■兵士の目で戦争を描いた「男たちの大和/YAMATO」
戦艦大和の語り部として知られる八杉康夫さん(85)が、大和に乗艦したのは1945年1月、17歳の上等水兵としてだった。目標との距離を測る測距儀が担当で、持ち場は艦長がいる艦橋(ブリッジ)の上、大和のてっぺんである。
4月7日午後2時20分、米軍機の猛攻で大破した大和は大きく傾斜し、高さ20メートル以上の高所にいた八杉さんの目の前に海面がせり上がってきた。飛び込み、海上を漂流、「もうだめかと観念したとき、(上官の)高射長が、つかまっていた丸太を渡してくれた。高射長はいつのまにか波間に消えた」と、八杉さんは広島県福山市の自宅で往時を振り返る。