[読売新聞とは] 紙面から組織、歴史まで会社の特色を紹介します
2014年(平成26年)は読売新聞社にとって記念すべき年となりました。創刊140周年を迎えるとともに、東京・大手町に読売グループの拠点となる「読売新聞ビル」が完成・開業しました。光栄であり感動を覚える一方で、先人たちが築き上げた140年という歴史に思いを至らせると、責任感と使命感に身が引き締まる思いがします。 読売新聞は、1874年(明治7年)、東京・虎ノ門の2階建ての小さな建物で創刊されました。77年(明治10年)、銀座1丁目に本社が移った頃は、発行部数はまだ約2万5000部でしかありませんでした。しかし、日本の新聞では初となる本格的家庭面「よみうり婦人付録」(現在のくらし家庭面)を創設するなどの創意工夫で部数を徐々に伸ばしていきました。 1923年(大正12年)になって、銀座3丁目に本社を移しました。ところが、落成祝賀会の直前に関東大震災に見舞われ、完成したばかりの新社屋は焼失してしまいました。その後、正力松太郎が社長となって社を再生させましたが、終戦直前の45年(昭和20年)の空襲で、再び社屋は焼けてしまいました。 2度も社屋を失うという憂き目に遭った我が社ですが、務台光雄という空前の才能を備えた経営者のもとで飛躍的な発展を遂げました。どの社にも負けない正確で迅速な報道と、中道で良識的、堅固で説得力のある社説を掲げ続けた読売新聞は、77年(昭和52年)、日本一の発行部数を誇る新聞社へと成長。94年(平成6年)には1000万部を超え、日本を代表する新聞の座を確固たるものにしました。そして2014年(平成26年)、大手町で最も高く、最新の機能を備えた新社屋から新聞発行を始めることになりました。 昨今、若者を中心に活字離れ、新聞離れが進んでいると言われています。しかし、一覧性、記録性、信頼性などで他のメディアに優れる新聞の価値は、年を追うごとに再評価されています。国の平和と繁栄、民主主義の維持・発展、国民生活の向上には、新聞メディアは欠かすことのできない存在なのです。 もちろん読売新聞は、インターネットによる情報発信にも力を入れています。また、読売日本交響楽団によるコンサートや大型美術展を開催し、巨人戦を主体としたプロ野球の試合を主催するなど、文化・スポーツの発展に努めています。オーケストラを持つ新聞社は、世界でも読売新聞だけです。 新社屋に拠点を据えた読売グループは、今後も日本で最も信頼される総合メディア集団として、皆様とともに発展し続けていきたいと考えています。 |