家族
息子が八ヶ月ぐらいでの出来事です。
今までいくら泣き叫んでも、振り向かない母親にお母さんは、耳が聞こえないのかな?と感じはじめてきました。どうして????お父さんは、ちゃんと聞こえるのに????自分も聞こえるのに???息子は、頭を抱えます。
耳が聞こえないて何だろう・・・・どうしてだろう・・・・
ある朝の朝食です。
オーブンがチーンと音が鳴りました。気づかないお母さん。息子は、じーと母親を無言でみています。いつもと違う息子に私は興味津々でした。
母親と息子の目があった瞬間、息子は黙って、右手でオーブンを指して、チーンしたこと教えてくれました。
息子は、お母さんの耳になることを覚えていきました。
息子が一歳ぐらいのときの話です。
息子は保育園で歌を覚え楽しそうに歌います。家内は、自分にできない事ができる息子をたくましく思えたのか、ただ微笑んで息子を見つめていました。
家内は学校の音楽の時間でのいじめの後遺症で音楽は嫌いです。
今の歌は何?聞いてきます。「赤とんぼだよ」と答えました。私は、耳が聞こえないから仕方がないと思いました。 息子が楽しそうに歌っていることを喜んでいる家内をみているだけで幸せを感じていました。
こんなやりとりがしばらく続いたある日、家内は息子が歌う、こいのぼりの歌に合わせて歌いだしました。リズムは滅茶苦茶でした。
でも一生懸命歌っていました。息子の唇の動き、身体の振動で音楽を感じていました。息子は今まで黙って聞いていた母親が突然、一緒に歌いだしたのが嬉しかったのでしょう。
大喜びで段々声が大きくなりました。 何度も歌っていました。
耳が聞こえないから音楽は嫌いと言っていましたが子供の素直な心に何かがはじけたように思いました。
2歳の頃です。
妻が耳が聞こえなくて困ったことは、家に鍵がかかり、中に入れないことです。
窓の外から妻が本を読んでいる姿がみえるのですが、いくら大きな声で呼んでも、気づいてくれません。光で知らせる装置があるのですが自分は困らないので必要ないとの返事です。そんな日は朝まで車で寝ています。
ある晩の日のことです。
その日も鍵がかかり、妻は寝ているようでした。今日は車で寝るのかと思った瞬間、靴の音で、お父さんが帰ってきたことを知った息子が「お父さんだ」と私のことを気づいてくれ、ドアが開きました。靴の音で誰なのかがわかるんですね。
息子が三歳ごろの話です。
息子はお母さんの補聴器に興味を抱き始めます。補聴器はお母さんの必需品であることがわかったようです。
息子は悪さをしてひどく母親から怒られました。息子は反省している様子でした。これで一件落着と思っていました。
ところが次の日の朝、補聴器がないのです。
仕方なく、そのまま職場へ。息子を問い詰めると、してやったりの顔をして補聴器を隠した場所に案内しました。やったという満足した顔をしていた。
ろう者の友人が小学生の長男の家庭訪問の話をしてくれた。
息子は先生に両親がろう者であることを教えていなかった。
親が障害者であることに後ろめたさみたいなものがあったのだろうか、息子は両親がろう者であることをいえなかった。
先生は、障害がありながら子供を育てるにはどれだけの苦労があったか、それを乗り越えてきた親を誇りに持ちなさいと担任の先生が激怒した。
子供が、小さい頃はよく熱をだす。手話のできる看護婦、医者は少ないくコミニケーションには苦労した。
寝ていて子供が泣いてもわからないので、タオルでまいて腕枕にして泣き叫んだときの振動でわかるようにしたりと工夫して育ててきた。
それ以来、息子は両親がろう者であることを隠すことはなくなった。
医者との対話、夜泣きは私が担当でした。
息子が幼稚園生の頃です。
耳が聞こえないくくるの乙女のバンドを結成し家内はピアノを担当することになり音を息子と確認しながら練習しています。
音楽は親子の絆を深めてくれています。
息子が小学1年生の頃です。
入学式での写真です。
息子は小学一年生ですが小学3年生ぐらいの漢字力があります。
どうしてなのか不思議に思っていました。息子との何気ない会話でわかりました。
妻は耳が聞こえないのでテレビは字幕でみれるテレビをよく見ます。息子はその字幕をみて漢字をおぼえたそうです。
家内が風邪で病院にいます。家内は耳が聞こえないのでアナウンスが聞こえません。息子は家内の名前がアナウンスされると家内に伝えてくれました。相変わらず動き回り落ち着きがないけど、ちゃんとお母さんの耳になってくれる息子です。
明けましておめでとう!親戚の家でくわっちーしています。
チラシが出来上がりポステイングしました。「太翔もやる」と一緒にポステイングしてくれました。汗びっしょりの息子でした。
今日は私の誕生日です。義母も一緒にお食事しました。
家族
10月17日
太田さんと謝花さんのライブ家族で見に行きました。
11月1日
11月10日
。
11月17日
12月
最近、私へのネットでのバッシングがひどくなった。
理由はこちらhttp://kukurucafe.ti-da.net/e5720763.html
かわいそうな人だなと思う。人の粗探しをするだけ、ネットだけを相手の生活だ。
匿名であることを利用していかにも正義であるかのように心の病ある人、女性を虐め抜く卑劣さ
もし、息子がそのような人間になったら容赦しない。
息子が幼稚園の頃、気の弱いおとなしい園児を面白半分でからかったことがあった。
私は殴り倒した。
父親なのだから注意しなさい、教育しっかりしなさいとよく言われる。勉強しろと言ったこともない。
妻が教育ママなので私は黙っている。
両方からガミガミいわれたら息子も嫌だろう。
息子に最近、聞いてみた。「お父さん、こわいだろう」
息子は「全然こわくない。お父さん一番優しい」と抱きついてきた。
私が殴ったことは忘れているのだろうか?
でも、息子を殴ったのはそれが最初で最後だ。これからもないだろう。
卑怯者になるなとの父の思いは伝わっていると思った。
12月29日
今年は息子にとっては転校、引越、家族離れての生活とストレスがあったと思う。
心配してはいたが、楽しそうにしている息子をみてホッとした。
家族が元喜であることが一番だと思います。
来年もよろしく。
2014年
家族
1月11日
昨日から妻の実家に泊まっている。息子がお父さんと一緒に寝たいとのことだ。義母の介護で疲れている母親に代わり息子と皿洗いをした。ゲームして遊んで久しぶりに三人で寝ました。
2月2日
3月16日
妻と息子が義母の介護のため那覇に引越して一年になった。
妻は早くから起きて義母の朝食を栄養のバランスを考え抜いて作った。
その努力が実り、痴呆の進行が鈍化した。今は透析は週2回だが、これ以上透析を受けないよう頑張っている。
妻は母親の介護をすることは娘の私がやるのは当然との考えで介護保険を頑なに拒否していた。
しかし、最近になり、疲れが出てきたようだ。
息子も家族で過ごせない寂しさが日に日に増してきた。
介護保険のことを少し、考えてくれるようになった。
来週、専門家に相談に行こうと思う。
介護疲れすると思っていたが、本人の意思を尊重した。
こちらの意見が正論でも押し付けては効果がない。
妻の気持ちの変化を待つことも必要だ。
まだまだ時間はかかるだろう。
介護はそれぞれの家族で対応は千差万別だ。
私達家族にとって最適な介護、義母が喜んでもらえる介護、できるだけ自宅で介護ができる環境を長く続けられたらと思います。
4月29日
シーミーでした。妹家族と一緒です。