移住っていいと思うんですよね。環境を変えることは、人生においてとても大切なことなので。


誰もが住む場所を自由に選べる社会にしたい

今はまだ、ぼくのような強者に属するような人間にしか、「住む場所を選ぶ自由」は許されていません。ぼくはそれなりに貯蓄もありますし、仕事もポータブルです。要介護の家族がいるわけでもなく、ぼく自身も今のところ健康です。かなり恵まれているわけですね。

住まいの権利すら保証されていない日本ですが、今後、ぼくが享受するような「住む場所を選ぶ自由」を、人権レベルまで拡大していかないといけないと思うんですよね。


人間が息苦しくなるひとつの理由は、「定住」にあります。

わかりやすくいえば、いじめられたときは、さっさと転校すればいいんです。それはもう気軽に。環境を変えただけで、いじめが止まるということはよくある話です。

仕事がつらかったら、別の土地にいけばいいんです。農家の手伝いでもしながら、自分と社会を見つめ直せば、新しいヒントが得られるかもしれません。うつ病になる前に、自分で土地を探して、プチ移住すればいいんです。ダメならまた別の場所に行ってもいいし、元いた場所に戻ってもいい。


これから、社会的に弱い人はますます「住む場所を選ぶ自由」がなくなっていくと思うんですよね。すでに、生活保護を受けている方なんかは強制的に劣悪な住宅に住まわされたりしているわけですし。

ほっとくと、これがますます加速して、低所得者は土地に貼り付けられ、閉鎖的な空間が生まれると懸念します。スラム街化が進む、とでもいえばわかりやすいでしょうか。

極論ですが、「どれだけ貧乏であろうが、身寄りがなかろうが、世田谷区に住める自由」を社会の側が提供すべきだ、ということです。そういう入り口から始めて、現実的なラインに落とし込んでいく必要があります。


こうした権利意識は、まだまだ根付かないでしょう。日本には「居住移転の自由」がありますが、それは十分に実装されているとは言いがたいです。特に社会的弱者になればなるほど、「居住移転の不自由」を強いられるという現実があります。

地方には空き家もあるわけですし、「都市から地方へ」という流れにおいては「住む場所を自由に選ぶ」というのは実現しやすいと思います。100年後には、「誰もが住む場所を自由に選べる」ようになっているといいなぁ、と夢想します。


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