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第捌章 火器

4)洋式拳銃
 小型の銃器。通称ピストル。その語源はスペイン語の「曲がった柄(ピスタラ)」とも、イタリアのピストイヤ地方で作られたからとも言われている。
 幕末に於いて拳銃は特に坂本竜馬が使用した事によって有名だが、実は幕末動乱を引き起こした桜田御門の井伊直弼暗殺にも拳銃は使用されている。以後、余り華々しい活躍をしてはいないが、戊辰戦争の頃には両軍の士官は大抵拳銃を所有するようになっていた。服装や荷物の中に容易に隠匿する事が出来る為、隠匿判定には+2の修正が付く。
 拳銃の使用には銃器技能を用いる。銃器の中で、拳銃のみは片手用武器であり、近接戦闘に於いても射撃が可能である。

ル・メリット銃
 小型の二連装拳銃。フランス製。弾丸が装槙されていれば、一度に二発発射出来る。但し、二連装の上に小型・軽量なので威力は低い。

ランカスター・ピストル
 
和名「四眼砲」。四本の銃身を束ねた拳銃。引き金の上に継ぎ目があり、上部の留め金を外せば中折れになり、元填。弾は金属薬莢で薬莢尾部に付けた雷汞を撃針で叩いて撃発。
 路上、出会い頭の戦いには有利。

モンキーテイル
 イギリスのバーミンガムの銃器製造者ウェストリー・リチャーズが1867年に製作した撃発式後装単発拳銃。薬莢は可燃性で、外から撃発点火する機構となっている。撃発用の開放レバーが長く曲がっていて猿の尾の様なのでこの名が付いた。口径・銃身が大きく威力が高く、遊猟や決闘に使用された。但し、隠匿には向かない。
口径:451口径(11.72o)
全長:38.6p
モンキーテイル

 

レミントン レミントンM1867
 アメリカ海軍の制式軍用拳銃。小銃の様な回転遊底式装填を採用したピン打式後装単発拳銃。後に中心打式薬莢に変更。勿論、レミントン社としても当節流行の金属式薬莢のリボルバー拳銃を製造したかったのだが、金属薬莢リボルバーに関するパテントは完全にS&W社に抑えられてしまい、こうした単発の金属薬莢拳銃を作るしかなかったのである。
口径:50口径(13o)
全長:30.9p

 

コルトM1847コルト・ウォーカー
 通称「ウォーカー・モデル」。コルト・リボルバー銃は、アメリカで1836年にサミュエル・コルトと言う22歳の青年によって完成された。彼は船員として船に乗り組んでいる間に船の舵輪が回転する様から、撃鉄を起こすと弾倉が回転するリボルバーの基本構造を着想し、コルト・パターソンを作成した。
 其の成功を受け、アメリカ陸軍で正式に使用された最初のリボルバーとなったのが此の「コルト・ウォーカー・モデル」である。此のモデルは同軍元テキサス・レンジャーにして陸軍乗馬小銃兵連隊のサミュエル・ハミルトン・ウォーカー大尉の「重量を増してでも口径・銃身長を大きくし、装弾数を増やす事。複雑なフォールディング・トリガーを廃止し、安全のため用心金(トリガーガード)を付ける事」等の助言を得て1847年に1,100挺が造られ、1.000挺がアメリカ陸軍に納入された。
 基本的な構造は堅牢で、後に多くのリボルバー拳銃のベースとなった。黒色火薬・雷管を使用する
パーカッション・リボルバー式シングルアクション拳銃。パーカッション・リボルバーの中でも旧式である為、再装槙の為にはネジを外してシリンダーを外さなければならず、再装槙には4分近くかかるので、戦闘中の再装槙は不可能である。一応、ローディング・レバーを付けて再装填を容易にする工夫もされてはいるのだが。
 この銃はアメリカで多用され、対インディアン戦闘に活躍した。口径は当時としては破格の44口径。その為全リボルバー中で最も長く、重く成ってしまっており、騎兵が軍馬の鞍に大型のホルスターを取り付けて使用するのが前提となっている。西部劇などに頻出する腰のホルスターに納める拳銃は、コルト・ネービー・リボルバー以降である。その分威力は凄まじく、一説に依ると現代の357マグナム弾に匹敵するとか……。
 万延元(1860)年冬に井伊直弼を暗殺した水戸・薩摩の浪士達も、上総の豪商中井屋重兵衛にこの拳銃を送られており、桜田門外における井伊直弼襲撃に使用した事実は余り知られていない。
口径:44(約11.44o)
全長:39.5p(銃身長:22.9p)
重量:2.2s

