2014年06月08日 (日)
さて、続きです。
1. p23どうして労働者保護が主流でなかったのか
労働者保護が主流でなかったというより、何を問題にするかという、関心領域が社会秩序の維持にあったということです。明治維新で徳川幕府を倒して、その後、版籍奉還・廃藩置県で藩体制をひっくり返し、ついで象徴的には西郷隆盛を中核とした士族の反乱、そして自由民権運動があったのです。それだけ世の中がひっくり返ってる時期ですから、次はどんな革命が起こるのか、ということに危機意識があったのです。優先順位の違いです。
2. p23どうして例外にもかかわらず大日本綿糸紡績連合会はできたのか
繊維産業が江戸時代から発達していたからです。これはもともと大阪の繊維問屋が中心になって作り、それが徐々に拡張して行きました。
3. p27賃金を「権利」と思う人と「報恩」と思う人どちらが多かったのか
今も昔も普通の人はそんなことにこだわりを持っていないと思います。ただ、報恩という感覚は、今よりはあったと言えるでしょう(統計的に明らかにできる訳ではありませんが)。なぜそういう感覚が弱くなって行ったかには二つの原因が考えられます。一つは有名な三億円事件です。この事件をきっかけに、折からコンピュータの発達によって、銀行の支店間送金がオンラインで出来るようになっていたこともあり、給料が銀行振込になったのです。昔は神棚、仏壇のある家は珍しくなく、給料袋はまず、神前か仏前に捧げられました。これは感謝報恩の感覚に通じているのです。それと関連しますが、戦後には仏教的な教養が失われてしまったということもあるでしょう。より即物的な労働組合や新興宗教の勃興とも関係があります(どちらも行き詰まりましたが)。
4. p35「熟練工」はどうして重視されたのか
彼らの腕が必要とされたからです。渡り職工は素行が悪いと一般に言われていました。それもそのはず、企業は新人研修から社会人のイロハを叩き込みますが、渡り職工はそういうものとは無縁です。それでも、ある時期まで企業は彼らの力に頼らなければならなかったのです。
ただ、そういう問題とは切り離しても、事業、大きく企業経営でも、小さくプロジェクトでも、それを支えているのは人なのです。その人の技能(=熟練)が正否を握っています。
5. p36個々の技術者や現業労働者はどのように育ったのか
これは企業ごとに違います。それだけで一つの大テーマです。
6. p38そもそもどうして賃金制度を統一しなかったのか
今、パート、バイト、正社員の賃金は同じでしょうか。違いますよね。会社側から見ると、それぞれの労働力のニーズが違うのです(最近はその振り分け方を雇用のポートフォリオと呼びます)。働く側から見ると、正社員になりたくてなれないパート、バイト、派遣の人もいますが、正社員は時間の融通が利かなくなるからあえてバイトやパートを選ぶ人もいます。こういう多様な働き方は労使それぞれから望まれてる側面もあり、簡単に統一できません。それに連動している賃金も統一は難しいのです。さらに、賃金を統一するにあたって、何を基準にするのか、ということでも議論が出て来ます。統一基準を作るのは案外難しいのです。
7. p39会社は、経営者か従業員か、誰のものか
会社は株主のものです。それは会社の最高意思決定機関が株主総会だからです。実務上のトップは役員会ですが、株主総会には役員の人事権があります。ですから、形式的には株主が会社の持ち主です。ただ、無形資産、たとえば、今までの仕事で築いて来た信頼、そういうものは一部はのれん代として計上される可能性もありますが、基本的に全部は計算できません。それはすべて過去に所属したことのある従業員や経営者のものです。
8. p41なぜ労働歌は禁止されたのか
職場の規律を守るためです。
9. p48なぜ労働組合の活動が弱められたほうがよいのか
これは立場によってよい悪いの判断基準が異なって来ます。ここでは本文の文脈に即して会社からの立場で考えましょう。会社にとって労働組合の力を弱めた方がよい場合というのは、組合が敵対的である場合です。それでは会社の方針が貫徹し得ません。敵対的な組合のなかには、外部とつながり、特に、昔は私有財産制度を否定するだけでなく、その強奪に暴力も辞さない共産主義者もいたため、これに対抗する必要がありました。しかし、この対抗が行き過ぎた結果、共産主義と関係ない人までも巻き込んで排斥するという事件もありました。何がよいというのを固定的に考えない方がよいでしょう。
10. p24どうして「賃銀」という漢字が使われているのか
これは前出ですね。
1. p23どうして労働者保護が主流でなかったのか
