【ザ・グレートブリテン・シリーズ① ダイアナ暗殺計画】


こんにちは、最近、一気に15,000ペソという、まさかの家賃大幅値上げで、家探し、引っ越し準備で大忙しです。

仕事が終わったら、次の家のカラーに合わない家具のレストアとか、荷造りの毎日です。

皆様のコメントに一切お返事できていませんが、どうぞお許しください。


しばらく、私たちが一般にイギリスと呼ぶ大英帝国について色々書きたいと思います。

パクスアメリカーナと呼ばれる現代でも、そして良くも悪くも、なんといっても、いろんな意味で、とにかく”大英帝国”ですから、ザ・グレートブリテン・シリーズの第一弾として・・・


今回は故ダイアナ妃死亡事故です。

すみません、短い記事です。


まず、前にも書いたかもしれませんが、英国の諜報機関、MI5とMI6の違い。

MI5は基本的に国内での諜報活動。

MI6は国際的な諜報活動です。

MI6にヘッセン傀儡=ヴェルヴェット側が多いのです。

MI5は、ネットでデマを流されているから意外でしょうが、英国国士が多い。

MI5に国士、MI6に傀儡が多いということです。

極端に二枚の岩として考えないでください。

こんな情報はWikipediaにも載っていません(笑)。


イギリス皇室に取って、ダイアナ妃の男性関係は非常に大きな問題でした。

パキスタン人の恋人がいたりしましたね。

それ以外にも派手に遊んでいました。

そして、ドディ・アルファイド。

ロンドンの老舗、ハロッズのオーナー、モハメド・アルファイドの息子ですね。

今はハロッズは2010年にカタールの政府系投資ファンドであるカタール・ホールディングスに売却されましたが。

モハメド・アルファイドの奥さんは、つまり彼の母はサミラ・カショギで、悪名高い武器商人アドナン・カショギの妹。

アドナン・カショギはサウジアラビアの武器商人。防衛関係商社トライアドの会長兼代表取締役です。

トライアド・・・

ここでも三位一体・・・

まあスルーします。

父・ムハンマド・カショギは、イブン・サウードサウジアラビア初代国王の侍医として知られ、イベリア半島(スペイン)からサウジアラビアに移住し、エジプトのビクトリア大学で学んだ後、サウジアラビアに戻って貿易会社を経営。

石油が売れてサウジが近代的な軍を建設する野心を燃やしはじめた時期に米国の軍需産業とのコネがあったため、カショギ氏がフィクサー役になりました。

1960年代と1970年代にアメリカの会社とサウジアラビア政府との取引を仲介し、イラン・コントラ事件やロッキード事件などに暗躍してきた武器商人として知られるようになり、その後も、中東の武器市場において様々な形で介在し、巨万の富を築いた。

1997年、ダイアナ妃と共にパリで事故死したドディ・アルファイドは甥にあたる。

と、Wikipediaにあります。

家系に武器商人がいるアルファイド家。

元イギリス王家のダイアナは悪名高き武器商人の家系とは結婚できません。

また、クリスチャンであるイギリス王家とエジプトの婚姻関係は有り得ません。

だからダイアナを暗殺したのはイギリス政府だというのがアルファイド氏の主張です。

また、インターネットでもそのように噂されています。

こんな分析でいいですか?


