましたがいいイベントだったように思います。
 美保関は全国に発信できる素晴らしい観光資源がまだまだたくさんあるなあと思いました。何か、このままではもったいないデスネ。





                            新しい丸木舟の進水式と走行テスト 24.11.20掲載

 11月18日(日)晴れ、但し冷たい風あり
 午前9:00~この春から建造にとりかかっていた新しい丸木舟が完成、進水式をしたいということで出かけました。山本、宮廻さんのお二人の執念で完成したものです。13メートルあり、まさに日本一の丸木舟です。波返し、座席、マストなど、遺跡から出土した丸木舟をモデルとしたものではありませんが、今ある丸木舟の航海経験を参考に建造したものです。
 夏の暑い日、勤めの合間にコツコツ作業をされたお二人の執念には頭が下がりました。山本さんの伴走船も化粧直しと手直しされていました。感心!
 10:00佐太神社のお祓いを受け、無事に式は終了。私たちは森山の港へもう1隻の丸木舟を曳航するために出発。山本さんたちは丸木舟を佐陀川に下ろす作業にとりかかられました。重さは多分600㎏以上?ではと思います。
 そして、夕方、森山港から本庄にイベントに使用した丸木舟と伴走船カラムシ丸の係留作業が終了してから、今日、浸水した丸木舟の佐陀川での航行を手伝いました。安定度もよく、外海でのテストが期待されます。
 もう真っ暗でしたが皆さん、本当に気持ちよく協力してくださいました。新しい丸木舟は佐太神社のお祭りに来る人たちの目に留まるかもしれません。 山本、宮廻さん、作業を手伝ったみなさん、物心両面で協力された皆さんに感謝!






                          丸木舟森山から本庄港へ帰る 24.11.20掲載

  11月18日(日)晴れ 午後13:00森山の横田神社のおまつりのときの丸木舟体験等のイベントとして参加した丸木舟を関係者のご協力で本庄へ曳航しました。森山の永田さんなどのご協力に感謝。
 夕方無事に帰港、それからまた本日、佐陀川で進水した新しい丸木舟の曳航を手伝いました。忙しい日曜日でした。このために休みを取って頂いた榊原さん他、いろんな方にお世話になりました。感謝!





                     アイガモの卵を美保関に届けた記事 24.11.14掲載

 11月14日(水)今日の中央新報に昨日美保関に届けたアイガモのタマゴのことが記事として掲載されていました。
 アイガモがたくさんいても今はタマゴを生む時期ではないとのことで、沢山アイガモがいても1日1個程度だそうです。
 17日はなんとか炊き込みご飯と茶碗蒸しということで皆さんに頂いてもらいます。
 春になるとどんどん卵を産んでくれるそうですので子供向け、若者向け、等々いろいろなメニューが考えられるかも・・・ 
 





                                アイガモの卵輸送 24.11.13掲載

  11月13日(火)八雲の福間さんにアイガモの卵と肉をお願いしていましたが今日、卵10個とアイガモ1羽分の肉を受け取りました。
 奥様にアイガモのタマゴも割って黄身も見せてもらいホットケーキをつくつてもらいました。福間さん宅には学生の手伝いや幼稚園の子供などの見学があるそうです。
 見学もですし、街の人が土に親しむ機会もいいし、アイガモ農家が肉処理などもできて、また料理屋さん、ケーキ屋さん等と連携が出来たら地域つくりになるかも・・・なんてことを想像しました。
 おいしく頂いてから美保関の福間旅館さんへ肉と卵をお届けしました。17日は美保関でウオーキング、クルージング、そして卵料理ということになります。






        国譲り神話紙芝居検討進む 24.11.13掲載

11月13日(火)「ニワトリのタマゴは食べないまち交流」イベントと並行して「大国主のくにゆずり神話」紙芝居の検討も最終段階を迎えています。
 こどもたちにわかりやすくするための言葉使い等々、内容の再検討もほぼ終了しました。
 





 11月13日(火)曇り、雨、肌寒い一日
11日の森山の横田神社のタイ釣りおどりの記事が中央新報に載っていたので参考までにお知らせします。
 
24.11.13 山陰中央新報記事より





                            森山 横田神社のタイ釣りおどり見学 24.11.12掲載

  11月11日(日) 朝から雨、午後かなり強風で森山地区の皆さんを対象とした丸木舟体験は中止。 午後、横田神社の神事を見学しました。   氏子の皆さんが畳をたたくことから始まりましたが、イノシシを追い払う意味だとか? 1年間の氏子のお世話をする方の交代式もありました。 その後、参列者の皆さんは、藻をかる鎌と獅子を先頭に海岸に向かい、一人の方が海のなかに入って海草をとられました。
 途中、獅子にふんした方は子どもたちの頭を食べるしぐさなどして行進。
 神社にかえると神主さんを中心に稲つくりの流れ?豊作の祈り?を表現、モミをまいたり、精米したり、「ハンボ」(ごはんを入れておく入れ物)をかぶったり等々のあと、神主さん3人がえびす様のタイ釣りを表現する動作を行われました。
 船の模型を動かす方、釣り針にぶら下げた小鯛をお参りの方に見せる方など、ユーモラスな動きでした。参拝に来られた地区の皆さん方もとても喜んで笑いのうちに無事神事は終了。 初めて見学しましたが、いいものが残っているなあと思いました。
 中央新報の曽田記者もパチ、パチ撮影、城西公民館の佐々木主事も 神事の一部始終をビデオカメラに収めていました。
 すごい風の中でしたが、雨は降らずいい半日でした。
    





丸木舟関係御案内 24.11.09掲載
 
11月9日(金)曇り、少し肌寒い                                      
午後13:00錦織さん来館、「揖屋・美保関タマゴ交流イベント」関係について相談しました。
 もし時間の余裕がありましたらご協力ください。
カラムシ会の皆様は多忙な毎日と思います。
     もし下記の事業に都合がつかれるならご協力ください。
①11月11日(日)森山の横田神社のおまつり参加                   
 ・10:00 丸木舟乗船体験 :船着き場で       
 現在の参加者:現在 錦織・森2名
 ・15:00 たいつり踊り撮影・・・佐々木・森 現在2名
        ・・・読売新聞記者?
 ※なお11日の夜、浜田の豊島先生が松江で会があるとのこと
  どなたかお相手をしてくださいませんか?
②11月13日(火)                                      
 10:30 八雲へアイガモの卵と肉を買いに→美保関福間旅館に届ける
       ・・・森 中央新報記者?
17日(土)揖屋・美保関・城西(カラムシ会)ウオーキングと遊覧船と食事会
      9:00 美保関公民館前駐車場 会費2500円            
       参加者:現在 森・錦織 2名・・・どなたかあと2~3名必要です。
18日(日)森山~丸木舟を本庄港へ輸送                    
         13:00:城西公民館集合 本庄港から森山へ 丸木舟の曳航         




                     「ニワトリの卵は食べない町交流」の航海 24.11.05掲載

    〇11月2日(土)晴れ、風あり、但し前日の様な強風なし、
     12:00から本庄港へ集合(森、錦織、三島、澤、山内・その他新人石川さんなど2名)
          丸木舟の水のかき出し作業及びカラムシ丸の出航準備・・・燃料3缶注入、本体、船外機のエンジンはすぐかかる
     13:30分:榊原氏の運転で出航、森は車で意東の港へ先回り15:30:無事、丸木舟曳航作業終了(錦織、石川、新人女性)
          カラムシ(榊原、澤、三島)係留作業のあとカラムシは本庄港へ・・森、澤は車、
          夕方:カラムシの係留作業終了後解散・・・三島氏は明日の早朝出航に備えて安来の内藤さん宅で泊まり込み、安来の港へ!
          森は丸木舟の旗探し・・・公民館倉庫で発見、お神酒購入
    〇11月3日(日)おだやか、無風、冬には珍しい日
     午前 4:30 :森は市役所:河原氏をピックアップ
      05:00:錦織、石川、新人女性到着、準備中 揖屋公民館樫原館長、石原氏見送り
          ※読売新聞の岸下さん取材に来ていてビックリ・・真っ暗で誰か分からなかった。大社航海に続いての取材でした。
      05:50:会員(森、錦織、野津、洞井、河原、石川)丸木舟へ 内藤、三島伴走船へ
      07:45 丸木舟大根島の遅江港へ到着、真っ暗なためコースを若干左方向へまちがえたが、時速5~6キロは出たとのこと
             ※澤氏、おにぎりとお茶購入して全員で岸壁に車座となり休憩、波もなく、風もなく、あったか、公衆トイレで放水後出港
             ※森、澤両名は船の墓場?(たくさんの小さな廃船が野積みにされている)であれこれ感想、近くではスズキ
      9:25 途中曳航、森山の近くから自力航海、永田さんたち森山の関係者が待機、
          到着予定の10:00にあわせるため、もう一度沖に出る。
        ・出迎えは前回到着時には及ばず。 巻き上げ機で丸木舟を引き上げてもらい神社に向かう、
         神社でタイ釣り踊りに関わる神事の説明や神社の由来をお聞きした後、茶菓の接待を受けるの意東港へ送る。
        ・内藤、三島氏は安来の港へ、各自、車の手配をして解散。
        ・読売記者もまた松江から取材、最後までお付き合いくださいました。感謝!  12:00帰宅。
     ※11日は神社のお祭りで14:00~神事があるとのこと、タイ釣り踊りは15:00位からだそうです。参拝の方は少ないとのこと。
     ※17日は美保の関で3館合同ウオーキング、沖の御前クルージングのあと福間旅館さんで昼食会・・・アイガモの卵料理?
           アイガモの炊き込みご飯を予定しています。3館交流伝説イベントの締めくくりは「紙芝居」制作と公開です。





            アイガモを飼っている福間さんに会えました 24.11.01掲載

 10月29日(月)27・28日の城西まつりも大いに盛り上がり無事終わりました。ラーメン600食、ヤキソバ300食等々、食べ物屋さんはすべて完売雨にもかかわらずすごい人出でした。
 まつりの後片付けもやっとおわりましたので、城西・揖屋・美保関3館交流イベントである「ニワトリのタマゴは決して食べなかった町」企画の一つ、ニワトリの代わりの料理として使われていたアヒルをさがすことにしました。
 結局アヒルさんはニワトリにかなわず日常のお店ではどうやら絶滅。カモとアヒルのあいの子のアイガモということになり、探した結果、八雲にアイガモ農家があることがわかり、訪問。 ご主人の福間さんにお話を聞き、11月17日の3館交流イベントのときのアイガモの卵と炊き込みご飯?用のアイガモの肉をお願いしました。 31日、福間さんからアイガモの写真が送られてきました。
 





                         アヒルはもういない  24.10.26掲載

 10月25日(木) 「ニワトリの卵は絶対食べなかったまち」j交流イベントのひとつ航海、伝説ゆかりの場所ウオーキングにあわせての美保関福間旅館さん協力によるヘルンさん親子に出したというアヒルの卵の料理を計画しました。
 なんとアヒルさんは島根ではもうどこにもいないようです。ニワトリさんとの戦いで絶滅。 カモとアヒルのあいの子であるアイガモさんの卵ということでさがした結果、八雲にその可能性があるということがわかりました。 29日、アイガモの卵を探しに八雲に出かけます。
   





          タマゴは食べない町の交流プロジェクト 24.10.20掲載

 10月17日(水)城西・美保関・揖屋公民館・丸木舟の会(カラムシ会)かんべの里で上記の企画を立ち上げました。
 神話を信じて昭和の初めまでニワトリの卵は口にしなかった町があることにとにかく驚き。 「卵を食べないいわれ」についての再現航海や伝説に関わる場所のクルージング、ウオーキング、紙芝居の制作をはじめいろいろな企画をします。
 さしあたって11月は再現航海、ウオーキング、アヒルの卵料理(揖屋ではニワトリはいけないということでアヒルの卵や肉を食べていたそうですが、いまでもアヒルを飼っている家があるとか・・・) アヒルの卵と言っても食べた経験がない方がほとんどかも・・・





                      釜山~対馬航海についての提案 24.10.01掲載

 9月29日(土)夕方、カラムシ会の皆さんに集まって頂きました。伽耶大学訪問の報告と浜田の豊島先生が韓国側航海関係者と話しあった釜山~対馬航海についての内容をお聞きしました。
 浦項航海は資金的にも今回は断念(伴走船の工面だけでも数百万かかること、途中、曳航では航海の価値が減る等々・・) いたずらに時間ばかりかけるのはまずい!「とにかく可能性のあるものからやってみる、学術的にも意味がある!」ということです。
 韓国側との実務の協力体制もなけねば困難ということもよくわかりました。
 航海の費用もすべて個人持ち、航海に不可欠な資金もギリギリ150万円まであつまればというさびしいお話となりました。
 何日も韓国にとどまり、韓国の知人、友人に協力を求め、またはるばる松江市まで泊りがけでお出かけいただいた豊島先生に感謝!
 あと、有志で豊島先生を囲んでささやかな夕食会をしました。皆さん、車でしたので飲酒は森がお付き合いということになりました。     
   



                      韓国の様子を聞きに浜田市へ 24.09.24掲載

   9月22日(土)駆け足の訪問でしたが、浜田の豊島先生のご努力で韓国のヨット関係者などの様子もわかり、その報告を聞くために浜田まで出かけました。
 1時間ばかり航海の可能性について韓国側の様子をお聞きしました。340㌔航海の浦項の話とは違い、55キロ程度ならなんとか実行できるのでは?というのが結論です。
 韓国側との綿密な打ち合わせ、伴走船の手配等々、資金的にもいろいろ問題はありますが、伴走船についても可能性は高いということです。29日、皆さんに集まって頂き、その話をして来年に向けての方向性を定めたいと思います。





              カラムシ丸危うし!台風16号の影響 24.09.18掲載

  9月17日(月)台風の影響で風が強い1日でしたが、夕方16:00本庄の漁師の中島さんから電話、「カラムシ丸が危ないぞ!」びっくり仰天、榊原さんと本庄山内さんに連絡が付き、カラムシ丸をロープで3か所、固定しました。
 今、使わせてもらっている本庄の港は、入口が南に向いているので南風に弱いという欠点があります。
 カラムシ丸は錨も引きずられたのか、風と波に押されて岸壁と平行になっていましたが、ロープの固定は波が打ち上げる、船は上下に揺れる、風もつよく、結構大変でした。
 カラムシ丸は、一度、転覆した苦い経験があり、今度転覆したらもう修理する事は多分不可能。とにかく維持・管理・廃船処理の費用等、今後のことを考えると頭が痛くなります。はやく丸木舟計画を実現しないと体力的、経済的にもダウンする可能性が増えてきます。
 とにかく山内さん、榊原さんにはお世話になりました。

※丸木舟も大きく傾いていましたが、外れているデフェンダー(発泡スチロール)を丸木舟と岸壁の間に取り付けるのでせいいつぱい、波が荒くて水のかき出し作業は危険なのでやめました。





                  9月3日丸木舟カバー手直し 24.09.04掲載

 9月3日(月)雨の中、熊谷、榊原さんが丸木舟とカラムシの管理作業をしてくださいました。感謝とともに写真を掲載しておきます。・・・森

 降雨のため「からむし丸」の錨につきましては中止しましたが、丸木舟のカバーはキチンとカバーリングしてきました。山内さんも手伝ってくださいました。(写真ご参照)

 何と、山内さんの「アドミラル」の素晴らしい「タイヤフェンダー」のロープがコンクリーの角と擦れて切断、水没してしまっていました。自然の力は強いです。
 少し御竿でサーチして見ましたが、網のクズだけ上がってきました。 榊原正次 
 




  
丸木舟本庄へ輸送完了  24.08.02掲載

8月11日(土)朝7:30、京橋川カラコロ広場に浮かんでいる丸木舟の撤収作業を開始、
熊谷・森。榊原・澤・錦織・エトモ山本・もう一人の伊勢宮?の山本さんです。
サンビル向かい側の川岸に漕いで行き、午後13:00東洋建機のクレーン車到着、
本庄の港まで運びました。
 丸木舟のカバー用にシート3枚を2本の竹でタンカのようにして覆いました。
本庄の山内さんの作業にお付き合い、奥さんの冷たい缶コーヒーの差し入れもあり生き返りました。
 朝は少し雨が降っていましたが午後からは真夏、汗みどろとなりました。
 この作業は皆さん忙しい方ばかりなので都合のつくような方に依頼。
当分は・・・11月の伝説航海(・・・揖屋海岸から森山まで15キロ?)まで丸木舟は休憩です。
     





                               丸木舟航海 24.08.09掲載

 7月21日(土)22日(日)の2日間の丸木舟の航海について簡単な記録を残そうと考えていましたが、次々といろいろな事業が入ってくるのでどんどん日数がたってしまいました。
 天候に恵まれたということでメンバー、伴走船など予定通りにできましたが、1週間ずれるとうまくいかなかったかもしれません。
 まあ、一人のけがもなくなんとか終了、ということで合格点をもらえるのでは? 
  逆風、逆潮などのための曳航した距離とか問題点は沢山ありますが、イベントという意味では成功。 丸木舟の性能試験、乗組員の訓練という意味では課題が残ったと言えます。 
   
          





                     丸木舟の伴走船候補みつかる 24.08.08掲載

 8月7日(火)猛暑 急なことでしたが、知り合いの頼んでいた丸木舟外洋航海に不可欠な伴走船について船を所有する経営者の方とお会いすることができ、その船を実際に見ることができました。
 日本国内の海岸沿いの海なら、たとえ北海道まで航行すると言っても伴走船に関してはあまり心配はいりませんが、いざ、国外、陸から何百キロもはなれた区域を航行できる船というと様々な規則があり、そんな規則を合格できる船自体、簡単にはありません。伴走船がなければ丸木舟計画自体成り立ちません。
 あとは船のチャーター料です。1日に燃料だけでも何十万円、乗組員の手当、船自体の使用謝礼など考えると気が遠くなりそうです。
 丸木舟を釜山まで送る費用も50万円近く必要です。航海は後悔?問題は山積していますが、船自体の候補があったということで航海計画は次のステップに進めそうです。
 スポンサー自体あるかどうかわかりませんが、会員の皆さんの個人負担を含めて相談することが多々あります。
   




               浦項朴市長訪問記事   24.08.06掲載

 5日の中央新報に浦項市からの訪問団の記事が掲載されていました。 松江ではなくて出雲市訪問のことでした。残念ながら松江市の場合一人の記者も来ておられなかったと思います。
 


                             カラムシ会 夏の航海反省会 24.08.05掲載

  8月4日(土)本日も猛暑35度? 急なことでしたが、浦項市長サンとの昼食会の報告や大社航海の会計決算、反省、また浜田の豊島先生が松江市に来られるということもあり、カラムシ会の皆さんに声をかけて公民館で反省会をしました。 急なことでありなかなか都合がつかない方も多数ありましたが、19名の方が参加(・・・2名は終了間近残られた、都合により懇親会には参加せずということで会費は頂きませんでした)、
 航海の会計報告、航海についての反省、今後の計画・・11月の森山神社のタイ釣り踊り参加のための航海・・そのための補助金申請計画、夏の最後の韓国旅行、浦項市との今後の交流は「民間レベルでやるしかないか?」という話題等など・・ 
 懇親会は会費2500円、まさにスーパーマーケットから買ってきたもの、紙コップ、紙皿というムードのないものでしたが 原さんの映像の記録などみてにぎやかな会となりました。なんとか大仕事は終わった感じですが、まだ、京橋川に浮かべてある丸木舟の回収作業が残っています。
 また7日にはエトモの船関係の方と伴走船に関する話をする予定です。 いろいろな方とのつながりでカラムシ会もなんとか動いています。
   感謝!感謝!




                浦項市長さんと松浦市長さんとの昼食会参加  24.08.03掲載

 8月3日(金) 猛暑の中、浦項市の朴市長さんを団長とする浦項市を代表する経済界の代表16名の方が松江市を訪問、松浦市長さん商工会議所の古瀬会長さんたちと昼食会をされました。
 浦項市の方からは観光などを通してお互いに行き来をするといいデスネ。という内容の提案がありました。
浦項には何度か行きましたが、歴史のある50数万人の近代都市浦項はいいところです。松江市の有志を募って浦項市訪問団をつくればいいなと思いました。
 なお午前中ですが、浦項市の皆さんは、掘川遊覧の途中、日韓の旗がはためく丸木舟が川に浮かんでいるのを見て大喜び、 錦織、山本、今岡、どこかの女性?の4人が丸木舟から手を振り朴市長さんと握手をしました。 船を近づけた船頭さんにも感謝!
    それにしても猛暑、36度ぐらい?でぐったりしました。
   





   
国譲り再現プロジェクト  23.07.23掲載

 錦織先生、みなさまからむし号の快挙、おめでとうございます!
そして、お疲れさまでした。
土曜日、東京は秋のように涼しく昼頃から大雨だったので心配していました。
逆風は大変だったでしょうけれど快晴だったのは 出雲の神様のご加護でしょう(^○^)
ほんとうに お疲れさまでした。
ゆっくりお休みいただきまた次の楽しい企画にむけてパワーアップしてください。

からむし会の皆様へ 錦織です
パソコンを打っていてもまだ体が揺れている感じです。
国譲り再現プロジェクトが無事終了しました。
20日から3日間も天気が続いたことが本当によかったです。
逆潮、逆風で大変でしたが、事故もなく美保神社にたどり着けたことはまことに幸せなことです。
参加者の皆様、地元の皆様、数多くの支援者の皆様のおかげです。
本当にありがとうございました。
森会長が言っていましたが、近いうちに慰労会をしましょう。
明日は勤務。今日はもうバタンキュウーでいい夢でも見て寝ます。
おやすみなさい。




                      鹿島町の丸木舟の様子 24.07.17掲載

   7月15日(日)朝から猛暑が予想される暑い日、熊谷さんが朝日山へのウオーキング(山登り)を誘いに来たので鹿島町に向かったところ、なんと丸木舟現場で山本さんとみやざこさんが作業しているではありませんか。 驚きました。「もう、やめた!」と言っておられたので本当に作業中断かと思っていたのです。
 この巨大な丸木舟が本当に必要不可欠なものなのか?ということで余り、建造に関しては盛り上がらなかったのですが、とにかく2人が自分のことと考えて取り組んでおられることに感心しました。
 カラムシ会はまったく資金0の状態なので今建造中の丸木舟の資金援助は不可能。 古墳時代の準構造船へのつくり変えなら伽耶大学と連絡を取り資金を出し合い協働研究ができるかもしれませんが、今、現在では カラムシ会の航海には負担があまりにも大きいので無理と思います。
 山本さんの話ではどこかに寄贈することも考えているとか・・・ ということでした。
 ともあれお二人の努力には感心しました。 
   





                           朝日山のぼり  24.07.17掲載

  7月15日(日)突然でしたが熊谷さんが朝日山に!とおっしゃるので11:00登頂開始。 低い山ではありますが石段が何百もあり暑くはあるし、もうへとへと。
 石段が終わったと思ったら今度は丸太を横にしただんだんが延々と・・ 頂上に着いたときは正直ほっとしました。
                       もうくたびれ・・・山登りは苦手です。









                  丸木舟大社コミセンへ輸送 24.07.17掲載

 7月16日(月)海の日で祝日 朝から暑い朝、6:00 公民館前に集合、安来の内藤さんのハーバーに向かいました。
 内藤さんのお茶で一服、作業内容を確認してからゴムボートを水際までみんなで運び、30馬力のエンジン取り付け内藤さんの息子さんがテキパキ作業を手伝ってくださいました。
 エンジン部分についている操縦装置がさびていたのか中々取り付けができなくて心配。

 8:10分ごろゴムボートグループは出港、約40分で本庄港へ到着。車部隊の我々も同時刻に到着。丸木舟の水をかき出す作業開始。 本庄山内夫妻、冷たいジュース類、番茶の差し入れ。感謝!