 

コルトM1848
 通称「ドラグーン・モデル」。パーカッション・リボルバーで、シングルアクション機構を備える。また全ての銃のパーツの規格が統一されており、故障すれば部品を交換するだけでよいと言う当時としては画期的なシステムを採用している。
 コルト社はウォーカー・モデルを開発したものの故障が続発し、やむを得ず工場のラインの一つを修理専用のラインに設定した。その中で、余った部品を組み合わせて開発されたのが此の「ドラグーン」である。ドラグーンはウォーカー・モデルと同じ44口径を使いながら銃身を9インチから7インチに短縮し、軽量化を図っている。このファースト・モデルは7,000挺が作られた。その後、1850年にはセカンド・モデルが2,700挺、、1860年にはトリガーガードを写真の様な円形に改良したサード・モデルが10,500挺製造された。
 弾倉の上にフレームが無く、銃基部の構造が脆弱であるのが難点。 この銃はイギリスでも製造された。大口径の軍用拳銃で、威力も高い。ライフル銃床を取り付ける事が可能であり、取り付ければ命中修正に+2を受ける事が出来る。但し、その際には両手で射撃しなければならず、接近戦闘では使用できなくなってしまう。
 ライフル銃床が付けられる事からも分かる如く、この銃は拳銃と云うよりもカービンの一種として考えられていたらしく、腰のホルスターに入れる事は出来ず、騎兵が軍馬の鞍にホルスターを取り付けて使用する。
 ちなみにドラグーンとは竜騎兵の事で、米陸軍での採用を願って名付けられた。その甲斐有ってか1855年に陸軍の騎兵用拳銃として採用された。

口径:44(約11.44o)
全長:35.5p(銃身長:19p)
重量:1.8s

 

コルトM1851
 通称「ネービー・リボルバー」。1851年にコルト社がドラグーンを元に設計し、コルト社とレミントン社で大量生産した。前装式パーカッションパースエイダー……もとい、リボルバーの最高傑作の一つ。シングルアクション機構を備える。
 初めて腰のホルスターに納められる拳銃として設計され、南北戦争中の両軍で広く使われた。海軍用に口径が縮小されているのが特徴。小口径化によって威力は低下したが、命中精度は高く、取り回しが簡易(西部劇等に見られる、腰に付けるスタイルのホルスターが初めて使用されたのもこの拳銃である)になった事から、長大なドラグーンに代わって兵士達に愛用された。
 此のモデルは英国でも愛用され、1853年からロンドン工場で生産が開始されたが、マン・ストッピング・パワーに欠けるという指摘が為され、1857年にイギリスでの生産は打ち切られた
 南北戦争直前の1861年に更に小改造を受け、新旧併せて17,110挺が生産された。南軍のゲリラ部隊の指揮官として有名な悪漢ウィリアム・カントレル少佐の愛銃としても有名。
口径:36口径
弾薬:125グレイン、鉛弾頭14グレイン、黒色火薬式
全長:33p/銃身長:19.1p
重量:1.193s
有効射程:45.7m
初速:231.6m/s

 

