国際【産経抄】5月10日2014.5.10 03:07

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【産経抄】
5月10日

2014.5.10 03:07 産経抄

 記念日まで1カ月近くもまだあるというのに、強烈な前宣伝をやってくれている。中国は、四半世紀前に起きた天安門事件の研究会に出席した、というだけで弁護士ら5人を拘束したほか、70歳の改革派女性ジャーナリストもしょっぴいた。

 ▼事件は、胡耀邦元総書記の死去がきっかけだった。改革派だった胡氏をしのび、民主化を求める学生らが天安門前広場に座り込んだ。膠着(こうちゃく)状態がしばらく続いた後、党首脳が鎮圧を指示。1989年6月4日未明、人民解放軍が無差別に発砲、多数の死者が出た。

 ▼「多数の死者」としたのは、当局が報道管制を敷いたため、今なお「数百人~数万人」まで諸説飛び交っているからである。中国民衆を守るはずの解放軍が民衆に銃を向けたこの事件は、中国現代史の「不都合な真実」となった。

 ▼2年ほど前、何人かの中国の若者と話す機会があったが、彼らは靖国神社は知っていても天安門事件は誰一人として知らなかった。学校では教えてくれず、新聞やテレビもほとんど報じないからだ。

 ▼事件後、西側諸国は一斉に対中経済制裁を発動し、中国経済は危機に陥った。それを救ったのが、日本である。事件の翌年、海部政権は早くも円借款の凍結解除を決めた。これをきっかけにして各国は次々と制裁を解除していった。

 ▼あのとき、日本が情けをかけていなければ、中国はどうなっていたか。一党独裁体制はとっくに崩れ去っただろうし、少なくとも尖閣諸島沖や南シナ海で暴れ回ったりしていないはずである。民衆を弾圧した怪物を助けてしまったばかりに、日本は恩を仇(あだ)で返されている。天安門事件の教訓をくみ取るべきは、目先の利益に目がくらんで正義を見失ったこの国の政治家たちである。

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