 9:30東洋建設機械のクレーン車到着。 なかなかゴムボートを吊り下げるのに苦労。運転手さんにはゴムボートのことが知らされていなかったようでを苦労。

 11:20頃、大社のコミセンに到着。熱田さんの手配でてきぱき設置作業が終了。
 会議室で鷺浦、大社いなさ町内会、コミセン、カラムシ会で21日の当日について打ち合わせ、
 台風が発生しているということで、うねりなどの心配はあるが20、21.22日は天気。ということで13:30?会議は終了。
 行きも帰りも高浜印刷ご夫婦に乗せて頂き暑い中無事、本日の作業は終了。あとは当日の海の波と風が心配ということです。 
     





                        ゴムボート検査 24.07.13掲載

7月10日(火)午後からゴムボートの検査(小型船舶機構?)があるということで榊原さんが、コンプレッサー持参でお手伝いに行かれました。
 16:00から検査があるそうですがうまくいったと思います。なかなか準備も大変ですね。
   





                   最終打ち合わせ 24.07.11掲載         


からむし会の皆様 錦織です
その後の経過、最終打ち合わせ案内、お願い等の連絡です。

①ゴムボートは内藤さんのヨットハーバーに移動。船外機等装着作業中。明日船検を受ける予定。
②旗は3枚作成中。高浜印刷さんの御厚意で2枚余分に作っていただけることになりました。
 添付資料
右図
③参加者リスト作成中です。
  21日は大社コミュニティーセンターより十数名の漕ぎ手、数台の支援車を出していただけることになりました。クルーは十分確保できます。
  22日はからむし会のみで編成が必要です。人数がたりません。
  さらに、支援車がありません。
  添付資料・・・まだ原案の段階です。変更があればお知らせください。
16日、20日、21日の動き
  16日は、丸木舟とゴムボートの移送です。
  6時に城西公民館集合。7時にゴムボートを中海に下します。本庄港へ。
  ゴムボート移動(榊原)、車も本庄港に移動。
  用事のある方は城西公民館へ送ります。
  大社まで行ける方は本庄港へ。
  9時半にクレーン車が本庄港へ。積み込み。大社コミュニティーセンターへ。
  11過ぎ大社着。コミュニティーセンター前に設置。
  大社との打ち合わせ。
20日 夕方(時刻は後ほど決定)城西公民館集合(夕飯、お風呂はすましておく)
    稲佐集会所へ。宿泊。(毛布程度は持参)
    わかとり(内藤、榊原、澤)は早朝より回送。昼ごろ大社着。
    アドミラル(山内)も近くへ移動。
21日 4時起床。大社コミュニティセンターへ。丸木舟とゴムボートの移動。
    稲佐の浜へ。
    5時半ごろ 屏風岩前で国譲り談判の再現。
    6時  徒歩班 出発
        からむし4世号 出発
    御津に着いたら、大社の方の車に乗せていただいて大社に車をとりに行く。
    松江へ。自宅で寝る。
【最終打ち合わせ】
    18日6時より 城西公民館で
【お願い】
    22日は支援車2台は確保したいのですが、どなたかだしていただけませんか。
    21日は大社の方が出されますが、からむし会でも確保したいのですが、協力していただける方
    おられませんか。
    22日のクルーももう少し確保しないとちょっとくるしいと思われます。
    後は、天気が心配ですが、こればかりはお祈りするしかないですね。
    今年は梅雨明けが遅いのかなあ。
  








 




 
国譲りプロジェクト 参加者(9日現在)
参加者 21日役割 21昼食 22日役割 22昼食 28日役割 29日役割 集 金  備 考
徒歩 わ 2000円 全体指揮
錦織 舟舵 舟舵 舟舵 舟舵 2000円 三島と交互
   \ なし       \ なし
加田    \ なし       \ なし
山内 2000円
榊原 2000円
三島 舟舵 舟舵 舟舵 舟舵 2000円 錦織と交互
江角    \ なし       \ なし
山本英雄 2000円
宮廻    \ なし 1000円
内藤 わ 10:00~ 2000円
熊谷 徒歩 わ    \ なし 1000円
洞井 2000円
山本謙二    \ なし 1000円
木村    \    \
NHK山本
佐々木 支援車 なし 夕方のみ
藤原    \ なし       \ なし
今岡    \ なし なし なし 1000円
渡辺 2000円 レガッタの合間参加
山崎    \ なし    支援車 なし 夕方のみ
   \    \ 1000円
多久和 2000円
2000円
金見    \ なし    1000円
石倉    \ なし    1000円
岩迫    \ なし    1000円
①役割は一応の原案です。空欄は未確認です。
②舟・・丸木舟  わ・・わかとり  ア・・アドミラル 徒歩・・稲佐の浜から鷺浦





 丸木舟航海の連絡のやりとり 24.07.09掲載


皆さんも私も多忙、なかなか関係の皆さんとの連絡調整が不足で申し訳なく思っています。
 今日、大社、鷺浦、大社コミセンさんへ連絡しました。
 

              平成24年7月9日 

 FAX 0853-53-4494
            大社コミュニティセンター 篠原一夫センター長さま                             熱田洋人チーフさま

 FAX 0853-53-3066
            いなさ町内会秋長長 吉川節夫さま                                   今岡 愛子さま 

 FAX 0853-53-3756
        鵜鷺元気な会
会長 藤井健蔵さま
                         鷺浦区長      安部勇さま

   稲佐の浜~鷺浦~御津~美保関 航海について

城西公民館 森  泰

 その後大変失礼していて申し訳ありません。準備その他いろいろな作業や手続きがあり連絡が遅れました。

 ①16日(海の日:祝日)、午前11頃、大社コミセン着:丸木舟・ゴムボ   ート等を置かせて頂く  ことになりました。

 ②16日の積み下ろし作業の後、ご都合がつきましたらいろいろなことにつ   いて関係者が一堂に集  まり、打ち合わせをしたいと思いますがご都   合はいかがでしょうか?(コミセンを使わせて頂ければ嬉しいのですが・・)

  ※海上保安庁への航海の申請、説明、ゴムボートの整備と関係機関の検査、伴走船の備品、燃料の調達、救命胴衣、連絡網、緊急事態への対処、参加人員の役割分担、伴走船搭乗者の割り振り、丸木舟チームの編成、伴走船の方との各漁港の下見と挨拶、伴走車の数と乗る人、各港への道調べ(細い、くねくね、急こう配でかなり大変ですね)、マスコミへの対応、稲佐の浜や鷺浦でのセレモニー?食料の調達、仮眠場所の確保(20日)、丸木舟、ゴムボートの輸送(安来港~本庄港)、鷺浦への事前歩き(2時間はかかりました)等々いろいろな作業が必要なのでつい連絡が遅れました。

※弁当や参加人数の確認、チームの割り振り、等々、関係者が一度集まっていろいろ相談しなければいけませんので場所と正確な時刻とをコミセンの方と相談してご連絡しますので16日は、どなたか、是非ご出席頂きますようお願いいたします

※松江の公民館も大社と同じく同様に月・月・火・水・木・金・金ですのでなかなか大変です。。

  連絡先  錦織 明 090-3889-6692

            (かんべの里) 0852-28-0040

       連絡がつかない場合は 森 泰 090-1012-2950

            (城西公民館) 0852-26-2659 

FAX 0852-21-5265






                                   ゴムボート取り出し作業 24.07.05掲載

 7月4日(水)夕方5時公民館出発で安来の内藤ハーバーへ、錦織さんたちがゴムボート取り出し作業に出かけました。 残念ながら私はだんだん踊り準備会があるので(30数名出席)作業に参加できませんでした。 写真を榊原さんに頂いたので紹介します。
    ※朝から丸木舟・ゴムボートの係留場所のことで大社の漁港とか 大社のコミセン、錦織さん、東洋建設機械の蔭山社長さんなどと
      いろいろ相談しました。 大社の熱田さんのお世話で大社のコミセンの前に保管することになりました。ホッと安心!






                                    港の下見 24.07.05掲載

 6月30日(土)12:00~内藤さん、榊原さん、本庄の山内さんの3人を乗せて7月の航海の時の係留場所の確認と途中緊急避難の場合の港の様子を知るために大社~鷺浦~御津までの200キロ近くを雨に濡れながら調べました。
 大社の境内から鷺浦に抜ける山道(陸を行くグループ用)も往復して距離と時間を図りましたが、とにかく急峻でくねくね道であり2時間ではとても無理?という結論。 各、港も山道をたどりながら一つ一つ行きましたが、道が狭い、急峻、曲がりくねっている、港から先は通行出来ないなどいろいろ問題があることがわかりました。
 山道を下りて行ったらそこが港で行き止まり、船で隣町へという感じの港もいくつもあり、伴走車が丸木舟について最後まで走れるというのは全く無理ということがわかりました。
 いくつかの大きな港等、ポイントを決めておいてそこで丸木舟を待つということになりそうです





   
大社~美保関航海打ち合わせ 24.07.05掲載

6月29日(金)大社~美保関までの丸木舟航海についてのカラムシ会の打ち合わせをしました。 多忙な皆さんでしたが、たくさん集まられました。
7月20日、21日の航海当日のこと、それまでの準備作業のことなど課題は沢山ありましたが、なんとかクリアして実施できそうな結論が出ました。
     





                            大社・鷺浦・御津への航海の協力依頼  24.06.23掲載

   6月21日(木)大社・鷺浦へ 
   6月22日(金)御津漁港へ

 6月21日(木) 午前9:00錦織さんと大社コミニュテイセンターへ到着
    熱田チーフ(いなさのはま町内会)、篠原センター長と懇談熱田チーフの案内で漁業会へ。20日の伴走船、丸木舟係留についてお願い。
    係留場所の確認。
  午前10時、海岸沿いに鷺浦コミニュテイセンターへ。 安部、藤井さんと航海についての相談
    できれば大社から「使者としてイナセギの命を送る」という依頼書がもらえれば、日本書紀の記述を裏付けとして面白いのでは?
    ということで、イナセハギ神社の神主様にたのんで、大社にお願いしては?という話となる。
     そのあと鷺浦港における丸木舟係留、伴走船係留場所の打ち合わせ
                       大社、鷺浦ともとても協力的で話がとんとん拍子に進む

 6月22日(金) 11:30 御津漁港へ
   田中顧問、岸島根県漁連会長さんの応援で係留についての依頼もすぐ決まる。とても好意的。
    なんと!エトモ小学校時代の教え子も漁連のひと(50歳?)となっていました。
   あとは美保関神社、美保関漁港への協力依頼、境海上保安庁等への航海申請書、蔭山東洋建機社長サンへの丸木舟と、ゴムボート輸送
   人員確保、コンプレッサー、発電機(ゴムボート)の調達、会計、20日・21日の人員配置、食料計画、伴走船関係者の打ち合わせ及び
   大社港、鷺浦港御津港の係留地の確認、いなさの浜町内会、大社コミセン、鷺浦関係者との最終打ち合わせ等など、きちんと押さえておく
   必要があります。

  連日、朝から夜(再々の会議)までの公民館勤務の合間を縫ってのカラムシ航海計画はかなり無理があるのも事実です。
 企画、案内、訪問依頼等などの事務、資金集めをはじめとする作業分担をみんなでしないと、どこかで大きい手落ちが発生する可能性が大、
 何とかなりませんか?
 




                               いなさのはま町内会にお邪魔しました

 6月19日(火)台風情報の中、 夕方5時、カラムシ会会員6名は大社のいなさの浜にある町内会(吉川節夫さん)の皆さんを訪問。 公民館で7月21日に予定している丸木舟航海についての協力をお願いいたしました。
 よる7:00からのお願いの会でしたが、ワコムの今岡社長さんとお母さんのご協力のおかげで準備万端、オオクニヌシのみことが美保関のコトシロノヌシへの意見を聞くための使いを送る「神話再現航路」についての話し合いがなごやかに進みました。
 会は町内会の皆さんの温かいもてなしとご意見で盛り上がり、いい機会なので応援をしてもいいのでは?ということで終わりました。今後、連絡を取り合い、当日はいなさの浜から出発、途中丸木舟は曳航して鷺浦港、御津のみなとまでの40キロは全力で漕ぐということになりそうです。
 今岡さん宅でおそばをよばれたり、本当にご迷惑をおかけしました。感謝!また神話の舞台にふさわしく町内にはゆかりの神社などいろいろな施設がありました。 夜、9時30分松江市に到着。長い1日は終わりました。






          平成24615日 

   大社町稲佐町内会の皆様

   古代の海の道をたどる

からむし会 会長 森 泰  

(松江市城西公民館館長)  

 国譲り神話再現プロジェクトのご相談

 

拝啓 時下ますますご清祥のこととお慶び申しあげます。

 古事記1300年を迎えるこの年、出雲市大社町ではその主会場として多くの行事が予定されています。神話の舞台でもあり神迎えの神事が執り行われる稲佐の浜の町内会の皆様に、この度ご相談したいことがありましてご案内申し上げる次第です。

わたしたちカラムシ会では、国家も国境もない大昔に大陸から日本列島に渡来人がどのようなルートで、どんな方法でわたってきたのか実証してまいりました。その活動の一環としてこの度、稲佐の浜(あるいは鷺浦)から美保関までを丸木舟で渡り、古代の海の道を再発見しようというプロジェクトを計画しています。これは古事記の国譲りの神話にある、高天原からの使者から国譲りの要求を受けた大国主神が美保関にいた息子の事代主神に使いを送り意見を聞いたという記述を再現しようというものです。

 地元、大社町稲佐町内会の皆様にご意見を伺いながら、この計画を成功させたいと考えておりますのでなにとぞよろしくお願い申し上げます。

敬具  

   現在検討しているルート

      稲佐の浜から丸木舟で漕ぎ出し日御碕を回って鷺浦を経由し、美保関に至るルート

      稲佐の浜から陸路で鷺浦まで行き、そこから丸木舟に乗って美保関に至るルート

 

日時:平成24619日(火)午後7時~

                  会場:稲佐町内会公会堂

以上    





          
: 大社との打ち合わせ 24.06.13掲載

からむし会の皆様へ 錦織です
国譲り神話再現プロジェクトについてです。

島根県の「神話博しまね」の助成金がつきました。森会長が申請書を何度も書き直し
承認されました。伴走船の油代のほか、紙芝居製作費(これが必要だそうです)が出ます。
詳しくは森会長から話があると思います。
 ところで、今岡さんからのメールにもあるように、大社町との打ち合わせを
19日(火)夜7時から稲佐の浜集会所で行います。
森会長と私は行きますが、会員の方で都合のつく方は参加してください。
5時に城西公民館集合で、乗り合わせていきます。
国譲りの談判が行われた屏風岩はぜひ見ておいていただきたい場所です。
行かれる方は、森会長か私に連絡してください。
  




      紙面いっぱい丸木舟の記事が載りました  6月5日掲載

 6月2日(土)の山陰中央新報の記事にカラムシ号の航海大きく出ていて驚きました。 ありがたいことです。写真もなかなかいいところを撮っていますね。感心しました。
 




 

      古事記編纂1300年記念 古代航路再現プロジェクトⅡ(案)

            神話「国譲り」を再現する

                      2012.5.30

 

1.今回のプロジェクトの根拠「古事記、日本書紀 国譲り」

 【古事記】  岩波書店より

   ここをもちてこの(ふた)はしらの神、出雲國の伊那佐(いなさ)小濱(をばま)に降り到りて、十掬劒(とつかつるぎ)を抜きて、(さかしま)に浪の穂に刺し立て、その劒の(さき)(あぐ)()して、その大國主神に問ひて()りたまひしく、「天照大御神、高木神の(みこと)もちて、問ひに使はせり。(いまし)がうしはける葦原中國は、我が御子の知らす國ぞと言依(ことよ)さしたまひき。(かれ)、汝が心は奈何(いか)に。」

   とのりたまひき。ここに答へ白ししく、「()()(まを)さじ。我が子、八重言代主(やへことしろぬしの)神、こ

   れ白すべし。然るに()(がり)をし、()取りて、御大(みほ)(さき)に往きて、未だ還り()ず。」とま

   をしき。故ここに天鳥船神を遣はして、八重事代主神を()()て、問ひたまひし時

に、その父の大神に語りて言ひしく、「(かしこ)し。この國は、(あま)つ神の御子(みこ)立奉(たてまつ)らむ。」

といひて、すなわちその船を蹈み(かたぶ)けて、(あま)逆手(さかて)青柴垣(あをふしかき)に打ち成して、(かく)りき。

 <注>天鳥船神:雷は船に乗って天空と地上を往来するものと信じられていた。

 

 【日本書紀】卷第二  岩波書店より

    (ふたはしら)の神、(ここ)に、出雲国(いづものくに)五十田狭(いたさ)小汀(をはま)に降到りて、則ち十握剣(とつかのつるぎ)()きて、(さかしま)

   に(つち)(つきた)てて、其の鋒端(さき)(うちあぐみにゐ)て、大己貴神(おほあなむちのかみ)に問ひて(のたま)はく、「高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)

   皇孫(すめみま)を降しまつりて、此の(くに)君臨(きみとしたま)はむとす。(かれ)()(われ)(ふたり)の神を(つかは)して、駆除(はら)

   ひ平定(しづ)めしむ。(いまし)(こころ)何如(いかに)()りまつらむや(いな)や」とのたまふ。時に、大己貴神(こた)

へて(まう)さく、「当に()()に問ひて、(しかう)して後に(かへりことまう)さむ」とまうす。是の時に、

其の子事代主神(ことしろぬしのかみ)遊行(ある)きて出雲国の三穂(みほ) 三穂、此をば美保(みほ)と云う。(さき)()す。釣魚(つり)

するを以て(わざ)とす。(ある)いは()はく、遊鳥(とりのあそび)するを(わざ)とするといふ。故、熊野(くまの)諸手船(もろたふね)

(また)()天鴿船(あまのはとふね)を以て、使者(つかひ)稲背脛(いなせはぎ)()せて()りつ。(しかう)して高皇産霊(たかみむすひ)(みことのり)

事代主神に(いた)し、(かつ)(かへりまう)さむ(ことば)を問ふ。時に事代主神、使者に(かた)りて曰はく、「(いま)

天神(あまつかみ)、此の借問()ひたまふ(みことのり)()り。我が(かぞ)()(まつ)るべし。(われ)亦、(たが)ひまつらじ」

といふ。()りて海中(うみのなか)に、八重蒼柴(やへのあをふし) 柴、此をば府璽(ふし)と云う(かき)(つく)りて、船枻(ふなのへ) 船枻、

此をば浮那能倍(ふなのへ)と云う。()みて避りぬ

    <注>諸手船:両手船の意か。二挺櫓の早船の意か。クマノは意宇郡熊野神社の

           クマノか。この舟はまた天鳥船ともいう。記では天鳥船神を遣わ

           すとある。

       天鴿船:飛ぶ鳥は、交通の手段と見なされた。また、ハトは、早(ハヤ)

           と速(ト)との意とも解される。

 

 〔国譲り神話におけるなぞ〕

  古事記も日本書紀も、高天原からの国譲りの要求を大国主神が受け、息子の事代主神

 に使いを出して意見を聞き、それに従っている。疑問点は次のようなことである。

 

    事代主神は、国譲り承諾の考えをどこで、だれに告げたのか?

 古事記では、美保の碕(美保関)から事代主神を五十田狭の小汀(稲佐の浜)に連れ帰り、そこで事代主神が直接大国主神に語っている。日本書紀では、使者(稲背脛:イナセハギ)を遣わして、事代主神の意見を聞いてもどり、大己貴神に伝えている。事代主神は国譲りの承諾をどこで、だれに告げたのか。

 

    諸手船(天鴿船)とはどんな船で、どのくらいの速さだったのか?

   現在も行われている「諸手船神事」に使われる舟は、丸太を継ぎ合わせた丸木舟で

ある。おそらく神話の時代から考えて丸木舟であったことは間違いないだろうが、

どのくらいの大きさだったのか、準構造船だったのかなどは分からない。また、名

前から想像しても相当な速度があったと思われるが、実際にはどうだったのか。

これは、稲佐の浜から美保の碕まで何日、何時間かかったのかという疑問にも通じ

る。

 

    美保の碕までは、どこを通って行ったのか?

神話の時代には、本土と島根半島部は完全には繋がっていないと考えられる。野津左馬之助が命名した「素尊水道」があったのではないか。とすれば、稲佐の浜から素尊水道を通って美保の碕まで行ったと考えるのが妥当かもしれない。

また、日本海を通って美保関に行った可能性も否定できない。その場合、稲佐の浜から鷺浦までは徒歩で行き、鷺浦から美保の碕までは諸手船(丸木舟)で行ったと考えるのが妥当ではないか。

 

2.今回の古代航路再現の目的とコース

 今回は、以上のような疑問に答えるために、徒歩と丸木舟によって稲佐の浜から美保関まで実際にたどってみるものである。まず、稲佐の浜から鷺浦までを徒歩で行き、鷺浦から美保関までを丸木舟でたどる。前記のように、コースは素尊水道とするのが妥当かもしれないが、素尊水道は、現在、出雲平野によって通れなくなっているため、日本海コースをとる。

鷺浦には「伊奈西波岐神社」がある。主祭神のイナセハギ命は「日本書紀」の国譲り神話に登場し、天つ神の意向を美保関で漁をしていたコトシロヌシ神へ諸手船に乗って伝えた神である。おそらくイナセハギ命の住まいは鷺浦にあり、海上輸送にたずさわっていた神であろう。鷺浦は天然の良港であり、明治時代後半まで海運交通の要所として栄えた場所である。また、出雲大社までは峠越しで7kmの距離であり、今日でも出雲大社と密接な関係があるという。

このように日本海コースをたどる場合、稲佐の浜から鷺浦へは丸木舟より徒歩の方が速い。(丸木舟の場合は日御碕を迂回することになる)したがって、イナセハギ命は

  稲佐の浜(屏風岩:談判の場)から徒歩で鷺浦まで行き、そこから諸手船に乗って美保関を目指したと考えられる。今回は「伊奈西波岐神社のお札(イナセハギ命)と榊」を持って歩く、それを鷺浦でからむしⅣ世号に付ける。

 鷺浦から美保関は約80kmあり、1日での航海では無理である。今回のプロジェ

クトでは、途中御津で1泊し(御津まで約40km)、2日目に美保関まで航行する。

(御津から美保関まで約40km)

 

 

3.稲佐の浜から美保関(沖の御前)までの古代航路の再現計画

 コース   稲佐の浜(徒歩)→鷺浦(航行)→御津港(航行)→美保関港 

全行程87km

 実施時期  2012.7.21(土)、22(日)

            予備日7.28(土)、29日(日)

 使用する丸木舟   からむしⅣ世号(全長9.7m 最大幅80cm 6人乗り)

 伴走船       「わかとり」4t(最大乗員13人)   

「からむし丸」0,7t(最大乗員4人)

 日 程    事前に(18日ごろ)丸木舟、伴走船を移動、鷺浦港に係留

        21日:6時稲佐の浜発 →出雲大社→ 鷺浦(ここまで徒歩7km)

            8時鷺浦港発 → 5時御津港着(40km) 停泊

        22日:5時御津港発 → 午後4時美保関港着(40km)

            美保関港→本庄港(曳航) 

        [上記日程で不可の場合]

        28日:予備日その2

        29日:予備日その3

        [これでも不可の場合はそこで中止、またの機会に]

 

4.クルーの交代

 第1クルー(6人)、第2クルー(6人)、予備クルー

 約10km(約2時間)ごとに交代する。「わかとり」からゴムボート、ゴムボートから丸木舟に乗り移る。 

交代要員は、「わかとり」に乗船、海岸線に沿って支援車も移送、近くの港から「からむし丸」および「わかとり」で交代することも考えられる。

5.悪天候で延期の場合は、予備日で順延。

29日までに航海終了不可の場合は改めて挑戦。

※波頭が砕けるような波(風速5m~7m)となった場合航行を延期する。

※海が静穏の場合は砂鉄バラストは伴走船に積む。波が出る場合に丸木舟に積む。

※アウトリガーは航行途中で波が高くなり、近くの港に避難するときに使用する。

※航行途中で波が高くなり、目的地に着けない場合は近くの港に避難、係留許可を願

い出る。

 

6.連絡体制

  本部船(からむし丸)森会長、榊原  軒友丸 山本

    携帯所持 森会長、榊原・・・丸木舟、わかとり、支援車、海上保安庁に連絡

  丸木舟航行責任者 錦織

  「わかとり」およびゴムボート 内藤

  支援車(      )

  ※海上保安庁には出発時、到着時、緊急時にはその都度連絡をする。

 

6.経費  10万円(燃料費・港使用お礼・その他)

 

7.経費  参加費1日1000円    

寄付金(このイベントのため)を会員および会員外から募る

 

8.協力依頼  

      海上保安庁(届け)

      鵜鷺げんきな会(藤井健蔵会長)

      鷺浦港 清港会

      御津漁協

      美保関漁協

      伊奈西波岐神社

 




からむし会の皆様へ 錦織です 昨日の慰労会報告です。 24.06.01掲載

17名の参加があり、わいわいがやがやにぎやかにやりました。
都合で参加できなかった方、松江から遠く離れて居る方、申し訳なく思っています。
木村研さんは千葉(たぶん)で乾杯するとのことでした。
ヨットに乗っている方、単身赴任で松江を離れて居る方・・・思いはいっしょですので
かんべんしてください。
この会に山内さんが初めて参加されました。大阪から本庄に帰られました。
すばらしいクルーザーをお持ちです。
慰労会の前に、古代交易プロジェクトの反省と次回国譲り神話再現プロジェクトの提案を
しました。添付資料をご覧ください。
次回プロジェクトについては、まだ案の段階です。
お気づきのことがあればお知らせください。修正します。
今日森会長と県庁の観光振興課(古事記1300年をしているところ)の安井課長さんを訪ねました。
次回プロジェクトを県とのコラボでできたらいいと思っています。
課長さんは「おもしろい」と言ってくださいましたが、助成金をいただけるかは分かりません。
皆さんにお願いは
①協力していただける団体・個人をさがしていただきたい。
②クルーをふやしていただきたい。(友人とかに声かけて)
③資金面の協力をしていただきたい。(皆さん自身あるいはからむし会員以外の方からの寄付金募集)
です。これから準備を進めていきます。どうかよろしくお願いします。
ps:関西外国語大学佐古和枝先生(考古学)がからむし会に入ってくださいました。
 

 古代交易プロジェクト について

 【山陰中央新報「明窓」2012年5月23日付より】

 鳥取県西部の秀峰・大山の麓、米子市から大山町にまたがる妻木晩田遺跡から松江市玉湯町の花仙山を産地とする碧玉(青めのう)の管玉が出土した。約2千年前、弥生時代後期に両地域を結ぶ交易ルートがあった証しだ。

