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 23日は沖縄戦の犠牲者を悼む「慰霊の日」。沖縄にルーツがあったり、米軍の基地問題に関わったりしている関西の人たちも特別な思いでこの日と向き合う。沖縄の今をどう見つめ、伝えようとしているのか。米軍占領下の沖縄が日本に返還された1972年に生まれた大阪の2人に聞いた。

■「戦争あかん」おばあの言葉

 三線(さんしん)、小太鼓の音が鳴り響くなか、子どもと大人が一緒になって沖縄の伝統舞踊「エイサー」の練習に励んでいた。5月末の大阪市大正区。今年で40回目になる秋恒例の「大正エイサー祭り」に向けた準備だ。

 「いつかは沖縄に戻り、のんびり過ごせればと思っているけどね」。練習を見守っていた実行委員長の宮里政之さん(42)が大阪から約1200キロ離れた故郷を思い、つぶやいた。

 妻と高校生の長男、長女の4人で暮らす。20歳で大阪に来て22年。トラック運転手として何とか生計を立て、大阪への愛着もある。だが、沖縄への思いが強いのは、自分の誕生日のせいか。1972年5月15日。米国占領下の沖縄が日本に返還された日。この年に沖縄で生まれた子は「復帰っ子」と呼ばれてきた。

 米軍嘉手納基地のすぐ横にある家で育った。朝から晩まで戦闘機やヘリコプターの騒音が響き、家の中での会話も苦労した。おじい(祖父)が手がけるサトウキビ畑に立つと、爆風で体が飛ばされそうになった。戦闘機が滑走路を離陸したのだった。今は少しましになったが、事故におびえる暮らしは変わらない。