コルトM1860コルトM1860
 「アーミー・モデル」と言う通称も持つ。1860年にコルトM1848の後を継ぐ形で開発された、コルト社のパーカッション・リボルバー・シリーズの最高傑作。此の翌年、S&W社の金属薬莢リボルバー拳銃のパテントが切れてコルト社でも晴れて金属薬莢拳銃の開発に乗り出す事になるので、最後のパーカッション・リボルバーシングルアクション式拳銃となった。
 信頼性の高い機構、コルト社初の取り扱い易い流線型の銃身等、完成度は高い。南北戦争中、北軍の制式拳銃として採用され、129,730挺が生産された。

口径:44(約11.44o)
全長:35.5p(銃身長:19p)
重量:1.8s

 

アダムズ・リボルバー
アダムズ イギリスの銃器製造業者アダムズ兄弟によって開発されたパーカッション・リボルバー。他の拳銃と異なり、シングルアクションではなくダブル・アクション機構を備える。
 此の拳銃は特に英国海軍士官に愛用された。ダブル・アクションでは精密な射撃は困難だが、接舷して乗り込んでくる敵艦の水兵を水際で撃退するには、精密な射撃よりも連射して敵を制圧する方が有効なのだ。
 アダムズ・リボルバー・シリーズはコルト・リボルバーとライバル関係にあり、売上を競った。しかし実際には精度が低い上に威力も低く、射撃速度以外ではコルト社に全く敵わなかった。1867年にはパーカッション機構を金属薬莢式に変えたモデルも製造されたが、矢張り威力不足は否めなかった。それでも国産兵器を愛するイギリス軍はこの拳銃を使用し続け、1894年に傑作リボルバーのウェブリー・リボルバーMk.2が登場するまで暗中模索を続けるのであった。

 この銃は、精密な構造の為事故が多いので、発射後1D6を振り、1が出たら故障してしまう。
口径:44(約11.44o)
全長:27p
*1ターンに2回射撃可能。

 

スタール拳銃スターM1858
 古書にはスタールと表記されることもある。1858年アメリカ製。1856年頃、ニューヨークのブロードウェイに設立されたスタール・アームズ・カンパニーの設計技師エネベッツァー・スタールが設計した。
 見るからに無骨な軍用拳銃で、
ダブル・アクション機構を採用。雷管・火薬筒・弾丸を一つに纏めた外装雷管式薬莢、即ちピン打式薬莢を使用し、装填速度を向上させている。また一見固定フレームに見えるが、シリンダー後方のサム・スクリューを廻すとロックが外れ、銃身前方が前に倒れ、シリンダーを外す事が出来る。
 南北戦争中、北軍の依頼を受けて23,000挺のスタールが生産されたが、ダブルアクション式は戦場では不評で、後期型はシングルアクションに変更された。有名な無法者ジェシー・ジェイムズも此の銃を愛用していた。
 この銃は、精密な構造の為事故が多いので、発射後1D6を振り、1が出たら故障してしまう。

口径:36口径(約0.93o)
全長:36p

 

スミス・アンド・ウェッソン ファースト・モデル
ファーストモデル 1857年にローリン・ホワイトによって作られた金属薬莢と貫通シリンダーのパテントを1発当たり25¢で購入し、作成したシングルアクション式リボルバー拳銃。S&W社の第一号。ピン打式薬莢を更に改良した金属薬莢を世界で最初に使用した、ヘリ打式(リム・ファイヤー)薬莢拳銃。装填に際してピンの位置を調整しなければならないピン打式薬莢に対して、ヘリ打式は薬莢低部周縁の何処を叩いても撃発する便利な構造であった。
 威力が小さい22口径を使用しているのは、当時のプレス技術ではそれが限界の為。これ以上大きいと、発射薬の爆発に薬莢が耐えられないのだ。しかし、7発装填できる上に小型・軽便で使い易く、南北戦争後日本に多数輸入された。
 装填は後装中折れ式で、素早い装填が可能。中折れ式とは、銃身を前に折ってシリンダーに弾を込める仕組みの事を指すが、拳銃の場合には、シリンダー中央に星型のエキストラクターが付いており、空薬莢が一度に弾き出される仕組みになっている。また、事前にシリンダーに弾を込めておくというのも、よく使われた手である。ファースト・モデルの場合はまだ試行錯誤の最中であった為、後年の中折式とは逆にフレームの上にヒンジが付けられており、上に曲がるようになっている。
 この銃の有名な持ち主としては、文豪マーク・トウェインがいるが、彼が言うには全く当たらないらしい。