 古代人はどうやって碧玉または管玉を運んだのか。先日、古代交易ルートを探る実証航海が行われた。元教員らでつくる「からむし会」(松江市)のメンバーが、自作の丸木舟で挑戦した。

 花仙山の碧玉と田和山遺跡(同市)近くの小学生が作成した勾玉を積んで宍道湖を出発。大橋川―境水道―松江市美保関町を経て米子市淀江町に到着した。淀江港近くの妻木晩田遺跡で、勾玉とキハダ染布、鉄器を交換し、古代交易ルートを実証することができた。

 とはいえ丸木舟には3隻の船が伴走。松江―美保関間は悪天候のため、かなりな部分を伴走船で曳航した。約16キロの美保湾横断は好天に恵まれ、順調な航海だった。出発後の目標は、大山北側の孝霊山。妻木晩田遺跡で上げた狼煙も、よく見えた。

 しかし、漕ぎ手は約1時間ごとに交代。伴走船のサポートを受けながらの航海だった。からむし会代表の森泰さん(69)は「やってみて初めて、古代人の知恵や勇気が分かることが多い。航行技術などは現代人をはるかに超えていたのでは」と話す。

 遠く離れた集落をどうやって知ったのか。丸木舟での航海で水や食料はどうしたのか。

行動すればするほど疑問が膨らみ、また実証行動へと、からむし会メンバーを駆り立てる。

                                   (晶)

 

航海記録は城西公民館ホームページに記載してあります。

 

 今回のプロジェクトの反省点

①天候にも恵まれ、ほぼ計画通りの航海ができた。からむしⅣ世号の復活を喜びたい。

 中海での曳航ルート変更は北東風により白波が立つ状況の中で、大根島東側から西側に変更せざるを得なかった。(榊原さんと森会長の判断)

 ・・適切な判断であった。変更を参加者(他の伴走船、支援車)に伝達する連絡体制の確立が課題。

②美保関付近も波が高く、予定(海崎)より美保関港に近いところまで曳航。
 アウトリガーをつけたまま漕いだ(アウトリガーは港に入ってから取り外す)

 ・・アウトリガーは復元力アップに効果的だが、漕ぐときには舵がとりにくくなる。

   (アウトリガーが抵抗となり、舵がきかなくなると思われる)

   アウトリガーは荒天時の曳航にのみ使用した方がよい。

③2日目の航海は順調。美保湾は10時になると風がでるということで5時25分に出航。

 10時30分ごろには淀江沖に到着。速度は別表の通りで推移。最高速度は4.8km。

 (別紙資料:渡辺さん作成)

 ・・船底にFRPを貼ったため速度がでた。砂鉄バランス(合計190kg)は安定性確保には効果があるが、速度を増すためにはないほうがよい。好天時は伴走船に積んで速度を加速したい。櫂を漕ぐとき、先頭クルーの櫂さばきに合わせ、掛け声をかけて同時に漕ぐようにすると速度が増す。

④妻木晩田遺跡、田和山遺跡、玉作資料館等との協力、佐古和枝先生の支援が大きな力となった。

   出航イベント、交易イベント、乗船体験などをすべて企画していただき、からむし会は航海に専念できた。佐古先生のアイディア(狼煙)やPR(ラジオ等で紹介)

   が今回のプロジェクトを盛り上げた。

  ・・今後のプロジェクトにおいても他団体との協力が不可欠だろう。また、市民・県民にからむし会の活動を知ってもらうことが大切である。

⑤伴走船、支援車のこと

   伴走船「わかとり」・・内藤さんの協力がなければこのプロジェクトは成功しなかった。わかとりは13人乗船でき、馬力もある。速い。交代クルーの移送にもなくてはならない伴走船である。今回はゴムボートを引いて伴走。ゴムボートはクルーの交代にたいへん役立った。

   伴走船「からむし丸」「軒友丸」は、小回りがきく。事前の丸木舟移送、当日の曳航等に活躍。停泊港がからむしⅣ世号と同じであることは丸木舟の移動にたいへん便利。

   支援車「中道車」「山崎車」「山本車」「佐々木車」はクルーの移動、食料調達運搬に

   大活躍。今後のプロジェクトにも欠かせない。

  ・・支援いただける人の確保、燃料費の確保が課題。

⑥資金のこと

   今回、妻木晩田遺跡から伴走船燃料費として5万円支出していただいた。

   また、ワコムアイティーから3万円の資金援助があった。

   宿泊地として、美保関橋津屋は地域活性化事業で改装された宿であり、活性化事業理事である丸谷さん、福間館の御厚意により安く泊めていただいた。

  ・・今後はさまざまな助成金の申請をすると共に、プロジェクトへの寄付金(会員および会員外)を募る必要がある。



                  反省会と今後の計画 24.06.01掲載

 5月30日(水)夕方18:30~東急インホテルのバイキングの場所でカラムシ会の古代の交易反省と今度の大社~美保関古代の航路再現計画を兼ねて食事会をしました。
 国を譲れと要求された大国主命が息子のコトシロノヌシにどのように連絡したか?という神話(伝説?)です。
 古事記の記述と日本書紀の記述が違っていますが、錦織さんの新解釈 ・・・大国主の使いは7キロの山道を走り、使者のイナセハギは日本海のさぎうらの港から美保関に行き、返事をもって帰った(サギ浦にはイナセハギを祭った神社がある)・・・で実施することになりました。
 実行は7月21日、22日を予定していますがそれまで様々な準備が必要です。




                     第2回航海下見 24.05.30掲載

   5月27日(日)晴れ 突然でしたが本庄の山内さんのご厚意でクルーザーを出してもらい安来の内藤さん、三島さん(布べ小)と老人の私とで古代の航路再現 「国譲りを要求された大国主命は美保関に住むコトシロノヌシに丸木舟?でどのようなコースで連絡をしたのか?」の下見に出かけました。
 朝は霧?で視界不良、内藤さんのハーバーについたときは霧も晴れ波もなく、無風、穏やかな朝でした。素晴らしいクルーザーでポンコツのカラムシ号と比べるともう、月とすっぽん、けた違いの船でした。
 下見の感想ですが、ナント道のりの遠いこと、100キロ近くを漕ぐということはもう考えるだけでも恐ろしい気がしました。海の透明度、小波で食堂を探しましたがお休みでした。おにぎりと水を分け合ってランチとしました。静かな海面、透き通った水の中でアオサがくっきり見えます。ハマヒルガオ?違うかな?や黄色のかれんな花が咲き乱れています。都会の人達にはこのような経験はなかなかできないかも?と考えました。
 本当にいい1日でした。でも昼前から風とともに波が高くなりました。広大な海、波を乗り越えて航海するのは気が遠くなるような気がしました。
 



 勾玉と鉄器交換航海イベント記録  24.05.29掲載
 
 
 
 



                         慰労会ご案内  24.05.25掲載

                 からむし会の皆様 錦織です慰労会の案内です。

  5月30日6時30分より 東急イン6時30分から7時まで打ち合わせ
     ①「古代交易プロジェクト」の報告・反省
     ②次回「国譲り再現プロジェクト」の提案
  7時~9時 飲み放題語り放題参加費 36000 参加の可否を森会長か錦織にご連絡ください。
   もとより「古代交易プロジェクト」に参加された方も参加されなかった方も、すべての方への案内です。 




中央新報「明窓」欄に航海の記事が出ました 24.05.24掲載 

5月23日(水)今日の山陰中央新報の「明窓」欄、(文末のイニシャルから見ると藤原論説委員さんと思いますが・・)に
妻木晩田への航海のことが書いてありました。 とても簡潔にまとめてあり感心しました。
 老人の私は今になって疲れが出た感じです。ああ、そういえば昨日も会の後懇親会がありいつものように泥のようになりました。
 




                          からむし会の皆様へ 錦織です。  24.05.22掲載

 夕べはぐっすり眠りましたが、まだ体がゆれて船の上にいるような感じです。
19日、20日の交易プロジェクトは関係者の皆様の努力と協力により、無事終了しました。からむし会の皆様はもとより、妻木晩田遺跡、田和山サポートクラブ、玉作資料館の皆様、美保関漁協、淀江漁協、宍道湖漁協、海上保安庁などなどたくさんの皆様にお世話になりました。
 「からむしⅣ世号」は天候にも恵まれましたが、順調な航海でした。特に、昨日の美保関から淀江(16km)の航海は、はやすぎて淀江港沖で入港を待つほどでした。速度は時速4.5kmから5kmぐらいで走行しています。砂鉄バラストの効果もあり、安定した走行でした。
 妻木晩田から上がった狼煙の煙もよく見えました。このプロジェクトに参加してくれた子どもたちも乗船体験をして満足そうでした。細かいところで今後見直していく点は多々ありましたが、交易プロジェクトの主目的は果たせたのではないかと思っています。
 とりあえず航海成功の報告と皆様への御礼をさせていただきました。近いうちに開催予定の慰労会にて今回の航海や今後の活動について語り合いましょう。  
 
                         からむし会の皆様  松江市役所の加田です。  24.05.22掲載

  一昨年は、かなりの航海実験に参加させていただきましたが、 昨年はあまりの多忙さに、多分1回しか顔を出していないとも思 います。 そのため、多分、航海そのものは、まるまる一年ぶりとなりまし たが、今まで知らなかった皆さんとも新たにお知り合いになれ、 非常にうれしく思っております。ありがとうございました。
 また、今回の企画には我が職場の金厚鎭(キム フジン)国際交 流員を快く受入れて下さり、それにも感謝しております。 この企画に興味を持ってくれた国際交流員は沢山いますが、ここ まで熱中してくれたのは、彼はその最高峰ではないでしょうか。 そんな彼と皆さんが仲良く話をして下さり、誘った方の私として も非常に助かりました。
  今回の航海に関して、19日は別のボランティアで参加できなか ったことを非常に残念に思っておりましたが、20日は非常に感 動できる航海となり、前日までの残念さを払拭できました。 しかも、現地についてからの交流企画をきちんと理解していなか ったこともあり、あそこまで発展的な交流ができていることに、 これも感動モノでした。「継続は力なりだなー」とつくづく勉強 になったところです。
  しかも、本日の新聞には子供たちを乗せて航行する丸木船の先導 を僕が務めた写真が使われており、これまた有りがたい次第です。 (もっとも、今朝新聞読んだ時は気付かず、職場の同僚が「これ 加田さんじゃない!?」というて感じで気付いた次第でして・・)
まあ、なにわともあれ、久しぶりに参加したら感動だらけでした。 ありがとうございました。
 そうそう、鹿島市所前で山本お父さんと宮廻大将がネクストな作 業をしているとのことで、是非見に行きます。 山本お父さんが「今度作業するときはお前に声掛けちゃ―けん」 といってくださっていたので、楽しみにしております。 と、ずらずらと書きましたが、引き続き、本企画が進化しますこ とに少しでも協力できればと思いますので、よろしくお願いしま す。 また、金さんも誘って参加しますんで、その点も併せて、よろしお願いします。 松江市国際観光課  加田




            碧玉:めのうの勾玉(玉造資料館)と鉄の小刀(妻木晩田遺跡)交易再現航海 24.05.21掲載

   5月19日(土)20(日)両日とも晴れの2日間かけて、宍道湖から鳥取県の淀江港までの古代の交易再現航海は無事終了しました。
 詳しくはまたメモをもとに報告しますが、島根県の美保関港~鳥取県の淀江港(約11キロ)までの航海は、終わってみると「本当によくやった!」というほど結構な道のりでした。
 イベントである子ども達の作った勾玉(碧玉)と鉄の小刀(妻木晩田遺跡)の交換はもちろん、カラムシ会がお世話をした丸木舟の乗船体験も喜んでもらえました。大人の乗船希望者もあり、2回ほど湾内を漕いでもらいました。
 本庄の港への伴走船「カラムシ」も安来の港への「わかとり」も夕暮れに帰港。後始末が終わったのは夜8時ごろでした。20日の朝の4時から活動を開始しているので、さすがにくたびれました。 とにかく怪我なく航海も2つの資料館のイベントも成功してホッとしました。
  参加した皆様、応援して頂いたたくさんの方たちに感謝!
       
       
       
       




     
  からむし会の皆様へ 錦織です。  24.05.17掲載

今日、森会長、榊原さん、熊谷さん、内藤さん、山本さんと私で、からむしⅣ世号を
天神川に移動しました。
朝は、たらいに水という状況でしたが、宍道湖に出た10時半ごろは南西風が
かなり吹いていて、白波も立っていました。
からむしⅣ世号と軒友丸は天神橋近くに、からむし丸は松江港に係留しました。
明日も、朝は無風ですが、午後には風速10mを予想しています。

19日、20日は曇りか晴れで雨の心配はほぼありませんが、風が心配です。
いずれにしても10時を過ぎたら風が出ると思っていた方がいいでしょう。

ところで、丸木舟の曳航にアウトリガーをつけました。内藤さんの力作です。
舟の両サイドに1mずつ腕が出ていて、発泡をFRPで包んだ浮きがついています。
それを榊原さんの荷しめ器で中央に固定しました。
私が立って左右に舟をゆすってもほとんどゆれません。すばらしい効果です。
ただ、左舷の浮きは竹との接続部分から水が入るので、それを防げば完璧です。
このアウトリガーは荒天の曳航時のみ使用します。
明日の夕方頃には、19日の風速・風向も分かるかと思います。
それで作戦を考えたいと思います。
以上、お知らせでした。

それと、20日は流れ解散になると思いますが、後日慰労会をしましょう。
その時に、いろいろ語り合えればと思います。       





            丸木舟天神川係留 24.05.16掲載

 5月16日(水)11:30頃、丸木舟、軒友丸は無事天神川に係留、
伴走船は大橋川に係留 全員、無事車に収容、今日の仕事は終了しました。




                             丸木舟・伴走船天神側へ輸送 24.05.16掲載

  5月16日(水)晴れ
  7:30錦織・熊谷・榊原氏を本庄港へ車で送る。
  8:00山本(エトモ)、内藤(ヨット)さん本庄港で待機。
    丸木舟の水出し、伴走船のエンジン始動、出航準備軒友丸(船外機)のエンジン始動等々・・・ 
    丸木舟に内藤さんが作成したアウトリガー(丸木舟の両側に張り出させた復元力維持のための発泡スチロールを樹脂で固めた
    舟形浮き袋?)の取り付け・・・。
  8:30本庄港出航(錦織・内藤・山本・榊原)    森・熊谷は2台の車を松江まで移動。
  9:40 中海大橋通過10:30 新大橋通過午前中には天神側に丸木舟の係留はなんとか・・
    大橋川に伴走船係留も何とか・・・ 係留については関係諸機関へのお願い、書類作成など榊原さんに一切お願いしました。
 皆さん、勤務中であり、午後からは仕事も入っていて時間との闘いです。




 24.05.13 掲載
 

    【最終案】

                          からむし会・航行案

                          平成24年5月13日

 

       田和山から妻木晩田へ 古代交易ルートの実験航海

     ~丸木舟による碧玉「玉造石」の海上輸送ルートを探る~

 

1 企画趣旨

   妻木晩田遺跡から出土した碧玉製の管玉は、松江市玉造を産地とする「玉造石」

  を加工したものである。このことは今から約2000年前、弥生時代の後期に松江

  と米子・大山を結ぶ交易ルートが存在していたことを意味する。今回、丸木舟「か

らむしⅣ世号」による航海実験を行い、実際に碧玉の搬送を行うことで古代の交易

ルートを再現する。

 

2 実施時期  平成24年5月19日(土)、20日(日)

 

3 使用する丸木舟、伴走船

  〇丸木舟・・「からむしⅣ世号」全長9,7m、最大幅80cm

        乗員6名

  〇伴走船・・「からむし丸」0,7t、最大乗員数4名

              軒友丸曳航(船外機船)

      ・・「わかとり」4t、最大乗員数13名  

ゴムボート曳航(最大乗員数8名) 

 

4 航海ルート

    〇第1日目(5月19日)

      島根県立美術館裏手護岸から出発~宍道湖大橋通過~大橋川~中海、

      大根島を経由~境水道~美保関港まで(途中 伴走船による曳航もあり)

    〇第2日目(5月20日)

      美保関港~淀江港~(むきばんだ史跡公園)

 

5 「からむしⅣ世号」の移動 

   〇16日【水】午前8時

       本庄港より美術館近くの天神川に「からむしⅣ世号」曳航、係留

       「からむし丸」は松江港に係留

            榊原、錦織、熊谷、内藤

   【19日航海日程】

8:00美術館裏手に集合・出航準備

    ※「からむし丸」の移動 榊原、森、熊谷

      ・・・集合時までに

    ※集合時に打ち合わせ、

その後丸木舟移動(第1クルー)

            9:00~10:00出航イベント

              田和山の子どもたちからからむしの乗員に碧玉と勾玉

              を託す

             ※碧玉は玉作資料館提供、勾玉は子どもたちが製作

            10:00(出航イベント終了後) 出航

     〇ゴムボートの下ろし

       第2クルーは出航イベント後 内藤さんのヨットハーバーに

         中道車、山崎車に分乗(場所の案内:三島)

         ゴムボートを下ろしたら遅江に移動・合流

         「わかとり」はゴムボートを曳航して遅江に向かう

 

     県立美術館10:00~矢田の渡し(6km)11:30 航海

     矢田の渡し11:30~遅江(9km)12:30  曳航

     昼 食(弁当)

     遅江13:30~森山港(7,5km)15:00   航海

     森山港15:00~海崎港沖(9km)16:00  曳航

     海崎港沖16:00~美保関港(1,5km)16:30 航海

「からむしⅣ世号」

              <第1クルー>県立美術館から矢田まで

               宮廻、佐々木、江角、洞井、山本謙二、錦織

              <第2クルー>遅江から森山まで

               三島、渡辺、今岡、藤原、江角、錦織

               ※待機クルーは伴走船、乗用車で移動

             「わかとり」内藤、木村

             「からむし丸」榊原、熊谷、森

              乗用車 NHK山本(取材を兼ねる)

                  中道、山崎

 

     松江に帰る人 森、佐々木、江角、今岡

            中道車、山崎車に分乗

     美保関にて夕食、宿泊

       榊原、錦織、三島、木村、山本英雄、洞井、山本謙二、宮廻

内藤、藤原、渡辺、NHK山本

 

     宿:橋津屋  食事:福間旅館(社長:福間隆:0852-73-0011)

 

 

   【20日航海日程】

     松江から来る人

       森、熊谷、加田     中道車

     美保関港集合5:00 出航準備

     美保関港6:00~淀江港沖11:00(16km)

      ※10:00、11:00に妻木晩田遺跡(洞ノ原地区)で狼煙があがる

     淀江港入港 12:30

              <第1クルー>

三島、渡部、加田、洞井、山本謙二、錦織

中間点で適宜交代

       田和山の子どもから託された碧玉と勾玉を妻木晩田の子どもに渡す。

       バスで妻木晩田遺跡に移動

     交換式(妻木晩田遺跡) 13:00~14:00

       田和山及び妻木晩田の子どもたちによる勾玉と鉄器の交換

       及び、碧玉と草木染の布の交換

     丸木舟乗船体験(淀江港内)14:00~15:45

・・・淀江港に移動。参加した子ども対象

 

     〔からむし丸 からむしⅣ世号 軒友丸の帰港〕

     榊原、森、熊谷、宮廻、山本英雄

     淀江港~本庄港(曳航) 16:00~18:00

         本庄港から松江までの人員輸送 山崎

 

     〔わかとり、ゴムボートの帰港〕

     内藤、錦織、加田、洞井、山本謙二、三島、渡辺、木村、藤原

     淀江港~安来 内藤さんのヨットハーバー

                 16:00~18:00

         ヨットハーバーから松江までの人員輸送 中道、佐々木

 

   役割分担  全体指揮:森

         航海指揮:錦織・榊原・内藤

         会  計:中道

         後方支援(弁当・水)会計 中道、山崎、NHK山本

 

   予算:妻木晩田遺跡より伴走船燃料費5万円

      ワコムアイティーより支援金 3万円

      各自参加費  1日につき千円(弁当・水等)

             宿泊  5千円(夕食・朝食・宿泊)

 

   海上保安庁の指導  ライフジャケット着用  伴走船の定員  携帯電話

             海上のもしも118

 

   悪天候時 【19日】天神川入り口付近で出発式 天神川を航行

             後は曳航(からむしⅣ世号にアウトリガーをつける)

        【20日】淀江港まで曳航 港内を漕ぐ

           風速5mまで、状況により最大7mまで

            (白波が立っている場合は基本的に曳航)

           判断は、森、錦織、榊原、内藤

               2日前にはほぼ状況がわかる

 

   妻木晩田との交信  森(妻木晩田℡0859-37-4000)

   「中海テレビ」取材




                                  カラムシ丸掃除  24.05.12掲載

  5月12日(土)ごご12:30 19・20日の航海に備えてカラムシ丸の燃料80リットル追加、山内さん宅でお茶の接待を受けた後,榊原、森、三島明の3名はカラムシ丸の船底などに潜りびっしり張り付いている貝をヘラですり落とす作業をしました。 錦織、熊谷氏は応援隊。
 気温18度、風が冷たく、水温はかなり低い感じ。 榊原さんはさすがベテラン、プロペラ近くにもぐっては貝をこすり落としていました。
 三島、榊原さんはウエットスーツを着込んでいましたが、森は雨合羽で作業、水の中を雨合羽とは変ですがとにかく冷たい。シュノーケルも大きすぎて一気に水を吹き出すことができず、何回も水を飲み込む羽目となりむせました。
 なんと船上に上がろうとしても服が重くて一人では上がれません。助けてもらいやっと上がり、風の冷たさにぶるぶる震えました。左手の指の一本が、しびれて血が通わないのか白くなっています。高血圧、動脈硬化の老人ですので寒さに血管が収縮、指まで血が回らなかったのでしょう・・・自己診断ですが・・
 1時間後もとに返りましたが、もう決して無理は出来ない身体になった様です。 若い三島さんはナントもなかったようでさすが!と思いました。
 




                    カラムシ丸燃料注入 24.05.08掲載

  5月6日(日)朝方雨、8:30には青空、ポカポカの日より、但し風あり熊谷さんにお付き合いを願って、本庄に係留しているカラムシ号に燃料をいれる作業をしました。結構風が強く(西より?)て20リットル入りのポリタンク4つを波止場から船に移し、ゆれる船で燃料を注ぎ込むのは結構、気を使う作業でした。
 ・作業中、ちょうど本庄の山内さんが出てこられて、お茶を飲みに山内さん宅を訪問と言っても山内さん宅は道路を隔ててわずか10数メートルでしたが・・・・山内さんの趣味?特技?にはとにかく驚きました。スピーカーが13個?ぐらいもある真空管だらけのDVD装置とか、無線関係のいろいろな形のアンテナ等々、よくわかりませんが部屋中、機器の部品?コード等がぎっしり、電気工事士、無線関係等々の資格を持っておられるとか? 舩の整備関係の本等もいろいろありました。熊谷さんもびっくり・・・。
 頭の悪い私ですので山内さんの説明の10分の1も分かりませんでしたが、山内さんという方は理数系で優秀な頭脳の持ち主ということはわかりました。
 〇話は変わりますがいつもお金のないずさんな私たちの会ですが、自己負担、保険なし、スポンサーなし、見通しも無い、のナイナイ尽くしの会です。
 〇19・20日の妻木晩田への航海は自己負担、ボランティアでも最低限度の経費はかなりかかるということをあらためて痛感。
  ・「13人乗り:わかとり」と「救助用10人乗りゴムボート」のチヤーター料、内藤船長さんの日当まったくなし せめて燃料代・・・燃料だけでも4万円~5万円?米子~安来~八束~美保関~淀江の往復
  ・丸木舟曳航用「カラムシ号」本庄~宍道湖~八束~美保関~淀江~本庄 往復 A重油160リットル…1万5000円?
  ・連絡用「船外機付きボート」燃料 20リットル(燃料節約のため曳航)・・3,000円
  ・その他 乗組員輸送車ガソリン代補助 安来内藤ハーバー往復、本庄、美保関往復、5000円 ゴムボート係留お礼、美保関漁港挨拶等・・ 5,000円 合計80,000円程度は必要(50,000円は妻木晩田イベント費用から) 不足分30,000円
   ※ということで夕食会の時のアルコールは申し訳ないですが個人負担でお願いします。
   ※不足分の3万円は錦織、森などでなんとかせざるを得ないのかな?? 新しい丸木舟の建造経費も現在は丸谷、山本、みやざこさんの3名の個人経費でやりくりしておられますので、こちらの方も併せて考えなければいけません。
 妻木晩田の航海、新しい丸木舟の建造の目鼻のついたところでスポンサー募集のチラシを作成、「汗もお金も!」ということで皆さん方にもお願いしたいと思いますのでよろしくお願いいたします。 



