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サッカーを取り巻くメディアにも評価を

本題に入る前に…
 昨日の記事「【サッカー】コスタリカ戦の記事を採点してみる」が、BLOGOSに転載されていた。もろサッカーネタの記事は、あまり転載されたことがなかったので、ちょっと驚いた(笑)。転載されるかどうかはBLOGOSの判断なのだが、旬のネタだからかな?
 今回は、その続き。

 サッカーについて報じるメディアの姿勢を問う、福田正博氏の記事なのだが……

W杯直前。サッカーを取り巻くメディアはどうあるべきか|集英社のスポーツ総合雑誌 スポルティーバ 公式サイト web Sportiva|J Football
 今、W杯本番を控えて強化試合が続いているが、そこでの選手たちのプレーに対して、メディアはしっかりとした「評価」をしていくべきだと私は思っている。

 たとえば、欧州のメディアには、「ただ応援することだけが代表のためになるわけではない」という姿勢がしっかりとある。一番の目的は、自国の代表チームが強くなることであり、強くなるために、メディアはどう報道していくべきかを考えている。つまり、いいものはいい、悪いものは悪いと指摘することが、選手たちを成長させることだという考えが根付いているのだ。悪いところを見て見ぬふりをしていくと、それはその国の代表チームのサッカーにも表れてくる。

 ある試合でGKがミスをしたら、日本のメディアの場合「あのGKのミスで負けた」とはっきりとは言わないのではないだろうか。

(中略)

 そういった点で、現在の日本代表の選手は間違いなくタフになっている。本田も、長友も香川も岡崎慎司もそう。内田篤人や長谷部誠も、精神的に非常にたくましくなっている。欧州の厳しい環境でプレーして、欧州のメディアに厳しい目で評価されているからだ。

 福田氏の主張の、半分は同意だが、半分は疑問。
 メディアというか記者が、選手のプレーや監督の采配を批評することが必要なことに異論はない。ただし、その批評に説得力や合理性があればの話。

 試合中は、選手も監督も瞬時の判断をしなくてはいけない。じっくり考えている余裕はないから、どれだけ適切な判断や行動ができるかが、選手や監督の資質になる。
 一方、記者は試合を見たあとに、じっくりと考え判断できる。ビデオをプレイバックして、何度も確認することすら可能だ。結果論でものがいえるので、後出しじゃんけんで負けることのない有利な立場にいる。
「なぜ、あの選手を先発させたのか?」
「選手交代のタイミングが遅い」
「あそこであのプレーはだめだ」
 ……等々、結果を知っているからいえる。
 先発メンバーが試合前に発表され、試合が始まる前に「この選手を先発されると、致命的な結果になるからだめだ」といえる記者は、たぶんいない。
 先発予想とか、この選手をここに使うといったシミュレーションをしたりするが、その記者のいうとおりにしたら、いつも勝てるのか?……というと、そうでもないだろう。記者が必勝の方法を知っているのなら、その記者が監督をやればいいという話になってしまう。

 ある試合について、「評価」や「批評」をする場合には、その論拠を明確にする必要がある。
 そのためには、緻密な分析が求められ、分析のためには客観的なデータも必要になる。ポゼッションや走行距離などは計測されることが多いが、それ以外のデータも集める努力をしないといけない。
 サッカーは野球のように細かいデータを取りにくいスポーツではあるのだが、それはこれまで試みられていないということでもあって、メディアや記者はそうした試みにも取り組むべきだろう。
 「【サッカー】コスタリカ戦の記事を採点してみる」で取り上げた「ボール維持率」は、面白い試みだ。

 BLOGOSのコメント欄に、コスタリカ戦の「ポゼッション率と走行距離が出ていないのは不自然」というのがあったが、それは計測のための機器や人員を用意していなかったためだと思われる。親善試合というか練習試合なので、そこまで金をかける必然性がなかったのかもしれない。
 走行距離の計測には、トラッキングのシステムが使用されているそうで、「スタジアムに16台(8台×2セット)のカメラを設置しリアルタイムにピッチ上のすべての動き(選手、ボール、審判)をデータ化することができる」という。
 ポゼッションについては、「イングランドで開発された「Opta」(オプタ)と呼ばれるもの。プレミアリーグの公式スタッツとしても採用されており、試合中のボールに絡む動きのすべてを約300項目に分解しデータ化することで、選手のパフォーマンスを数値化する」というシステムが使われているとのことだ。ただし、ボールをどちらのチームの選手が保持しているのかは、人間の目で判断しているそうなので、人力も必要だとか。データを取るためには、機材や人員でそれなりのコストがかかる。

 過去記事の「【サッカー】評論はかくあるべき…の姿」に書いたことの重複になるが、元伊代表監督ドナドーニ氏の言葉を再掲すると……
要するに、“あの選手交代はあり得ない”と書くのならば、“AではなくBの選手を入れるべきであった。しかもそのタイミングは○○分ではなく、●●分に行われるべきだった。なぜなら…”というように、あくまでも具体的な案を示すべきだが、残念ながらそういう正しい批評というものは余りにも少ない。