口径:22(約5.56o)
全長:17.1p(銃身長:81o)
重量:280g

スミス・アンド・ウェッソン セカンド・モデルセカンドモデル
 1865年に開発されたS&Wシリーズの第二号、通称アーミーモデル。基本的な機構はモデル1と同じだが、装弾数を減らして口径を32口径に大型化した。この銃によってS&W社のシェアは多いに拡大し、口径の小ささから陸軍の制式採用こそ逃したものの、多くの将校・兵士達に護身用として購入された。
 またこの銃は長州の高杉晋作が上海で購入、後に坂本竜馬に譲渡した事でも有名である。特に、伏見の寺田屋で幕府役人に襲撃された際には、この銃を乱射して難を逃れた。但し、矢張り軍用銃としては口径が足りないらしく、桂小五郎に宛てた手紙において「彼の高杉より送られ候ピストールをもつて打ち払い、一人を打ち倒し候。何れ近間に候へば、さらにあだ射(命中)仕り候へども、玉目少なく候へば、手負ひながら引き取り候者、四人御座候」と語り、威力不足を明かにしている。
 有名な軍人カスター将軍が使用していた事でも知られる。
全長:274o(銃身長:152o)
重量:714g
口径:32(約8.32o)

メナード・ピストル
 アメリカの歯科医メナードが開発した小型の拳銃で、「懐拳銃」の異名を取った。小口径のため殺傷能力が低い。紙帯雷管を用いるメナード式点火機を使う。紙製雷管を使用しているだけに、雨に弱い、燃焼した紙製薬莢の残滓が薬室に残ってしまう、等の欠点を持つ。その為、薬莢に紐を付けて排出しやすくする等の処置が取られている。
口径:7o
全長:17.3p
メナード

レミントン・アーミー・モデルレミントン・アーミー・モデル
 エリファレット・レミントン・アンド・サンズ社は元々コルト社の下請け会社で、コルト・ネービー・モデル等の製造に携わっていたが、此処でノウハウを学んだ。そして1858年にビールズという設計技師にパテント料を支払って、ビールズ・パテント・ネービーを製造した。その後、1861年に南北戦争が始まると此のアーミー・モデルを開発。アメリカ陸軍の依頼でアーミー・モデルを5,000挺、ネービー・モデルを5,000挺生産し、南北戦争中はコルトに続いて第二位の生産量を誇った。
 構造はコルト社の拳銃と同じパーカッション・リボルバーシングルアクション式であったが、レミントン社のリボルバーの特徴は銃身の下に三角形の支持材を入れている事である。全体に三角形に見え、早撃ちに適している。またコルトの拳銃と異なりシリンダーの周囲のフレームを一体構造で作成し、更に内部に鋼鉄材を組み込んで補強を入れており、頑丈な造りになっている。頑丈だし、撃ち終わったら棍棒にも使えると云う事で当時としては最も進歩的な設計であった。
 伝説的なアパッチの族長ジェロニモや、アウトローのジェームズ兄弟が使用していた事でも有名である。
口径:44

 

レミントン・ダブル・デリンジャーデリンジャー拳銃
 1830年代にフィラデルフィアの銃工ヘンリー・デリンジャー(Henry Deringer)が開発した近距離護身用のポケット拳銃。パーカッション式。小型の護身拳銃として絶大な人気を博し、多くのコピーが作られた。デリンジャーはこうしたコピーを訴え、勝訴した。しかし、1870年頃から金属式薬莢が発展すると、レミントン社が二連銃身と縁打式薬莢を用いたデリンジャーを作成、レミントン・ダブル・デリンジャー(Remington Duble Derringer)として、オリジナルのデリンジャー以上に有名になった。
 銃身が2段に分かれており、2連射が可能。弾薬を装填する場合には、銃身を上にはね上げる。命中精度・射程距離・威力どれも通常の拳銃には到底及ばないが、通常の拳銃の半分程度の大きさなので隠匿が容易であるという利点を持っている。