  
交易プロジェクト計画表  25.05.05掲載

からむし会の皆様 錦織です
5月1日に開催した打ち合わせ会で決定したプロジェクト計画を送付します。
ご確認いただきもし間違いがありましたら、至急連絡願います。
なお、19日集合に当たって注意していただきたいことを記します。
①美術館付近に駐車場がほとんどないと思われます。夕日公園のところぐらいかな。
  一晩おいておくことになりますのでどなたかに送っていただくか、タクシー乗り合わせが
  無難かと思います。
②弁当は支援車の方にお願いします。水も補給しますが、各自ペットボトル1本は用意してください。
③天候にもよりますが、帽子はあった方がよいです。また、サングラスも、肌を出す場合は
  日よけ止めをぬったほうがいいです。
④携帯電話、財布等は落としたり、水にぬらしたりしてだめになることがあります。
  (経験者です)私は、丸木舟乗船時、携帯は持たず、コインの小銭入れだけ持っていきます。
  時計も防水でなければおしみのないものをつけたほうがいいです。
⑤別表にある参加費はちょうどにして朝中道さんに渡してください。
⑥その他、着替え等は一まとめにして伴走船か支援車に預けてください。その際、
  荷札を付けるなどしてだれのものかわかるようにしておいてください。
報告です。
3日、内藤さんのヨットハーバーで森会長、三島さんとゴムボートを手入れしました。小屋から出して、
洗剤で洗い、榊原さんに借りたコンプレッサーで空気を入れました。平成10年製作のゴムボートですが、
保管状況がよく、水洗いしたら真新しいボートになりました。
このゴムボートは、とても大きくて6人でやっともてる大きさです。ヨットハーバーにおられた
かわはらさんやこだまさんにも手伝っていただき元の状態に復帰しました。
それはそれは立派なゴムボートで10人は乗れます。これがあれば丸木舟への乗り換えも安全です。
すばらしい助っ人登場ということになりました。
また、曳航用のアウトリガーも途中までつくりました。竹を切ってその先に発泡をつけ丸木舟の両側に
1メートルほど出します。つまり「発泡のやじろべー」です。
これで時化ても転覆しないでしょう。
今日は竹と発泡を準備しました。後は内藤さんが竹と発泡をFRPで接続されます。
着々と準備が進められています。でも天気がいちばん気にかかります。
ps:帰りに新造船を見に行ったら、宮廻さんと山本さんがもくもくと製作しておられました。
みかん彫りもほぼ終わり、原型が完成しつつあります。また、山本さんがジャッキで幅を広げたら
2cm広がったそうです。この状態で2cmですからお湯を入れて広げたら20cmはきっと広がるでしょう。
連絡です。
急なことですが、12日午後に「からむし丸」の貝殻落としをします。本庄小学校横の
砂浜につけて貝殻を落とします。水に入っての作業となりますので、着替えとタオルが必要です。
貝をとるへらのようなもの(移植ごてなど)を持参ください。
もし作業が早く終れば丸木舟の乗船訓練も少ししてみたいと思っています。
参加可能な方は、本庄港に1時に集合願います。
ちなみに、この日の午前10時から妻木晩田で交易のための染物(キハダの草木染)があります。
私はそこに行ってから本庄にいくつもりです。




    【名前・役割分担等は未確認のところあり】

                          からむし会・航行案

                          平成24年5月1日

 

       田和山から妻木晩田へ 古代交易ルートの実験航海

     ~丸木舟による碧玉「玉造石」の海上輸送ルートを探る~

 

1 企画趣旨

   妻木晩田遺跡から出土した碧玉製の管玉は、松江市玉造を産地とする「玉造石」

  を加工したものである。このことは今から約2000年前、弥生時代の後期に松江

  と米子・大山を結ぶ交易ルートが存在していたことを意味する。今回、丸木舟「か

らむしⅣ世号」による航海実験を行い、実際に碧玉の搬送を行うことで古代の交易

ルートを再現する。

 

2 実施時期  平成24年5月19日(土)、20日(日)

 

3 使用する丸木舟、伴走船

  〇丸木舟・・「からむしⅣ世号」全長9,7m、最大幅80cm

        乗員6名

  〇伴走船・・「からむし丸」0,7t、最大乗員数4名

              軒友丸曳航(船外機船)

      ・・「わかとり」4t、最大乗員数13名  

ゴムボート曳航(最大乗員数8名) 

 

4 航海ルート

    〇第1日目(5月19日)

      島根県立美術館裏手護岸から出発~宍道湖大橋通過~大橋川~中海、

      大根島を経由~境水道~美保関港まで(途中 伴走船による曳航もあり)

    〇第2日目(5月20日)

      美保関港~淀江港~(むきばんだ史跡公園)

 

5 「からむしⅣ世号」の移動 

   〇16日ごろ   本庄港より美術館近くの天神川に「からむしⅣ世号」曳航

            係留

            榊原、山本、錦織

 

 
古代交易プロジェクト 参加者
参加者 19日役割 19日昼食 夕食 宿泊 20日役割 20日昼食 集 金  備 考
からむし丸 なし からむし丸 4000円
錦織 丸木舟①② 丸木舟① 7000円
丸谷 丸木舟② 丸木舟 7000円
加田 なし なし なし なし 丸木舟① 1000円
中道 支援車 なし なし 支援車 7000円
榊原 からむし丸 からむし丸 7000円
三島 丸木舟② 丸木舟① 7000円
江角 丸木舟① なし なし なし なし 1000円
山本英雄 軒友丸 軒友丸 7000円
宮廻 丸木舟① 丸木舟 7000円
内藤 わかとり わかとり 7000円
熊谷 なし なし なし なし からむし丸 1000円
洞井 丸木舟① 丸木舟① 7000円
山本謙二 丸木舟① 丸木舟① 7000円
木村 わかとり わかとり 7000円 取材
須藤 丸木舟②? なし なし なし なし 1000円
NHK山本 支援車 支援車 7000円 兼取材
からむし丸 わかとり 7000円 取材
佐々木 丸木舟① なし なし なし 3000円
藤原 丸木舟② 丸木舟 7000円
今岡 丸木舟② なし なし なし なし 1000円
渡辺 丸木舟② 丸木舟① 7000円
中海テレビ 取材
  ①第1クルー ②第2クルー 
  




                              鹿島町丸木舟建造作業 24.05.05掲載

   5月4日(金)天気はいいけどかなりの風、北の方では大雨の被害ありとか・・・
 9:00錦織、森の2名は丸木舟の手伝い。丸谷、山本さんの指示で丸木舟の肉厚?調べ?のための型板つくりの手伝い、みやざこさんはチェンソーで最後尾の座席部分?を切り取る作業・・・なんとなくわかるようでわからない建造です。古代そのものの舟ではなく、舟底に穴をあけ、キール代わりに板をつけたり波返しの板を張り巡らしたり、帆をつけたりの計画のようです。まあ、安全第1、古代というより丸木舟的な巨大な木造の手漕ぎ舟計画といった感じかも・・。 
 舟の長さ13メートル以上、最大内径は80センチ、重さは多分1トン近く?では?。乗組員の数も10名以上のようですが、果たしてコントロール(舵)が可能なのか? 舟の大きさとこぐ力の関係は?など考えると????。とにかく大きい、重い舟という感じです。古代の復元というよりは「木造、手漕ぎ舟による冒険航海」というべきかもしれません。とにかく早く完成することを願うだけです。
 資金、漕ぎ手等々問題がありすぎるのが現状。 本庄の丸木舟は臨時(付け外し自由)のアウトリガーもつけるので「古代の再現航海」と言えると思いますが・・・。 午前11:00頃、山崎さんが来て少し手伝い、午後は全員帰りました。みやざこさん宅の田植え作業がはじまるので5,6日は休憩となりました。
    



                                 連休初日、ゴムボート点検 24.05.05掲載

  5月3日(木)朝から雨でしたが、8:30三島(明)、錦織、森の3名は前日榊原さんが運んでこられたコンプレッサーを積んで内藤ハーバーに向かいました。ゴムボートが使えるかどうか確認のためです。
 内藤ハーバーに到着、内藤さんのお友達のハーバー仲間のかわはらさん、こだまさんも車を提供したり、こまめに手伝ってくださいました。 まったく関係ない方がいつも気持ちよく泥にまみれ、汗をかいてくださることに、感謝するばかりです。
 内藤さんの小屋にあるゴムボートを引っ張り出すのは結構大変でした。重い、大きい、6人がかり、軽4輪の荷台にゴムボートをかけてエンヤラ運びました。長期間使われていないのでカビと枯葉で黒ずんでいます。ゴムの劣化?、空気漏れ?等心配しましたが結果は上々、コンプレッサーで4か所から空気を入れると空気漏れは全くなし。洗剤で丁寧に洗い、6人がかりでひっくり返してシートでおおいました。直射日光、砂、海水にはあまりあてない方がいいとのことでした。
 丸木舟のアウトリガーウも作るということで、道路際の竹林から竹を切り火であぶり、まっすぐにしました。そのあと浮き袋になる発砲スチロールをチエンソーで切断、13:30になったところで、かわはら、こだまさんがたいたご飯と レトロカレーを御馳走になりました。
 内藤さんのところでの今日の作業はここまで、あとは内藤さんがアウトリガーをつくるということで失礼しました。
 帰り道、本庄に寄り、丸木舟のマストの取り付け部分の長さを測定、アウトリガーを取り付けるときの参考にするため内藤さんに頼まれていたためです。567センチの幅がありました。帰り道、鹿島町の丸木舟の作業現場に行きました。雨の中、山本、みやざこさんと丸谷さん?が働いていました。ゴミ集めを手伝い失礼しました。明日4日は 午前9:00~の作業ということでした。 熊谷さんは3日、4日はウオーキング大会のため欠席です。




  
5月2日(水)にも中央新報が古代の交易イベントを掲載していました。
 




                           熱湯で舟の幅を広げる実験 24.05.01掲載 

 からむし会の皆様 錦織です。

 今日、舟の幅を広げる実験をしました。
かんべの里で作った実験模型は長さ156cm、最大幅15.5cmです。丸谷さんと二人で実験しました。
まず、模型の舟に水を張ります。次にたき火をして、こぶし大の石を焼きます。
それを舟の中に放り込みます。1回目で風呂の温度位に上昇しました。
 
石を取り出し、もう一度焼いて放り込みます。ジューという音を立て、泡がぼこぼこ出て、湯気が立ち上ります。手をつけられないほどの熱さで、80度くらいはあると思います。車のジャッキで幅を広げ、横棒で固定します。内径135mmから143mmに8mmほど広がりました。もし、同様の比率であれば、内径800mmの場合50mmくらい広がることになります。しかし、実験模型の場合、舷側が40mmもあり、舟の長さも短いので、この程度の拡幅しかできなかったのですが、製作中の新造船の場合、200mmは広がるような気がします。
 
とにかく、湯で木を軟化させ、形を変えることができることは実証できたと思います。また、焼いた石で水を湯にすることもできることを確認できました。しかし、新造船の場合、かなり大がかりなたき火をして、たくさんの石を用意しなければならないでしょう。
 まあ、なせばなる ということでしょうか。
明日、6時から城西公民館で交易イベントの打ち合わせをします。ご集合よろしくお願いします。




                             丸木舟連休の日の作業報告 24.05.01掲載

  4月28日(土)晴れ、29日(祝日)晴れ、30日(月)お休み曇り、雨は3連休でした。町の中はかなりの車、蕎麦屋の前は行列というかんじでした。 3日間の休みの内、宮ざこ、山本(エトモ)さん等、丸木舟作業をされました。森、熊谷さんもお手伝い。お手伝いと言っても丸木舟の外側の皮を刃物を使ってコツコツと剥ぐ作業(サンダーで一気にゴリゴリというのは表面がざらざらとなり、ムシが侵入する原因の恐れとか・・)ととめどもなく出るチエンソーと電気カンナからの木くずをソウキで集めては大きなゴミ袋につめる仕事です。
 30日は錦織、丸谷さん2名がかんべの里で模型の杉の丸木舟(写真参照)の中に湯を入れ、さらに川の石を焼き、丸木舟の中に放り込み、熱湯状態にする作業をしました。 要するに熱湯風呂状態をつくりだ出し、木を蒸して柔らかくして舟の内側を広げる実験です。同時に舟の下から枯葉をもやし船底部分は硬くする? 膨張率の違いを利用する?ということでしょうか? よくわかりませんが、南米?のほうでこのやり方が使われているそうです。
 結果は成功で左右合計8センチ程度船体の幅を広げられたとか・・。 13メートルもある丸木舟で船体を広げることが可能かどうかはわかりませんが、とにかく実験することは間違いありません。
 連休3日間の作業を振り返ると、丸木舟の内部を掘る作業はかなり・・・80%?進んだような気がします。作業に参加する方の少なさが気にはなりますが、ここまで来たからにはなんとか完成させないといけません。金も伴走船も人員もまったくめどのない状態での作業ですので、古代の道をたどる取り組み熱もかなり低下?している感じですが、なんとかしているうちに道は開けると思います。




                    保安庁などへ航海資料提出  24.04.26掲載

 4月23日(月)午後13:30~錦織車で境港にある海上保安庁と美保関漁業会?航海前日に宿泊する旅館、何かとお世話を願う福田酒屋さん宅を訪問。19日、20日の航海に関する協力のお願いをしました。榊原さんも同行してくださいました。
 天候のこと、乗組員のこと、経費的なこと、伴走船のこと等々、いろいろ問題がありますが、とにかくなんとか実行させないといけませんね。
   




からむし会の皆様へ 錦織です。    24.04.26掲載

すごい風でしたね。
今日は妻木晩田で物々交換用の草木染をするというので出かけましたが、大風のため
延期となりました。淀江インター手前では、前方を走っていた保冷車が横揺れをして危険を
感じました。
明日、森会長、榊原さんと海上保安庁、美保関に行きます。
航海イベントの届け出と、舟の係留、宿のことのお願い等です。
19日の夜は、安くてすてきな宿がとれそうです。
現在のところでの計画案を添付します。
参加の可否をまだ連絡されていない方は至急お願いします。
また、からむし会以外の方にも声をかけてください。仲間を増やしましょう。
ps:①森会長は本庄港に舟を見に行きましたが、大丈夫だったようです。
  ②連休中に本庄港から大根島までの航海訓練をしたいと思います。
    航海プロジェクトの打ち合わせもかねて・・また、連絡します。

からむし会・企画案

                          平成24年4月23日

        田和山から妻木晩田へ 古代交易ルートの実験航海

     ~丸木舟による碧玉「玉造石」の海上輸送ルートを探る~

 1 企画趣旨

   妻木晩田遺跡から出土した碧玉製の管玉は、松江市玉造を産地とする「玉造石」

  を加工したものである。このことは今から約2000年前、弥生時代の後期に松江

  と米子・大山を結ぶ交易ルートが存在していたことを意味する。今回、丸木舟「か

らむしⅣ世号」による航海実験を行い、実際に碧玉の搬送を行うことで古代の交易

ルートを再現する。

 2 実施時期  平成24年5月19日(土)、20日(日)   
3 使用する丸木舟、伴走船                         

  〇丸木舟・・「からむしⅣ世号」全長9,7m、最大幅80cm

        乗員6名

  〇伴走船・・「からむし丸」0,7t、最大乗員数4名    

      ・・「わかとり」4t、最大乗員数13名
4 航海ルート                                 

    〇第1日目(5月19日)

      島根県立美術館裏手護岸から出発~宍道湖大橋通過~大橋川~中海、        大根島を経由~境水道~美保関港まで(途中 伴走船による曳航もあり)

    〇第2日目(5月20日)
      美保関港~淀江港~(むきばんだ史跡公園)
5 日程                                     

   〇期日未定   実験航海  本庄港~大根島(入港) 往復6km

            8:00 本庄港集合  8:30 出航          

           10:30 本庄港着岸 その後プロジェクトの打ち合わせ

           ※連休中に実施予定

   〇5月17日(木)本庄港より美術館近くの天神川に「からむしⅣ世号」曳航係留

   〇5月19日(土)8:00美術館裏手に集合・出航準備                

            9:00~10:00出航イベント                 

              田和山の子どもたちからからむしの乗員に碧玉と勾玉を託す

             ※碧玉は玉作資料館提供、勾玉は子どもたちが製作

            10:00 出航                                

             「からむしⅣ世号」                              

              三島、渡部、錦織、江角、佐々木、丸谷、山本、宮迫

             「わかとり」内藤、木村                           

             「からむし丸」榊原、熊谷、森                      

              乗用車 NHK山本(取材を兼ねる)                  

   【19日航海日程】

     県立美術館10:00~矢田の渡し(6km)11:30 航海

     矢田の渡し11:30~入港(9km)12:30  曳航

     昼 食(弁当)

     入港13:30~森山港(7,5km)15:00   航海

     森山港15:00~海崎港沖(9km)16:00  曳航

     海崎港沖16:00~美保関港(1,5km)16:30 航海

             「からむしⅣ世号」                              

             三島、渡部、加田、錦織、丸谷、山本、宮迫

             「わかとり」内藤、木村                           

             「からむし丸」榊原、熊谷、森                      

             乗用車 NHK山本(取材を兼ねる)                

     美保関にて宿泊    森、榊原、錦織、三島、木村、丸谷、山本 

   【20日航海日程】

     美保関港集合5:00 出航準備                              

     美保関港6:00~淀江港沖11:00(16km)            

      ※10:00、11:00に妻木晩田遺跡(洞ノ原地区)で狼煙があがる

     淀江港入港 12:30                                   

       田和山の子どもから託された碧玉と勾玉を妻木晩田の子どもに渡す。

       バスで妻木晩田遺跡に移動                                    

     交換式(妻木晩田遺跡) 13:00~14:00              

       田和山及び妻木晩田の子どもたちによる勾玉と鉄器の交換

       及び、碧玉と草木染の布の交換

     丸木舟乗船体験(淀江港内)14:00~15:45             

・・・淀江港に移動。参加した子ども対象

     淀江港~本庄港(曳航) 16:00~18:00               

  乗員については確認中です。今後参加者は増えると思います。

   役割分担  全体指揮:森           

         航海指揮:錦織・榊原・内藤                  

         宿泊関係:                              

         後方支援(弁当・水)会計                    

   予算:妻木晩田遺跡から伴走船燃料費5万円

      各自参加費  1日につき千円(弁当・水等)

             宿泊者  プラス   円


              丸木舟に重りをつけて試走 24.04.17掲載

 4月15日(日)午前中は丸木舟の皮むきの手伝い、午後、本庄の港で丸木舟のおもり(約百数十キロ)を実際に付けて航海することにしました。 船体内側の両側に砂鉄のソーセージという感じです。 波が少々ありましたが3人の乗組員で十分走行。復元力もかなりアップしたようです。 かなり沖まで出ましたが上々の成果でした。あと、丸木舟の緩衝のための発砲スチロールをつけてもらいカラムシ丸の固定もして無事帰りました。 土、日休みなくの活動となりました。     
 
 
                                 カラムシ号のロープを外す 24.04.17掲載

4月14日(土)午前中の丸木舟作業手伝いからそのままコンビニで弁当を買い錦織さん、熊谷さんと本庄に向かいました。本庄の小学校前は桜満開!ささやかなコンビニ弁当でしたがのんびりランチタイムとなりました。
 少し風は冷たかったのですが午後1時榊原さんがウエットスーツで身を固めてカラムシ丸の下にもぐりました。緑色の水はまだまだ冷たそうです。プロペラにからみついていたロープを何度も潜り直して外されました。
 エンジンもかけましたが船外機も順調に始動。突然の思い付きでしたが、安来の内藤ハーバーに向かって出発。丸木舟を本庄に持って帰ることにしました。安来までは時速15キロ?ていど?約2時間20分かかりました。途中、大きなボラが船に飛び込んできて驚きました。
 エンジン快調、夕方薄暗くなってからハーバーにつきました。内藤さんの仲間の方たちに手伝ってもらい丸木舟を水の中に下ろしました。帰りもまたボラが曳航した丸木舟の中に2匹飛び込んできました。結局、航海燈をつけて震えながら真っ暗な中を接岸、8時頃でした。係留など問題があるので日曜日の午後榊原さんときちんと係留することにしました。




   4月15日(日)
 前夜の公民館送別会の影響で頭がちょっと痛かったのですが、9:00熊谷さんと鹿島町の丸木舟の表皮はぎと木くず集め作業に参加。 錦織さんは安来の内藤さんのところで砂鉄のソーセージを取りに出かけました。 みやざこさんはそろそろ田植えの準備もはじまり丸木舟どころではないとのことですが、今日も出動。 山本さんの依頼に応じて丸木舟のくりぬき作業です。大分形ができました。 午後は本庄の港に行ってカラムシ丸のプロペラにからみついたロープを外す作業があります。
 
  4月14日(土)
 前日の金曜日、熊谷さんは丸木舟の表皮はぎ作業に出かけてくださいましたが、今日、土曜日、熊谷さんと手伝いに出かけました。表皮はぎと木くず集めです。木くずはチエンソーが動くたびにソウキにあっという間にいっぱいになります。錦織さんも参加、山本、みわざこさんのお手伝いで半日は終わりました。 天気でしたが風は結構ありました。 
  




                                                  24.04.15掲載
 
播田様 錦織です。
からむし会の皆様にも送ります。

いつも詳しいデータをありがとうございます。
私のこだわりかもしれませんが、丸木舟に関しては絶対ゆずれないところがありまして・・・
それが速度です。丸木舟の最大メリットは速度であり、日本列島周辺(朝鮮半島を含む)
での航海は、天気の良い日に一気に渡る、尺取虫方式だったと思います。
つまり、天鳥船は鳥のように速く進む船のことなのです。
この方式なら朝鮮海峡も一日で渡れます。
復元力はその次に大切な要素だと思います。
日本書紀にあるアメノヒボコやツヌガアラシトの航路も対馬経由の尺取虫方式です。
浦項は三国遺事のヨノラン・セオニョ説話から直行ルートを主張していますが、これは危険です。
他国に攻められ、ボートピープルのように危険覚悟で逃れる場合は別として、やはりより安全な航法をとったと
思います。
したがって、弥生時代までの丸木舟は、アウトリガーも2艘連結もなかったと思います。
おそらく帆もなく、あったとしても補助的なものだったでしょう。
出土した丸木舟や土器・板の線刻画もみなそうです。
今回の新造船での関心事は2点あります。
ひとつは、丸木舟の穿孔方法です。私は今まで、穿つ部分を焦がして、例えば焼いた石とか松脂とかで・・・
石器ないし鉄器でほったと考えていましたが、穿つ前後をまずほって、横にくさびを打ち込み引き割る方法が
あることに気づきました。今回はその方法で、Ⅳ世号よりはるかに効率的に作業が進んでいます。
もう一つがより重要ですが、完成まじかに、舟に水をはり焼いた石で熱湯にして材を軟化させ、幅を広げる
方法です。新造船の場合、20cm幅が広がればすばらしいと思っています。
この方法だと、速力を維持しながら復元力を増加することができます。
ちなみに、船底は枯葉等を燃やして硬化させます。
以上の方法はアメリカインディアンが使用している方法ですが、古代日本でも使用していた可能性は
十分考えられます。
二つ目の方法については、直径20cmぐらいの同じ杉材で実験してみようと考えています。
播田様、会員の皆様方で、このことに関しての知見をお持ちでしたら教えてください。
ps:昨日、からむし丸のからまったロープ切断。榊原さんが冷たい海に潜りました。
安来のヨットハーバーからからむしⅣ世号を曳航して本庄港まで、係留。7時30紛終了でした。
今日、砂鉄座布団つくり です。森会長や熊谷さんたちは新造船つくりの方に参加予定。
2時に本庄港で昨日仮止めした2艘をくくりなおします。
なお、22日に予定していたからむしⅣ世号移送は終わりましたので、新造船の作業に参加してください。
からむしⅣ世号の試験走行は5月になってから行います。

 
からむし会  森様 錦織様
播田です

新丸木船の製作も進んでいるようですね。
また、妻木晩田丸木船体験航海(5月19日、20日)も決まった様ですね
弥生時代後期の松江と米子・大山の交易ルートを丸木船の航海実験を
行い、碧玉、勾玉、布、鉄器などの交易ルートの探訪
弥生時代でも、朝鮮半島は別として
国内の沿岸航行は丸木船で輸送していたことは確実でしょうから
貴重な鉄器などを積み、いい航海実験になるでしょう。
当方は縄文時代の遺跡、出土品など国立歴史民族博物館や
縄文遺跡を訪ねて、研究員や学芸員に話を聞き、文献などで調査結果
縄文中期の九州の腰岳の黒曜石が韓国の東三洞遺跡で発見されており
その他日本の土器も発見されていることから
縄文時代中期の石器時代に対馬海峡を渡って
九州から朝鮮半島又は朝鮮半島から九州への航海はされていたこと
また、九州から沖縄への黒潮に逆らって航海していたことも
出土品からは明白な事実のようです。
丸木船の技術的な検討や海象からは、
幅が60~70cm位の丸木船では安定した航海は難しそうですが
歴史的事実からは対馬海峡を渡り、沖縄まで黒潮に逆らって
航海していたことになります。
1)当時は大きな木が多くあり、外洋航海は
 幅が80cm以上1m位ある丸木船を使用していた
 