 結果論でものがいえる有利な立場に記者はいるのだから、感情論や抽象的な表現で批判するのではなく、具体例を示しつつ、どうするのがベストだったかの論証をしないといけない。
 その論証のために、有意義なデータをフルに活用する。必要なデータがなければ、自ら収集する。そうした検証がされるのであれば、次の試合に臨むにあたって、選手や監督にもよい影響を及ぼす……かもしれない。
 しかし、そこまでやっているメディアや記者は少ない。
 監督や選手には、それぞれにサッカー論があるだろう。記者にも、監督や選手並みのサッカー論があるかどうか。監督と選手は試合で表現するが、記者は記事でサッカー論を表現しなくてはいけない。

 記者の批評するレベルはどれほどか。
 顕示されるサッカー論はどれほど優れているのか。
 それが問われる。


 批評で選手を鍛えることは必要だが、記者の目とペン(現在はキーボードかな)も鍛える必要がある。
 そのためには、記者を評価する必要性を感じる。
 つまり……

 選手は、記者が評価する
 記者は、ファン(読者)が評価する


 ……というシステムが望ましいのではないかと思う。
 その一例として、私が試行したのが、記事を採点するという方法。

 また、この手の記事でよく書かれることで、「ヨーロッパでは~」とか「ブラジルでは~」と、サッカー先進国の例が引き合いに出される。
 お手本として学ぶべきことが多々あるのは事実だが、ヨーロッパ各国やブラジルは始めとした南米諸国とは、サッカー文化を含めた文化そのものや国民性や言語が違う。それを抜きにして、メディアのあり方だけ真似するのは無理だし、根付かないのではないか?
 日本のサッカーは、ヨーロッパやブラジルを手本として、追いつけ追い越せで歩んできた。代表監督に外国人監督を招聘するのは、サッカー先進国に学びたいからだ。だからといって、日本代表のスタイルがブラジルやイタリアのようになれるかというと、体格やサッカー文化が違うのだから無理な話。
 日本人がやるサッカーなのだから、日本のサッカーになる。
 外国に学びつつも、日本のサッカーとして独自のスタイルを築いていかなくてはならない。
 そのことは、メディアについてもいえると思う。
 歯に衣着せぬ論評が許容される欧米のメディアの姿勢は、スポーツに限った話ではなく、他の文化や政治・経済に関しても同様だ。そこには、自己主張が強く、激論を戦わせることを好む文化的背景がある。

 言語の違いというのが、じつは大きく影響しているではないかと思う。
 日本語は曖昧さを多く含み、ものごとを抽象化する。曖昧な表現でも、ある程度意味が通じるのは、文化的な背景に基づいているからだ。主語がなくても、文脈からなにを指しているのか読み取れるのが日本語だ。ときには、それが誤解のもとになったりもするが、曖昧さを排除した書き方をすると、逆に挑発的な意味合いに取られたりもする。
 ヨーロッパは多言語であり、ひとつの国内で複数の言語が使われる場合もある。クラブチームには外国人も多く、あるものごとについて、はっきりと意図を伝えるためには、曖昧さをなくし、明確な表現にする必要がある。そうした言語的・文化的背景があるから、論評する場合には主張をはっきりさせる。
 根本的に文化的背景が違う日本で、ヨーロッパのような厳しい論評が浸透するには、まだまだ長い月日がかかる。
 真似するだけではだめで、日本的なメディアのあり方を考えていく必要があるのではないか?

 また、「本田も、長友も香川も岡崎慎司もそう。内田篤人や長谷部誠も、精神的に非常にたくましくなっている。欧州の厳しい環境でプレーして、欧州のメディアに厳しい目で評価されているからだ。」というのは、因果関係は必ずしもすべてが結びつかないと思う。
 彼らがたくましくなったのは事実だし、レギュラーになるための厳しい環境なのも間違いない。ただ、そこに「欧州のメディアに厳しい目で評価されているから」という理由がどの程度含まれるかは検証が必要だろう。
 まず、メディアの評価を、選手がどれだけ読んでいるのか。そもそも現地の言語を習得していないと、通訳なしでは通じない。
 すべての評価や記事を読んでいるとは思えず、読んでいたとしてもそれがプレーにどれだけ影響しているのか。
 クラブチームで試合に出られるかどうかを判断するのは監督だが、監督がメディアの評価をどれほど参考にして選手を選んでいるのか。
 まったく関係がないとは思わないが、どれだけの影響があるのかは検証して欲しい。
 その検証次第で、「欧州のメディアに厳しい目で評価されているから、選手は成長した」と結論付けられるかどうかがわかる。
 それこそが、福田氏のいう「メディアのしっかりした評価」ではないだろうか?

 メディアの果たす役割があるのは間違いない。
 一ファンには知り得ない情報や、行きたくても行けないブラジルW杯で取材してくれる記者の存在は貴重だ。
 しかし、「評価」や「批評」を有意義なものにするには、メディアや記者のレベルアップが必須だ。
 レベルアップに有効かもしれないのは、記者に対する評価なのではと思う。
 福田氏の今後の記事に注目し、期待したいと思う。

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