 小型かつコンパクトである事から、アクセサリーの要素もあり、金銀仕上げや彫刻を施した物、また、グリップを象牙や貝で飾った物も有る。
 デリンジャー拳銃を一躍有名にした事件は、1868年のリンカーン大統領暗殺事件で、暗殺者ジョン・W・ワースが使用した。皮肉にも、デリンジャーは大統領も護身用に持っており、この時にも懐に仕舞われたままであったという。以来、この銃は「リンカーン・マーダー・ピストル」と呼ばれ、更にガーフィールド、マッキンリーと言う二人の大統領を。

全長:41口径(10.66p)
銃身長:7.5p
重量:312g

 

リード・ナックルダスター
 1865年に特許された最新型の護身拳銃。後装リボルバー式で、弾薬を装填する際にはシリンダーを取り外す。小型化した為に故障が増加している。
 この銃は、精密な構造の為事故が多いので、発射後1D6を振り、1が出たら故障してしまう。
口径:22(約5.56o)

全長:10p
重量:624g
リード・ナックルダスター

〜拳銃一覧表〜

名称 命中修正 ダメージ修正 装弾数 装填 着剣 価格 国産 備考
ル・メリット
(通常射撃) +2 +1D6 × 30両 ■隠匿判定+4
(二発射撃時) +1 +1D6×1D6
ランカスター・ピストル
−1
+1D6


× 50両
× ■隠匿判定+1
■装甲値1/2

モンキーテイル
+3
+2D6


× 45両
× ■隠匿判定±0
■装甲値1/2

レミントンM1867
+4
+1D6



35両
× ■装甲値1/2
コルトM1847
−2
+3D6


× 35両
× ■装甲値1/2
コルトM1848
±0
+1D6


× 38両
× ■装甲値1/2
コルトM1851 +1
+1D6


× 40両
× ■装甲値1/2
コルトM1860 +2
+1D6+2


× 44両
× ■装甲値1/2
アダムズ・リボルバー
−2
+1D6


× 50両
× ■1ターン2連射
■装甲値1/2
■発射後、1/6の確率で故障。

スターM1858
−4
+2D6


× 45両
× ■隠匿判定−2
■装甲値1/2
■1ターン2連射
■発射後、1/6の確率で故障。

S&WMNO.1
+1
+1D3


× 45両
× ■装甲値1/2
S&WMNO.2
+2
+1D6


× 50両
× ■装甲値1/2
メナード
+1
+1D6


× 25両
× ■隠匿判定+4
レミントン・アーミー・モデル
−1
+1D6+2


× 42両
× ■装甲値1/2
レミントン・デリンジャー
−2
+1D3


× 20両
× ■隠匿判定+6
■装甲値1/2

リード・ナックルダスター
−3
+1D3


× 48両
× ■隠匿判定+4
■射撃後1/6の確率で故障。

 

上記表の見方
装弾数 1回の装填で装備出来る弾丸数。この弾数だけ、連続して射撃出来る。大砲は基本的に1発のみの装填です。
装填 装弾数を撃ち尽くした後、再び弾丸を装填するのに必要なターン数。「−」は戦闘中は装填不可能。
着剣 銃剣を付ける事が可能な銃。銃剣を装着すると、接近戦に於て銃剣を使用出来る。
国産 銃器の国内生産の状況を示す。この欄が○である銃器は相当数が出回っていることになるが、△である場合は幕府の江戸銃器製造所、薩摩藩軍需工場「集成館」、佐賀藩鉄砲製造所等の限られた所でしか製造されていない。さらに×であったなら、その銃は国内では全く製造されていない事になる。PCの銃器の購入・入手の可否に関してはGMの任意である。

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