冒頭のMI5とMI6の違いに触れたことの意味。

武器商人との血縁関係に有りキリスト教徒ではない人物との結婚を許さない英国政府がダイアナを殺した。

すると、英国国士がやったということになります。

MI5には英国国士が多いということですから、犯人はMI5だということになる。

しかし、真相は違います。

確かに、MI5には理由がありました。

世界中、いろいろな処に出張って、男関係も派手で、ヴェルヴェット側にいつか利用されるターゲットになるだろうなという予測があった。

そして、英国王室の評判を落として、英国を無秩序に導くだろうと考えたんです。

でも、MI5側は最終的にはやっていません。

最悪の場合の想定をしてあっただけなんです。

しかし、この実行計画を犯行としてリークした奴がいました。

それで陰謀説が持ち上がったわけです。

流したのはMI6側です。

MI6内部のヴェルヴェット傀儡勢力。

イギリス諜報機関と一言で言っても、いろいろあり、複数の勢力が有ります。


イギリスはドルイド教の古い派閥が、日本でいうユダヤの代わりみたいな感じ。

神話で勢力闘争をするのは日本と同じです。

スコットランド側とアイルランド側と、スェーデン等の海賊出側で、出所論があります。

スコットランド側は古いのはうちですよって言ってる訳です。

エジンバラ公=フィリップ殿下の権威づけに。


この辺の神話に、オカルトがくっついて薔薇十字運動になる。

これも日本での大本とかと同じ構図です。


問題は、このMI5やMI6を悪用する奴らです。


今回は、比較的最近の事件であるダイアナの話を書いたのですが、この手の陰謀論でアナーキーに持ち込もうとする策略は現在進行形の話だからです。

ダイアナは事故死だったという可能性を少しでも考えたことは有るでしょうか?

日本のテレビでも堂々とダイアナは英国政府に殺されたという番組が放送されました。

ヴェルヴェット側が流した情報を裏情報として信じる人たちが増えています。

裏を知った気になって、得意げですが、騙されていますよ・・・


発展途上国はまた別の記事を書かなければなりませんが、先進国をはじめとする世界の基準はまともです。

悪意の有るサイトが、その”まとも”を見えなくしているのです。

もしくは、その悪意に洗脳されている多くのブロガーや自称・専門家たち。

世界の裏は悪なんだと・・・

でもその裏は正義なんです。

これは歴史の中に刻まれている事実です。

ナチスは崩壊しましたね。

大日本帝国もしかりです。

ソヴィエトも崩壊しました。

一方、良い国もヴェルヴェット側に潰されているという事実も有ります。


さて、現在、悪の国はどこでしょうか?


今回は短い記事で申し訳ありませんでしたが、悪の記事ばかり書いていると、ついつい見失いそうになる、世の正義に付いて、改めて書く必要性を感じました。

現在の資本主義社会を守っている、ヴェルヴェットより大きな勢力が有るということは、当たり前の話なんです。

でも表政府は出来る事に限界があって、(善の)裏政府の方が大きい。

そうじゃないと政情は維持できないんです。

何故なら、ダイアナ暗殺計画は実行に移されなかったものの、時には非合法とされている仕事もこなす必要が有るからです。

それでは


FC2 Management
コメント
バイロン、D.H.ロレンスからダイアナヘ
こんにちは。
『チャタレイ夫人の恋人』をほうふつさせます。『ライアンの娘』もそうでしたが、どちらの女性も自分の人生を選択し直しつかみ取るという意味では結末はハッピーエンドでした。
貴族の令嬢としてスイスのフィニッシングスクールで花嫁修業を終えたダイアナは上流階級のための幼稚園保母でした。世継ぎ誕生に適性資格充分で、おそらく小説や映画のような恋愛経験もなかったと考えられます。婚約時には既に皇太子には最愛の人(カミラ夫人現コンウォール公爵夫人)がいて、「王子が生まれて継承者ができれば好きにしていい」と説得されて結婚に臨んだ皇太子の心中を知らないままプリンセスになり幸せいっぱいでした。ウィリアム王子が生まれた頃の映像にうかがえます。
暗転していったのはヘンリー王子誕生の頃からでしょうか?拒食症、対人恐怖から自殺未遂を経て数々の恋愛遍歴、それにしても将来の国王の母、国母となるひとと関係を持つのはお相手の男性も命がけです。本人も命がけで飾り物の世界から飛び出してしまいました。思いっきり奔放に地雷撤去やエイズ撲滅運動にも恋愛にも。ピューリタン的な謹厳な世界からバイロン的な自由奔放な世界へと命がけで、離婚から自分の人生をつかみ取り別のステージを歩もうとしていた矢先でロマン派的に生きた方だったかなと思います。
陰謀論は確信していませんが、ただダイアナが求めた真実の愛と性は共感できるかな・・・。マザー・テレサと対比されていますね。

