天皇陛下のいとこ 桂宮さま ご逝去6月8日 16時46分
三笠宮ご夫妻の次男で天皇陛下のいとこにあたる桂宮さまは、8日朝、体調が急変し、搬送先の東京都内の病院で、午前11時前に亡くなられました。
66歳でした。
宮内庁は、正午すぎから記者会見を開き、桂宮さまが亡くなられたと発表しました。
宮内庁によりますと、桂宮さまは、8日午前8時ごろ、東京・千代田区のお住まいで呼吸が弱くなるなど体調が急変し、午前9時すぎに東京・文京区の東京大学附属病院に救急車で搬送されました。
搬送時には心肺停止の状態だったということで、心臓マッサージなどの治療を受けましたが、午前10時55分、急性心不全で亡くなられたということです。
病院には両親の三笠宮ご夫妻が駆けつけ、最期をみとられたということです。
桂宮さまのご遺体は、午後0時45分ごろ車で病院を出て、午後1時前にお住まいに戻りました。
桂宮さまは、昭和天皇の弟、三笠宮さまの次男で天皇陛下のいとこにあたられ、66歳でした。
闘病生活続けながら公務
桂宮さまは、長年、闘病生活を続けながら公務を務められました。
桂宮さまは、昭和46年に学習院大学を卒業したあと、オーストラリアの大学院に留学し、日本とオーストラリアの歴史について学ばれました。
昭和49年から10年余りNHKに嘱託として勤務し、事業部でスポーツや文化イベントの運営も担当されました。
皇族としての活動が増えるのに伴って、昭和63年、戦後3番目の宮家を創設し、独立されました。
しかし、宮家の創設から5か月後に自宅の寝室で倒れ、急性硬膜下血腫と診断されて手術を受けられました。
運動の機能に障害が残りましたが、リハビリを続けながら車いすで公務を務め、たびたび展覧会に出かけるなど、伝統工芸や美術への関心の高さを示されました。
地方での公務に臨むこともありましたが、6年前に敗血症を患ってから外出されることは、ほとんどありませんでした。
「非常に残念です」
桂宮さまが総裁を務めていた公益社団法人「日本工芸会」の元会長で、宮内庁で東宮大夫も務めた安嶋弥さんは「まじめなお人柄で、日本工芸会の活動にも熱心にご指導をいただきました。展示会の出展作品の中から『総裁賞』を決めるのにも、素早く的確に判断をなさっていたのが印象的に残っています。5、6年前にお会いしたのが最後でしたが、当時から病気の具合が悪く、ずっと心配していました。非常に残念です」と話していました。
突然の訃報に悲しみ
桂宮さまが亡くなられたことを受けて、都内では号外が配られ、受け取った人たちからは、突然の訃報を悲しむ声が聞かれました。
桂宮さまが亡くなられたことを受けて、東京・銀座の交差点では午後2時半ごろから号外が配られました。
号外を受け取った埼玉県伊奈町の67歳の女性は「ご病気だとは知っていましたが、突然のことで驚いています。男性の皇族が相次いで亡くなっているので残念です」と話していました。
川崎市の38歳の女性は「まだお若いだけに亡くなられたと聞いて驚きました。お父さまの三笠宮さまらご家族がお気の毒です」と話していました。
埼玉県川口市の66歳の女性は「ハンサムで親しみを感じていましたが、最近は、お見かけする機会がなかなかありませんでした。先日、高円宮家の典子さまのご婚約のニュースがあって喜んでいましたが、残念です」と話していました。
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