労働者保護が主流でなかったというより、何を問題にするかという、関心領域が社会秩序の維持にあったということです。明治維新で徳川幕府を倒して、その後、版籍奉還・廃藩置県で藩体制をひっくり返し、ついで象徴的には西郷隆盛を中核とした士族の反乱、そして自由民権運動があったのです。それだけ世の中がひっくり返ってる時期ですから、次はどんな革命が起こるのか、ということに危機意識があったのです。優先順位の違いです。
2. p23どうして例外にもかかわらず大日本綿糸紡績連合会はできたのか
繊維産業が江戸時代から発達していたからです。これはもともと大阪の繊維問屋が中心になって作り、それが徐々に拡張して行きました。
3. p27賃金を「権利」と思う人と「報恩」と思う人どちらが多かったのか
今も昔も普通の人はそんなことにこだわりを持っていないと思います。ただ、報恩という感覚は、今よりはあったと言えるでしょう(統計的に明らかにできる訳ではありませんが)。なぜそういう感覚が弱くなって行ったかには二つの原因が考えられます。一つは有名な三億円事件です。この事件をきっかけに、折からコンピュータの発達によって、銀行の支店間送金がオンラインで出来るようになっていたこともあり、給料が銀行振込になったのです。昔は神棚、仏壇のある家は珍しくなく、給料袋はまず、神前か仏前に捧げられました。これは感謝報恩の感覚に通じているのです。それと関連しますが、戦後には仏教的な教養が失われてしまったということもあるでしょう。より即物的な労働組合や新興宗教の勃興とも関係があります(どちらも行き詰まりましたが)。
4. p35「熟練工」はどうして重視されたのか
彼らの腕が必要とされたからです。渡り職工は素行が悪いと一般に言われていました。それもそのはず、企業は新人研修から社会人のイロハを叩き込みますが、渡り職工はそういうものとは無縁です。それでも、ある時期まで企業は彼らの力に頼らなければならなかったのです。
ただ、そういう問題とは切り離しても、事業、大きく企業経営でも、小さくプロジェクトでも、それを支えているのは人なのです。その人の技能(=熟練)が正否を握っています。
5. p36個々の技術者や現業労働者はどのように育ったのか
これは企業ごとに違います。それだけで一つの大テーマです。
6. p38そもそもどうして賃金制度を統一しなかったのか
今、パート、バイト、正社員の賃金は同じでしょうか。違いますよね。会社側から見ると、それぞれの労働力のニーズが違うのです(最近はその振り分け方を雇用のポートフォリオと呼びます)。働く側から見ると、正社員になりたくてなれないパート、バイト、派遣の人もいますが、正社員は時間の融通が利かなくなるからあえてバイトやパートを選ぶ人もいます。こういう多様な働き方は労使それぞれから望まれてる側面もあり、簡単に統一できません。それに連動している賃金も統一は難しいのです。さらに、賃金を統一するにあたって、何を基準にするのか、ということでも議論が出て来ます。統一基準を作るのは案外難しいのです。
7. p39会社は、経営者か従業員か、誰のものか
会社は株主のものです。それは会社の最高意思決定機関が株主総会だからです。実務上のトップは役員会ですが、株主総会には役員の人事権があります。ですから、形式的には株主が会社の持ち主です。ただ、無形資産、たとえば、今までの仕事で築いて来た信頼、そういうものは一部はのれん代として計上される可能性もありますが、基本的に全部は計算できません。それはすべて過去に所属したことのある従業員や経営者のものです。
8. p41なぜ労働歌は禁止されたのか
職場の規律を守るためです。
9. p48なぜ労働組合の活動が弱められたほうがよいのか
これは立場によってよい悪いの判断基準が異なって来ます。ここでは本文の文脈に即して会社からの立場で考えましょう。会社にとって労働組合の力を弱めた方がよい場合というのは、組合が敵対的である場合です。それでは会社の方針が貫徹し得ません。敵対的な組合のなかには、外部とつながり、特に、昔は私有財産制度を否定するだけでなく、その強奪に暴力も辞さない共産主義者もいたため、これに対抗する必要がありました。しかし、この対抗が行き過ぎた結果、共産主義と関係ない人までも巻き込んで排斥するという事件もありました。何がよいというのを固定的に考えない方がよいでしょう。
10. p24どうして「賃銀」という漢字が使われているのか
これは前出ですね。
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