ソーシャルは難しい。わたしはこれでYahoo!個人に投稿するのをやめることにしました(永江一石) - 個人 - Yahoo!ニュース
こちらの記事がちょいと気にかかりました。ざっくりと説明すれば、
永江一石さんがYahoo!の個人ニュースに記事を投稿
↓
Yahoo! Japanの中の人(佐野岳人さん)から、
Facebookのタイムラインで「しょーもない」と突っ込まれる
↓
永江さん「これ以上続けていてもしかたない」
として、冒頭の記事を投稿、Yahoo!への投稿停止宣言
こんな感じでしょうか。
冒頭記事のブックマークコメントやTwitterでの言及を見ていると、様々な意見が行き交っている模様。
ここでは、ネット上における「実名投稿」と「批判」の方法の問題として、僕個人の意見をまとめてみようと思います。
実名 vs 匿名
インターネットで情報発信をする際、実名と匿名のどちらがいいか。また、そのメリット・デメリットにはどのようなものがあるか――といったことは、昔からよく語られている話題ではあります。
曰く、〈実名〉なら自制心が働く。仕事が来る…かも。炎上すると生活に支障を来す恐れ。
曰く、〈匿名〉なら気軽に何でも書ける。別人格を作って楽しめる。暴力的になりがち。
とは言え、最近は匿名でも、ハンドルネームを持った個人が簡単に燃え上がるし、他方では、企業から声をかけられて出版やイベントなどの「仕事」に恵まれるような時代なので、〈匿名〉*1と〈実名〉の垣根は低くなっているのかもしれません。
インターネットで「実名制」を採用しているサービスと言えば、やはりFacebookが代表的。最近はモンスト*2で話題のmixiでは、HNでも問題はなく、他の多くのSNSでも実名を強制しているサービスは少数派でしょう。
〈実名〉を選択することの最大のメリットであり、またデメリットでもあるとされるのが、現実世界での肩書きと影響力をそのまま持ってこれる点だと思います。
Twitterを見れば分かりやすいかと。先日の都知事選にて、小泉純一郎氏がTwitterを始めたことが話題になりましたが、氏のフォロワー数はあっという間に万単位に膨れ上がっておりました。更新停止した現在でも、80,000を超えていることが確認できます*3。
小泉さんは極端な例かもしれませんが、リアルでの知名度はそのままネットにも反映されるのが基本的な構造なのでは。繋がりの広いメディア関係者はもちろん、ファンの多い小説家やアーティストといったクリエイター層も、フォロワー数が際立って多い印象があります。
言わば、“強くてニューゲーム”*4状態。Twitterのフォロワー数やFacebookのフレンド数が「強さ」に直結するとは限らないけれど、ネットで影響力を強めるにあたって、〈実名〉の効力は無視できないのではないかしら。
「肩書き」をもって〈実名〉で発信する
前置きが長くなりましたが、冒頭の記事について。前提として、永江さんと佐野さんはいずれも実名でFacebookに登録されており、その肩書きもプロフィール欄にはっきりと記載されている状態です。
そして、本件に関するツッコミを見ていると、「公私」の区別がひとつの主題として、問題視されているような印象を受けます。
このコメントは捻りも広がりもないクソほどつまらんけど、会社名を明かしたからと言って、FBでのコメントは所属とは関係ない個人のコメントとしての扱いじゃないかと思う(tessy3)
ヤフーに属する人はヤフーのコンテンツをdisるべからず、ってなるとそれは無いなー、って思うわけで。「くだらないから止めてと社を通じて言えば」の辺り、結局のとこ個人の見解JPの解釈がどこまでも噛み合ってない。(inurota)
また、SNSなどに詳しく、『ソーシャルメディア実践の書』の著者でもある大元隆志さんは、本件について次のように書いています。
今回の「実にしょーもない」は単なる感想だ。感想を所属会社と紐付けられる社会というのは、なんとも息苦しいのではないか。
(中略)
個人の意見であっても、常に会社の意見として受け取られてしまうなら、何も言えない世の中になってしまう。もちろん、今回の佐野さんの振る舞いが無礼であったことはそのとおりだ。パーティ会場で突然著名人に向かって歩き出し、唾を吐きかけて立ち去っていくような行動だ。ただそれで「ヤフーの人間が!!」となるのは、ちょっと許してやって貰えませんか。とは思う。