2)幅が60~70cmの場合でも
 体験者である錦織さんが言っているように
 丸木船が意外と安定してよく走る。
 傾いたときはヨットのように乗員がバランスをとり、
 (復原力が小さいと、乗員の少しの移動で傾きが治る)
 浸水すると水をかい出しながら走った
3)他の方法、2隻横に連結したり、他に復原力を増やし
 波が打ち込まない工夫をしていた。
(しかし2隻つなぐと安定性は4倍になるが、速度が出ない)
4)また九州から朝鮮半島へは1~1.5ノット対馬海流を横切る
 必要があり、特に沖縄へは3ノットくらいの黒潮があり
 ある程度の速度がないと不可能です。
 櫂以外に帆のようなものがあったのか
5)経験的に風や潮流を読む航海術があったのではないか
と考えられ、
私が当初送付した丸木船の対馬海峡航海検討は修正する必要があり、
からむしⅤ世設計図も
丸太が細いため、復原力を増すための船尾幅広としましたが
当時はこんな形はなかったのでしょう。
今回、からむしⅣ世号のおかげで、検討した結果
丸木船のことがいろいろとわかり、貴重な資料となるでしょう。
多分、今まで丸木船の設計的な詳細検討は初めてと考えられます。
いろいろとありがとうございました。
P・S
5月20日の体験航海には参加したいと考えていたのですが
所用があり参加できません。
そのうち、折を見てお伺いしたいと考えています
よろしくお願いいたします。





                                  からむし会総会 24.04.12掲載

    4月7日(土)18:00)から公民館でカラムシ会の総会をしました。

           ・ポハン旅行のこと(5月18・19・20日)
           ・妻木晩田(淀江の港)への航海のこと・鹿島町役場の前で建造している新しい丸木舟のこと
           ・日韓丸木舟の航海と資金などのこと等々・・・話し合いは3時間にも及びました。

 資金の目途もな、く初めから土台無理な計画の積み重ね、何年間も同じ話の繰り返し、などの厳しい意見も出ましたが、妻木晩田への航海準備などとにかく進めていくことになりました。
 資金のこと、伴走船のことなどおっしゃる通り、あまりにも大きい問題で解決策はまだありませんが、とにかく今は芋虫のようにそろり、そろりと前に進むしかなさそうです。




24.04.11掲載

 

2012年3月2日案

妻木晩田遺跡活用実行委員会 事業                

「むきばんだ丸木舟航海体験」 実施要項

 

1 趣  旨

2000年前の弥生時代の後期に松江と米子・大山を結ぶ交易ルートを丸木舟による航海実験を行い、碧玉・勾玉の搬送、さらに布、鉄器との交換式を行い、古代の交易ルートを探訪する。

2 日  時

平成24年5月19日(土)13:00~16:00(雨天決行)

       20日(日) 9:30~16:00(雨天決行)

3 場  所

  県立むきばんだ史跡公園(体験学習室、多目的広場、発掘体感ひろば)

  淀江漁港

4 内  容

① 交換式に使う鉄器の製作(19日)

② 丸木舟乗船体験、交換式、遺跡見学、擬似発掘体験(20日)

6 日  程

【19日(土)鉄器作り講座】

  受付(弥生の館むきばんだ)          12:30~13:00

  開会挨拶(体験学習室)日程説明        13:00~13:10

  弥生時代の交易について解説(紙芝居)     13:10~13:30

  鉄器作りについて解説             13:30~13:50

  鉄器作り                   13:50~15:30

  1日目終了                  16:00

 

【20日(日)丸木舟交代体験イベント】

 ○受付(弥生の館むきばんだ)           9:00~ 9:30

 ○開会挨拶(体験学習室)丸木舟についてガイダンス 9:30~ 9:45

洞ノ原西丘陵へ移動(丸木舟の入港の様子見学)  9:45~10:00

○西丘陵にて「狼煙」見学            10:00~10:10

 ○遺跡案内                   10:10~11:00

(環濠~四隅突出~土屋根~妻木山復元住居~遺構展示館~発掘体感ひろば)                   

 ○擬似発掘体験(発掘体感ひろば)          11:00~11:30

○昼食(白鳳の里弁当)調整中            11:30~12:10

○バスで淀江漁港まで移動              12:10~12:30

 ・歓迎会(交換式)は妻木晩田遺跡で行うため、港まで出迎える案内役を数名派遣する形態をとる。ムラ長と数名の大人、妻木晩田・田和山の代表児童は、淀江漁港まで移動。

 

○丸木舟淀江漁港入港出迎え、妻木晩田までバス移動   12:30~13:00

○交換式、淀江漁港までバス移動            13:00~14:00

 ①開式の言葉

 ②歓迎の言葉(妻木晩田)

 ③代表者挨拶(からむし会)

 ④交換式…碧玉とキハダ染めの布の交換(田和山サポートクラブ、歩く会)

      鉄器と勾玉の交換(田和山の子供、妻木晩田の子供)

 ⑤記念撮影

 ⑥歓談(歓迎の宴をしている形態として5分ほど茶菓でもてなしをする)

 ⑦閉式の言葉

 

○丸木舟乗船体験(漁港見学…調整中)         14:00~15:45

(乗船体験は、1組につき 大人2名、子供615分)

・2グループ編成Aグループ(田和山11名、妻木晩田11名)

Bグループ(田和山 9名、妻木晩田 9名)

・14:00~15:00 Aグループ 丸木舟乗船体験&待ち時間で火おこし

               Bグループ 漁港見学

  ・15:00~15:45 はABを入れ替えて実施

  ・漁港見学…漁船の解説(10分)漁港の施設解説(10分)漁の種類や道具について解説(10分)とれる魚の種類について解説(10分)

○閉会行事                     15:45~15:50

○終了                       16:00

 

7 募集定員 20名限定(先着順に決定)

8 対  象 小・中学生(小学校4年生以下の児童は保護者同伴)

9 費  用 1,000円(昼食代、保険代)

10 募集

(1)募集方法

 【ハガキ・ファクシミリ・電子メール】

   (1)郵便番号、(2)住所、(3)参加者氏名(全員、学年明記)、

(4)電話番号(緊急連絡用)、(5)「丸木舟航海体験希望」を明記して申込み。

 【ホームページの応募フォーム】

所定の様式に入力

(2)募集期間

  平成24年4月9日(月)~5月4日(金)

(3)広 報

・チラシ、ホームページ、県政だより等により広報。

4月14日(土)のグランドーオープン記念行事記者発表会(内覧会)にて広報を行う。

・田和山でのプレイベント(丸木舟作り)から新聞報道、テレビ、ラジオにも積極的に広報依頼を行う。(キハダ染め)

 

   荒天時、午後の乗船体験は中止。代わりに「交易に関する想像画教室」を行う。

   紙芝居ストーリー製作は、現在、佐古先生により進行中。イラストは、学生に依頼したい。

   田和山の子供たちには、プレイベント時に紙芝居の読み聞かせを行う。

   歩く会のキハダ染めは422日(日)午前9時から1230分にむきばんだ史跡公園旧体験学習室にて実施。

 
 

        交易プロジェクト からむし会企画(案)   

【現在の状況】

 「からむしⅣ世号」虫食いの補修完了  滑石のパテ埋め、FRPの貼付け(三重に)

 内藤ヨットハーバーで保管

 「からむし丸」本庄港に係留  スクリューにロープがからんでいる。

 

【復元力補強】

 砂鉄のおもり2本(ヨットの帆を利用) 今後、さらに砂鉄座布団をつくる予定

 

【航海実験と係留地の移動】

4月15日(日)砂鉄座布団製作 重量計測

4月22日(日)

 7:00 ヨットハーバー発   12:00 本庄港着 係留

 航海距離 約20km 時速4kmで5時間

(予備日)29日(日)

 

【準備】

美保関港の利用願い  5月19日(土)の係留

海上保安庁への届け

クルーおよび伴走船「わかとり」「からむし丸」乗員の割振り

 19日:

 20日:

 

【当日前からの動き】

 17日(木) 本庄港から県立美術館近くの天神川に曳航

 19日(土) 集合     8:00

出航イベント 9:00~10:00   県立美術館裏

        出航    10:00

              大橋川→中海→美保神社(泊) 走行予定距離35km

              ※途中伴走船による曳航あり・・とくに境水道

 20日(日) 出航     6:00  走行予定距離16km

        淀江港沖合 10:00

        入港    12:30

        交換式      13:00~14:00

        丸木舟乗船体験  14:00~15:45

        本庄港へ曳航   16:00~18:00




丸木舟作業 24.04.10掲載

 4月8日(日)風の強い日でしたが晴れ、9時過ぎ丸木舟の作業現場へ行きました。
丸谷、みやざこさん2名、午後山本さんが参加、錦織さんも参加。
 私は会があるので失礼しましたが、かなり急ピッチで建造作業が進んでいる感じで感心しました。
中海テレビさんも来ていました。 明日は熊谷さんも作業に参加します。 




からむし会の皆様 錦織です  24.04.03掲載

3月31日、田和山サポートクラブのお誘いで田和山遺跡から花仙山まで往復しました。
歩数計では約2万5千歩でした。おそらく20キロぐらい歩いたと思います。
全員で9名、からむし会からは森会長、熊谷さん、小生が参加。
参加者の中では私が一番若いかと・・・最高齢は86歳、・・・この方は途中で車にされましたが・・・
とにかくみなさん健脚で驚きました。森会長も平気な顔で歩いておられたし、熊谷さんに
いたっては散歩程度という感じでした。
中には「今度宍道湖一周50キロを歩きますよ」とおっしゃっていた方も・・・
まあ、おそるべきシニア軍団です。
途中、布自名で「大穴持神社」に行きました。出雲国風土記に登場する神社です。
田和山サポートクラブの石橋事務局長さんによると、布自名ももともと風土記にある「林」になるとか、
そうです、オオクニヌシが古志の八口に遠征にでかけた出発地の「林」です。
立派な神社で、手入れもいきとどいていました。
玉作資料館では、子どもたちの勾玉つくりについて三宅館長さんと打ち合わせしました。
その後、瑪瑙の露頭を見て帰りました。
5月19日20日の「丸木舟による古代交易ルートを探る」イベントについては6日に
妻木晩田で第5回目の打ち合わせをします。
御都合のつく方は、6日の13時半に妻木晩田遺跡に来てください。
7日には、からむし会総会があるので、その時にくわしいことをお話しします。
総会にはぜひ皆さん参加願います。 


                                花仙山ウオーキング 24.04.02掲載

 3月31日(土)朝から冷たい雨が降っていました。5月の妻木晩田資料館、玉造資料館、カラムシ会などで企画されているイベントの一環としての田和山サポートクラブ?の石橋さんたちによる花仙山ウオーキングは多分ないであろうと思っていましたが、10時 9名で田和山から花仙山に向けて約10キロの道のりスタート。 最高年齢86才 冷たい雨、かなり強い風でさわやかとは言えませんでしたが、なんとか山につきました。
 残念ながらめのうを掘った跡のくぼみなどはよくわかりませんでしたが、雨が止んでホッと一息。 玉造に降りてお店で昼食、午後、玉造のなかにあるめのうの産出場所?と言われる場所?の見学と、玉造資料館で小学生による勾玉つくりがあるそうですが、私は夕方運営協議会の総会が予定されているので玉造から松江に向けて出発。 強風の中をなんとか歩いて田和山まで帰りました。少々くたびれました。 




                                新しい丸木舟建造開始 24.04.02掲載

  3月31日(土)朝から冷たい雨が降っていましたが、丸谷、みやざこ、山本さんの3名は鹿島町役場の前に運んだ杉の大木を丸木舟にする作業を開始。 錦織、森、熊谷の3名は妻木晩田、玉造資料館との共催による「めのうが出る山」(花仙山)(勾玉をつくる石)へのウオーキングに参加していたので鹿島町の現場には行けませんでした。
 この写真は榊原さんが撮影したものです。 3人で雨の中一挙に作業を進められたようです。私も1度見に行こうと思っていますが、年度初めでなかなか出かけるのが困難な状況です。




からむし会の皆様へ 錦織です 24.03.27掲載

先日の日曜日に砂鉄採りに行きました。
強い西風にもかかわらず、たくさんの砂鉄が採れました。
参加者は、森会長、榊原さん、佐々木さん、内藤さん、熊谷さん、そして小生
ヨットハーバーでヨットの帆袋につめました。
ヨットの帆は榊原さんがなぎさ公園から使用しなくなった帆を持って来られました。
要するに、帆柱を挿入するところに砂鉄を入れて、「砂鉄の腸詰」をつくったのです。
腸詰といっても砂鉄が入っていますから重いのなんの、三人がかりでやっと持てる重さです。
それを2本つくりました。あとは、その効果を実験するだけです。
それと、情報&案内です。田和山サポートクラブの石橋さんからです。
今月31日、田和山遺跡から花仙山までのウオーキングがあります。
田和山遺跡の駐車場に9時集合。昼過ぎまでです。
弁当持参か、途中のコンビニで弁当を買っていきます。
5月には、玉作資料館で子供たちが勾玉をつくり、このコースを徒歩で運び、県立美術館付近で
丸木舟に積んで妻木晩田遺跡まで運ぶ計画です。
その下見を兼ねています。
都合のつく方、春の野山をちょっと歩いてみませんか?
参加できる方、錦織まで連絡ください。ご家族、友人大歓迎です。


  
3月25日(日)とても寒くまた風の強い日曜日 24.03.27掲載

9:00公民館集合、鹿島町の役場前に行きました。
丸木舟の看板ができたということで確認というかんじです。
 高浜印刷さんの好意ということでした。
一応、写真撮影のあと丸谷、山本、宮ざこさんの3人は
木を切り出したところの道路の修理に出発。
 錦織、榊原、熊谷、佐々木、森、安来の内藤さんの
6名は砂鉄取りに向かいました。
 海岸は晴れてはいましたが、砂がパチパチ顔にあたるほどの寒風
波も足元まで上がってきて少し危険。
 錦織、熊谷2名は長靴の中に水が入って靴下びしょびしょ。
近くのうどん屋でうどんを食べ、午後は内藤さんのハーバーで
とった砂鉄のかんな流し。
 榊原さんが用意したヨットの帆のマスト用の穴に砂鉄を入れました。
簡単に言えば「砂鉄のソーセージ」つくりです。
 ハーバーの近くの小道にはツクシンボがたくさん生えていました。
また、終日、内藤さんの仲間の人達が、船底についた貝をそぎ落としたり
ヨットの整備をしておられました。
 14:30一応作業終了。お茶を頂き休憩。
ヤレやれという感じで帰りました。
年度末のことで公民館は連日、夜の会があり、かなりくたびれ状態、
・丸木舟の建造の責任者は?
・建造費用は?・作業計画は?
・電源?・ゴミの処理?・人手?
・伐採までの諸費用は?等々
よくわからないままに
どんどん進んでいますが、一度皆さんで話し合うことが
是非必要です。
     
     


 
からむし会の皆様 錦織です  24.03.23掲載

昨日18日第2回目の砂鉄とりに行きました。
森会長、内藤さん、榊原さん、熊谷さん と私です。
場所は「弓ヶ浜展望駐車場付近の海岸です。
前日は西風で、ベストコンディションではありませんでしたが、それでも5人でバケツ5~6杯とれました。
内藤さんのヨットハーバーでかんな流しの方法で砂鉄の純度を高めました。
次回は、砂鉄とりの最終回になると思います。
25日(日)の9時に城西公民館集合です。皆さんぜひ参加してください。
この日は袋詰めもしてみる予定です。
追伸
エトモの山本さんより連絡がありました
 〇だけ山のふもとから切り出した杉のきの後始末について
  ・田んぼ、あぜみち、道路の直し近日中に実施とのこと
   ・・・・もう済んでいるかもしれませんね
  ・鹿島町役場前の道路に運んだ杉の木のまわりに
   フェンスをとりつけ(事故防止)るとのこと
   ・・・・もう済んでいるかもしれませんね




                  砂鉄取り 24.03.19掲載

 3月18日(日)午後、2回目の砂鉄取りがありました。参加者は錦織・森・熊谷・榊原4と安来の内藤さん、風が冷たく、また砂鉄も重く結構くたびれました。
 内藤さんのハーバーに帰ってからカンナ流しのやり方で水を流し砂と砂鉄を分けました。水分を含んだままの砂混じりの砂鉄をペットボトルか筒状の入れ物に入れて舟の両サイドに置いたら ころころ転覆しないで安定的な走行が出来るのでは?等の話でお茶の時間は終わりました。 帰ったらもう6時過ぎで薄暗くなっていました。
 もう一つの会があり、夕食後出かけましたが帰宅は午前様でくたびれでした。




からむし会の皆様へ 錦織です 24.03.13掲載

寒いですね 水の温むのはいつでしょう?
10日に砂鉄採りに行きました。内藤さん、熊谷さんと三人です。
場所は弓ヶ浜半島の中間地点。
この日は東風。波がかなりありました。浜辺に出ると黒い縞模様が見えます。
砂鉄です。東風の日は砂鉄が採れるという内藤さんの言葉通り、砂鉄が波に乗って打ち上げられていました。
さっそく、移植ごてで掬い取ります。砂鉄の層は1センチぐらい。おもしろいように採れます。
あまりに夢中で長靴の中に波が入ってしまいました。20分ぐらいでバケツがいっぱいになりました。
しめしめと思ってバケツを持ち上げてみましたが、その重いこと、欲をこいてバケツ一杯にしたのですから・・・
やっとの思いで車に積んで内藤さんがヨットハーバーに持って帰られました。
そこで、第2回砂鉄採りをします。18日(日)の午後です。
1時に城西公民館に集まって出かけます。
持ち物はバケツと移植ごてです。参加可能な方は錦織まで連絡願います。
追伸:今日榊原さんからの話ですが、砂鉄座布団より砂鉄膝枕が効果的ではないかと・・・
つまり舟の底の左右に筒状の袋に入れた砂鉄を置く方が舟の安定にはいいだろうと・・・
それもそうだと思いました。
では、よろしく 祈る東風


からむし会 森会長様
播田です
24.03.13掲載

いろいろと大変な様子ですね
当初の計画から
許認可やいろいろあり、
作業手順や輸送、作業、材料手配、人員、お金の問題、
広範囲な検討が必要で、大変さが目に浮かびます。
日本の国で何か初めてのことをやろうとすれば
如何に大変かがよくわかるでしょう
官庁の許認可などもがんじがらめでしょう。
特に安全にかかわることは、彼らは自分が認可して
事故でも起こったら、マスコミにたたかれるので大変で
初めて例のないことにはなかなか認可しないのです。
日本財団の助成金は24年度は締め切られましたので
25年度となります。25年度の締め切りは24年10月頃と思います。
伴走船の件
1.ボートの航行区域
対馬海峡は沿海区域(陸から20マイルまで)になるので
プレジャーボートの場合、航行区域が沿海区域の資格を有する
ボートが必要となります。
2..ボートの大きさ
大きさからは総トン数5t以下ではやや小さいと考えられ
総トン数5t~19tの範囲のプレジャーボートが良いと考えられます。
5t~19tの範囲では限定沿海資格のボートがほとんどですが
沿海への資格変更の可能ですが、救命器具、通信装置など
搭載品の変更が必要と考えられます。
3.ボートのエンジン、プロペラなど
3-1船外機はガソリンなのでよくない
3-2船内外機式でエンジンはディゼル機関でインボードアウトドライブ
(チルトアップ式)舵がないタイプが多いが、これらはプロペラが小さく
高速回転であり、高速用であり、曳航出来ないことはないが、曳航向きではない
上記の3-1.3-2タイプは総トン数5t未満が多く長さも30ft(9m)以内が多い
3-3.漁船のようなディーゼルエンジンの減速機に軸を直結した舵付きの
 プレジャーボートは2軸型が多く、エンジン回転数2500rpm位で減速比が2から3で
 プロペラ回転数も500~700rpmと低く、曳航に適し信頼性がある。
 これらは5t以上20t未満が多い。
4.漁船の場合
第1種小型漁船は100マイル以内 
第2種小型漁船では(20t未満?)で、100マイル以上の遠洋へ行くので
 良いと考えられますが、このような漁船があるかどうかです。
5.杉の丸太のサイズはホームページで確認しました
 木取り図を書いてみます。
 ただ、CG用の新しいウインドウズ7でi-7 64ビットマシンでは
 船の排水量を計算する特殊ソフトが使えないのです
 XPの古いノートパソコンしか使えないのですが
 古いノートパソコンを起動したら、バッテリーが切れて起動
 できないので、バッテリーを購入中です。
 これがないと計算できませんので、しばらく時間がかかります。
以上よろしく
 



   3月10日(土)
 砂鉄取りから熊谷さんが帰ってこられましたので鹿島町に置いてある杉の大木の大きさを測るお手伝いをお願いしました。
 雨の中、図りましたが船の性能と長さ、フェリーに積み込むとした場合の長さ、などまったくわからないままですが、一応測りました。
 今の状態で
 ・重さは6トン(エトモの山本さんの話)
 ・全長 13m40㎝
   ・(太い部分)根本から50㎝の部分 直径は150・135・140㎝
    凸凹しているため平均して130㎝か? 周りは367㎝
   ・根本より3m40㎝の部分 周りは276㎝
   ・根本より7m40㎝の部分 周りは246㎝
   ・先端部(細い部分) 直径65㎝ 周りは210㎝ です。



                                    砂鉄とり  24.03.12掲載

  3月10日(土) 8:20公民館集合、弓ヶ浜の海岸に向けて砂鉄取りに出発、錦織、熊谷、内藤さんの3名です。残念ながら私は、当日は用事のため参加できず、あとの会員の方も誰も参加はされなかったようです。
 採取した正確な場所はわかりませんが、きちんとした許可はとってあります。移植ごてでとられたそうですが、あっというまにバケツはいっぱい。力自慢の熊谷さんんも重くて持てないほどだったそうです。
 「砂鉄は砂の何倍かの重さがあり、鉛は砂鉄よりさらに何倍か重い」とか・・・。丸木舟の復元力を高める話のとき、船底に鉛をはるか、鉄をはるかということになりました。
 軽さとスピードが丸木舟の特色ということで妥協案として砂鉄の座布団をつくり重心を下げることになったのです。とても寒い日で大変だったと思うのですがご苦労様でした。 写真は熊谷さんにお願いしたものです。参考までに掲載します。



                      美保関公民館等へ 24.03.08掲載

  3月8日(木)晴れた1日、8:30~美保関公民館、揖屋公民館へ錦織さんと出かけました。 助成金で関係する公民館や地域が「サメに足を食べられたえびす様の受難」再現航海と紙芝居作成をするという企画協力、共催のお願いです。
 はるか昔の神話と言えどもゆかりの場所等の解釈等なかなか難しいものがあることは事実です。 本庄公民館の協力などで午前中に美保関公民館、揖屋公民館など訪問、関係する方の協力も得られそうです。
 丸木舟の修理代、カラムシ号の維持(係留費、燃料、整備、船底ペンキ塗りとドック入り費用等々・・)のねん出も大変です。 訓練を兼ねて少しでも経費を捻出したいということもあります。趣旨をご理解の上ご協力ください。なおカラムシ号は廃船に20万円必要です。来年無事、丸木舟航海が終わりましたら処分しますのでご了解ください。




  森様 錦織様    播田です

 お忙しそうですね。いよいよ木を搬送しましたか、新船(Ⅴ世号)の計画が必要ですね。木のサイズを仮定し角型木取図を書いてみました添付します。

                              
               


 後に書きましたが、砂鉄座布団は重心は少し下がるが重量が150kgも増加し、喫水が3.4cm増え、乾舷が減り、復原力はあまり増加しないと考えられます。砂鉄座布団は復原力を検討してからの方がいいと思います。木のサイズ、新船の推定サイズがわかれば送付ください計算してみます。


錦織様
 からむし二世の図が届きました、ありがとうございます。前後が上がり、軽量化もされているようです。なかなかよく考えられています。四世号もこのようなものなら私の推定した検討書で復原性、揺れなどなど修正する必要がありそうです。新しい杉の根元サイズ、中ほどサイズ、船首部分のサイズがわかりますか。新船の長さと幅、深さ、喫水、人員の想定はいくらですか。浮力さえ足りれば、軽量化や摩擦面積を小さくするため長さは短い方がいいのです。船型としては側面でからむし2号くらいのそりは付けます。船尾は一番幅を広くし、側面図で船底を切り上げるのみとし、平面図で船尾は細くしないで広いままとし、船首に向かって徐々に細くします。軽量化のため船底部の板厚は50mm、側面は40mm位とする。船首部の船底部は側面図は切り上げずに、平面図で船首がやや細いほぼ楕円形。3ノットくらいでは摩擦抵抗が90%くらいなので船首をシャープにしても抵抗は変わりません。波切も変わりません。船首部に浮力を付けるにはあまり細くない方がいいのです。低速の場合は船首部は太くても、船尾で船底を喫水まで切り上げれば抵抗は変わりません。船尾の水線部の幅が広いと、復原力も増加するので、固定バラストが不要になるかもしれません(添付図参照)
 砂鉄座布団150キロを入れた場合重心は少し下がりますが喫水が増加し、横メタセンターが減少するの復原力はあまり増えず、乾舷は減少し、抵抗も摩擦面積が増加した分増加します。今、水線長さ8m、平均の水線幅0.65m、水線面積係数0.85とすれば、水線面積=長さ8m×0.65m×0.85=4.42m2 喫水は増加は0.15/4.42m2=3.4cmも沈下し、乾舷も減少するので好ましくはありません。復原力が足りない場合、100φ位の竹を喫水線より上に両舷に抱いた方がいいと思いいます。重量も軽い今回の計画では軽量化が一番で船速、復原力、揺れ周期に影響します。からむし2世号にならい、新船の角型木取法を長さ8~9m根元1mφ、船首部0.7mφにて概略作成しました、参考にしてください。添付します。新船のからむし二世号と同じような角型木取法の図面、積載量、搭載人員などががあれば排水量、喫水、乾舷、復原力、トリム(前後傾斜)、揺れ周期などが計算できますのでわかれば送付してください。
 杉の木の加工専門家ではないのではっきりは分かりませんが、杉の木は製材所の帯鋸で船底の平らな部分を長さ方向に切り出しこれをベース面として、左右、上下を決めてチエーンソーで加工がいいと考えられます。私の図面は左右対称の杉の木として中心線をベースとしましたが実際はこんなことはありません。