2014/06/06(金) 22:09 | URL | 美保子 #TWQacQkI[ 編集]
ヘッセン、ナッサウ
こんにちは。

15,000ペソの値上がりというのは、大体3万位ですか?
痛みが大きいですね、一度に値上げとは。引越し頑張ってください。

【ザ・グレートブリテンのシリーズ】楽しみです。。

※イギリス(グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国)
United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland


イギリスと一括りで捉えていると歴史が見えにくいのですが、スコットランドの歴史を見直してみて少し視野が広がりました。

(前にも投稿しましたが・・)スコット人のルーツは,現在のアイルランド北部のアントゥリム(Antrim)を中心とした地域にあったダル・リアダ王国であると,言われている。5世紀ごろ,ファーガス2世(ファーガス・モー・マック・エルク)(501年ごろ没?)は,2人の弟あるいは息子を引き連れ,キンタイヤ半島に上陸し,彼自身はキンタイヤ半島を支配した。2人の弟あるいは息子(ロアルンとオエンガス)は,オウバン(Oban)とジュアラ(Jura)半島をそれぞれ支配した。その後,ファーガス2世は,キンタイヤ半島のアッド川(Add River)ほとりのドナド(Dunadd)にダル・リアダ王朝を樹立し,初代国王になった。この王国樹立は,先住民であるピクト族との間に,激しい抗争を引きおこした。その後の多くのダル・リアダ王朝の歴代国王は,ピクト人との抗争とによって,落命していたことから,スコット人とピクト人の抗争が尋常ではなかったことが伺い知れる。


1707年以降の300年間、イングランド人もスコットランド人も一括りでイギリス人(British)と同じ国民であるかのように生活をしてきたし、そのように捉えられてきたのですが、イギリスがEUに加盟してヨーロッパの一員となり、その帝国が消えた一方でイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドの人々の民族意識は大きく目覚め、イギリス人といわれるだけで怒り出す民族も出始めています。それは、今も紛争の種であるアイルランドやスコットランドの独立運動にも現れていると思います。イギリス(グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国)が成立するまでを追ってみるとそれぞれの民族のアイデンティティが更には個々のそれが色んな争いのきっかけになっているのが理解できますし、またそれを利用されていると捉えることもできます。それにしても、血の流れにこだわる王族は理解できません。

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ウィリアム1世には、(the Lyon=the lion)という呼び名が付いていますが、イングランドのリチャード1世が、その勇敢な戦いぶりから獅子心王(Coeur de Lion or Lion Hearted)と呼ばれたのと同様の呼び名ではなく、ウィリアム1世のライオンは彼がスコットランド王として初めて、その盾に立ち姿のライオンを描き、スコットランド王最初の紋章使用者としてライオンの呼び名が生まれました。スコットランド王の紋章については、ウィリアム1世のものといわれるライオン以前にはドラゴンをシンボルにしていたといわれ、それを片足立ち姿のライオンに変えたのがウィリアム1世です。

その後、スコットランド王の紋章は、立ち姿のライオンを2重の縁取りにゆりの花を付けたもので囲んだ図形になり、現代に及んでいます。これは、ウィリアム1世がフランスのルイ7世との間に(古い同盟)を誓って以来、フランスとの友好、同盟に傾斜したスコットランドの親仏感情をフランス王の紋章のゆりの花にあやかって、それを二重の縁取りあしらったものであろうと推測されます。スコットランド王の紋章として、明確に残る最初の史料は、1249年~1289年まで王位にあった、アレグザンダー3世のグレイト・シールです。

ちなみにイングランド王は、歩き姿のライオンです。

ヘッセン方伯の国章
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%B3%E6%96%B9%E4%BC%AF

ナッサウ家の紋章
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%83%E3%82%B5%E3%82%A6%E5%AE%B6

※ウェールズのしるしは、古くから赤いドラゴンです。
2014/06/07(土) 21:01 | URL | 123 #EBUSheBA[ 編集]
マレーシア機不明の話はまだですか?
2014/06/07(土) 23:18 | URL | 山田太郎 #-[ 編集]
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