大元さんの意見も分かります。ネット上での全ての発言を、自分の所属と結びつけて語られてしまっては、確かに息苦しくてならない。そこを注視されてしまっては、専門外のことは迂闊に発言できなくなるし、日常の出来事に関するツイートもどこをどう突っ込まれるか分からない。
ただ、大元さんも書いているように、これは“パーティ会場で突然著名人に向かって歩き出し、唾を吐きかけて立ち去っていくような行動”でもあるわけで。独り言でも何でもなく、明確な意図を持って発言されているようなので、そこは批判されても文句は言えないのではないでしょうか。
もし佐野さんが、ご自分のTwitterアカウント*5で「しょーもない」と書いたのであれば、問題にならなかった可能性もあります。永江さんがエゴサーチをしたり、第三者が問題としなければ、その発言は「独り言」として処理され、消えていくだけのものだったでしょう。
ところが本件では、記事の筆者である永江さん本人のFacebookページまでわざわざ行って、「しょーもない」と発言している。永江さんの目に留まるのは明らかであり、それを「独り言」と片付けるのは難しい。しかも、詳細なプロフィールが書かれているFacebookという場で。
大元さんの表現をお借りして補足すれば、“Yahoo!に頼まれて主催したパーティ会場(=執筆した記事)で、Yahoo!の看板を下げた人がわざわざ歩いてきて、唾を吐きかけて立ち去っていった”ようなものかと。そりゃ、嫌な気分になってもおかしくはないかと思います。
批判と悪口、言葉の言い回し
本件について、もうひとつ問題となりそうなのが、「しょーもない」という言い回しかと思います。
元コメント、批判ていうよりただの中傷だからなあ(YUKI14)
これは同情するよ。実名で具体性のない批判って何がしたかったんだろ(ponako10)
批判するにしても、これがもし筋の通った批判であれば、そこまで取り沙汰されるものにはならなかったのではないかしら。
「しょうもない」、「つまらない」というのであれば、どこがどのようにつまらなかったとか、こういう取り上げ方をして欲しかったとか。何の具体性も説明もなく一言、「しょーもない」と全否定されてしまっては、反論のしようもありませんしね。
加えて、この「しょーもない」という言葉。「アホ」や「バカ」や「クソ」よりはまだマシな言葉に見えますが、論理もへったくれもなく、多くの人が「悪口」と感じてしまっても仕方のないものだと思います。
あと直接的には関係ありませんが、この言い回し、なんとなく既視感があったので検索してみたら、前例がありました。某作曲家が某歌手のツイートに対して「しょうもない」と発言したことで炎上し、活動自粛に至った件*6。「しょうもない」は、人を怒らせやすい表現なのかもしれません。
たびたび本ブログでも書いていますが、たとえ本質的には正しいこと、もしくはひとつの「意見」に過ぎないことであっても、過剰に“強い言葉”や“不適切な表現”を織り交ぜたがゆえに炎上に結びつくケースは、少なくありません。
正論であっても、「クソ」と書けば悪感情を抱く人は多いでしょうし、特定層を貶めるような表現は、世間的に批判の的になりがちです。そのような言葉を反射的に使ってしまうのであれば、実名投稿はデメリットしかもたらさないのではないでしょうか。
補足
永江さんのFacebook*7を確認してみたところ、現在「協議中」のようです。
インターネット上における「公」と「私」の区別って、人によって異なってきそうな気はしますが、実際のところはどうなんでしょうね……。
個人的には、そこが限定公開でない、開かれた場所であるならば、TwitterでもFacebookでも「公共の場」であるように感じますが。ただ、そこにいるユーザーとの関係性なんかによって感覚も変わってきそうで、なんとも。どなたか書いてください。
関連記事:
監視社会よりも怖い、ネットの匿名性(『U Want Me 2 Kill Him?』を観て)
*1:正確には、HNによる「顕名」かも。
*3:小泉純一郎 J.Koizumi (J_Koizumi_Japan) on Twitter
*5:検索してみたところ、実名でのアカウントは登録されていないようですが。