城西公民館 <shironishi2@mable.ne.jp>

いつも丁寧なアドバイスを頂きありがとうございます。3日(土)4日(日)と冷雨の中、終日 新しい丸木舟のための杉の大木を山から下ろす作業の手伝いでバタバタしていました。 バラスト(おもり?)ようの砂鉄の座布団(150㌔程度?)も作ることになり10日は鳥取県の海岸に行く予定です。 誰もが大変忙しい仕事をかかえており、また3月ですのでもう目が回るかんじです。 資金確保も困難を極めていますので早速に日本財団について調べます。播田様に一度下書きを見てもらいたく思いますのでよろしくお願いいたします。まずはお礼まで・・・




                         3月5日木材鹿島町に! 24.03.09掲載
   


                              木の搬送作業2日目 24.03.09掲載



                  伐採した木の運び出し1日目 24.03.09掲載
 




                          丸木舟の木搬出作業 24.03.01掲載

 3月1日(木)エトモの山本さんが朝、来館。材木搬出作業の近所に配布する文書を作ってくれ!と言われたので一応作成しました。
 作業の内容、手順、道路使用許可?など山本さん、丸谷さんが職業柄良くお分かりのことととおもいます。ということで町内へのお願い文書はつくりました。
 ※ 3月3日、3月4日についてはなんとか両日4~5人の手伝いはそろいそうです。私の場合も年度末でバタバタしています。なんとか半日でもお手伝いしたいと思っていますが・・・怪我の保険などまったく加入していませんのでとにかく素人は危ない場所には近寄らないように!
 ※なお4日(日) 9:00島根大学 みしまやスーパーの前で、もと若武者隊の何人かの皆さんも参加される予定です。
                                                       
                                                            平成24年3月1日
 上東川津町内会 会長さま
  町内会の皆様                                         日韓古代の海の道をたどる会
                                                     会 長  森 泰(城西公民館)

                        木材搬出に伴う通行のご協力のお願い

 早春の候 町内会の皆様におかれましてはますますご清栄のこととお喜び申し上げます。
さて私たちは、朝鮮半島から島根への丸木舟による航海を計画している日韓有志の会です。おかげをもちまして昨年末、趣旨に賛同頂いた方のお世話で丸木舟建造用の大杉を伐採することができましたが、雪も消えましたので下記のように山から運びだし、鹿島町に運搬することにいたしました。
 運び出し、運搬等専門の方たちにより行われます。また、町内の皆様方の通行に際しましては誘導員の配置など安全についての注意をはらうつもりです。
 3月のあわただしい時期、本当にご迷惑をおかけいたしますが、趣旨をご理解の上ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。
                                    記

                      ・期 日 平成24年3月3日(土)8:30~17:00
                            平成24年3月4日(日)8:30~17:00
                      ・場 所 野津明男様宅前から矢野敏子様宅前の道路

                     ※ことについて何かありましたら下記へご連絡ください
                       090-6404-3462 山本英雄(鹿島町:山本銘木店)




                  最近の韓国の様子 24.03.01掲載

  2月29日(水)夕方、中道さんが来館、丁度、市の方2名も来館、共通点は韓国、お茶を飲みながら最近の韓国、とくに浦項の5月に予定されている「ヨノラン、セオニョのお祭り」について話題にしました。
 5月中旬に予定されているそうです。私の場合、もし行くとすれば日程が詰まっているので参加はなかなか難しいなあ・・。
 市の公民館の総会、妻木晩田遺跡への航海等々予定されています。身体はひとつしかありませんので・・・。




                     カラムシエンジン点検 24.02.27掲載

 2月25日(土) 少し晴れ間が出た土曜日の午前中、熊谷さんにお願いして熊谷車で本庄に向かいました。先日の雪かきの時は体力消耗のためやめたのです。
 寒い時はエンジンがなかなかかかりません。そこでバーナーで吸気管(?)に火をいれて温めました。 ドン、ドン!という音と共にエンジン始動。舷側のパイプから水が勢いよく吹き出しました。
 予備の船外機もパラパラ!という音と共にすぐかかりました。春になったら潜って船底の貝類や藻の掃除をしないといけないなあと思いました。
 作業は1時間で終了。 熊谷さんの活躍で午前中の仕事は終わりました。
   




                 カラムシ号大雪におびえる 24.02.20掲載

   2月19日(日)昨日の中央ブック公民館学習発表会の反省会でいささか疲れて日曜日の朝、びっくり。
 25センチぐらいの積雪でもう車など雪にどっかり包まれています。
 朝、8時40分熊谷さんにお願いして本庄へ直行。1時間程度汗をかいてなんとかカラムシ号の雪を取り除きました。
 昨年の1月1日の朝、雪のために転覆、塩分のため再起不能というぐらいな修理、もう悪夢でした。
 なんとかこれで助かったということで無事帰りました。



 からむし会 会長  森様  錦織様

播田です

 波と丸木船の運動、復原力からは私はアウトリーガーがいいと思います。ただ錦織さんの航海体験も重要ですね。本実験航海の目的によって決めるべきと考えます。
1.時代を決めて船を推定する時代を弥生中期とすれば、鉄器があり、加工可能で軽構造造船があったのでアウトリガーは可能だったかもしれない。縄文末期なら丸木船に加工したもの南太平洋では石器でアウトリガーカヌーを作って航海していたが、韓国、中国でアウトリガーがあったのか
2..軽構造造船”海王”型はいけそうですね 適切な設計と考えられます。 野生号、なみはや、は重量を推定しないで設計したと考えられ、喫水が浅すぎ、乾舷が高すぎ、漕ぎにくそうです。このため、重いバラストを船底に積むと重量が重くなり 走らない、特になみはやはそうです、明らかに重量と船型、喫水が 合わない。
 なお、ホームページ用の検討書ですが現在、波浪などを入れて改正中です2月20日から末日まで在宅しないのでその後になりますよろしくお願いいたします。

 錦織様
  なおFAXは故障中ですので可能ならスキャナーで取りPDFにして電子データに変換できないでしょうか
 


 城西公民館 <shironishi2@mable.ne.jp> wrote:

早速のお返事ありがとうございます。ホームページ掲載はすでに昨日お願いしてありますので変更についてお願いしたいと思います。 私たちのグループ内も海に詳しい方(ヨット関係者)たちはリール、アウトリガー、について強く主張。 錦織さんは丸木舟の性能(軽い、スピード)について信じています。どちらがどちらとも言えないので2隻で日本海を(夏:隠岐~白兎海岸100㌔)の航海を考えています。


           ”デザイン 播磨屋”
             播田 安弘
              住所:〒273-0865 千葉県船橋市夏見6-12-20-115
                    電話:047-423-0575 携帯:080-6614-6277
                     メールアドレス:haritayasu@yahoo.co.jp



森様  播田です  24.02.15掲載

 いろいろと幅広く活動されているのですね。福島社長と話されましたか。
 昨日、早速錦織さんからメールが届きました。からむし2世の航海の様子を知らせてくれました。計算では復原力が小さく難しいと考えられますが、以外にとうまく走るものだと思いました。私の考えを変えないといけないかもしれません。 復原力が小さくても、操船技術で補えるからです。
 いま、錦織さんにいろいろと質問しています。一部、あの検討書も改正する必要があります。このため、あの検討書を掲載するのは訂正後にしてください。
 錦織さんのお話では、春に中海にてからむしⅣ世号の航海を行う予定とのことで可能なら計測をしたいので日程が合えば、伺いたいと考えています。よろしくお願いいたします。

                                              ”デザイン 播磨屋”


からむし会の皆様
錦織です。

今日内藤さんと米子の鳥取県西部総合事務所県土整備局に行きました。
そこで、正式に砂鉄取りの申請をしました。
課長さんも主事さんも内藤さんのお知り合いの方で、話は順調にすすみました。
砂鉄を含む砂0.5立を採ることをお願いしました。
申請は受け付けていただきましたが、正式に承認され、お金を振り込むのに
2月末までかかるようなので19日といっていた砂鉄採りは3月に延期します。
予定していただいた方には申し訳ありません。
ところで、0.5立の砂の料金は105円だそうです。すぐに支払うと言ったら、
直接の現金の受け渡しはしないそうで、銀行振り込みになるようです。
期日はまた連絡しますので、よろしくお願いします。


 森様  播田です

早速ご返信ありがとうございます、からむし二世号も森様でしたか。7年前二世号の記事を見つけ、出雲の先生方もなかなかやるなと思っていましたが、からむしⅣ世もやっと時間ができてまだ情熱が続いているのですね、大したものです団塊前後の熟年はパワーがありますねそれにしてもご苦労の様子ですね

1.ホームページへの掲載はOKです
 因みに、追加編集しましたので、今回送付を正としてください。 これはあくまでの、推定による計算ですので異なることはあります。 からむしⅣ世にてJCI規則で定員を計算しました。 幅が狭く、乾舷が小さいので定員は0ですが、 現在の規則ですから致し方ないですね。因みに小型和船では7名になります。
2.丸木船の復原性対策
 幅は広い方がよく 板を薄くし軽量化し 喫水を浅くしておもりを下に置く 船底はある程度平らな方が良い 浮心の上下位置は上ほど復原性がよくなるので 復原力からは重心を下げるより幅を広げた方がいいのです。 付加物では竹を喫水部に取り付ける アウトリガーを取り付ける 2隻横に連結する いずれにしても、丸木船のままでは難しく、積載量も少ないので実際の交易はできなかったと考えられます。 とすると、やや大型の改造型丸木船があったのか 筏などで流れてきたのか

3.資金集めは大変でしょう 松江市、県、大学、企業、出雲神社、TV番組、その他 などと提携はできないのですか 県、松江市など古代出雲国の関連でキャンペーンとかうまく行かないですかね。
 出雲伝説、国譲り伝説、神在月、出雲巨大神殿など 出雲には多くのロマンがあるわりには、 わかっていないことが多く、 今回の航海計画はなかなか面白いと思います。

4.福島造船の福島社長とはセメント船の設計で打合せしましたのでよく存じ上げています

5.時間ができたら一度松江行って 福島社長を表敬訪問し からむしⅣ世号をみて計測したいですね。 また三保の関?神社には昔の和船のモデルがあると 聞きましたので

6.私の設計した船が隠岐にあります
 隠岐の海士町にある水中展望船「あまんぼう」です このため海士町にもよく行きました。



                          カラムシ会の皆様 森 泰  24.02.13掲載

 本日、千葉県の播田さんという方からお電話を頂きました。丸木舟に関心を持っておられる造船設計技術者の方です。 大変参考になるデーターを送って下さったので皆様にお知らせします。 データー自体はご本人の了解をえてからホームページに掲載いたします。 だけ山にある杉の大木を舟にする時の参考にしてもらいたいものです。専門的な数字などあるので素人の私にはよくわからないのですが こちらが制作するときの設計図をお送りしてアドバイスを頂けたらいいのでは?

   松江市城西公民館 館長 日韓古代の道をたどる会からむし会会長    森 泰殿

 拝啓 突然連絡致し、失礼します。壮大なロマンがあるプロジェクトですね。この種の新しいことはなかなか困難で、いろんな山が次から次と出てくるのでしょうが、皆さんの熱意があれば実現するのでしょう。 多分、安全性にてJCIなどの制約やその他いろいろあるでしょうね。頑張ってください。
 私は、船の設計技術者で、三井造船(株)本社において、主として特殊船や小型船の基本設計を担当しており、2011年3月末退職し、現在70歳です。数年前には松江の福島造船所建造のセメント船の基本設計のまとめをやっていた関係で松江にはよく行きました。現在はたまに船舶の基本計画や日本初の水陸両用バスの設計コンサル、3DCG(コンピューターグラフクス)などをやっています。傍ら、趣味で和船や古代船に興味があり、これらの資料を集めて、性能などの検討しておりました。7年くらい前から日本の技術史を調べており、タイトルが”ぺりーが予言したハイテク日本”を書きつつあります。これは日本刀と鉄砲からハイテク日本を紐解く技術屋が書く技術史です。
 この中で、縄文後期の朝鮮半島から対馬海峡の渡来を丸木船で技術的に可能かどうかを対馬海峡の海象、潮流、丸木船の復原力、波浪中の揺れ、抵抗、速力など検討しておりました。
 推論ですが、縄文後期、釜山から銅器と稲作を持ったハイテク集団が速度の遅い丸木船や筏で船出した場合、北上する対馬海流に流され、九州へはつかず出雲あたりに漂着し、大和朝廷以前の古代出雲国を作り、これらが出雲伝説、国譲り伝説、さらには銅剣の大量にもつながるのではないか、5年くらい前から2世号のWEBを見つけ、興味があり見ていました。2年くらい前、からむしⅣ世号の建造中の記事を見つけ興味があり、ウオッチしています。
 ”ぺりーが予言したハイテク日本”の前半部をPDFにて送付します。この中に対馬気流と古代出雲国の項にからむし四世号につき、長さや写真から断面を推定し、対馬海峡の海象、潮流、風速、風向なども調査し、概略の復原力、揺れ、抵抗、速度など計算しました。実際とはことなることもあると考えますが、何かのお役にたてれば幸いと考え、送付します。
 また何かご質問があれば、協力はしたいと考えます。(時間があれば)
よろしくお願いいたします。
                                                  ”デザイン 播磨屋”






                       からむし会の皆様へ  錦織です  24.02.06掲載

 今日は立春、暦の上では春ですが、まだまだ寒いですね。もうすぐ啓蟄ですので、からむしもごそごそ動きたいと思います。
2月19日(日)に、砂鉄とりに行きます。砂鉄は袋につめてクルーのざふとんにします。これは丸木舟の安定性を高めるバラスになります。30kgのざふとんを五つつくるのが目標です。
 砂鉄は、弓ヶ浜半島の浜砂鉄150kgを採取します。すでに鳥取県の許可をいただいています。
 採取方法は原始的で、移植ごてのような小さなスコップで帯状に堆積した砂鉄を掬い取ります。
  不純物が多い場合は、後で「かんな流し」の方法や磁石で砂鉄をより分け純度を高めます。ですから、当日は移植ごてかそのようなものと、バケツを持ってきてください。
 集合場所は内藤さんのヨットハーバーです。集合時間は午後1時です。そこから車に乗り合わせて皆生温泉近くの浜に行きます。2時間ぐらいの作業になると思います。荒天で中止の場合は前日までに連絡します。(少雨決行)参加できる方は錦織まで連絡願います。 



                        船の備品拾いに出かけました 24.02.02掲載

 1月28日(土)風有れど時々晴れ間
 午前10:30公民館の土曜喫茶店(土曜サロン)で挨拶をしてから熊谷さんにお付き合いを願って大社の海岸に船の横にぶら下げる船体保護のための発泡スチロールのかたまり(全くの素人なので名前はわからない)を探しに行きました。
 約50分で到着、海岸に沿って歩きました。晴れ間がありましたが、海からの風が猛烈に強く砂の中を歩くのはくたびれました。 海はごうごうとなっています。
 漁網につける浮き袋なのでしょうか、大きいのや小さい発泡スチロールがゴロゴロ海岸からはるか離れた砂山の防風林に打ち上げられています。変形した発泡スチロールもあれば時々シートでくるんだものもあります。韓国から流れてきたものでしょう、ハングル文字が入っています。
 カラムシ丸の船体にぶら下げるのにちょうどよいものを4つ見つけて車に押し込み、本庄の港まで引き返し保管しました。 網か何かでくるんで、それ専門の縛り方でロープをつけたいと思います。いろんな縛り方があるようですが、残念ながら船を係留するためのもやい結びさえあやふやな私ですので専門の方にお願いするしかありません。
 ということでカラムシ丸はまた拾い物の部品で武装することができました。帰りみち、平田の駅の前のコンビニで買ったおにぎりが熊谷さんと私の昼食となりました。
   





                                航海の伴走船について  24.01.18掲載

 1月16日(月)10:30、急なことでしたが公民館の小さな部屋をお借りして浦項~本土を直行できる伴走船の手配について相談しました。澤・舟越、錦織、森、榊原です。伴走船の手配は今すぐということにはなかなかならないがいろいろ関係諸機関に当たってみる必要があるという結論でした。 航海は25年の夏、今年の夏は丸木舟による隠岐~本土の事前航海ということになりそうです。 




24年1月10日(火)
18:30~連絡会と新年の初顔合わせを兼ねて城西公民館で
添付資料のような会をしました。
 17名の皆さんの参加がありました。
安来から内藤さん、何度の会には参加しておられる多久和さん、宮廷料理の
関係で知り合った山根さんの3名もお誘いしました。
①丸木舟の修理状況報告
②春の妻木晩田遺跡資料館・玉造遺跡資料館などとのイベント
③新しい丸木舟建造について
④浦項市からの提案
丸木舟のバラスト用に砂鉄を採集、座布団とするにしこりさんの提案
に併せて内藤さんが採取した砂鉄の見本も見ました。皆生の海岸での
砂鉄収集作業も申請中とのことです。
 丸木舟の復元力と座布団の効果を疑問視する意見もありました。
伴走船に関する公的な船に関する新しい提案もありました。
 19:00
これらの報告や提案の後、食事に移りました。
若干のアルコールを交えての食事とともに
中道さんが、スサノオに関して韓国でつくられた番組(30分?)
番組を紹介。
ヨノラントセオニョノ物語です。
半分以上は島根での取材内容で、錦織さんや丸木舟の紹介もありました。
韓国語による番組でしたので中道さんが要所要所で説明。
 浦項の市長が訪問する話もあり、古事記1300年の時期でもあり、
浦項からの訪問のお誘いもあり、丸木舟航海もいい時期にあたっている
というのが皆さんの共通理解だったと思います。
〇結論的には、今日の会は、
時間の割には内容がありすぎて話が、みな中途半端になりましたが
久しぶりにたくさんのメンバーが参加したことはとてもいいことでした。
・ここで大事なことを忘れていましたが、
今岡さんからのサザエ・イワガキ・アワビなどのおすそ分けが全員にありました。
そうそう、会も終わり近くなってですが、初めて参加された皆さんに感想を交えての
ざっくばらんな意見をお聞きしました。
・この団体はまったく組織として機能していないのでは?
・安全に関する学習が全く不足、船上のロープ等の用具の整頓、
 救命胴衣の付け方などもでたらめ、これでは航海などできっこない。
 もっと安全からの学習をすべき。
・予算計画などまったくないなんて・・・
・一人二人の考えで事業が進められている。共通理解がまったくされていない
・新しい丸木舟をつくる意味?
など厳しい意見が矢継ぎ早に出ました。まさにその通りだと思います。
〇言い訳らしきものですが・・・
・昨年来、何度も組織のこと、活動計画のこと、資金のこと等
課題が山積していますということをお伝えしていましたが、
多忙な皆様ですので作業等の呼びかけやお願いについてもなかなか反応がなく、
とにかく何匹かのコマネズが目の前の対応に走り回らなければならないのが実状でした。
 丸木舟の修理ひとつとっても、誰がクレーン車の手配をするのか?修理はどこで?
 修理費用は誰が負担?等など・・・本当に大変でした。
〇お願い
丸木舟計画は、今年、来年とまさに正念場を迎えています。
 そこでお願いしたいのですが、本当に役割分担を引き受けてもらいたいのです。
 丸木舟建造、航海練習、浦項対応、関係諸機関(保安庁などの手続き)
 資金確保計画等等、することはあまりにもたくさんあります。
 作業内容全体に関するたたき台を作りますので、役割を引き受けてほしいのです。
 私自身が土・日もあまり期待できない公民館勤めですので是非よろしくお願いいたします。
 

平成24年1月10日

18:30~20:30

城西公民館 和 室

日韓古代の海の道をたどる会(通称:カラムシ会)新年初顔合わせ

 

開 会 18:30

〇会長挨拶・・・・2分

 ・紹介:山根さん・多久和さん・内藤さん

〇報告・提案事項

 ①現・丸木舟修理完了・現在の係留場所・試走の様子→錦織・・・・3分 

 

 ②5月19・20日、玉造資料館~妻木晩田遺跡 古代の交易

:丸木舟航海→錦織・・・・・・・・・・・・・5分

 

 ③新・丸木舟建造用の杉の大木伐採について→丸谷

使用目的・建造場所・作業計画と完成予定時期・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5分

 ④浦項市情報→中道・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・5分

  ・浦項~出雲方面への表敬訪問(チョン・ジョンハ社長・〇〇) 

   松江~浦項訪問隊(20名程度)

  ・ヨノラン・セオニョのお祭りへの参加要請:5月?

懇 談

 ⑤日韓丸木舟航海についての現時点での見通し(案)→・・・・10分

  24年度・予備航海(伴走船・ヨット・救命ボート等すべて使用)

      ・資金計画 ・コースの決定と韓国側との打ち合わせ・手続き

      ◇直線コースの場合(韓国側は強く主張)の困難点

      ◇沿岸コースの場合(韓国側は計画から離脱?)→単独航海?

  25年度:6月下旬~7月上旬実行

 

 ⑥出雲取材ビデオ:→中道・・・・・・・・・・・・・・・・・約30分

 




 

丸木舟建造の場所が決まりました  24.01.09掲載
 
①年末からエトモの山本さん、丸谷さんが新しい丸木舟を建造する場所
として鹿島町の役場の近くの旧道使用について県の方へ申請しておられましたが
いろいろ努力された結果、1月6日(金)許可が下りたとのことです、
②年末から何回かクルーザーを所有しておられる山内さん(大阪在住)と
懇談していましたが、6日の午後、ひよっこり公民館に来られました。
 8日に大阪にお帰りになるとのことで丁度新年会の会場準備に来ておられた
熊谷さんも加わりお茶を飲みました。
 「釜山までならお供します」ということですが、是非、一度乗せて頂き、釣った魚で
料理を!ということでお別れしました。
 今後、いろいろなことで会に参加して頂ければ嬉しいですね。
③1月7日(土)冷雨 朝9時、熊谷さんと安来の内藤ハーバーに向かいました。
 テレビなどおかせて頂き、業者が来たら引き取ってもらうためです。
 隠岐の島に流れ着いた北朝鮮の小舟(漁船)について
あの荒天の中、飢えと寒さでよく4人の内3人が生きていたものだと
話しました。舟がひっくり返らなかったことがとにかくおどろき!
 この夏、隠岐の島から本土までへの練習航海をするとすれば?という
仮定の話ですが、
 時期、伴走船、ゴムボートなどについてのご意見とご都合を聞きました。
 なんとかいけそうです。
 ・日韓丸木舟は来年が正念場になると思います。
浦項からの直線コースを韓国側が強く主張した場合の
伴走船としてヨット2隻は何とかできそうですが、どうしても
イザという場合の乗組員が避難できる大きな船、丸木舟を引っ張る船が必要です。
 今の様子では韓国側に頼るしか可能性は有りません。
大海を乗り切るためには時速14ノット以上、最低19トンぐらいの船が必要とのことです。
 エトモなどの大きな漁船でも14ノットなど出る船はあまりないのでは?
 燃料タンクなども馬鹿でかいものが必要とか・・・
ということで韓国側がダメと言ったら直線コースの件は今のところ可能性は有りません。
④10日の日は新しく作る丸木舟のこと、2月末、浦項からチョンジョンハ慶北日報社長さんが
来られるらしい、5月、妻木晩田資料館と航海、夏に浦項訪問など議題が沢山ありますので
出来るだけ皆さんの参加をお待ちしています。
 現在申し込みは17名です。
 
     




                               山内さん宅訪問 23.12.30掲載

  12月29日(木) 雨の中、スクリューにからみついたロープを外す作業が失敗。 先日、船の係留場所でお会いした山口さんに電話。年末に失礼かと思いましたが、榊原、熊谷さんと練れたスタイルのまま訪問。
 港からすぐ近くのお宅でした。早速、丸木舟計画をお話しし、このとんでもない計画のメンバーとなって頂けないかお願いしました。逢って2回目の方の家に押しかけ、本当に失礼な話ではありますが、なんとなくいい感じの方なのであえて厚かましいお願いをしました。まだ遠隔の地でお勤めの身分であり、難しいことは十分承知でしたが、カラムシ会のホームページをちゃんと見ておられ、関心はお持ちのようでした。また厚かましいことに勝手でしたが、浦項~本土の直線340㌔コースと沿岸沿い800㌔コースを海図で説明させてもらいました。

 〇山口さんの船は時速50キロの高速で走らないとエンジンが焼きつく(構造上、オイルが まわらなくなる?)ボルボ製130馬力内臓2基
 〇燃料は軽油で1キロで1リットル(目安)、燃料補給が必要
 〇無線などは装備
 〇沿岸航海(陸から10キロ?)は可能なので浦項まではいける。
 〇浦項の意味ははわかるが釜山から対馬がいいように思う。
 というような内容の話で、後は榊原さんと下関海峡どの航行の経験など楽しい時間を過ごさせて頂きました。メール・アドレスを頂いたのでまたいろいろお話し、是非メンバーとしてご協力頂ければ嬉しいと思います。お金のない高齢者の多い計画ですが、夢にチャレンジは楽しいものです。
 
 〇結論として私個人の思い付き的な考えですが、
 1案 沿岸コース・内藤さんの「わかとり」は皆さんの協力で修理。対馬まで沿岸沿いに航行。 対馬~本土までは伴走可能、伴走船として使用 あるいは丸木舟を九州(できれば出発地:島根まで)まで曳航:丸木舟はトラック輸送も可 ・山内さんにお願いできれば山内さんの船は浦項迄航行、高速を利用しての丸木舟の護衛的な役目。
 ※但し、浦項~釜山~対馬までは韓国側の伴走船が必要
 2案 直線コース ・これは韓国側の伴走船に関する全面的な協力がないと実行できない (資力のない身銭日本グループは
             伴走船の手配ができない)
            ・また直線コースの場合は、340㌔すべてを丸木舟で航行は難しい(1日40~45キロのスピードでは10日間
             程度はかかる。天候が続かない)半分程度曳航ならばなんとか・・・ということで今年は終わりです。
    只今、12月30日です。では皆さん、よいお年を!




                       伴走船カラムシ丸錨にロープがからまる 23.12.30掲載

 12月29日(木)  午後0:40本庄に熊谷さんと出かけました。昨年、12月31日の大雪でカラムシ丸が転覆、引き揚げ、修理に長い時間と人手そして多額の出費を余儀なくされましたが。天気予報では年末、荒れるということで心配になったのです。
 熊谷さんにはいつも迷惑をおかけしていますが、13:30船の前後、左右にロープを固定しようとしたところ後部の左右の錨を緩めても船が動きません。 先日来たときは何ともなかったのに?と思いましたがどうしても動かず。
 どうやら岸壁から出ている別のロープが船のスクリューに絡まっているみたいです。少しおくれて到着してくださった榊原さんが、船外機を動かし舩の位置をあれこれ変えられましたが、ダメ。 春になってから潜ってからんでいるロープを外すということになりました。そのためには潜らなければなりません。
 また船の喫水線あたりにも貝や藻がびっしりついています。どちらにしても潜ってロープを外す、それからエトモへ行ってドックへ入り、船底掃除と船底塗料を塗らないと動けないようです。また人手とドック使用料、船底塗りに必要なもろもろのお金がかかります。
 魚一匹取れない、ただ曳航する為だけの非常に維持費のかかる代物です。
    




                             新しい丸木舟の建造場所について 23.12.30掲載

 12月28日(水)
 仕事納めの日でしたが、公民館は朝から人でいっぱい次々と事務室に人が訪れ、懇談で終日にぎわいました。
  〇昼前、丸谷さんが来られて新しい丸木舟の建造場所についての申請書を持ってこられました。 場所は鹿島町の役場の前の旧道とのことです。
   川が目の前なので直ぐ水に浮かべられる、広い、周りに人家がない電気は仮設するとのことです。県に申請書を持参されるということでカラムシ
   会としてお願いしました。





            丸木舟追加用杉の大木伐採 23.12.27掲載

 12月25日(日)テレビでは大荒れの天気予報でしたが、朝8:40降る雪の中、熊谷さんとだけ山のふもとに向かって走りました。恵曇の山本さん、丸谷さんの企画による丸木舟建造用の杉の大木伐採の手伝いです。
 だけ山のふもとに住む方の御寄贈ということです。年末であり、風邪気味ではありましたが、ナタとのこぎり持参で防寒具の上にカッパを着て参加。 山本、山本(NHK)丸谷、錦織、森、熊谷、チエンソーの宮廻、栗原(みやざこさんの同僚?) 恵曇山本さんの親せき?)・・・多分?が作業に参加?杉のお礼?現在ある丸木舟との関係?作業計画?等々・・幾分よくわからないことはありましたが、とにかく参加。 持ち主の方の案内で雪を踏みしめ山のなかを5分、杉に大木に対面。
 恵曇の山本さんがいろいろ探した結果、持ち主さんと交渉。今日の日を迎えたということのようです。
 〇胴回り約3メートル40センチ、13メートル先も1メートル数十センチある、樹齢150~200年?ともいわれる杉の大木です。
 〇木へのお供え物やお神酒などのセレモニーのあと、たき火をおこして伐採作業が始まりました。 とにかく、チエンソーの宮廻さんの活躍には驚き。鉄のスパイクで両手でも届かない杉の大木を特殊なロープ付きの道具で抱きかかえられるような姿勢となり、ジリジリ上に上に登ってはチエンソーで大きな枝を切り落とされるのです。
 地響き雪煙とともに大きな枝が次々落ちてきて切った後は空が見えあたりが明るくなりました。 66才と聞きましたがもうその作業量には驚き。我々は落ちてきた枝をチエンソーで小さく切り、木が倒れてくると予想される位置に衝撃止めとして次々投げ込みました。
 みぞれ交じり混じり、粉雪の冷たい雪が風と共に吹き付けます。手袋は水浸し、手はかじかむし、長靴を通して冷たさがジンジン足を攻めてくるし、重たいものを運んだり、ふもとに車のところに機材を運んだり、腹は空くし、つらい作業でした。
 一応、木を丸坊主にしたところで昼食、卯の花ラーメンというところに出かけました。
 午後2時から根元にチエンソーをあて、栗原さんと2人で伐採作業の開始。午後4時、杉の大木は轟音と共にたおれました。雪煙とたき火の煙が一度に舞い上がり、周りの様子が一瞬見えなくなりました。
 〇驚いたことにモミの木を伐採した時と違い年数を経た大木にありがちな根元の腐りはほとんどありませんでした。(モミの木の場合は3メートル近くがスポンジ状になっていて穴埋めに時間とお金がかかり大変でした)
 〇夕方、4時15分、山を下りました。山からどうして木を運び出しのか?どこで建造作業をするのか?輸送用のクレーン車の費用は?等など、どうされるのか心配ですが、なんとか丸谷、山本ラインでされると思います。森の方は今の丸木舟の修理代すら年末になっても工面できない状況ですし、カラムシのドック入りの費用、港湾係留用のお金などで破産状況ですのでお手伝いはしますが、費用負担は勘弁してもらいます。
 〇本体の丸木舟の安定性、伴走船さがし、等々することはあまりにも多く、もう悲鳴をあげそうです。ということで新年会を兼ねて一度、皆さんにお集まりになることを考えています。
    





                             古代海道交易プロジェクト 23.12.27掲載

                     からむし会の皆様こんにちは 錦織です。連絡をいくつかします。

【からむしⅣ世号の今】
 からむしⅣ世号は修理を終え、安来のヨットハーバーで次の出航待ちです。来年になったら、性能テストを実施する予定です。ヨットハーバーは米子湾に面しているので、波風が少ないので実験航行にはもってこいです。実験は、速度と安定度を調べるものです。また期日を連絡しますので、よみがえった「からむしⅣ世号」の乗り心地を確かめてください。

【大晦日をヨットハーバーで過ごしませんか】
 内藤さんの御好意で、大晦日ヨットハーバーで泊まってもよいとのことです。夜の9時ごろ集まって、持ち寄りの酒とつまみで年越しをします。天気が良ければ大山の右側山麓から登る日の出が見られます。カヌーを持っていきますので、粟島神社への初もうでも可能です。防寒具とシュラフと若干の食料を持ってきてください。参加される方は錦織まで連絡してください。

【古代海道交易プロジェクト】
 来春のプロジェクトです。先日妻木晩田遺跡、玉作資料館、田和山遺跡、山陰遺跡ネットワークの関係者が集まって城西公民館で話し合いました。おおまかな企画は、妻木晩田遺跡から出土している出雲産(玉造)のめのう製勾玉の運搬ルートを探るものです。玉作資料館で子供たちに勾玉を製作してもらい、めのうの原石と勾玉を「からむしⅣ世号」で運搬して妻木晩田遺跡に運び、妻木晩田遺跡でつくった鉄製のナイフや古代染め布などと物々交換するものです。鉄製のナイフも子どもたちが妻木晩田遺跡でつくります。
 交易ルートおよび期日は5月19日玉作資料館~島根県立美術館横(徒歩:出発式)~美保関(丸木舟:曳航もあり)5月20日美保関~淀江港(丸木舟)~妻木晩田遺跡(徒歩:交易イベント)です。詳細は後日お伝えしますが、この両日はぜひ参加をお願いします。






 
12月8日(木)
小型船舶機構訪問の時の写真です。
「わかとり」が沿岸航海可能か否か?の回答ですが
12月13日、朝10時ごろ、内藤さんから
電話がありました。対馬からならいいという電話
 ・・・よくわからないのですが、浦項からはダメ、
ということは釜山からもダメ・・
理由は14ノット以上の速力が出ないため
・・・という感じでした。
船の大きさもせめて19トンクラスの舩でなければ・・・
ということから携帯で19トンの舩を写しましたので
参考までに紹介します。





12月8日(木)
午後13:00榊原・澤・森3名は雨の中、内藤さんの「わかとり」(12人乗り)が
近海航行が可能か否か(資格)を調べるために境港の小型船舶機構を訪問。
13:40目指す事務所の前で内藤さんと合流。早速、航行の資格についてお聞きしました。
係の方の説明は専門用語が多くてよくわかりませんでしたが
①近海航行(浦項~浜田340㌔を一直線に横切る事の出来る資格)
 の資格取得の可能性は非常に困難。分厚い資料作成の必要。
 それでも可能性は0に近い。舩の速力や船体検査
(堅牢さ)などかなり 厳しいものがある?
②沿岸航行(浦項~大田市間を沿岸をたどって航行)については関係機関と
 相談、近日中に是非について連絡する。
ということでした。
 大海を渡るには「わかとり」は小さすぎ、できれば19トン(これはかなり大きい船)クラスは
必用かも?(30人程度のれる船)ということでした。
 母船あっての丸木舟航行という感じのおはなしでした。

結論
・小型船舶の回答まちということですが、沿岸航海の資格取得が可能
 という回答ならば「沿岸コースによる丸木舟航海」(全コースではなく
 限定したものになるかも・・)で計画するということになります。
・韓国との話し合いもありますが、金も船も人もままならない現状では
 かなり限定した航海にしなければならないと思います。
※丸木舟の復元力に関して澤先生から資料を頂きましたので参考まで添付しておきます。
舩も人もお金も時間も非常に限定される何度も挑戦できるゆとりはない計画ですので
  必ず成功させないといけません。
 
 
 
 
   
 






丸木舟復元力についてのアイデア 

12月3日(土)
朝からかなりの雨でしたが、9:00~安来の内藤さんの
ハーバーに出かけました。
目的は丸木舟修理に関する材料などの支払いです。
人件費など0で8万5千円ぐらいの金額で済みました。
全額払えないので7万円の内入れです。資金のめどのない
今の状況では修理費のねん出も個人ですので大変です。
 ①内藤さんのおかげで舟は完全に回復しました。
 ②試走の後、話し合った復元力に関する課題ですが、
内藤さんの提案で、まず「砂鉄の座布団」を考えてみたら、ということに
なりました。皆生の海岸に砂鉄があるということです。
 砂鉄と砂とはどちらが重いか調べてみる必要がありますが、
古代、朝鮮半島から鉄が運ばれたということから、
関連があるということからもいいのかな?ということです。
 丸木舟の底にキールがわりに鉛の板を張り付ける案で
考えていましたが、座布団式だと位置に応じた重さ、
舟の速さ、波を防ぐための効果のある位置等、試走実験を繰り返すことが
出来ます。ということで冬、砂鉄取りを計画しますので参加よろしくお願いします。
③12月8日(木)午後ですが、境港にある小型船舶機構に内藤さんの
「わかとり」が本土から沖合300キロでも航行できる
資格(近海?航行)をとれる検査をクリアできる可能性があるか否かを
聞きに行きます。
 資格云々によっては丸木舟の浦項までの輸送、浦項からの
丸木舟航行に必用なコースなど具体的な事を決めることができます。
 現実の話、丸木舟は伴走船の資格にあわせた航海しかできません。
④伴走船の手配ができるか否かが今回の航海の成否を左右するかもしれません。
 例ですが・・・日本側だけの航海ということになると
 ◆浦項~浜田の直線コースの場合:伴走船は最低2隻必要
  「わかとり」(13人乗り)は規則により乗組員は6名
・内藤さん関係のヨット(定員10にん)は乗組員は5名まで・・・計11人
  丸木舟は常時6名(かじとり1・漕ぎ手5名)
  単純計算ですが1日最大50キロ漕ぐとすれば340㌔を最低7~9日間の航海
  天候の変化、乗組員の疲労など考えればある時点で曳航するしかありません。
 ◆浦項~釜山~対馬~本土(九州?)~大田の場合
 ・全行程740キロ?おそろしく日数、経費がかかる
 ・せいぜい釜山~対馬 50数キロ(朝鮮海峡横断)が限度
 
 また伴走船の資格には・「近海航行の検査」(わかとりがこの資格を
 とれる可能性があるのか否か、設備、そのための整備の経費の計算?)
  検査料3万円+エンジン他修理代(50万円~????おそろしいです)
  燃料タンク増設・・・無風、海面穏やかでも500m~1キロで1リットルは
              燃料消費するそうですのでドラム缶を3~4本積んで
              置く必要があるそうです。:燃料タンク400リットル想定
  ・「水の中ですぐふくらむ緊急用イカダ」検査料だけで3万円
   内藤さん所有・・・修理の必要もあるかも?
  ・「無線機」・・・内藤さん所有・・修理の必要あるか?
   但し無線使用資格は失効?・・再登録が可能か?
  ・その他「発煙筒」等々の備品・・・3万円?
  ・「GPS」舟の位置の確認のため「テレビ」天気図
⑤実際の航海に至るまでには、まだまだ問題があります。
 韓国側との意見の調整、(いつだれが?)、伴走船の手配、
 乗組員、入国、出国に関する手続き、丸木舟の検疫
 実際の航海のコースと寄港地下見、入港と係留依頼、
 乗組員、資金集めはいつ?誰が?必要経費の算出(予算?)
  仕事がある皆さんですのでこれ以上の汗は、もう無理でしょうし・・。
 土・日にも事業が入っている公民館勤めではもう限界
という現実ですが、8日はなんとか都合をつけて小型船舶機構
に出かけます。
 




                                丸木舟カラムシ号生き返る 23.11.28掲載

 11月26日(日)ポカポカおだやかな日曜日、午後13:00~17:00安来の内藤さんのハーバーで修理中の丸木舟カラムシ号を水に浮かべる作業をしました。参加者:森・錦織・熊谷・山本(エトモ)・山本(放送局)の5名です。また内藤さんのハーバーに出入りしておられる皆さんが快く協力、4輪駆動車で丸木舟を牽引したり、チーンブロックで丸木舟をソロソロ水辺に近づける作業を手伝ってくださいました。 以下、報告です。
〇内藤さんの好意で丸木舟の舟底は黒の船底塗料で塗られていました。磨かれた樹脂の上です。すべすべと黒光りしてスピードも期待できそうです。
〇ひん死の重傷を負った丸木舟が、実際に走れるのか試すことになりました。
〇待っていましたがお願いしていたクレーン車が来ません。(謝礼が0ですので当然か?)
〇内藤さんの広場の片隅にあるチーンブロックを使って、丸木舟を吊り下げ、少しずつチーンブロックの土台自体を動かし、移動させることにしました。 かなり、さびていてなかなか動きませんでしたが、たくさんの作業協力者の皆さんのおかげでやっと水辺まで移動できました。 もう息は切れるし、汗いっぱい。高齢者ジジイにはこたえる作業でした。
〇次は、チェーンブロックから舟をおろし、船着き場の坂を下ろす作業です。舟は400㌔か500㌔ある材木です。内藤さんの港に出入りしている方の好意で大きな4輪駆動車を使用。 船首からのロープを4輪駆動車に結び、丸木舟の姿勢を変えたり、坂からずり落ちないように引っ張ってもらいました。 完全に乾いていないのかかコールタールがべったりついてシンナーで洗わなければならなくしんなーのにおいもムンムンでした。
〇水にやっと滑り落ちた丸木舟ですが、舟の重さのため桟橋の板が何枚かバリバリと折れ、桟橋の先端が大きく沈んでしまいました。 濡れることもありましたが、とにかく非常に危険な作業です。
〇エトモの山本さんが喫水部分を白墨でマークしました。
〇錦織・山本(エトモ)・熊谷の3名で風もなく 波ひとつない鏡のような湾内を試走。
〇3名の試走の感想ですが、とにかく余り力を入れなくても滑るように走ったということです。 貝殻がぎっしりついていたときは、漕いでも漕いでもあまり進まなかった!ということですので大変な進歩です。 もうフナクイムシにやられることはありません。
〇舟の復元力の点ですが、エトモの山本さんは150㌔程度は必要、位置は内藤さんいわく舟の真ん中より後部に!というご意見でした.。
〇11月28日(月) 12:20錦織さんが公民館に来ました。丸木舟の復元力を高める船底の重りについては 砂袋で場所を変え、重さを変え、試走実験をして 一番効果のある場所ト重さを決めるということに話が落ち着きました。できるだけ、古代のままにという趣旨は大切にしたいという錦織さんの思いはよく、よくわかりました。  舟首の波よけについても軽いもので、脱着可能なものを!というのが錦織さんの願いでした。  舟の喫水部分のスタピライザー(両側の安定板)については内藤さんが材木を用意していますが、今後、検討。重りでよければつけないこともありうるのでは・・・。
〇浸水はもう全く問題なしでした。
〇内藤さんの入れてくださったお茶で今日の反省話をし、17:00暗くなった道路を松江市めがけて熊谷さんと帰りました。
 





               からむし会の皆様こんにちは 錦織です。 23.11.24掲載

 からむしⅣ世号は修理を終えました。パテを埋め、FRPを三重にかけ、船底には船底塗料を船側にはタールを塗りました。内藤さんのおかげです。おそらく以前より1ノットは速くなるだろうとのことでした。やや、古代の感じがなくなったのは残念ですが、まあ虫食い地獄からの帰還ですからしかたないでしょう。これで数か月水につけておいても、貝が付着することもないそうです。
 ところで、修理したからむしⅣ世号を水に浮かべて、復元力や速度を試験したいと思います。場合によっては底に鉄板を張ったり、船側に垂木をつけたりする必要もあるかもしれません。
 そこで、27日(日)の午後に中海におろし、少し漕いでみます。昼過ぎに内藤さんのヨットハーバー集合です。参加可能な方はご連絡ください。





                            丸木舟のイベントについて 23.11.21掲載

 11月20日(日)10:00~田和山にある田和山サポートクラブ?の事務所で来年の春の玉造資料館・妻木晩田資料館をむすぶ「古代の海の交易」イベントに関する会に出かけさせてもらいました。
 出席者は、カラムシ会は森・錦織の2名、玉造資料館の三宅館長、妻木晩田遺跡の三島所長、出雲まほろばガイドの会石橋会長、山陰遺跡ネットワーク松本事務局長さんでした。
 日程をめぐってイベント重視か丸木舟の航海重視かの熱い論議も行われました。
 結論的に言えば5月19日、20日をめどに松江市から玉造のめのうを妻木晩田に丸木舟で輸送、妻木晩田でつくった鉄のナイフを交換するイベントで!という話になりました。詳しくはまた妻木晩田の所長さんが企画書をつくられるということです。
 まあ、資金のめどの立たないカラムシ会の日韓航海に向けてのデモンストレーションと丸木舟の復元力、速度、漕ぎ手の訓練、転覆時の対応等の訓練を兼ねてのチャンスと考えて錦織さんの尽力でここまでこぎつけたものです。また、年末にはみなさんにお集まりいただき、航海について説明、ご協力頂きたいと思っています。  







                             カラムシ号のエンジン点検 23.11.21掲載

 11月20日(日)晴れていても冷たい風が吹いている午後、熊谷さんと本庄の港に係留しているカラムシ号のエンジンをかけるために出かけました。 午前中は田和山で丸木舟の航海に関する話し合いをしましたが、伴走船のカラムシ号のことが心配になったのです。
 メインのエンジンは調子よくすぐかかりました。予備の船外機もすぐかかりました。エンジンルームにも水は入っていなくて安心しました。
 すぐ近くに見かけないクルーザーが係留されていました。持ち主らしい人が見えたので話しかけたところ、やはりその船の持ち主さんでした。港のすぐ近くの方でとても気さくな方で船室も見せてもらいました。
 ボルボ社の大きな内臓エンジンが2つ、無線設備、トイレ、冷蔵庫ベット、応接もある立派なクルーザーでした。また、春になったら乗せてもらえないかと厚かましいお願いをしました。
 帰り道、23日の須佐ウオーキングの練習を兼ねて熊谷さんと華蔵寺までの石段を登りました。 山は気温が低くとても冷たい風でした。 夕方からは京都からの身内との夕食会です。また忙しくなるなあと思いました。






                              お知らせ 23.11.17掲載

 11月20日(日)のことですが、丸木舟を利用したイベントの話し合いがあります。
 妻木晩田遺跡の春の祭りの一環として、玉造資料館と協力して勾玉を丸木舟で妻木晩田に運ぶ企画です。 丸木舟の訓練を兼ねて実施ということになります。森・錦織が、話し合いに参加します。
 






                            丸木舟コールタール塗り 23.11.14掲載

  11月13日(日)風もなく穏やかな初冬の1日 内中原幼稚園50周年記念式が終わってすぐ安来市の内藤さんのハーバーに行きました。 一足先に錦織・熊谷・岩迫・小笹さんの4名が参加。樹脂を張る作業に従事。樹脂は2時間程度でカチカチに乾くので作業はテキパキしなければなりません。
 ・丸木舟の船底部分、舷側の水に浸かる部分を電動サンダーで滑らかにしておきます。
 ・丸木舟をひっくり返して船底を上にしてあるので作業は楽です。
  今日の作業は、布状のガラス繊維をいくつかに切って丸木舟にかぶせ?練った樹脂を上から塗り付け、ローラーでプレスする作業です。
  船底部分はこの1枚では強度が弱いので 乾燥後、さらに布状になったシートをかぶせ、樹脂を塗り、ローラーでプレスして乾燥させるとのこと
  でした。(残念ながらこの作業を体験しなかったので想像です)
 ・午後1時、到着した時に内藤さんのハーバーにいつも出入りしている魚釣り?船関係の人たちがにぎやかにお茶を飲んでおられました。

 ①はじめの作業は、ビニールで覆った樹脂部分の船底と舷側の境目のビニールをサンダーでちぎり取ります。
 ②次にちぎり取ったビニール部分の樹脂のギザギザを電動サンダーで滑らかにするのです。・樹脂がこまかい粉上状に吹き上がり、ゴーグルやマスクがないと危険です。 石綿被害の可能性があります。電動サンダーにビニールがびっしり巻き付いて止まってしまったり、電動サンダーの回転部分に手袋が触れたりして怪我の一歩手前でした。
 ③15:30:舷側部分にコールタールを塗る作業開始。開始する前に舷側の船首と船尾の間にテープを貼り、水面上のコールタール部分と水面下(船底の船底塗料を塗る部分の区切りをはっきりさせました。)
 ④コールタールは、サラサラではなく、べっとりした感じで小分けしたものをローラーと刷毛で塗っていきました。
 ⑤17:00 終了。
  次回は、船底部分に船底塗料を塗る作業です。3~4キログラム必用とか(13000円程度?)だそうです。これで一応、丸木舟修理は終了。フナクイムシは完全に除去されたということでした。冬はすぐ日が暮れます。熊谷さんと延々と車がつながっている9号線をライトをつけて松江市に向かって走りました。
    
     







                             カラムシ号よみがえるか? 23.11.10掲載

                        からむし会の皆様 錦織です。近況報告と次回作業の連絡です。

 からむしⅣ世号は地獄の一町目からなんとかこの世に引き戻しています。前回虫食いの穴にパテを埋めました。滑石の粉を固定剤で埋め込んだ感じです。今、舟底は石の舟状態になっています。その日、聴診器で虫食いが進行しているか診察しましたが、内藤医師からは病気に進行は止まっているとのことでした。
 今日は、FRPを船尾から2mほど塗りました。舟底部分はFRPとウールを三回重ねて塗りました。1時間もするとかちんかちんです。内藤さんが言うには、ハンマーでたたいても大丈夫とのこと。もしかしたら虫喰い地獄から、前より頑丈になって帰ってくるのかもしれません。
 13日(日)に残りの部分にFRPを塗ります。若干人手が必要です。というのは、FRPを塗った後、すぐにローラーで空気を抜く必要があるのです。ぐずぐずしていると空気がはいったままかちんかちんです。参加していただける方、連絡をお願いします。

 とき:13日(日)10時集合 午後2時ごろに終了予定
 ところ:安来の内藤さんのヨットハーバー(島田小学校から車で五分ほど中海の方に行ったところです)
    島田小学校に来ていただければ誘導します。とくに準備するものはありませんが、けっこうシンナーのにおいがするので顔に    マスクをするかタオルをするかした方がいいかもしれません。(シンナーの好きな方は極楽です)
     なお私は9時30分に城西公民館に行き、熊谷さんと行きますので、いっしょに行かれる方は連絡してください。

 もう一つ連絡。
  11月26日に「韓国宮廷料理と紙芝居を楽しむ会」が城西公民館であります。
  昼の部が午後2時から、夜の部が午後6時からです。昼の部はお茶会です。500円です。
  夜の部は宮廷料理です。2000円です。紙芝居「なんじゃもんじゃものがたり ごはんの木」もします。
    申し込みは城西公民館にしてください。




                          内藤さんとの航海に関する会話 23.11.08掲載

 11月5日(土)雨 10:00~城西公民館を会場におとなりの末次保育所の創立50周年の記念式典がありました。
 午後、12:30 熊谷さんにお付き合いを頼んで安来の内藤さんのヨットハーバー訪問。丸木舟の修理の状態、丸木舟の復元力、伴走船の整備、検査項目、装備、燃料、丸木舟の輸送方法、航海のコース、寄港地、実施可能期日等々、さまざまなことについて意見交換をしました。
 あまりにも課題が多すぎて頭が痛くなりそうでした。
 11月6日(日)雨 午後、公民館事業である「町歩きガイド」がありましたが、14:00韓国からのテレビ取材の人が公民館を訪問しました。 中央新報の藤原論説委員さんと対応。ナント!韓国でいろいろお世話のなった大学の先生(女性:名前は度忘れ・・・すみません!)が取材の途中、挨拶をj兼ねてこられたということでした。 メインの目的は、錦織さんに出雲の古代の遺跡の案内をしてもらうということでした。30分間のコーヒータイムでしたが「丸木舟計画には期待しているということでした。 あと、中道さんの運転で出雲へまた取材に出かけられましたが、エネルギッシュでした。







                               丸木舟修理 1回目  23.11.04掲載

  11月3日(木)文化の日で祝日風もなくぽかぽか、おだやかな秋の1日  9:00安来の内藤さんのハーバーに錦織・森・熊谷・澤・山本(放送局)
〇中海を目の前に見て内藤さんの豪華な応接室でお茶。作業内容の打ち合わせ。
〇0:30:電動サンダー2台を使って虫食い場所を滑らかにする作業開始。
 かなり凸凹状、船底、水に浸かっている部分は、いたるところ米粒の様な無数の虫食いの穴がケロイド状に散在。
〇昼食は、内藤さんんの屋外にある作業場で炊き立てのご飯と手づくり肉じゃが、干した魚をあぶりノンアルコール・ビールのつまみという野外昼食会となりました。
〇13:00~午後は虫食い場所のへこみ部分を埋めるパテ作りです。滑石の粉(白色:20キロ入り8000円)とポリエステル樹脂(20リッットル缶)と硬化剤(プラスチックの容器に入っている液体・強い刺激臭)を混ぜ合わせ、練りヘラでへこみに塗りつけるのです。
〇簡単に言えばきめの細かいどろどろのそば粉のような感じです。内藤さんの指導でパテを作るのは澤さんです。丸木舟に塗りつけていくのは錦織、熊谷さん。板キレにパテを乗せて丸木舟に塗りつて行くのですが、30分もしないうちに乾いてきます。
 パテ自身も接着の働きがあるということでした。
〇14:00硬化剤がたらないということで内藤さんと境港まで往復1時間の買いに出かけました。15:00:境港から帰ってくると2回目のパテ塗りが終わっていたところ。
〇しばらく風に当ててから、ブルー・シートで覆い本日の作業終了としました。お茶を頂いて解散ということになりましたが、韓国からの航海について「わかとり」が、国際航行可能か否かの検査に合格するか?という話題になりました。否定的な意見もでました。
 燃料についても片道400キロとしてもドラム缶が何本必用か分からないというほどいるということでした。内藤さんのお話では整備項目もかなりある感じでした。
 丸木舟の復元力ですが、鉛などのおもりをつけるのは錦織さんはあまり賛成ではないようでした。
〇次回の作業は、5日、午後、森と熊谷が出かけて樹脂専用のシート(1メートル:2000円近くする?)を張り付け、樹脂をローラーで押し付けていく作業です。
〇ムシ殺しの薬剤として内側にシンナー1~2缶(40リットル)、春、船底及び舷側は塗料を塗るという流れになるようです。分からないも往復1000キロとすれば
     







    
    丸木舟に関する数字 23.11.04掲載

  11月3日(木)丸木舟の修理のついでに丸木舟の大きさなど測りました。
 船底を上にしたままの測定なので正確というわけにはいかないですが, まあ、誤差は大きくないと思います。
 建造時からいろいろ改修を加えてきたので長さなど短くなりました。

  
  






 

                                 丸木舟安来へ移動 23.10.31掲載

 10月30日(日)曇り、ときおりパラパラ雨
 29日の予定が変更されて本日30日に丸木舟の引っ越しとなりました。29日に予定を組んでいた人が多く、残念ながら 本日の参加者は、
 山本(エトモ)、榊原、森の3名。約束の時間の打ち合わせがまずく、東洋建機の山田さんは1時間近く現場で待機しておられました。
 申し訳ないことでした。
  〇9:30分、丸木舟を無事積載、10時過ぎ安来の内藤世ヨットハーバーに到着。竹など覆いかぶさるような細い道をくぐり抜けて到着した時はほっとしました。雨が時々ぱらぱら、なんとか丸木舟を広場に下ろし、ブルーシートで保護して作業終了。内藤さんもヨットの指導を中断してヨット関係?子どものお母さんと食事の準備。おにぎり、温かいご飯、お肉と野菜等などごちそうになりました。

 ◆丸木舟修理の薬剤は5万円ぐらい購入済とか、何人かで集中的に作業する日を1日、船底を樹脂で固める日を1日、コールタールなど?
   防腐?防虫液はそれからのようです。
 ◆復元力を「維持する為、鉛を船底に張り付ける必要もあるとのこと?
 ◆伴走船候補の「わかとり」(13人乗り)の必要整備、改修部分についても おおよそお聞きしました。
 ◆現在、お金も全くないまま、伴走船だ、修理だわ!丸木舟の修理だわ、航行の計画だわ!と言っている状況で先は全く見えません。
  でも、丸木舟と伴走船(自前の軍隊)がなければ、はなしは全く進みません。
   最終的には自分たちのお金で、自分たちの計画でやり遂げる覚悟がなければこの計画は進まないと思います。 
 








                         フナクイムシについて教えてもらいました 23.10.29掲載

 宍道湖の魚の生態にくわしい桑原さんが、公民館にこられた機会に丸木舟に穴をあけた「キクイムシ」について聞きました。桑原さんは、かって本庄で一緒に勤めた間柄です。早速、インターネットで調べられたことを資料として持って来られました。「JSA日本船主協会の資料ですが、
 ◆簡単に言えば、名前は「フナクイムシ」ナント!ムシと言ってもフナムシ科の2枚貝ということです。貝殻は1センチにもならない小さなものですが、ヤスリのような頭部が身体から細く伸びて船底にとりつき、穴を掘り、1メートルの長さにも達するそうです。
 いや全く驚きました。1メートルの長さだって!
 ◆昔からの退治の方法ですが、船を陸にあげて船体を横に倒し、周囲でたき火をして船底を乾燥されることだったとのことです。
 ・18世紀になってフナクイムシの被害を防ぐ画期的な方法ができたとのこと。それは、船底に銅板を貼るということ、銅が酸化すると緑青と呼ばれる青錆ができ、これが海洋生物に対し毒性を持つのでフナクイムシが付着しないということです。
 残念ながら、丸木舟の建造にあたってはプラスチック船時代の人ばかりだったので、丸木舟はムシでボロボロという悲惨な結果となりました。
 ◆10月30日(日) この悲惨な丸木舟の虫食い修理のため、丸木舟は30日、安来の内藤さんのヨット・ハーバーに移動します。内藤さんの「わかとり」(13人乗りの救助船)の航行能力についても30日に相談できればと思います。本当は29日に丸木舟を移動する予定で準備していたので30日は1~2人の応援しか期待できないかもしれません。





                     からむし会の皆様へ 錦織です  23.10.21掲載

 からむしⅣ世号の虫食いには本当にショックで力が抜ける感じでした。
「からむし」といっても「きくいむし」にやられるとは・・・・。
ひび割れには十分注意していたつもりですが、まさかむしにやられるとは想定外でした。しかし、昔から木の舟は使用しないときは引き上げておくのがあたりまえとのこと・・・しらなんだ
 山本さんの話では、中海はとくに貝殻がつきやすく、きくいむしも侵入が早かったのではとのことでした。
しかし、すんだことを悔やんでもしょうがありません。なんとか「からむしⅣ世号」の復活を考えなければなりません。
 
今日は朝からシロアリ駆除用の防虫剤をしっかり塗布しました。するとでるわでるわ、苦しくなったきくいむしがかぞえきれないほど穴から体をだしてはのたうちまわります。そしてやがて死んでいきます。約8リットルの防虫液をぬってブルーシートでくるみました。これで、空気がこもってかなりの虫が死ぬでしょう。2日にもう一回、今度は丸木舟をひっくり返して内側からぬる計画です。
 ところで、舟を山本さんの倉庫の中に入れます。
2日の2時からです。フォークリフトを使いますが、最終的に手で押していれなければいけません。都合のつく方はご集合ください。場所は恵曇の山本さんの倉庫です。恵曇幼稚園の近くです。
 場所が分からない方があれば山本さんか森会長か私に聞いてください。
今後のことは山本さんや丸谷さんとも相談して復活を目指したいと思います。



                            伽耶大学副学長との夕食会 23.10.21掲載

 10月20日(木)夕方7時から市内の食事店(お値段が安くてすみません)伽耶大学のイ、ドンジン副総長と櫛部先生を囲んでの夕食会を企画しました。総長さんの訪問に続いて2回目の来松です。
 浜田高校の豊島先生、川本からは三島先生等々、遠くから来られました。 忙しい時期ですので都合のつく人だけ参加、伽耶発、鉄とスサノオの遺跡視察がメインの目的ということでした。
 いうまでもなく伽耶は数千年前から鉄を作っていたところです。木曜日は豊島先生が出雲近辺案内、金曜日は錦織先生が鉄とスサノオに関連する神社、遺跡案内という予定です。 短いセルフサービスの夕食の時間でしたが有意義な時間でした。
 伽耶大学では「古代船の復元」という話も出ているようです。 




                        加耶大学副総長歓迎会 23.10.20掲載

からむし会の皆様こんにちは 錦織です。
 「からむしⅣ世号」は、再び防虫処理を施し、山本さんの倉庫で乾燥中です。なんとか再生できることを祈っています。
 さて、10月19日より加耶大学李東鎮(イ・ドンジン)副総長と前回もこられた櫛部栄次さんが来られます。今回の来訪の目的は、古代の鉄器とスサノオ神話についての取材です。19日の夜松江に着かれ、20日、21日の2日間取材し、21日の取材後は岡山に向かわれます。

 そこで、20日の夜、下記のようなささやかな歓迎会を開きます。20日夜7時から8時30分(90分飲み放題)、場所は本郷ごはん屋,参加費 3500円です。参加される方は森会長または錦織に連絡願います。

 追記:先般妻木晩田遺跡の三嶋所長様が来られました。来年4月か5月ごろ、田和山遺跡から妻木晩田遺跡(淀江港)までの実験航海を行う計画を進めようという話でした。妻木晩田遺跡からは玉湯の瑪瑙でできた勾玉が出土しているとのこと。瑪瑙の勾玉を積んでの航海となるでしょう。具体的な話はまたご連絡します。




                   丸木舟修理のため場所移動 23.10.19掲載

 10月19日(水) 恵曇の山本さんの工場に置かせていただいていた丸木舟ですが、29日(土)、安来の内藤さんの関係するヨット・ハーバーに輸送、そこでさらなるキクイムシの除去作業と船体の補強修理を行うとにしました。
 なぎさ公園のご厚意もありましたが、内藤さんのところの「わかとり丸」修理のこともあるので安来に輸送します。 
修理作業は遠くなりますが、周りにキクイムシの被害も与えないということで人家と離れたところのしました。 来年の春までにはきちんと修理する予定です。
   





                           カラムシ虫食い修理2回目 23.10.03掲載

  10月2日(日)市民ラジオ体操祭で12キロ歩いてから小休憩。そのあとエトモの山本さんの工場で丸木舟カラムシ号の修理作業(シロアリの駆除剤練り付け)に参加しました。
 駆除剤はこれで2缶(36リットル?)購入。まだあと2缶程度は必要かも・・・? ということでした。さらに虫食い部分を樹脂加するのに数十万円かかるかも・・?ということです。
 伴走船を含めきちんとした航行計画ができれば、資金集めも可能かもしれませんが、今のところ・・・・?です。 想定外の困難にぶち当たり困っていますが・・・・。どうしたものでしょうね。
  





                           丸木舟虫食い状況  23.09.30掲載

 9月26日(火) 夕方、錦織さんから突然の電話がありました。丸木舟の虫食い状況が、かなり深刻、場合によると航行はできないかも・・・?。ということでした。
 あわててエトモに行きましたが、丸谷、山本、錦織、山本(NHK)の皆さんがいました。 船底、側壁、いたるところ虫食いの跡があり、現在も進行中とのことです。
 2日(日)午後2時から薬剤を注入してカイガラムシを殺すことになりましたが、大きい波にあえば舟自体が2つに折れる可能性もある、別に丸木舟を建造しなければ!・・・・という会員もいて、なかなか難しいことになりました。
 構造的に航行が可能か、そのためにはどのような補強作業が必要かを考えなければならないことになりました。 伴走船の話もまだ煮詰まっていない時にまさに予想外、」想定外の事件です。どうしましょうか?
 




              丸木舟修理のため輸送 23.09.27掲載

                     9月26日(月) 秋晴れの1日
 ●午前中、中央新報の藤原さん来館、最近の丸木舟活動状況について懇談、丸木舟航海に伴う伴走船と航路について意見交換、全体会議をひらいては?
 ●12:00 錦織さん来館、伴走船と航路について意見調整。伴走船、航路、韓国との意見調整について話しあう。 東洋建機の蔭山社長に丸木舟修理のため恵曇の山本さんの工場へ輸送する件についてお願い。午後3時、車と運転手の方を派遣するとのこと。
 ●澤、熊谷さん、協力受け入れ。
 ●午後3時:丸木舟引き揚げ開始。台車で方向転換。とにかく機械の力でなければ人間の力では無理。丸木舟は1トン近くあるのでは?
 ●恵曇の山本さんの工場へ到着。フォークリフトでトラックから直接地面におろしてもらう 丸木舟の何か所かにムシで空けられた穴がいくつか。
 夕方、丸谷さんかけつける。明日、消毒、丸木舟の修理に取りかかることになる。
・・・忙しい勤めの合間を縫ってのボランティア作業は本当に大変。蔭山社長にもお礼は出来ません。なんとかしたいものですが・・・ 
 
   



              伴走船打診2回目 23.09.27掲載

               9月24日(土)秋晴れの1日
 午後3時:榊原、澤、森の3名は、「日韓古代の海の道をたどる」航行のための伴走船について2回目の訪問をしました。
 廃船の費用等のことを考えると持ち主の方は手放してすっきりしたいという感じでした。航海が終わる来年の8月までそのまま、継続して船の持ち主となってもらうのは難しい感じでした。
 航海が終わるまでの諸費用、航海に必用なお礼などはカラムシ会で負担という提案でしたが、なかなか難しいようです。船を頂きあとはこちらですべて責任を持つということしか交渉成立はむつかしいのかなあ・・と思いつつ、またお邪魔しますということで引き揚げました。
 「航海成功のためには自分たちの伴走船を持つ必要がある」 「具体的な今後の計画は伴走船の手配がなければ進まない」という考えは変わりませんが、先立つものは全くないし、航海のコースを変更するには相手の韓国と協議する必要があるし、難しい問題です。 会員の皆さんを招集して会としての考えを出したいと考えます。




 .美保関では卵を食べない 23.09.22掲載
 
9月22日(水)
 9月18日、「美保関では卵を食べない」伝説再現航海に関する山陰中央新報(9月17日付:神話のふるさと古事記1300年)の記事の抜粋を掲載します。
 新聞1枚すべてを使った記事ですので「あらすじ部分」のみですが紹介しておきます。
 えびす様がタイを釣った場所でのライフジャケットをタイと考えての魚釣りのまねをしました。
  
    






 

国際航行可能な伴走船さがし 23.09.21掲載
 
9月18日(日)
午後3時、榊原さんのくるまである港に係留されている
船を見学に行きました。
 船の持ち主のかたに乗せてもらい湾内に浮かんでいる船
に乗りました。
 とても本庄の港などには入れない大きな漁船です。
 頑丈な船体、長さは教室の長さぐらいあり、まだ現役バリバリ
ということでした。
 孫のお世話が忙しいのでもう船には乗られないということでした。
 こんな大きい船で一人で操業ということに驚き。
「廃船にかかる費用」「維持費」等々、かんがえたとしても
無線などの設備も整っており、とても魅力的でした。
 国際航行ができる設備があるのか、小型船舶機構に
22日、榊原さんと行って確かめるつもりです。
 しつかり、調べる必要はありますが、来年の8月まで
維持費を払ってでも
使わせてもらえばいいかも・・・?と思いました。
 震災で船をなくした岩手県の漁業関係者に・・・
というお考えもちょっぴりあるようなお話でした。
驚いたことにその船の近くに溝口でお会いした
80数歳のヨットマン菊池さんが高級なヨットで
魚釣りをしておられました。
 驚きました。
   






丸木舟キクイムシにやられる 23.09.21掲載
 
9月18日(日)
 森山の横田神社参拝終了後、カラムシ号で丸木舟を曳航、
やっと本庄に到着。
 カラムシ号の接岸、エンジン停止、固定がおわってやれやれ!
というところで、丸木舟グループから「大変!」という声。
 ナント!丸木舟の中央部分に小指ほどの穴がいくつか、
周辺部は、スポンジ状です。
 キクイムシ(こういう言い方かどうかわかりませんが)のせい
という恵曇の山本(材木店)さんの指摘でした。
 とにかく至急陸に上げなければ!山本さんの強い意見。
500kg近くある丸木舟を上げることは無理。くたびれてもいるし・・・。
 ちょうどその時、なんとなく見たことのある方が見学に。
本庄小学校でつとめていたときの保護者会の役員の和田さんでした。
 和田さんの手配により、近くにあるスロープ付きの港で
引き上げることの了解が取れました。
 もう、蒸し暑さと空腹、疲労状態でしたが、とにかく丸木舟をもう一度
曳航。和田さんの軽4輪車で引っ張ってもらい、コロを利用して、
全員で必死に岸壁の上にあげました。
 数カ月の係留の間に、もう、びっしりついている貝類に驚き。
ごろりと丸木舟を横にして、道具はありませんでしたが、竹などで、
なんとか会をこすり落としました。もう汗だくだく。
 あたは、クレーン車を手配して恵曇にある山本さんの工場で修理
ということになりました。
 クレーン車もお金、資金が尽きた今、頭が痛い話ですが、
とにかく直さなければなりません。
 ということで解散しました。
実は、午後3時に韓国への伴走船になるかも?という船の話があり、
 榊原さんとある港に行く約束ですので、そのことは次回の報告といたします。
 いや、飲まず食わずの半日、あさ4時起床から連続、
丸木舟浸水のおまけまであり、本当にくたびれました。
  
 

  
   
   






 

中海横断伝説再現航海(横田神社) 23.09.21掲載

9月18日(日)

9:30分、境港水道の入り口付近にある横田神社まえの港へ無事接岸

地元の皆さんの拍手で迎えられました。

 ひとこと出迎えて下さったことへのお礼を申し上げ、早速神社へ参拝。

 11月のお祭りのとき披露される?船の模型(えびす様が乗った舟)と釣竿を拝見しました。

お祭りのときには魚釣りのしぐさをされるとか・・・。

 一緒に参拝された地域の方たちと丸木舟グループ全員で写真を撮りました。

 社務所でお茶と果物などのおもてなしを受け恐縮しました。

 郷土史家kの永田さんがいろいろ心配りをされたようです。

 台風が近づいていますが波もなく、風もなく、蒸し暑い1日となりました。

丸木舟はカラムシ丸に曳航され本庄の港へかえりました。

本庄の港へ着いた時のハプニング?そうです。丸木舟に穴が開いていた

という記事は次に譲ります。暑いし、おなかは減るし、ぐったりでした。

 
     





 9月17日(土) 18日に備えて丸木舟を意東港へ運んでから、夕方4:00、森、錦織、榊原の3名は、安来の島田ハーバー(正式な名称かどうかはわからない)に向かいました。
 島田小学校の先にある海岸ということでさがしましたが、両側は草ぼうぼう、だんだん道は狭くなるばかりです。
 ありました!湾に面してヨットや船外機付きの舩、水辺にはロッジが立っています。バラックを並べたような小屋と、かなり古ぼけた大きな木造の建物、雑然という言葉がいいのかわからませんが、廃品置き場という印象。 ロッジにはベランダがあり、すぐ下は水面です。そこに内藤さんはおられました。
 訪問の目的は内藤さん名義の「わかとり」(13人乗りの船)が、韓国往復の可能性(資格がある)があるかどうかということでした。8人乗りのゴムボートもあるようです。可能なら喜んで協力するといううれしいお言葉でした。但し、エンジンは古く老朽船です。国際航行ができるための条件を「小型船舶機構」にいき、調べるということで話は終わりました。
 8人乗りのゴムボートは草ぼうぼうの中に立っている小屋の中にあり、確認できませんでした。内藤さんいわく「県教育委員会の舩も隠岐に係留してあるのででそちらの方も調べたらどうか」という意見でした。
 大変興味のある話なのでこれもアタックすることにしました。
 溝口の農家(内藤さんのアジト)といい、このヨットハーバーといい、内藤さんの本当の家はどこにあるのかわかりませんが、いい人生だなあ!と感心しました。18日の航海についてはまた次とします。
 


                               中海横断伝説再現航海 23.09.21掲載

         「美保関のひとたちはなぜ、卵を食べない、ニワトリは飼わないのか?」(山陰中央新報9月17日 古事記1300年:記事)

●要するに毎夜、美保関の神様(大国主のみことの息子である通称えびすさま)が、対岸の女の神様(彼女)を訪れていましたが、時を告げるニワトリが、間違えて鳴いたため、あわてて丸木舟で美保関に帰る途中、櫂をわすれて足で漕いだため、ワニに足を食いちぎられるという災難にあった。にくいニワトリめ!ということから美保関の人々はつい最近までたまごは決して食べなかった。という伝説

●中海横断伝説再現航海は18日の早朝、降りしきる雨の中、午前4時からスタート。 錦織、森、三島、熊谷、榊原、山本、みやざこ、引野、佐々木の9名で実施。
 神様が彼女の家を飛び出したと思われる5:00出航は、メンバーがそろうのを待っていたため5:20分出航。森は森山に先回りのため車。榊原、熊谷はカラムシ丸。あとの6名は丸木舟。全く波もなく、あめも止み、風もなく、航海には最高の状態。
 8:00 大根島(八束町)の江の島大橋通過、
 9:30 目的地の横田神社前の港に着岸。地元の永田さが近所に声をかけておられたため、たくさんのお方が波止場で丸木舟到着を待っておられました。10:00到着予定ということで連絡していたようですが、9:00ごろから集まられたようで、待っている人たちもかなりおくたびれのようでした。 帰る人もあり、気の毒でもあり、もうハラハラ・・・。到着からの報告は次回にします。
 
      



                        中海横断用丸木舟輸送 23.09.21掲載

9月17日(土)曇り ●13:00:森・熊谷さんは本庄の港へ到着。
9月18日(日) 中海対岸、境水道入口にある森山の横田神社をめざす「古代の伝説再現航海に備えて、揖屋の海岸へ(意東漁港)丸木舟輸送のため。カラムシ丸のエンジン始動、ロープ類を外す。エトモの山本さん、宮廻さん、錦織さん(共に60代)も到着、丸木舟上部のシートを外して、バケツで丸木舟半分ぐらいの高さにたまっている水のかきだし。
 ●13:30 榊原さん到着、太田からはるばる三島さん到着。カラムシ丸のロープで丸木舟をつなぐ。曳航準備完了。
  丸木舟には、山本・宮廻、三島3名が乗る。カラム丸には榊原・熊谷・森の3名。錦織は車で対岸の揖屋海岸へ先回り。乗組員を出発港へ送るため。
 ●13:35 本庄港出航~14:30 意東港へ到着。海は穏やか。曇り。
  約16キロの道のりを55分で航行。雪の海に水浸しになった老朽船カラムシのエンジン好調。 時速16キロぐらいかな。細い港入口を無事通過。港の西の端43の番号へ接岸。伴走船と丸木舟を固定。
 ●15:00 乗組員の帰りの輸送のため佐々木さん到着  山本・宮ざこ、三島、熊谷は佐々木車で出発港の本庄へかえる。
 ●錦織、森、榊原はそのまま安来の港(内藤氏の私設ハーバー)へ。 韓国からの丸木舟伴走船の相談のため。
  以下、次回の内藤ハーバー訪問記録を見てください。 とにかく土、日もあれこれイベントのある公民館勤務の間をぬっての忙しい1日です。
   

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